追悼 【Margo Guryan(マルゴ・ガリヤン)】 唯一の作品「Take a Picture」のもたらした大きな功績

  



マルゴ・ガリヤンさんが2021年の11月8日に84歳で亡くなられたという訃報については、アメリカ、ロサンゼルスの「Buzz Band LA」が最も早く報じたようです。

 

このマルゴ・ガリヤンというアメリカのシンガーソングライターは、それほど日本では知名度に乏しいように思われますが、かつてはビル・エヴァンスといったジャズ界の大御所から音楽の手ほどきを受けた女性シンガーソングライター、作詞家です。懐メロのような雰囲気を持ったポップの楽曲を書いており、84年の生涯において「Take A Picture」という一作品、それからピアノ音楽の変奏をリリースしただけという寡作さにも関わらず、伝説的な音楽家としてアメリカ国内ではみなされています。大まかではありますけれど、彼女の半生と唯一のスタジオ作品について触れていきましょう。

 

マルゴ・ガリヤンさんは、ニューヨーク州のクイーンズのファー・ ロッカウェー近郊のニューヨーク市に、1937年9月20日に生まれ。


彼女の両親は、コーネル大学在学中に出会っており、母親もピアノを専攻、父親もまた同じように、リベラルアーツに熱心な家庭であったようです。マルゴ・ガリアンは、そういった知的な両親のもとで育ち、若い頃から詩の創作に励むかたわら、ピアノ演奏に生きがいを見出した。当初は、当世のポピュラー音楽、クラシック音楽に慣れしたしんでいたマルゴ・ガリヤンは、大学に入ってからジャズ音楽に興味をもつようになりました。

 

その後、ボストン大学では、クラシカルピアノとジャズ・ピアノを専攻し、マックス・ローチ、ビル・エヴァンスといったミュージシャンを信奉していましたが、ご自身のピアノの演奏力に難を見出し、後にピアニストとしての夢を諦め、作曲、ソングライターの分野に転向なさっています。 


高校生の時代から既に、マルゴ・ガリヤンはソングライティングを始めており、ハーヴ・アイズマンの仲介によって楽曲をアトランティックレコードに送り、パフォーマーとして契約を結んで、パフォーマーとしてジェリー・ウェクスラー、アーメット・アーティガンのステージングに参加しています。しかし、その後、アトランティックレコード側は、マルゴ・ガリヤンのヴォーカルのビブラートのピッチのよれ方、歌声の不安定さに難点があると見、つまり、ヴォーカリストとしての資質に乏しいと見、パフォーマーから作曲家へと転向させ、再契約を結んでいます。


この時代、マルゴ・ガリヤンさんは、ご自身の歌声にすっかり自信をなくされていて、「私はあの時、うまく歌うことが出来なかったんです」と、その当時の事を後になって回想しています。しかし、むしろ、当時のアトランティックレコードのプロデューサーが彼女のヴォーカリストとしての潜在能力を完全に見誤っていたということも、後のリイシュー盤でのアメリカでのシンガーとしての再評価を見るにつけ、思う部分もなくはないのです。つまり、シンガーなのか、ソングライターなのか宙ぶらりんのままで、現役時代を終えて、家庭に入ってしまったのがこのアーティストなのです。

 

話を元に戻しましょう。大学時代に入り、クラシカル・ピアノ、ジャズ・ピアノの双方を、ボストン大学で学びながら、マルゴ・ガリヤンは、作曲家としての道を歩み始めています。ミュージシャンとしてのキャリアの最初期に、クリス・コナーというジャズ歌手に楽曲を提供しており、クリス・コナーは、1958年、ガリヤンの作曲した「Moon Ride」をレコーディングしている。


このジャズの作品がマルゴ・ガリヤンのソングライター、作詞家としての事実上のデビュー作と言えそうです。その四年後の1962年にも、クリス・コナーはガリヤンが作詞を手掛けた「Lonly Woman」という楽曲をレコーディングしています。その後、マルゴ・ガリヤンは、ハリー・ベルフォンテに幾つかの楽曲を提供しており、このソングライティングにおける仕事が最初期のミュージシャンとしてのマルゴ・ガリヤンのキャリアを形成していると言えるでしょう。


ボストン大学を卒業した後も、マルゴ・ガリヤンは、みずからのピアノの演奏、ジャズ音楽への知見を深めるため、1959年から、レノックス・スクール・オブ・ジャズに通い、演奏家、作曲家としての技術を向上させています。この時代の技術向上が、後のピアノ作品「The Chopsticks Varieations」というシンプルな現代音楽風の変奏曲で結実を見たことは明らかで、レノックス・スクール・オブ・ジャズで、マルゴ・ギャリアンは、錚々たるジャズ界の大御所と邂逅し、オーネット・コールマン、ドン・チェリー、ビル・エヴァンス、マックス・ローチ、ミルト・ジャクスン、ジム・ホール、ジョン・ルイス、ガンサー・シュラーからジャズ音楽の薫陶を受けています。これが後のミュージシャンとしての作曲性に大きな躍如となっているようです。

