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 タイの首都、バンコクでは、近年、インディーズ音楽シーンがとても盛り上がりを見せているようです。

 

 バンコクの周辺にはPanda Redcordsを中心として数多くのレコードショップやインディーのラジオ局が散在し、街なかの、デパート、レストラン、バーといった場所では、ミュージシャンにイベントスペースを提供し、食事をしながら生演奏が楽しめるそうです。

 

 もちろん、これは、2019年までの話であると断っておかなくては。Covid-19が発生してからというもの、この音楽イベントに接するが少なくなってしまったようですが、アジア圏の中でも、再注目の音楽シーンが形成され、音楽文化が都市に浸透しつつあるのは事実のようです。

 

 特に、昨今のタイのインディーズシーンで盛んなのが、日本のシティ・ポップに影響を受けたおしゃれなシンセ・ポップです。以前の日本の音楽は、アメリカのLAだけでなく、タイでもホットな音楽として親しまれていることを誇りに思います。

 

 これらのバンコクのインディー・ロックバンドは、世界の音楽として通用しそうなものも数多く見受けられます。また、その他にも、ドリームポップ、シューゲイズバンドもいくつか台頭してきているようですよ。


 今回は、タイのバンコクを中心とするミュージックシーンから魅力的なグループを幾つか取り上げていきます。

 

 これらのタイのバンドの歌詞は、母国語のタイ語で歌われているもの、英語で歌われているものと様々。とにかく、タイでは今、日本の平成時代初期のムーブメントのような雰囲気を持った音楽が盛り上がりを見せています。以下のグループの音楽には多彩な音楽性を発見でき、タイらしい、まったりとした、そして、とってもおしゃれな雰囲気を楽しんでいただけるはずです。





1.Inspirative

 

 

タイの伝説的な後人組のポスト・ロックバンド。2006年にNoppanan Panicharoen を中心に結成され、2008年に現メンバー構成となる。2007年に、Fina Kid Groupと契約を結び、二曲入りのシングル「The Lost Moment」をリリースしてデビュー。 2019年、来日ツアーを行っています。

 

緻密な曲構成、静寂と轟音、そして、エモーショナルなロックサウンドは、モグワイ、GY!BE, MONOのような大御所の風格が漂う。重厚感のあるギターサウンドは圧巻で、ギター音楽としての壮大なハーモニー、ストーリを形成している。タイのインディーシーンを代表するポスト・ロックの重鎮です。 

 

 

 



2.temp.

 

temp.もまた2019年に日本来日ツアーを行っている男性四人組のグループ。アイドルグループのような方向性を擁したトロピカルポップサウンド。ライブでは女性ヴォーカリストを招いて、おしゃれなポップバンドに様変わりを果たす。

 

このポップスグループの音楽は、まさに平成時代の渋谷系ポップスを継承した、おしゃれでリズミカルな雰囲気によってカラフルさにより彩られています。

 

ライブ演奏においては、ホーンセクションを交え、ダンス要素の強いノリノリの音楽性が生み出されてます。ライブ演奏はメンバーが心のそこから音楽を楽しんでいます。こちらもその楽しさに魅了されてしまうバンドです。 

 

 





3.Beagle Hug

 

こちらもタイ、バンコクで結成された四人組のエクスペリメンタルポップバンド。AOR,シティポップを始め、R&Bを交えた実験的な音楽性を、これまでの作品で生み出しています。国内では「โชคดีーチョークディ」という作品でブレイクを果たしたバンド。知的なサウンドアプローチの感じられるポップスで、タイ語という一般的には聞き慣れない言語に親しみをおぼえさせてくれるサウンドです。

 

 

 

 

 

4.Yokee Playboy

 

あまり情報がないバンドですが、タイ、バンコクで結成された四人組グループ。 映像を見る限りでは、非常にバンコクで凄まじい人気を博すバンドのようです。

 

Yokee Playboyは、ポップ、ファンク、R&Bを融合させたサウンドで、ピチカート・ファイヴ直系のおしゃれで洗練された音楽性です。口当たりの良いシャンパンを口にするような甘酸っぱいサウンドで、なんとなく、平成時代のポップスの影響性を感じさせ、そこにタイ語という面白い響きのある言語をうまく融和させたといえるでしょう。聴いているとうっとりするようなサウンドで、全く馴染みのない言語であるにもかかわらず、ノスタルジアを感じさせてくれます。


 

 

 

 

 

5.Plastic Plastic 

 

 

Pokpong Jitdee、Tongta Jitdeeという実の兄妹によって結成された宅録サンシャインポップデュオ。

 

サンシャイン・ポップという名に違わず、明るくフレッシュで親しみやすい音楽性が魅力です。それほど肩肘をはらない、まったりとした音楽という点では、他のバンコクのバンドと同じ特徴を持っています。 

 

これまでタイ国内の「Believe Records」に所属していましたが、現在は自主レーベルから作品リリースを行っています。She Is Sumerの楽曲の編曲を担当していて日本との音楽シーンとも少なからずの関わりを持っています。 実際のサウンドは聴いてわかるとおり、ものすごーくおしゃれです。



 

アノラックサウンド スコットランド、グラスゴーを中心に形成されたギターロック音楽

 

皆さんは、日本で「アノラックサウンド」と呼ばれ、海外では、ギターポップ/ネオアコースティック、もしくはジャングルポップと呼ばれるジャンルをご存知でしょうか。これは、1980年代にイギリスのチェリーレッド、ラフ・トレードレコードと契約するロックバンドの一群の独特なサウンドアプローチを示している。アズテック・カメラ、オレンジジュース、ヴァセリンズ、ティーネイジ・ファンクラブ、パステルズといったスコットランドのグラスゴー周辺にこれまでになかったネオアコサウンドが発生しました。

 

それまで、スコットランドには、リバプール、ロンドン、マンチェスター、ブリストルのような表立ったシーンというのが存在しなかった。この1980年代を中心に、グラスゴー、エディンバラ周辺で、ミュージック・シーンが形作されていくようになる。これらのバンドの台頭は、のちの1990年代から2000年代のベル・アンド・セバスチャン、モグワイといった世界的なロックバンドの登場を後押ししたことは、殆ど疑いがありません。


かのベル・アンド・セバスチャンも、上記のバンドサウンド、ヴァセリンズとパステルズのサウンドに勇気づけられ、「グラスゴーにはネオアコあり」ということを新時代において、世界の音楽シーンに提示するため、インディー・ロックバンドを組んで演奏をはじめたのだという。


もちろん、これらの最初のスコットランドのミュージックシーンに台頭したロックバンドは必ずしも洗練されたサウンドを持ち合わせておらず、いわゆる「下手ウマサウンド」とも称されるような、ギターにしろバンドサウンドにしろ、音楽的な瞬発性というか、センスの良さで正面切ってイギリスやアメリカのミュージックシーンに勝負を挑んでみせた。


アズテックカメラ、ヴァセリンズ、パステルズといったロックバンドは、イングランドの他に、スコットランドにも重要な音楽カルチャーが存在することを世界的に証明したのだった。これはかの地の文化の発展のため、音楽表現を介してこういったミュージックシーンが徐々に1980年代を通じて形成されていったという見方もできなくはない。

 

アノラック、またネオ・アコースティックと呼ばれるサウンドは、街なかに教会が多く、緑豊かな街、グラスゴーらしい牧歌的な雰囲気に彩られ、新しい時代のセルティック・フォークとも称すべき独特な音楽性を擁していた。元は、イングランドよりもはるかに深い音楽的な文化を持つセルティック民謡のルーツが、これらの1980年代のロックバンドのアーティストたちに、自身の文化性における誇りを取り戻させようと働きかけたともいう向きもある。


これらのネオアコ・サウンド、ビートルズのフィル・スペクター時代の音楽性、あるいは、ボブ・ディランの初期のアメリカンフォーク時代に回帰を果たしたかのようなノスタルジックなサウンドは、おだやかさ、まろやかさもあり、反面では、ロンドンパンクのような苛烈さも持ち合わせていた。


そして、温和性と先鋭性、両極端な要素を持つネオアコ、ギターロックに属するロックバンドを中心に発展したグラスゴーの音楽シーンは、やがてイングランドに拡大していき、やがて、遠く離れたアメリカのオルタナティヴロックの源流を形作り、同じような音の指向性を持つ、Garaxie 500、Guide By Voices、Superchunk、Pixiesの音楽シーンへの台頭を促し、世界的なインディー・ロック人気を世界的に後押しました。

 

もちろん、日本でもこのスコットランドのグラスゴーのシーンは無関係ではないわけではなく、これらのネオアコ、ギターポップサウンドに影響を受けた、フィリッパーズ・ギター、サニーデイ・サービスがさらにこの音楽を推し進めて「渋谷系」というサブジャンルを確立した。もちろん、スーパーカーも、これらのネオアコに関係性を見いだせないわけではない。

 

これらのスコットランド、グラスゴーの周辺を拠点に活動していたバンドは、エレクトリックとアコースティックの双方のギターを融合したサウンドが最大の魅力だ。それに加えて、かのオアシスやブラーをはじめとする1990年代のブリットポップにも重要な影響を与えている。特に、このブリット・ポップの生みの親であり、ネオアコサウンドの代表格ともいえるThe La'sの日本公演に、その年、サマーソニックで来日していたギャラガー兄弟がそろってお忍びで観に来ていたのは、非常に有名な話である。



これらの1980年代のスコットランド、グラスゴー、エディンバラ、ロンドンのラフ・トレード、ブリストルのサラレコードを中心として発展していったギターロック/ネオアコサウンドは、なんとも美しいノスタルジアによって彩られている。


懐古的なサウンドではあるが、その1980年の世界の空気感がこれらのバンドサウンドに感じられる。その音の雰囲気、熱気、時代性というのは、どの時代の音楽にも感じられる。それが音楽やその他の表現の文化性であり、それがなければ音楽というのは途端に魅力が失われてしまう。さらに、その時代にしか生み出し得ない音楽というのが存在する。1980年代、これから世界がどうなっていくか、というような若者の不安、そしてそれとは反対の、希望、期待、ワクワクした気持ち、音楽を生み出すフレッシュな創造者たちの思いがこれらグラスゴーを中心とするアノラックサウンドには宿っている。

 

この奇妙な熱狂性は、今なお、独特な魅力、エネルギーを放ちつづけているように思える。ネオ・アコースティックは、その多くが既に時代に古びているサウンドといえるかもしれません。でも、その音の芸術家たちの熱い思いがこれらのサウンドには宿っていることは明確です。オルタナティヴ・ロックの前夜、あるいは、そのムーブメントの後、1980年代から1990年代にかけてのスコットランド、グラスゴーでは何が起こっていたのでしょうか?? その時代の空気感を知るために、是非、以下に取り上げていくギターロック/ネオ・アコースティックの大名盤を手掛かりにしてみて下さい。

 

 

 

ギターロック/ネオ・アコースティックの名盤
 
 
1.Aztec Camera

 


 

アズテック・カメラは1980年、スコットランドのイースト・キルブライド出身で当時16歳であったロディ・フレイムを中心に結成され、1995年まで活躍した。

 

スコットランドのネオアコサウンドを世界的なジャンルに引き上げたシーンの立役者であり、UKポップスのグループとして紹介される場合もすくなくないように思える。日本でのギターロック、ネオアコ人気に一役買った貢献者といえる。後には坂本龍一が「Dreamland」のメインプロデューサをつとめたり、また、ヴァン・ヘイレンの名曲「Jump」を揶揄を交えてカバーし、日本のメタル専門誌「BURRN!」で酷評を受けたりと話題に事欠かなかったバンドである。

 

アズテックカメラは、1991年にグラスゴーのインディーレーベル「ポストカード」から1stシングル「just like gold」をリリースデビューし、その後、イングランドの名門レーベル、ラフ・トレードから主要な作品の発表を行った。このバンドの織りなす、ゆるい、まったりした甘口のポップス、フォーク音楽は、後のグラスゴーシーンの重要な基盤を築き上げた。牧歌的な雰囲気もありながら、どことなく、ビートルズのマージー・ビートの時代へと回帰をはたしかのような楽曲の数々は、ニューロマンティックのような陶酔的ノスタルジックさがふんわりと漂っている。

 

アズテック・カメラの名盤としてはこのバンドの全盛期にあたる「High Land,High Rain」を挙げておきたい。 

 

 ・「High Land,High Rain」1983  Warner Music

 




 

 
 

 

 

2.Orange Juice

 

オレンジジュースはスコットランド、グラスゴー近郊のベアズデンにて結成された。結成当初は、ニュー・ソニック名義で活動し、ポスト・パンクシーンの渦中に登場した。

 

アイルランド勢のスティッフ・リトル・フィンガーズを差し引くと、英国一辺倒であったロックシーンに、スコットランド勢として、アズテックカメラと共にスコットランドの音楽の存在を象徴付け、最初に勇猛果敢に切り込んでみせたバンドといえるだろう。1979年から活動し、1985年に解散。オレンジ・ジュースは、ネオアコ、ギターポップのゆるく、まったりした甘口なサウンドを最初に確立し、最も古いこのグラスゴーシーンの形成したロックバンドであり、グラスゴーの音楽シーンを語る上では不可欠な存在である。

 

1983年リリースの「Rip It Up」は、全英シングルチャート8位にランクインする等、商業的にも健闘した。

 

オレンジジュースの生み出すサウンドは、まさにエレクトリックとアコースティックの中間を行くもので、このネオアコのドリーミーなサウンドの最初の確立者といったとしても過言ではない。アズテック・カメラと同じように、ビートルズの初期の音楽性のようなノスタルジーに溢れ、甘酸っぱいサウンドを主要な音楽性にするという面ではパワー・ポップに近い雰囲気を併せ持っている。


オレンジ・ジュースの名盤は、イルカのイラストが描かれた「You Can't Hide Your Love Forever」が挙げられる。「Falling and Falling」をはじめポップスとして聞きやすく、粒ぞろいの楽曲が多い。アズテックカメラと同じく、日本のシティ・ポップにも比するノスタルジーな雰囲気に溢れる永遠不変の名作である。 

 

 

 

「You Can't Hide Your Love Forever」1982 Polydor Records

 


 

 

3.The Vaselines 


ネオ・アコースティック、ギターポップのサウンドの性格を1980年代後半において象徴付けたユニット、ユージーン・ケリー、フランシス・マッキーの二人によって結成されたザ・ヴァセリンズ。


