NYインディー界の雄 Beach Fossils 「CLASH THE TRUTH」

Beach Fossils 「Clash The Truth」


NYというと、The Velvet Undergroundからはじまり、クールでファッショナブルなアーティストたちを数多く輩出してきた土壌ですから、音楽ファンとしては、NYから良質なバンドが出てくるとワクワクしてしまいます。

2010年代から、ニューヨークのシーン周辺から面白いバンドがぽつぽつ出てくるようになりました。これは「インディーロック・リバイバル」と名付けても言い過ぎでない目の離せない流れでしょう。

そこには、Mac De Marco、Wild Nothingといった「Captured Tracks」というレーベルからリリースしているバンドがこのインディーシーンを中心となって牽引してきました。

こういった類にあるバンドもしくはアーティストは、それほど目新しさというのはないけれど、実際、なんらかのツボを心得ていて、おいしいとこ取りの音楽を生み出し続けています。それは、昔の音楽に対するリスペクトを持っているからなのかもしれません。そしてそこに新たなクラブミュージック的エッセンスも含まれているので、古臭いような新しいような説明しがたい印象を覚えます。

彼らの三作目となる「Clash The Truth」もまたCaptured Tracksからリリースで、尖った勢いのあるパンクロックの方向性で、往年のオールドスクールパンク時代の音を彷彿とさせる味もあります。

彼らのバンド名から想起されるとおり、サーフミュージック要素もなくはない、リバーブでグワングワンに歪んだギター。そして、バンド全体を引っ張っていく力強くタイトなドラミング。そして、ボーカルの、暗くアンニュイな雰囲気たっぷりの歌いぶり、ベースの曲を損ねないシンプルな引き締まったフレーズ。これらが渾然一体となって独特の空気感を生み出し、古臭くもあり新しくもあるという妙味が感じられるのが魅力といえましょう。これまでありそうだったのに、実は今までに存在しなかった音楽。こういうバンドがいたら良かったのに、いなかったその一抹の寂しさのようなものを、つまり、ロック史の空白への音楽愛好家たちの欲求に答え、その隙間をものの巧みに埋めてみせたという印象をこのバンドには受けます。現代の音の厚みをどんどん飽き足らずに追求していくような昨今のサウンドの流行りに、「俺達だけは流されない」と、あえて背をむけるかのように、「痩せた音で淡々とクールにステージで奏でる」というのがいかにも都会人らしい、ビーチフォッシルズ独自の持ち味となってます。

しかし、このアルバムでは一転、それまでの淡々さという感がなくなり、これまで彼らが意図的に避けてきたような、情熱的な雰囲気が押し出されています。

シンガロング必須のタイトル曲、「Clash The Truth」の勢いもさることながら、彼らの新たな代表曲といっても差し支えない「Shallow」。そして、同じニューヨークを拠点として長期間活動してきた”Blonde Redhead”のカズ・マキノがゲスト参加をした「In Vertigo」の陶酔とした雰囲気のある楽曲に至るまで、これまで彼らがあえて封じ込められてきた内的な衝動性、つまり、パンクロックスピリットをこのアルバムで余すところなく解き放っています。

「Shallow」については、シングル盤もリリースされていますが、アルバムに収録されているのは別バージョン。どちらかといえば、シューゲイザー風味のあるシングル盤に比べ、アルバムヴァージョンは、曲の狙いがはっきりとしていて、テンポが早く、前のめりな勢い込んだドラミングと、ギターの粗いリフの刻みが合わさることにより、心地よい疾走感を生み出しています。

個人的には、アルバムバージョンが好みですが、どちらも良い要素があって、聞く人によって好みが分かれそうではあります。

「Clash The Truth」というアルバム全体を通して聴くと、彼らがこれまで追求してきたロックの要素、つまり、どことなく荒削りでありながらも曲自体は洗練されている、いわば都会人としての彼らにしか出せない妙味をもって、ひとつの完成形を作り上げたのが今作の特質だといえるかもしれません。

 
NYというと、もともとヴェルヴェッツからはじまり、クールでファッショナブルなアーティストたちを数多く輩出してきた土壌ですから、音楽ファンとしては、NYから良い音のバンドが出てくると何だかワクワクしてしまいます。

2010年代から、NYのシーン周辺から面白いバンドが出てくるようになりました。これは「ガレージロック・リバイバル」ならぬ「インディーロック/ポップ・リバイバル」というように名付けても言い過ぎでないミュージックシーンの興味深い流れでしょう。現在も活発な動きがあるように思え、この辺りから目が離せません。
 
