New Album Review -  Loraine James 『Gentle Confrontation』

Loraine James 『Gentle Confrontation』 

 

 

 

Label: Hyper Dub

Release: 2023/9/22

 



Review


「James」という名のエレクトロニック・プロデューサーに外れなし。イギリス/エンフィールド出身の若きプロデューサー、ロレイン・ジェイムスの五作目のアルバム『Gentle Cofrontation』はシネマティックなシンセのテクスチャーを交え、ブレイクビーツ、ラップ、グリッチ、ソウル、ダブ・ステップを軽快にクロスオーバーしている。今週の要注目のアルバムとしてご紹介しておきたい。

 

タイトル曲は、シネマティックなシンセのシークエンスから始まり、ミニマル・グリッチのコアなアプローチを展開させる。 ボーカル・テクスチャーを交えた変幻自在のブレイクビーツは一聴の価値あり。UKドリルのビートを孕んだリズムは、ボーカルのコラージュを交え、リスナーを幻惑へと呼び込む。稀にリズムトラックの中に挿入されるボーカルは、会話のような形式となり、単なるエレクトロニック・ミュージックというよりも、ラップに近い意味を帯びる。オープニングの曲中には、ミステリアスな雰囲気のあるアーティストの魅力が凝縮されている。続く「2003」は、実験的な電子音楽で、ボーカルのコラージュをノイズ的なシンセと絡め、ボーカルトラックへと繋がっていく。ジェイムスのボーカルは、ソウルのような渋さがあるが、前衛的なコラージュをもとにしたエレクトロニックがメロウさを上手く引き出している。

 

KeiyaA をゲストボーカルに招いた「Let U Go」は、グリッチとポップスを劇的に融合させている。トラックメイクの刺激性も魅力なのだが、グリッチを背景にメロウなボーカルを披露するKeiyaAのボーカル、また、そのリリックさばきにも注目したい。エレクトロニックとソウルを絡めたネオソウルの最前線を行くようなトラック。まさにハイパー・ダブらしい一曲として楽しめる。「Deja Vu」でもゲストボーカルのRiTchieが参加し、グリッチとラップの融合体を生み出している。グリッチとしてもクールなバックトラックではあるのだが、RiTchieのリリック捌きにも光る点がある。 ボソボソとつぶやくようにリリックを披露するボーカルラインとソウルフルに歌う2つのRiTchieの声が合わさることで、前衛的なアヴァン・ポップが生み出されている。


「Prelude of Tired Of Me」もグリッチを基調にしたアヴァンギャルドなトラック。ドリルのようなドラムのビートが暴れまわるが、一方、そのトラックに乗せられるジェイムスの声はメロウかつ物憂げである。これらのアンビバレントな方向性を持ったトラックがアルバムの序盤の流れを形作っている。以上の5つのトラックはアルバムの印象に絶妙な緊張感をもたらしている。

 

中盤に差し掛かってもなお、ロレイン・ジェイムスの実験性における意欲は途絶えていない。「Glitch The System」は、あらためてアーティストのグリッチに関する愛着が示されている。しかし、アルバムの序盤に比べると、Aphex Twinのドリルン・ベースにも比するアヴァンな方向性が示されている。ジェイムスは自分の感情を電子音に乗り移らせ、不安定に揺れ動く感情性を、これらの複雑でシーケンサーによる変幻自在なビートに声を乗せる。また、このトラックでは、ボコーダーを効果的に用い、いくらかサイケデでリックな領域へと踏み入れていく。続く「I DM U」は聴き応え十分のトラックであり、アルバムのハイライトの一つに数えられる。アコースティックドラムをエレクトロニック風に配し、その上にオーガニックなシンセのシークエンスが被され、ダイナミックな音像が生み出されている。この曲に見受けられるスペーシーな感覚と現代的なエレクトロニック、そしてアヴァンギャルド・ジャズの融合は、アーティストが未知の領域へと足を踏み入れたことの証となる。特に、スネア、タムのハイエンドの強調により、ジャズドラムのような効果が生まれ、刺激的なインプレッションを及ぼしている。 

 

「I DM U」

 

「Emo」と銘打たれた次のトラック「One Way Ticket To Midwest(Emo)」は、おそらくアーティストの隠れたエモへの愛着が示されているのだろう。もちろん、シカゴを始めとする米国中西部のエモシーンを意味する「Midwest」という言葉も忘れていない。リバーブを掛けたギターラインから始まるイントロは、エモとまではいかないが、少なくともエモーショナルな気分を際どく表現している。しかし、その後は、北欧のエレクトロニカのような展開へと続く。本物志向が続いたアルバムの序盤に比べると、安らいだ感覚を味わえるトラックとなっている。ここにアーティストのちょっとしたユニークさや可愛らしいものへの親しみを感じ取ることも出来る。


「Cards With The Grandparents」は、アーティストの家族への親しみが歌われている。これは以前発売されたJayda Gのアプローチにも近いものである。しかし、ボーカルのサンプリングによって始まるこの曲は、やがて今作の重要なモチーフとなるグリッチ・サウンドの中に導かれていく。やがてそれは心地よいブレイクビーツ風のリズムと掛け合わされ、特異なグルーヴ感を生み出す。まるでアーティストは今や切れ切れとなりつつある記憶の断片を拾い集めるかのように、それらの破砕的なブレイクビーツを丹念に、そして重層的に折り重ねていく。それはやがて、アルバムのオープニングと同じように幻惑的な感覚を呼び覚ます瞬間がある。ネオソウルの方向性はほとんど取り入れられてはいないが、なぜかソウルにも近いメロウな雰囲気が生み出されている。これはアーティストの繊細な感覚がエレクトロニカ・サウンドに上手く乗り移った証でもある。いかなる感情や魂も音楽に乗り移らなければなんの意味もなさないのだから。


