ビリー・ホリデイの「Strange Fruit(奇妙な果実)」 --プロテストソングのルーツに見る人権の主張性--

ビリー・ホリデイの奇妙な果実 1937

--プロテストソングに見る人権の主張性--


Protest-Song(プロテスト・ソング)というのは、現行のミュージック・シーンにおいて流行りのジャンルとは言い難い。しかし、近年でも人権の主張のための曲は、それほど数は多くないが書かれているのは事実である。これらは時代的なバックグラウンドを他のどの音楽よりも色濃く反映している。代表的な例としては、Bartees Strangeが作曲した「Hold The Line」が挙げられる。この曲は、ミネアポリスの黒人男性の銃撃事件、ジョージ・フロイドの死に因んで書かれ、バーティーズが追悼デモに直面した際、自分に出来ることはないかと考えて生み出された。アーティストが黒人の権利が軽視されるという問題をメロウなR&Bとして抉り出している。


 

米国の世界的な人気を誇るラッパー、ケンドリック・ラマーもまた、『Mr. Morales & The Big Steppers』の「Mother I Sober」において、自分の母親の受けた黒人としての心の痛みに家族の視点から深く言及している。これらの二曲には、ブラックミュージックの本質を垣間みることが出来る。

 

勿論、上記のような曲は、古典的なブラック・ミュージックの本質的な部分であり、何も最近になって書かれるようになったわけではない。それ以前の時代、60年代には、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダーといった面々がモータウンでヒットメイカーとしてキャリアを積んでいた時代も、黒人としての権利の主張が歌詞に織り込まれていたわけなのだが、その後のディスコ・ミュージックの台頭により、これらのメッセージ性は幾分希薄になっていかざるをえなかった。それは、ブラック・ミュージックそのものが商業性と同化していき、その本質が薄められていったのである。


 

その後の流れの反動として、このディスコの後の時代にニューヨークのブロンクス地区で台頭したラップ・ミュージックは、2000年代からトレンドとなり、それらは初期のブルースやR&Bと同じく、直接的、間接的に関わらず、スラングを交えつつ黒人としての主張性が込められた。もちろん、それ以前の19世紀から20世紀初頭にかけての最初期のブルースというジャンルを見ると、広大な綿畑ーープランテーションで支配層に使役される黒人労働者としてのやるせなさを込めた暗示的なスラングが多少なりとも含まれているけれど、これらはまだ後世の60年代のソウル・ミュージックのように、政治的な主張性が込められることは稀有な事例であった。


 

Billy Holiday

しかし、その黒人としての人権の主張を歌ったのが、20世紀初頭に登場した女性シンガー、上記写真のBille Holiday(ビリー・ホリデイ)だ。このアーティストは、本質的にはジャズに属する場合が多い歌手ではあるが、このアーティストの歌詞の中には、一連のプロテスト・ソングの本質(反戦、人権の主張、性差別)または、その源流が求められると言われている。特に、現代的な視点から注目しておきたいのが、このアーティストの代表曲「Strange Fruit(奇妙な果実)」という一曲だ。

 

ビリー・ホリデイが初めて録音した「奇妙な果実」は、20世紀前半のアメリカ南部で起こった黒人リンチ事件を歌ったものである。


 

この曲「奇妙な果実」は、教師/アベル・ミーアポールが詩として書き、1937年に発表された。ミールポールはアメリカ共産党に所属するユダヤ系白人であり、黒人リンチの凄惨な写真を見て、この歌を作った。1930年代、アメリカ南部ではリンチが高潮していた。控えめに見積もっても、1940年までの半世紀で約4000件のリンチが発生し、その大半は南部で、被害者の多くは黒人であった。


シンプルな歌詞の中に、大きな力が込められていて、曲が終わっても心に残る。美しい風景、花や果物の香りと、残酷に殴られた人間の血や骨が並置され、この曲に力強さと痛々しさを与えている。この曲は、アメリカの人種差別の残忍さを露呈しており、それ以上言葉を増やす余地はない。この曲の意味を理解したとき、人はそのイメージに衝撃を受け、怒り、嫌悪感を抱かざるをえない。


 

1939年にカフェ・ソサエティでこの曲を初演したBillie Holiday(ビリー・ホリデイ)は、この曲を歌うことで報復を恐れていたというが、そのイメージから父親を思い出し、この曲を歌い続け、後にライブの定番曲となった。あまりに強烈な歌なので、ショーの最後にはこの曲で締めくくるしかなく、バーテンダーはサービスを中止、部屋を暗くせばならない、という規則ができた。バーテンダーがサービスを止めて、部屋を暗くして、ビリー・ホリデイのパワフルな歌声でライブは終わるのである。このように、曲の成り立ちや歌詞の説得力が、演奏の仕方にも顕著な形で表れていた。


当時、政界を支配していたアメリカの反共産主義者や南部の人種差別主義者の間で悪評が立つことを恐れたレコード会社がほとんどであり、この曲のレコーディングは容易ではなかった。しかし、1939年にコモドール社によってようやく録音されると、たちまち有名になった。この曲は、知識人、芸術家、教師、ジャーナリストなど、社会の中でより政治的な意識の高い人たちの関心を集めた。その年の10月、『ニューヨーク・ポスト』紙のあるジャーナリストは、この曲を「南部の搾取された人々が声をあげるとしたら、その怒りの賛歌であり、またその怒りそのものだ」と評した。



政治的な抗議を音楽で表現することが少なかった1939年の当時、この曲はあまりに画期的だったため、ラジオではめったにオンエアされなかった。この時代、ルーズベルト政権だけでなく、民主党でも隔離主義者の南部ディキシーラットが主役だった時代。リンチの舞台となったアパルトヘイト制度を崩壊させるには大衆の運動が必要だった。

 

また、この歌は、プロテスト・ソングの元祖とも言われている。歌詞の内容は、暗喩が表立っているが、現代の音楽よりも遥かに痛烈だ。当代の合衆国の社会問題を浮き彫りにするとともに苛烈な情感が表現されている。以下の一節は、「奇妙な果実」で、最も有名な箇所であるが、この時代、女性歌手として、こういった南部の暴力を暴く曲をリリースすることがどれほど勇気が必要であったか・・・。それは現代社会を生きる我々にとっては想像を絶することなのである。


 


南の木は、奇妙な実をつける。

葉には、血、根には、血。

南部の風に揺れる黒い体

ポプラの木に、奇妙な果実がぶら下がっている。

勇壮な南部の牧歌的な情景。

膨らんだ目、ゆがんだ口。

甘く爽やかな木蓮の香り。

そして、突然の肉の焼ける匂い!

ここにカラスが摘み取る果実がある。

雨にも負けず 風にも負けず

太陽の光で腐り、木が倒れる。

ここには、奇妙で苦い作物がある。


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