UKの53rd&3rdレコードの知名度を高めたにとどまらず、後にアメリカの名門Sub Popと契約をし、特に、カートコバーンはこのバンドの音楽性に深い薫陶を受けており、Nirvanaの主要な音楽性を形作っている。コバーンは、後に、「Molly's Lips」をパンク風のアレンジとしてカバーし、ヴァセリンズはアメリカのオルタナシーンでミート・パペッツと共に象徴的な存在となった。

 

ピクシーズと共に「オルタナの元祖」とみなされるヴァセリンズであるが、意外にもオルタナとして聴くと、肩透かしを食らうはずだ、ヴァセリンズのサウンドは、スコットランドらしい牧歌的で温和なサウンドを特徴とし、そこにオルタナ性、いわばブルーノートではないひねくれた特異なメロディラインをオルタナティヴロックが全盛期を迎えつつある前夜に生み出していた。

 

上記の要素は、シアトルのインディーレーベル、Sub Popからリリースされた「The Way Of The Vaselines」、その後に発売されたヴァセリンズのベストアルバム「Enter The Vaselines」というオルタナの不朽の名作、ネオアコの不朽の名作の一つに感じられるはずで、また、「オルタナティヴー亜流性」というロック音楽の謎を紐解くための鍵になりえるかもしれない。

 

特に、このヴァセリンズのベスト盤としてリリースされたアルバムに収録されている「Son Of The Gun」のイントロでの狂気的に歪んだディストーションギターは当時としてはあまりにも衝撃的だった。そして、ディストーションサウンド、それから、ピクシーズの歪んだポップセンス、さらに、同郷シアトル、アバディーンのメルヴィンズの轟音性、この3つの要素に、1980年代終盤、カート・コバーンは、グランジの萌芽、新しい音楽の可能性を見出した。もちろん、スコットランドのヴァセリンズは、アメリカのピクシーズとならんで、オルタナティヴやグランジの元祖といえる。その他にも、「Rory Rides Me Slowly」「Jesus Wants Me A Sunbeam」といった、グラスゴーの風景を思わせる秀逸なフォーク曲もこの作品には収録されている。  

 

 

「Enter The Vaselines」Sub Pop



 

 

 

 

 

4.The Pastels 


パステルズは、1981年にスティーヴン・パステルを中心に結成されたグラスゴー、ギター・ポップ/ロックの代表格と称すべき偉大なインディーロックバンド。


1982年に1stシングル「songs for children」をWhaaam!からリリースしてデビューをかざった。その後、イギリスの名門ラフ・トレードとの契約にこぎつけ、アノラックサウンドのムーブメントを牽引、それほど大きな商業的な成功こそ手にしていないが、現在、編成がユニットになっても変わらず、穏やかで、親しみやすい、インディー・ロックバンドとして活躍している。

 

2009年には、日本の同じくアノラック・サウンドを掲げて活動するTenniscoatsとのコラボレーション作品「Two Sunsets」もリリースしていることにも注目しておきたいところだろう。

 

パステルズの魅力は、スティーヴン・パステルの生み出すギターロックのセンスの良さ、それに加え、カトリーナ・ミッチェルの親しみやすく肩肘をはらない等身大のヴォーカルに尽きる。インディーフォークとロックをセンスよく融合させたという点ではヴァセリンズと同じような音楽性が見いだせる。

 

スコットランドの美しい緑、そして牧場の風景を思わせるような音楽性、それに加えて、どことなく甘酸っぱいような叙情性に彩られたサウンドは、イギリスのエモの発祥ともいうべき個性派サウンド。

 

流行り廃りとは関係なく、ことさら刺激的なわけでもない。なのに、深い親しみ、愛おしさをおぼえてしまうのが、パステルズの二人の生み出す叙情性あふれる音楽の不思議さ。アノラックサウンドの名盤としては、2013年の「Slow Summits」も粒揃いの良作として捨てがたいものの、パステルズの活動の最盛期にあたる1993年リリースされた「Trucklload Of Trouble」を挙げておきたい。 

 

 

 「Truckload Of Trouble」1993  Paperhouse Records

 


 

 

 

5.BMX Bandits 

 

BMXバンディッツは1985年、スコットランドのベルズヒルにてダグラス・スチュアートを中心に結成されたギター・ポップ・バンド。現在も変わらず活躍中のアノラックサウンドのドンともいえるような存在。

 

後に、ティーンエイジ・ファンクラブのメンバーとなるノーマン・ブレイク、そして、後にヴァセリンズのメンバーとなるフランシス・マッキーも在籍していたという点では、スコットランドのシーンの中心的な存在といえる。このバンドからファミリーツリーを描いて、のちのスコットランドの代表格を複数登場させたという点では、シカゴのCap’NJazzに比するべき神々しい存在であり、ネオアコ、ギターロックシーンにおいての最重要バンドのひとつに挙げられる。

 

BMX・バンディッツのゆるく、穏やかな脱力系のサウンドは、後発のロックバンドに大きな影響を与えた。取り分け、ホーンセクション、ストリングスをスタイリッシュに取り入れた遊び心満載の音楽性は、後のスコットランドのベル・アンド・セバスチャンの音楽性、あるいは、日本のフリッパーズ・ギター、サニー・デイ・サービスをはじめとする渋谷系サウンドの源流を形作った。

 

BMX・バンディッツの名盤を挙げるとするなら、1993年リリースの「Life Goes On」が真っ先に思い浮かぶ。ここで、バンディッツは、まるで、涼やかな風に髪を吹き流されるかのような、切なく、淡く、爽やかなアノラックサウンド最高峰を極めた。良質なポップセンスに彩られたネオアコの傑作として名高い作品。 

 

 

「Life Goes On」2005

 


 

 

6.Teenage Fanclub 

 

ティーンエイジ・ファンクラブはスコットランド、グラスゴーの代表格ともいうべき偉大なインディーロックバンドである。BMXバンディッツのメンバー、ノーマン・ブレイク(Vo.Gt)を中心に、1985年に結成された。

 


 

このバンドは、ニルヴァーナの「Nevermind」の世界的なヒット、それに続く、インディーロックブームに後押しを受け、押し出されるような形で、アノラックサウンド、ギター・ポップ・アノラックサウンドの代名詞的存在となった。のちにニューヨークのマタドールレコードと契約し、ヴァセリンズ以上に、ベルセバと共にスコットランドで最も成功したロックバンドに挙げられる。

 

特に、このバンドはライブのステージ演出が豪華であり、まるで夢見心地にあるような瞬間をオーディエンスに提供してくれる。ティーンエイジファンクラブの音楽性は、ビートルズサウンドを現代的に再現し、それをパワー・ポップのような質感に彩ってみせた、いわばスコットランドの良心とも称するべきサウンド。ノスタルジックな雰囲気のあるチャンバーポップスの良いとこ取りの音楽性が最大の強みでもある。


ティーンエイジファンクラブの名盤としてはベタなチョイスではあるけれども、「バンドワゴネスク」をあげておきたい。このノスタルジックで、永遠不変のポピュラー音楽は、音楽にたいする無限の没入という、音楽ファンにとってこの上ない贅沢で芳醇な時間を与えてくれるはずである。  


 

 「Bandwagonesque」Geffen Records 1991

 

 

 

 

7.Belle And Sebastian 



スコットランドのアノラックサウンドのシーンで満を持して登場したのがベル・アンド・セバスチャン。

 

教会の牧師をつとめるスチュアート・マードックを中心に1996年にグラスゴーで結成され、現在も変わらず世界的なインディー・ロックバンドに挙げられる。最初のリリース、「タイガーズ・ミルク」は千枚のプレスしか生産されなかった作品ではあるが、マニアの間ではかなりの人気となり、850ポンドのプレミアがついたという。後に、ラフ・トレード、ジープスター、マタドールを渡り歩いたという面では、およそ世界的なインディーレーベルからのリリースを総なめにしたといえる。


もちろん、ベルセバの魅力は、表向きのブランド力にあるわけではない。もちろん、ザ・スミスのアルバムジャケットからの影響性にあるわけでもない。後の全英チャートでの健闘や、ブリット・アワードのベストニューカマー賞を獲得したりといった付加的な栄誉はこの大所帯ロックバンドのほんのサイドストーリーの域を出ないように思える。ベルアンドセバスチャンが後に成功を手にしたのは、最初期からスコットランド、アノラックサウンドの後継者としてBMXバンディッツの音楽性を引き継ぎ、良質なインディー・フォークを生み出し続けたから、つまり、ベル・アンド・セバスチャンの音楽の良さから見ると、至極当然の話だったといえる。

 

これまでの二十年以上もの長きに渡るキャリアで、大きなブランクもなく、継続的に良質な作品をリリースしつづけているというのは、殆ど驚異的なことといえる。何かを続けることほど難しいことはないからだ。もちろん、現在も変わらず、フロントマンのスチュアート・マードックは、ステージで、はつらつとした姿を見せ続けていることにも敬意の念を表するよりほかない。

 

ベルセバの名盤を一つに絞るのは至難のわざである。フロントマンのスチュアート・マードックの牧師という職業にかけていうなら、ベルセバの名盤をひとつだけ挙げることは、”針の穴に糸を通すより難しい”のかもしれない。最初期には、目のくらむほどの数多くのインディー・ロックの名盤がリリースされているが、比較的最近のリリースの中にも良い作品が見受けられる。しかし、アノラックサウンドの後継者という点に絞るならば、最初のリリースの「Tigersmilk」が最適である。後のベルセバの独特な内向的なサウンドの醍醐味は、一曲目「The State I Am In」に凝縮されている。  

 

 

 「Tigersmilk」Jeepstar Recordings 1996


 

 

 

 ROUGH TRADE

 

1.世界で最も有名なインディペンデントレーベルはどのように生まれたのか

 

ラフ・トレードは、1978年にインディペンデントレコード店としてイギリスのケンジントンパークロードに開業した。世界ではじめてのインディーレコード会社といっても差し支えない、英国で最も伝統のあるレコードショップ・レーベルである。これまでこのインディペンデントレーベルから、英国を代表するのみならず、世界的に活躍するミュージシャンを数多く輩出して来ている。 

 

  

Record Store Day @ Rough Trade East 09

 

かのスミスも、ストロークスも、リバティーンズもこのレーベルから出発し、世界の舞台へと華々しく羽ばたいていった。いわば、ラフ・トレードは生粋の「イギリスのロックミュージシャンの登竜門」と喩えるべき世界的なレーベルである。


もちろん、言うまでもなく、2020年現在になってもなお、最も英国の音楽シーンで影響力を持つレコード会社であることに変わりはなく、ラフ・トレードからデビューするミュージシャンは大型新人とみなされ、世界のミュージックシーンから異様なほどの注目を受ける。


当初、ラフ・トレードは、インディペンデント系のレコードショップとして発足したが、程なくインディーレーベルとしての作品リリースを行うようになり、1980年代のザ・スミスのブレイクを通じ、イギリスを代表するインディペンデントレーベルに成長した。


しかし、多くの歴代の実業家の生涯と同じように、名門「ラフ・トレード」の歴史は必ずしも順風満帆に進んだとはいえなかった。一度、1980年代後半には、このレーベルの財政状態をひとりきりで支えていた看板アーティストのザ・スミスが解散したことにより、長年の放漫な経営方針による影響をうけ、1990年代の初めにラフ・トレードは債務不履行による経営破綻に陥っている。


創業者ジェフ・トラビスは、この時代において、多額の債権の返済のことばかりが頭にちらついていたと語り、(インディペンデントレーベル-異端者)として社会で生き残ることに対する大きな苦悩を語っている。 


その後、ラフ・トレードは、一企業として多額の債権を抱え、キャッシュフローの返済に追われたが、同国のレコード会社ベガーズ・グループがラフ・トレードショップに救いの手を差し伸べた。ラフ・トレードは、買収され、ベガースグループの傘下に入った。

 

 

2.インディーズレーベルとしての文化的功績を打ち立てるまで

 

ラフ・トレードは、レコードショップオーナーのジョフ・トラビスによって個人事業として設立され、元々、西インド人コミュニティの盛んだったロンドン西部のケンジントンパークロードに文化貢献、「人と人とを繋ぐための役割」を果たすためにオープンされた個人経営のレコードショップとして出発した。


2000年代以降、SNS等を介して、音楽ファンは、旧来よりも容易に他の音楽好きと情報交換や交流が出来るようになったのは事実である。


けれど、少なくとも、この1980年代前後には、音楽文化の発展する過程において、何らかの形で、音楽愛好家、ミュージシャンがある特定の場所を通じ、なんらかの意見交換や交流をする場を提供する必要があった。 


ラフ・トレードは、顔なじみの音楽好きがいつもそこにいて、いつも、なんらかの音楽を介して朗らかな情報交換や交流が行える場所となった。


こういった場を生み出すことは、ジェフ・トラビスの考案したアイディア、音楽による地域の文化形成という側面において必要不可欠だった。そこで、音楽、レコードという媒体を通し、文化の発信の足がかりを提供するため、1970年代の終わり、ジェフ・トラビスは、カナダのニューウェイヴ・パンクバンド名にあやかり、レコードショップ「ラフ・トレード」をイーストロンドンのケンジントンパークロードに開業したのである。 

 

 

Rough Trade East


ラフ・トレードがレコードショップとして開業してからそれほど時を経ず、 この店の常連客であったスティーヴ・モンゴメリーにトラビスは声をかけ、以後、この店の仕事を提供され、マネージャーとしてラフ・トレードの仕事を一任される。翌年になると、ラフ・トレードの従業員として、リチャード・スコットが3人目の重要なショップのキーパーソンとして参加するに至った。


当初、このインディペンデント形態のレコードショップ、ラフトレードは、ガレージロック、レゲエの専門店として発足し、多くの熱狂的な音楽ファンの支持を獲得していった。いかなる営業形態であろうとも、リピーターを期待できない空間から大きな文化が発生したことは寡聞にして知らない。


つまり、エンターテインメント事業は、他では得られない体験を顧客に提供出来るかどうかに尽きるかもしれない。一度で体験しきれない何かがその空間に数多く存在するからこそ、顧客はその場所に通いたくなるものだ。その点、ラフ・トレードは、他のレコードショップでまず扱われないようなマニアックではあるものの通好みの音楽ジャンルを膨大にディストリビューターとして扱っていた。主に、インディーズのガレージ・ロック、レゲエを専門的に扱うことで、他のレコードショップと差別化を図り、大きな満足感をイギリス国内の音楽ファンに与えることに成功したのだった。


現在も、当時と変わらず、レコードショップとしてのラフ・トレードは、CDやアナログの正規盤だけではなくて、ブートレッグ、非正規の海賊版を販売することでもよく知られている。海外からの旅行客は、珍しいブートレッグを購入することがこのレコード店に立ち寄った際の楽しみとなっていて、これぞ音楽通の嗜みである。


