Cat Power  『Cat Power Sings Bob Dylan:The 1966 Royal Albert Hall Concert』

Cat Power  『Cat Power Sings Bob Dylan:The 1966 Royal Albert Hall Concert』 

 

 

Label: Domino

Release: 2023/11/10



Review


キャット・パワーは近年、カバーという表現形式に専念しており、その可能性を追求してきた。元々、ストリートミュージシャンとしてニューヨークで活動を始め、Raincoatsの再結成ライブでスティーヴ・シェリーとの親交を深め、トリオ編成として活動を行うようになった。


その後、ソロ転向してMatadorからリリースを行い、「What Would The Community Think」等を発表、CMJチャートでその名を知られるようになる。


2000年代にローリング・ストーンズのカバーを収録した「Cover Records」の発表後、率先してカバーに取り組んで来た。


2022年にDominoから発売された「Covers」では、フランク・オーシャン、ザ・リプレイスメンツ、ザ・ポーグスの楽曲のカバーを行っていることからもわかるが、無類の音楽通としても知られている。エンジェル・オルセン、ラナ・デル・レイ等、彼女にリスペクトを捧げるミュージシャンは少なくない。

 

ロイヤル・アルバートホールでのキャット・パワーの公演を収録した『Cat Power Sings Bob Dylan』は、ボブ・ディランの1966年5月17日の公演を再現した内容である。このライブは、ちょうどディランのキャリアの変革期に当たり、マンチェスターのフリー・トレード・ホールで行われたディランのライブ公演のことを指している。


しかし、この公演のブートレグには、実際はマンチェスターで行われたにもかかわらず、「ロイヤル・アルバート・ホールで開催」と銘打たれていたため、一般的に「ロイヤル・アルバートホール公演」として認知されるに至った。


キャット・パワーにとって、ボブ・ディランは最も模範とすべき音楽家なのであり、彼女はその尊敬の念を絶やすことがない。


「他のいかなるソングライターの作品よりも」とマーシャルは語っている。「ディランの歌はわたしに深く語りかけてくれたし、5歳のときに、ディランを聴いて以来、私に強いインスピレーションを与えてきた。過去に”She Belongs To Me”を歌う時、私は時々それを一人称の物語に変えていた。私はアーティストだから振り返らないって」

 

ボブ・ディランの1966年の公演の伝説的な瞬間は、「Ballad Of a Thin Man」が始まる直前に観客が「Judah」と叫ぶ箇所にある。


ご承知の通り、新約聖書のエピソードが込められており、「あれは衝撃的な瞬間でした。ある意味、ディランはソングライティングを行う私達にとって神様のようなものなのです」とマーシャルは説明している。


ボブ・ディランの公演の再現を行うことは、ロイヤル・アルバートホールでの公演を行うことと同程度にアーティストにとって光栄の極みであったことには疑いを入れる余地がない。しかしながら、この伝説的な公演を再現するにあたって、かなりのプレッシャーに見舞われたことも事実だった。


公演のリハーサル中に行われたマンチェスターのThe Guadianのインタビューの中で、「心臓がバクバクして本当に怖い」とキャット・パワーは率直に胸中を打ち明けている。「ああ、ボブ・ディランはこのことをどう思うだろう? 私は何か、正しいことをしているのだろうか?」 


この言葉は、ミュージシャンとして潤沢な経験を擁するキャット・パワーが、どれほどの決意を抱えて伝説のライブの再現に臨んだのかという事実を物語っている。さらに、マーシャルはライブの再現に関して、「原曲を忠実に歌うことを心がけた」とも説明している。

 

カバーというのは、原曲のマネをすれば良いわけではないのだと思う。その曲にどのような意図が込められているのか。どのような意味を持つのか。およそ考えられる限りの範囲の事実に配慮し、原曲の意義を咀嚼した上で、その曲を再現したりアレンジしたりしなければ、それは単なる模倣の域を出ない。原曲から遠く離れすぎてもいけないし、同時に近すぎてもいけないという難しさもある。


ところが、これまで多数のカバーを手掛けたきたキャット・パワーのライブには、単なる再現以上の何かが宿っているという気がする。ライブ開場前から多数の観客が客席に詰めかけ、キャット・パワーの公演を心待ちにしていたが、そのリアルな感覚のある本物のライブを、レコーディングという観点から生の音源として収録している。


このライブは、その瞬間しか存在しえないリアルな空気感を見事に捉えており、ドミノのレコーディングの真骨頂が表れた名盤とも言える。ポップスというジャンルの範疇にあるアルバムではあるが、名作曲家と名指揮者、名オーケストラによるクラシックコンサートのような洗練された空気感を感じ取ることが出来る。つまり、実に稀有な作品なのだ。

 

オーディエンスの拍手から始まる「She Belongs To Me」は、しなやかなアコースティックギターの演奏に、キャット・パワーのブルージーな歌がうたわれる。その中におなじみのブルース・ハープがさらに哀愁のある雰囲気を生み出す。特に素晴らしいと思うのは、楽曲の演奏を通じて、米国の牧歌的な雰囲気をロイヤル・アルバート・ホール内の空間に呼び覚ましていることだろう。円熟味のあるギターの演奏、この異質なシーンに気後れしないキャット・パワーの歌声に、ぼーっと聞き惚れてしまう。そして、そのブルージーな色合いを生み出しているのは、キャット・パワーが駆け出しの頃、貧しいストリート・ミュージシャンとして活動していた人生経験である。これは、全く別の人物の歌をうたいながらも、みずからの体験を反映させ、それをカバーという形に昇華させているからこそ、こういった深さがにじみ出てくるのである。

