トリニダード・トバコの音楽、カリプソとはどんな音楽なのか??

 

New York City Pride March 2013: Harry Belafonte


1.カリプソの始まり

 

カリプソは、トリニダード・トバゴで始まり、西インド諸島全体に広がったアフロカリビアン音楽だ。西アフリカの「Kaiso」の親戚ともいえるカリプソ音楽は、コールアンドレスポンス形式が採られ、そして、カリプソリズムとして知られている2/4ビートに基づいた明るい曲調が特徴だ。

 

カリプソは、ソカ、メント、ベンナ、スパウジ、スカ、チャツネ、エクステンポなど多くのサブジャンルを生み出した。これらのスタイルの中心人物は、セージとストーリーテラーとして登場するグリオというリードシンガーにある。

 

これはアフリカの儀式音楽グリオに伝統形式を受け継いだものだ。今日のグリオは、英語でうたわれ、日常の苦難を記録し、正義性を主張する。

 

これらの音楽は、最初、農場にいる黒人たちがコミュニケーションを取るために生み出されたものである。雇い主である白人から、トリニダード・トバゴの労働者たちは仕事に従事する際、一般的な私語を禁じられていたため、彼らはこのグリオの形式から受け継いだ明るいカリプソを歌い始めた。

 

 

2.カリプソの歴史

 

カリプソ音楽は、18世紀のトリニダードでアフリカの奴隷のコミュニティ内に最初に登場した。

 

この音楽の形式は、西アフリカの伝統音楽の「Kaiso」が進化したものと一般には定義づけられ、歌詞の中に風刺的な意味が込められていた。つまり「Double Meaning」をそれとなく言語のニュアンスの中に滲ませていたのだった。

 

要は、俗にプランテーションを呼ばれるトリニダード国内の大規模農場で労働に従事する黒人たちは、雇い主の白人たちに解せないような言葉で、何らかのやりとりをする必要があり、一種の暗号のようなやりとりを仲間内で行ったのが「カリプソ音楽」の始まりであるといえる。

 

二十世紀のトリニダード・トバゴの黒人たちは、日頃、労働に従事している間、雇い主の白人たちをからかったり、揶揄したりするためのスラングを当初、カリプソの歌詞の中で頻繁に用いていたのである。気慰みのために、白人を嘲笑するようなスラングを、彼らに気取られぬように歌詞の中に込めていたのだった。

 

後の時代になると、 カリプソ音楽は、音楽としても、言語としても、徐々に洗練されていくようになり、フランス語(詳しく言えば、アンティル諸島の固有のクレオール言語)、英語、スペイン語、そして、アフリカの言語の影響を組み合わせた形式を発展させていった。アンティル諸島から移民してきたフランス人は、カーニバルの伝統性をトリニダードの島々に文化としてもたらし、トリニダード・ドバゴが国家として1834年に奴隷制を廃止してからというもの、元奴隷であった黒人たちは、カーニバルのためのミュージシャンとして注目されるようになった。その後、島内には、専用のカリプソテントがいくつも設営されていき、カリプソの単独公演が行われるようになっていく。つまり、このカリプソ音楽は、祝祭の雰囲気の強い形式であり、それは後世のボブ・マーリー、ジミー・クリフのレゲエの雰囲気に引き継がれている要素でもある。


カリプソ音楽が初めてレコードとして録音されたのは、1890年代からカリプソバンドとして活動していたLovey's String Bandがニューヨークで録音した音源である。このトリニダード・ドバゴのバンドは、1912年にジャズバンドとしてこの音源の録音を行った。後にこのバンドは五年後に、ジャズバンドとしてレコードをリリースしている。Lovey's String Bandの音源は、現在ワシントンDCのアメリカ議会図書館「Library of Congrass」に録音が保管されているようだ。

 

