ゴシック・ロック 実存主義とニヒリズムの文化が生み出した個性的な音楽、時代を彩る名盤

 実存主義とニヒリズムの美学 Gothicの系譜 

 

 ゴシックロックとは、1970年代から80年代にかけて隆盛を極めたロックミュージックで、それ自体が英国の若者のカルチャー、ファッションと結び付けられる場合もある。 1970年代、実際、最初のゴシックという文化がどこから生じたのか、これは多くの文献を辿らなければわからない。一例では、オーストラリアのニック・ケイヴを擁するバースデイ・パーティの音楽を、音楽ジャーナリスト、サイモン・レイノズが「ゴシック」というように評した。これが音楽におけるゴシックという概念の初出となる。

 

ファッションや1つのニヒリズムに象徴されるように、ゴシックは思想的な側面とも全く無関係ではないものの、音楽という側面から語るのならば、この音楽の最初の下地を作ったのは、ジョイ・デイヴィジョン、そしてこのバンドのフロントマン、イアン・カーティスのキャラクター性にあると思われる。モノクロのアーティスト写真、そして、モノクロのアートワークというその時代性から逆行するような印象を掲げ、マンチェスターのシーンに登場したイアン・カーティス及びバンドだったが、これらのゴシック性は、ポスト・パンクの文脈から生まれでたものであることは疑いない。彼らのファッション自体も素朴でありながら、パンクロックの系譜にあるモノクロの概念によって彩られていた。

 

 これらのゴシック性(ゴス性)は、イアン・カーティスのニヒリズム、実存主義的な歌詞、歌唱法によって、さらにそのイメージが強化され、のちのイギリス国内のゴシックムーブメントに引き継がれていく。ジョイ・デイヴィジョンの後続のロックバンドの多くは、New York Dolls、T-Rexのマーク・ボラン、デヴィッド・ボウイのようなグラム・ロックの中性的なメイクを施していることから、以前の1970年代に隆盛したグリーター・ロックと密接な関係を持つ。

 

これらのイギリスのバンドの流れを汲んだ後、1990年代に入ると、この建築用語に根ざしたゴシック文化は、以前のパンクカルチャーと同じように、音楽の文脈のみで語られるものではなくなっていく。以後は、その他地域でもファッションの中に普通に取り入れられるようになり、米国でもこれらの暗鬱な雰囲気をキャラクター化したMisfitsのようなホラーパンクバンド、トレント・レズナー擁するNIN、過激なステージ・パフォーマンスで常に物議を醸し出すマリリン・マンソン、その他、ロブ・ゾンビ率いるWhite Zombieのようなそれに付随するインダストリアル・ロックの系譜に当たるセンセーショナルなバンドが、これらのゴシック文化の影響を受け、ミュージック・シーンに続々と登場し始めていた。2000年代に差し掛かると、このゴシックカルチャーは、ファッションとしても導入されるようになり、メインストリームに押し上げられたため、アーティストたちが率先して取り入れる必要もなくなり、ゴシック・メタルなどのバンドのキャラクター性として取り入れられていたものの、ミュージックシーンとししてアンダーグランドに潜りつづけた。しかし、近年、再び、ミュージシャンのキャラクター性の中に取り入れられるようになっている。例えば、イタリアのマネスキン、イギリスのペール・ウェイヴズらも、これらのゴシック・カルチャーに影響を受けたバンドとして位置づけられる。

 

 一体、この英国のマンチェスターという港湾都市、工業都市、建築的にも古い歴史を持つ由緒ある土地で生まれたモノクロの色彩に彩られた「ゴシック」という概念の本質とは何なのだろう?? ここではその答えまでは言及することを避けたいが、少なくともそれは、カルチャーを代表するアーティストの姿に身近に接し、さらにその音楽に耳を傾けることでより鮮明となるはずである。

 

常に、文化というのは、常に、ひとつずつ人の手作業によって積み上げられ、組み上げられていくものなのである。言い換えれば、文化ーーカルチャーーは、決してそれを誰か高尚な専門家が定義づけることによって生み出されるわけではなく、その時代の生きた人々の軌跡を何らかの形で表した一般的な概念を大衆が肯定的にそれと認めたものである。今回の名盤特集は、これらのゴシック・ロックのオリジネーターたちの傑作群にスポットライトを当てていこう。




