2007年にアメリカで発足したレコード会社が協力し、限定版をリリースし、各レコード店で独自イベントを開催する「レコードストアデイ」の詳細情報が先日、2月17日に発表されました。

 

このイベントでは、毎年、アンバサダーが選ばれ、このイベントが開催される4月23日を盛り上げてくれています。今年のグローバルアンバサダーには、アメリカのシンガーソングライターのテイラー・スウィフトが選ばれており、この日のための限定版のリリースを既に公表しています。

 

またこのお祭りは日本でも開催されています。今年のレコードストアデイジャパンでは、限定盤の82タイトルのリリースが発表されています。これらの限定版はHMVやタワーレコードなど当イベントを開催する各レコード店でお求めになることが出来ます。 


今年、日本の各レコードショップで発表された限定版では、松原みきの「WINK」、中森明菜の豪華四枚組カラーLP、山下達郎の名曲をカバーしたMayu Nakazawaの「Fanky Flasin'」、Shing02と共同制作のNick Kurosawaの「Omma」などなど、注目作品が多数ライナップされています。さらに、この第一弾の企画発表に続きまして、第二弾のイベント「RSD Drop 2022」の開催が6月18日(土)に決定致しました。

 

 

 

・限定版アイテムの詳細

 

https://recordstoreday.jp/itemyear/item2022/ 

 

 


この4月23日に開催されるRecord Store Dayは、今年アメリカで15周年を迎えます。最初のグローバルアンバサダーには、メタリカが選ばれ、その後、オジー・オズボーン、デイヴ・クロール、セイント・ヴィンセントといった錚々たるビックアーティストがこのレコードのお祭りの日を盛り上げてくれています。近年では、このイベントの影響もあってか、アナログレコードブームを沸き起こし、アメリカでは、CDとレコードの売上が逆転現象を起こし、音楽ファンの間で、レコードブームが到来しています。レコードマニアにとっては見逃すことのできないイベントとなりそうです!!


 

Record Store Day Japan 2022



・開催日 2022年4月23日 (土)

 

 

・開催概要 当日午前0時より、RECORD STORE JAPANにエントリーされたアイテムを一斉に参加店舗限定で発売します。本タイトルのネット販売は翌日午前0時に解禁されます。 事前の取り置きは不可というルールが設けられています。




RSD Drops 2022

 

 

・開催日 2022日6月18日 (土)


 

・開催概要 当日午前0時より、RECORD STORE JAPANにエントリーされたアイテムを一斉に参加店舗限定で発売します。本タイトルのネット販売は翌日午前0時に解禁されます。 事前の取り置きは不可というルールが設けられています。

 

 

 

・イベント参加 店舗リスト 


https://recordstoreday.jp/store_list/https://recordstoreday.jp/store_list/

 

 

 

・「Record Store Day Japan」公式サイト 

 

 

https://recordstoreday.jp/ 



 

現在、ロンドンを拠点に活動するシンガーソングライター、ナイマ・ボックが、サブ・ポップから新しいシングル「Every Morning」を2月22日に発表しました。「Every Morning」は「30 Degrees」に続いてのリリースとなり、今回、シングルリリースに合わせてサブ・ポップからMVが到着しています。

 



ナイマ・ボックは、幼少期をブラジル、サンパウロでギリシャ語・英語を話す母親、そしてブラジル人の父親と過ごしました。彼女は幼い頃から多様な音楽に触れてきました。バーデンパウエル、シコブアルキ、ジェラルドヴァンドル、カルトーラといったアーティストの音楽は、彼女の家庭で当たり前のように流れており、長いドライブで、家族は彼女をサンパウロの海岸へ連れていきました。

 

ナイマと家族は、彼女が七歳のとき、サウスロンドンに引っ越しました。十歳のころ、ナイマはウィンドミル・ブリクストンのショーに参加しはじめます。その後、15歳という若さで、彼女は友人と音楽を作り始めることを決心、最終的にはバンドとしてのGoat Girlの活動に行き着きました。六年間、世界をツアーして周り、バンドでベースを演奏したナイマは、主に音楽性を変えたいという思いを抱えており、ほどなくしてGoat Girlというバンドを去っていきました。


今回、新たにサブ・ポップからリリースされた「Every Morning」はナイマによって書かれた楽曲で、長年の協力者であるジョエル・バートマンとの制作、アレンジメントがおこなわれました。

 