いずれにしても、こういった比較的マニアックなガレージ・ロック、レゲエといった音楽を専門に扱うレコードショップは、当時、1970年代後半、それほど多く存在しなかったはず。いってみれば、音楽ファン、需要側の欲求に答えてみせたこと、また、音楽ファンが交流する場を提供したことにより、数年間を通じ、このレコードショップ、ラフ・トレードは、多くの音楽ファン、多くのミュージシャンに膾炙される名物レコード店として認められる。そして、1970年代後半から1980年代初頭にかけ、上記2つのジャンルの他にも当時新たなジャンルとして国内で隆盛していたジャンル、ポスト・パンク、オルタナティヴ・ロックの作品を中心にリリースするようになり、”No Cure”のようなファンジン、ミュージックカルチャーの発信地の名高い場所として、ラフ・トレードは国内だけではなく、海外の音楽ファンにも知られていくようになった。


創業から二年後の1978年、ラフ・トレードは、他の国内の複数のインディーズ・レーベルと提携し、「The Cartel」と呼ばれるインディペンデントレコード生産の流通組織を築き上げた。つまり、これこそ音楽業界における最初のDIYの確立の瞬間といえるかもしれない。このカルテルと呼ばれるネットワークは、”Factory、2 tone”といったレコード会社からリリースされたインディペンデント作品をこのラフトレードを中心に全国的に流通させる基盤を形作った。もちろん、ここからイギリスの音楽ムーブメントは多く沸き起こったことは多くの方が御承知のことと思われる。


ザ・フォール、スペシャルズをはじめとするパンク・ロックバンドがシーンに台頭しはじめた。この年代、ラフ・トレードは、イギリス国内の重要な熱狂的な音楽ムーブメントを支えた。ニューヨークのアーティストの影響から発生したパンク、ニューウェイヴ、それから、八十年代に入ると、スペインのイビサ島からクラブパーティー文化を国内に持ち帰ったマッドチェスターの音楽文化の素地を形成するのに、インディー・アーティストの作品の全国的流通という側面でラフトレードは一役買っていた。もちろん、ジョイ・デイヴィジョンのイアン・カーティスの自殺後に結成されたニューオーダーも、ラフ・トレードというレーベルなしには、その後の世界的大活躍、いや、いや、それどころかバンド自体存在することさえなかったといえるかもしれない。


ラフ・トレードは、1978年、レコードショップにとどまらずレコード会社としての機能も併せ持つようになる。


レーベルカタログのリリース第一号は、ジャマイカの著名なレゲエシンガー、ダブアーティストとしても知られるオーガスタス・パブロのシングル盤。そして、シェフィールドのキャバレー・ヴォルテールのデビューEP。


それから、なんといっても、ニューウェイブ・パンクのシーンの一角を担ったスティッフ・リトルフィンガーズのシングル「Alternative Ulster」だった。特に、この後にリリースされたスティッフ・リトル・フィンガーズのデビューアルバム「Inflammable Matterial」は、インディー作品でありながら、UKチャートで堂々14位にランクインしてみせたことにより、このラフトレードレーベルの最初のスマッシュヒット作品となった。「Inflammable Matterial」パンク・ロック名盤として必ずガイドブックに掲載されるマストアイテムである。とにかく、ガレージ・ロックの風味も持ち合わせたいかにもラフ・トレードのリリースとして相応しい作品といえるはずだ。

 

3.レーベルとしての転換期


それから1980年代にかけて、ラフ・トレードがイギリスでも、いや、世界的にも、名うての名門インディペンデントレーベルに引き上げた存在は、マッドチェスターの始まりを告げたモリッシー、ジョニー・マー率いるザ・スミスにほかならない。 ラフ・トレードはスミスを有望な新人アーティストとして発掘し、わずか5000ポンドという低価格でスミスのバンドメンバーと契約を結んだ。


以後、このバンドの、異常なほどの商業面での成功、世界的な活躍については、既に多くの音楽ファンによってしられているところである。


ザ・スミスは、1980年代後半にかけて、このラフ・トレードの最も有名な看板アーティスト、名物的なロックバンドとなる。「The Smith」「Meat Is Murder」「The Queen Is Dead」といったブリットポップ前夜を彩る神がかりのような大傑作のリリース、そして、スミスのウィリアム・シェイクスピアの文学性に影響を受けた独特なナルシシズムに彩られた甘美で暗鬱なポップサウンドは、マーガレット・サッチャー政権下での苦境にあえぐ多くの若者達の心を癒やしを与え、彼等の精神を支えつづけたのだった。


実は、かのブレア首相も、このスミスの大ファンであることは一般的によく知られている。つまり、このスミスというロックバンドは、最初は、労働者階級から中産階級の若者たちを中心に広がっていった音楽ではあるものの、そののちになると、イギリス国内では階級関係なく聴かれるようになったビートルズの次のビッグスターミュージシャンであった。


このレコード産業としてのザ・スミスの商業的な大成功により、莫大な利益を得たがため、逆にラフ・トレードはレーベルとしての放漫経営の罠に陥ることになった。利益の回収を度外視して、作品リリースを積極的に行いすぎたため、債務が徐々に膨らんでいった。しかし、一度、綿密に確立された経営方針を転換することほど勇気の必要なことはないかもしれない。この後、ザ・スミスは、1988年のリリースを最後に解散した。スミスの解散によりレーベルの経済面での屋台骨を失ったラフ・トレードは、徐々に1990年代にかけて衰退し、経営難に陥っていった。


その後、わずか三年という短い歳月で、このイギリス国内で最も有名なインディーレーベル、ラフ・トレードは、債務不履行により経営破綻に陥った。債務返済ができないとわかった時点の、レーベルオーナのジェフ・トラビスの失意の程は痛いほど理解できる。とりわけ、トラビスが嘆いてやまなかったのは、借金返済に補填するための資金の目途が立たないことについてはもちろんのこと、この際、最も彼を落胆させたのは、1991年までの約十三年に自ら手がけてきたラフ・トレード全作品のリリースカタログを権利をひとつのこらず失ってしまったこと。とりわけ、ザ・スミスのこれまでのカタログのライセンスを失ったことをトラビスは嘆いてやまなかったのである。


しかし、イギリスのレコード会社、同業者のベガーズグループが救いの手を差し伸べたことにより、ラフ・トレードの経営再建は始まった。これは、ベガースグループが1991年までにこのインディペンデントレーベルが国内にどれだけ多くの商業面での貢献をもたらしてきたのか、そして、文化的な貢献を果たして来たことを重々承知していたからこそラフ・トレードの救済を行ったものと推測される。その後、経営者として見事な経営手腕を発揮し、創業者、ジョン・トラビス氏は、1990年代、2000年代初頭にかけて、このインディペンデントレーベル、ラフ・トレードを再び英国きっての名門レーベルとして復活させ、世界的に成長させた。


その年代、特に、このレーベルの窮地を救ったのは、奇遇にも、このレーベルの最初の専門としたガレージロック音楽のリバイバルブームが世界的に2000年代に到来したことだろうか。最初にチャンスを呼び込んでみせたのは、ロンドン発の四人組ロックバンド、ザ・リバティーンズの「Up The Brancket」を引っさげての鮮烈なデビューだった。のちに、ジェフ・トラビスは、このバンドのドラック問題について辟易としていると発言しているが、少なくともガレージ・ロックといういくらかニッチなジャンルが再興したことについては、少なからず喜びを感じていたに違いない。この作品、そして、その後の、ラフ・トレードからのシングルリリースは、イギリス国内にとどまらずに、アメリカ、日本でも大ヒットし、商業的な面でも大成功を収めた。


それからも、ラフ・トレードの快進撃は続いた。その一年後、ニューヨークからリバティーンズと同じようなガレージロック色を打ち出したザ・ストロークスをラフ・トレードは発掘し、デビューアルバム「In This It」をリリースし、これまたたちまち世界的にロングセラーとなり、ストロークスはリバティーンズ以上の世界的なロックスターの座を短期間で手中におさめたのだった。 


その後、ガレージロックリバイバル旋風は、アメリカ、イギリスだけでなく、オーストラリア、スウェーデンへ広がり、再び、ラフ・トレードは、世界的な名門インディーレーベルとして見事に返り咲いた。


この後、ラフ・トレードは、比較的安定したリリース、レコード生産を行いながら今日まで息の長い経営を行っている。イギリス国外にも、レコードショップの系列店を持ち、ロックフェラーセンター内にあるラフ・トレードNYCを,そして、2016年には、”FIVEMAN ARMY”と提携し、日本にもラフ・トレードジャパンを発足させ、ストロークのギタリスト、アルバート・ハモンドJrの「Yours To Keep」をリリースし、堅調なセールスを記録する。もちろん、このレーベルは、その後にも魅力的なアーティストを見つけ出し、新人発掘という面で、レーベル発足当初と何ら変わらない慧眼ぶりを見せているのは、多くの熱烈な音楽ファンの知るところであるかと思う。

 

4.ラフ・トレードに貫流するDIY精神

 

インディーズレーベルの創始者、ジェフ・トラビスは、その初めに、人と人とをつなげるコミュニティーを形成するという明確な意図を持って、レコードショップ、レコード会社を何十年にもわたって成長させてきた人物である。のちに、ロックフェラーセンター内に自身の系列レコードショップを経営するようになる世界で最も成功したレコードショップオーナと称すことが出来る。

 

 

ROUGH TRADE NYC店舗内

 

 

あらためて、このことについて考えてみると、ザ・スミスの全カタログのライセンスの消滅という出来事は、ジェフ・トラビスにとって大きな痛手となったのは相違ないはず。それにつけても、もちろん、ベガースグループという資金面でのバックアップはあったことを充分に加味したとしても、トラビスという実業家はなぜこのレーベルを再建させることに成功し、以前よりもはるかに魅力的な世界的なインディーレーベルとして返り咲くことができたのか、ちょっと不思議に思えるようなところもなくはない。


その後、1990年代から2000年代にかけてのジェフ・トラビス氏の辛抱強い経営をささえていた概念、それは一体なんであったのだろうか。

 

文化的な貢献? それとも、もしくは、最初のコミュニティーを形成するという重要な動機? 

 

他にも、様々な要因が挙げられるはずである。もちろん、これらの概念は、トラビスという人物の辛抱強い経営を支えていたことは間違いないものと思われるけれども、推察するに、彼のこれまでの四十年近いレーベル経営を支えてきたのは、レコードショップのオーナとしてのプライド、そして、なにより、誰よりも深い、ロックをはじめとする音楽に対する慈しみ、愛情にも比する感情によるものだったのだ。


ここから引き出される結論があるとするなら、長く、何かを続けることに必要なものは、才能でも技術でもなく、情熱、人間としての深い慈愛がどれほど大きいのか、そして、どれだけ大きな夢を抱けるかに尽きるのかも知れない。


このことは、もちろん、言うまでもなく、現在もラフトレードの重要な精神として継承されている。

 

当初、独立系のレコードショップとして始まった独立精神、つまり、インディペンデント精神は、今日、このレーベルに所属するアーティストの音楽、そして、このレコードショップに引き継がれている理念、「The Cartel」と称されるインディーズ流通形式を確立させた際の伝統性「DIY」として、ラフトレードの長きにわたるレコード会社としての経営を今もなお強固に支えつづけている。

 

References

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Rough_Trade_Records


 

 

 

1.Brit Schoolはどのような教育機関なのか?

 
ブリット・スクールは、英国、クロイドン、ロンドン特別区に1991年に設立されたメディア系アーティストを専門に育成する教育機関。


この専門の教育機関(テクノロジー・オブ・カレッジ)には、現在、1350名ほどの14歳から19歳までの男女の生徒が学ぶ英国政府からの直接的な資金援助を受ける教育機関。ブリットスクールの専攻分野は、9つに分かれており、この機関では、ミュージック、演劇、ダンス、映像、アートワーク、プロデュース、マーケティング、ファッション、ゲーム、アプリ制作を専門に学ぶ事が出来ます。

 

フランス、パリにも、ピエール・ブーレーズが設立した「IRCAM」という音響学やデジタルデバイスで現代音楽の作曲を学ぶことが出来る国立の教育機関が存在します。(日本の音楽大学を卒業すれば、この機関への留学の資格が与えられる)しかし、イルカムは、大学に在学するような年代を中心としたクラシックの専門とした音楽教育が行われるのに対して、この英国のブリット・スクールは、14歳から19歳までの若い年頃、大学に通うまでの年代の有望な学生を英国各地から招き、その生徒たちを専門に育成し、各々の創造性を育み、ポップやロックといった大衆音楽のミュージシャン、ダンス、放送、アート、演劇、マーケティング、ITといった多岐に渡るメディア系分野で、プロとして活躍出来るような才能を養うための環境が整備されています。 

 

英国政府から資金面でのバックアップを受けているため、国立教育機関というふうに呼んでもいいかもしれませんが、学校内は風通しが非常に良く、他の分野を先行する生徒たちが自由に交流をし、おおらな気風が貫かれています。

 

そして、さらに面白い特徴を挙げるとなら、「五人目のビートルズ」と称される”ジョージ・マーティン卿”がデザインしたレコーディングスタジオ、また、あるいは、324人と500人の観客を収容出来る二つのオビー劇場、Youtubeが資金提供を行っている2019年設立の専用テレビスタジオや、また、これらの様々な分野を跨いで、生徒たちは何時間でも創作活動を心ゆくまで楽しむ事が出来るようです。

 

これは、すべての教育者がこの学校に在籍する全生徒の可能性を心から信じきり、そして、すべての生徒たちに大きな才能があると信じている前提で行われる教育なのです。ここでは、生徒達がプロフェッショナルなアーティストになる手助けとなる授業、アーティストとして活躍する社会人となるためのエデュケーションが施されているのです。 

 

さらに、このブリット・スクールという教育機関のひときわ心惹かれる特徴があるなら、この学校に通う生徒の学費が免除されていること。そして、イギリスで唯一、無償教育が行われている機関であって、また、英国政府の補助金を受けているだけでなく、ギブソン社、化粧品会社がこの学校と提携し、現物支給という形で、この教育機関に属する生徒に対し手厚い支援を行います。

 

ギターを演奏してみたいと思ったら、生徒たちには既にレスポールギターが用意されています。映像、舞台で特殊なメイクアップを行いたいと思えば、既に、化粧品が用意されています。その御蔭で、在校生たちは高価な楽器を新たに購入する必要がないのです。

 

ブリット・スクールは、1991年の設立当初から、英国きってのスターミュージシャンを数多く輩出しています。

 

