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バンドの曲制作を担当するソングライターのローラ・コヴイックはアルバムの制作について次のように明かしている。 「フィラー・ソング(間に合わせの曲)を入れたくなかった。可能な限り良い曲を作ることに集中し、良くないと思った曲はカットした」という。 メロディーは相変わらず温かく心地よい、エッジはより鋭く、ギターはより歯ごたえがあり、意図はより明確だ。
作曲は2023年初めに始まったが、レコーディングはほぼ1年ごとに2回に分けて行われた。 無理に急ぐことはなく、それが制作の重要なポイントでもあった。 「時間がたくさんあったから、見た目やテーマなど、もう少し慎重に見直すことができた」 その意図的な感覚は至るところに散りばめられているが、決して堅苦しくは感じないはずだ。 それは、すべてのアイデアを二の次にするのではなく、自分の直感を信じることから生まれる明晰さのようなもの。 バンドはノッティンガムのJT Soarでフィル・ブースとレコーディングを行った。彼は何も電話させなかった。
「フィルは素晴らしくて、たくさんの意見やアイデアをくれた。 彼が提案したことは、ほぼすべて実現したと思う。週末は2日だけで、そのあと私とデイヴ(ギター)は追加のギターを弾くために週末にスタジオに行った」
もちろん、完璧主義的なサウンドディレクションにはそれなりの困難が伴った。 「デイヴは偏頭痛持ちだった。 彼はかなり複雑なソロを書くし、自分を追い込むのが好きだから、レコーディングは難しい側面もあった。 だから何度もテイクを重ねなければならず、かなりストレスを感じていた。 それでも、その努力は表れている。 素晴らしいサウンドで、みんな本当に満足している」
『Part Of The Problem, Baby』はFortitude Valleyらしいサウンドだが、よりラウドになっているという。 デビュー作が優しくインディー・ポップに傾倒していたのに対し、今作はフックの効いたギターとライブワイヤーのようなロック・エネルギーで聴く者を惹きつける。
「それは自然なこと。 バンドに曲を持って行って一緒に演奏すると、デモとはまったく違うサウンドになることもある。 その多くの理由は、アルバムとアルバムの間にパンキッシュでヘヴィなバンドを好んで聴いていたからだと思う。 でも、ギターでもっと自分を押し出そうとしたからでもある」
リリックの面でも工夫が凝らされている。他者との距離、自己のアイデンティティや成長といったテーマを無意識に織り交ぜている。 「テーマを決めて曲を書いているわけではありません。 なんとなく歌詞が頭に浮かんでくるんだけど、最後には共通する糸が見えてくることがあった」オーストラリアからロンドン、そして、ダラムへと移り住み、COVIDで家族と離れ離れになり、10代の脳みそを持ったまま大人になるという奇妙な余韻が心のどこかにわだかまつている。
オーストラリアに戻ったことで、その糸がより鮮明になった。「あるとき、10代の頃の古い日記を見つけたんだ。 いつも''イギリスに引っ越したい''と書いていた。 そして今、オーストラリアはとても素敵だと思っている。『サンシャイン・ステイト』では、「大げさに言うつもりはないけど、もう二度と恋はしない」という一節が、その日記から引用されている。 「ティーンエイジャーの頃はたくさんのホルモンや感情を持っていて、何もかもがドラマのようだった」
もちろん、今考えるとそれは少しこそばゆい感じもなくはない。昔を振り返ってみると、彼女は苦笑せざるを得ない。「10代の頃の私はなんでも我慢できなかった。 でも、若い頃はライブに行ったり、レコードショップでバンドを見たり、音楽に夢中でした。 その激しさにはちょっと憧れてしまう」
最も静かな感動を与えてくれる曲が「Into The Wild」に他ならない。この曲はローラにとって思い入れのある曲なのだという。「この曲は10年前、ウクレレ時代に書いた。 10曲目が必要だったのだけど、ネイサンがなぜかこの曲を覚えていたの。 アーカイブから掘り出し、ギター用に作り直してみた。 コードをいくつか変えて、ミドルエイトを加えました。歌詞はそのままだったけどね」 それから長い時間が流れた。にもかかわらず、違和感はほとんどなく、あるべきところに収まった。「私の人生の中で違う場所だったけど、それでもフィットしているはずだよ」とローラは言う。
Fortitude Valley 『Part of The Problem, Baby』- Specialist Subject
