Mick Jenkins "The Patience"   10年の忍耐が生み出したヒップホップの傑作

Weekly Music Feature


Mick Jenkins



Mick Jenkins Via Facebook
 


シカゴのラッパー、ミック・ジェンキンスがRBCレコードと新たなレコーディング契約を結び、8月18日にRBCレコード/BMGからニュー・スタジオ・アルバム『ザ・ペイシェンス』をリリースする。


ニューアルバムについてジェンキンスは、「忍耐……。できる限り、自分の状況を変えるために力の及ぶ範囲であらゆることをする人間です。ある程度の一貫性があれば、その行動は必然的に待たなければならないポイントにたどり着くと思うんだ。自分を前進させるために必要なことが、もはや自分の手には負えないという時点のこと。筋肉の断裂と修復、芸術的な意図とはまったく無縁の瞬間に訪れるコンセプトの理解など。このような瞬間に、私は忍耐に対して最も苛立ちを覚えるんだ。そして、この作品群は、そのフラストレーションのように聞こえる」


アラバマ生まれで、シカゴ育ちのラッパー、ジェンキンズは、過去10年にわたり、淡々とした明晰な眼差しの詩情溢れる音楽で名を馳せてきた。

 

ジェンキンスの作品群は、彼の若きベテランとしての地位を反映している。2014年のミックステープ『The Water[s]』でブレイクした彼は、そのミックステープのリリース以来、3枚のフルレングス・アルバムと4枚のEPを発表し、現代で最も器用なリリシストのひとりとしての地位を確立した。

 

『ザ・ペイシェンス』は、まだ若く、芸術的な力を存分に発揮しているアーティストのサウンドであり、この地点に到達するまでに費やした年月によって衰えはしたが、その継続的なバイタリティを証明することに躍起になっている。その結果、ジェンキンスにとって最も切迫した芸術的声明となった。


ジェンキンスはアルバムごとに異なるテーマを掲げて来た。そして、彼は自分にいつもこう言い聞かせる。「次はどんなアルバムを作るのか?」前回のアルバム制作時には、リリースの締切まで1週間というクレイジーな日程をこなした。ジェンキンスは自分の置かれた状況から抜け出してから、再び、「次はどうするか」という瞬間が訪れた。やはり答えは音楽だった。『エレファント・イン・ザ・ルーム』がリリースされ、契約が終了した後、彼が企てたのは創造だった。 


「その間、たくさんの音楽を作っていた。契約する前にラップを辞めたり、苦境に立たされたり、どんな状況に陥っても忍耐を持ち続けようと自分に言ってきたんだ。レーベルからフリーになって、BMGで新しい状況を見つけたとき、フリーになる6ヶ月前から話していたんだ。よし、この日が来れば、このクソが走り出すぞ 、と思っていたんだ。それからさらに9ヵ月かかった。俺は、この2年間、レーベルと関わったり、音楽を作ったりせずに過ごした。まだいくらか待ち続ける必要があった」


「その間、俺から見たものは、フィーチャリングばかりだった。EPを出すこともできた。準備はできていたし、曲もたくさんあった。曲を作ることもできた。でも、やりたいことは、より高いレベルにするということで、そのために、高いレベルでやるための資金とリソースを手に入れるまでじっと待つ必要があった。ただ、より多くの音楽をドロップしようとしている。それはたしかに素晴らしいことだけど、すでにやっていたことなんだ。だから、より高いレベルで活動するためには、自分自身に、”いや、全然まだだ”とプレッシャーをかける必要があるんだ」


新しいレベルの自由を得て、ジェンキンスは最新プロジェクト『ザ・ペイシェンス』を制作している。彼は今作のインスピレーションをバスケットボールに譬えて説明している


「どんな分野に足を踏み入れても、どんなに優れていても、学ぶべきことはたくさんあるという考えには忍耐が必要だ。勝ち点を40落としたとしても、勝つために必要なことを学ばなければならない。実力は関係ない。知識を得たら、あとはそれをどう応用するかなんだ。どこで、どのように潮の満ち引きが必要なのか、この理論の応用が白黒はっきりしないのはどこなのか。でも、それは現場に行ってみないとわからない。実力とはまったく関係ないことだってある。音楽を作ることと関連するとは限らない。その方法を学ばなければならない。バスケットボールの世界には、あなたを左右するものがたくさんある。その94本の足がどれだけ優れているかとは関係のない、他の人たちにとっての自分のポジションを切り開くことになる。お金と出場時間に影響するんだよ(笑)」