SoundCloud、BandCamp辺りの配信サイトで、NYのインディーロックをチェックしておけば、今のシーンの流れがつかめるだろうし、面白いバンドも見つかるかもしれません。
 
そういった界隈から、マック・デ・マルコ、ワイルド・ナッシング、といった「Captured Tracks」に籍を置くバンドが次から次へと出て、素晴らしいリリースを続けていることによって、この辺りのインディーシーンを中心となって今日までたのもしく引っ張ってきたという印象があります。
 
こういった界隈にあるアーティストは、それほど目新しさというのはないけれど、実際、なんらかのツボを心得ていて、おいしいとこ取りの音楽を生み出しつづけています。
それは、昔の音楽に対するリスペクトを欠かさないからなのかもしれません。そして、そこに新たなクラブミュージック的エッセンスも含まれているので、古臭いような新しいような説明しがたい音を奏でています。

 
さて、ビーチ・フォッシルズの三作目となる「Clash The Truth」もCaptured Tracksからリリース。尖った勢いのあるパンクロックの方向性で、往年のオールドスクールパンク時代の音を彷彿とさせる雰囲気もあります。
 
 彼らのバンド名から想起されるとおり、古びた往年のサーフ音楽の要素もなくはなく、リバーブでグワングワンに歪んだギターの音色。そして、このバンド全体のサウンドを引っ張っていく、力強く、タイトで引き締まったドラミング。ボーカルのアンニュイな雰囲気たっぷりの歌唱法、ベースの曲を損ねないシンプルな引き締まったフレーズ。
 
これらが渾然一体となって独特の空気感を生み出し、古臭くもあり新しくもある、という妙味が感じられるのが魅力といえましょう。これまでありそうだったのに、実は今までに存在しなかった音楽。愛好家としてはこんな音楽があったらいいのになぜか今までなかった。誰かこんな音楽をやってくれないものだろうか。
 
その辺りの一抹の寂しさのようなものを、つまり、ロック史の空白への音楽愛好家たちの欲求に答え、その隙間をものの巧みに埋めてみせたという印象をこのバンドには受けます。現代の音の厚みをどんどん飽き足らずに追求していくような昨今のサウンドの流行りに、あえて背をむけるかのように、淡々とクールにステージで奏でるというのが、ビーチ・フォッシルズの持ち味となってます。
 
 しかし、このアルバムでは一転、それまでの淡々さという感がなくなり、これまで彼らが意図的に避けてきたような、情熱的な雰囲気が押し出されています。
 
シンガロング必須のタイトル曲、「Clash The Truth」の勢いもさることながら、彼らの新たな代表曲といっても差し支えない「Shallow」。
 
そして、同じニューヨークを拠点として長期間活動してきたブロンド・レッドヘッドのカズ・マキノがゲスト参加した「In Vertigo」の陶酔とした雰囲気ある楽曲に至るまで、彼らが今まであえて封じ込められてきた内的な衝動性。つまり、パンクロック精神をこのアルバムにおいて遺憾なく解き放ってくれています。
 
「Shallow」については、シングル盤もリリースされていますが、アルバムに収録されているのは別バージョン。シューゲイザー風味のあるシングル盤に比べ、テンポが早く、勢い込んだドラミングと、ギターの粗いリフの刻みが合わさることにより、心地よい疾走感を生み出しています。

「Clash The Truth」は、ビーチ・フォッシルズがこれまで追求してきた音楽性の要素の延長線上にあり、つまり、荒削りでありながらも曲自体は洗練されている、いかにも都会人らしい彼らにしか出せない通好みの妙味をもって、ひとつの完成形を作り上げたのが今作の特徴といえそうです。
 
ベルベット・アンダーグラウンド、ストゥージズは言うに及ばず、かつて、パティ・スミス、テレビジョン、といったクールなアーティストを数多く輩出してきたNY。また、CBGBをはじめとする音楽カルチャーの重要な発信地でもあったNY。
 
その後も、ストロークスといったバンドを輩出しつづけていて、今も、インディーロックシーン界隈で多くの魅力的なバンドがいまだにひしめき合っているのという事実は、七十年代から現代のこの土地にめんめんと引き継がれている文化的な特色でしょう。
 
そして、個人的には、やはり、このNYという土地のシーンが盛り上がってこそ、音楽というのは世界的にも俄然面白くなって来る気がします。そういった面では、今も、NYという土地は、音楽史を俯瞰してみる面でも欠かさざる最重要地のひとつであることには変わりないのでしょう。

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