Weekly Music Feature: Indigo De Souza  『Precipice』



『Precipice』は”絶壁”を意味する。そして、これはアーティストがかなり厳しい局面にあることを暗示する。しかし、果たして、これは誇張的なタイトルなのだろうか? 野生の空間が手招きしているような、高い岩棚に立っている瞬間がある。 その瞬間、本能がかき立てられる。もし飛び降りたら? それは「虚空の呼び声」と表現され、感情や衝動よりもどこか原始的な体験である。 


『Precipice』で、インディゴ・デ・スーザは創造的かつ精神的な崖の上を見つめ、ただ飛び降りる。 そして、その覚悟はすでに彼女に備わっている。ノースカロライナ出身の彼女は、多作で詩的なシンガーソングライターであり、わずか7年の間にすでに3枚のアルバムと4枚のEPを発表している。

 

最新のフルアルバム(2023年発表の『All of This Wild End』)は、その大胆なボーカルとスリリングなソングライティングで絶賛を浴びた。 しかし最新作では、デ・スーザは空虚な呼びかけを聞き、呼び戻し、ポップな大げささと日記的な明瞭さによって困難な記憶や帯電した感情をコントロールし、より強い自分を見出している。

 

「人生とは、それが何なのかわからないまま、何かの淵に立たされているようなものだ」とシンガーソングライターは言う。 「音楽はその感覚を生かす方法を与えてくれる。 新しい方向に突き進むための方法をね」


アルバムのタイトル曲で、デ・スーザは変化という潜在的な暗闇に立ち向かい、身を委ねることに希望を見出す。 "崖っぷちまで来て/命がけで踏ん張って/世界を眺めて/何もかもが暗くなってしまった"。 このような感情的な大胆さは、デ・スーザにとって決して新しいものではないはずだ。 

 

元々、彼女のカタログには、揺るぎない正直さと、揺るぎないパーソナルなソングライティングが溢れている。 「何か恐ろしいこと、あるいは何か美しいこと、良くも悪くも私の人生を変えるようなこと、そんな崖っぷちに常にいると感じている」とデ・スーザはつぶやく。 

  

そのために『Precipice』はデ・スーザの未曾有の世界を開拓する。 新たな挑戦として、このソングライターは、ロサンゼルスでのブラインド・スタジオ・セッションに挑み、協力者の広がりと音楽に集中できることを喜ばしく思った。 

 

「以前から、もっとポップな音楽に取り組みたいと思っていたので、ロサンゼルスに来たときは、それを実現する手助けをしてくれる人たちに会うようにしました」と彼女は言う。 「一緒に踊りながら、心が幸福感で満たされるような音楽を作りたかったのです」


そのセッションの中で、彼女はプロデューサーのエリオット・コゼルと素早く深い絆で結ばれた。彼はSZAやYves Tumorのようなミュージシャンのプロデュースやコラボレーションを手がけてきた人物で、フィニアスでテレビ番組の音楽を担当したことは言うまでもない。 デ・スーザとコゼルは、このアルバムの制作の目処がつくと、すぐにハイライト「Not Afraid」の制作に取りかかった。 

 

「Not Afraid」はアルバムの未知への大胆な挑戦の布石となった。 この曲はまた、長く重要なコラボレーションの始まりを告げるものだった。つまり、このハイライト曲を中心にフルレングスが組み上げられていく。アルバムの制作は驚くほどスムースに進んでいった。「エリオットは、歌のために自分自身をさらけ出すスペースを与えるのが本当に上手なので、私は音楽的にも個人的にも、とてもよく見てくれていて、尊重されていると感じた」とデ・スーザは言う。 「この曲は、私がこのアルバムをどうしたいかの羅針盤になった。意味とフィーリングを持ったポップ・ソング、リアルな人間性を表現した歌詞のポップ・ソングを制作することになった」


