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 Vivienne Eastwood   『Take Care』

Label: Self Release

Release: 2025年4月25日

 

 

Review

 

ニューヨーク/ブルックリンのシューゲイザープロジェクト、Vivienne Eastwood。シューゲイズのニュースターの登場の予感である。ベッドルームポップとシューゲイズ/エレクトロニカを組み合わせたセンス抜群のサウンド。

 

使用機材は明らかではないが、シンセを用いたエレクトロニカ、時々、オートチューンを用いたアンニュイなボーカル、そして、フィードバックノイズを生かしたギターが組み合わされ、ヴィヴィアン・イーストウッドのサウンドの礎石が出来上がる。近年では、ドリーム・ポップとシューゲイズの切れ目や境界線がなくなってきていて、多くがポピュラーソング化しているというのが現状であるが、エレクトロニック・ベースのシューゲイズとして楽しめるに違いない。

 

『Take Care』の冒頭を飾る「embrace」はシンセのアルペジオから始まり、苛烈なシューゲイズサウンドへと移行する。しかし、TikTokサウンドを意識したポップソングの風味が加わり、新世代のニューゲイズサウンドが作り上げられる。ポップだがロック、ロックだがエレクトロニック……。多角的な楽しみ方が出来るポスト世代のシューゲイズサウンドでアルバムは幕を開ける。

 

本作のサウンドは、その後、ギターロックを主体とするシューゲイズへと移行していく。「favourite」ではDIIVのポスト世代のサウンドを聴くことが出来る。「demise」ではMy Bloody Valentineのシューゲイズの源流ーーグラスゴーのネオアコースティックーーのサウンドを踏まえ、ピッチシフターを用いた現代的なボーカルでポスト世代のロックミュージックを作り出す。自主制作盤なので、まだまだ荒削りなサウンドであるが、才気煥発なセンスが迸っている。

 

 ヴィヴィアン・イーストウッドの個性的なキャラクターが明瞭になるのが、エレクトロニックとシューゲイズ、そして近年のソロアーティストのポップの文脈として登場したベッドルームポップが目覚ましく融合する瞬間である。「squeeze」は、打ち込みのビートの上にディストーションギター、ボーカルをレコーディングするという、まさしく宅録仕込みの音楽である。なかでも緻密な構成を持つシンセのアルペジオ、そして、トラックの表面に重ねられるフェーザーを施したギターライン等、サウンド面での工夫が凝らされている。これらのシューゲイズサウンドはあくまでもボーカルのハーモニーの効果が重視され、器楽的な効果を持つボーカルトラックとしてミックスされている。これは、Verveなどの90年代後半のUKロックの影響だろう。

 

今まで、MBVのサウンドを追求してきたバンドは数しれなかったが、そのほとんどが完成寸前のところで踵を返したため、再現までには至らなかった。だが、最新鋭のエレクトロニクスの技術の進歩により、ようやくケヴィン・シールズのギターの音作りに接近したという印象を抱く。


「burnt lips」はハイライトの一つ。イントロは「I Only Said」のオマージュだが、その後はRIDEのようなエモーショナルで繊細なシューゲイズサウンドに移行していく。この曲において、彼らはフォロワー以上の存在感を示すことに成功している。魔神的な印象を持つディストーションギター、陶酔感のあるボーカルという、なかなかの再現ぶりであるが、ベッドルームポップ的なアプローチ、ホームレコーディング風のアプローチがこの曲にオリジナリティを付け加えている。

 

 

アルバムの後半ではデジタル世代らしいクリアな質感を持つシューゲイズ、MOGWAIを思わせる音響派の広大な世界観を擁するポストロックを聴くことが出来る。また、この中で、フレーズの転調の要素を用い、グルーヴや、トレモロ/ピッチシフターで作り出すトーンの変調を登場させ、シューゲイズのリバイバルに取り組んでいる。しかしながら、このアルバムには、単なるリバイバル以上の何かが隠されていることは、鋭い聞き手であればお気づきになられるだろう。


例えば、「ashly」、「ancient sign」などは、未来志向のサウンドを把捉することが出来る。その一方で、アルバムの後半に収録されている「method acting」も隠れたハイライト曲である。MOGWAI、Explosions In The Skyを筆頭とする音響派のポストロックの原石に磨きをかけ、 それらをドリームポップライクの現代的なサウンドで縁取っている。旋律的な心地よさ、そして、抽象的で淡いボーカルは、曲の背景となる極大の音像を持つギターのアンビエンスと上手く溶け合う。これらは、ハイファイ時代のシューゲイズサウンドの出現を予見しているかのようだ。

 

『Take Care』は心地よいマテリアルを積み重ねていったらこうなった、というような感じである。変な気負いがなくて◎。これは、ポストロックとも、アンビエントとも、あるいはシューゲイズともいえない、次世代のロックサウンドがもうすぐそこまで出かかっている予兆なのだ。フォロワー的なサウンドが多いけれど、何かしら期待感を持たせてくれるアルバムである。

 

アルバムのクローズを飾る「devotion」も普通に良い。2分後半からのラウドで恍惚感に満ちたサウンドは必聴である。これらはアシッドハウスやシューゲイズというジャンルでしか味わえないものだ。ブルックリンから魅惑的なシューゲイズプロジェクトが出てきた。

 


78/100

 

 

 MOULD 『Almost Feels Like Purpose』EP 

 

Label: 5dB Records

Release: 2025年4月24日



Review

 

 

ブリストル/ロンドンに跨って活動するMOULD。 2024年デビューEPをリリースし、BBC Radio 6でオンエアされ、DORKでも特集が組まれた。イギリスの有望なパンクロックトリオである。『Almost Feels Like Purpose』EPは間違いなく先週のベストアルバムの一つに挙げられる。パンクロックの魅力は完成度だけではない。時には少しの欠点も魅力になり得ることも教えてくれる。

 