多くの方が御存じのように、エイミー・ワインハウス、アデル、といった世界的シンガーソングライターをはじめ、ケイト・ナッシュ、リリー・アレン、ジェシー・J、またクークスといった世界的なミュージシャンを音楽シーンに続々と送り出していることから、ブリット・スクールの独特な教育制度は、比較的早い段階で大きな成功を見ているように思えます。 

 

2.ブリット・スクールの変革


 

さて、ブリット・スクールの創設者であるマークフェザーストーンウィッティ氏は、アラン・パーカーの映画「名声」1980に影響を受け、この「ブリットスクール」という教育機関設立の最初の計画を着手します。

 

つまり、音楽の分野でなくて、計画当初、舞台芸術を専門とする学校を設立しようという意図で、このシティー・テクノロジー・オブ・カレッジという地方教育と一定の距離を保つ都会的な中等教育機関は、先述したように、ロンドンの特別区、クロイドンに1991年に開設されました。

 

学校の設立者、マークフェザーストーンウィッティ氏は、School for Performing Arts Trust(SPA)という機関を通じて、学校開設のための資金調達の目策を始め、その後、英国レコード協会、複数の提携する企業からの協力、実際には資金援助を受け、このブリットスクールの運営、教育カリキュラムを1991年に開始。英国政府、英国レコード産業協会、私企業、それから、英国の著名なアーティストもこの教育機関に対して支援を行っています。

 

 


 

このブリット・スクールが教えるのは専門分野だけではありません。この中等教育機関では、人間として、どのように生きるべきなのかという教育にも重点が置かれています。1991年の設立当初から、他の教育機関には見られない独特な理念が貫かれています。

 

初代の「ナイト」の称号を与えられた校長の時代から、英国人としての「紳士性」の教育に焦点が絞られ、他人に対しての親切心を持つべきという考えがこの学校の重要な理念となっています。

 

なぜなら、例えば、人間として生きる上で、自然にしなければならないこと、他人に対して思いやりを持って接したり、苦しんでいる人を見てそれに手を差し伸べるような紳士性がなければ、いかなる分野、音楽、アート、放送、俳優、舞台芸術、ITにおいて、継続的に成功を収めることは難しいからです。

 

これらの分野のプロフェッショナルとして生きるためには、個人の才覚だけでなく、他者との関係を大切にしつつ、相携えて完成作品を生み出さねければならないのです。

 

そして、この人間性というのは、この中等教育機関に入学時の審査において、最重要視される点のようです。このブリット・スクールの門をくぐろうとする生徒には、実際の専攻しようとする専門分野において、技術的審査が行われますが、このスクールの入学試験において試験する側の教師が評価するのは、一つは、何らかの表現性を自分自身で自主的に心から楽しんでやっているかどうか。そして、また、二つ目は、最も入学試験を受ける際に重要視される点、その生徒の人間性、他人に対しての「親切心」があるどうか。これは、ブリット・スクールの欠かさざる理念と称するべき概念であり、英国人としての道徳のひとつ「紳士性」に教育の重点が置かれているのです。

 

それは先にも述べたように、学校側は、これらの入学する生徒に対し、卒業後、ゆくゆくはメディア分野でのプロフェッショナルな活躍を期待していることは相違有りませんが、こういった専門分野で、最も大切な人間としての姿勢、他者と和していくための協調性を、ブリット・スクールは重要な理念として掲げています。もちろん、それは、誰の協力もなしに、長期間にわたり専門的な分野で活躍することが困難だということを学校側は熟知しているからです。そこで、多くの専門性を高めるための環境は十分整えられており、その豪華さは世界を見ても随一といえ、さらに、実際、各々の専門分野における英才教育が十代という早い段階で行われますが、このブリット・スクールは他の学校と異なり「人間としてどうあるべきか」という教育が行われ、それを生徒たち自身の才能を通して社会性を学ぶことに大きな力が注がれているようです。 

 

3.ブリット・スクールの社会的役割とその問題点

 

 

もちろん、このブリット・スクールの特徴は、卒業後においても、社会的に通用するようなアーティストを育成することに重点を置いています。

 

それは、実際の専門分野だけではなく、数学や歴史といった一般教養も学んだ上で、上記のように、社会的な問題についても学ぶ時間が用意されています、つまり、ただ単にアート活動での技術がすぐれた生徒を輩出するだけではなく、何らかの提言を芸術という表現方法を介して行うことの出来る生徒を積極的に育成しているのがブリット・スクールの教育の基本です。

 

また、専門分野で英才教育が施されるからといって、生徒同士は、それほどギスギスしたライバル関係にあるのではなく、気の合う友人のような形で付き合いを重ね、他分野を専攻する生徒とも関係性を持つのが自然であるようです。そのため、学校の卒業後、その生徒が一躍有名になっても、他の分野を専攻する卒業生とも関係性が保たれている場合が多いようです。

 

一例を挙げると、エイミー・ワインハウスは、デビューして間もない頃のアルバム作品で、同級生が手掛けるアルバムアート制作を依頼しています。つまり、在学中の他分野を跨いでのコラボレーションというのが当たり前であり、在学中にそれらの他分野の生徒と深い関係性を持つことにより、卒業後にも、気兼ねなくコラボレーションを持ちかけたりすることが出来るという利点があるようです。

 

もちろん、ここまで、ブリット・スクールの美点ばかりをずらりと並べて来ましたが、あまり一方の側面ばかりから物事を捉えることはフェアとはいえません。この学校制度を手放しで称賛することは出来ない部分もあるようです。もちろん、この学校で行われている教育については賛同の声も上がっていますが、この学校の制度、一般社会との関係性、音楽業界との距離について懐疑的な意見もあって、ブリット・スクール出身のアーティストは、不当に音楽業界で優遇されているという意見も挙がっています。この辺りは、イギリスのグラミー賞に当たる”ブリット・アワード”を主催している企業が、他でもない、スポンサーとして提携する英国レコード産業協会であるため、ブリット・スクールと英国レコード産業協会との距離が近すぎるのではという指摘が出てきているようです。つまり、ブリット・アワードを与える際に、不当な高評価が与えられているのではないだろうか、という指摘が挙がっているようなのです。 

 

こういった音楽の賞にまつわる話は、実は、昔から古典音楽でもありまして、古くは、ショパンコンクールの審査員をしていたアルフレッド・コルトーがディヌ・リパッティというピアニストが他の審査員から不当な低い評価を受けた際、なぜゆえ、この人の演奏が評価されないのかと激怒し、即、審査員を降りてしまったという音楽史の事件がありました。また、今ではフランスで最も有名な作曲家のひとり、モーリス・ラヴェルも、若い頃、フランス国内の作曲賞で無冠の帝王として有名であり、長いあいだ冷ややかな裁断を下されていました。

 

もちろん、両者とも既に歴史的な演奏家、作曲家となっているのは明らかであるため、こういった逆説的な事例を挙げたわけですが、そもそも、常になんらかのフィルターを通して与えられるのが賞というものなのか、そこまで断定づけるのは難しいですけれども、現代の音楽シーンにおいても、そういった何らかの賞にまつわる評価に懐疑的な意見がそれとなく聞こえて来るのは、綺麗事ばかりで解決できない根深い問題が音楽業界内に蔓延している雰囲気もあるようです。これは、もちろん、それは海外にいる人間からはとても見えづらい内在的課題でもあります。

 

この学校とのレコード産業の関係性について考えてみますと、商業的な大成功や賞にまつわる何か因縁や怨念のようなものがうずまき、それらがエイミー・ワインハウスという世界的スターの背後にまとわりつき、彼女の悲しい破滅的悲劇をもたらしたという見方もできなくないかもしれません。実際、エイミー・ワインハウスと言う人物は、このブリット・スクール在学中にはさほど目立たない、気の良い学生であったようで、目のくらむような巨大な産業や商業、人々の興味、それに纏わるゴシップという得難いものに飲み込まれてしまった人物なのです。 

 

そういった側面から考えてみれば、エイミー・ワインハウス、というシンガーソングライターも、もし普通の一般的なスクールに通っていれば、他の分野への寄り道もできたかもしれず、そもそもこのブリットスクールでの英才教育自体が、彼女の生涯に暗い影を落としている部分もないわけではないわけです。非凡な才能が与えられたため、社会との折り合いをつけるという面で大変苦労するという場合は、かつてのロシア芸術界きっての天才バレエダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーの狂気にとりつかれた事例もありますし、必ずしも、この学校の教育だけで生が理解しきれるものではないことを、エイミー・ワインハウスの生涯は私達に教唆してくれているようです。

 

しかし、もちろん、こういった難点もありながら、さらに音楽業界の根深い問題を見通した上でも、このブリット・スクールからは、近年、魅力的で個性派のアーティストが数多く出てきているのは事実でしょう。

 

例えば、ブラック・ミディというアーティストについては、まさに、この学校らしい人種の融和という概念を引き継いでおり、白人と黒人が一緒になって心底から楽しそうに演奏している例などを見ても、近年では、ワインハウスのような悲劇的事例を出さないように、のびのびとした専門分野の中等教育が率先して行われている雰囲気が伺えます。

 

特に、このブリット・スクール出身の生徒が、個性的な芸術的な才覚、ほとばしるような表現性を携え、華々しく登場する場合が多い。

 

それは、音楽、映画、舞台、または他のメディア分野に関わらない普遍的な事実といえるのかもしれません。そのあたりは、この中等教育機関、ブリット・スクールでの教えが大いに生かされているようです。

 


近年注目のブリットスクール出身アーティスト

 

 

ブリット・スクール出身のアーティストには音楽的な特徴があって、幅広い音楽性を内面の奥深くに吸収し、なおかつ、若い年代から、日々、膨大な作曲の演奏での研鑽を他の生徒たちと積んでいるため、デビュー時から洗練された熟練のプロ顔負けのサウンドを完成させている場合が多いです。 

 

また、近年のブリット・スクール出身アーティストには、音楽性での独特な共通点があり、どことなく、ブラックミュージックの影響を感じさせ、その先にあるネオソウルというジャンルに該当する場合が多い。

 

これは、クラブ・ミュージックが盛んなロンドンという都市で、若い時代に、音楽文化と密接に関わりを持って来たこと。

 

それからまた、もうひとつ、この学校の最初のビックスター、エイミー・ワインハウス(エタ・ジェイムスやエラ・フィッツジェラルドの音楽が彼女の音楽的な天才性を目覚めさせた)の影響が、この学校の出身者の生み出す音楽には色濃く残されているように思えます。つまり、この二つは、ブリット・スクールに引き継がれている伝統性です。

 

それでは、エイミー・ワインハウス、ケイト・ブッシュ、ジェシーK、ザ・クークス等、上記に挙げたミュージシャンの他、近年最注目のブリットスクール出身アーティストについて簡単に御紹介しておきたいと思います。

 

 

King Krule

 


 

サウスロンドンを拠点に活動するキング・クルールは現在、最もブリットスクール出身者のミュージシャンの中でも際立った存在感を持つアーティスト。

 

アーティスト名は、エルヴィス・プレスリーの映画「キング・クレオール」に因む。キングクルールの生み出す音楽ジャンルは、フュージョン、ポスト・パンク、ヒップホップ、ソウルと、幅広い呼称が与えられています。

 

これは、若い多感な年代から非常に様々な音楽を吸収した上で、実際に、ブリットスクールでセッションを重ねたことにより、キングクルールは二十代後半のアーティストでありながら、完成度の高い洗練された作品を生み出してきています。また、彼の音楽性は、近年の他のこの学校出身の音楽家に色濃い影響を及ぼしていて、つまりサウスロンドンの音楽シーンの中心的な存在といえそうです。

 

このアーティストのバックボーンとしては、プレスリー、ジーン・ヴィンセント、フェラ・クティ、アズテック・カメラといった往年の多岐にわたるジャンルのアーティスト、そして、とりわけ、ピクシーズやリバティーンズに強い憧憬を抱くミュージシャンであり、独特な、クルール節ともいえるような捻りの効いたインディーポップ/ロック音楽を生み出している。もちろん、その中には、サウスロンドンのクラブシーンの影響も少なからず滲んでいます。キング・クルールの音楽性については、ザ・スミスのモリッシー、エドウィン・コリンズ、といったアーティストが称賛しています。 

 


Cosmo Pyke

 


 

サウスイーストロンドン、ペッカム出身のアーティスト、コスモ・パイクもキング・クルールと並んでロンドンのインディーシーンで、大きな話題を呼んでいるミュージシャンの一人です。 


彼は、ジョニー・ミッチェル、ジミ・ヘンドリックス、ボブ・マーリー、マイケル・ジャクソンといった著名な黒人アーティスト、そして、ビートルズ等のアーティストの音楽に影響を受けている。

 

コスモ・パイクは、ブリットスクールを卒業した後、2017年にEP「Just Cosmo」でデビューを飾り、またセカンドEP「A Piper for Janet」を2021年にリリース。その他にも、シングル作を、ポップス、ヒップホップ、ジャズ・フュージョン、レゲエ等といった多岐にわたる音楽性を取り入れ、それを見事にコスモ・パイク自身にしか生み出せない独特の音楽性として完成させています。

 

特に、他のブリットスクールのアーティストと異なるのは、独特なラップにも比するグルーブ感が紡がれ、それがレゲエ寄りのメロディ性と融合を果たしている点。一つの楽曲の中に、複数の音楽ジャンルがせめぎ合っており、レゲエであるかと思うと、いきなりヒップホップになったり、また、なんの前触れもなしにポップスになったり、と、くるくる楽曲の表情が七変化するあたりは面白い。密林等に住む昆虫の保護色にも喩えられるカラフルな音楽性を特徴としています。また、どことなくマッドチェスターシーンのポップ性にも影響を受けているように思えます。

 

イギリスのザ・ガーディアンは、コスモパイクの音楽について、「フュージョン・ジャズ、2Tone、ザ・クリエイターとクークスの音楽の融合」と説明。しかしながら、このザ・ガーディアンの評価に対して、張本人のコスモパイク自身は、少しユニークな訂正を付け加えており、「ソウル、ジャズ、レゲエ、ヒップホップをかけ合わせている。宇宙的でありながらのんびりとした音楽だ」と彼自身の音楽について語っています。とにかく、特異なセンスの持ち主であることは確か、音楽の作曲、また演奏面でも、のびのびと様々なジャンルを自由自在に往来する辺りは、凄まじい才覚を感じさせる。一刻も早い最初のスタジオアルバムの完成が望まれるところです。

 

 

Jamie Isaac


ジェイミー・アイザックは、イギリス、ロンドン、クロイドン出身のアーティスト。彼の音楽はオルタナティヴ、アンビエント、フォーク、ジャズと、様々なカテゴライズがなされており、他のブリットスクール出身の音楽家と同じように、多岐に渡る音楽性を内包しています。