リードシングル「Heartthrob」は、その象徴となりえる。2人が見出した恍惚とした二面性、即効性のあるエネルギーと思慮深い深さの両方をもたらす方法を例証している。 この曲は、若者を搾取したり、食い物にする人々への牙を剥いた非難であり、パノラマ的なインディーロックの輝きで表現されている。 マルチ・インストゥルメンタリストのジェシー・シュスターのギターのリフがデ・スーザの歌声を押し上げ、彼女の声は痛みと怒りの間で揺れ動く。 "神様、私が大人になったら/満杯のカップを持ちたい/真のハートフルボディになりたい"。 「私は過去に有害な経験をしてきたため、音楽を介し、その感情を処理するのに役立っている」とデ・スーザは言う。 これまでどのような評価がなされようとも意に介さず、コンスタントに良作を発表しつづけ、多作なミュージシャンとして知られてきたスーザ。音楽を制作することは、大きな意味があるという。「私にとって音楽制作というのは、自分がまだ完全な人間であることを思い出させる方法なのです」とデ・スーザは言う。それはおそらく、音楽制作によって人間的な成長を遂げるための一つの道しるべのようなものなのだ。

 

 

Indigo De Souza 『Precipice』 - Loma Vista


インディゴ・デ・スーザは、崖から海に飛び降りるかのように、大幅に音楽性を変更している。従来はインディーロックシンガーの立場に甘んじることが多かったが、それらのジャンルの境界を打ち破り、この作品では、テクノ・ポップを中心とするポピュラーシンガーへと転身している。ロック好きの一面は、これまでインディゴ・デ・スーザの重要な音楽的な感性を形成してきたと思う。


今回の大胆な音楽性の転換は、アーティストの評価を大きく左右する可能性もあるかもしれない。フィニアスへの楽曲提供を見ても分かる通り、この人は元来ヒットソングを書く才能に恵まれている。絵画的な印象は相変わらずである。アートワークのドクロ。それらはある種のトラウマ的な感覚から出発しているが、このアルバムではそれらが変化しつつある。印象主義だが、錯綜とした印象を持つニューサイケともいうべき派手なアートワークの印象は、これまでとは対象的にポリネシア的な明るさ、そして海のような爽快なイメージが見え隠れする。これはポリネシア的なイメージに縁取られたミレーの「落ち穂拾い」のモチーフの継承でもあろう……。

 

音楽的にもそれらのポリネシア的なイメージ、海と太陽、そして、Human League、a-haの系譜にあるテクノ・ポップ/エレクトロ・ポップが組み合わされ、それらがバイナルヒットを見込んだポップソングと結びついている。アンセミックなフレーズを唄うことを恐れず、これ以上、ニッチなアーティストとしてとどまることを忌避するかのようだ。さらに、このアルバムの原動力となったのは、内側から沸き立つ怒りの感情であった。それらはいくつかのハイライト曲の歌詞でも暗示されている。しかし、怒りを建設的なパワーに変え、世界への批評的な精神にシフトチェンジする。暗い感情を明るい感情にシフトチェンジさせるというのが、このアルバムの目論見だった。それは達成されたのか。それらをひとつずつ丹念にときあかしてみたいと思う。

 

 

「1- Be My Love」は、アルバムの重要なインタリュード。インディゴ・デ・ソーザが得意とする旋律のラインが引き継がれている。しかし、従来のようなロック的なイディオムで繰り広げられるわけではない。Omnisphere 2、Native Instrumentsで出力したようなパワフルなシンセがボーカルと共鳴しながら、決意表明のような形で音楽そのものが展開されていく。ボーカルをモーフィングしたシンセパッドが楽曲の全体的なストラクチャーを決定付け、それらに対してアカペラ風の歌唱が披露されたあと、デ・スーザのボーカルがアンセミックに鳴り響く。そして、青い海や海岸の風景を縁取るかのように、清涼感に満ちたソロボーカルが続く。 また、メインのボーカルに対して、シンセサイザーが追走の形式を図り、カノン(輪唱)のように続く。ディレクションとしてきわめて大胆なこの曲は、ミューズ的な優雅な響きがあり、雄大なイメージを持つ。アルバムのタイトルと呼応するかのように、崖の上に立つシンガーが午後の太陽の照り返しを受けながら、また、水しぶきを感じながら歌を紡ぐような印象的なオープニングである。そして、スーザのボーカルの旋律進行は、徐々になだらかな起伏を描きながら、上昇していく箇所は圧巻。旋律の中では、ヨナ抜き音階を登場させ、東洋的な響きを持ち合わせている。まるでエナジーをかき集めるかのように、デ・ソーザの歌はパワフルな印象を帯びる。

