宅録のルーツはどのアーティストにあるのか??


1.時代と共に変遷する宅録(ベッドルームレコーディング)の様相 

既に、多くの音楽ファンがご存知の通り、近年ではヴォーカロイドを始め、DTMブームがここ日本でも到来。レコーディングスタジオではなく、自宅でデジタル・オーディオシステムを導入し、部屋をスタジオ代わりに録音からマスタリングまで完パケを行ってしまうミュージシャンが徐々に増えてきたような印象をうける。2000年代から一般家庭にもPCが普及したこともあって、レコーディングスタジオのブースにも全然引けを取らないようなプロフェッショナルな録音システムが自宅(ベッドルーム)で構築しやすい環境が整えられた。

Silver Apples en Barcelona, Sala Apolo La [2]"Silver Apples en Barcelona, Sala Apolo La [2]" by alterna2 is licensed under CC BY 2.0

日本語では、”宅録”という用語が一般的には使用されるが、海外ではベッドルームレコーディングという用語がこれに当てはまるらしい。

2000年代以前は、一般的には、レコーディングスタジオのような専用ミキサー、録音機器、オーディオインターフェイスを自宅に導入しないかぎり、レコーディングを家ですることは容易ではなかった。例えば、MTRという8トラックのマルチトラックレコーダーを導入するか、もしくは、オーディオプレーヤーにマイクを接続し、ワントラックの仮歌を録音する手法くらいしか宅録を行う選択肢がなかった。二十一世紀までは、宅録といっても、普通のポップス・ロックの音楽を作曲するアマチュアミュージシャンは宅録を行う手段が選択肢としてかぎられていた。

しかし、近年では、デスクトップ上でソフトウェア、それから、PCのポートにオーディオインターフェイスとコンデンサーマイクを接続すれば、いとも簡単に、宅録、ホームレコーディングが出来るようになってしまった。この時代を流れを読んでいたのが、1990年代のレディオヘッドのトム・ヨークだった。彼は、すでに、2000年代のベッドルームレコーディングの流行を逸早く「OK Computer」というロック史の名作で告げしらせていた。また、この流れに続いて、続々と本来は、バンド形式のロック・ポップス、あるいは、少人数の形式で組み立てられる電子音楽を一人だけで完成させてしまうアーティストが、2000年代から2010年代にかけて台頭してくるようになった。

そのあたりの潮流がミュージックシーンとして明確な形になったのが、すでに取り上げた、ベッドルームポップという2000年代生まれの若いアーティスト、ミュージシャンたち。そして、これらのアーティストの楽曲の佇まいに伺えるのは、今や、この宅録というスタイルが2020年代の音楽のトレンドであり、以前のような印象をすっかり払拭して、宅録をすごく現代風のファッショナブルな行為に変えてしまったのである。


2.宅録の元祖アーティストは?

これについては、一概に、誰がこの宅録という形態を最初に始めたのかを定義づけるのは難しいように思える。オーバーグラウンド、つまり、有名なアーティストとしてはザ・ビートルズのポール・マッカートニーがいち早く自宅でのレコーディングシステムを導入して話題を呼んだ。その作品こそザ・ビートルズの解散後リリースされた「McCartney Ⅱ」だった。ザ・ビートルズの活動中から、様々なアート性の高い音楽、民族音楽、古典音楽、実験音楽、現代音楽に親しんできたポール・マッカートニーはこのソロ作において前衛性に舵を取り、感嘆すべきことに、#2「Temporary Secretary」では、クラフトヴェルクのような実験性の高い電子音楽のアプローチを導入しているのに驚く!!

