「エモい」の源流 オリジナル・エモの名盤をピックアップ


1.エモいの語源

 

近年、”Emo”という言葉、概念は、多岐に渡るジャンルに適用されるようになってきたように思える。


90年代、00年代に入ってから、Jimmy Eat World,My Chemical Romance、The Used、Taking Back Sunday、Motion City Soundtrackと、オリジナル・エモの後にシーンに登場したバンドの活躍により、ロックのジャンルとして一般的に認知されるようになった。


それ以後も、ミュージック・シーンにおいて、"エモ"という音楽は、他のメタル・コアや、メロディック・パンク、ポップス/ロックに上手く溶け込んでいったような印象を受ける。


そもそも元を辿ってみれば、エモの語源は”Emothional Hardcore”に求められる。これは、すでにDIYの記事でも述べたとおり、当初、八十年代のワシントンDCのハードコアバンドの激烈な音楽の中に滲んでいた叙情性=エモーションを、当時のアメリカの音楽評論家が端的に指摘したものであったと思われる。


それが、九十年代、二千年代に入り、本来の意味がどんどん押し広げられていき、欧米の若者のサブカル的な生活としてごく一部に定着、ファッション文化を明示するまでに至った。近年では、インディーズ音楽という意味の使用法だけにはとどまらないで、広い範囲でこそないものの一般的に浸透しつつある言葉のように思える。

 

翻ってみれば、この”エモ”という言葉の叙情性の持つ意味の中には、複雑で奥深い概念が宿っているのに気付かされる。それは、数式や科学では容易に解きほぐせない人間の感情のあやとでも言うべきだろうか?


もっといえば、このエモという概念は、叙情性の内側にある人の生き方や価値観に根ざした感情の類であり、


——青春、切なさ、若者特有の青臭さ、往年のオリジナルパンクロックにも比する衝動性——こういった概念が込められているように思える。


これらの”エモーション”という概念からもたらされる不可解な感覚、切なく、甘酸っぱいような感覚、内省的な感情というのが、エモという概念のはじまりで、本義というべきものである。


2.エモーショナル・ハードコアの始まり

 

このエモという言葉を音楽の範囲において語るなら、まず、はじめにその音楽の始まりというのを追ってみなければならないと思う。


このジャンルの源流は、ワシントンDCのハードコアバンドに求められる。改めて説明させてもらうが、マイナー・スレットの中心人物であるイアン・マッケイが主宰するワシントンDCのインディペンデントレーベル、”Discord”レーベルには、オールドスクール・ハードコアバンドのリリースが専門に行われていた。


徐々にそのムーブメントは、ニューヨークやLAにも波及し、先鋭化していき、政治的になり、ときに、宗教、思想めいて、ライブ自体も暴動寸前の様相を呈してくるようになった。


この辺りの音楽の上の堅苦しさに反抗するような存在となったが、のちのマッケイと”Fugazi”を結成するガイ・ピチョトーだった。  


ガイ・ピチョトーは、Rite of Spring、One Last Wish、といったロックバンドで中心的な役割を担い、その後、イアン・マッケイとFugaziを結成、ワシントンDCのインディー・シーンの最重要人物となる。


そして、このFugaziの反商業主義の活動はのちのインディーズシーンの活動形態の母体をなしたともいえる。


自前のレーベルから作品を独自にリリース、ハンドメイドのフライヤー広告を作製し、本来、ライブハウスではない、公園、大学の構内においてのライブパフォーマンス、また、あるいは、音楽スタジオでの数十人という少人数規模のライブパフォーマンスといったスタイルが、以後のエモコアバンドの活動形態の基礎を形成していくようになる。


これは、例えば、U2に代表されるようなアリーナでの大規模な商業主義の公演とは異なり、世界中のインディー界隈のグループの活動形態の伝統性となって現在に引き継がれている特質である。


上記2つのハードコアバンドの音楽性の中には際立った特徴があり、ハードコア・パンクの無骨な音楽に、叙情性、激烈なエモーション性を孕んでいた。そして、後のスクリーモというジャンルのボーカルの激烈に叫ぶスタイルの萌芽も、これらのバンドの音楽性の中に見受けられる。”激情性の中にある抒情性”がエモという音楽の出発点というのが俗説となっている。