ナイマは、三年前(彼女が大ファンであったバンドビューファインダーの)バートンに出会い、デュオとしてショーの計画を立て始めました。レコーディングでは、ナイマ・ボックが曲の構造、コード、メロディーを担当、ジョエル・バートマンがピアノ、弦、ホーンアレンジメントなどの他のアレンジメントの重要な部分を手がけています。

 

ナイマ・ボックは、今回リリースされた新曲「Every Morning」について、以下のように話しています。

 

 「旅行中に、この曲に書きはじめたんですが、当初は、ひどい目にあった感染症についてのナンセンスな曲でした。コーラスラインは、「かゆい目のかゆみ」というバカらしい歌詞になっていました。それから、誰かが、「メロディーが良いね!」といったので、私は(当然のことながら)神経症のバレルに手を伸ばし、後悔と懐かしさの巨大な束をすくい取り、「毎朝」の歌詞が徐々に出来上がっていきました。

 

それ以来、私が学んだ唯一のことは、人々は、皆、同じであるということです。金輪際、嘘をつくのをやめようとしましたが、なぜか魂が抜けたようになってしまうので、これもまた、きっぱりやめようとしました。人から距離を置くということは難しいものです。この曲は、私の人生の、ある特定の時期についてよく表現されています。それは、私が愛した友人から引き離す(引き離される)という意味が内包されています。でも、これは決して、ロマンスについて書かれた曲ではありません、ある友情の終焉についての歌であって、その出来事が、仮に、そのこと以上の意味を持たないとしても、同じくらいの大きな苦痛にもたらす、という事実について歌われています。

 

 

 

 

Naima Bock 「Every Morning」 Sub Pop 2022 

 

 

 

Tracklist:

1.Every Morning

 

・「Every Morning」のリリース情報につきましては、以下、サブ・ポップ公式ホームページを御覧下さい。

 https://www.subpop.com/news/2022/02/22/naima_bock_shares_new_single_every_morning

 



Metoronomy


メトロノミーは、イギリスのロンドンで1999年にジョセフ・マウントによって結成されたエレクトロニックバンド。


元々は、ジョセフ・マウントがドラムを演奏していたバンドのサイドプロジェクトとして始まった。メンバーのライナップは、ジョセフ・マウント、オスカー・キャッシュ、アンナ・プリオール、ベンガ・アデレカン、マイケル・ラベットで構成されている。

 

ジョセフ・マウントは父親から渡された古いコンピューターを使い、ホームレコーディングとしてエレクトロニックをはじめた。彼は、古めかしいレトロな音色を面白く思い、たとえば、ジャーマンテクノのようなシンセサイザーの古いプリセットを用いた音楽性は、現在もバンドの重要な魅力となっている。


ジョセフ・マウントは、オウテカや、ファンクストロングといったアーティーストの音楽性に強い影響を受けている。その後、フロントマンのマウントは、ロンドンからブライトンに拠点を移し、ガブリエルとオスカーの両者をバックバンドのメンバーとして採用。

 

メトロノミーのデビュー作は2006年にリリースされた「Pip Paine」となる。ジョセフ・マウントはバンドの活動と並行して、リミックスを行ない、プロデューサーとしての知名度を獲得していく。

 

ジョセフ・マウントは、バンドの活動よりも、しばしば、ゴールドフラップのリミックス作品に参加するなどクラブ・ミュージックよりの活動スタイルを行っていた。 しかし、彼のリミックス作品は、長い間、その実力に比べると不当に低い評価を受けて来たように思える。U2の「City Of Bliding Lights」は、リミックス作業が行われていたにも関わらず、レコード・レーベル側にリリースを拒絶された経緯があった。

 

二作目となるアルバム「Nights Out」は2008年リリースされ、Kris Menaceによりリミックスがなされ、「Radio Ladio」、「A Thing For Me」といった良曲が収録されている。また三作目「English Riviera」では、軽快でテクノポップ感を打ち出した秀作で、時代性と距離をおいた独自のレトロな音楽性を追求している。メトロノミーはコンスタントに作品のリリースを行ない、2020年には、バンドの代表作のひとつ「Metronomy Forever」を発表している。

 

結成以来、メトロノミーは、ジャスティス、ブロック・パーティ、CSS、 ケイト・ナッシュといったビックアーティストのツアーステージにおいて、数々のサポート・アクトを務めている。

 

メトロノミーは音楽性だけではなく、バンドキャラクターの視覚性にも力を注いでいる。ライブギグにシンプルなダンスルーティンとライトショーを取り入れ、メンバーは胸にプッシュボタンライトを装着、ライブパフォーマンス中にそれを切り替えるといったユニークなライブアクトを行っている。