また、もうひとり、少し、意外にも思えるけれども、一般的にオーバーグラウンドでの宅録音楽の元祖と言われているのが、トッド・ラングレン。彼は、活動初期からホームレコーディングに慣れ親しんでおり、1974年に発表されたスタジオ・アルバム「Todd」では、ラングレンの自宅で録音が行われている、ベッドルームレコーディングを一番早く導入した画期的な作品である。

そして、サー・ポール・マッカートニー、トッド・ラングレン。この二人のアーティストが一般的には、最初のベッドルームレコーディングを行ったアーティストだと言われている。しかしながら、これはあくまでメジャーと契約するアーティスト、いわば、メインストリームにかぎっての話。インディーズシーンには、コアでマニアックな宅録を行うアーティストがこの1970年代前後に活動していた。さて、そのあたりの最初の先駆者と思われる選りすぐりのミュージシャンをピックアップしていきたいと思います!!



3.宅録ミュージシャンの元祖


Silver Apples 


アメリカではもうひとり、アラン・ヴェガというアメリカのインディーズシーンにおいて知らない人はいないロックアーティストが見いだされる。しかし、時代に先駆けて一番早くベッドルームレコーディングという音楽ジャンルを発明したのは、この「シルヴァー・アップルズ」というアメリカのシミオン・コックスとダニーテイラーの二人により結成された伝説的ユニットである。

特に、デビュー作「Silver Apples」のリリースは1968年、サー・マーカートニーやラングレンどころか、クラフトヴェルクよりも早く実験的なシンセ音楽を完成させているのは驚愕するよりほかない。自宅の一室に複雑な回線をなすアナログシンセサイザーを導入し、オシレーター等の信号を駆使している。

間違いなく、これは音楽上の発明のひとつだ。もちろん音楽性の完成度については現在の音楽に比するクオリティーは望むべくもない。しかし、ここで、シルヴァー・アップルズという音楽家、いや、音楽上の発明家がアナログ信号を使ってのシンセサイザーで組み立てているのは、現代で言うスーパーコンピュータの回路の複雑さにも比するもので、電子音楽の開発者のひとりとして挙げてもさしつかえないようにおもえる。

特に、シルヴァー・アップルズを生み出すシンセ音楽は、DTMの先駆けともいえ、アナログ信号というのがいかにデジタル信号と異なるのかを見出すヒントにもなるはず。アナログでの信号を介して音を出力すると、エフェクター等も同様、人為的なコントロールがきかないゆえに、音の揺らぎや自由性を楽しめる。デジタルの音量はある程度人の手で制御できるものの、アナログの音量はミニマルからマキシマムの単位まで無限大。一般的に、デジタル信号を通じて出力される音は冷たく、アナログ信号を通じて出力される音は温かみがあると言われている。

シルヴァー・アップルズの音楽性は、シンセサイザーの上に、ドラム、ヴォーカルを同期させるという革新的な手法を音楽史にもたらした。ドイツのクラフトヴェルク、ノイ!に比べると、それほど著名なアーティストではないようにおもえるが、それでも、シンセポップ、電子音楽のジャンルの発明家として歴史に残るべき偉大なミュージシャン、あるいはサウンド・プログラミングの最初の偉大な開発者である事には変わりない。


 

Suicide

 

ニューヨークのプロトパンクの立役者の一人、アラン・ヴェガ擁するツインユニット。スイサイド。この二人はドラマーがいないという欠点を、マーティン・レブのドラムマシーンの機械的なビート、そして、シンセサイザーのフレーズの新奇性により、その短所を長所に転じてみせた。このスイサイドは、1971年に結成され、イギーポップと共に、アメリカでの伝説的な「インディーズの帝王」とも称すべき存在である。スイサイドは、一度もメジャーレーベルと契約せぬまま、2016年のアラン・ヴェガの死去により、長い活動の幕を閉じた。

しかし、このスイサイドのデビュー作「Suicide」の鮮烈性は、未だ苛烈なものといえる。機械的で神経質なマシンビートのグルーブ、アラン・ヴェガのイギー・ポップにも比する狂気的なシャウト。彼等は、レディオ・ヘッドのOK Computerからおよそ二十数年前に、宅録のロックサウンドを実験的に取り入れようとしていた。もちろん、ステージ上で、ガラスをぶちまけたりといったスターリンの遠藤ミチロウも真っ青のステージングの過激性は、今やイギー・ポップとともに伝説化している。もちろん、ニューヨークシーンや世界のミュージックシーンへの後世の影響もさることながら、日本のパンクロックシーンのステージングにも大きな影響を及ぼしたものと思われる。