特に、ガイ・ピチョトーが在籍したRite of Spring,One Last Wishは、ワシントンDCのハードコア・バンド、後のエモーショナル・ハードコアにきわめて重要な影響を及ぼしている。One Last Wishの「Loss Like A Seed」「Three Unkind Silence」「One Last Wish」といった楽曲には、エモーショナル・ハードコアの音楽性の萌芽が垣間見える。


そして、このバンドの音楽性に触発を受けたMinor Threatのイアン・マッケイは、同時期、”Embrace”というハードコア・バンドを結成する。Embraceは、セルフタイトルアルバム一作で解散する。


しかし、このスタジオアルバムの「Money」という楽曲は、反商業主義への嫌悪を高らかに宣言したトラック、この楽曲も同じように、独特なエモーションの性質が感じられる特異な楽曲であり、このあたりのロックバンドも、後の"エモ"というジャンルの基礎を作ったといえる。


また、ワシントンDCから離れ、アメリカ中西部のミネアポリスでも、エモの先駆けともいえるパンクサウンドが隆盛をきわめる。ボブ・モールドは、Husker Duとして活動、ミネアポリスの80年代のインディーシーンをリプレイスメンツと共に牽引した。特に、インディーロックシーンに与えた影響の大きさという面で、Husker Duという存在は、見過ごすことができない。


ワシントンDC、LAのハードコア・パンクとは異なる独特な叙情性、つまり、エモーションを擁しているバンドである。最初期は、ハードコアバンドとして台頭したHusker Duではあるが、徐々に、アメリカン・ロック、あるいは、AORに近い大人のロック・バンドとしての表情を見せ、メロディー性を前面に押し出していくようになった。もちろん、ザ・リプレイスメンツもハスカードゥと同じ流れにあるパンクロックバンドといえる。


アメリカン・ハードコアとしての最初期の音楽性から劇的な様変わりを果たし、その後、アメリカンフォークとしての音楽性を特色としていく。


また、その後、このザ・リプレイスメンツのの中心人物であるポール・ウェスターバーグは、アメリカンインディー・フォークの名物的なミュージシャンとなる。


少なくとも、このアメリカ中西部にあるミネアポリス周辺のインディーロックバンドの音楽性は、シカゴ界隈の音楽シーンとも関わりを持ちながら、ワシントンDCとは別軸で、"エモ"の重要な土台をなし、その後のシーンへの足がかりを作り、90年代以降、カルフォルニアのオレンジカウンティを中心に発展していく"スケーターパンク"の素地を形成した。 

 

3.エモの発祥と発展

 

これまで語ってきたエモーショナル・ハードコアというのは、あくまで狭い意味でのハードコアパンクの一ジャンルとしての手狭な内在的な要素でしかなかったことはご理解いただけると思う。


ところが、1989年になって、 新たな音楽性を掲げるロックバンドが台頭し、”エモ”というジャンルを更に先の時代に進めていく。それが、この”エモ”というシーンを、九十年代から現在まで最前線で牽引しているマイク・キンセラ擁する、イリノイ州シカゴの"Cap 'n Jazz"というロックバンド。そして、このバンドのフロントマンは彼の兄であるネイト・キンセラである。



Cap 'n jazzの音楽性には、同時期にポスト・ロックを発生させた"シカゴ"という土地の風合いが深く浸透している。Cap 'n Jazzは、この土地の雑多な音楽性を孕んだパンクバンドで、エモだけでなく、ポストロック/マスロックを語る上でも御座なりにできない。


キャップ・ン・ジャズの基本的な音楽性としては、メロディック・パンクの疾走感、爽やかさ、青臭さを表立った特徴とし、そこに、フォーク、アバンギャルド・ジャズ、ポスト・ロックの要素も感じられる。特に、このキャップ・ン・ジャズがインディー・シーンで後に最重要視されるようになったのは、そのサウンドのアヴァンギャルドさもさることながら、バンドサウンドに、金管楽器を導入したからである。


この音楽性は、1990年前後という時期にしては時代に先んじていた。彼等の功績というのは、その後のポスト・ロックやエモ・コアの音楽性の中に、金管楽器や木琴楽器の音色を取り入れる契機を作ったことにある。