「Small World」 Because Music


 

 

Tracklisting

 

1.Life and Death

2.Things will be Fine

3.It's goos be back

4.Loneliness on the run

5.Love Factory

6.I lost my mind

7.Right on me

8.Hold me tonight

9.I have seen enough



UKのエレクトロニックバンドの六作目「Small World」は、メトロノミーのバンドとしての円熟期が到来したことを象徴するような作品です。


これまでのテクノ・ポップ、エレクトロポップの要素に加え、何か心の奥深くからにじみ出るような叙情性が滲んだようなアルバムです。


それは、表向きの華やかさのあるこのバンドの主な性格に加え、何か噛みしめるようにメロディーやリズムを刻むバンドのレコーディング風景が実際の音楽からは想像されるかのようです。

 

この作品には、バンドサウンドの骨格を支えるジョセフマウントの音楽フリークとしての姿が伺え、ときに、うるわしく、はなやかで、澄んだような雰囲気をもってふんわりとバンドサウンドが展開されていきます。それはアルバム・ジャケットに描かれている安らいだ印象のある絵画のような雰囲気を思い起こさせます。また二十年以上のキャリアを持つバンドとしての音楽に対する矜持のようなもの、それがノリの良いリズム、グルーヴといった形に現れているのです。


このアルバムは、テクノ、ポップ、さらにオルタナティヴ・ロック、コンテンポラリー・フォークと様々な要素が込められ、ジョセフ・マウントが若い時代から親しんできたであろう音楽性が絶妙な形で展開されていきます。

 

それは、時に、ベル・アンド・セバスチャンのような優しげな穏やかな雰囲気を持っていたかと思えば、デビッド・ボウイやT-Rexの全盛期のような華やかさもあったりと、メトロノミーの五人にしか紡ぎ得ない独特な雰囲気を持った「小さな世界」が生み出されていく。それほど音楽性には派手さはないものの、実に、多彩な音楽が淡い叙情性を交えてゆったりと展開されていきます。

 

「Life And Death」、「Things will be fine」、「Love factory」といった今回の六作目のアルバムのハイライトをなす楽曲で、メトロノミーは、これまでのキャリアにおいて培ってきた音楽性の土台の延長線上にある、癒やしや穏やかさといった近年メインストリームの音楽が忘れがちな要素を、巧みにエレクトロポップ、インディーロックといった要素を交え、良曲として昇華しています。それは意図して狙っているというよりかは、二十年の月日を経て、さながら植物がゆっくりとゆっくりと育まれていく過程のように、自然とそうなったようにも思えるのです。これが、このアルバム全体の印象を、渋さがある一方、親しみ溢れるものにしています。余計な力が抜けており、それが多くの音楽ファンにとって近寄りやすい印象を与えることでしょう。

 

「Small World」は、旧来のテクノ、エレクトロ・ポップ、特に1970年代あたりの電子音楽やダンスミュージックを踏まえた上、親しみやすいポップスとしてアウトプットされています。聴けば聴くほど旨味が出てくるような渋さがあり、アルバムジャケットのような華やいだ色彩を感じさせる。

 

現代の流行の音楽とは、一定の距離を置き、時代に流されず、バンドとして徹底的に好きな音楽を追求した結果、生み出された良盤。もちろん、最新鋭の音楽が常に最もすぐれているわけではないこと、現代の音楽、過去の音楽には、それぞれ異なる良さが見いだされることを、メトロノミーのフロントマン、ジョセフ・マウントは、おそらくだれよりも深く深く熟知しているのです。



 

 

  

・Apple Music Link

 

 

*しばらくの間、アルバムレビューでのスコア、評点制度は休止致します。何卒ご了承下さい。


 1979年から1997年にかけて活動をおこなったスコットランドのシューゲイザー/ドリームポップバンド、コクトー・ツインズのエリザベス・フレイザーは13年ぶりにレコード・ストア・デイの4月23日に新作EPをPatisan Recordsからリリースすることを発表致しました。

 

 

エリザベス・フレイザーの新しいプロジェクト「Sun's Signature」は、パートナーのデーモン・リース(Massive Attack,Spiritualized)と組んだデュオ。すでにSun's Signatureは5曲のEPをリリースしてます。

 