モールドのサウンドは、Wireのようなニューウェイブを絡めたイギリスのポストパンク、エモ、ハードコア、Fugaziのようなポストロック、グランジ、そして時々、最初期のグリーン・デイのようなメロディックパンクの雰囲気を持つ。デビューEPでは、まだ定かではなかった彼らのサウンドは『Almost Feels Like Purpose』において、より鮮明さを増したと言えるかもしれない。侮れないものがある。

 

MOULDは、特定の決められたサウンドを目指しているわけではないという。ただもちろん、思いつきのみでパンクをやっているというわけでもない。モールドの曲は緻密な構成を持つ場合があり、バンドアンサンブルとして玄人を唸らせる。こだわり抜いた職人気質のギターサウンド、ニューウェイヴに依拠したしなやかなベースライン、そしてメチャクチャ打数が多いが、バンドのラウドなサウンドをタイトにまとめ上げるドラム等、聞き所は満載だ。これらはジェイムスが言う通り、このバンドよりも前にやってきたことの成果が巧緻なサウンドにあらわれている。

 

 二作目のEPは、昨年の夏に彼らのホームタウンのブリストルでレコーディングされた。同時に全般的なサウンドとして音圧のレベルが上がっている。いわば、リスナーの元にダイナミックなモールドのサウンドが届いた。デビューEPのサウンドと地続きにあり、同時にファーストEPでは見られなかった新しいサウンドの萌芽もある。



「Oh〜!」というサッカースタジアムのチャントのように陽気に始まる「FRANCES」では、従来のStiff Little Fingersのようなガレージロックサウンドのようなブギーで粘り気のあるギターリフを00年代以降のメロディック・パンクのイディオムと結びつけ、軽快なサウンドを作り出している。このバンドの持ち味のシャウトやドライブ感のあるパンクロックが所狭しと散りばめられているが、一方で、楽曲の展開の面で工夫が凝らされている。つまり、変拍子、静と動、緩急を生かしたサウンドが、性急で疾走感のあるパンクサウンドを巧みに引き立てているのだ。

 

MOULDのサウンドは「落ち着きのない人のための音楽」と言われることがあるとジェイムスさんから教えていただいたが、それはジェットコースターのようにくるくると変化する曲調に要因がありそう。そして、実際的に、これはMOULDの現在の大きな武器や長所、そして特性でもある。「TEMPS」は、Wireのようなニューウェイブ系のパンク・ロックサウンドを印象付け、そしてこのトリオらしいシンガロングを誘うキャッチーで温和なメロディーで占められている。


さらに、このバンドの持ち味であるガレージロック風の硬質なギターリフを中心とし、パブでの馬鹿騒ぎをイメージづけるような、ノリの良いパンクロックソングが繰り広げられる。時々、ラウドとサイレンスを巧みに行き来しながら緩急のある構成力を活かし、全般的には、最初期のグリーン・デイのように、ロックンロールの要素が心地良いサウンドを作り上げていく。

 

また、MOULDのサウンドはバイクで疾走するようなスピード感が特徴である。これらのデビューソング「Birdsong」と地続きにあるのが「Snails」である。ガレージ・ロックの系譜にある骨太なギターラインで始まるこの曲は、バクパイプの残響を思わせるギターの減退の後にボーカルが加わると、驚くほどイメージが様変わりし、メロディックパンクの次世代のサウンドの印象に縁取られる。いわばモールドらしいコミカルなパンクサウンドが顕わになるのである。


「Snails」は、ドラムの演奏が巧みで、爆発的なリズムやビートを統制するスネア捌きに注目である。さらに、曲調がくるくると変化していき、曲の中盤から後半にかけて、シンガロングなボーカルのフレーズが強い印象を放つ。ロックソングのメロディー性に彼らは重点を置いている。特に、この曲のサビは素晴らしく、モールドの爽快感のあるエモーションが生かされている。

 

 

また、モールドは単なるパンクバンドではなく、音楽性が幅広く、そして何より器用である。さらに、柔軟性も持っている。単一のジャンルにこだわらない感じが、彼らのクロスオーバー性を作り出し、そして多角的で奥行きのあるロックサウンドを作り上げていく。 パンクロックソングの中にあるロックバラードの性質、言わば、泣きの要素が続く「Wheeze」に示唆されている。


この曲では、ゆったりとしたテンポが特徴のオルタナティヴロックソングである。同じようなフレーズが続くのに過ぎないのだけれど、実験的なホーンが取り入れられたりと、アメリカン・フットボールのエモを巧みに吸収しながら、モールドらしいサウンドとして抽出している。


さらに、曲の中盤では、ビートルズ・ライクのサウンドも登場したりと、音楽的な魅力が満載である。そしてモールドらしく熱狂性が曲の後半で炸裂し、ピクシーズの「RIver Ehphrates」のようなチョーキングでトーンが変調するサウンドや、チェンバーポップ風のチェンバロをあしらったアレンジメントが登場したりと、オルタナティヴロック・バンドとしての表情も伺わせる。

 

EPの後半では、ハードコアやヘヴィーなロックサウンドに傾倒する。しかし、曲の展開の意外性、先の読めなさというのが今作を楽しむ際の最大のポイントとなるだろう。


ハードなエッジを持つポストハードコア・サウンドで始まる「Brace」であるが、その後はコミカルな風味を持つキャッチーなポップパンクソングに変遷していく。このあたりの''変わり身の早さ''が、モールドの最大の魅力といえるか。この曲は少しずつギアチェンジをしていくように、三段階の変化をし、最初はポスト・ハードコア、そして、ポップ・パンク、ジョン・レノン風のロックソング、あるいはビートルズのホワイトアルバムのようなサウンドへと移ろい変わる。

 

曲の後半では、Bad Religionのようなエッジの効いたパンクロックソングを聴ける。この曲で、近年、ハードになりがちなパンクに安らぎや癒しを彼らはもたらそうとしている。このEPはモールドの多趣味さや音楽的な幅広い興味が満載である。何度聴いても飽きさせないものがある。

 

アンプリフターから放たれる強烈なフィードバックノイズをイントロに配した「Chunks」は、昨年の「Outside Session」でも披露された。Fugaziのような実験的なポスト・ハードコアサウンドだが、その途中に若さの奔流が存在する。


