Mick Jenkins 『A Murder of Crows』
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Label: Mick Jenkins/Stem
Release: 2025年10月3日
Review
現在、ノースカロライナ州に在住するアラバマ出身のミック・ジェンキンスは、いわゆるクロスオーバーヒップホップの先駆的な存在である。
2023年にリリースされたフルアルバム『Patience』は記念碑的な作品であり、忍耐という題名が付けられた通り、ミュージシャンとしての10年に及ぶ、経済的、ないしは権威的な忍耐について歌われていた。今作は、対象的に、それらの権威的なアーティストとしての立ち位置から完全に距離を置いている。それゆえか、 コラボレーターと協力して、個人的な暮らしから、現代アメリカの姿、あるいはそれより広範な世界情勢をヒップホップという形を通じて追求していく。
ミック・ジェンキンスのヒップホップは、家族というテーマから、個人的な葛藤に至るまで、作品ごとに少しずつ移ろい変わってきた。今回のアルバム『A Murder of Crows』はタイトルからもわかるように、黙示録のような響きが込められている。ヘヴィーな要素のあるヒップホップで、聴きごたえのあり、手強い作品となっている。イギリスのラッパー、EMILの参加は、この作品にどのような影響を及ぼしたのか。それは実際に聴いてみて確かめてみてほしい。
このアルバムのかっこよさは、アルバムの冒頭曲「Dream Catchers」にはっきりと表れている。ブレイクビーツを多用したリズム、そして迫力のあるジェンキンスのリリックなど、このアーティストらしさが満載である。まるでジェンキンスは内的な葛藤を吐露するような激しいリリックを披露しているが、それとは対象的に背景となるバックトラックは驚くほど多彩で、流動性に富んでいる。ソウルやファンク、それからジャズの要素を交えながら、ブレイクビーツの不規則なリズムがジェンキンスのハードコアなラップと連動していく。その中には、面白いことに、ジャズのスイングのようなリズムやシンコペーションが登場し、あえてリズムのズレを重視している。リズムのズレというのは、アフリカの伝統的な民族音楽の重要な要素であるが、これらの複合的なリズム、いわゆるオフキルターの要素が先鋭的なヒップホップに反映されている。南部のバウンスに近いが、決して聴きやすいとは言えない。彼のヒップホップは、チャートトップ10の音楽とは明確に異なる。しかし、それは同時にリアルな質感を持った言葉として心を捉えることがある。
ミック・ジェンキンスは、ソウルとヒップホップの融合にキャリアの10年以上を費やして取り組んできた。それは二曲目に反映されている。「Words I Should've Said」では、EMILのラップをフィーチャーし、よりグローバルなイメージを持つヒップホップを確立させている。EMILのラップは、このアルバム全体にソフトな印象を添え、とっつきやすいものにしている。ぜひとも言葉が必要だと主張するこの曲は、二人のデュエットの相性の良さを表している。また、ジェンキンスとしては珍しく、愛という解き明かしがたい概念について、リリックを通じて探求する。「あなたのことは考えていなかった。風と共に動くのが好きだ」 こういった抒情性あふれるリリックは、ハードコアな印象を持つアルバム全体の印象に異なるテイストを添えている。
アルバムの中盤には、風変わりな曲が収録されている。「Worker's Comp」は、ジャズやソウルをベースとしているが、このジャンルの先進的な形が示されている。ただ、ネオソウルというだけでは語りつくすことが出来ないものがある。ダブのようなサウンドエフェクトを交えたサウンドは、心地よい響きを生み出し、そしてロンドンのヒップホップを完全に意識したような楽曲だ。それはたぶん、ジェンキンスさんがこのアルバムを通じて、グローバルなヒップホップとは何か、という点を追求した痕跡のようなものである。ラップについても、これまで封印していた印象のある南部的な発音やバウンスの要素を付け加えている。この曲を聞く限り、彼自身のルーツ的な概念を手繰り寄せつつ、それが国際的な普遍性を獲得しえるのか、そういった側面を追い求めたのではないかと個人的には感じた。
中盤のハイライト曲「Deadstock」では、ブレイクビーツをベースにした、リズミカルなヒップホップを聴くことが出来る。 この曲では、より卑近な話題を元にして、ヒップホップのストリート性とはどのようなものなのかを探っている。レコーディングスタジオで響く音源としてのヒップホップではなく、一般的に開放されたヒップホップである。ジェイムス・ブラウンのような合いの手を入れながら、シカゴのAtmosphereのようなコアな音楽性を体現させている。この曲ではまた、ヒップホップの古典的な要素を散りばめながら、ファンクやソウルとのクロスオーバを図っている。続く「On VHS」では、ローファイの音楽性が登場する。サンプリングを中心としたサウンドで、ホーンセクションのサンプリングが心なしか華やかな印象を添える。
「Move」はブレイクビーツとヒップホップの融合の一つの完成形といえるかもしれない。特にドラムのテイクがかっこよく、少しクールな感じのジェンキンスのラップと上手くミックスされている。この曲もロンドンのネオソウルをかなり意識しているように思える。ジャジーな響きがときに優しげな雰囲気を持つジェンキンスのボーカルと巧みに溶け込んでいる。「部屋に過剰な憎しみが漂っているときでさえ、単にその壮大さの中に存在している」という啓示的なリリックは、アーティストの持ち味が滲み出た瞬間である。時々、演奏の中に導入されるジャズ風のピアノも、ブルーノートのジャズのようなサウンドを反映させていて、かなりおしゃれだ。この曲では、ヒップホップのライブセッションのような側面を重視して、それらがジャズの領域で通用するのかを試している。実際的に、アーティストの名物的な一曲となるかもしれない
結構、強くベースラインが強調されることを考えると、ファンクの要素が強いアルバムである。ジェイムス・ブラウンのファンクの要素、そしてブルーノートのジャズ、さらには歴代のソウルなどの音楽性の蓄積をもとにした、垢抜けた感じのあるヒップホップアルバムといえるかもしれない。また、そのクロスオーバー性は従来よりも今作において幅広さを増している。例えば、「Shining」では、トロピカルな音楽性を散りばめ、ゆったりとリラックス出来るヒップホップソングとして聞き入らせる。以前よりもビンテージソウルの性質を意識しているような気がする。アルバムの終盤の二曲は、実験的なヒップホップの領域に踏み込んでいる。例えば、アーマンド・ハマーのようなアブストラクト・ヒップホップへの意識もありそうだが、やはりミック・ジェンキンスの場合は、ファンクやソウルが下地にあり、それらが次の世代のサウンドに移行している。音楽的に、立ち止まることがなく、新しいものを作ろうという意図がはっきりと滲み出ていて素晴らしいと思った。さらに個人的には、アルバムのクローズを飾る「Bigger Than Ever」が良い響きを生み出している。複数のコラボレーターとのデュエットを聴くと、このアルバムが従来になく華やかな印象を持つヒップホップであることを示唆している。 今回はシカゴ・ドリルから完全に脱却している。
82/100
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