今回、新たにエリザベス・フレイザーがファンのもとに届ける新作はセルフタイトルの名が冠され、8000枚限定のフィジカル盤として発売され、現在のところ、デジタル配信の予定はないようです。今回、レコードストアデイにあわせてリリースされる「Sun's Signature」は、既に「Underwater」を含む幾つかのトラックリストが公表されています。

 

この十年間、エリザベス・フレイザーは、レコードリリース自体からは遠ざかってましたが、アーティストとしての活動を完全に中断していたわけではありません。2012年に、メルトダウンフェスティバルに出演し、「Gold Air」「Make Lovely the Day」の二曲を披露したほか、コラボレーションとして、ワンオートリックスポイントネバー、ヨンシーの作品に参加。また、メザニーン・アニバーサリーツアーのため、マッシヴ・アタックのメンバーに帯同しています。




「Sun's Signature」 EP

 

 

 Side A


1.Underwater

2.Golden Air 

 

Side B


3.Bluedusk

4.Apples

5. Make Lovely The day




・「Sun's Signature」EPのリリース情報

 

Rough Trade  Official HP

 

https://www.roughtrade.com/us/sun-s-signature/sun-s-signature



アメリカ・イリノイ州シカゴは現代の作曲家フィリップ・グラスにとってきわめて思い入れのある場所といえるでしょう。グラスは若い時代に、シカゴ大学に通い、数学と哲学を専攻し、教養を深め、後の作曲活動に活かしています。さらに彼は、この土地で、指揮者、フィリッツ・ライナーとシカゴ交響楽団と関わりを持ちながら、古典的な交響曲の作曲技法を学んだのです。

 

今回、 2月17日、シカゴ交響楽団(CSO)と指揮者リカルド・ムーティーは、このシカゴに深いかかわりを持つ作曲家の十一番目の交響曲をシンフォニーセンターで演奏し、大成功を収めました。


Phllip Glass Twitter


 

ソリストには、日本人ピアニスト、現在はロンドンを拠点に活動する内田光子が選ばれ、コンサートのプログラムにはグラスの交響曲11番、さらに、ピアニストとしては最難関のベートーベンのピアノ協奏曲第四番ハ長調が選ばれ、演奏後、客席は大きなスタンディングオベーションに包まれたようです。

 


シカゴの地元紙「サンタイムズ」は、先週の木曜の夜に行われたCSOの演奏を、これはクラシック音楽史の大きな出来事であり、「フィリップ・グラスはベートーベンの9つの交響曲を上回った、パフォーマンスは初演ではないものの、非常に画期的な出来事であった」と報じています。

 

今回のグラスの交響曲第十一番の演奏は、シカゴのグラスシンフォニーによる初演でした。 シカゴ交響楽団は1999年にもサブスクリプションシリーズでフィリップ・グラスのオーケストラ作品「ファサード」を演奏し、2007年から2008年にかけてMusic Nowというプログラムを組み、この作曲家の楽曲にスポットライトを当てた経緯があり、今回グラスの交響曲を演奏を行ったことにより、 CSOとグラスの関係性はより深まり、シカゴという土地とグラスの関係はより綿密になったと言えるでしょう。

 

「フィリップ・グラスの音楽をこれまで一度も取り上げてこなかった巨匠リカルド・ムティとシカゴ交響楽団が彼の十一番目の交響曲を演奏することは、ここ数十年来で最もグラスのクラシック作曲家としての地位が上昇したことを明示している」と、シカゴの地元紙サンタイムズは書いています。


グラスは、元々、スティーヴ・ライヒのように、ミニマリストという位置づけで現代音楽のシーンに登場した作曲家でしたが、長年の間、フィリップ・グラスに対する作曲家として与えられる評価は目覚ましいものでなく、正当な評価を受けてこなかった作曲家とも言えるかも知れません。

 

そもそも、フィリップ・グラスの作風の反復的な作曲技法の形式があまりに単純ないしはナイーブであるとみなされていたため、フィリップ・グラスは数十年に渡って古典音楽の世界の一部の演奏家から敬遠されてきた経緯があります。


また、グラスがキャリアの最初期から当時主流であった古典的な作風の確立を回避し、1968年からはロックバンドのように機能する大学のキャンパスや別の場所で演奏する独自の実験的なアンサンブルを形成したことについても、クラシックの世界の一部から嫌厭されてしまった要因ともなったようです。