特に、ベッドルームレコーディングとしては、ファースト・アルバム「Suicide」1977の一曲目「Ghost Rider」二曲目の「Rocket USA」は必聴。無機質なマシンビートのカッコよさもさることながら、ここでの異様なテンションに彩られたアランヴェガのヴォーカルの変態性、この過激さというのは、後のどのロックバンドすらも足元にも及ばない。ここには、宅録の醍醐味ともいえる妖しげな雰囲気が漂いまくり、さらに、実にプリミティヴなニューヨークの1970年代の熱狂性を味わうことが出来る。もちろん、続いての「Cheree」もクラフトヴェルクの雰囲気に比する独特なテクノの元祖として聴き逃がせない名曲である。シンセサイザーひとつで、これほど多彩な音楽を生み出せると、未来の音楽への可能性をこの年代に示してみせたことはあまりにも大きな功績といえる。バンド名のいかがわしげな印象とは正反対に清々しさすら感じられる名作、セカンド・アルバムと共にオススメです。


 

Neu!

 

ドイツのデュッセルドルフは、1970年代、クラフト・ヴェルクを始め、今日の電子音楽の基礎を形作った数多くの実験性の高いバンド、グループが活躍した。ノイ!は、元クラフト・ヴェルクの雇われメンバー、クラウス・ディンガー 、ミヒャエル・ローターによって結成された西ドイツのユニットである。後世のミュージックシーンに与えた影響は計りしれないものがあり、セックス・ピストルズのジョニーロットンの歌唱法、音楽性、そしてレディオヘッドのトム・ヨークもこのノイ!を崇拝している。

ファースト・アルバム「Neu!」1972は、ニューヨークのシルヴァー・アップルズとともに世界で最も早く宅録サウンドを完成させてみせた記念碑的な作品。テクノ寄りの音楽性にロックサウンドを融合させてみせたという点では、シカゴ音響派のトータスに比する大きな功績を大衆音楽史に刻んでみせた。ここでの短い録音フレーズをループさせる手法というのは、当時としてはあまりに画期的であったように思え、楽曲自体の完成度も、クラフト・ヴェルクでの活動で鍛錬を積んでいたせいか、並外れて高い。

セカンド・アルバム「Neu! 2」1973では、テープの逆回転を活かしたより実験性の高いサウンドを追求し、今日のクラブミュージックで当たり前に行われている手法を導入したノイ!。三作目の「Neu! 75」1975では、アンビエントの先駆的なアプローチに挑み、「Seeland」「Leb' wohl」といった名曲を残している。

また、この三作目のスタジオ・アルバムの四曲目に収録されている「Hero」は、セックス・ピストルズの音楽性の元ネタとなっていることは音楽ファンの間では最早常識といえるはず。というか、実のところ、ジョニー・ロットンはこの歌い方を活動初期において、巧妙に、このノイ!をイミテートしてみせたに過ぎなかったのだ。クラフト・ヴェルクと共に、電子音楽とポップス/ロックを見事に融合させた西ドイツの伝説的ユニット。後世の音楽シーンやミュージシャンに与えた影響はあまりにも大きい。 

 

 

追記として、この1970年代のデュッセルドルフの電子音楽シーンのアーティストの楽曲を集めた

 

「ELECTRI_CITY「Elektronishe Musik aus Dusseldolf」

「ELECTRI_CITY2「Elektronishe Musik aus Dusseldolf」

 

という二作の豪華なコンピレーション・アルバムが発売されている。こちらもおすすめします。

 

 

Kraftwerk

 

既にテクノ、電子音楽グループとしては世界で最も知られている大御所、クラフトヴェルク。しかし、やはり、後世の宅録の見本となるような音楽性を形作ったと言う面では大きな功績をもたらした音楽のアートグループ。