カリプソ音楽のミュージシャンとして最初のスターとしては、Julian Whitrose、Roaring Lion、Anttila The Hun、Load Invader(のちに「ラムとコカ・コーラ」がアンドリュー・シスターズによってカバーされている)が挙げられる。その後、1950年代に差し掛かると、Lord Kitchener,Mighty Sparrowといったミュージシャンが台頭してくるようになった。



3.カリプソの音楽的特徴

 

カリプソ音楽は、カリビアンミュージックの多くの形式と同様、西アフリカの儀式音楽のリズムの伝統性に加えて、スペイン、フランス、イギリス、その他ヨーロッパ諸国の言語を融合させている。カリプソの主要な要素は以下のようなものが挙げられる。
 


・フォーク音楽としての起源 
 

一般的に人気の高いカリプソ音楽はその多くがトリニダードのフォーク音楽を引き継いだものである。
 
 
 
 
・英語、フランス語(クレオール言語)を融合した独特な歌詞

 
 
元々は、カリプソの歌手がフランス語の一であるアンティル諸島のクレオール語で歌っていたが、英語がトリニダード・トバゴ国内の主要言語に成り代わるにつれ、ほとんどの歌詞が英語へと移行していった。
 
 

・グリオが歌うリードボーカル
 

グリオは、アフリカの儀式音楽の形式内で、ストーリーテリングを行う役割を持つリードシンガーである。
 
 
コールレスポンスを行う複数のシンガーと掛け合いながら、明るい曲調の楽曲が進行していく。これは、ベラフォンテの「バナナボート」を聴けば特徴がよくつかめる。初期のカリプソはグリオが語る民話を特徴としていた。

 

 

・スティール・パンの使用

 

スティール・パン(Steel Pan)は、トリニダード・トバゴ発祥のドラム缶から生み出された民族打楽器である。外側から内側にかけてなだらかに傾斜を描き、中心部は凹んでいる。ゴムを巻いた撥(Stick)でたたき、出音する。叩くポイントによって出される音色が様変わりする面白い楽器で、音響的にカラフルな効果を与える。 トリニダード・トバゴ国内のカリプソで使用されるスティールパンは、単一の楽器としてではなく、複数組み合わされて使用される事が多い。

 

 

カリプソ音楽の有名アーティスト

 

 

・Road Invadar

 

トリニダード・トバゴ国内で最初に名声を得たミュージシャン。初期のカリプソニアンであり、渋い声とフォーク色の強い音楽性が特徴である。 

 

 

 

・Lord Kitchener

 

ロード・ キッチナーは、1930年代に十代でキャリアをスタートさせ、2000年代になくなるまでレコーディングを続けた。有名な曲は1962年に録音された「London Is The Place For Me」が挙げられる。 

 

  


・Harry Belafonte

 

ハリー・ベラフォンテはトリニダード・トバゴ人ではなく、ジャマイカ出身のアメリカ人である。

 

彼の音楽は、多くの文化性を吸収している。ジャマイカのフォークをアレンジした1956年の「Day-O」(Banana Boat)はカリプソの最初の大ヒット曲となった。ベラフォンテの後期の作品では、歌詞の中で社会正義を強調している。これは後世のカリプソを奏でる音楽家にとって重要な主題となった。 

 


 


・Growling Tiger

  

ネビル・マルカノは、別名、グロウリング・タイガーとして知られている。カリプソのジャンルに最初に明確な政治性をもたらした。

 

彼は、トリニダード・トバゴの国家観について歌い続け、イギリスからの独立を後押しした。上記のベラフォンテ、及び、マルカノがもたらした思想性の強い要素は、後のボブ・マーレーのエチオピア皇帝を信奉する「ラスタファリ運動」に引き継がれていく。 

  

 

・Calypso Rose

 

元来、カリプソ音楽は男性のための音楽であったが、初めて、カリプソ音楽を女性にも普及させた重要なアーティスト、カリプソ・ローズは、1970年代にかけて活躍をした。「Gimme More Tempo」 、「Come Leh We Jam」といった名曲を残し、音楽ファンと批評家から高い評価を受けた。


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