これは、例えば、ミニマリストとしての作風を一定に維持しつつ、比較的、中世のグレゴリオ聖歌やスカルラッティのような古典音楽の影響を踏まえ、数々の交響曲を生み出してきたエストニアのアルヴォ・ペルトとはまったく事情が異なります。いわば、フィリップ・グラスは、シカゴという土地のカルチャーの影響を色濃く受けたため、クラシック音楽にとどまらず、この土地のロック音楽と無縁ではなかったことが、古典音楽の作曲家としてグラスの評価をきわめてむつかしいものにしていたのです。

 

しかしながら、今回のシカゴでのコンサートが大成功に終わったことにより、これまでの事情は一変したといえるでしょう。マエストロ、リカルド・ムーティがグラスの11番目の交響曲を取り上げたことにより、古典音楽シーンからも彼の評価が正当なものへと引き上げられました。フィリップ・グラスは今、85歳の誕生日を迎えたばかりで、今回、シカゴ交響楽団とムーティー、そして内田光子という3つの素晴らしい奏者による画期的な演奏が行われことにより、また、公演後、多くの観客によるスタンディングオベーションでグラスの交響曲が好評に終わったことにより、グラスの長年の間、音楽家としてのキャリアに立ちはだかっていた壁のようなものが全て取り払われたことで、グラスのクラシックシーンでの地位が確立されたと言えるでしょう。

 

また、今回のシカゴでのコンサートのプログラムには作曲家フィリップ・グラスからの手紙が組み込まれており、コンサートの聴衆に対して、彼はシカゴという土地が彼にとってどのような意味を持つのかを説明しています。


このプログラムに掲載されたグラスの手紙には、観客にたいする感謝の意が表され、そしてまた、シカゴという土地の関係性についても言及がなされていました。先にも書きましたとおり、グラスは1950年代にシカゴ大学に在籍し、指揮者フリッツ・ライナーとCSOと深い関係を持ち、キャリアの重要な素地を築き上げていったのです。


「この種の出来事は」とフィリップ・グラスはこの観客に向けての手紙において書いています。「若いミュージシャンにとって非常に重要なことだったのです。このシカゴ大学にいた時、私はおそらく他のどの時代よりも管弦楽法について深くまなんだ時代でした」

 

今回、CSOがフィリップ・グラスの交響曲第十一番を取り上げて、 音楽性の探求をはじめたのは彼のキャリアがシカゴから始まったことを考えてみれば当然のことだったはず。


「今回のムーティーのコンサートが八人の打楽器奏者、二人のハープ奏者、さらには、めったに聴くことのできない低音域のコントラバスを含む、広大で、爽快な三楽章の作品からこの交響曲は構成されています」と、サンタイムズは説明した上で、さらに以下の通りに書いて、この記念すべきコンサートについての記述を締めくくっています。

 

「交響曲第十一番では、特に最初のムーヴメントにおいて大成功を収め、フィリップ・グラスはそれらを新たな要素として提示しています」

 

「交響曲第十一番は、酔わせる、時には息を飲むような、まるで万華鏡のような重なり合う渦を作り出す。そして、構造は彼のキャリアの最初の重要な要素である反復構造に回帰を果たす。ムーティーは見事にすべての可動部と複雑な反復と語り合い、演奏者たちはトローンボーンをはじめとする金管楽器、ハープとパーカッションの演奏でグラスの独特な作曲技法を受け入れているのが伺えました。このコンサートはオーケストラが最初にグラスの演奏を行うのを目撃したときのように衝撃的な出来事でしたが、「アテネの廃墟」への序曲に続き、この日のハイライトは間違いなくプログラム構成の前半部にありました。ベートーベンのピアノ協奏曲第四番です。この曲目はめったに聴くことのかなわない小さな宝玉の如きの楽曲です」

 

「ピアニスト、内田光子はCSOの常連として多くの人に親しまれており、1986年オーケストラデビューを果たした作品を演奏するために戻ってきました。このベテランソリストに期待されるような、思慮深さのある、深遠なパフォーマンスを、リカルド・ムティとオーケストラとともに彼女は観客に提示しました。内田光子はゆっくりとしたテンポで演奏をし、特に第2楽章は効果的で、広々とし、内省的で、時には異世界にも思えるような演奏を観客に披露しました。内田は、演奏における詩情という側面に力を注いでおり、ピアノ協奏曲のスイープ、壮大さをいたずらに強調した演奏になることは決してありませんでした。しかし、彼女は必要に応じて、パワーとパンチの効いた演奏を提示したのです。それが驚くほど軽く、機敏なタッチの演奏であったことは言うまでも有りません」