デュッセルドルフの電子音楽シーンを牽引してきたのみならず、テクノ音楽の最初の立役者のグループとして語り継がれるべき存在。 後の電子音楽の礎を築き上げただけではなく、CANをはじめとするクラウト・ロックシーンの最重要アーティストとしても語られる場合もあり、また、Faustらとともに、インダストリアルというジャンルの源流を形作したと言う面では、ノイ!と別の側面で大きな革新を音楽シーンにもたらした。もちろん、すでにグラミーの受賞、あるいは、ロックの殿堂入りを果たしているエレクトリックビートルズといわれる世界的な知名度を持つ芸術グループ。

特に、デビュー作の「Autobahn」は、現在でもテクノだけではなく、クラブミュージックに与えた影響はきわめて大きい。デビュー作「Autobahn」1974では、クラフトヴェルクの実験音楽の完成度の高さが目に見える形で現れている。シンセサイザー音楽としての壮大なストーリー性を味わうことの出来る表題曲「Autobahn」は、22分後半にも及ぶ伝説的なエレクトリックシンフォニーといえる。現在、このオートバーンを車で走っていると、遠くにバイエルン・ミュンヘンの本拠地、アリアンツ・アレーナのドームが見えるらしいです。ここに、ドイツの電子音楽の後のシーンの礎が最初に組み立てられたといえるはず。さらに、未来性を感じさせるSFチックな雰囲気というのもたまらない。クラフトヴェルクのファースト・アルバム「Autobahn」は、やはりクラフトヴェルクの最良の名曲、電子音楽史だけではなく、ポップス史に残る感涙ものの名曲ばかり。


 

The Cleaners From Venus


そして、もうひとつ、時代は、1980−90年代とかなり後になってしまうけれども、イギリスに宅録のカセットテープ音楽をフォークロックとして体現させているのが、ザ・クリーナーズ・フロム・ヴィーナスである。

XTCの作品のプロデュース等も手掛けているマーティン・ニューウェルの宅録のロック・バンドだ。音楽流通の主流が、レコードからCD、そして、サブスクリプションと移ろい変わっていく間、常に、テープ形式で宅録のレコーディングを行ってきた気骨あるインディーロックミュージシャン。

特に、The Cleaners From Venusの音楽性は、近年の宅録アーティストのポップス性に近い雰囲気があり、知る人ぞ知るカルト的ミュージシャンではあるものの、ベッドルームポップの最初の体現者と見なしても違和感はないように思える。音楽性自体は、カセットテープの録音なのでチープな感じもあるけれども、むしろそのチープさが何となく通好みの雰囲気を醸し出している。

The Cleaners From Venusの音楽性としては、ザ・ビートルズの古き良き時代の英国のポップス・ロックを宅録のチープさで見事に彩ってみせたという印象。しかし、テープ音楽というデジタル性から遠ざかった粗がこのアーティストの音楽の雰囲気に現代とは異なるヴィンテージ感をもたらしている。

特に、スタジオ・アルバム「Number Thirteen」1990の「The Jangling Man」、「Living With Victoria Grey」1986に収録されている「Mercury Girl」は、宅録のインディーフォーク、インディーポップとして現代の音楽性を凌駕する雰囲気を漂わせた楽曲。こういった時代に、この古めかしい音楽を生み出していたのは驚き。イギリスのオーバーグラウンドやインディーシーンの音楽の流行とは全然関係なく、宅録のテープ音楽を作り続けたことは素晴らしい功績。古典的な英国のポップスの伝統性、叙情性を引き継いだ素晴らしい宅録アーティストとして最後にご紹介しておきます。

 

 

 

 

今回は、宅録というアーティストの焦点を絞り、どのアーティストが先駆者なのかを探ってみました。もちろん、個人的な趣味を加味した上で選出したことを御理解下さい。また、クラフトヴェルクについては厳密にいえば、宅録アーティストではありませんけれども、後世の宅録やDTM世代に与えた影響が大きいため、ここで取り上げておきました。また、宅録とは別に、環境音楽、アンビエントのアーティストについてはあらためて別の機会に取り上げてみたいと思います!!

0 comments:

コメントを投稿