ロレイン・ジェイムスは音楽の実験性と並行して、茶目っ気というか、ユニークな手法も取り入れている。続く「While They Are Singing」は、そのことをよく表している。ボーカルのボコーダーのエフェクトは、一見するとアーティストによる戯れにしか過ぎないようにも思える。しかし、そのぼんやりとした音像に聴覚をよく澄ましてみると、意味深な目論見が込められているように感じる。グリッチ的な早いBPMを用いたトラックには、アーティストの人生に存在した複数の人物の声がコラージュのように散りばめられ、それは時に淡い悲しみや憂い、悲しみといった感情を伴い、ソウル音楽に近い印象を帯びる。単なるエレクトロニックと思うかもしれない。ところがそうではなく、アーティストは、みずからの人生や記憶に纏わる何らかの思いや感情を、実験的なエレクトロニック・サウンドに複合的な要素として織り交ぜているのだ。


「Try For Me」は、アーティストとしては珍しくアンビエントのトラックに挑戦している。ドローンに近い抽象的な音像はそれほど真新しいものとは言いがたい。けれど、その後、グリッチとハウス、そして、R&B寄りのボーカルトラックと結びつくことにより、新鮮なアヴァン・ポップ/エクスペリメンタル・ポップが生み出されている。この曲は、宇多田ヒカルの『Bad Mode』にも近い方向性が選ばれているが、難解なフレーズやリズムを擁する曲を軽快なポップスとして仕上げている。これはボーカリストとして参加したEden Samaraの貢献によるものなのかもしれない。アルバムの序盤の収録曲において、曲調という形で暗示的に示されていた物憂げな印象は、続く「Tired Of Me」では、フラストレーションや苛立ちに近い感覚を介して示されている。このトラックでも、アルペジエーターを駆使したユーロ・ビートとグリッチの融合という新しい型に取り組んでいる。ロレイン・ジェイムスの感情をあらわにした声については、他の曲にも増して迫力があり、真実味があり、なんとなく好感を覚えてしまう。しかし、スポークンワード風のリリックは、劇的なミニマル/グリッチによる中間部を越えると、一挙に虚脱したかのようなメロウでダウナーな瞬間に変わる。テンションの落差というべきか、抑揚の変化、あるいは感情の振れ幅にこそ、このアーティストの最大の魅力を感じ取ることが出来る。


「Speechless」「I DM U」と合わせてチェックしておきたい。まったりしたビートの中を揺れ動くように歌われるGeroge Rileyのセクシャルなボーカルの魅力は何ものにも例えがたいし、ジェイムスのボーカルとライリーのボーカルの掛け合いには、対話のような形式を感じ取ることが出来る。シンセのメロウなフレージングの妙はもとより、両者のボーカリストとしての相性の良さもあり、感情の交流が多彩な形で繰り広げられる。この曲において、ジャンルの選別はアーティストにとって第一義的なことではあるまい。両者の感情を巧緻に通わせて、感覚的なウェイブを、親しみやすいメロディーやリズムとして昇華させることの必要性を示唆している。 

 

「Speechless」

 

 

「Disjoined」もまたアーティストのユニークな性質が見事に反映されているのではないか。ジャズ・ピアノのコラージュを効果的に散りばめ、ブレイクビーツを展開させた後、ネオソウルに根ざしたボーカルトラックという形に引き継がれる。アルバムの中で最もアヴァンギャルドなポップスだが、むしろ音像という全体的な構造の中で、リズムやメロディー、ボーカルという複数のマテリアルをどのように配置するのかという点に、アーティストのこだわりや工夫を見いだせる。断片的に自己嫌悪が歌われた後、「I'm Trying To Love Myself」では、トラップの要素を活用しつつ、その後にやはり、アルバムの重要なモチーフであるグリッチを取り入れ、前衛的なダンスビートとして仕上げている。手法論としては、かなり難解ではあるが、少なくとも、これらは実際のフロウが欠落しているとしても、ラップのバック・ミュージックのような感覚で楽しめるはず。当然のことながら、ロレイン・ジェイムスのセンス抜群のアプローチにより、それは一定以上の水準にあるダンス・ミュージックとしてアウトプットされているのだ。

 

クローズ曲「Saying Goodbye」では少なくとも、アーティストのSSWとしての成長を感じ取れる。ネオソウルという切り口はロレイン・ジェイムスの得意とするところであると思われるが、その中には、作品全般のナラティヴな試みとともに、人生観の深み、あるいは自己的な洞察の深さも読み解くことが出来る。

 

このレコードの音楽は、前衛的な手法が用いられているため、マニアックな印象もある。けれども、実際、アバンギャルドな音楽に親近感を持たないリスナーにも少なからず琴線に触れるものがあるはずだ。それはアーティストがこの音楽性に関して、感情性に一番の重点を置いているからである。そして、音楽の設計的な考えを重要視する代わりに、己の感覚を大切にすることを最重要視しているからこそ、こういった説得力溢れるアルバムが生み出されたのだろう。

 

 

84/100