バスクベレーに込められた芸術性と権威性 時代とともに変遷する意義

 

 

 ベレー帽は、古今東西、様々な政治家、画家、もしくは、漫画家が好んで着用してきたファッションアイテムでもあります。

 

 このベレー帽を19世紀から工業的に行ってきたのが、スペインのバスク、それから、ピレネー山脈を跨いだ所にあるフランスのバスク地方です。

 

 

Lulhereの本社があるOloron-Saint-Marie

 

 

 フランスで最も古い歴史を持つLaulhereは、1840年に創業し、王室や世界各国の軍にメリノウールを使用したベレー帽を支給しています。これらのメーカーは19世紀頃から羊やアンゴラの毛を使用し、自社工場において、ベレー帽のハンドクラフト生産を行ってきた経緯があります。 

 

 

 このロレールというメーカーは、この地域で最も古い歴史をもち、フランスベレーという名称を一般に浸透させたメーカーでもあります。現在もベレー帽製作の一部は人の手で行われています。ファッションとしての高級感やクラシカルな雰囲気をもちながら、価格の相場は一万円前後から二万円ほどで、他の高級ブランドの帽子に比べると、お手軽にクラシカルファッションを現代的なシルエットの中に取り入れることが出来ます。かぶり方についても、他の帽子よりも遥かに豊富なバリエーションがあって、ファッションとしての自由性が極めて高い帽子に挙げられます。

 

 もちろん、性別を選ばず、カジュアル、フォーマル双方のファッションの中に取り入れると、華やかな印象を与えるのがこのベレー帽というアイテム。現代では、一般的なレディスファッション、あるいは、メンズファッションの一貫として取り入れられるようになったベレー帽。実は、この帽子はフランスに起源を持ち、非常に古い歴史を持つファッションアイテムでもあるのです。

 

 

 

ベレー帽の起源

 

 

 服飾の文化史としては、15世紀から16世紀にかけて、キリスト教の聖職者が身につけていた上に飾りのついた角帽、カトリックの司祭がかぶるビレッタという帽子がベレーの発祥とされています。しかし、実はそれよりも古い旧約聖書、ノアの方舟の章を描いた絵画の中にこのベレー帽が登場しています。世界の洪水から動物たちを救い出す際、ベレー帽のような帽子をかぶっているノアの姿が見いだされるのです。また、芸術絵画や彫刻にもこのベレーの原型であるビレッタは数多く描かれています。

 

Imposition of the bonete on a new doctor. Anonymous copy of a 17th century original.
University of Alcalá. Quote:https://www.liturgicalartsjournal.com/2020/10/saint-teresa-of-avilas-biretta-brief.html

 

 

 

 ベレー帽が服飾の最初の資料的証拠として登場するのが、聖書時代よりもさらに古い、青銅器時代にさかのぼります。

 

 西ヨーロッパ、とくに、イタリア、および、デンマークに現存する彫刻、絵画中に、ベレー帽が描かれているのが見いだされます。

 

 少なくとも、この西ヨーロッパという土地は、イタリアのサン・ジョルジョ・マジョーレ、サンタ・クローチェをはじめとする修道院建築、キリスト教文化が非常に盛んな土地であり、聖職者がこのベレー帽に似た帽子を服飾として取り入れていたかもしません。

 

 そして、これら紀元前に生み出された芸術彫刻や絵画の一群には、様々なベレーのヴァリエーションが見みだされるのだという。科学者が、この考古学的な証拠から算出した結果、ベレー帽の原型というのは、少なくとも紀元前400年頃の西ヨーロッパには存在しており、その後、13世紀にかけて様々な形に枝分かれしていったのです。

 

 この青銅器時代の絵画彫刻に歴史資料として登場する最初期のベレー帽は現在のような羊毛ではなく、フェルトが素材として使用されていました。




 ベレー帽の意義の拡張

 

 

 およそ16世紀から17世紀の間に、ベレー帽の原型であるフェルト帽は、聖職者から一般市民へファッションアイテムとして浸透していきます。このアイテムを最初に浸透させたのが芸術家たちでした。

 

 農民の芸術家をはじめとするどちらかといえば、バスク地方の貧困層の画家たちが、このフェルト帽を好んで着用していたようです。

 

 つまり、後に、ピカソがスペインのエロセギ社の生産するベレー帽を好んで被り、自らのファッションアイコンに見立てたのは、これら最初期の農村風景を描く画家たちへの深い敬愛がこめられれいたともいえるのです。

 

 


 

 当初、これらのバスクの画家たちの時代には、ベレーは工業生産されていませんでしたが、ごく一部のクラフトマンが手作業でベレー帽を製造していたものと思われます。

 

 この前の年代の14世紀から15世紀においてのバスク地方で、農村の風景をカンバスに描く画家たちがこのフェルト帽を愛用したのは、髪をまとめやすいという利点に加え、機能的にもすぐれ、悪天候の中でも耐久性があったからでしょう。ピレネー山脈地方の農村画家は、地形的に天候不順に見舞われやすい地域であり、ベレーの原型であるフェルト帽を雨風を凌ぐために着用していたともいえるわけです。この後、レンブラントがこのフェルト帽を愛用していたのは多くの人がご存じかと思われます。

 

 

Detail of Self-portrait at 34, with modified background to make rectangular. Oil on canvas, 1020 x 800mm (40 1/8 x 31 1/2"). Signed and dated bottom right: Rembrandt f. 1640; inscribed: Conterfeycel [Portrait]. The National Gallery, London. London only.