ハイハットのマシンガンのような連射、グランジのように低く唸るベースライン、タムのドラムのヘヴィーな響き、マスロックやトゥインクルエモ(ポストエモ: メロディックパンクとエモの複合体)の性急なタッピングギター、そして、結成当初はハードコアパンクを前面に押し出していたBeastie Boys(ビースティボーイズ)のように、ラップからパンクに至るまで変幻自在なジャンルを織り込んだボーカルスタイルが織り交ぜられ、モールドの持つ”宇宙的な広大さ”が露わとなる。


そして彼らは、サウンドをほとんど限定することなく、思いつくがままに、刺激的で緻密なパンク/ロックサウンドを展開させる。


アークティック・モンキーズの最初期のスポークワードやラップの影響下にあるロックサウンドを垣間見せたかと思えば、曲の中盤から、デスメタル/グラインドコア風のシャウトの唸り、そして、疾走感のある痛快なパンクロックサウンドへと移ろい変わっていく。曲の展開はまるで怒涛の嵐さながら。これぞまさしく、若いバンドだけに与えられた特権のようなものであろう。

 

デビューEPは曲の寄せ集めのような初々しさがあったが、二作目のEP『Almost Feels Like Purpose』ではいよいよモールドらしさ、音楽の流れのようなものが出てきた。ライヴレコーディングのような迫力、そして若いバンドらしい鮮烈さに満ち溢れている。聞いたところによると、まだまだ持ち曲はたくさんあるということ。今後もモールドのアクティビティに注目だ。

 

 

 

85/100 

 

 

Mouldの特集記事:

MOULD  Bristol up-and-comer explains about making debut EP  -ブリストルの新進気鋭  デビューEPの制作について解き明かす- 

New Album Review:     Susanne Darre   『Travel Back』EP  

 

Label: Fluttery Records

Release: 2025年5月16日

 

Review

 

ピアノ曲の小品を主要な作風とするモダン・クラシックの一派は、これまでアイスランドのレイキャビクやイギリス/ドイツのアーティストを中心に作り上げられてきた。スザンヌ・ダールはこの次の世代の音楽家であり、メロディーの良さに重点を置いた感傷的なピアノの良曲を書いている。

 

5月16日にリリース予定のEP『Travel Back』は、ノルウェーのミュージシャン、Susanne Darre(スザンネ・ダール)による2024年のアルバム『Fragile』に続く作品となる。サンフランシスコのレーベル、Flutteryからのリリース。


スザンネ・ダールのピアノ音楽は、聴きやすく、琴線に触れる切ない旋律が特徴となっている。例えば、アイスランドのオーラヴル・アルナルズ、アイディス・イーヴェンセン、日本の高木正勝、坂本龍一、小瀬村晶、アメリカのキース・ケニフ(Goldmund)の音楽性を彷彿とさせる。あるいは、イージーなリスニングを意識した、静かでささやかなピアノの小品集としても楽しめる。カフェやレストランなど商業的な店舗のBGMとしてもオススメしたい。

 

近年のピアノ曲は、従来より音楽自体がポピュラー化している。ときに、それは旋律を口ずさめるという要素も込められているかもしれない。そして和声や楽曲の構造も簡素化に拍車がかかっている。これは近代以降、ミュージックセリエルなどの無調音楽が優勢になったことへの「反動」のようなものである。

 

結局のところ、ストラヴィンスキーやラヴェルなどの無調音楽に近い和声を多用した音楽家、そして、以降のジョン・アダムスですら調性を完全には放棄していない。彼らは、「調性の中の無調」というJSバッハの平均律の要素を異なる形で追求していた。いよいよ現代音楽そのものが形骸化しつつあり、内輪向けのものに変わりつつある中で、「無調の音楽をやる意味は何なのか?」という迷宮のような問いに対して、あっけないほど簡潔な答えを出したのが、2010年前後のドイツ/ベルリンのニルス・フラームであった。ロマン派の影響を交えたピアノ音楽は、ある意味では、それまでの現代音楽の作曲家とは別軸の答えを出したのだった。それは、結局のところ、ミニマリズムの範疇にある「音楽の簡潔化」という趣旨であった。クラシックは、つまり、ポピュラー、そしてイージーリスニングやアンビエントの範疇にあるBGMのような音楽の要素と結びついて、2010年代以降、以前とはまた別の形で蘇ったのである。だから、アンビエントプロデューサーの主催するレーベルから、このような音楽がリリースされるというのもうなずける話だ。それは別の形で音楽が繰り広げられるに過ぎないのかもしれない。

 

 

アートワークに象徴されるように、スカンジナビアの美しい風景を想起させるピアノ曲が中心となっている。それは、無限の時間と個人的な追憶という、2つの概念を原動力にして、伴奏と主旋律というシンプルな構成のピアノのパッセージが緩やかに流れていく。性急さとは無縁の落ち着き、静けさ、それは例えば、忙しい時間の中に生じる休息、そして、思い出の感傷的なエレジーのような雰囲気を持つに至る。「1-Nostalgia」はその象徴的な楽曲で、繊細でセンチメンタルな感覚を呼び覚ましてくれる。音の追憶の底に揺らめく安らぎ、時の流れが持つ美しさを感じ取ることも難しくはない。

 

「2-Picture」では、ニルス・フラームの最初期のようなイージーリスニングとモダンクラシックの中間にあるミステリアスな音楽を提供している。しかし、幾つかの下地やヒントがあるとはいえ、北欧のスカンジナビアの冬の雪の光景を思わせるような幻想的なサウンドスケープが施され、シンプルなピアノ音楽の中に神秘的な雰囲気と北欧神話のような幻想性を付け加えている。北欧的な神話の幻想性というのは、このノルウェーの作曲家の独創性の一つであり、最大の美点である。ぼんやり聴き始めると、いつの間にか終わってしまう。BGMのような性質を持つ、客観的な音楽である。

 

