New Album Review: Loscil 『Ash』  未知の音響体験をもたらすアンビエント/ドローン

Loscil 『Ash』



Label: Loscil

Release: 2025年11月21日/12月19日



Review
 
 
ティム・ヘッカーと並んで、カナダを代表する電子音楽プロデューサー、Loscilの最新作『Ash』は、従来通り、アンビエント/ミニマルテクノですが、視覚的な効果を追求した作品と言えます。ベテランプロデューサーとしての技量と重厚な音楽観が凝縮された一作です。アルバムを購入すると、フォトジンが付属していて、そこには、印象的な写真が収録される。今作でロスシルの名を冠するスコット・モルガンさんは音楽と写真を合体させた新たな分野に挑戦しています。
 
 
旧来は、ギターのリサンプリングやモーフィングを中心に楽曲制作を行ってきたロスシルですが、アルバムは、推察するに、シンセサイザー中心の作品となっているようです。ミニマル・テクノに属する短いシークエンスが長尺のトラックを形成していますが、この数年プロデューサーが取り組んでいたトーンの繊細な変化や波形の微細なモーフィングなどを介し、変化に富んだドローンのトラックがずらりと並んでいます。音楽的には、ダークウェイヴとも称すべき短調中心の曲と、対象的に清涼感すら感じさせる長調のドローンが並置されています。こういった対比的な曲調を並べるのが、2025年のアンビエント/ドローンのシーンの主流になりつつある。
 
 
アルバムのタイトル、及び曲のタイトルは、全般的に火にまつわる内容となっている。6曲で40分という聞きごたえたっぷりの内容となっています。「Smoulder− 燻る」、「Carbon- 炭素」、「Soot-煤」など象徴的なタイトルが並んでいます。しかし、それとは対象的に、「Crown- 王冠/王位」、「Cholla− サボテン」もあり、最後は、「Ember- 残り火」で終わる。もしかすると、このアルバムには謎解きのようなミステリアスな意図が込められているのかもしれません。実際の作風は、ロスシルの一般的なアンビエント/ドローンに属していますが、最近の作品は、硬質でメタリックな重厚感に満ちていて圧倒的です。もちろん、それは『Ash』についても同様でしょう。また、ロスシルは最近、シンセサイザーなどを介して、パイプオルガンのような音響を再現することもある。それは全般的には、表立って出てこないものの、最後に暗示的に登場します。
 
 
アルバムを聴いていて思ったのは、昨今のロスシルは、音響工学に属するアンビエントを志しているのではないかということです。そこには音がどのように響き、増幅されていくのかという音響学の視点が備わっている。また、音のサステイン(持続)をどう続けるのか、音響そのものをどう反響させ、減退させ、収束させ、消えさせるか。音が立ち上がる瞬間だけではなく、音が消え入る瞬間にも細心の注意が払われています。プロデューサーという観点から言えば、ソフトウェアの波形のモーフィングにその点が反映されています。音が鳴っている瞬間にとどまらず、音が減退する瞬間や消えゆく瞬間に力が込められていて、スリリングな響きが発生します。こういった音響学的な制作者の興味が「火」というテーマに沿って形作られています。
 
 
短いシークエンスが組み合わされ、徹底的にオスティナート(反復)されるに過ぎないのに、ロスシルの卓越したプロデュースの手腕は、さほど個性的ではないモチーフですら、興味深い内容に変貌させ、最後には、マンネリズムとは無縁の代物になってしまう。波形のデジタル処理やトーンの変調により、驚くべき微細な波形の変化が作り出されています。これは電子音楽による、もしくはプロデュースによる、バリエーション(変奏)の手法と言えるのではないでしょうか。
 
 
 
「Smoulder」を聴くと、荒涼とした風景を思わせるサウンドスケープがイントロに配される。これが曲の根本的な骨組みとなっています。しかし、ドローンのパッドは音量的なダイナミクスの変化を経て、音が発生した後すぐ静かにフェードアウトしていき、その合間に別のシークエンスが登場します。2つのパッドが重なりながら音楽が同時に進行していく。音楽的には、重苦しさや暗鬱さもあるが、同時に力強さもある。その音量的な変化の中で、パンフルートのような音色を用いた3つ目の旋律も登場し、音楽的な印象を決定づける。例えば、ポップやロックソングでは、イントロの後の2、3小節で行うことを、独特なディレイの方式により丹念に行っています。その結果として、映像音楽のように、なにかを物語るような音楽が完成します。


一連のミニマル・テクノの作風の中で、短調のハーモニーを形成させ、静寂の向こうから重厚感のあるドローンの旋律を登場させる。同じ構成がずっと続くようでいて、その過程で微細な変奏を用いている点に驚かされる。短調の悲哀のある印象音楽は、5分以降はその表情を変え、清涼感のあるサウンドスケープに変化していく。明らかに描写的な音楽と言え、大規模火災のような情景を想起させることがあり、それはまた追悼的な意味合いが感じられることもあるでしょう。
 
 
 
二曲目「Carbon」は中音域の持続音に高音域の持続音を付け加え、イントロからロスシルにしかなしえないオリジナリティあふれる音響を作り出す。音楽的な印象そのものは、一曲目と同様に物悲しさに満ちていますが、そのトーン自体からは精妙な感覚も感じ取られる。そして同じように複数のドローンの旋律を重ね合わせ、倍音を作り出し、それらをハーモニーに見立てる。