それまでのロック・バンドの主流であったギター、ベース、ドラムという基本的な構成にくわえ、補佐的な楽器の音色を楽曲のアレンジメントに取り入れるという前衛的な要素は、意外にも、後のポストロックのサウンドの特徴と共通する部分でもある。サックスやマリンバなどのジャズ楽器をロック音楽の中に積極的に取り入れたのが画期的な息吹をロックシーンに呼び込んだ。


そして、この流れは2千年代に入ると猫も杓子も金管楽器や木琴楽器をロックサウンドに取り入れるようになった。あらためてこのあたりの経緯を再考してみると、一見して、エモコアとポストロックという両音楽は全然関係ないように思えて、その実、シカゴという土地の中で密接に関わり合いながら発展していったジャンルのように思える。


惜しむらくは、キャップンジャズの活動期間が短かったことだろう。実験的なロックバンドとしての鮮烈なイメージを与えることには成功したものの、線香花火のようにパッと一瞬にして活動を終えた名バンドの一つだった。


Cap 'n Jazzは、EPのリリースを数作、スタジオアルバムとしては、”Jade Tree”から「Analphabetapolothology」をリリースしただけで解散。


しかし、このロックバンドは、正真正銘の実験音楽としてのロックサウンドを体現した重要なグループとして、アメリカの90年代以降のインディーズ・シーンを語る上で必要不可欠な伝説的な存在である。なぜなら、Cap 'n JazzからーーAmerican FootballーーPromise RingーーJane of Arcーーと、伝説的なエモ/ポスト・ロックバンドが枝分かれしていったからである。  


また、彼等の唯一のスタジオアルバム「Analphabetapolothology」に収録されている「Little League」「In The Clear」は、サウンド面での荒々しさこそあるが、エモの黎明を高らかに告げる名曲として挙げられる。

 

また、"エモ"というジャンルを語る上では「Ooh Do I Love」という楽曲は度外視できない。この楽曲が、後世のエモ/インディーズ・シーンに与えた影響というのはおよそ計り知れないものがある。


このスタジオ・アルバムのラストトラックとして収録されているインディーフォーク風のアレンジメント「Ooh Do I Love」は、ロック史の隠れた名曲に挙げられる。ここには、イギリスのトラディショナル・フォークとも、ボブ・ディランの奏でる伝統的なアメリカン・フォークとも異なる、”シカゴ・フォーク”ともいえる独特の雰囲気に満ちた楽曲が味わえる。

 

これは、あくまで私見として語らせていただくが、この「Ooh Do I Love」という楽曲には、アメリカの古い民謡の要素が感じられる。


そして、このわざと音程(ピッチ)を外した歌い方というのも、「エモ」というサウンドを形作る上で不可欠な要素である。これは、この後の”Promise Ring”の音楽の主要なキャラクターとして引き継がれていった。また、この楽曲「Ooh Do I Love」の中には、独特なセンチメンタリズム、切なさ、青春時代の甘酸っぱい雰囲気が感じられ、この絶妙な空気感が後になって流行する”エモ”という音楽の主要な要素を形作った。


  

4.オリジナル・エモ黎明の時代

 

このワシントンDC,そして、イリノイ州界隈のエモーショナル・ハードコアバンドが活躍した時代を、仮に”第一次・エモブーム”と定義するなら、その新しいウェイヴは、90年代半ばになって最高潮を見せる。


これは、この二地域の局地的なムーブメントーーごく一部のマニアしか着目していなかったムーブメントーーが、おおよそ数年を掛けて、アメリカ全土へ普及していった。


90年代の一番早いエモのロックバンドとしては、意外にも、シカゴではなく、シアトル近辺で活躍したSunny Day Real Estateが挙げられる。


Sunny Day Real Estateは、同郷、シアトルのサブ・ポップからリリースを行っている。ベーシスト、ネイト・メンデルは、Nirvanaのカート・コバーン亡き後、ドラマーのデイヴ・グロールと共にフー・ファイターズを結成、アメリカを代表するロックバンドとして活躍。