「3-Travel Back」は、ささやかであるが、センチメンタルで感傷的なピアノ曲である。イントロはドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」を彷彿とさせる、閃きのある単旋律を導入音として引き伸ばし、その後、淡々と短調を中心とするピアノのパッセージが続いている。この曲は、EPの楽曲構成の中で最も感傷的なイメージを持つ。 ピアノに深いリバーヴを施し、独特なアンビエンスを形成するという側面では、近年のモダンクラシックの流れに依拠している。


そして、同時に、何らかのサウンドスケープを呼び覚ます力があり、アルバムの全体的なイメージである、冬のスカンジナビアの海岸の光景や、その幻想性を想起させる。また、マスタリングのサウンド処理で、あえて高音部にエフェクトを施し、アンティークのピアノのような音色を作り出す。このあたりの残響を生かしたアトモスフェリックなサウンドは、アイスランドのオーラヴル・アルナルズに近い感覚がある。追憶の底にある懐かしさのような瞬間が演奏で表現される。聞き手は、その追憶という名の果てなき迷宮に迷いこまざるを得ない。

 

 

クローズを飾る「Hap」 EPの中で最も力が込められているように感じる。実際的に素晴らしい一曲である。この曲はミュージシャンが住むノルウェーの冬、雪深い風景という映像的なモチーフが、ピアノの麗しいパッセージによって、最も荘厳な美麗さを帯びる。アトモスフェリックなシークエンスを背景に繰り広げられる、アルバムに通底するマイナー調のピアノ曲は、冬の寒さ、儚さ、生命の気配に乏しい感覚を呼び起こすが、しかし、そこにしっかり息づく生命の神秘的な力を感じさせる。このピアノ曲は、クライマックスにかけて、幻想性が強まり、アートワークにリンクするかのように、神妙なエンディングを迎える。そこには、厳しさと慈しみを併せ持つ自然の崇高性に相対する時の人間の姿が、印象派の絵画のように、ものの見事に活写される。

 

ノルウェーの音楽家、スザンネ・ダールの描く音楽の世界は、追憶を元にした感傷的なエレジーのようだ。しかし、同時に、その最後には、感嘆すべきことに、神秘的な生命の力強さを得るに至る。『Travel Back』は、ミュージシャンの人生を見つめる力、そして、その端的な審美眼が作り出した、モダン・クラシックの美しき結晶である。

 

 

 

  

 

 

  

 Susanne Darre  :

 


ノルウェー出身の作曲家でピアニストのスザンネ・ダールは、ノルウェー北部の自宅でモダン・クラシック音楽を創作している。


ピアノへの生涯の情熱が彼女の創造性を刺激し、独自のメロディーを作曲、演奏している。音楽一家に育ったスザンネは、音楽とギター、そして膨大なレコード・コレクションを愛する父親の影響を深く受けた。


スザンヌは一人で音楽の制作、レコーディング、ミキシングをこなす。ヴィンテージ・ピアノのアコースティックな響きが好きで、歴史的建造物の中で音楽を創作するのが好きなスザンヌは、過去と現在の楽しいコントラストを生み出し、彼女の作曲に深みと個性を加えている。さらに、アンビエントなサウンドスケープや電子音とモダン・クラシック・ピアノ音楽の融合を探求し、伝統的な作曲の限界を押し広げている。


さらに、彼女の芸術的ビジョンは音楽だけにとどまらず、自然の風景の息をのむような美しさをとらえた写真にも及んでいる。スザンネ・ダールは、北ノルウェーの素晴らしさの真髄をとらえ、その静謐な風景と情感豊かなメロディーの感覚的探求へと誘う。

 Mamalarky 『Hex Key』


Label: Epitaph

Release: 2025年4月11日

 

Listen/Stream

 

Review


ロサンゼルスのMamalarkyは米国のパンクの名門レーベル、Epitaphと契約を結んで『Hex Key』を発表した。カルテットはおよそ8年間、LA、オースティン、アトランタに散らばって活動してきた。いつも一緒にいるわけではないということ、それこそがママラーキーのプロジェクトを特別なものにしたのか。ママラーキーのドラマーを務めるディラン・ヒルは次のように述べています。「私達は互いに大きな信頼を持っている。しかし、プロフェッショナルな空気感はありません。文字通り、四人の友人がブラブラして、なにかの底にたどり着くという感じです」

 

結局、ママラーキーの音楽の魅力は、雑多性、氾濫性、そして、クロスオーバーにあると言えるでしょう。ネオソウル/フィーチャーソウル、そしてパンクのエッセンスを込めたインディーロック、サイケ、ローファイ、チルウェイブなどなど、ベイエリアらしい空気感に縁取られている。


かしこまりすぎず、開けたような感覚、それがMamalarkyの一番の魅力である。これは、1960~70年代のヒッピームーブメントやフラワームーブメントのリバイバルのようでもある。ロックソングとしては抽象的。ソウルとしては軽やか。そして、チェルウェイブやローファイとしては本格的……。ある意味では、ママラーキーは、これまでにありそうでなかった音楽に、アルバム全体を介して挑戦している。明らかにロンドンっぽくはないものの、新しいカルチャーを生み出そうという、ママラーキーの独自の精神を読み取ることが出来るはず。これらは、異なる地域から集まった秀逸なミュージシャンたちのインスタントな音楽の結晶とも言える。

 

アルバムのオープニングを飾る「Broken Bones」はママラーキーの挨拶代わりの一曲である。サイケデリックな風味を持つインディーロックソングで、ベネットのボーカルは明らかにこの曲に新鮮なテイストを付け加えている。ハードロック、ポップ、プログレッシブ・ロック、いずれでもない宇宙的な壮大な感覚を持つボーカルを提供し、バンドサウンドの中に上手く溶け込んでいる。必ずしも歌をうたうというのではなく、ベネットのボーカルはごく稀に器楽的な役割を果たすことがあり、ジャズのスキャットをロック的に解釈した「ラララ〜」などのボーカルは、このアルバム全体のリスニングをする際に強烈な印象を残すかもしれない。これはママラーキーが音楽を難しく考えすぎず、ゆるく構えるというスタンスを持つことの証立てとなる。