「そのようなスペースをどのようにナビゲートするかを学ぶ必要があった。得点できるという事実以上に、そのスペースでベストを尽くす方法を学ばなければいけないんだ。僕はラップのスコアラーで、一日中バーを持っている。でも、それ以上に操り方を学ばなければならないことがたくさんある。外に出ることを学び、人々と一緒に仕事ができるようなコミュニケーションの取り方を学ぶ必要がある。ある方法を示さなければならない。あるやり方で、あるやり方をしなければならない。そのプロセスを忍耐強くやり遂げるというのが、私が1番言いたいことなんだ。タイトルを見た人は、私が忍耐について説いていると思うかもしれないね(笑) いや、そうではなくて、これはちょっとしたフラストレーションを指している。この時期がそうだったし、多くの場合、忍耐強くなければならないというのは、そういうことだと思うんだよね」 



Mick Jenkins 『The Patience』  RBC /BMG

 

先週のNonameに続いて、シカゴの最良のラップ・ミュージックをご紹介致します。ミック・ジェンキンスは、デビュー・アルバム以来の10年は、ほとんど経済的、あるいは、クリエイティヴの面で切迫した状況で制作を続けてきた。

 

今回、メジャー・レーベル移籍第一弾となるアルバム『The Patience』では、シンプルに商業的な面での援助により、これまで平均して6万ドルの制作費だったが、今回、それを上回る費用がレコーディングに充てられた。しかし、問題なのは、4作目のアルバム『The Patience』は最も過激で、アグレッシヴで、赤裸々で、自分自身であることを恐れぬ作品となっている。そして、メジャーレーベルへの移籍でマイルドな音楽になるどころか、その舌鋒の鋭さは増しており、2010年代のシカゴ・ドリルが世界的に普及していった時代に比する、苛烈な雰囲気が込められている。


ミック・ジェンキンスがラップを始めたのはそれほど早くなかった。アラバマの大学に入ってから、ラップを始めた。(これは彼と一度、共同制作をしている、ロンドンの大学で学んだ日本人のラッパー、Daichi Yamamoto{ダイチ・ヤマモト}と共通する。)そして、ジェンキンスは、学生時代のラップのコンテストの賞品として貰い受けたヘッドフォンを使い、音楽を制作してきた。彼は同時に、現在では主流のストリーミングではない、Soundcloudを介して楽曲のテストをしてきた。そして、音楽を探すのも、このストリーミング・サービスを通してである。

 

音楽のテーマから言うと、デビューアルバム『The Water(S)』の時代から、黒人として生きることの葛藤、警察の横暴を鋭く描いた。二作目のアルバム「Piece Of A Man』では、ジル・スコットの1971年のデビュー作のオマージュを行い、三作目のアルバム『Elphant Is The Room』では、R&Bやジャズに依拠し、みずからの家族との関係等に焦点を当てるなど、作品ごとにそのテーマを様変わりさせてきた。


こう言うと、 ジェンキンスがいつもコンセプトアルバムを制作してきたと思うかもしれないが、実は、そうではないようだ。彼はより良いものを作りたいと思うだけで、最善の環境の中で最善の音楽を作り、ラップしてきた。その真摯なスタンスはもちろん、メジャー・レーベル移籍後の第一作でも変わることがない。

 

アルバムのプロデューサーは、Nonameの『Sundial』でも名をクレジットされたバーグ、アルケミストとマッドリブに影響を受けたニューヨークのプロデューサー、ストイックが手掛けている。

 

近年、ジャズとヒップホップの融合に取り組んで来たミック・ジェンキンスではあるが、アルバムのオープニング「Michelin Star」のイントロでは、従来の音楽性が引き継がれている。そして、以前よりも制作費を掛けたこともあって、大掛かりで映画的なプロダクションがなされているという指摘もある。 

 

 

「Michelin Star」

 

 

 #1「Mickelin Star」のオープニングのイントロを見て分かる通り、本作は最初こそジャズ風のくつろいだサンプリング/チョップを配したメロウな感じで始まるが、その後、シカゴ・ドリルの最盛期を思わせるアグレッシヴなリリック/フロウが展開されていく。ジェンキンスは、過去の作品でも行っていたジェームス・ブラウンの「Ah」という掛け声を起点にし、一息に捲し立てるようなラップで聞き手を圧倒する。これまでの旧作を聴いたかぎり、これほど前のめりで激しい印象をもたらす彼のリリックは聴いた覚えがない。その上に、バレアリックやサマーチル風の女性コーラスや、ソウルの影響を部分的に配し、爽快感のあるリリックを展開させる。いわば、ドープな瞬間とメロウな瞬間が混在する、異質なオルト・ヒップホップの世界観が生み出されている。このラップ・ミュージックは明らかに今までありそうでなかった形式なのだ。