そして、Sunny Day Real Estateのデビュー作「Diary」1994は、最も早い時代のエモの名盤として知られている。 


91年、デラウェア州に、”Jade Tree”というメロディックパンクやエモを専門とするインディペンデント・レーベルが発足し、エモムーブメントの地盤を着々と築き上げていくようになる。Kids Dynamite、LIfetimeといった良質なメロディックパンクバンドのの作品リリースを中心に行った。一方、エモを発生させたイリノイでは、Braidというバンドが、95年前後にかけて起きたエモブームに先駆けて、大きな人気を獲得していた。


Braidは、このエモの黎明期に非常に人気があり、2000年代に来日公演を行っている。アリーナほどの規模ではないにしても、割と大きな収容人数のライブ会場で演奏するロックバンドで、アメリカン・フットボールも憧れの存在だったのだ。


そして、このシカゴから、Cap 'n Jazzの主要メンバーが複数のエモバンドを結成し、この90年代のエモムーブメントを先導する。ドラマーとしてキャップ・ン・ジャズに在籍していたマイク・キンセラは、American Football、Owenを結成し、アメリカ・エモ界の大御所アーティストとなる。一方、ギター・ボーカルとしてキャップンジャズに在籍していた、デイヴィー・フォン・ボーレンは、このロックバンドの解散後、The Promise Ringを結成して、一部の愛好家の間で、カルト的な人気を博した。


今、この第一次エモムーブメントをあらためて再考してみると、これは、R.E.Mをはじめとするカレッジ・ロックを発生させたアメリカらしいムーブメントといえるかもしれない。そして、エモというのは、若い世代を中心に広がっていったジャンルであることは疑いがない、特に、当時のイリノイの大学生に熱狂的なファンが多く、シカゴ周辺の地域の若者たちが中心となって盛り上げていったムーブメントというように言える。


やがて、この第一次エモ・ムーブメントは、95年前後に全米各地に及び、最盛期を迎え、無数のインディー・ロックバンドが、全米各地で台頭しはじめた。この後「Bleed American」でのセールス面での大成功によって、アメリカを代表するロックバンドへと成長するJimmy Eat Worldを筆頭に、Ataris、Saves The Day、Get Up Kids、Mineral、ニューヨークのJets to Brazilまで、アメリカの西海岸、東海岸全体に渡って、エモムーブメントは徐々に広がりを見せ、一つの音楽文化として認められるに至った。


もちろん、アメリカで最も影響力のある音楽サイトとして成長した「Pitchfolk」の台頭も、このジャンルの隆盛を背後で支えていたように思える。それから、実際、ロックバンドとしても多くの魅力的なグループが多く登場するようになり、それは「スクリーモ」という新たな音楽ジャンルを発生させた。


この語をはじめて、どの音楽誌がいいはじめたのかは寡聞にして知らないものの、エモーショナルであり、絶叫系のボーカルを特徴とした音楽、つまり、「エモーースクリーム」という語をかけ合わせた造語が、この「スクリーモ」と呼ばれるジャンルである。


この後、二千年代のThe Used、My Chemical Romanceといったスクリーモ・ムーブメントは、音楽自体の掴みやすさ、痛快なポップ性により、商業的に成功を収め、世界的に「エモ」という語を普及させる役割を担った。


2000年代半ばを過ぎると、エモは、90年代からのムーブメントの終焉を迎えたように思える。


その間、台頭したロックバンドの総数こそ、凄まじい数に上ると思われるものの、90年代半ばから00年にかけて、オリジナル世代のエモ・バンドは、Jimmy Eat World以外は、メインストリームで活躍するバンドは、それほど多くは出てこなかったような印象がある。


ところが、2010年代あたりから、エモムーブメントが再燃するようになる。エモを生んだ中西部から、続々と勢いあるエモバンドが多く出て、"Midwest emo"と称されるように、Algernon Cadwallder、Snowing、Midwest Penpals、といった”エモ・リヴァイバル”と称されるロックバンドがインディーズシーンに再度台頭し、シーンは賑わいを見せる。これらのバンドの多くが、最初期のエモコアムーブメントと同じように、スタジオライブを基本的な活動の主軸としている。