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フォーティテュード・ヴァレーのセルフタイトルのデビューアルバムは、Pavementのようなアルトロックが主な特徴だった。その中には、The Beths,Alvvaysのようなポップサウンドを内包させていた。二作目は音楽性が明瞭になり、マスタリングの側面でも音がクリアになっている。それによるものか、ローラのボーカルのメロディーの青春時代を思い起こさせる甘酸っぱさは言わずもがな、バンドサウンドとしても全体的な意図が明らかになっている。このアルバムは、現代的なテイストを持つパワーポップソングを中心に繰り広げられる、ダーラムのロックバンドのドキュメント的な記録である。その親近感のあるインディーロックサウンドは、シカゴのBeach Bunnyに近いかもしれない。センチメンタルなメロディーの雰囲気を保ちつつも、ライブ・バンドとしての空気感のどこかに残している。
今作ではメロディックパンクの影響が反映され、楽曲はよりシンプルになっている。スリーコードやパワーコードのギターを多用し、ボーカルのメロディラインを浮き立たせるようなサウンドが特徴だ。バンド全体の演奏は、ボーカルと駆け引きをし、アンサンブルが主体になったかと思えば、ボーカルが主役にもなる。変幻自在なサウンドだが、バンドのソングライティングやレコーディングは、「何を聞き手に聞かせたいか」が明らかにされている。結局のところ、どれほど作曲や音楽性が優れていても、また、演奏が巧みだとしても、それが意図したような形で聞き手側に伝わらないとしたらとても惜しいことだ。音楽がどのように聴かれるのかを把握し、そして曲に磨きをかけていく。基本的なことに過ぎないが、この繰り返しの作業は良いレコードを制作する際に欠かすことができない。そしてもちろん、多くの場合は、ミュージシャンの方が一般的なリスナーよりも音楽的な理解力はあるだろうと思われるが、それほど詳しくない音楽ファンにも取っ掛かりのようなものを用意しないと、どうしても作曲や録音は独りよがりになってしまう。
その点、このアルバムは最近聴いた中では最も協調性のあるロックソング集である。もっと高度なことも出来たのではないかと個人的には思うのだが、聞き手の多様な音楽的な理解力に合わせ、最小公約数を探したという感じである。つまり、バンドメンバーがあまり良くないと思う収録曲をカットしたというだけではなく、楽曲の側面でも、余計な箇所を徹底して削ぎ落とし、最小化し簡素化している。西海岸の2000年代のポップパンクのような作曲の簡素さ、そして、それらが現代的なインディーロックのファンシーな感覚に縁取られている。それは少し昔の事例になってしまうが、Fastbacksのようなメロディアスなパンクバンドのような温和な雰囲気を持ち合わせている。楽曲のベースに流れているのは、パンクロックであると思うが、それらがパワーポップやガレージロック、インディーポップを通じてアウトプットされる。結果的には、フレンドリーでキャッチーなロックソングが出来上がるというわけなのだ。
ただ、一般化されたロックソングの欠点としては、それらがニュートラルにならざるを得ない、ということである。一般化とは、音楽の網や裾野を広げるということで、換言すれば、一つの焦点に絞った音楽とは対象的に、先鋭的な側面を削ぎ落とし、均等にしていく行為にほかならない。それはより詳しく言うと、親しみやすく、聴きやすいけれど、その反面、欠点としては、すぐ飽きてしまうという弊害をもたらす。しかし、多くの成功した世界的なロックバンドは、なぜかしれないが、こういった均一化された曲を制作しても、音楽そのものが一辺倒にならないし、平坦にもならない。これは本当に不思議でならない。まるで彼らの紡ぐ出す音楽は、ドキュメントや映画のようにドラマティックに映る。また、音楽自体はフラットなのに、静かに聞き入らせる集中性がある。集中性というのは、聞き手から見れば、説得力とも言える。どういう点が音楽に説得力を与えるかと言えば、リアルな体験や人生観しかない。
バンドの場合、個人的な経験を他のメンバーと共有することが大切だ。そういった他者との共有をする時には、複数の人間の中に自分と違う性質を許容したり認めるための懐深さが必要になるのは、言うまでもない。