しかし、アンサンブルとしては、プロフェッショナルで、高い演奏力を誇る。専門的ではないからこそ、インスタントなスタジオのジャムなどで高いレベルを追求してきたことが分かる。というよりも、楽しんでいたら、いつの間にか高いレベルに到達していたということかもしれません。これらはバンドとしての存在感を示すにとどまらず、ライブアクトとしても一定のエフェクトを及ぼしそうな雰囲気が出ている。つまり、バンドとしてのスター性は十分と言える。

 

''インディーロックバンド''と単に紹介するのは、Mamalarkyに礼を失するかもしれない。特に、このバンドは、Funkadelicやジョージ・クリントン界隈のファンク/ソウルの音楽性が強まることがある。序盤に収録されている「Won’t Give Up」、そして後半に収録されているメロウでアーバンな雰囲気を持つソウルバラード「Take Me」などは、アルバムの隠れたハイライトとなりえる。


そんな中で、チルウェイブやダンス・ミュージックの影響を絡めたスペシャルな音楽性も目立つ。そして、ロックソングという全体的な枠組みの中で、西海岸の幻想的で魅力的な光景を思い起こさせる曲も収録されている。心地よいヨットロック風のギターで始まる「The Quiet」は、その好例であり、テキサスのKhruangbin(クルアンビン)の音楽性をわずかに彷彿とさせる。しかし、このバンドの場合は、アフロソウルの要素は少し薄く、サザンソウルの渋さが漂う。これが近年のロックバンドとは異なる、''ビンテージに根ざしたモダン''という新しい要素を示唆するのである。もちろん、かっこよさや渋さという側面でも音楽全体に奥行きを与えている。

 

サイケデリックな要素が強まるタイトル曲「Hex Key」を聴くと、このアルバムの楽曲の多くはママラーキーの一面が表れ出たものに過ぎないと思わせる。ドラムに深いフィルターをかけ、ダンスミュージック的なサウンド処理を施し、その中でハイパーポップのようなトリッピーな音楽が展開される。 その中で、ボーカルは、ドリームポップに近づいたり、バロックポップに近づいたりと、まるで海の中を漂うかのように、音楽性を変貌させていく。例えば、海を泳いでいると、地上から降り注ぐ太陽によって海の中の景色が変わったりする。ママラーキーの音楽は、そういった類のもので、決め打ちをせず、バリエーションに富んだ音楽を展開させていく。


ベッドルームポップ風のインディーロックがお好きなリスナーには「Anhedonia」がおすすめ。軽妙なインディーロックソングを本曲では堪能することが出来る。しかし、先にも行ったようにソウルやファンクの要素が強い、この曲では特に、アフロソウルを反映させ、奥行きのある音楽に仕上げている。ビンテージレコードのようなアナログライクなプロデュース方法によって。

 

先行シングル「#1 Best of All Time」はママラーキーの魅力を体現している。ローファイ、チルウェイブといったベイエリアらしい音楽性に加え、 ママラーキーとしては珍しくドライブ感のあるパンキッシュなサウンドを展開させる。ミュージックビデオもユニーク。ロサンゼルスのストリートをオープンカーでバンドメンバーが疾走するという構成である。おそらく、現在、最も新しい西海岸の音楽を確立しようとしているのは、このバンドなのではないか。そのほか、アルバムの終盤もかなり聴き応えがあり、ママラーキーのポテンシャルの高さを伺わせる。

 

 

 「#1 Best of All Time」

 

 

 

「Take Me」は、4/8のバロックポップを下地にし、ソウル/ファンクバンドの性質が強まる。ボーカルも本格派のソウルで、聞き入らせる何かがあるかもしれない。ベースのヌーラ・カーンの演奏はファンクの跳ねるようなリズムをもたらし、そして、その上にローズ・ピアノの同音反復が続く。ドラムのしなやかな演奏もバッチリで、全体的なカルテットの演奏が傑出しているため、ボーカルが安心して遊び心のある歌唱を披露出来る。この曲ではインスタントな録音のバンドでは体験しえない、バンドとしての演奏の深さを堪能することが出来るはずである。

 

 

アンサンブルとして変拍子を組み込む場合があるのに注目したい。「MF」はフレーズごとに拍子を変え、カクカクとしたプログレッシヴなロックを提示している。そして、この曲の面白さは、ミルフィーユのような構造性にある。一つの音楽を捉えると、その向こうに別の音楽がまた一つ現れるということ。全体的にはサイケなプログレということも出来るでしょうが、曲のイメージとしてはドリーミーでファンシーな感覚に満ちている。こういった''体感的な音楽''という論理性だけで語り尽くせぬママラーキーの特性を掴むのには最適なトラックとなるかもしれません。


続いて「Blow Up」は、Deerhoofの最初期を想起させるローファイなインディーロック性に縁取られている。拡張器を思わせるボーカルのエフェクトをかけたりと、プロデュースの側面でもユニークさが際立ち、全体的な音楽の構造は入り組んでいるが、その中にはライブセッションからもたらされるルーズな感覚やラフな感覚に満ち溢れている。これらの''かっちりしすぎない''という要素はロックソングの醍醐味。70年代のロックにはあった魅力、それをママラーキーはきわめて感覚的に習得し、それらを現代のレコーディングで再現している。非常にお見事。

 

 

アルバムの後半では、インディーロックやプログレッシヴなロックの影に隠れていた本格派のビンテージソウルバンドとしての一面を見せる。「Blush」、「Nothing Lasts Forever」はロンドンのソウルやリトル・ドラゴンのような北欧のフューチャーソウルのバンドの完成度に肩を並べている。また、後者の楽曲は、Clairoの最新アルバムの音楽的なアプローチと重複する部分もある。特に、ファンクの文脈の中で繰り広げられるワウのギターが凄まじい。これらはジミ・ヘンドリックスが洗練された新しいモダンなサイケロックの一つの形とも言えるかもしれません。