Joy Division 





「Unknown Pleasure」1979

 


当時、公務員とミュージシャン、二足の草鞋を履いていたイアン・カーティスにとってゴシックなる概念は念頭になかった。カーティスは、その前の時代のパンク・ロックを引き継いだポスト・パンクの台頭を告げたイギリス国内の現代のミュージックシーンを語る上で欠かすことの出来ない人物となる。

 

しかし、この前身をナチスの喜び組を意味する”Warsaw”というパンクバンドにまつわる暗鬱でいかがわげなイメージ、Factoryを中心とするインディペンデントのライブ会場を中心に活動していたせいもあり、それほど大きなライブ会場ではライブを数多く行わなかったこと、そしてアルバムアートワークやアーティスト写真が一貫してモノクロであったことが、ゴシック・ロックの先駆者としてふさわしく、また、このミュージシャンの姿をより魅力的にしているのは事実である。

 

彼らの記念すべきデビュー・アルバム『Unknown Pleasure」は、以後のマッドチェスターのミュージックシーンは、後のバンド、ストーン・ローゼズ、アークティック・モンキーズのような、ダンスとロックの融合というテーマを、あろうことか1979年に先んじて提示している。ポストパンクの金字塔『Unknown Pleasure」の魅力は、テクノをどのようにロックとして解釈するのかを究明し、無機質なマシンビートの反復のドラム、ソリッドなギター、低いトーンで理知的に歌うイアン・カーティスの暗鬱なボーカルが合わさり、空前絶後の音楽が生み出されていることである。

 

「Unknown Pleasure--知られざる喜び」は、その時代のポスト・パンク・シーンの呼び声を上げる作品となったにとどまらず、その翌年、台頭するゴシック・ロックの誕生をすでに予見していた。これらの本来そぐわないと思われていた、エレクトロとロックの融合という主題は、イギリス国内のメインカルチャーの基礎を形成に繋がり、イアン・カーティスの死後、残りのメンバーによって結成されたュー・オーダーに引き継がれ、1つの集大成を迎えるに至る。

 

他にもアルバムに収録されなかったシングル「Atmosphere」、ニュー・オーダー名義でしか公式リリースされなかった「Ceremony」といった名曲も必聴となる。

 

 

 

Bauhaus 






「The Bela Session」EP  2018

 


上記のジョイ・デイヴィジョンがもしエレクトロをロックの領域に持ち込んだ先駆者とするなら、バウハウスはダブをロックの中に最初に導入した画期的なロックバンドに挙げられる。そして、ゴシック・ロックの最初の体現者であり、ゴシック・カルチャーの先駆者でもある。もちろん、バウハウスも上記のジョン・デイヴィジョンと同じように、1970年代後半のポスト・パンクの文脈の流れを受け登場したバンドであり、実際の歌詞の中で、物語として寓喩化されていてそのことは歌われないが、反体勢的なバンドに位置づけられても差し支えないだろう。


現在でいうビジュアル系アーティストの先駆者は、このバンドではないかと思わせるキャラクター性のアクの強さのため、アンダーグランドのバンドとして見なされる場合もある。

 

しかし、実際の音楽を聴けば分かる通り、バウハウスは、硬派のロックバンドに位置づけられる。ポスト・パンクの影響が強いデビューアルバム「In The Flat Field」も名盤の呼び声高いが、ゴス/ゴシックという雰囲気を掴むためには、シングル「Bela Is Dead」、「She's In Party」が収録されたアルバムが最適だ。「The Bela Session」EPでのボーカルの暗鬱さ、厳かさ、執拗なアナログループは、ゴシックの特徴でもあるホラー的な雰囲気を漂わせている。また入門編として、最初期のスタジオ・アルバムに加えて、シングルを収録した「Singles」もおすすめしたい。

 

 


 

The Birthday Party 





 

  「Hee Haw」 1979

 


 