バンドやコラボというのは友人関係を構築していくのに良く似ている。最初は共通する点の共有から始まり、最終的には、相容れない点の共有へとたどり着く。その中では不和や喧嘩だって起こり得る。しかし、もし自分とはまったく違う点があると、はっきりと認めたとしても、最終的にそれは人間的な衝突や齟齬をもたらすわけではない。いや、それとは対象的に、融和をもたらすのだ。もちろん、こういった領域にまでたどり着いた人々は少ないのではないかと思われる。だが、それこそ、バンドやコラボレーションをすることの意義なのではないだろうか。フォーティテュード・ヴァレーのセカンド・アルバムの楽曲は、そういったことをありありと感じさせる。他者の個性を尊重することが、このアルバムの重要な核心をなす。シンガーソングライターのローラは、そのための道筋を示し、バンドメンバーと肩を組んでゴールを目指す。
『Part of The Problem, Baby』はオープニング「Everything Everywhere」を中心に、個人的な感覚や追憶を複数のグループで共有し、それらを的確なロックサウンドに絞っている。ボーカルのメロディーは親しみやすく、時々は湿っぽさがあるが、バンド全体のサウンドには融和があり、それらが良質なハーモニーを奏でている。このアルバムの冒頭曲には、ソングライターのローラが若い時代に夢中になっていたレコードの影響がそこかしこに散りばめられている。それらがたとえ思い出に過ぎないとしても、キラキラとしたまばゆいほどの輝きを放ってやまない。もちろん、音楽そのものが人生の流れと結びつき、センチメンタルな感覚を呼び起こす。それらのエモーションは、パワー・ポップの響きとガレージ・ロック風の響きと呼応している。コーラスやサビの箇所で歌われるのは、一般的な感覚であり、それがシンパシーを生み出す働きを持つのは言うまでもない。卓越したものを選ばず、誰もが共感するような個人的な感覚を見つけて歌い上げる。アルバムの冒頭は、脆いようなセンチメンタルな響きが込められている。しかし、対象的にアップテンポなパンキッシュなロックナンバー「Totally」では、明朗でソリッドなギターのリフを中心に、ハードロックやパワーポップを基幹にした甘酸っぱいロックソングを聴くことが出来る。特にボーカルの旋律進行は、青春の切ないような響きを導き出す。
「Video(Right Here With You)」では、The Bethsと共通するような夢想的なインディーポップとパンクサウンドの融合を楽しめる。この曲では、特にギターが全体の中で押し出され、硬質な響きを持ち、全体のアンサンブルの中で良いヴァイブスを生み出す。ガレージロック風のジャキジャキしたサウンドはギターファンであれば必聴である。 そして、それらがこのバンドの持ち味である、ほのかに甘酸っぱいメロディーと融和している。もちろん、パンキッシュでエッジの効いたサウンドだが、その中には温和さが併存している。トゲトゲしいパンクも一つの魅力ではあるのだが、メロディアスなパンクも捨てがたいものがある。そして、フォーティテュード・ヴァレーの場合は、ナンバーガールの最初期のように鮮烈で青春の雰囲気に包まれたギターロックサウンドを提供している。これらは、音楽全体に良いヴァイヴを生み出している。曲の後半では、ドラムの演奏に特に注目してほしい。メロディやビート的確に補佐し、主役的な立ち位置になる。実際的に、ネイサンのドラムは、このパンキッシュな曲にソリッドなダイナミズムを及ぼしている。
「Video(Right Here With You)」
「Red Sky」はインディーポップをベースにしたロックソングで、このバンドの入門曲として推薦する。持ち前の甘酸っぱいメロディーがバンド全体のアンサンブルに絶妙に溶け込んでいる。特に、ボーカルのコーラスとヴァースの箇所で、バンドアンサンブルが上手く駆け引きをし、ラウドとサイレンスという両側面で、ボーカルの持つ温和な雰囲気や穏やかさを補佐する。連携の取れたサウンドで、一貫して音楽性は旋律的な側面に重点が絞られている。冒頭にも述べたように、「何をどう聞かせたいのか?」という狙いや意図が見える一曲である。
「Sunshine State」では、バンドのアンセミックなコーラスが力強い印象を放つ。 同じようにThe Bethsを彷彿とさせるようなメロディアスなパンクサウンド。そして一貫してスリーコードを中心に組み立てられ、それがボーカルを浮き立たせるような役目を担っている。ヴァースからブリッジにかけての盛り上がりが、サビのコーラスの部分へと期待感を盛り上げ、実際的にそれを裏切らない形で、聞かせどころが登場する。コーラスの箇所では、ほどよく力の抜けたフレーズ、そして少しノスタルジックな雰囲気を持つ音楽性が際立っている。もちろん、ボーカルとギターソロが対旋律を描き、バンドとして連携の取れたサウンドを作り上げている。曲の後半では、シンガロング必須のチャントが登場する。ベタではあるが、その中に熱狂性がこもる。ポップスに強烈に傾倒したサウンドもある。「Don't You Wanna Be Near Me?」は、どこまでも純粋な雰囲気を持つパワーポップソング。ものすごく簡素で、単純な楽曲構成であるが、その中に、なぜかほろりとさせるものがある。これもまた、実際的な経験が含まれているからこその感情的な共鳴効果なのである。ローラの作曲は、夢想的な感覚もありつつも、現実性に基づいている。