ポップソングと80年代のディスコソウルを結びつけた「Feels So Good」もハイレベルに達している。ジョージ・クリントン周辺のバンド、あるいはカーティス・メイフィールドのバンドのようなコアなグルーヴを体感することが可能である。ママラーキーのアンサンブルの能力は、圧倒的に高いレベルにあるが、それらはすべて感覚的な表現としてバンドの演奏に定着している。

 

頭で考えてそれをやるというよりも、演奏を通じて自然に新しいものが溢れ出てくるというのは、彼らがインスピレーションを元にして音楽を制作している印象である。「バンドメンバーの目をしっかりと見つめて、次のテイクを信じられないものにしよう」というリヴィ・ベネットの言葉は、「Feel So Good」に明確に反映されている。この曲では、ボーカルの持つメロディーの良さに加えて、バンドアンサンブルとしての最も刺激的な瞬間を味わうことが出来ます。

 

レコーディングを体験のように捉えているのが『Hex Key』の音楽をアグレッシヴにしている理由なのでしょう。たぶん聴くたびに印象が様変わりするようなユニークな風味を感じ取ることが出来るはず。本作の最後を飾る「Here's Everything」も海岸のムードたっぷり。ヨットロックを彷彿とさせるディレイとリバーヴをてきめんにきかせたイントロで始まり、サイケソウル風の音楽へ変遷していく。と、同時に、次のアルバムに向けた伏線を残しているような気がします。”含みがある”といえば、少し誇張になるかもしれませんが、次の作品にも期待が持てますね。 



 

88/100

 

 

 「Nothing Lasts Forever」

Black Country, New Road 『Forver Howlong』 



Label: Ninja Tune

Release: 2025年4月4日


Review

 

ファーストアルバム『For The First Time』では気鋭のポストロック・バンドとして、続く『Ants From Up There』では、ライヒやグラスのミニマリズムを取り入れたロックバンドとして発展を遂げてきたロンドンのウィンドミルから登場したBC,NR(ブラック・カントリー、ニューロード)。


マーキュリー賞へのノミネート、それから、UKチャート三位にランクインするなど高評価を獲得し、さらには、フジ・ロック、グリーンマン、プリマヴェーラを始めとする世界的なフェスティバルでライブ・バンドとしての実力を磨いてきた。すでにライブ・パフォーマンスの側面では世界的な実力を持つバンドという前提を踏まえ、以下のレビューをお読みいただければと思います。

 

メンバーチェンジを経て制作された三作目。フジロックでの新曲をテストしたりというように、バンドは作品ごとに音楽性を変化させてきた。ロンドンではポストロック的な若手バンドが多く登場しており、BC,NRは視覚芸術を意図したパフォーミング・アーツのようなアルバムを制作している。また、ブッシュホールでの三日三晩の即興的な演奏の経験にも表れている通り、即興的なアルバムが誕生したと言えるかもしれない。メンバーが話している通り、スタジオ・アルバムにとどまらない、精細感を持つ演劇的な音楽がアルバムの収録曲の随所に登場している。音楽的に見ると、三作目のアルバムではバロックポップ、フォーク、ジャズバンドの性質が強められた。これらが実際のライブパフォーマンスでどのような効果を発揮するのかがとても楽しみ。

 

今回、バンドはミニマリズムを回避し、ジョン・アダムスの言葉を借りれば、ミニマリズムに飽きたミニマリスト、としての表情を伺わせる。しかし、全般的にはクラシック音楽の影響もあり、アルバムの冒頭を飾る「Besties」ではチェンバロの演奏を交え、バロック音楽を入り口として即興的なジャズバンドのような音楽性へと発展していく。ボーカルが入ると、バロックポップの性質が強くなり、いわばメロディアスな楽曲の表情が強まる。一曲目「Besties」は新しい音楽性が上手く花開いた瞬間である。


一方で、ビートルズの中期以降のアートロックを現代のバンドとして受け継いでいくべきかを探求する「The Big Spin」が続く。「ラバーソウル」の時代のサイケ性もあるが、何より、ピアノとサックスがドラムの演奏に溶け込み、バンドアンサンブルとして聞き所が満載である。新しいボーカリスト、メイ・カーショーの歌声は難解なストラクチャーを持つ楽曲の中にほっと息をつかせる癒やしやポピュラー性を付与する。


そういったバンドアンサンブルを巧緻に統率しているのがドラムである。現在のバンドの(隠れた)司令塔はドラムなのではないか、とすら思わせることもある。散漫になりがちな音楽性も、巧みなロール捌きによって楽曲のフレーズにセクションや規律を設けている。上手く休符を駆使すれば最高だったが、音楽性が持続的な印象が強いのは好き嫌いが分かれる点かもしれない。休符が少ないので、音楽そのものが間延びしてしまうことがあるのは少し残念な点だった。

 

そんな中で、これまでのBC,NRとは異なり、ポピュラー性やフォークバンドとしての性質が強まるときがある。そして、従来のバンドにはなかった要素、これこそ彼等の今後の強みとなっていくのでは。「Socks」では60〜70年代のバロックポップの影響をもとにして、心地よいクラシカルなポピュラーを書いている。メロディーの良さという側面がややアトモスフェリックの領域にとどまっているが、この曲はアルバムを聴くリスナーにとってささやかな楽しみとなるに違いない。そしてこの曲の場合、賛美歌、演劇的なセリフを込めた断片的なモノローグといったミュージカルの領域にある音楽も登場する。 これらは新しい「ポップオペラ」の台頭を印象づける。


次いで、クイーンのフレイディ・マーキュリーのボヘミアン的な音楽性を受け継いだ曲が続いている。「Salem Sisters」は「ボヘミアン・ラプソディー」の系譜にあるピアノのイントロで始まり、その後、アートポップやジャズ的なイディオムを交えた前衛的な音楽が続いている。一曲目と同じように、チェンバロの演奏も登場するという点ではジャズとクラシック、そしてポピュラーの中間域に属する。ボーカルは優雅な雰囲気があり素晴らしく、この曲でもドラムの華麗なロールが楽曲に巧みな変化や抑揚の起伏を与えている。いわば、BC,NRの目指す即興的な音楽が上手く昇華された瞬間を捉えられる。そして曲の後半部にかけて、ボーカルはミュージカルに傾倒していく。いわば、このアルバムの中核を担うシアトリカルな音楽の印象が一番強まる瞬間だ。