もちろん、現在の2021年も未だに、この界隈には良質なロックバンドが多く顕在しており、そのリヴァイバルムーブメントは終焉を見せる気配が全くないように思える。



5.オリジナル・エモの傑作選

 

1.Get up Kids 

「Something to Write Home About」 1999


 

 

 

 

 



日本でもエモ:ムーブの火付け役となったカンサス・シティのロック・バンドの代表的な作品。


デビュー作「Four Minutes Mile」での前のめりな焦燥感、そして、どことなく青春の甘酸っぱさを感じさせるバンド。元々、活動初期は荒削りなところのあるエモ・バンドだったが、徐々に洗練された渋みのある良質なアメリカン・ロックバンドに変身を果たす。


パンク・ロック寄りのアプローチという面では、「Four Minutes Mile」に軍配があがるが、完成度、洗練度、聞きやすさとしては、二作目のスタジオ・アルバム「Something to Write Home About」が最適といえる。そして、このアルバムこそゲット・アップ・キッズの日本での人気を後押しした印象がある。


この作品でゲット・アップ・キッズはアナログ・ムーグ・シンセを導入したという点で画期的な新風をロックシーンに吹き込んだ。親しみやすい楽曲が多く、エモの入門編としておすすめしたい。


ロボットの可愛らしいイラストを用いたアルバム・ジャケットもエモすぎる。そして、楽曲の面でもハズレ無しで、このアルバムの印象に違わぬ温かみのある良質なロックソングを聴ける。


ゲット・アップ・キッズの代名詞的な楽曲、「Holiday」「Red Letters day」「Valentine」。アコースティック・バラードの名曲「Out of Reach」が収録されている。

  


2.Jimmy Eat World 

「Bleed American」 2001


 

 

 

 

 



Jimmy Eat Worldのエモとしての名盤としては、デビュー作「Static Prevails」1996も捨てがたい。アルバム一曲目の「Thinking That's All」には、スクリーモというジャンルのルーツが垣間見えるような名曲である。


他にも、トラックリストを眺めているだけで、陶然とせずにはいられない曲目がずらりと並んでいる。「Clair」「World is Static」は、エモというジャンルきっての名曲である。


しかし、作品自体の知名度、ガツンとくるような掴みやすさという側面では、やはり「Bleed American」を避けて通ることはできない。


このアルバムには、ギターとして革新的な技法が見受けられる。それまで、六弦の半音下げというのはハードロックバンドでも使われていた。しかし、このBleed Americanでは、大胆にもギターの六弦のチューニングを、EからDにチューンダウンさせた”Drop D"という画期的なギターの演奏法を生み出したモンスター・アルバムだ。


もちろん、Bleed Americanは、メロディック・パンクムーブメントを引き継いだシンガロング性の強い掴みやすさと、パワフルな爽快感がある。このあたりがジミー・イート・ワールドの最大の魅力といえるはずだ。


誰にでもわかりやすい形でのエモという音楽を提示したという点において、いまだこれを超えるエモコア作品は出ていないように思える。爽やかで、清々しい名曲が多く、なおかつまた、エモの叙情性と、アメリカン・ロックの力強さ、これらの対極にある要素が絶妙に噛み合った傑作といえる。


ケラング誌では、アルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得し、商業的にも、アメリカのビルボード・チャートで31位にチャートインし、エモバンドとしては最も成功を収めたアルバムとして名高い。


ジミー・イート・ワールドの名、エモというジャンルを最初にワールドワイドの存在に押し上げた歴史的傑作である。 名曲「Bleed American」「A Praise Chorus」が収録されている。 

 


3.Mineral 

「The Complete Collection」 2010 


 

 

 

 

 



ミネラルは、テキサス州、ヒューストンの90年代のアメリカのエモシーンの中で最重要バンドといえる。セールス的にはJimmy Eat Worldほど振るわなかったものの、不当に低い評価を受けているバンドである。


どちらかといえば、ミュージシャンズ・ミュージシャンといえ、スタジオ・アルバムは二枚、活動期間も短いが、後のスクリーモに多大な影響を及ぼしたバンドである。クリス・シンプソンは、このMineralの解散の後、The Gloria Recordを結成し、エモコアシーンを牽引していく。