 

「シンフォニーホールでの演奏後、コンサートの聴衆は、スタンディングオベーションを与え、グラスの交響曲の祝福を与え、またそれと同時に、内田光子の魅惑的なパフォーマンスと国際的なピアノ演奏の世界における実力を再確認したようです」

 

 

 

 

1.リミナルスペースに表れる概念

 

 

昨年から、特に海外のサブカルチャーとして、「リミナル・スペース」というのがひそかに流行しているという。これは、例えば、駅構内の地下道、駐車場のスペースの一角、もしくは、打ち捨てられた廃墟じみた建物の一角など、本来、無機質な建築の空間に奇妙な魅惑を見出すというものである。


 

いくらかニッチな趣味ではあるものの、こういった空間に、写真愛好家の人々がフォーカスを当て、それを被写体として収める文化的な活動がひそかに愛好家の間で流行っているのだという。このいうなれば、ニッチな趣味「リミナル・スペース」は、海外版2ちゃんねるの「4chan」で最初に取りざたされたもので、じわじわと海外の愛好家たちの間で親しまれている趣味なのだそうだ。

 

一時期、廃墟探索というのが、日本でもサブカルの領域ではあるけれども、ひそかに愛好家たちの間で取りざたされていたわけだし、「廃墟」というテーマを掲げた写真集も各出版社から刊行されていたのを思い出す。

 

これも、上記のリミナルスペースと同様、既に閉園した遊園地、長らく打ち捨てられ、所有権利者も解体費用を捻出するのを諦めた小大の工業施設、あるいは商業施設の景観にノスタルジアを見出すというものである。

 

確かにそういった現代の遺構のような建築物は、その虚ろな空間に接した際に郷愁にも似た感覚を覚えることがある。なんだか不気味のようにも思える空虚な空間に不思議な感覚を見出す、それはいわく言い難い、安らぎとか落ち着きにも近い奇妙な感覚である。我々が、なぜ、そういった本来、社会生産から切り離され、本来の役割を失った建築物に、そういった安らぎにも似た感覚を覚えるのかといえば、それはある種の無機物が目の前に明瞭に存在することを確認することにより、それと対比的に、自己という実在性を強めるからにほかならない。

 

廃墟、古い遺構、人気のない工業施設の一角は、その対象物そのものは生きているという感覚からは程遠い、だから、我々はその対象物と接した際に、謂わば、それと対比的に自分が生きているという感覚が鋭くなり、自己の実在性が強められ、その思いをじっくり噛みしめさえする。さながら、現実と異次元の狭間が目の前に不意に生じたかのような錯覚を、カメラのレンズを向ける人たち、また、その場にたたずんでいる人は見いださずにはいられないのである。

 

つまり、定義としていえば、リミナル・スペースとは、当たり前の日常の現実空間の中に生じた奇妙な異空間ともいえる。そして、これはどちらかといえば、たとえば、工業施設のような人工的な建築物中に、こういった概念が見出される場合が多い。つい昨日までごく当たり前に目の前に存在していたなんでもないような空間、それは昨日までは、面白みのない無機質な空間という印象だったかもしれない。しかし、今日それに接した際にまるでその対象物の印象が変わり、ミステリアスな異空間が眼の前に広がっている事実を我々は発見するのである。

 

 

 

2.パンデミックがもたらした異空間

 

 

 

2020年からの世界的なパンデミックは、世界各地にこういった「リミナルスベース」を生じさせた。それがむしろ商業生産の盛んな先進国であればあるほど、こういった奇妙な異空間が至る場所に生じることになった。

 

感染者数の増大により、多くの先進国の政府は、本来の社会生産活動を制限し、一般市民を家の中にとどまるように促した。そして、感染者数の増大に歯止めをかけようと試みた。それらのことがどのような社会的作用をもたらしたのかといえば、むしろ経済活動の停止に依る人類の進化の鈍化であった。人々は、停滞し、その場に留まることにより、20世紀からすすめてきた資本主義という手法を今一度見直さねばならなくなった。社会的な議論が世界各地で熱心になされた、生産活動に舵取りをするべきか、はたまた人間の生活安全を取るべきか。様々な活発な議論がインターネットでも交わされた。しかし、もっともらしい結論はいまだ出ていない。すべての国家、政府は、これらの2つの概念を天秤にかけ、バランスというか均衡を保ちながら、政策を打ち出し、そして市民の信頼を獲得しようとしている。それは現在の2022年においても変わらない。政府は国民の顔色を伺いながら、のらりくらりと政治を行っている。

