Jimmy Cliff(ジミー・クリフ) ジャマイカが生んだ レゲエの魔術師の軌跡  嵐の中から生まれたレジェンド


今週、レゲエのもう一人のレジェンド、ジミー・クリフが81歳で惜しまれつつこの世をさった。ジミークリフとはどんな人物だったのだろう。その一端となるエピソードを少し紹介していきたいと思う。歴史上の多くの伝説がそうであるように、ジミー・クリフの物語は壊滅的な嵐の最中に始まった。


舞台はジャマイカにあるセントジェームズ教区のソマートン地区。村全体をたった一人の助産師が支える中、ある母親が子供を産み、シーツに包んで隣人の家に避難させる。ハリケーンが彼女の家を吹き飛ばした。


しかし、それを見た誰もが口を揃えて言った。「この子には何か特別なものがあるよ」と。クリフは幸運にもすでに若い頃からスターになる資質を持ち合わせていた。14歳で偶然にも「ハリケーン・ハティ」と題されたヒット曲で有名になる。その後、レゲエ音楽を世界中に広め、世界を変えた。 


グラミー賞受賞者であり、ロックの殿堂入りを果たしたミュージシャン、俳優、歌手、ソングライター、プロデューサー、そして人道支援活動家は、ヒットの理由を「魔法」と表現する。それは彼の迷信深さとも言えるが、彼の音楽に対する実直な姿勢を意味する。音楽が鳴り響くこと、それは彼の故郷ではある種の魔法のようなものだった。マジックという表現は古くから語り継がれてきた物語にふさわしいものでありながら、現代ではあまりにも軽視されている。


「何事にも魔法のような何かがある気がするんだ」とジミー・クリフは言った。「母が妊娠した時、お腹がすごく大きくて、みんな三つ子を妊娠していると思ったんだ!だから人々は最初から僕が''特別な存在だ''と言った。学校ではもう手品をやっていた。どうやって覚えたのか分からない。手相も読めた。それも誰も教えてくれなかった。僕の人生にはそういう話がたくさんある。あの嵐の中から生まれてきたという事実が、僕にとって意味深いものだったんだ」


今日でも彼のミュージシャンとしての影響力は計り知れなかった。誰もが「I Can See Clearly Now」「Wonderful World, Beautiful People」「You Can Get It If You Really Want」「The Harder They Come」など、彼の不朽の名曲の数々に口ずさんだことがあるだろう。 自国最高位の勲章、メリット勲章を受章したほか、ボブ・マーリーと並ぶジャマイカ人としてロックの殿堂®入りを果たした2人のうちの1人という栄誉も持つ。 


その人気の理由は何だったのか。ローリング・ストーンズやエルヴィス・コステロからアニー・レノックス、ポール・サイモンに至るまで、数多くのアーティストが彼とのコラボレーションを求め、ブルース・スプリングスティーン、ウィリー・ネルソン、シェール、ニュー・オーダー、フィオナ・アップルらが名高いカバー曲を録音した。


ブルース・スプリングスティーンの「トラップド」は『ウィ・アー・ザ・ワールド』のトラックリストにも名を連ねたことがある。さらに、ボブ・ディランは「ベトナム」を「史上最高の抗議歌」と称賛したことで有名だ。 比類なきスクリーン・プレゼンスも持ち、1972年の名作『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』では主演を務め、サウンドトラックでも重要な役割を担い、レゲエに国際的な注目を集めた。その他の映画出演作には『クラブ・パラダイス』『マッスル・ショールズ』『マークド・フォー・デス』などがある。


'' The Harder They Come''


クリフはレゲエの伝道師として有名だが、彼の功績はそれだけにとどまらない。異なるジャンルとのコラボレーションを欠かさなかった。偉大なミュージシャンは未だかつてジャンルにこだわったことはない。2012 年、アルバム『Reverse』はクリフにとって新たな転機となった。パンク界の大御所、Rancidとオペレーション・アイビーのティム・アームストロングがプロデュースしたこのアルバムは、グラミー賞の「ベスト・レゲエ・アルバム」を受賞し、ローリング・ストーン誌の「2012 年ベスト・アルバム 50 選」にも選ばれた。