 

「Crying Over Nothing」は、”ヒットメイカーによるヒットメイカーのための教科書”である。イントロでは、ジャジーな響きを持つエレクトリックピアノが演奏され、シンセのシークエンスがそれらの情感を引き上げ、YMOのようなアジアンテイストのテクノポップがその後に続く。このあと、どのような音楽が続くのか全く読めない。そして、デ・スーザのボーカルの印象は従来とは変化し、感情的ではあるが、静かで落ち着いた人格的に円熟味のある雰囲気を帯びている。いわば、これまでに控えめだったソウルフルな歌唱が加わり、その歌声は淑やかさがほとばしる。デ・スーザの以前のアルバムで、こういった慈愛的な歌声を聴くことが出来ただろうか。


そして、ヴァースからブリッジを経て、コーラス(サビ)の箇所へ移行する瞬間、ダンスポップの珠玉の名曲へと変貌する。口ずさみやすいキャッチーなメロディー、乗りやすいリズム/ビート、シンセのきらびやかな対旋律、これらが三位一体のように、黄金のポップソングを作り上げるための礎になっている。(イントローヴァースーブリッジーコーラス)という基本的な構成であるが、その明快さを強調することで、むしろ曲の完成度を高めている。次いで、ブリッジからサビ(コーラス)への音量的な変化もまた、バンガー性を高める要因となった。構造的にも、最後までほぼ手を抜かずに、シンセサイザーが簡素だが華麗なアウトロを形成している。最近は、構成を度外視したポップソングが多い印象を受ける。けれど、そもそもポップソングほど形式主義の音楽は存在しない。あらためて、この曲の構成的な美しさを確かめてみてほしい。

 

 

三曲目に収録されている「Crush」は前曲の音楽的な気風を受け継いでいる。しかし、バンガー風の「Crying Over Nothing」とは対象的に、イントロは、Human League、a-ha、Culture Clubの系譜にあるレトロな80年代前後のテクノポップ。そして、モジュラーシンセでユニークな音色を施したあと、絶妙なタイミングでボーカルが入り、音楽が進展していく。楽曲の背景となる音楽は、レトロな雰囲気に満ちたシンセポップだが、それとは対象的にスーザのボーカルはビリー・アイリッシュ/フィニアスのモダンなポップソングの範疇に属する。明るく軽やかな感覚を持ち、それほどシリアスにならず気軽に楽しめるという点で、夏のプレイリストに欠かせない良曲だ。


夏の海やビーチを彷彿とさせる爽やかさ、海のさざ波、太陽を体現するかのように健康的なポピュラーワールドを構築していく。この曲では、レトロとモダンを混在させ、見事なコントラストを描く。何より、デ・スーザのボーカルと打ち込みのドラムが心地よいアンサンブルを形成している。ここには、現代社会を象徴付ける機械的な概念と人間的な概念の混合のような趣旨が捉えられる。曲の後半では、ディープハウスのダンスビートに変化し、ダンサンブルなリズムが強調される。これほどまでにダンスミュージックを強烈に意識した曲はスーザとしては珍しい。なおかつ音楽に季節感があり、この夏の暑さを和らげるような清々しさを兼ね備えている。

 