 

ブリットスクール在学中から、キング・クルールと仲良くしていたようです。音楽制作に留まらず、フィルム制作、WEBスクリプト制作、と、幾つかの分野の領域に跨いで活躍する多才なマルチタレントです。

 

ブリットスクール卒業後、2013年、シングル盤「I Will Be Cold Soon」でデビュー、翌年には「Blue Break」をリリース。特に、デビューシングルは秀作であり、ジャズ・ピアノと独特な孤独感のあるポップスを展開している。また、翌年にリリースされた二作目のEP「Blue Break」は、マンチェスターの”The Guardian”誌の特集コーナー「New Music」の一貫として取り上げられ、当該記事を手掛けたマイケル・クラッグ氏によって手放しの大絶賛を受けています。特に、この二作目のEP「Blue Break」は、クラブミュージック(IDM)とアンビエントを融合したようなこれまでにはなかった清新な作風で、イギリスのミュージックシーンに大きな衝撃を与えました。

 

ジェイミー・アイザックは、ジャズ・ピアニストの音楽に深い感銘を受けており、デイヴ・ブルーベック、ビル・エバンス、テディ・ウィルソンといった名ジャズピアニストから、古典音楽の不フレドリック・ショパン、はては、ビーチ・ボーイズを、重要な音楽的背景として挙げています。 


特に、上記のアーティストと比べ、ジャズ音楽からの伝統性を深く受け継いでおり、それを現代的なロンドンのクラブ音楽として完成させた作風。特にピアノ曲としての電子音楽に焦点を当てているように思えます。

 

もちろん、ジャズやクラシックといった古典的な音楽の影響も少なくないという点では、ドイツやイギリスのポストクラシカル勢のアーティストとも近い特徴を持ちますが、ジェイミー・アイザックは、いかにもロンドン生まれ、ロンドン育ちらしい都会的に洗練された雰囲気を持ち、ポピュラー音楽、ヒップホップ、そして、クラブ・ミュージックに焦点を当てているような雰囲気が伺えます。

 

ジェイミー・アイザックの音楽性には、ロンドン特別区、クロイドンの独特な都会の夜の質感を持ち、アダルティなカッコよさがありつつ、爽快感と清涼感のある突き抜けた感じがほんのり漂っています。すでに、盟友、キングクルールとともにロンドンのインディーズシーンでは知らないファンはいない、ブリットスクールの代名詞、この教育機関の最高の生え抜きのミュージシャンのひとりです。

 

 

Rex Orange County

 


 

最後に、ブリット・スクール出身のアーティストとして御紹介させていただくのは、結構前からイギリスの音楽シーンを賑わいづけていたレックス・オレンジ・カウンティ。このソロプロジェクト名”ROC"を掲げて活動するアレクサンダー・オコナーは、英、ハンプシャー出身のミュージシャン。 

 

ブリットスクールに入学する以前にも、五歳の頃から母親が勤務していた学校の聖歌隊に所属し、幼少期から音楽の英才教育を受けています。それから、クラシックピアノを学んだ後、十六歳のときにギターを始め、Apple社の提供する音楽制作ソフトウェア”Logic Studio”で楽曲制作を開始。それから、16歳時にブリット・スクールに通いはじめ、ドラム、パーカッションを専攻する。

 

レックス・オレンジ・カウンティの音楽的な背景にあるのは、他のブリットスクール出身アーティストと同じようにユニークさで、ABBA,スティーヴィー・ワンダー、ウィーザー、グリーン・デイといった、錚々たるメンツが影響を受けたアーティストとして並んでいます。ディスコサウンド、R&B,ソウル/ゴスペルから、オルタナティヴ・ロック、ヒップホップ、そして、カルフォルニアのメロディック・パンクに至るまで、総てのポピュラー音楽を聴き込んでいるアーティスト。 

 

イギリス出身にも関わらず、「Orange County」をプロジェクト名に冠するのは、米、カルフォルニアの音楽文化に大いなるリスペクトを持ってのことでしょう。もちろん、音楽的な素養は、最初の聖歌隊とピアノの学習にあるといえますが、その後、自分の好奇心により、どんどんと音楽に対する興味を広げ、楽曲制作、ピアノ、キーボード、ギター、ドラム、とロックバンド形式の演奏を総て一人でこなしてしまうというマルチタレント性の強い天才ミュージシャンです。

 

レックス・オレンジ・カウンティの楽曲は、上記のABBAやスティーヴィー・ワンダーの音楽のように誰にでも理解しやすく、一般的なリスナーにも広く扉が開かれており、爽やかな質感に彩られた音楽性なので、どの年代でも安心して聴くことが出来るはず。おそらくBTSが好きな若いファンにもお勧めしたいアーティスト。レックス・オレンジ・カウンティの音楽というのは明るさがあって、他のブリットスクールのアーティストに比べると、ポピュラー性が高いように思われます。

 

2018年には大阪、舞洲で開催されたサマーソニック、そして、千葉、幕張のサマーソニック公演で来日を果たしているので日本でもそれなりの知名度を持つアーティスト。イギリス国内だけではなく、世界的な知名度を持つポピュラーミュージックの領域で活躍するブリット・スクールの代表的アーティストです。




References:


Wikipedia BRIT School

 

https://en.wikipedia.org/wiki/BRIT_School


WIRED やさしさのクリエイティヴ UK発 アデルを育てた学校で彼等が学ぶ

こと

https://wired.jp/special/2017/brit-school/


 平成時代を華やかに彩った日本の音楽ムーブメント 渋谷系
 
 
1.渋谷のカルチャーと海外のカルチャーの比較


 

十数年前、一時期、海外の音楽視聴サイト、特に、AudioLeafで他の多種多様の海外の音楽ジャンルに紛れ込んで、見慣れたジャンルが海外のリスナーの間で微妙に盛り上がりを見せていて驚いたことがありました。

 

 

「Shibuya-Kei」という英語で銘打たれた音楽ジャンルが、AMBIENTやEDMといったその頃一番話題を集めていたジャンルに、日本のちょい昔の音楽ジャンルが混ざり込んでいた。調べてみると、サブカルチャー的ではあるものの、一定数の海外リスナーがこのジャンルに興味を抱いていたのです。

 

 

かなり、コアな海外の音楽ファンがこの日本のシブヤ系アーティストに関心を抱いている雰囲気がありました。ちょっと昔には、ヨーロッパなどでkaroushiといった経済用語が一般的な言葉として認知されてしまった日本ですが、こういった既に日本人がすっかり忘れてしまったようなサブカテゴリーに属する音楽ジャンルが海外でひそかな人気を呼んでいることに、少なからずの驚きをおぼえた次第です。海外のリスナーというのは、そもそも、良い音楽を追い求めていて、時代性というべきか、それが何年の音楽だとか、そういうことは、それほど頓着しないように思えます。 

 

 たとえ、十年前、二十年前、いや、五十年前の音楽であろうとも良いものは良いと認める潔さがある。日々接する音楽に対して恬淡な評価を下すのが、海外のリスナーであるのだと思う。加えて、一般的にヘヴィなロックコンサートは若者が参加するのが相場というのが日本の考え方であるように思える一方、アメリカにおいては、ロックコンサートに参加するのは十代の若者からお年寄りまで幅広い年代がロックコンサートを楽しむ。

 

 アメリカでは、御年配の方が、若い音楽を楽しむことを若者たちも自然のことだと考えているらしい。だから、若者からお年寄りまでみな等しく若い音楽を心から楽しんでいる。そもそも音楽に、年齢という概念を持ち込まないというのが海外のリスナーの常識のようです。そんなものだから、幅広い年代が若い年代の旬のアーティストを積極的に聴いていたりする。それを、たとえばいい年をしてロックなんか聴いて!とか思ったり、全然恥ずかしいとかそういう概念はまったくないらしいんです。これは、そもそも、ロックというジャンルが文化に深く根付いているから、年代を問わず、幅広い楽しみがあたりまえのように根付いているらしいのです。 

 



2.日本特有の音楽性

 

 

さて、ここ最近、昔の日本の一ジャンル、シティポップが海外の一部の愛好家の間で親しまれていたのは既に多くの方がご承知と思います。往年の、山下達郎、竹内まりあといった日本歌謡界を長年率いてきたアーティストたちの音楽がすぐれていて、普遍的に、こころの琴線に触れるものがあるからこそ時代を越え、熱心な海外の音楽ファンがこのジャンルに見目好い評価を下した。そして、海外のファンが日本の音楽に評価を下す際、重要視しているもの、それは今、現在において海外の音楽としての完成度ではなくて、日本らしい独特な雰囲気が漂っているかどうかに尽きるように思える。 

 

日本にずっと住んでいると、日本語の美しさには気が付かないが、たとえば想像してみていただきたいのは、もし十年海外で生活をして日本に戻ってきたときにふと日本語の発音を聴いたら、どのような感慨をおぼえるでしょうか? もし、トルコで宗教的理由で豚肉が食べれない生活を何年間か続けて、数年ぶりに帰国し、吉野家や松屋を見かけたときにどのような感慨をおぼえるでしょうか? 


そこに、異様なほどの親しみやすさ、ノスタルジーを思い浮かべざるをえなくなるはずです。この相違点というのは音楽についても全く同じことがいえ、内側から日本の音楽を眺めていると見えづらい日本の文化的美質が存在している。それは実はそこに常に存在しているが、私達はそれをすっかり見落としているような気がする。それをときに、海外の人々から「コレだよ!」と教えられてしまう場合もある。二十世紀初頭から西洋文化を真綿のように吸収してきた日本文化ではあるが、日本らしい概念、日本しか存在しえないものが今でも私達の文化の中にあるはずなのです。

 

殊、音楽という分野について限定して考えてみると、昨今においても折坂悠太、ミツメ、トクマルシューゴ、Tricotをはじめ海外の音楽として通用するようなすぐれたアーティストは多数いるものの、海外のファンが求めるような音楽と、日本のファンが求める音楽は、そもそも土台において全然異なるように思えます。一体、何が異なるのか、何が求められるのか、必ずしも海外に迎合する必要はないはず。これはちょっとした意識のずれとして、文化の相違として見ると、興味深い点があるように思えます。例えば、それは、ボアダムスや電気グループだとか、意外に思えるような日本で知られていないアーティストが海外で話題になっているのを見てもその傾向は顕著。そしてこれは、そもそも音楽がどの程度、生活の文化として深く根ざしているのか、人々が音楽というのをどういった分野として捉えているのかで大きな差が出るように思えます。

 

もちろん、その考え方というのも、日本人だからこうとか、海外の人がこうとか一概に決めつけるべきでなく、考え方というのもそれぞれの人で異なるはず。

 

しかし、どうも、日本人と西洋人の音楽についての捉え方は、似ているようで異なる部分も少なくない様子。一見、双方ともに音楽を体で感じて、耳で聴いて楽しむ、という点については、全く同じであるように思えるのに。しかし、私が考える、あるいは述べたいのは、その両者の嗜好性、価値観の違いは表面的に顕現しているのではなく、文化性といった根深い意識の最も深い部分、概念的に浸透しているものにおける相違点がひとつかふたつ存在しているということです。

 

これは、ちょっと今、現在では説明し難いので後にとっておきたい疑問点です。お分かりの通り、音楽という古代ギリシアで重要な分野として文化のいち形態を築き上げてきた分野にとどまらず、他の表現媒体、映画、写真、演劇、文学という分野に押し広げて適用できるような考え方と言えるでしょう。

 

 

  

3.平成時代のシブヤ系の音楽性について

 

 

そして、独断と偏見をまじえた上で述べるなら、もし、このシティポップの次に、好い評価を受ける可能性がある日本のジャンルを挙げるとすれば、間違いなくシブヤ系ではないだろうかと個人的には考えています。 少しばかり懐古主義的な言い方になってしまうけれども、元々、平成時代というのは、日本の経済の活発さがあった。

 

好景気の後押しを受け、レコード産業も発展、多くの粋の良い若手アーティストが無数に出てきた時代。特に、この時代において、渋谷の109やHMVというのはかなり名物的な場所、たまごっち、ギャルや音楽といった若者たちが発信する文化が発生し、それが結びついて発展していった。

 

平成時代の日本の音楽をざっと概観してみると、言語という側面でも面白い特徴があり、J-popという他の歌詞だけは日本語でうたわれ、サビだけが英語という独特なスタイルの立役者は間違いなく、小室ファミリーと称されるアーティスト。

 

次いで、浜崎あゆみや沖縄のスピード、そして、その一連の流れを、最後に決定づけたのが宇多田ヒカル。その流れの中で、19やゆずのような街での弾き語りとして活動していたアーティストのフォークが注目を浴びたこともあった。ビギンのように、これまで脚光を浴びてこなかった沖縄の民謡音楽の影響を受けたポップス、あるいは、沖縄出身のアーティストが数多くシーンに台頭してきたのも興味深い特徴だったと思えます。

 

この平成時代の音楽で最も際立った特徴は、渋谷という平成時代の若者文化の発信地を中心として盛り上ったこの「Shibuya-Kei」というジャンルには、他の海外の音楽には全くない日本独特の要素が感じられます。シティ・ポップと同様に、聞きやすく親しみやすく、どことなく都会的な雰囲気が滲む音楽性。

 

それは都会、特に、平成時代のシブヤという土地の雰囲気を見事に音楽で表現してみせたといえるかもしれない。この時代の渋谷の音楽を憧れを抱いた方も少ないないはず。つまり、この音楽にはどことなく漠然としながらも当時の若者たちよ夢という概念が漂っているように思える。

 

少なくとも、ここ、何十年の世界的なシーンを見渡したとき、このシブヤ系というジャンルのような音楽を他の国や地域に探すのはむつかしい。それほど小沢健二やコーネリアス、カヒミ・カリイを初め、シルヴィ・バルタンをはじめとするフレンチ・ポップに近い独特でお洒落なトウキョウサウンドが流行していた。

 

109や道玄坂、スペイン坂、特に、竹下通りといった場所を中心に発展していった独自のシブヤ文化には、今、考えてみても世界的にも特異な文化といえ、とにかく、元気があり、活気があり、おしゃれな若者らしい雰囲気に包まれている音楽が多く発見出来る。若者が悟りを開く前の日本の音楽の物語。そして、メロディーの良さだけではなく、雰囲気というのに重きが置かれていたように思えます。

 

音楽性としては、平成ポップスと、その時代に流行しはじめていた電子音楽との融合を図ったもの、ジャズラウンジ、ボサノヴァ、ネオアコ、ドリームポップ、また、往年の日本歌謡としてのフォークを都会的に捉え直したもの、と広範なジャンルに及んでいた。

 

今、時代的なフィルターを度外視して聴き直すと、やはり独特な雰囲気が滲んでいる素晴らしい音楽といえます。普遍性を持ち、時代を問わない音楽のように感じられます。 今回、あらためて、このシブヤ系サウンドの魅力的なアーティストと名盤にスポットライトを当ててみたいと思います。

 

懐かしくもあり、新しくもあるシブヤ系サウンドの再発見の手助けとなれば無常の喜びです。これらのサウンドにはいかにも東京、渋谷のオシャレさが感じられ、楽しみに溢れています。ここに日本としての文化性の魅力がたくさん見つかるでしょう。是非、魅力を探してみて下さい!! 