 

 アルバムの中盤では中性的なアイルランド民謡に根ざしたフォーク/カントリーミュージック「Two Horses」、「Mary」がアルバムの持つ世界観を徐々に拡張させていく。そして同じタイプの曲でも調理方法が異なり、前者では変拍子を交えたプログレッシブな要素、さらに後者では、ジャズやメディエーションのニュアンスが色濃い。また、賛美歌やクワイアのような聴き方も出来るかもしれない。すくなくとも、それぞれ違う聴き方や楽しみ方が出来るはずだ。

 

ブラック・カントリー、ニュー・ロードの掲げる新しい音楽が日の目を見た瞬間が「Happy Birthday」となる。印象論としては、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・クラブ・ハーツ・バンド」のミュージカルの系譜にある音楽を踏襲し、それらをクイーン的にならしめたものである。この曲ではボーカルはもちろん、サックス、ドラム、ピアノの演奏がとても生き生きとして聞こえる。また、チェンバロの導入など遊び心のある演奏もこの曲に個性的な印象を付け加える。しかし、やはり、このバンドの曲が最も輝かしい印象を放つのは、ロック的な性質が強まる瞬間であると言える。無論、調性の転回など、音楽としてハイレベルなピアノの旋律進行もフレーズの合間に導入されることもあり、動きがあって面白く、さらに音楽的にも無限のひらめきに満ちているが、音符の配置が忙しないというか、手狭な印象があるのが唯一の難点に挙げられるかもしれない。その反面、一分後半の箇所のように、ダイナミックスが感じられる瞬間がバンドとして溌剌としたイメージを覚えさせる。 曲の後半では、カーショーの伸びのあるビブラートがこの曲に美麗な印象を添える。音楽的な枠組みに囚われないというのは、バンドの現在の美点であり、今後さらに磨きがかけられていくのではないかと推測される。

 

ロック寄りの印象を持つ瞬間もあるが、終盤では古楽やバロックの要素が強まり、さらにアルバムの序盤でも示されたフォークバンドとしての性質が強められる。「For The Cold Country」では、ヴィヴァルディが使用した古楽のフルートが登場し、スコットランドやアイルランド、ないしは、古楽の要素が強まる。結局のところ、これは、JSバッハやショパン、ハイドンのようなクラシック音楽の大家がイギリスの文化と密接に関わっていたことを思い出させる。特にショパンに関しては、フランス時代の最晩年において結核で死去する直前、スコットランドに滞在し、転地療養を行った。彼の葬式の費用を肩代わりしたのはスコットランドの貴族である。ということで、イギリス圏の国々は意外とクラシック音楽と歴史的に深い関わりを持ってきたのだった。

 

この曲は、スコットランドの古城や牧歌的な風景のサウンドスケープを呼びさます。そして実際に、そういった異国の土地に連れて行くような音楽的な換気力に満ちている。


タイトル曲「Forver Howlong」に関してもケルト民謡の要素が色濃い。これらの中世的な音楽性は、今後のブラック・カントリー、ニューロードの強みとなっていくかもしれない。かなり複雑で入り組んだアルバムであるため、一度聴いただけではその真価はわからないかもしれない。ただ、それゆえに、聴く時のたのしみも増えてくると思う。


今回は''バンド''という言葉を使用させていただいたが、BC, NRは、ひとつの共通概念を共有するグループーーコレクティヴの性質が強い。バンド/コレクティヴとして純粋な音楽性を感じさせたのがアルバムのクローズを飾る「Goodbye」だった。一貫して、ポスト・ブリットポップ的な音楽を避けてきたバンドが珍しくそれに類する音楽を選んでいる。ただ、それはやはり、フォークバンドとしての印象が一際強いと付言しておく必要があるかもしれない。今後どうなるのかが全くわからないのがこのバンドの魅力。潜在的な能力は未知数である。

 

 

 

84/100

 

 

「Goodbye(Don't Tell Me)」

  Momma 『Welcome to My Blue Sky』

 


 

Label: Polyvinyle/ Lucky Number

Release: 2025年4月4日

 

Listen/ Stream

 

Review

 

Mommaは今をときめくインディーロックバンドであるが、同時に個性的なキャラクターを擁する。ワインガルテンとフリードマンのセカンドトップのバンドとして、ベース/プロデューサーのアーロン・コバヤシ・リッチを擁するセルフプロデュースのバンドとしての二つの表情を併せ持つ。コバヤシ・リッチはMommaだけにとどまらず、他のバンドのプロデューサーとしても引っ張りだこである。現在のオルタナティヴロックやパンクを象徴する秀逸なエンジニアである。

 

2022年に発表されたファーストアルバム『Household Name」は好評を得た。Pitchfork、NME、NYLONといったメディアから大きな賞賛を受け、アメリカ国内での気鋭のロックバンドとしての不動の地位を獲得した。その後、四人組はコーチェラ・フェスティバルなどを中心とする、ツアー生活に明け暮れた。その暮らしの中で、人間的にも、バンドとしても成長を遂げてきた。ファーストアルバムでは、ロックスターに憧れるMommaの姿をとらえることができたが、今や彼等は理想的なバンドに近づいている。ベテランのロックバンド、Weezer、Death Cab For CutieとのライブツアーはMommaの音楽に対する意識をプロフェッショナルに変化させたのだった。

 

本拠地のブルックリンのスタジオGとロサンゼルスのワサッチスタジオの二箇所で制作された『Welcome To My Blue Sky』はMommaにとってシンボリックな作品となりそうだ。目を惹くアルバムタイトル『Welcome To Blue Sky』はツアー中に彼等が見たガソリンスタンドの看板に因んでいる。アルバムの収録曲の多くはアコースティックギターで書かれ、ソングライティングは寝室で始まったが、その後、コバヤシ・リッチのところへ音源が持ち込まれ、楽曲に磨きがかけられた。先行シングルとして公開された「I Want You(Fever)」、「Ohio All The Time」、「Rodeo」などのハイライトを聴けば、バンドの音楽性が大きく洗練されたことを痛感するはずだ。