 

 画家に始まり、音楽家にも独特なファッションアイテムとして親しまれるようになったフェルト帽。

 

 芸術家たちのファッションアイテムとしての地位を獲得した後、フェルト帽にいくらかの権威性が付加されるようになったのは19世紀初頭頃です。

 

 特に、赤いフェルト帽は、赤という色彩における心理学、アジテーションやパッションを見る人の印象に与えるという一般的なイメージを想定してか、スペインの政治家、カルロス主義者の主導者、トーマス・ズマラカレグが政治家として最初に赤いフェルト帽をファッションの中に取り入れています。

 

 この年代から、フェルトーベレー帽は、画家や音楽家といった芸術家たちのファッションアイコンとしてのイメージから切り離されていき、それとは全く対極にある「政治における革命の象徴」であったり、「軍隊における権威性、統率性の象徴」としての異なる意味合いを持つようになっていきます。

 

 特に、その「扇動性」という意義を持ち、これらのイメージを定着させる役割を担ったのが上記の赤いフェルト帽でした。

 

 この後の年代において、各国の軍用のファッション、軍用の制服として取り入れられたり、キューバの革命家チェ・ゲバラがベレーを着用してみたことでも分かる通り、

 

アメリカの爆撃で沈没した貨物船「ラ・クブル号」の犠牲者追悼行進に参加するカストロ(左端)とゲバラ(右から2人目、背広服の人物の向かって右側)

 

 フェルト・ベレー、また、フラットハットというアイテムに、これまでには見受けられなかった概念が加えられ、「ベレー=権威性、革命性」というイメージが徐々に定着していくようになるのです。この過程において、それまでのフェルト帽やフラットハットと呼ばれるものから、「ベレー帽」と名付けられたのは1835年のこと。その後、スペインのエロセギ、フランスのロレールとベレー帽の製造を専門とするメーカーが誕生し、ペレーの工業生産の歴史が始まり、ピレネー山脈を跨いでのバスクベレーは、スペイン、フランスの両地域の名産品として認知されていくようになります。



ファッションとしての確立

 

 

  レンブラントをはじめとする芸術家の権威性、チェ・ゲバラといった政治家の革命性、それから軍隊の統率性というそれぞれ異なるイメージを引き立てるために数多くの人々に愛用されたベレー帽。

 

 いよいよ、20世紀に入ると、ファッション性の意味合いが強まり、一般の人々のファッションにも取りいれられるようになりました。

 

 1920年、バスク原産のベレーはフランスのパリのファッション界を席巻し、パリの人々の象徴的な服装として組み込まれていった後は、絵画的なイメージを与えるファッションとして様々な分野でこの帽子が取り入れられ、ファッション界にとどまらず、映画界にもこのベレー帽が印象的なシーンで数多く使用されていくようになります。

 

とりわけ、1950年代のフランス映画「禁じられた遊び」において、神父がバスクベレーを着用し、この映画の象徴的なイメージを形作っています。さらには、1960年代のフランス映画界でニューウェイブが誕生した際、このベレー帽は映画そのものと分かちがたく結びついていて、ムービースター、カトリーヌ・ドヌーヴが愛用し、パリの街なかの人々がこれらの銀幕スターに憧れ、市井の人々がこぞってベレーを着用するようになったのは想像には難くないといえます。

 

 また、後にはファッションデザイナー、ココ・シャネルがフランスのロレールを好んで愛用していたのは有名な話です。

 

 



 

 特に、シャネルの生み出した概念、女性的なファッションの最高峰=ベレー帽というスタイルは、富裕層ではなく、一般的な人々に対するファッションの重要性を常に訴え続けてきたココ・シャネルらしいスタンスといえ、富裕層だけではなく一般的な人々にこの帽子をかぶる門戸を開いてみせたといえます。少なくとも、ココ・シャネルがベレー帽に対して、それまでより強いファッションという概念を与えたことについては疑いはないはずです。

 

 かつてジェームス・ディーンが映画「理由なき反抗」でTシャツを着、アメリカの市民に一般的にカットソーを普及させたのと同様、フランスの映画界のスター、ファッションスターがバスクベレーを服飾中に魅力的に取り入れたことにより、一部の限られた人々だけにとどまらず一般的な人々にベレー帽の見かけの素晴らしさを普及させることに成功し、中でも女性に対して、ベレー帽というアイテムをファッションにおける「憧れ」というイメージを定着させたといっても過言ではないのです。創業当初からのハンドクラフトのベレー製作専門ブランドとしての誇り、それは現在も、ロレールという老舗ブランドの重要なブランドカラーとして継承されています。

 

 

 Lulhere Offical HP


 https://www.laulhere-france.com/fr/

 

 

 

 

 




 

0 comments:

コメントを投稿