New Album Review Kikagaku Moyo 「Kumoyo Island」

 Kikagaku Moyo 「Kumoyo Island」

 

 



 幾何学模様については、2013年から公のリリースを行っており、オランダ、英国を始めとするヨーロッパのインディーシーンで強い存在感を放っている日本のサイケデリックバンドである。先日、ロンドンの月間マガジン「Uncut」でも大々的に特集が組まれ、バンド写真が掲載され、彼らを称賛する特集文が掲載されていました。また、アメリカの音楽メディア、ピッチフォークにおいても、春ねむりの「春火燎原」に続いてディスクレビューとして取り上げられ、既に海外のインディーシーンで彼らが確固たる地位を獲得していることは多くのファンがご存知だろうと思われます。

 

ファンにとって惜しいのは、幾何学模様は、今作「クモヨ島」、そして、今年のツアーを最後に無期限の活動休止に入るということだろうか。デビュー当時からこのバンドのサウンドに魅せられてきたファンは一抹の寂しさを覚えていることと思われます。

 

しかし、新作「クモヨ島」は、それらのファンの寂しさを補って余りある作品です。このバンドのクロニクルのような役割を持ち、彼らが説明しているように、「音の旅」にオーディエンスをいざなってくれる。

 

 彼らのサウンドは、サイケデリックバンドとしての看板を掲げている通り、 1960年代から70年代にかけてのコアなサイケデリックサウンドがこのアルバムでも貫かれています。それは、Led Zeppelin、Jimi Hendrixのような神話的なサイケフォークから、村八分のような和風のサイケフォークにいたる音楽性を全て飲み込み、そこに例えば、近年の日本のサイケフォーク、坂本慎太郎や、トクマル・シューゴの最初期の作風を彷彿とさせるような民謡や歌謡といった日本独自の作風が取り入れられています。レコードフリークが好むようなファンクの色合いを交えたサイケサウンドが展開されていますが、オーストラリアのキング・ギザードのようにメタリックな混沌性、サイケデリアが描かれるわけではなく、落ち着いて、まったりとした、渋いサイケフォークが淡々と繰り広げられていく。

 

バンドとして新作を作ることに対する、とまどいのようなものもあったかもしれない。今作「クモヨ島」は、前作より、日本の民謡の色合いは薄れているものの、やはり、このバンドの強いキャラクターは未だ健在。どこもかしこも、東洋の雰囲気に満ちており、アルバムジャケットのカラフルさに反して、極彩色の西洋のサイケデリアにたいするモノクロのサイケデリアが提示されているようにも感じられ、それは時に、バンドサウンド、あるいは作品の構想としてかなり誇張されている部分もなくはないものの、リスナーに奇妙な安心と心地よさをもたらす。パンデミックの混乱の中、幾何学模様は、バンドとしての活動が行き詰まり、最終的に、この波がおちつくのを待ってから、日本、浅草、オランダ、アムステルダムの二箇所のスタジオでレコーディングが行っています。アルバムの歌詞については、「Monaka」を聴いて分かる通り、日本語の面白い語感を海外のファンにもわかりやすいように追求しています。


また、そこには、いくらかアジアのバンドとしてのキャラクター性も随所に見受けられます。 インドの民族楽器シタールの導入、カッコウのSEを始めとする、東洋の安らぎのような概念を音楽を介し彼らは音を探求する。ノスタルジアに対するかれらのあたたかな憧憬の雰囲気も滲み、バンドの音楽には、細野晴臣、大滝詠一を擁するはっぴいえんどからの影響も滲ませています。

 

 幾何学模様は、トクマル・シューゴと同じように、歌謡曲や民謡といった日本の音楽の源流にルーツを置き、それらの音楽に強い重心を置いており、西洋の芸術が常に優れているとは限らないことは、東京芸術大学の最初期の創設に深く関わっている岡倉天心(後に、考えの違いにより、上記の学校を追われたが、横山大観らをはじめとする日本近代画家に強い影響を与えた人物)が「茶の本」において指摘し、さらに、カルフォルニアのUCLAでジョン・ケージに講義を行っていた鈴木大拙(彼のUCLAでの講義の始まりは、長い沈黙から始まったが、学生から批判を受けることはほとんどなかったという)が禅にまつわる各著作において指摘しているが、そのことを、彼らは現代において重要視しており、なんらかの形で伝えようとしているのです。

 

今作「クモヨ島」には、往年の時代に忘れ去られた歌謡曲、日本独自の音楽形式に西洋的なロック/フォークの文脈から迫っていこうとする意図も見受けられる。つまり、ここで言わんとするのは、彼らは西洋における東洋文化の伝承者とも言えるでしょう。そして、このアルバムの最大の醍醐味は、なんといっても、現代という時間に没交渉的な奇妙なやすらぎにあるように思える。坂本慎太郎が、既に証明付けている通り、サイケデリアというのは、必ずしもギラついたものではなく、ときには、奇妙なほど、心の平安をもたらす。それは、いくつかの現代的なエレクトロサウンドの影響と相まって、「禅」の精神を受け継いだ骨のある音楽として完成されています。この作品で何かやり遂げた、という感覚が、彼らを無期限休止に向かわせたのか。そこまでは明言できないことですが、幾何学模様が「クモヨ島」の主題に掲げる「空想の旅」は、たとえ幾何学模様という形が終わってしまったとしても、今後も、その旅は何らかの形で続いていくだろうと思われます。


 

78/100



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