ハイライト「Not Afraid」は、ビリー・アイリッシュの系譜のあるポップソングだが、実際的にはそれほど難解ではない。

 

この曲では、恐れから始まり、それとは対極にある勇気の領域へと足取りを進めるシンガーソングライター、デ・ソウザの軌跡が暗示的に描かれていると思う。空のように透き通った雰囲気を演出するシンセサイザーのイントロの後、ナイーヴでセンチメンタルな感覚を持つボーカルが続く。シンセ・ポップによるバラード風のヴァースでは、ドラムのミュートの小刻みな奏法が心地よく響き、リズムの代わりを務め、スーザの歌声の雰囲気を上手い具合に盛り上げている。

 

この曲でも、旋律の抑揚がなだらかに上昇し、サビ(コーラス)で頂点を迎えるという、王道の作曲技法が取り入れられている。曲のイントロからヴァース全体を通じて、デ・ソーザのボーカルが純粋な感じがし、聞かせるものがある。ときおり、トリッピーなシンセも登場することもあるが、それは曲の表情付けに過ぎず、雰囲気を損ねることはない。ある意味では、美しい旋律とノイズというアンビバレントな印象を交えながら、この曲は異なる性質を併存させながら進行していく。曲のタイトルのフレーズが歌われる時、インディゴ・デ・スーザのミューズ的な歌唱が圧巻の風格を持ち、パワフルな印象を持つポップソングにより、聞き手と勇気を共有する。最終的にはロックシンガーの気質がバンガー調のポップソングと絶妙なバランスを保っている。一定のノイズ性を備えた上で、カタルシスを携えながら、アウトロでは静けさに帰る。この曲では、表面的な音楽的な要素と合わせて、マクロコスモスの音楽が繰り広げられる。

 


「Not Afraid」

 

 

 

「Be Like a Water」では、テクノ・ポップやエレクトロ・ポップをベースにした落ち着いた曲に戻る。ただ、この曲の音楽性を決定づけているのは、形式論でもなければ方法論でもない。従来のアルトロックシンガーとして培ったロック的な性質、そしてポリネシア的な民族音楽の要素、さらにはソウルミュージックからの慎ましい影響である。 それらが他の人が真似できない絶妙な形で混在しているため、音楽的にも完成されている。それはまたどのような流行の音楽にも揺り動かされぬ自立心を意味する。別の見方をすれば、音楽というのは、制作者や共同制作者の音楽的な文化観の集積なのである。そもそも、文化的な感性の集積がなければ、上質な作品を作り上げられることは難しいと思う。それらの微細なマクロの要素が、全体のミクロを作り上げる。デ・スーザは、これまでに水というテーマを何度か書いてきた。それは考え方によっては、シンガーの民族的なルーツが海や水であり、彼女のルーツを辿るような趣旨がある。それが最終的にはアメリカのカルチャーというレンズを通して、音楽そのものが発露する。

 

 

「Heartthrob」は、Loma Vistaがもう一つのハイライトと指摘している。また、フルレングスの制作の指針となった重要な楽曲でもある。アルバムの中で、最もロック的な性質が強いことが分かる。この曲では個人的なテーマから離れて、よりよい社会への提言が行われている。それは若者に対する搾取に対する怒りがベースになっているが、明るいエネルギーに変換されている。”歯止めの効かない世界に対する怒り”を表明するデ・スーザ。 それは、表層的な政治や社会現象というより、大きな視点からみた義憤なのかもしれない。実際的なアーティストの人生とどこかで連動するように、暗示的なメッセージとして心に残る。しかし、少なくとも、この曲は、そういった世界に対する怒りこそあれ、批判的な内容ではない。The 1975、ジャック・アントノフのブリーチャーズを彷彿とさせるようなロックに根ざしたシンセ・ポップは、これまでのシンガーソングライターの軌跡と連動するように、曲の節々で異なる音楽的な印象を放つ。

 