 

 

  

シブヤ系の名盤

 
1.Pizzicato Five 


ピチカート・ファイブは、小西康陽を中心としてされたロックバンド。この渋谷系ジャンルの先駆的な存在といってもいいのではないでしょうか。
 
 
意外と平成時代のバンドのイメージがありますが、結成は1984年と古く、しかも細野晴臣のプロディース作「オードリーヘップバーン・コンプレックス」でデビューしている辺りもレコード会社の期待の大きさが伺えます。
 
 
特に、このバンドはファッションにしても、音楽性にしても、のちの渋谷系にとどまらず、J-Popシーンに多大な影響を及ぼしたのではないでしょうか。特に、リアルタイムでどの程度、このロックバンドの影響力があったのかは寡聞にしてしらないものの、彼等のファッションについても竹下通りあたりのファッション性に与えた影響も大きそうです。
 
 
実際の音楽性についても、広範なジャンルを吸収、その上で日本語ポップスの口当たりの良さというのを追求したような印象です。


ジャズ、ラウンジ、 ボサノヴァ、フレンチポップ、チェンバーポップと、おしゃれな音楽性を内包した上で、日本語ポップスとして絶妙に昇華している。それほど肩肘をはらず、適度にリラックスして聴けるという面で、ドライブ曲としても最適と思えます。(もちろんカローラ2という車のCM曲もありました)
 
 
やはり、ピチカート・ファイヴはシティ・ポップの系譜にあるような音楽、日本歌謡曲からの影響も伺えます。野宮真貴さんのヴォーカルというのは、爽やかで、清々しさ、心温まるような雰囲気があり、耳障りがとても良い。そして、かなり歌い分けというか、曲によってヴォーカルスタイルを七変化させている。優しいバラード風の歌い方があるかと思うと、クールでセクシーな感じもあり。
 
 
歌詞には、ちょっとした日常の恋愛のロマンチシズムが夢見がちにさらりと歌いこまれているあたりがいかにも都会的な雰囲気が漂っています。そして、小西康陽さんのギターのフレーズというのもセンス抜群。
 
 
とくに、ワウを効かせた玄人らしい弾きっぷりというのが素晴らしい。楽曲の雰囲気を壊さずに適度に駆け引きをする素晴らしいギタリスト。非常に歌と楽曲というのが大切に紡がれているように思えます。また、リズム隊としてのベース、ドラムの演奏もほとんど無駄のないシンプルさでありながら、ロマンチックな雰囲気を引き出しています。 
 
 
 
 

 「THE BAND OF 20TH CENTURY:NIPPON Columbia Years 1991-2001」2019


 
 
 
 
ピチカート・ファイブのオリジナル盤としての名盤は数多あると思われるものの、やはり、このベスト盤「THE BAND OF 20TH CENTURY:NIPPON Columbia Years 1991-2001」が、ピチカートファイブの名曲を網羅しているので、渋谷系の入門編として最適といえるのではないでしょうか?
 
 
どちらかと言えば、後追い世代であるため、あんまり偉そうなことは言えませんが、あらためて、このバンドは日本語ロック/ポップスの最高の見本を示してみせたとても偉大なグループであるように感じます。
 
 
特に、このアルバムに収録されている「子供たちの子供たちの子供たちへ」は日本ポップスの最良のバラード曲と言って良いかもしれません。歌詞についても、簡単な日本語で書かれているのに、詩的であり、切なく、やさしく、また、少し絵本のようなうるわしい教えが込められた素敵な楽曲です。 
 
 
 
 
 2.Flippers Guitar 
 

所謂、渋谷系の最も有名なミュージシャンの二人、そして、J−POPアーティストとしても伝説的な存在、小沢健二と小山田圭吾によって 1987年に結成されたフリッパーズ・ギター。結成当初はロリポップ・ソニックとして活動。
 

その後、フリッパーズ・ギターに改名。渋谷系の音楽性の礎をピチカート・ファイヴと共に築き上げた存在。四年という短い活動期間ながら、大きな影響をJ−POPシーンに及ぼしました。その後、二人はソロアーティストとして有名になっていくわけですが、フリッパーズ・ギターはこの二人のアーティストの音楽のキャリアの始まりでした。 
 

楽曲自体は、ラウンジの雰囲気が漂っている辺りは、ピチカート・ファイブに近いものを思わせますが、このフリッパーズ・ギターの方は、いわゆるイギリスのラフ・トレードに所属していたアーティスト、もしくはスコットランドのネオアコ/ギター・ポップの影響も色濃く感じられると言う面で、サニーデイ・サービスの音楽にも近い雰囲気を持っています。特に、JーPOPシーンにおいて、最良のポップメイカーの二人が在籍したというだけでも伝説的なバンドとして語り継がれるべきでしょう。
 
 
フリッパーズ・ギターは、この二人が交互に作曲をし、メインボーカルは小山田圭吾、そして、コーラスがオザケンというのが基本的な演奏スタイルでした。そして、作曲が二人の手でバランスよく行われているのが功を奏し、オリジナルアルバムは、バラエティーに富んだ作品となっています。 
 
 

「Singles」1992

 

 

 

フリッパーズ・ギターはオリジナル・アルバムもいいですが、やはり改めて聴き直すとしたら四年の活動においてのシングル盤を集めた「Singles」が渋谷系の入門編として最適。なんと言っても、このバンドの代名詞とも言える楽曲は、「恋とマシンガン」ーYou Alive In Love−に尽きるでしょう。
 
 
この平成時代の日本のCMでガンガンかかっていた楽曲なので、懐かしむ方も多くいらっしゃるはずです。小山田圭吾のヴォーカルと言うのも、前のめりで、初々しさがあり、純粋な雰囲気が感じられ、少し、なんとなく甘酸っぱいような雰囲気が漂っています。音楽性の完成度といえば、のちの小沢健二、コーネリアスにかなうべくもありませんが、ここには音楽の純粋な響き、平成時代の幸福で温かな空気感が、二人の若々しい秀逸なアーティストにより刻印されています。 
 


3.Towa Tei(テイ・トウワ)
 

その後、日本のシーンを離れ、ニューヨークに移住することになる、テイ・トウワ。最初期からテクノという電子音楽の分野では異質な才覚を放っていたアーティスト。既に、日本のアーティストというよりかは、ニューヨークのアーティストという印象もある。後に、YMOの高橋幸宏の主導するMETAFIVEで小山田圭吾とともに活動をするようになるなんて、誰が予想したでしょう。
 
 
しかし、このアーティストの切れ切れの才覚、ほとばしるセンスというのは既にデビュー当時から型破り、さらにそこにスタイリッシュさがあるとなれば、渋谷系との共通点も少なからず見いださせるように思えます。


テクノカット、そして縁の広い眼鏡というのもファッション性において抜群のミュージシャン。もちろん、一般的な渋谷系の音楽でないものの、電子音楽の分野でのオシャレさという面で、一連のシーンに位置づけられてもおかしくはないアーティストでしょう。  
 
 
 

 「Future Listening!」1994

 
 
 
 
 

テイ・トウワの名盤としては、二作目の「Sound Museum」もしくは、テクノの名盤んとしても有名な三作目「Last Century Modern」も捨てがたいところですが、渋谷系アーティストとしての名盤はデビュー作「Future Listening!」が最適と思われます。ここでは、のちの彼の代名詞となるテクノというよりも、コアなクラブミュージック寄りのアプローチが計られており、幅広い音楽性が感じられます。 
 
 
ファンク寄りのブレイクビーツ、クラフトヴェルクのようなテクノ、また、ボサノヴァのリズム、メロディ性からの影響も感じられ、小野リサの音楽性に近いような雰囲気も漂っている。

電子音楽としてもデビューアルバムと思えないほどのクオリティーの高さ;どことなく洋楽寄りのアプローチを日本人アーティストとして追求したという感あり。このなんとも言えない都会的に洗練された響き、シブヤの夜の街の雰囲気が滲んでいるのが、テイ・トウワのデビューアルバムの魅力です。日本のアーティストとして、音楽性の凄さを再確認しておきたいアーティストのひとり。
 


 
4.カヒミ・カリイ
 

多分、カヒミ・カリイを最初、外国人のアーティストであると思っていたのは、何も私だけではないはず。
 
もちろん、若松監督の映画作品を担当するガスター・デル・ソルのジム・オルークと共同制作を後に行ったり、また、ニューヨークのインディーシーンのカリスマ、アート・リンゼイとの音楽的な関係も見いだされるという面で、後のアメリカ、シカゴやニューヨーク界隈のアーティストとも関連付けられるカヒミ・カリイ。既に世界的なインディーミュージシャンです。
 

しかし、間違いなく平成時代までは、カヒミ・カリイは日本のアーティストだったわけで、特に、「ハミングがきこえる」という楽曲をご存知の方は少なくないはず、きっと聴けばあの曲かとうなずいてもらえるだろうと思います。この曲は、なんといっても、作詞、さくらももこ、作曲、小山田圭吾、と非常に豪華なライナップ。ちびまる子ちゃんのオープニングテーマでもあった楽曲。子供のとき、週末の夜にこの曲を聴いていた思い出のある方も少なくはないはずです。
 
 
特にカヒミ・カリイというアーティストの声質は独特で、ハスキーで漏れ出るような雰囲気が魅力。


また、カヒミ・カリイの楽曲は、セルジュ・ゲンスブールがプロデュースを手掛けたフレンチ・ポップアーティストにも親和性が高く、いかにもおしゃれな感じで、洗練されたような雰囲気を持つのが特徴です。これはいまだ他のJPOPシーンを見渡しても、同じような存在が見当たらないと思えます。フレンチポップの質感を日本語の語感で体現してみせたアーティストといえそう。 
 
 
 

「Le Roi Soleil」EP 1996

 
 
 
 
 

カヒミ・カリイの名盤は、「ハミングがきこえる」を収録したEP「 Le Roi Soleil」を推薦しておきます。
 
 
フレンチポップに対するリスペクトを感じますが、音楽性としては、ネオアコ/ギター・ポップ寄りの作品です。また、スコットランドのザ・ヴァセリンズのカバー「Son Of A Gun」が収録されているのも、通を唸らせるはず。
 
この曲は、ニルヴァーナのカバーバージョンとしてもかなり有名なんですが、このカヒミ・カリイのカバーも結構良い味を出しているように気がします。


 
5.サニーデイ・サービス

 

日本インディーシーンで、相当な影響力を誇って来たサニーデイ・サービス。インディーアーティストではありながら、平成時代ではオリコンチャートで上位に食い込んでいた思い出があるので、どちらかと言えば、メジャーからのリリースでデビューを飾ってはいるものの、曽我部恵一は生粋のインディーロックアーティスト、 この渋谷系というジャンルの発信地の一つタワーレコードとも関係の深いミュージシャンです。というか、この人こそ、日本の近年のインディーズシーン、そして、レコードショップ文化を担って来た音楽家というように言っておきましょう。 
 

1990年代終わりに、渋谷系というジャンルが衰退していった後も、この渋谷系のジャンルを掲げ、長く活動を続けてきた信頼のあるアーティスト。
 
2017年のスタジオアルバム「Popcorn Ballads」、2020年の「いいね!」は、完全に渋谷系を現代に見事に復活させてみせた快作として挙げられます。
 
 
平成時代、ゆず、19、といった弾き語りのアーティストに連れ立って、日本のミュージックシーンに台頭してきた感のあるこのサニーデイ・サービスは、それらのアーティストと比べられる場合もあったかもしれません。
 
 
しかし、この三人組の音楽性というのは方向性を異にしており、スコットランドで1990年代前後に盛んだったパステルズやヴァセリンズといったネオアコ/エレアコ勢の音楽性を現代的に取り入れようとしていました。
 
スコットランドのインディーシーンの牧歌的なギターロック/ポップを、日本語のポップス、歌謡曲のノスタルジーを、そのうちに滲ませて再現させようというものでした。洋楽的でも有り、邦楽的でもある。アメリカ的でなく、イギリス的という点では、いかにも平成時代、渋谷系の真骨頂のようなサウンドが特徴。三人組という編成も無駄がなく、バンドサウンドとして聴いたとき、すごくバランスの取れたライブをするアーティストでした。サニーデイ・サービスのとしての頂点は、1997年のスタジオ・アルバム「サニーデイサービス」で完成を迎えました。
 
 
 
 

「サニーデイ・サービス BEST 1995-2018」 2018

 

 
 
 

ベスト盤の「サニーデイ・サービス BEST 1995-2018」は、このバンドのファンだけではなく、渋谷系好きにもオススメの傑作です。
 
 
ベスト盤として二十三年という長いサニーデイ・サービスのキャリアの中でも必聴すべき楽曲が目白押し。特に、個人的な日本のインディー音楽の最良の楽曲「夜のメロディ」は今でも切ないような日本語フォークの名曲として語り継がれるべきでしょう。 
 
 
 
一度は解散するものの、2010年に再結成を果たす。しかし、2018年、オリジナル・メンバーのドラマー、丸山晴繁さんが死去されたとの一報に驚かされました。彼は、このバンドサウンドを長年にわたり支えてきた素晴らしいアーティストでした。しかしもちろん、曽我部恵一という渋谷系の素晴らしいアーティストがいるかぎり、サニーデイ・サービスの音楽は後に引き継がれていくはず。

 

 

  

6.Cornelius


改めて言うと、小山田圭吾というミュージシャンは日本国内だけでなく、海外のインディーズシーンで強い影響力を持ったアーティストであることは疑いを入れる余地はありません。特に、アメリカのニューヨークのインディーレーベル「Matador」レコードからリリースを行っていたアーティスト。

 

もちろん、フリッパーズ・ギターでは、小沢健二と共に平成時代の日本のPOPSシーンを盛り上げた音楽産業に大きな貢献を果たした人物です。特に、なぜアメリカでこの小山田圭吾が有名なアーティストなのか、よく考えてみると、特に、このCorneliusは、日本の音楽としてでなく、世界水準の音楽をこのソロプロジェクトで体現させようと試みていたんです。 