 

そして、この2020年に起こったパンデミックという出来事は、一般市民に与えた影響にとどまらず、街の景観の変化にも顕著に顕れた。あらためて思い出してみていただきたいのは、我々が日頃当たり前に見ていた社会的な空間中に何の前触れもなく突如として空白が生じ、そこに、いわば「リミナル・スペース」と呼ばれる異空間が生じたのだ。営業の自粛を迫られ人気のとだえた所業施設、それまで、客がビールジョッキを片手に賑わっていた居酒屋ののれんじまい、また、それまで数多くの人々がすれ違っていた駅前通りの水を打ったかのような閑散、都道府県を跨ぐことを禁止された結果として生じた多くの車の通行を失った国道、それから、殷賑をきわめていた何らかの市場や商店街のような空間に、一種の不可思議な空隙が生じた。また、今、一度考えてみてほしい、これらの無数の空間に当たり前に存在していた多くの人たちの消失、そこには、突如として、これまでに存在した現実空間の中に、不可思議な異空間、リミナル・スペースが生じたように、多くの人々は感じたにちがいないのである。

 


 


2020年、東京でも緊急事態宣言が発令されたが、それは少なくとも大都市圏だけではなく、いくらか私の住んでいる郊外にも少なからずの影響を与え、「異空間」、言いかえればリミナルスペースが生じた。今では、そういった発令がなされたとしても、多くの人は日常活動くらいは普通に行うと思われるが、このパンデミックが始まった時はそうではなかったのだ。人々は目に見えないウイルスの影におびえ、日々接する情報をそれらにしぼっていったのである。

 

 

2020年の当初、多くの人々がこの出来事がなぜ起こったのかも理解できず、さらにどういったことが起こっているのかも見分けづらくなっていた。ここで、後世の人類のための情報として伝えておきたいのは、この時、我々は目の前におこっている現象よりも、あるていどインターネットやテレビを介して提供される、なんらかの情報、なんらかの報道を通じて出来事に対する理解を深め、目の前に起こっている現象に対処していく以外の方法はほとんどなかった。このことは、それまでの社会の様相を一変させた。つまり、2019年以前と2020年以後の世界はまるきり一変してしまったのだ。

 

たとえば、もし、この目に見えないウイルスの脅威に怯えを覚えていた人にとっては、外出を自発的に諦めるという行動の選択にもつながった。報道では率先してショッキングな映像が選ばれ、それはたとえば最初の武漢市場の奇妙な映像に象徴的にあらわれていた。あの時、今でも思い出すのだが、私が非日常の日常の中でつくづく感じ、恐怖すらおぼえ、一番おそれたのは、ウイルスの存在ではなかった。それは、これまで当たり前であった日常の平穏が脅かされるのではないかという感覚、どうあっても変化を余儀なくされることに対する異質な恐れ、それはまた現実空間でいうなら、日常の空間の中に不意に生じた奇妙な「リミナル・スペース」を意味したのだ。

 

 

日常的に生きている当たり前の空間がおびやかされ、そこには、「AKIRA」、または「新世紀エヴァンゲリオン」に登場するような不思議なSFチックな空間が生じ、バス停の電光掲示板に映っていた緊急自体宣言発令の文字、あるいは、外出をお控えくださいといった奇妙なデジタルの文字群が不意をついて眼の前に立ち上ってきた。


その時、何らかの不思議な感覚をおぼえ、これは現実に起こったことなのだろうかとも考えた。今、なんとなく思い返すのは、あのとき、私は、現実空間に居ながら、ある種の異空間にやってきたようないいしれない実感をおぼえていた。それは、見渡すかぎりいちめん、本来の生産活動、経済活動の気配が途絶え、2019年以前の世界の空気感を失い、巨大なリミナルスペースに身をおいたか、迷い込んだかのような錯覚に陥った。いや、そうあらざるをえなかったのだ。

 

 

 

 3.リミナル・スペースの探索

 

 

2021年あたりから、2ちゃんねるの海外版「4 chan」で、これらのリミナルスペースという概念が話題に上がるようになった。

 