 

この時代に、マルゴ・ガリアンは、MJQ Musicと契約を結び、アーティストとしてサインしています。 また、彼女はこの時期、幸福な人生を謳歌しており、ジャズ・ミュージシャンであり、トローンボーン奏者兼ピアニストのボブ・ブルックマイヤーと結婚し、また、音楽の仕事においても、ジョン・ルイス、オーネット・コールマン、アリフ・マーディンといった錚々たるジャズマンに楽曲を提供しています。これらの楽曲で、ガリヤンは作曲だけではなく、作詞も手掛けており、作曲にとどまらず、作詞の分野においても並々ならぬ才覚を発揮しています。


その後、マルゴ・ガリヤンは、ボブ・ブルックマイヤーと離婚した後、ポピュラー音楽アーティストとしての道を歩み始めます。それまでクラシック、ジャズという2つの音楽と深いかかわり方をしてきたガリヤンはおそらく、この離婚後の時代に置いて、かなり落胆をしていたものと思われますが、そこで彼女の精神をすくい上げたのがポップス音楽でした。彼女の友人、デイヴ・フリッシュバーグがガリヤンにBeach BoysのPet Soundsに収録されている一曲「God Only Nows」を聴くように薦め、この時代、マルゴ・ガリヤンは、クラシック、ジャズという近代の音楽の先にある未来のサウンド、ポピュラー音楽に大きな可能性を感じていたようで、このビーチボーイズの「神のみぞ知る」を最初に聴いたときの大きな感動について後にこのように話している。

 

”ビーチ・ボーイズの音楽を聴いていることは、とても贅沢な時間でした。レコードを買って何百万回も再生したんです。”

 

 

この新しいビートルズのアメリカ版ともいえる、ビーチ・ボーイズのサーフサウンドに大きな感銘を受けたマルゴ・ガリヤンは、すぐさま、自分の楽曲製作に取り掛かり、ポップス曲「Think Of Rain」を椅子の上で素早く書きあげています。なぜ、ポップス曲を書くことを決断したかについては、ジャズシーンで起こっていることよりもはるかに、ポップスシーンで起こっていることのほうが魅力的であるという直感によるものでした。


そして、この最初の楽曲「Think Of The Rain」は、後にデモ曲集「27 Demos」として再編集され、Dertmoor Musicから発売され、アメリカの音楽シーンでマルゴ・ガリヤンの再評価の気運を高める要因ともなりました。この楽曲は、1967年当時、ボビー・シャーマン、ジャッキー・デシャノン、クロンディーヌ・ロンジェによって録音され、リリースされています。また、かのニルソンもこの楽曲をレコーディングしていますが、このニルソンバージョンについてはリリースされず、お蔵入りとなりました。

 

また、もうひとつマルゴ・ガリヤンの代名詞といえる「Sunday Morning」もそれから時を経ずに録音されており、この1967年12月にリリースされた作品は彼女の最初のヒット作となり、 ビルボード・チャートの30位にランクインしています。また、この楽曲は多くのアーティストによって歌われ、フランスの女優、マリー・ラフォレがフランス語版「Et Sijet' Aime」として発表し、そのほかにも、この「Sunday Morning」はカーメン・マクレエ、ジュリー・ロンドンによって名画「Sound Of Silence」1968のサウンドトラックの一貫としてリリースしています。

 

 

マルゴ・ガリヤンのアーティストとしての知名度を高めることになったのは、ベルレコードと契約して1968年に発表された、ポップスシンガーとしての唯一の作品「Take a Picture」のリリースでした。このスタジオ・アルバムは、いってみれば、日本の懐メロにもたとえられる軽快なポップサウンドによって彩られた名品の一つ。彼女のバックグラウンドであるジャズ、クラシック、ポップスを自由自在にクロスオーバーした作品と称せるでしょうか。当初、レコーディングにおいては、ジョン・サイモンが担当し、その後、ジョン・ヒルが入れ替わりでプロデューサーを務めています。また、スタジオ・ミュージシャンとしては、カーク・ハミルトン、フリ・ボドナー、ポール・グリフィン、バディ・サルツマンをゲスト・ミュージシャンに迎えて製作された作品であり、アメリカのポップス史の隠れた名盤に挙げられる作品でもあります。

 

 

「Take A Picture」 再発盤 2020

 

 

 

 