同様の音楽的な手法が用いられていますが、この曲の面白さは、テクノ的な音の配置にあるようです。永遠に続くかと思われたドローン音が消え去り、静寂が現れると、2分20秒以降では、Burialが使用したようなダブステップの音色がスタッカートのような効果を強調させ、曲のキャンバスに点描を打つ。Andy Stottのようなインダストリアルなテクノの影響が加わり、特異な音響を生み出す。こういった試みは、以前のロスシルの作風には多くは見いだせませんでした。そして、ダブ的なプロデュースの方法を使用し、その残響を強調し、ドローンとして続く。このあたりには、レゾナンス(残響)を巧みに活用しようという制作者の美学が反映されています。また、後半でも、複数の持続音を組み合わせる、カウンターポイントの手法が見出されます。
 
 
 
音楽の基礎としては、1小節目や2小節目において、曲の気風や印象を明瞭に提示するというのが常道です。しかし、それを逆手にとった音楽は古今東西存在している。「Crown」ではその固定概念を覆す。シンセの倍音の音域を増幅させ、煉獄的とも天国的ともつかない中間域にある音楽を作り出す。こういう音楽は、聞き手の感情に訴えかけるのではなく、聞き手の理性に根ざした音楽と言えます。感情の内側にある魂に到達し共鳴する音楽なのです。催眠的な音楽効果も含まれていますが、むしろ制作者が体現したかったのは形而下の内容なのではないでしょうか。


この音楽は、2000年代くらいにあったアンビエント曲を彷彿とさせ、それは聴く人によって印象が様変わりする。「明るい」と思う人もいれば、「暗い」と思う人もいるかもしれません。そして、クワイア(声楽)を模したシンセサイザーの音色が響き、それはやはり特異な印象を帯びる。これらは「音楽の一般化」という概念に対抗するような内容となっているのは確かです。つまり、音楽を決められたように作らないというアイディアが盛り込まれています。全体的なプロデュースの手腕も優れていて、洞窟や高い天井のようなアンビエンス(空間性)を再現しています。こういった曲を聴くと、アンビエントのトラックを制作する時は、''どのような空間性を作りたいのか''というシミュレーションが不可欠であることが理解していただけると思います。
 
 
全般的には、アンビエントともドローンとも言える、その中間点に属する曲が続いた後、いかにもロスシルらしい個性派の曲が登場します。「Soot」はまさしく、このプロデューサーの作品でしか聞けない内容で、ロスシルのファンにとっては避けては通れない内容です。特に、2000年代以降の作品より重力が加わり、メタルのようなヘヴィな質感を帯びていて素晴らしい。従来から制作者が追求していた重みのあるドローン音楽が集大成を迎えた瞬間であり、迫力満点です。文章がその人を体現するとよく言うことがありますが、音楽もまたそれは同様です。そして、この曲の場合は、単なる付け焼き刃ではなく、自然と獲得した人物的な重厚感なのでしょう。


総じて、こういった類いの曲は、扇動的な音楽を意図すると、ノイズや騒音に傾倒しがちなのですが、重力を保ったまま、心地よい精妙なトーンやハーモニーが維持されているのが美点です。本作の冒頭曲のように荒涼とした大地を思わせる抽象的なドローンが徹底して継続されるが、それは先にも言ったように空虚さとは無縁であり、むしろ陶然としたような感覚をもたらす。音量的にはダイナミズムを重視しつつも、その中には奇妙な静けさと落ち着きが含まれる。これこそ長く続けてきた制作者やプロデューサーにしか到達しえない崇高な実験音楽の領域。
 
 
 
16分以上の力作が並んだ最後の二曲は圧巻です。 「Cholla」は、前の四曲とは対象的に、それらの地上的な風景から遠ざかり、天上的で開けた無限の領域に属する音楽性が強調される。 音楽だけに耳を傾けると、誰にも作れるように思えますが、実はこういった曲は、簡単にはなしえません。これこそ、余計な夾雑物を選り分けた後に到達する崇高な領域です。このアルバムで登場した複数のシークエンスが同時進行するカウンターポイントの形式は、カンタータのようなクラシックやジャズとの融合を試みる、新しいアンビエントの形式が台頭した瞬間です。少なくとも、2025年のこのジャンルの曲の中では傑出していて、開放的な空気感に満ちています。
 
 
それは自然の鮮やかな息吹、美しさや崇高さという本作の副次的なテーマを暗示している。この曲を聴いて覚える解放的な感覚や心が晴れやかになる瞬間こそ、このジャンルの醍醐味と言えるのではないでしょうか。人間の魂が、自然と調和し、共鳴するような素晴らしいモーメントを体験することが出来ます。それはまたヒーリングというこのジャンルの副次的な効果をもたらす。
 
 
「Ember」もマニアックではありますが、他の制作者には簡単には作れない曲でしょう。地の底から鳴り響くかのような重厚感のある低音のドローン、その後、教会のパイプオルガンのような主旋律が作曲の首座を占める。これは現代的な感性に培われた電子音楽の賛美歌のようです。通奏低音を徹底的に引き伸ばし、その上に複数の持続音を重ねていくという手法が見出せます。


こういった作風は、現代音楽などでは既出となっていますが、ロスシルは、それらを最も得意とする電子音楽の領域に導き入れる。ドローンの基本的な持続音の形式に属していますが、特に曲の終盤でのフェードアウトしていく瞬間に着目です。音像がフィルターによりだんだん曇り、ぼかされ、ロスシルのモーフィングの卓越した手腕が遺憾なく発揮されています。また、この曲は一曲目「Smoulder」と呼応していて、円環型の変奏形式をひそかに暗示する。冒頭でも述べたように、未知の音響体験といえるのではないでしょうか。かなりの力作となっています。
 
 
 

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