バースデイ・パーティーは、現在、俳優や脚本家としても活躍目覚ましいニック・ケイヴが在籍したオーストラリアの伝説的なポスト・パンクバンドでブルース、フリージャズ、ロカビリーを一緒くたにしたアヴァンギャルドなロックバンドである。1977から1983年までの短期間で解散している。


近年のニック・ケイヴのどちらかと言えば紳士然とした佇まいからは想像できないが、このシンガーソングライターは本来オーストラリアのアンダーグランドの最暗部から登場したロックシンガーである。

 

1979年発表の「Hee Haw」は『Prayer On Fire』とともにこのバンドの数少ないアーカイブとして必聴の一枚となる。スカ、ダブ、ロカビリー、インダストリアルを飲みつくしたメチャクチャとしか例えようのないアバンギャルドなサウンド、ニック・ケイヴの獣にも似た咆哮は、LAのヘンリー・ロリンズにも引けを取らないどころか、奇抜さにおいて勝る部分もある。ゴシックという文脈からいっても、暗鬱さ、異質さ、奇抜さ、これらのサブカルチャーの基礎を築き上げたバンドとして多くの人の記憶に残るべき存在である。ジョイ・デイヴィジョンとは別軸のゴス/ゴシックという概念を確立したアンダーグランド・ミュージックの傑作に挙げられる。



 

 

Siouxsie And The Banshees  

 

Ray Stevenson

 

 

「The Scream」1978

 



一般的にはジョイ・デイヴィジョンがゴシックの先駆けというのが通説となっている。しかし、登場した年代の早さという面では、このスージー・アンド・ザ・バンシーズのほうが先である。ただ、ゴシックというバンドで語ることに否定的な見解を示す音楽評論家もいることは付け加えておきたい。

 

スージー・アンド・ザ・バンシーズは活動最初期の作品がゴシックとしてのくくりで語られる場合がある。特に1978年の「The Scream(香港の庭)」は、このバンドの最初期の傑作であるにとどまらず、パンクロックの名盤として挙げられる。フロントパーソンのスージー・スーのキャラクター性を押し出したTelevisionに近いポスト・パンクの流れを汲んだギターロックサウンドが特徴で、パティ・スミスのような文学性を漂わせる作風となっている。上記のバンドのような暗鬱さは薄く、音楽的に明確にゴシックというジャンルに該当するのは「Pure」「Jigsaw Feeling」となるだろう。 

 

スージー・アンド・ザ・バンシーズはビートルズの親衛隊として立ち上がっただけあり、スタンダードなロックの要素が強く、このデビュー作も同様である。ただ、奇妙な暗鬱さは後のドリームポップ勢にも通じるものがある。さらにこのバンドのビジュアルは明らかにゴシックとして位置づけられる。


 

 

The Cure 

 


 

 

「Wish」1992

 



イギリスのクローリー出身のザ・キュアーは、ゴシック・ロックの最大の知名度を持つバンドに挙げられる。最初期は、上記のバンドと同様、ポスト・パンクの文脈から出てきたグループで、スージー・アンド・ザ・バンシーズとも深い関わりが持っていた。しかし、彼らの功績は、それらの最初期のサウンドではなく、普遍的なロック/ポップの良さを世界に広めたことにある。バンドメンバーのメイクについては上記のバンドのようにグリッターロック、ゴシックの系譜にあるけばけばしさだが、そのサウンドはどこまでも純粋なポピュラー・ソングとして楽しむことが出来る。

 

1979年のデビュー・アルバム「Three Imaginary Boys」に象徴されるように、最初期は他のバンドの影響もあってポスト・パンクの流れを汲んだサウンドを特徴としていたが、いくつかの変革期(三回)を経て、ゴシック・ロックより大衆にとって親しみやすいサウンドへ変化させていき、このバンドのハイキャリアを形作ったのが全英チャート一位に輝いた1992年の「Wish」となる。アルバムの中の収録曲「Friday I'm In Love」は、ザ・キュアーの最大の名曲の1つに挙げられる。他にも、この傑作には素晴らしいバラードソングが収録されている。

 

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