このバンドは、非常に叙情性の強い美麗なメロディーを特徴としており、そしてクリス・シンプソンの線の細いヴォーカル、少し舌足らずなボーカルは、日本のビジュアル系のような雰囲気もあって、このあたりは好き嫌いが分かれるところかもしれない。


しかし、このバンドのゆったりとしたテンポから生み出される静と動の劇的な展開力、そして、ツイン・ギターの繊細なアルペジオの絡み合いは、どことなく叙情的でピクチャレスクな趣がある。


オリジナル・アルバムとしては、名曲「If I Could」が収録されている「The Power Of the Falling」1997をまずはじめに推薦しておきたいが、彼等のもう一つの伝説的な名曲「Feburary」 が収録されていないため、2010年、リイシュー版として発売されたベスト盤「The Complete Collection」を入門編としてまずはじめに推薦しておきたい。


2014年にミネラルは劇的な再結成をはたし、再評価が待たれるところである。新作EP「One Day When We Are Young」収録の「Aurora」は、ミネラルの新たな代名詞といえるような作品となっている。



4.Jets To Brazil 

「Perfecting Loneliness」 2002

  

 

 

 

 

 



Jet To Brazilは、カルフォルニアのJawbreakerというメロディック・パンクバンドで活躍していたブレイク・シュヴァルツェンバッハがカルフォルニアからニューヨークに移住した後に結成した。


このあたりの移住の経緯、また、拠点を東海岸に移したのは、どうも、このシュヴァルツェンバッハという人物が、カルフォルニアの土地の気質に肌が合わず、ニューヨークの都会的カルチャーに近い感覚、いわば詩人的な表情を持つ繊細な感性を持つミュージシャンだったというのが通説となっている。


ブレイク・シュヴァルツェンバッハが、それ以前に在籍していたジョーブレイカーも、グレッグ・セイジ率いる”Wipers”とともに伝説的なアメリカのパンクロック・バンドといえ、聞き逃すことが出来ない。


そして、このブレイク・シュヴァルツェンバッハが新たに組んだJets To brazilは、彼の独特でエモさがより深みをましたというよあな印象を受ける。Jets To Birazilのデビューアルバム「Perfect Loneliness」2002は、どことなくエジプト民族音楽のようなエキゾチックなコード感、そして、甘く美しいメロディが随所にちりばめられている美しい作品である。ジャケットから醸し出される絵画的な印象と相まり、物語調の世界観が強固に形作られているため、「コンセプト・アルバム」として聴くこともできるかもしれない。


簡潔に言えば、「Perfect Loneliness」は、レディオ・ヘッドの名作「OK Computer」に対するアメリカのインディーミュージックからの回答ともいえるだろう。ロック音楽としての古典音楽に対する歩み寄りの気配もある。旋律、展開力ともに深い思索性が感じられる繊細かつダイナミックな名曲だ。


この楽曲の途中では、パイロットの無線のSEが取り入れられているあたりは、Sonic Youthの名作「Daydream Nation」収録の楽曲「Providense」を彷彿とさせる。また、「Lucky Charm」も、ブレイク・シュヴァルツェンバッハの生来の良質なメロディセンス伺える、落ち着いた雰囲気のある楽曲だ。Jets To Brazilは、この後、次作のアルバム「Orange Rhyming Orange」で、穏やかなフォーク・ロック色の強いアプローチを図る。こちらも併せて推薦しておきたい。

 


5.Sunny Day Real Estate 

「The Rising Tide」 2000 


 

 

 

 

 



Sunny Day Real Estateは、エモの元祖ともいえるシアトルのロックバンドである。初期こそグランジ色の強いロックバンドの表情を見せていたが、解散前の本作ではロックバンドとしての気負いがなくなったといえる。


そして、今作「The Rising Tide」は、サニー・デイ・リアル・エステートとして、有終の美を飾るような傑作となっている。大胆にピアノ、ストリングスを実験的に取り入れたり、また、街頭をゆくハイヒールのSEを積極的にイントロに取り入れていたりするあたりは、映画のサウンドトラックのようなアプローチを図ったものと思われる。


