Anour Brahem(アヌアル・ブラヒム) チュニジア出身の作曲家、ウード奏者の注目作を特集

Anour Brahem(アヌアル・ブラヒム)

Anour Brahem © ECM Records


Anour Brahem(アヌアル・ブラヒム)はチュニジア出身の作曲家、及び、ウード奏者である。(ウードーOud)とはリュート属に分類される撥弦楽器。中東から北アフリカのモロッコに及ぶアラブ音楽文化圏、及び、ギリシアで使用される。ウードの楽器の形状は、中世ヨーロッパのリュートや日本の琵琶に似ており、事実これらの楽器の近縁に当たるとされる。アヌアル・ブラヒムはウード演奏の第一人者で、これまでチュニジアの音楽とジャズの音楽を融合させてきた。

 

彼はソロアーティストでありながら、ジャズアンサンブルとして作品をリリースする場合が多い。アンサンブルの中には、バス・クラリネット奏者のKlaus Gesing、ベーシストのBjorn Meyer、同じく中東の楽器であるDarbouka(タブラ)を演奏するKhaled Yassine(カリド・ヤシン)等とレコーディングに取り組んできた。

 

アヌアル・ブラヒムは、チュニジア・チュニスのメディナにあるハルファウイーン地区で生まれ育った。チュニジア国立音楽院でウードの演奏を学び、その後、ウードの巨匠アリ・スリティに師事する。1981年、新しいヴィジョンを求め、フランスのパリに渡った。そこでさまざまなジャンルの音楽家と出会う。パリには4年間滞在し、チュニジアの映画や演劇のための劇伴音楽を作曲した。さらにバレエ音楽を制作し、『Thalassa Mare Nostrum』においては、ガブリエル・ヤレドとコスタ・ガヴラス監督の映画『Hanna K...』のリュート奏者として共演した。

 

1985年にチュニジアに戻ると、5年間にわたって作曲とコンサートを行い、彼の名声を確立した。ECMとの関係は1989年からで、以来10枚のアルバムを録音している。

 

『Barzakh』を筆頭に、バルバロス・エルケーゼ、ヤン・ガルバレク、デイヴ・ホランド、ジョン・サーマン、リチャード・ガリアーノなど、ジャンルや伝統に関係なく、世界で最も才能ある音楽家とコラボレートしてきた。主要なディスコグラフィには、『Conte de L'Incroyable Amour』(1991)、『Madar』(1994)、『Khomsa』(1995)、『Thimar』(1998)、『Astrakan Café』(2000)、『Le Pas Du Chat Noir』(2001)、『Le Voyage De Sahar』(2006)、『The Astounding Eyes Of Rita』(2009)などがある。

 

 

アヌアル・ブラヒムは一般的に、エスニック・ジャズの代表格とされることがあるが、彼の音楽性を単なるエキゾチズムと呼ぶのは妥当ではないかもしれない。中東/アラビアの旋律やスケール、巧緻なウードの演奏、打楽器を用いた世界音楽をジャズ/現代音楽の観点を通じて作曲してきた。

 

 

 

『Astran Cafe』 2000

 

アヌアル・ブラヒムは、ウード奏者としてだけではなくコンポーザーとしても一流の人物である。彼は2000年代からチュニジアや中東、北アフリカの民族音楽を、かつてのピアソラのように現代音楽やクラシックの作曲法により、独自のものとするのかを追求してきた。

 

その手始めとなったのが、「Astran Cafe」である。このアルバムにはのちのエスニック・ジャズの基礎となる要素や、民族音楽やワールド・ミュージックをどのようにクラシックや現代音楽のように構築していくのか、その試行錯誤のプロセスが的確に捉えられている。おそらく、作曲家は、チュニジアや中東の音楽を単一地域の民族音楽としてではなく、他のフラメンコやタンゴと同じように世界的な音楽として紹介することを意図していたのではないかと思われる。

 

しかし、それと同時に『Astran Cafe』はブラヒムの旧作のカタログの中で最もエキゾチックな響きが含まれているのは事実である。2010年代には洗練されたジャズや現代音楽、バレエのような劇伴音楽に至るまで、彼はさまざまな音楽の表現法を積み上げていったが、本作があったからこそ、オリジナリティ溢れる作風を作り上げることが出来たのではないかと推測される。

 

そういった意味では、ウードの演奏とハミングにより紡がれる演奏がエキゾチックな響きを持つ録音というかたちで留められている。以降の年代には、チュニジア、ネパールや中東の音楽を世界的な視点で捉えるようになるアヌアル・ブラヒムではあるが、少なくとも、彼の出世作ともいえる本作では、民族音楽の地域性や特性にコンポジションの焦点が絞られていると解釈出来る。ただし、これらの曲が古びて聞こえるかと言えば、そうではない。例えば、「Astran Cafe- 1」、「Karakorum」は今でも新しく聞こえ、ワールドミュージックとしてもきわめて斬新な響きを擁する。また、2009年の代表作「The Astounding Eyes Of Rita』でのウードの演奏と声のハミングのユニゾンという、アヌアル・ブラヒムらしい音楽性の萌芽を見出すことが出来る。

 

 

 

 

 

 

「Las pas du chat noir」 2002

 

 2000年代からエスノ・ジャズというジャンルがよく聞かれるようになったが、まさにこの音楽的な特徴を捉えるのに最適なアルバムが「Las pas du chat noir」。


今作において、アヌアヌ・ブラヒムは、フランスの現代音楽で活躍目覚ましいフランソワ・クチュリエと共演を行い、チュニジアや中東の民族音楽をバッハ的なエクリチュールと結びつける。