  

 

 「FANTASMA」 1997


 


特に、アメリカの90年代のインディーシーンでは、ダイナソーJr,に代表されるような苛烈なディストーション、そして、グワングワンに歪んだギターというのがメインストリームのアメリカらしいロックとして確立されており、このCorneliusの名作「Fantasma」は、シューゲイズとオルタナサウンドの直系にあたる音楽性が魅力。

 

 

邦楽という領域を飛び出し、海外にも通用する日本語ロックを完成させたと言えるでしょう。特に、小山田圭吾のギタリストとしての才覚は、色眼鏡なしに見ても、海外の著名なギタリストと比べても全く遜色がないほど素晴らしい。 

 

このコーネリアスというソロプロジェクトにおいて、小山田圭吾は、フリッパーズ・ギターからの音楽性の延長にある次の進化系サウンドを体現し、渋谷系、つまりシブヤ発祥音楽を世界的に特にアメリカのインディーシーンに普及させた功績があったわけです。打ち込みのアーティストとしても、ギタリストとしても、抜群の才覚があるアーティストであったことは間違いないでしょう。

 

東京オリンピック開催の際に生じたプライベートな問題については、プライベートな問題にとどまらず、公的な問題に発展していったように思えます。この騒動について、日本だけではなくアメリカの主要な音楽メディアでも大きく報じられ、大きな驚きをアメリカのリスナーに与えたようです。

 

これから、小山田さんが音楽活動を続けていくのか、難しい問題が立ちはだかるように思えます。やはり、渋谷系サウンドというものをもう一度、再建し、何らかのかたちで音楽を通して、喜びを与えていってもらいたいと思います。勿論、これは贔屓目に見た上での意見といえる部分もあるかもしれません。 

 

 

  

7.カジ・ヒデキ


最後に御紹介するのが、平成のヒットチャートをマイリリース毎に賑わせた良質なシンガーソングライターの、ミスター・スウェーデン、カジ・ヒデキさん。

 

1997年に渋谷系アーティストとしてデビューを飾り、のちにはJ−POPシーンきっての人気ミュージシャンとなりました。現在に至るまで大きなブランクもなく、良質で親しみやすい楽曲を生み出し続けています。

特に、カジヒデキさんの楽曲は、耳にすっとやさしく入り込んできて、覚えやすく、誰にでも親しみやすい。その点で、そこまで音楽に詳しくないという人でも馴染みやすいアーティストなのではないでしょうか??

 

 

「tea」 1998


 

 

カジヒデキさんの渋谷系としての名盤はファースト・アルバムもみずみずしい輝きに満ちていて素晴らしい。

 

しかし、渋谷系サウンドらしい、オシャレさ、格好良さ、リラックスした楽曲としてたのしめるセカンドアルバム「tea」1998こそ、渋谷系サウンドのニュアンスを掴むための最良の作品。

 

 

「Everything Stuck to Him」「Made in Swede」「カローラ2」の何となく健気で純粋な雰囲気があり、青春の輝き溢れる永遠の名曲ばかりで、平成時代のポップスのおおよその感じを掴むのにも最適といえそう。

 

また、平成時代初めの社会ってこんな感じだったんだよという見本を示してくれる軽快な雰囲気のある作品。カジヒデキさんの楽曲をカウントダウンTVやラジオのJ-WAVEの番組ヒットチャートで聴いていたのは子供時代、小学生の頃でしたが、これらの楽曲は、今聞いても抵抗感がなく、すっと耳に入ってくるのは不思議。平成初期の若者の独特な空気感というのは、他の時代には感じられない雰囲気があったと、スタジオアルバムを聴いてて、あらてめてそんなふうに思います。

2020年代の音楽シーンを席巻するベッドルームポップの本質    -現代の音楽シーンの主流となるスタイル、ベッドルームポップ-

 

既に幾つかの記事で言及してきたこの”ベッドルームポップ”ではあるが、まだまだその本質というのは掴みがたいように思える。
 
 
筆者も、このベッドルームについては、その特徴について00年代に生まれたミュージシャンの演奏する宅録のポップス・ロックというように定義することができるはずだが、メタルやラップのように、コレというようにその音楽の適用を示すことが現在のところそれほど簡単なことではないように思える。
 

それもそのはずで、以前の音楽シーンというのは、どこかの地域一点集中で発生するものだったのだ。

 

しかし、少なくとも、2000年前後くらいまでは、これらの音楽上の潮流というのは、ある国のある地域に集中した音楽ムーブメントであったので、それほど定義づけが困難でなかったように思える。

 

一つの地域に焦点を絞り、音楽の特質を語り、その音楽に対して音楽メディアや聴衆がどのような反応を示しているのか、あるいは、それが世界的にどのような規模で広がっていったのかを明示しさえすれば、それで充分事足りたのである。

 

しかも、超一流のミュージシャンに関しては、アメリカ、イギリスの著名なヒットチャートをチェックしておけば、現在のシーンの流れが何となく頭に入って来たのだった。ところが、2010年辺りから、その大衆音楽上の方程式のようなものが崩れてきた。 

 

それはもちろん、これまで何度も述べてきたことだけれども、音楽産業がサブスクリプション配信主流の時代に移行したというのがかなり重要である。つまり、WEB上でミュージシャンが自作品を容易に発表出来るようになったため、レコード産業というコネクションを通さずとも、音楽自体の質が高ければ、なおかつマーケティングの方向性を間違えなければ、幅広いリスナーのシェアを獲得出来るようになったのである。

 

ミュージシャンのレコーディングについても同様であり、これまでは相当な資金を投資し、マスタリング・エンジニアを雇い、自作品の録音作業をレコーディングスタジオで早くても一日、ながければ何週間もかけて行わなければならなかったのが、2000年代から、ラップトップ上で、レコーディング専用ソフトウェア、ProTools、Logic studio、Abletonといった録音のためのツールの導入が以前よりも容易になったため、宅録作業を行うミュージシャンが徐々に増えて来たように思える。

 

もちろん、98年に起こったデジタルイノベーション「Windows98」の時代からアップル製品の全盛期に掛けて、一般家庭にもパソコンが普及し、デジタルデバイスが世界的に広がっていったというのが音楽シーンにも大きな影響を及ぼし、2000年前後に生まれたミュージシャンにとって音楽制作上での順風となった。これらの2000年前後に生まれた音楽家達は、幼い頃からデジタルデバイス機器の使用に慣れており、実際に音楽制作で、プロのレコーディング・エンジニア顔負けのトラック制作を行う。もちろん、これら00年代のミュージシャン達のWEB上での作品の商業的なマーケティング手法というのは、非常に効率的であり、計画よりも行動に重きが置かれるため、前時代の営業を専門とするマーケターより勝っている部分さえあるかもしれない。

 

つまり、デジタル機器に強い世代は、一時代前ならば複数人、それも数十人以上の人員を要して完全な作品としてパッケージしていた音楽作品を、一人、二人、少なくとも、十人以下の少数精鋭によって見事に完結させてしまう。これは本当に驚くべきミュージックイノベーション!!

 

もちろん、この作品の流通の際に、企画段階での煩わしい会議を通す必要はない。そして、実際の音源を完成させた後の作品の一般的な流通という面でも、近年では大きな発展を遂げている様子が伺える。以前なら、レコード会社のマーケティング部門を通して行っていた事を省略出来る。

 

これらのアーティストは、メジャーレコードの契約とは一定の距離を置き、自主レーベル、インディーレーベルに在籍し、作品のリリースを行うという特徴がある。ツアースケジュールについても、メジャーレーベルのような過密日程を避けるようになっている。今日の音楽制作あるいは活動というのは、日常ブログを綴るような雰囲気で、自由に音楽制作に没頭し、ライブを気ままに行うといったスタイルがこれらのミュージシャンから支持されているように思える。もちろん、音楽を発表する方法、世界中の人達に聞いて、世に問う方法は星の数ほど用意されており、例えば、ラップトップ、オーディオインターフェイス、DTMソフト、オーディオマイク、または、ギターなどの楽器さえあれば、一人、二人だけで音楽を完成させることが可能となっている。

 

そして、Bandcamp,Soundcloud,Apple Music、SpotifyといったWEBサイトを介して、世界中の音楽ファンにフレッシュな音楽を届けられる様になってきている。

 

今や、一から百までDIYとして行うスタイル、1980年代にはアメリカのインディーレーベルで行われていた亜流と考えられていたスタイルが主流へ変わっている。つまり、DIY(Do It Yourself)は、2010年から2020年代のミュージシャンの重要なテーマなのかもしれない。

 


・ベッドルームポップシーンの台頭

 

このベッドルームポップと言うジャンルが、どの辺りの年代に出来たものであるのかは曖昧模糊としている。
 
 
既に二、三年から、こういったアーティストが出てきて、チラホラと耳にするようになって来た。このジャンルの一般的な始まりは、クレイロというアーティストの音楽性が始祖である。だから、始まりとしては、2010年代後半、比較的近年に台頭しはじめた音楽ジャンルと言っても差し支えないかもしれない。
 

そして、ベッドルームポップは2000年代生まれの若い世代を中心としたジャンルで、「Bedroom Pop=ベッドルームで録音するポップ」という意味合いで名付けられたようである。

 

以前から使い慣れた言葉でいうなら、「宅録=ホームレコーディング」を、新たなネーミングによってクールに彩ってみせたという印象。ただ、以前なら、宅録といえば、電子音楽かクラブミュージックが演奏ジャンルの中心であったのに、近年のアーティストはそれほど音楽ジャンルにこだわりを持たず、柔軟に幅広い音楽性を取り入れたスタイルを展開している。

 

この辺りは、サブスクリプション世代らしいと言うべきだろうか、柔軟に多種多様の新旧の音楽を吸収している証拠。そして、これまでにはあったようでなかったベッドルームポップというスタイルがこの数年で新しく生み出された。すなわち、一般的なポピュラー・ミュージックを宅録で制作を行うという点に、これまでの音楽とは明らかな相違が見いだされる。


この音楽の特徴を述べるとするなら、少人数で奏でられる電子音楽、あるいは、インディーズ音楽然としたおしゃれで、ラフさのあるポップス・ロックと定義づけられる。

 

そして、また、このベッドルームポップというジャンルは、一部の地域で発生した音楽ではなく、そして、ガールズ・イン ・レッド、クレイロ、スネイル・メイル、メン・アイ・トラストと、有名なインディーアーティストが台頭していく内、いつの間にか、”ベッドルームポップ”というネーミングが音楽メディアにも浸透していくようになった。  

 

 

 

Men I Trust @ El Rey 04/11/2019

 

 

これらのアーティストの音楽的な概念としては、”クイア精神”、近年のジェンダーレスの概念に追従するアーティストが多く、音楽的な特徴とはまた別に、こういった考えの側面が取り沙汰される場合もある。

 

もちろん、すべてのアーティストがジェンダーレスの概念を掲げて活動しているわけではない。アーティストとして掲げるイメージはそれぞれのミュージシャン毎に異なるのが、いかにも現代の若いアーティストらしい多様性といえる。そして、前項で述べたように、このベッドルームポップというジャンルは、アメリカを中心に、カナダ、ノルウェー、ドイツ、といった地域に分布が見られることから、ある地域を発祥とする音楽ムーブメントではなくて、世界的な音楽シーンの潮流ということが出来るはずだ。

 

そして、もうひとつ興味深い特徴は、このベッドルーム・ポップシーンのアーティストには圧倒的に女性アーティストが多く見られる点だろうか。このベッドルームポップという音楽ジャンルは、女性主導のミュージックシーンの変革というようにも呼べなくもない。

 

以前は、Silver Apples,Suicide、といったニューヨークシーンの偉大な宅録ミュージシャンがいた。しかし、それらのアーティストは、どちらかといえば、いかにもアングラで地味な印象のあるミュージシャンであった。それが今日において、宅録というのは既にトレンドの一つであり、おしゃれで粋なイメージに変わっている。これは、かつてのオルタナティヴミュージックの台頭にも似た潮流のようなものを感じさせる。

 

  

 

ベッドルームポップの注目アーティスト、名盤

 

 1.Clairo

 

クレイロは、次のビリー・アイリッシュのような大ブレイクを果たすスターミュージシャンになるであろうと期待されている。誇張抜きに最注目のアーティストである。今や押しも押されぬ知名度を持ち、インディーズのミュージシャンと呼ぶのはいくらか礼に失するかもしれない。
 
 
クレイロは、ジョージア州アトランタ出身のミュージシャン。これまでウェブ上のストリーミングの膨大な再生数を見ても、世界的に強い人気を誇るアーティストである。「ベッドルームポップ」というシーンの牽引者の一人であり、2020年代の音楽を象徴するようなミュージシャン。
 
 
2020年に、フジロックへの来日公演が予定されていたが、ご存知のとおりコロナウイルス禍でイベントが中止となり、延期が決定したものの、結局、残念ながら幻の公演となってしまった。
 

2017年のシングル「2 Hold U」で自主レーベル「Clairo」からデビューを果たす。これまで全ての作品をこの自主レーベルからリリースし、ウェブ上で作品の流通を行って来たアーティストである。特筆すべきは、このデビューシングル「2 Hold U」はクレイロ自身の手によりYoutubeにアップロードされ、結果的に3500万再生という凄まじい記録を打ち立ててみせた。四年という短いキャリアではありながら、順調にファンを獲得し続けているのはひとえに、クレイロの作品自体の価値の高さによるものである。
 
 
この二、三年は、スタジオ・アルバム「Pretty Girl」での成功により、オーバーライセンスとしてレコード会社の傘下でのリリースを行うスタイルに転じているが、基本ライセンスは、変わらず自主レーベル”Clairo”に属している。一貫して「DIY」のスタイルを継続している辺りは、金と魂を音楽に売り渡さない気骨あるインディーの王道を行く本格派のアーティストといえるかもしれない。
 

もちろん、音楽性としてはインディーロック、ローファイに属するが、全然聞きにくくはないごく普通のポップミュージックとして楽しめる。クレイロの音楽の安心感が何に求められるのかといえば、ごく単純に、彼女の音楽的なバックグラウンドが1980年代の最も音楽産業が華やいだ時代のポップスにあるからだ。もちろん、若い音楽ファンの心を鷲掴みにするのみならず、古くからの耳の肥えたポップス・ロックファンの琴線にも触れうる何かがあるはず。
 
 
ファースト・アルバム「Immunity」2019もインディー・ロックの名盤として名高いが、特に、クレイロ最新アルバム「Sling」2021は、清涼感のある素晴らしいポップス作品に仕上がっている。
 