 

ファーストアルバムではベッドルームポップに触発されつつも、グランジやオルトロックを受け継ぐバンドとしての性質が強かった。続いて、セカンドアルバムでは、タイトルからも分かる通り、エモへの傾倒が強くなっている。「I Want You(Fever)」はBreedersを彷彿とさせるサイケ性があるが、オルトロックとしての轟音性を活かしつつも、それほどマニアックにはならず、バンガーの要素が維持されている。これらはアコースティックギターで曲が書かれたというのが大きく、メロディーの良さやファンに歌ってもらうための''キャッチーなボーカル''が首座を占めているのである。仮にテープ・ディレイのような複雑なサウンド加工があろうとも、それほどマニアックにならず、一定のポピュラー性(歌いやすさ)が担保されている。その理由はマニアックなサウンド処理が部分的に示されるに留まること、そして、バンドの役割が明確であること。この二点がバンガー的なロックソングを生み出すための布石となった。ボーカルがメインであり、ギターやシンセ、ドラムなどの演奏はあくまで「補佐的な役割」に留められている。

 

これはワインガルテンとフリードマンが自由奔放な音楽性や表現力を発揮する懐深さを他のメンバーが許容しているから。それが全体的なバンドの自由で溌剌としたイメージを強調付ける。たぶんこれは、ファーストアルバムにはそれほどなかった要素である。がっつりと作り込んでいた前作よりロックソングのクオリティーは上がっているが、同時にバンドをやり始めた頃の自由な熱狂性を発揮することを、バンド全体、コバヤシ・リッチのプロデュースは許容している。 そしてこれがロックソングとしての開けた感覚と自由なイメージを強調するのである。

 

セカンドアルバム『Welcome To My Blue Sky』において、バンドはポピュラーソングとロックソングの中間に重点を置いている。おそらく、Mommaはもっとマニアックで個性的な曲を書くことも出来ると思うが、オルタネイトな要素を極力削ぎ落とし、ロックソングの核心を示そうとする。そして、これは彼らが必ずしもオルタネイトな領域にとどまらず、上記のバンドのようなメインストリームに位置する商業的なロックバンドを志していることの証ともなりえるのである。

 

バンドというのは結局、どの方向を向いているのか、それらの意思疎通がメンバー内で共有出来ているかという点が大切かと思う。彼等が実際にそういったことを話し合ったかどうかは定かではないものの、多忙なツアースケジュールの中で、なんとなく感じ取っていったのかもしれない。その中には、ツアー中に起きた''不貞''が打ち明けられる場合があり、「Rodeo」で聴くことが出来る。音楽からは、メンバー一人ひとりが器楽的な役割を理解していて、そして彼等が持つ個性をどんなふうに発揮すれば理想的な音楽に近づくのか、そういった試行錯誤の形跡が捉えられる。


一般的には、試行錯誤の形跡というのは複雑なサウンドや構成、そして脚色的なミックスなどに現れることが多いが、Mommaの場合は、それらのプラスアルファの要素ではなくて、マイナスーー引き算、簡略化ーーの要素が強調されている。これが最終的に軽妙なサウンドを生み出し、音楽にさほど詳しくないリスナーを取り込むパワーを持つようになる、というわけである。Mommaの音楽は、ミュージシャンズ・ミュージシャンのためにあるわけではなく、それほど音楽に詳しくない、一般的なロックファンが渇望するパッションやエナジーを提供するのである。

 

 

これが本作のタイトルにあるように、Mommaの掲げる独自の世界「ブルースカイ」への招待状となる。その中には先にも述べたように、90年代以降のオルタナティヴロック、エモ、シンセポップなどの音楽が引きも切らず登場するが、全般的に、その音楽のディレクションの意図は明確である。


わかりやすさ、つかみやすさ、ビートやグルーヴの乗りやすさ、この三点であり、かなり体感的なものである。それは以降の複雑なポストロックやポストパンクに対するカウンターの位置取りであり、頭でっかちなロック・バンドとは異なり、ロックそのものの楽しさ、雄大さ、そして、心を躍らせる感じ、さらには、センチメンタルなエモーションがめくるめくさまに展開される。音楽的な方向性が明瞭であるからこそ、幅広く多彩なアプローチが生きてくる、という実例を示す。これらは、数しれないライブツアーの生活からしか汲み出し得なかったロックソングの核心でもあるのだ。

 

 

 

上記の先行シングルのようなバンガーの性質を持つロックソングと鋭いコントラストを描くのが、内省的なエモの領域に属するセンチメンタルなロックソングの数々である。そして、これらがロックアルバムとして聴いた上で、作品全体の奥行きや深さを作り上げている。「How To Breath」、「Bottle Blonde」では、それぞれ異なる音楽性がフィーチャーされ、前者ではThird Eye Blindのような、2000年代以降のオルタナティヴロック、後者では、シンセ・ポップをベースにしたベッドルームポップのキャラクターを強調している。 そしてどちらの曲に関しても、ボーカルのメロディーの良さやドリームポップに近い夢想的な感覚を発露させている。これらに多忙なツアー生活の中の現実性とは対極に位置する幻想性を読み解くことも不可能ではない。

 

 

また、ライブツアーにまつわる音楽性は従来とはカラーの異なる音楽性と結びつけられる場合がある。例えば、「Ohio All The Time」は、Placeboを彷彿とさせる音楽性に縁取られている。ソングライティングの側面で大きく成長を遂げたのが、本作のクローズに収録されている、子供時代の記憶を振り返りながら、自分の姿が今とはどれほど変わったかを探る「My Old Street」である。他の曲と同じく、歌える音楽性を意識しつつ、スケールの大きなロックソングを書きあげている。これらはMommaがいよいよアリーナクラスのロックバンドへのチケットを手にしつつあることを印象付ける。

 

 

85/100

 

 

Best Track-「How To Breath」