 

一見したところ、ライブでは、直接的に感傷性に訴えかけるようなフレーズはそれほど多くないように思える。しかし、続く「Fourther Time Around」では、アコースティックギターのストロークを掻い潜るようにして紡がれるマーシャルのボーカルは、バラードという形式の核心にある悲哀を捉え、涙を誘う。感情をそのまま歌に転化させ、美しい流れの中に悲しみをもたらす。フォーク・バラードという形で紡がれていく歌やギターの中にはブルースに近い渋みが漂う。


続いて、ギターを持ち替えたと思われる「Visions Of Johanna」では、大きめのサウンドホールの鳴りを活かし、緩やかでくつろいだフォーク・ミュージックを奏でている。ブルージーな渋さのあるキャット・パワーのボーカルの後のブルースハープの演奏もムードたっぷりだ。

 

中盤で圧巻なのは、12分に及ぶ「Desolation Row」である。旅の郷愁が歌われた楽曲をキャット・パワーは再現させ、この曲の真の魅力を呼び覚ましている。ブルースとソウルの中間にあるフォークミュージックであり、キャット・パワーは「Fortune Teller Lady」といったこのジャンルのお馴染みのフレーズをさらりと歌いこなしている。イントロの演奏に続いて、シンプルな曲の流れの中から、スモーキーな感覚と渋みを上手く作り出している。驚くべきことに、12分という長さは欠点にならず、いつまでもこの渋さの中に浸っていたという気を起こらせる。

 

 「Desolation Row」

 

 

アルバムの中盤の収録曲、「Mr. Tambourine Man」も聴き逃がせない。原曲は、フォーク・シンガーでありセッション・ギタリストだったブルース・ラングホーンがモデルとなっている。クラシックギターの演奏を基調とした演奏の中で、キャット・パワーはやはり渋さのあるボーカルでこの曲を魅力的にしている。牧歌的な感覚と哀愁のある感覚がボーカルから滲み出て、なんともいえないようなアトモスフィアを生み出している。しかし、それほどこの曲がしつこくならないのは、パット・メセニーのようにさらりと演奏されるギターの清々しさに要因がある。

 

もちろん、このライブの魅力は敬虔な雰囲気だけにとどまらない。ボブ・ディランの楽曲のエネルギッシュな一面性をライブの中で巧みに再現し、その曲の持つ本当の魅力をリアルに体現させている。


その後、The Byrdsのようなロック性を思わせる「Tell Me,Momma」はラグタイムジャズ、ビッグバンド風のリズムを取り入れ、華やかで楽しい雰囲気を作り出し、観客を湧かせる。この曲では、キャット・パワーのロックシンガーとしての意外な一面をたのしむことが出来る。「I Don’t Believe You」は、表向きには70年代のロックのアプローチを取っているが、キャット・パワーはアレサ・フランクリンのようなR&Bの歌の節回しを取り入れることで、曲に深みと渋さを与えている。この曲もまた中盤のロック的な音楽性の一端を担っている。

 

アルバムの前半では静かなアコースティック・フォーク、そして、中盤ではヴィンテージ・ロックと進んでいくが、終盤では、ディランのフォーク・ロックの巨人という側面に焦点が当てられている。


「Baby You Follow Me Down」では同じく、フォークロックに挑んでいる。さらには「Just Like Tom Thumb's Blues」ではカントリーとブルースをロック的な観点から解釈している。これらの2曲は、終盤の流れの中に意外性をもたらしており、ディランのロックミュージックの醍醐味を体感出来る。


同じように、スタンダードなブルース・ロック「Leopard」も渋いナンバーとして楽しめる。同じように、ライブ・アルバムの終盤では、リラックスした感覚を維持しながら、ロックそのものの楽しさをライブで再現している。カントリーをフォークロックとして解釈した「One Too Many Morning」でも切ない郷愁を思わせるものがあり、ゆったりした気分に浸れる。

 

最も注目すべきは、1966年のロイヤル・アルバート・ホール公演と同様に、観客が本当にステージに向けて「Judah」と言った後、キャット・パワー自身が「Jesus…」と返すシーンにある。


キャット・パワーは、ここでボブ・ディランを神様のように見立てていることには驚愕だ。「Judah」という声が、ドミノ・レコードの社員や関係者の仕込みでないことを願うばかりだが、その後、厳粛な感じで曲に入っていく瞬間は、伝説的なシーンの再現以上の意義が込められているのではないだろうか。


ライブのクライマックスを飾るのは、伝説の名曲「Like A Rolling Stone」。少し意外と思ったのは、この曲は女性のシンガーが歌った方が相応しく聞こえるということ。ディランの曲よりも柔らかい感じのカバーであり、原曲よりも聴きやすさがある。

 

 

 

95/100



 

「Like A Rolling Stone」

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