この作品は、マルゴ・ガリヤンというシンガーとしての資質が最初に認められた傑作でもあり、発表当初から、米ビルボード誌は諸手を挙げて、「Take A Picture」に高評価を与えており、「Take A Pictreはきわめて上質なサウンドであり、好調なセールスが約束された作品である」と最大の賛辞を送っています。しかしながら、結果的に言えば、このビルボードの目算は当たらなかった。このアルバムを最大の商機とみたリリース元のベル・レコードはすぐさま、マルゴ・ガリヤンのアメリカの大規模ツアー計画を打ち出し、大々的な宣伝を行う準備に入りました。いよいよ、スターミュージシャンとしての成功は目前と思われた矢先、このアメリカをシンガーとして巡回するツアーのベル・レコードからのオファー、ミュージシャンとしてのまたとない成功の機会をマルゴ・ガリヤンは拒絶し、この宣伝を兼ねたツアー自体は立ち消えになり、彼女はスターミュージシャンとしての座に上り詰めるチャンスをみすみす逃すことになります。

 

なぜ、こんなことが生じたのかといいますと、当時、マルゴ・ガリヤンが他のミュージシャンと結婚し、家庭を持っていたことがひとつ、そしてもうひとつは、ベル・レコード側のツアーに際しての提案の数々、あなたは、こういったステージ衣装を着るべきであり、また、あなたは、こういったパフォーマンスをステージで行うべきである、というような、ショービジネスを行う上での要請を、彼女はまっとうなことだと受け入れられなかったこと。この女性はレコード会社の操り人形になることだけは避けた、権力に自分の魂を従属させることだけを避けた、独立した女性であり、素晴らしい偉大な人物です。こういったことは、音楽業界でままあることなのかもしれませんが、その後、ツアースケージュールが立ち消えになったことにより、ベルレコードとの関係は悪化して、「Take A Picture」自体はリリースに至るものの、商業的にはそれほどの話題作とはならず、また、マルゴ・ガリアンとしての後発の作品がリリースされることもありませんでした。これがつまり、フレンチ・ポップスのシルヴィ・バルタンのようなスター性を擁していながら、このアーティストが世界的なポップスシンガーにならなかった要因といえそうです。その後、マルゴ・ガリヤンは、スターミュージシャンの道を閉ざし、平和な暮らしを選択し、ピアノの個人教師としての道を選んでいます。その後、クラシックの変奏曲「Chopstickes Variation」という練習曲のような作品をリリースしていますが、長いあいだ表舞台に姿を見せることはありませんでした。



完全にミュージックシーンから忘れ去られてしまったマルゴ・ガリヤンというシンガーソングライター。しかし、良い作品、良いアーティストというのは、たとえ、大々的な宣伝が行われなくとも、どこかの時代において、正当な評価が与えられるようです。2000年代に入ってから、アメリカのミュージック・シーンで、マルゴ・ガリヤンの再評価の気運が高まり、2014年には初期のデモを再編集した「27 Demos」、2016年には「29 Demos」が相次いでリリースされたのを機に、このアーティストの音楽性が再度脚光を浴びることになります。 

 

 

 

「27 Demos」2014

 

 

 

また、この二つのデモトラック集のリリースに続いて、2020年にも、モノラル盤のリマスター盤として再編集されたマルゴ・ガリヤンの唯一のスタジオ作「Take A Picture」がリリースされ、時代を越えた良質な作品として注目が集まりました。どの時代からそうしていたのか定かではないのものの、既にこの頃、マルゴ・ガリヤンは、表舞台のミュージック・シーンとは完全に距離を取っていて、故郷のニューヨークからLAに移住しており、ほとんどその所在については知られていなかったようです。

 

そして、不思議なことに、一番最初に、マルゴ・ガリヤンの訃報を伝えたのは、アメリカの主要メディアではありませんでした。先日、約一週間前に、ロサンゼルスの雑誌「Buzz Band LA」が先だってこのアーティストの突然の死を報じ、それに引き続いて、アメリカのメジャーなメディアがこのミュージシャンの訃報を相次いで伝えたというのが実情だったようです。


アーティストとして現役時代に表舞台で、そこまで大きな活躍したわけでないにもかかわらず、各メディアが世界的なスターミュージシャンのような取り上げ方をしたのはかなり異例と言えるものでした。おそらく、このような大きな報道がなされたことについては、この数奇なミュージシャン、マルゴ・ガリヤンが多くの裏方の作曲での偉大なる仕事を行い、アメリカの音楽シーンに貢献してきたという紛れもない事実、また、なおかつ、この隠れたポピュラー音楽史に燦然と輝く「Take A Picture」をこの世に残したことに対する、アメリカのメディアの最大の賛辞に他ならなかったのかもしれません。


 

 




References

 

Howold.co


https://www.howold.co/person/margo-guryan/biography 

 

 

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