 

そして、アコーディオン奏者であるジャン・ルイ・マティリエはアルゼンチンタンゴのような哀愁を音楽に付与している。ジャズトリオの演奏の形式を取りながら、その演奏はクラシックの室内楽のような気品に満ちあふれている。これは中世のヨーロッパ音楽をエスニック/ジャズとして解釈している。

 

アルバムの収録曲のほとんどは、マイナー・スケールを中心に構成されるが、トリオの緻密なアンサンブルはメロディーの融合は、瞑想的な音楽の領域へと近づく場合もある。

 

ブラヒムの持つ中東や北アフリカの民族音楽のスケールに加え、アルゼンチンタンゴの持つ特殊な音階が結びついたタイトル曲「Las pas du chat noir」はもちろん、アコーディオンとピアノの合奏が瞑想的なアトモスフェールを作り出す「Leila au pays du carrousel」等、良曲に事欠かない。民族音楽やジャズの印象が表向きには際立っているが、バッハを中心とする正調の純正音楽をモチーフとしたフランソワ・クチュリエによる現代音楽のピアノのパッセージも本作に重要な貢献を果たしている。チューリッヒのDRSスタジオで2001年にレコーディングされたアルバムである。


 

 

 

「The Astounding Eyes Of Rita』 2009

 


アヌアル・ブラヒムの音楽はそもそも彼自身によるウードの演奏に加え、ジャズ・アンサンブルという形を取り、タブラのリズム、そしてバスクラリネットの中東のテイストを漂わせるスケールをもとに構成される。

 

稀にボーカルが入る場合もあるが、それは限定的なことであり、器楽的な効果を予想して導入されるに過ぎない。少なくとも、このアルバムにおいて四人編成のジャズ・アンサンブルは、低音部の音響の強調と、ウードやバスクラリネット、タブラのアンビエンスを拡張したサウンドという形で表側に現れる。特に、彼の旧来のカタログの中で注目しておきたいのは、2009年「The Astounding Eyes Of Rita」である。

 

この作品では、チュニジアを始めとする北アフリカ圏、それから中東の民族音楽のスケールを用い、ピクチャレスクなエスノ・ジャズを展開させる。特にブラヒム、メイヤー、ヤシーヌを中心とするアンサンブルはダンスミュージックのごとき深みのあるグルーブ感を作り出す。タブラの演奏は神がかりの領域に入る場合があり、5曲目「AI Birwa」に見出せる。

 

チュニジア/中東のマイナースケールに基づいたタイトル曲「The Astounding Eyes Of Rita」はバス・クラリネットの哀愁のあるフレーズの妙が光る。さらにボーカルをフィーチャーした「Waiking State」ではアラビアを放浪するような開放的な感覚が込められている。アルバムは、パレスチナの詩人"マフムード・ダルウィーシュ"の思い出に捧げられている。

 

 

 


 

 

 

 『Souvenance』 2014

 


ドイツのECMレコードはメインのジャズのリリースと合わせて、NEW SERIESという現代音楽のリリースにも取り組んできたことは詳しい方ならばご存知のことと思われる。

 

そして、このアルバムはどちらかといえば、従来のアラビアの旋法やスケールを踏まえて、現代音楽のようなディレクションが施されている。他のアヌアル・ブラヒムの主要な作品と同じように、室内楽やアンサンブルの形式を選んでレコーディングされているものの、エスニック・ジャズという言葉では一括りにすることが難しい。というのも、本作では指揮者、ピエトロ・ミアニーティを録音に招き、少人数の編成のオーケストラ作品のような趣を持つ作風もオープニングに収録されているからである。

 

2014年の「The Astounding Eyes Of Rita」において共同制作を行ったフランスのピアニスト、フランソワ・クチュリエの現代音楽のエクリチュール、同じくベース奏者のビョーン・メイヤー、バスクラリネットのクラウス・ゲッシング、スイス・イタリア管弦楽団のシネマティックで重厚なストリングスのコントラストには目を瞠るものがある。

 

アルバムの一曲目「Improbable Day」は大掛かりなスケールを持つ室内楽、及びオーケストラとして楽しめる他、音楽の多彩なバリエーションがひとつの魅力となっている。「Deliverance」ではエスノ・ジャズとミニマル、民族音楽のリズムを緻密に組み合わせて、独特な作風を作り上げる。バスクラリネットの響きはスリリングで高らかな響きに変わる場合もある。「Youssef's Song」には中東/アラビアの文化性に加え、四者の優れたプレイヤーによるジャズ・アンサンブルとしての魅力が凝縮されている。

 

 「この曲集を書くのに長い時間を必要としました」とアヌアル・ブラヒムは述べています。彼の感情の世界は、チュニジア、あるいは近隣諸国を席巻する政治的動乱ーーアラブの春ーーにまつわる物語に絡め取られていたという。大きな希望と恐怖を伴う異常な変化の波はチュニジア出身の作曲家にとって無関係ではありえなかった。アルバムの収録曲の音楽の中には中東の政治的な緊張や不穏な空気感が暗示されている。


しかし一方で、ブラヒムはそれが音楽の全てではないと述べています。 「ただ、私の作曲とチュニジアで起きている出来事との間に直接的な因果関係があるとは言い切れません」考え方によっては、上記のアートワークに表されているように、そういった政治的感情から距離を少し置いて、芸術的な感性を取り戻すために制作されたとも解釈しえる。さらに彼は次のように説明しています。「音楽の新しいディレクションについては、フランソワ・クチュリエがグループに戻り、繊細な弦楽器のオーケストレーションによって支えられています」