インディアナのラッパー、Freddie Gibbsが参加した#2「Show & Tell」では、トリップ・ホップとシカゴ・ドリルの融合を図っている。昨年のケンドリック・ラマーの最新アルバム『Mr. Morales & The Big Steppers』でのBeth Gibbonsの参加を見ても分かる通り、地域を問わず、今や米国のラッパーは、ブリストルのトリップ・ホップの影響をUSラップの中に取り入れようとしている。 蠱惑的なブリストル・サウンドを下地にしたトラックに乗せられる、ジェンキンスのフロウは、中盤にかけて、神がかったドープな領域へと突入している。ギャングスタ・ラップのように過激な雰囲気もあるにせよ、曲自体はしっとりとしたソウルに近い概観に彩られている。 

 

#3「Sitting Ducks」では、エレクトロニックとラップのクロスオーバーに取り組んでいる。例えば、エレクトロニック寄りのラップは、2018年の『Piece Of a Man』に収録されていた「Gwedolynn's Apprehension」でも示されており、改めてこの形式を踏襲している。バック・トラックに関しては、Warp Recordsのアーティストの制作するようなIDM(Intelligence Dance Music)ではありながら、リズム・トラックに接して対比的に歌われるジェンキンスのラップは、シカゴのラッパー、Defceeのスタイルに近い。

 

これらのラップ・バトルに触発されたリリックとIDMの融合は、きわめて新鮮な印象をもたらす場合がある。ジェンキンスは、このトラックにおいて、自らフロウの特徴ある低音から中音域を漂うリリックを披露しているが、コラボレーターとして参加したBenny The Butcherはそれより少し低いフロウを披露し、曲全体に安定感と落ち着きを与えている。リリックには、過激なスラングが含まれるが、他方、聴かせる要素もある。言葉こそエクストリームなニュアンスも込められてはいるにせよ、感情のバランスが抑制され、奇妙なバランス感と音感に支えられている。

 

#4「Smoke Break-Dance」には、アトランタのラッパー、JIDが参加している。この曲では煙草(隠語)について歌われている。レコーディング中、JIDは吸っていたというが、ジェンキンスは吸っていなかったという。両者の友人関係によくあるようなスモークに関する、親密なやり取りが繰り広げられている。この曲は、ジャズを基調にしていて、JIDのリリックがリラックス感を与える。JIDのスポークンワードは、曲の途中で歌に近くなり、明確な音程を込めて歌われる。ラップには音程がないという固定概念を覆す、画期的なトラックである。 

 

「007」



アルバムの中盤に収録されている#5「007」から、よりシネマティックな効果を交えたダイナミックなヒップホップへと移行していく。正確に言うと、ピアノや金管楽器のチョップの技法を交えた摩訶不思議な世界へと突入する。ソウル/ジャズをサンプリングとして処理したイントロは感嘆に値するものがあり、ピアノのグリッサンドなどを交え、覇気のあるジェンキンスのフロウが鮮烈な印象を放つ。サックスの断片的なサンプリングは、ジェンキンスのボーカルにゴージャスかつラクジュアリーな雰囲気を付加している。バックトラックに対し、ジェンキンスは、抑揚のあるフロウを展開させる。聴いていて、健やかな気分になり、また、晴れやかな気分になりそうな一曲だ。もちろん、この曲の中に漂っているジャジーな雰囲気は、前作から一貫して彼が追い求めてきた作風であり、それが最終形態として完成をみた瞬間と言えるだろうか。           