また、彼はライブステージでも大きな影響力を持った。コーチェラ、ボナルーなどのフェスティバルで、観客を魅了するパフォーマンスを披露しました。 その勢いは衰えることなく、待望の『The Harder They Come』の続編『Many Rivers To Cross』、そしてリンキー・マースデンが共同プロデュースした 2018 年の 2 枚の EP『Free For All』と『Love For All』という、彼の創造性の新たな章へとつながった。


音楽にしても映像にしても彼の全般的な活動の意味は、結局のところ、自分たちの住む地球をより良い場所にすると言うことだった。「今、この地球で果たすべき使命をまだ完遂していないと感じている」と彼は認めたことがある。「私は音楽と映画を通じて、伝えねばならないことを語り、成すべきことを成さねばならない。毎朝目覚めるたびに、それが私の原動力なんだ」




彼は異なる地域の人々との交流を欠かさなかった。違う土地の気風を寛容的に取られる力がクリフには備わっていた。EP制作ではガーナ生まれロンドン在住の共同プロデューサー、クワメ・イェボアとタッグを組み、クリフはレゲエの最も純粋な形を再訪し、再充電し、再活性化させた。家族を大切にする男として、彼は今も妻(モロッコ/フランス/ジャマイカ系)、娘リルティ・クリフ、息子アケン・クリフという高き源泉からインスピレーションを得続けている。そのエネルギーが音楽に脈打っている。


アップビートで紛れもないスウィング感を持つファーストシングル「ムービング・オン」は、繊細な楽器編成から力強い宣言「俺は前に進む」へと発展する。彼の比類なき歌声が天へと届き、再び戻ってくる。「これは私のお気に入りのひとつだ」と彼は言う。「非常に個人的な体験だ。誰もがその考えに共感できる。人生のどこかで、誰もが前に進まなければならないのだから」


「Refugee」の社会政治的含意はクリフにとって深い意義を持ち、考えさせられるアンセムの長い伝統を継承している。「これは今も続いている問題なんだ」と彼は語っていた。「歌詞は自明であり、世界中で目にする難民問題に触発されたものなんだ」



クリフはまた、新しいデジタル社会へ適応し、来るべき革新の時代を心から楽しみにしていた。「インターネット」は、オールドスクール・レゲエの視点から現代社会を考察する。クリフは言った。「『インターネット』の着想は、インターネットが音楽シーン全体を変えた事実から生まれたんだ。もはや誰も音楽にお金を払わなくていい。『フリー・フォー・オール』。それが胸に刺さった。誰も逃れられない革命なんだ。私はそれについて言及せざるを得なかった」


『Many Rivers To Cross』はクリフにとって分岐点となり、一連の物語の完結を意味した。最初の映画から温めていた構想で、主人公イヴァンが40年の歳月を経て刑務所を出所し、贖罪の道を歩み始める姿を描く。


「40年は長い時間だよ」と彼は説明する。「毎年が小川であり大河だ。アイヴァンはそれらを渡ってきた。どうやって生き延びたのか? 今は何をしているのか? 彼が撃たれた時点から、なぜ、どうやって刑務所を出たのかまでを描く。『ザ・ハーダー・ザ・カム』以来考えていたこと。ファンは続編を求めてきたし、物語をあのまま終わらせたくなかった。語るべきことはまだある」


結局、ジミー・クリフの魔法は年を重ねるごとに華やかになるばかりだった。生前クリフは次のように言った。「最高の曲はまだ書いていない。実はそれを追い求めている。僕の音楽が誰かを奮い立たせ、より良い人生を歩みたいと思わせ、諦めさせないなら、それは僕にとって大きな成功だ!!」 


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