このバンドの中心的な存在、ギターボーカルのジェレミー・エニグクは、本作において、美しい自分の甘美な歌声を見出し、それを気負いなく前面に押し出すようになった。


「The Ocean」「The Rain Song」は、エモという狭い枠組みを取り払い、フォーク、ポップ音楽として楽曲の真価が見いだされる。これらの楽曲は、往年のレッド・ツェッペリンの名曲「Rain Songs」を彷彿とさせるな甘美な世界観を持った堂々たる作品である。


また、前述したように、サニー・デイ・リアル・エステートの解散後、ベーシストのネイト・メンデルは、デイヴ・グロールと共にフー・ファイターズを結成し、一躍、米国を代表するロックミュージシャンとなる。 


 

6.Promise Ring 

「Nothing Feels Good」1997


 

 

 

 

 

 




Promise Ringは、Cap ’n jazz解散後、このバンドのメンバーであるデイビー・フォン・ボーレンが結成したバンドで、デラウエア州のレーベル”Jade Tree”を代表するロックバンドである。


1stアルバム「30 Degree Everywhere」では、キャップ・ン・ジャズ直系の疾走感のある楽曲、またそれとは対象的な落ち着いた感じのポップソングが交錯していた。ごく一部のファンからはかなり熱烈な支持を受けていたが、一般的な作品とは言い難かった。


しかし、アルバム二作目となる「Nothing Feels Good」においては、バンドサウンドとしても前作より洗練され、音楽性がより掴みやすく、親しみやすくなった印象を受ける。


「Why Did Ever Meet」での”ヘタウマ”というべきボーカルこそ、このプロミス・リングの音楽性の真骨頂といえる。そして、このバンドの奇妙な癖になるキャッチーさは、時代に左右されないものであるはず。本作は、エモ・ファンにとどまらないで、スケーター・ロック、メロディック・パンクのファンにも是非、お勧めしたい爽快味あふれるエモの名盤である。次作スタジオ・アルバム「Very Emergency」1999に収録されている"Happiness All the Rage"という楽曲も併せて強くおすすめしておきたい。 


 

7.American Football 


「American Football」1999


 

 

 

 

 



あらためて説明させていただくと、Cap 'n Jazzから、ファミリーツリーとして分岐したエモバンドは、Promise Ring、Jane of ark、そして、最後のバンドが、マイク・キンセラ擁するアメリカン・フットボールである。


American Footballは、他のバンドと異なり、ハードコアパンクの要素がない純正のエモバンドとして挙げられる。ドラマーのスティーヴ・ラモスのドラムセット前にマイクを立ててのトランペットの演奏も、アメフトのライブパフォーマンスのお約束となった。


元々は、同郷イリノイのBraidに比べると、結成当時においてはお世辞にも知名度のあるバンドとはいえなかった。おそらく本人たちも、それほど当時は自分たちの音に自信を持っていなかったようである。それゆえ、バンドとしての活動も、このファーストアルバム「American Football」をリリースした後、主要メンバーのマイク・キンセラがOwenを結成した以外は、メンバーもミュージシャンとは異なる道を歩んだ。


ところが、2014年に再結成を果たした頃には、このアメリカン・フットボールは伝説的なエモバンドとしてインディー・ロック愛好家に知られるようになっていた。


2014年、マイク・キンセラの従兄弟ネイト・キンセラをメンバーに迎え入れ、より一層バンドとして纏まりが出た。マリンバ奏者、パーカッション奏者のサポートメンバーをツアーに帯同させ、堂々たる復活を果たす。


2021年まで「american football LP2」2016「american football LP3」2019、と、スタジオ・アルバムを順調にリリース。すでに、レディング、フジ・ロック、ピッチフォーク・ミュージックフェスティバル、といった世界的な音楽フェスティヴァルにも出演を果たした。近年、名実共にワールドワイドのロックバンドとして知られるに至った。


このアルバムジャケットに映し出された「Emo House」と称するべき名物的な景観も、有名すぎて最早説明不要となっている。バンドサウンドとして音の繊細性、抒情性、複雑さというのも、エモ、後のマス・ロックに与えた影響は、およそ計り知れないものがある。アメフトの奇妙な”泣き”の要素こそエモというジャンルの大醍醐と断言する。”エモ”という表現を知るために、絶対不可欠なロックの大名盤のひとつである。

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