「Sunshine State」
タイトル曲は、アルバムのハイライトで、バンドが重要視しているという。ポリヴァイナルに所属するOceanatorを彷彿とさせる、産業ロックの響きを強調した魅力的な一曲である。特に、この曲では、ギターソロが大きな活躍し、全体的な音楽性に強く影響を及ぼしている。その中には大陸的なロマンや情景的な音楽が含まれ、脳裏にそれらを連想させる力がある。また、タイトなドラムの演奏も、曲の音楽性を上手くリードしている。そして、ギターに対して対旋律的な効果を及ぼすベース。バンドとしては、どの要素も欠かすことが出来ない。ボーカルのメロディーが哀愁のある美しさを感じさせる理由は、これらのリアルなライブセッションを重視したサウンドが盤石な曲の枠組みを作り出し、その上で最後の牙城としてボーカルが存在するからである。
ギターやベースの和声進行としても半音階の隣接音を経ながら、基本的な調性の中で、どことなく切ないようなエモーションを巧みに引き出すこともある。また、間奏の箇所では、ドラムが主役となり、スネアとバスの強固で硬質な響きを持つパーカッションが力強い印象を聞き手にもたらす。この曲はバンドが細部までじっくりと作り込んだ形跡があるためか、聴き応えがある。どのような細かな箇所も適当に済まさないというプロフェッショナルな姿勢が、このアルバムを平均的な水準以上の内容にし、そしてAlvvaysのようなバンドの作品と部分的には同じレベルに押し上げている。
アルバムの後半の3曲では、音楽性に多彩な側面を持たせていて、コーダのように聞くことができる。しかし、同時に、大きく音楽性が変更されるというわけでもない。よりセンチメンタルでナイーブな感覚を顕にした「Take Me Away,I'm Dreaming」では、現実逃避的なニュアンスもあるが、その足はしっかりと地についている。 そして、ベースがソロ的なパートで間奏を担っている。このバンドは、チームとしての連携が最高のストロングポイントであり、どのメンバーの個性も軽視しないという点が、良質なロックソングを作り出すためのよすがになっていることが分かる。ソロではできない音楽を、彼らフォーティテュード・ヴァレーは巧みに実践してみせるのだ。
音楽性という側面では、むしろアルバムの終盤になればなるほど、深遠な感覚が色濃くなってくる。それは音楽という靄の向こう側に実際的な意味を見出す行為のようであり、また、バンドの音楽の本質的な部分に近づいていくということである。続く「Into The Wild」では、方法論こそ同じでありながら、ブリットポップのような哀愁のあるフレーズが時折登場することがある。
Jets to Brazilの前身、伝説的なエモコアバンド、Jawbreakerのカットソーの先入観は裏切らない。バンドはこの数年、パンクやヘヴィロックを中心に聴いていたというが、アルバムのクローズ「Oceans Apart」には、このエピソードがはっきりとした形で現れ出ている。疾走感があり、爽やか。2000年代以降のメロディックパンクの教本のような曲ですが、懐かしさこそあれ、新しいモダンな感覚によりアップデートされている。相変わらず、フォーティテュード・ヴァレーは軽やかで親しみやすい音楽を提供し、そのクオリティは最後まで続いている。サビ(コーラス)でも期待を裏切らない。良いメロディーの条件とは、万人が口ずさめることである。徹底して簡素さを強調するロックサウンドは今後多くのリスナーを獲得しても全く不思議ではありません。
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「Part of The Problem, Baby」
▪Fortitude Valley 『Part of The Problem, Baby』はSpecialist Subjectより発売。Bandcampでの視聴はこちらからどうぞ。
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