 

「Sling」2021

 

 
 
 
 
クレイロは、1980年代のポップスからの影響を公言しているが、そのポップスの旨みが凝縮された作品と呼べるだろう。
 
 
ここでは、古い時代のポップス、ギルバート・オサリバンのような親しみやすく明るい音楽が素直に明示される。このクレイロが持つ抜群のポップセンス呼ぶべきものは、どれほど大金を投じて、レコーディング機器、あるいは高価な楽器を手元に置こうとも再現しえないもの。
 
 
つまり、これはクレイロという天才的なアーティストしか生み出し得ない2020年代のポピュラー音楽である。以前のスターミュージシャンのような圧倒されるような大きなオーラを持つわけではない。
 
 
しかし、クレイロの音楽には、表向きの見掛け倒しがないからこそ、等身大の純粋な輝きが込められている。それは、この作品「Sling」に収められた細やかな質感に彩られた切ない雰囲気を持つ良質なポップソングを聴いてもらえれば十分理解していただけるはず。
 
 
「ベッドルームポップという音楽ジャンルを知るためにまず何を聴くべきか?」と問われた場合、このクレイロを差し置いて他は考えられないように思える。もちろん、最近のポップスファンだけではなく往年のポップスファンにもオススメしたいアーティストです。


 
 

2.Girls in Red 

 

そして、クレイロの次に世界的に大きな注目を受けているのが、ノルウェー出身のミュージシャン、ガールズ・イン・レッドである。
 
 
2018年にAWAL Recordingsから、シングル「i wanna be your girlfriend」は、極めてセンセーショナルな題を掲げた作品でデビューを飾る。この作品はそういった話題性を差し置いても際立ったデビュー作であることに変わりない。
 
 
特に、ガレージロックリバイバルのバンドのような音楽性を擁した今どきのロックとしては非常に珍しい雰囲気が感じられる。そして、このガールズ・イン・レッドの咽ぶようなボーカルスタイルも他のベッドルームポップ界隈のアーティストとは全く異なる特徴。この畳み掛けるようなボーカルに、表向きの音楽性のキャッチーさの背後にある本当の凄さ、つまり、ヘヴィロックとしての概念的要素が垣間見えるように思える。
 
 
クレイロと同じように、ガールズ・イン・レッドは、ソロのシンガーソングライターであり、トラック作成も基本的には一人で行うという最近の流行のスタイルをとる。ガールズ・イン・レッドは、ビリー・アイリッシュのジェンダーレスの概念を強固に引き継いだアーティストといえ、他のベッドルームポップシーンの中でも、相当強いクワイア精神を掲げるミュージシャンといえそうだ。
 
 
 
この辺りは、北欧、そして、ノルウェーという土地の文化的な風合いを受け継いだ哲学的な雰囲気を持つポップ/ロックアーティストと呼べるのかもしれない。特に、ボーイッシュと言う面では、アイリッシュより遥かに強い信念のような雰囲気を感じる。それでも、ジェンダーレス、クイア、LGBTという今日流行の表向きのイメージキャラクターの事前情報だけを元にガールズ・イン・レッドの音楽を聴くと、良い意味で期待を裏切られ、肩透かしを食らうかもしれない。ガールズ・イン・レッドの音楽の本質は単にそういった概念の表出にあるのでなく、この若いアーティストの概念から生み出される音のオルタナティヴ(亜流)性、楽曲本来の持つ痛快なパワフルさにあるのだ。 
 
 
最新アルバム「if I could make it go quiet」のリードトラック「Serotonin」は、ビリー・アイリッシュの兄、フィニアスをプロデューサーに迎え入れ、大きな話題を呼んだ作品。UK,母国ノルウェー、オーストリア、ドイツの音楽チャートで商業的にも成功を収めた。もちろん、この作品も要チェックであるものの、「最もガールズインレッドらしさのある作品を」といえば、EP「chapter 2」2019を挙げておきたい。
 
 
 

「chapter 2」EP 2019

 

 
 
 
EP「chapter 2」では、クレイロの質感に比する穏やかなギターポップ。また、それとは対極にある苛烈なロックが絶妙に融合したこれまでで一番の快作である。
 
 
一曲目の「watch you sleep」、「i need to be alone」も、トリップ感のある聞きやすいポップソングとして心惹かれる。特に、聴き逃がしてはならないのがラストトラックに収録されている「bad idea」である。
 
 
これはガレージ・ロック風味のあるクールな楽曲で、ポップアーティストとしてでなく、ロックアーティストとしてのガールズ・イン・レッドの強固な概念が感じられるはず。
 
 


3.Snail Mail

 

スネイル・メイルは、2016「Habit」EPをMatadorからリリースし、デビューを飾り、知名度を上げているミュージシャン。
 
 
米、メリーランド州、ボルチモア出身のリンジー・ジョーダンのソロプロジェクトである。これまで有名所の仕事としては、コットニー・ラブの作品にも参加している。
 
特に、ベッドルームポップのシーンにおいては、古き良きインディーロックの系譜にあたるアーティストといえる。ヴェルヴェット・アンダークラウンド、ソニック・ユース、MBV、ペイヴメント。
 
 
リンジー・ジョーダンが影響を受けているとされるアーティストの名をずらりと並べてみると、なんとも微笑ましくなるような錚々たる顔ぶれ、いかにもインディー・ロックらしいミュージシャンともいえそうだ。
 
 
そして、スネイル・メイルの実際のサウンドについてもベッドルームポップというジャンルに属しながらも硬派な気風を感じるオルタナティヴ色の強い音楽性だ。ペイヴメントの影響下にある90年代のアメリカの渋いインディーロックを受け継いで、特に、ギターロックとしての雰囲気が強く、ローファイらしい荒々しいロック性には強い主張性を感じる。
 

もちろん、そのような往年のインディーロックの良さを集約した荒々しさがあるとともに、上記したクレイロのような親しみやすい爽やかさのあるポップソングも器用に書きこなしてしまう。このあたりに、リンジー・ジョーダンの末恐ろしい潜在能力が感じられる。

一般的な名盤、話題性、そして洗練度としては、最新アルバム「Lush」2018に軍配があがるように思える。特に、アメリカのインディーシーンの名盤としてひっそり語り継がれそうな雰囲気があるのが、スネイルメイルのデビュー作「Habit」EP 2016である。
 
 
アーティストは2022年に最新作『Valentine』を発表し、フジロックフェスティバルにも出演している。その際には、Dinasour Jr.のJ Mascisとのスペシャル対談を行っている。 

 
 

「Habit」EP 2016

 

 
 
 
この作品は、ニューヨークのレーベル「Matador」からリリースされた事もあって、大きな注目を浴びた作品であり、発表当時の音楽メディアの評価も軒並み高かった。
 
 
しかも、この「Matador」は、古くはスーパーチャンク、ベル・アンド・セバスチャン、モグワイといった国内外のインディーロックの大御所アーティストから、特に日本の伝説的なアーティスト、ピチカート・ファイブ、ギターウルフ、小山田圭吾の作品をリリースしてきた世界的なインディーレーベルとして知られている。
 
 
その歴史的な功績に違わず、このスネイル・メイルの音楽性もこれらのアーティストに匹敵すると言っても差し支えないかもしれない。
 

特にリードトラックの「Thinning」はローファイ感満載のインディーロック史に残るべき名曲の一つ。この宅録感満載のラフなロックのテイストは他には求められないスネイル・メイルの強みである。
 
 
また、#6「Stick」でのローファイポップは、情感に切なげに訴えかけてくる秀曲である。どことなく不器用な形での音楽性の吐露、でも、そこには、精細な淡い詩情が漂っている。
 

この絶妙な抒情性、ギターを介してのフレーズ、そして、実際の歌に込められる激烈なエモーションこそがスネイルメイルの強みといえるだろう。特に、「Stick」の曲の終盤は、非常に感動的な展開である。
 
 
ここに表される素直で純朴な音楽性にこそ、スネイル・メイルの魅力が込められているように思えてならない。最新アルバム作「Lush」では、ギターロックとしてのローファイ感が薄れ、洗練されたポップソングに方向転換を果たしたスネイルメイル。この最初期のプリミティブな雰囲気を是非失わず、快作を続々リリースしてもらいたいと願うばかり。 

 
 
 
 

4.Men I Trust



メン・アイ・トラストは、Jessy Caron、Dragos Chiriacによって2014年にカナダ、モントリオールにて結成された。その翌年、エマニュエル・プルーが加わり、現在の三人組の編成に至る。
 
 
2014年に「Men I Trsut」を自主レーベルからリリースしデビュー。同年、モントリオールジャズ・フェスティバル、ケベックシティサマーフェスティヴァルといった大規模のイベントに参加。2020年のフジロックフェスティヴァルに出演が決定していたが、こちらもクレイロと同じく、コロナ禍により出演がキャンセルとなってしまったのが悔やまれる。
 
 
メン・アイ・トラストは、基本的にはライブに重点を置いたトリオ編成。厳密に言えば、ベッドルームポップのジャンルに収めこむのは無理やり感もあるかもしれない。 しかし、メン・アイ・トラストの音楽性としては、ドリームポップやエレクトロ・ポップと電子音楽とポピュラーミュージックの中間点に位置し、ベッドルームポップの王道を行く。多くの海外ファンがメン・アイ・トラストの音楽性をベッドルームポップと称するのは、この三人組の音楽性がクレイロに近いおしゃれな質感を持っているから。
 
 
デビュー当時から一貫して聞きやすくフレッシュ感があり、ドリーミーな質感のベッドルームポップを展開して来ている。 そして、このメン・アイ・トラストの音楽性が隅に置けないのは、古くはジャズ、電子音楽が盛んなモントリオールという土地柄らしいアシッド・ハウス的な玄人好みの雰囲気を、音楽性の中に取り入れているからだ。表向きには、聞きやすい音楽だけれども、大人向けの爽快感のあるポップスとも言える。
 

「Untourable Album」2021

 
 
 
メン・アイ・トラストの推薦盤としては、エマニュエル・プルーがボーカルとして加入後の「Headroom」(2015年)も、落ち着いたエレクトロポップとして捨てがたい作品ではある。
 
 
けれども、このグループの進化振りは、この二三年で特にめざましいものがあり、最新作が常に最高傑作ともいえるはずだ。現時点の最高傑作として「Untourable Album」を挙げても多くのファンは、その通り!!とうなずいていただけると思う。 
 
 
今作において、メン・アイ・トラストはよりポップセンスに磨きをかけたエレクトロポップ、ドリーム・ポップを展開している。その中には、もちろん、初期からの方向性を受け継いだ宅録風のジャンク感のある電子音楽寄りのトラックもちゃっかり取り入れられており、ヴァリエーションに富んだベッドルームポップとして楽しんでいただけるはず。
 
 
エマニュエル・プルーのボーカルは、以前の作品よりもドリーミーな雰囲気が醸し出されていて、ニューロマンティックに近い質感に彩られた大人向けのポップスに仕上がっている。
 
 
#3「Sugar」のオシャレ感のあるエレクトロ・ポップも秀逸ではあるものの、このスタジオアルバムの中で注目したいのは、ロックバンドとして新境地を切り開いてみせた#12「Shoulders」。これは、往年のポップスのリバイバル(ビートルズの「Because」)ともいえ、面白みのある楽曲である)として楽しむことも出来るはず。 

 

 

5.Fleece 


 

フリースは、カナダ、モントリオールにて、マシュー・ロジャーズを中心に結成されたインディーロックバンドである。
 
 
2015年、自主レーベル「Fleece Music」から発売の「Scavengers」でデビューを飾る。クレイロと同じように、全作品が自主レーベルからの発売。これまでのキャリアにおいて、アルバムを三作品、シングルを三作品をリリースしている。
 
 
このバンドの中心人物のマシュー・ロジャースは、いかにもミュージシャンらしい性格を持った面白い人物で、ロジャースは、男としてのクイア、中性的イメージを打ち出したロックミュージシャンである。
 
 
 
もちろん、これほ先例がないことではない。往年のロックスターとしては、ニューヨーク・ドールズ、ルー・リード、マーク・ボラン、デヴィッド・ボウイをはじめ、中性的なイメージを持ち、クイアの概念を掲げてきた先駆的なアーティストはロック史に数多く存在した。とりわけ、ロジャーズは、クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーのキャラクターに近い愛くるしさがあり、個性的でありながらユニークなアーティストである。
 
 
ただ、マシュー・ロジャースのボーカルというのは非常に女性的であり、女性が歌っているのではないかと聴き間違うほどのフェミニンさがある。これは、フレディー・マーキュリーとは異なる人を選ぶ部分かもしれない。しかし、このマシュー・ロジャースのボーカルというのは、暑苦しくなく、涼しげで、クールな質感によって彩られている。
 
 
聴いていると、妙な陶酔感に見舞われるのは不思議でならない。それがこの人物が生粋のアーティストたる理由なのかもしれない。また、彼は、サイケデリック音楽に深い造詣を持つ人物らしく、バンドサウンドにも通好みのサイケ色がにじみ出ている。シングル盤のジャケット・デザインにおいても、サンフランシスコの往年のサイケデリックロックの名盤とまではいかないが、良い雰囲気を醸し出すアートワークが目立つ。
 
 

「Stunning&Atrocious」2021

 

 
 
  
フリースのベッドルームポップの傑作としては、最新作「Stunning&Atcious」を挙げておきたい。この作品は、2020年代のロックの隠れた名盤と銘打っても差し支えないかもしれない。 
 
 
このアルバムはアートワークは少しえぐみがあるように思えるかもしれないが、肝心の音楽性はかなり親しみやすいポップスである。
 
 
全体的に、まったりとしたロマンティックなフレーズが宝玉のように散りばめられた秀逸な作品。この陶酔感のあるポップソングというのは、クイア的なマシュー・ロジャースらしい独特な世界観といえる。なんといっても、マシュー・ロジャーズのボーカルから紡ぎ出されるリリックというのは、親しみあふれる温かさを感じざるを得ない。
 
 
特に、この作品の中では特に「Do U Mind(Leave the Light on)」を聞きのがさないでいただきたいと思う。この絶妙なチルアウト風の穏やかな雰囲気を醸し出せるミュージシャンは希少といえ、ここにロジャーズの音楽のセンスの良さが集約されている。
 
 
フリースは、これからカナダ、モントリオールのシーンをメン・アイ・トラスとともに牽引していくであろう存在として、最後に御紹介しておきたい。ベッドルームポップとしてだけではなく、インディーロックファンも要チェックの個性派アーティスト。