アルバムの衝撃的なハイライトは、この2曲後に訪れる。最初の山場は、#6「2004」で到来する。シカゴ・ドリルの最もコアなリズムやパーカッションを継承し、それをブレイク(休符)を挟みながら展開させるジェンキンスのフロウに注目しておきたい。言うなれば、Chicago-Drillの未来形であるStop & Goのスタイルを通して、モダンなラップの最高峰へとジェンキンスは上り詰めようとしている。ここでは、迫力のあるリリックにも刮目すべきだが、その一方で、リズム的な側面からもタメの効いた言葉が、ブレイク(休符)の後に堰を切ったかのように放たれる瞬間は、ほとんど崇高さすら感じさせる。また、咳払いをリズム風に配し、女性ボーカルのサンプリングやシンセのシークエンスを実験的に配し、アヴァンギャルドかつミステリアスな雰囲気をもたらしている。「Motherf○cker」等を始めとするリリックやフロウの過激さは十分である。彼は、2010年代のChief KEEFに象徴されるシカゴのギャングスタ・ラップのハードコア・カルチャーを受け継ぎ、この曲において現代のヒップホップの禁忌に挑んだと言えるだろう。 

 

#7「ROY G. BIV」では、このプロデューサーらしいサイケデリックな性格と、ミニマルな要素が絡み合い、スタイリッシュなヒップホップが生み出された。短いシンセのスニペットを反復させ、それをなだらかなバックトラックとしてアウトプットし、そのビートの上をジェンキンスのフロウが軽やかに舞う。ダンス・ミュージックとラップの中間域を意識した楽曲であり、アルバムの中では最も聴きやすく、軽やかな感じの一曲として楽しむことができるはずだ。 

 

「Pasta」
 

 

 

#8「Pasta」は、先に紹介した「007」、「2004」と併せて今年度のヒップホップのベスト・トラックに挙げても違和感がない。従来の作品の中で最も過激なフロウをジェンキンスは披露している。ここでは、近年、溜め込んでいたフラストレーションが一気に解き放たれている。イントロでは、エミネムの時代からDefceeの時代に至るまでの新旧のラップから、現代のシカゴ・ドリルまでをシームレスに往来している。バック・トラックの金管楽器のサンプリングから、エレクトロのスニペットに至るまで、すべてが完璧だが、ジェンキンスの叫びに近い激情的なフロウは圧巻というよりほかない。これまで、繊細なものから、それとは逆の激しいものまで、感情の振れ幅の広いラップを探求して来たアーティストの渾身の一曲がここに誕生している。

 

最もエクストリームな瞬間を経たのち、いくらかマイルドなヒップホップへと移行していく。続く「Farm To Table」は、昨年、4ADからアルバムを発表したBartees Strangeと同名のタイトルで、それに因んだ曲だろうか? この曲ではジャズという局面を通し、スタイリッシュなラップで聞き手の耳をクールダウンさせる。オープナー「Michelin Star」と同様、ジェイムス・ブラウン風の叫びも、最早、アーティストのラップの主要なスタイルになりつつあるといえる。また、この曲は、アルバムの序盤の収録曲と同じく、中音域を揺らめく比較的落ち着いたフロウが最たる魅力となっている。コラボレーター、VIC MENSAのラップは、メロウな性格を及ぼしている。現代のラップとネオソウルのクロスオーバーという流行のスタイルを楽しめるはずだ。

 

アルバムの終盤に至っても、一貫して、これらの緊張感は途切れることがない。それどころか、「Guapanese」では、より深みのあるラップが繰り広げられ、「Pasta」、「2004」と並んで強固な印象を残す。ピアノの短いインプロバイゼーションをサンプリングとして処理し、それをジャズ風の曲調として昇華している。ジェンキンスは時おり悲哀を滲ませ、ハリのあるリリックを展開させる。突如、その中に生ずるブレイク(休符)は、心の中に生じた空虚な間隙のようだ。しかし、リリックの節々に漂う悲しみは渋さと深みを兼ね備え、胸にグッと迫って来る。

 

アウトロ「Mop」も圧巻というよりほかない。イントロから中盤まで、さらりとしたリリックが展開されるが、その後、悲哀に満ちた呟きが続いている。曲の最後では、ラップが徐々に途絶えていき、最後にジェンキンスの言葉がくっきりと浮かび上がり、その中に奇妙な余白を生じさせている。

 

この十年間、アーティストは、より良い作品を希求しながらも、大きな波がやって来るのを今か今かと待ちつづけてきた。いわば「忍耐」というのは、本作の制作期間を表するものではなく、この作品以前の10年を象徴するものであった。そして、その忍耐は、彼がアラバマでラップを始めた瞬間に始まった。それから彼は、ようやく答えに辿り着いた。3つのアルバムを経て、いよいよ機は熟した。ついに最高傑作『The Patience』が生み出されることになったのだ。

 

 

97/100

 

 

Mick Jenkinsの新作アルバム『The Patience』はRBC/BMGより発売中です。ストリーミング等はこちらより。