2021年になると、その前年とはまるで世界の様相が変わり、表向きには生産活動や経済活動にシフトチェンジを図るようになった。内向きな方向性から外向きな方向性にいわばベクトルを転じたことは、社会構造として健全といえるかもしれないが、また、一方で社会内に生きている一般市民の心を置き去りにしたともいえる。人々は、2019年のロックダウンに生じた空白のようなものを脳裏から拭い去ることは出来なかった。その中で、直接的な因果関係を結びつけるのは少し暴論なのかもしれないが、この「リミナル・スペース」という新たな2020年代の概念が出てきた。人々は、あらためて、日常化した商業施設、工業施設内の異空間を探し求める。それは、一種の2019年に起きた出来事を再認識するようなものといえるかもしれない。

 

この「リミナルスペース」は、そもそも人類学者ターナーによって提言された言葉であるらしく、「日常生活の規範から逸脱し,境界状態にある人間の不確定な状況をさす言葉」である。さらに言えば、このリミナルスペースは「Threshold」を語源に持ち、感覚的なニュアンスを交えて、海外の人はこの言葉、概念を使用するようになっている。また、このスレッショルドという語は、「閾値」を意味し、音楽のリミックス、特にマスタリング作業の段階で使われる要素で、「スレッショルド」という値を増減させることによって音のコンプレッション、圧縮率を調整し、作品として再生されたときの音の圧縮率、音圧をコントロールするのである。

 

ある人は、「リミナル・スペース」、現実の空間に生じた異空間を五感、またはそれ以上の感覚で捉え、それにあきたらない人は、カメラを介し被写体としておさめ、認識下にある数値化できないそれぞれの閾値を用いて現実性をコントロールしようとする。

 

  

もちろん、言うまでもなく、それらの景物に建築学における配列、規則性、黄金比といった興味を、その中に見出す人も少なからず存在するものと思われるが、それよりも、昨年からこの概念が趣味として、海外のファンの間で広がりを見せるようになったのは、近年の世界の劇的な変化、世相のようなものを反映しているようにも思える。

 

リミナルスペースと呼ばれる異質な空間、人々はその中に、いくらかの恐れや不安とともに反面、奇妙なノスタルジア、安らぎを見出す。

 

それは先述したように、自分が現在、今という瞬間に生きていることを対比的に確認するための認識作業ともいえる。リミナルスペースは、一般的なカルチャーとは呼べないものの、特に、今日の社会、世界情勢を見渡した時、何らかの重要なテーマが反映されているように思えてならない。こういった概念に興味を抱くのは、多くの人々が、日々生きる現実の中に「異空間」を見出しているからにほかならない。今後の世界がどう進展していくかはわからない。いずれにせよ、いまだ2022年の人類は、リミナルスペースと呼ばれる現実空間と異空間の狭間をあてどなく彷徨いつづけているのだ。

 

 

本日、2月18日のオノ・ヨーコさんの誕生日に合わせ、アメリカの数多くのインディー・ロックバンドがコンピレーションに参加したカバーアルバム「Ocean Child:Songs Of Ono Yoko」がアトランティック・レコードから発売されました。

 

今回のコンピレーション作品を企画したのは、デス・キャブ・フォー・キューティーのフロントマン、ヴォーカリストのベン・ギバート、そして、トーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーンです。

 

彼らは、オノ・ヨーコという素晴らしい芸術家から受けたインスピレーション、音楽的なものにかぎらず、平和という概念にいたるまで、この芸術家の影響に焦点を当て、それを作品に参加する総勢15のアーティストたちの個性を活かした形で今回のコンピレーションを完成へと導いていきました。

 

今回、アトランティックレコードから発売された「Ocean Child」は、オノ・ヨーコの14曲のカバー作品が収録されています。

 

デス・キャブ・フォー・キューティー、デイヴィッド・バーン、USインディーロックシーンを長年にわたり支えてきたアーティスト、さらに、Sharon Van Etten,ミシェル・ザウナーのソロプロジェクトであるJapanese Breakfast,Jay Som,Yo La Tengo,The Flaming Lips,日本人ベーシストのマツザキ・サトミを擁するDeerhoof。多くの豪華アーティストが参加し、オノ・ヨーコの珠玉の名曲にあらためて光を投げかけています。

 

これらのカバー楽曲には芸術そのものの遊び心に加え、オノ・ヨーコの長年の思いである平和という概念を重んじる気風が漂っています。あらためて、オノ・ヨーコさん、89歳のお誕生日おめでとうございます。

 

 

 

 

「Ocean Child:Songs of Ono Yoko」 Atlantic

 

 

 

 

 

 ・Yo La Tengo 「There's No Goodbye Between Us」


 

 

 

 

 

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