私の知るかぎりでは、デ・スーザの旧来のカタログでは、それほど民族音楽のような音楽性が顕わになることは少なかった印象である。そのせいなのか、「Dinner」はかなり驚かされるものがあった。短い端的な曲であるが、デ・スーザがそういったワールド・ミュージック的な志向を初めて明らかにしている。これは、このシンガーにとって記念碑的な曲となるかもしれない。ソングライターとして成長するというのは、人間的に成長することと同意義であることが分かる。これはプライベートと職業の二つの顔を使い分ける人々にはたどりつけない場所ではないか。また、それは背伸びをすることでどうにかなるというものではないのかもしれない。人間のゆっくりとした歩みがその人を内面を成長させるのであり、それは他の人の目には映らないもの。音楽としてはアンビエント風のシンセ、そして、ピアノが琴線に触れるバラードソングと融合している。アルバムの全体的なテーマであるオーガニックな印象がより明瞭になる。なんだか最後まで聴くのが勿体ないような素晴らしい楽曲である。ぜひ抑えておいてもらいたい。

 

「Dinner」 

 

 

 

さらにアルバムの後半に収録されている「Clean It Up」にも、デ・スーザのヒットメイカーの才覚が滲み出ている。この曲では、親しみやすいメロディー、そして、ビートという基本を踏襲した上で、同じく、エレクトロ・ポップという、アルバムの核心をなす音楽性が一般的な商業音楽として収録されている。今回は、ギターを入れず、間奏のソロをシンセの演奏で代用している。


しかし、こういった曲もシンガーの知られざる一面を体現させているに過ぎない。これまで封印してきた印象もあったボコーダーも登場し、現代的なポピュラーソングの影のように裾野を伸ばす。こういったバイラル的なポップソングを惜しみなく提供していることが、『Precipice』の価値なのだ。その中で、やはり、デジタル化される社会の中で、リアルな人間性をどのように保つのかという点が、こういったバンガーでもはっきり提示されているように思える。また、ミュージシャンとしては、自分らしさや正気を保つということでもある。アルバムの中では、「Heartbreak」も聴き逃がせない。フォークロックという形で異色を放つ。この曲でもUSロックをベースにし、デ・スーザ節ともいうべき旋律進行が登場する。しかし、そのボーカルには従来のロックソングのような、はつらつとした若さはない。その歌声はいよいよ円熟期に差しかかったたことを伺わせる。渋い感覚を持ち合わせており、じっくりと聞かせるものがある。

  

「Pass It By」は、それとは対象的に軽快なテクノポップである。同じように現代的なテクノロジーと人間性を秤にかけている。ベッドルームポップのスタイルを継承し、疾走感のあるエレクトロポップを提供している。この曲もまた、現代のポップソングの模範例となる。淡々としたシンプルなヴァースから、多幸感を持つ甘いコーラスという、お約束の構成がある。部分的にはオートチューンも登場するが、やはり曲の構成に安定感があり、安心して聴いていられる。


オートチューンを用いたシークエンスがそのまま次の曲の呼び水となり、エンディングの導入部となる。「Precipice」は、このアルバムの音楽性の重要なテーマとなる開放的な感覚と海の壮大さのイメージに浸される。それは実際的に、アートワークの印象と音楽がぴったりと重なり合う瞬間なのだ。インディゴ・デ・スーザのミューズのように迫力がある歌声、波を象徴付けるパーカッシヴなシンセの音響効果に押し上げられ、ダイナミックなエンディングを演出する。音楽が単一の媒体に収まらず、異なる媒体と連動して広く展開していくのが、このアルバムの最大の長所である。聴くたびに、驚くほどその印象が変わるかもしれない。アーティストはこの数年を通じて驚くべき成長を遂げている。もはや、誰にも彼女を止めることはできない。

 

 

 

90/100

 

 

「Precipice」

 

 

 

▪Indigo De Souzaのニューアルバム『Precipice』は本日Loma Vistaから発売されました。各種ストリーミングはこちら 

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