The Murder Capital 2ndアルバム『Gigi’s Recovery』に見えるロックバンドとしての成長と深化


 

  硬派なポスト・パンクサウンドを引っさげて、アイルランド/ダブリンのミュージック・シーンに台頭した五人組、The Murder Captital(ザ・マーダー・キャピタル)は、近年のミュージック・シーンの中で異彩を放つ存在である。

 

しかし、このバンドは、Line of Best Fitによるとダブリンで結成されたというだけであり、実のところは、この土地の出身者はいないという。もちろん、バンドとして成立するのを手助けしたのは、Fontaines D.C.にほかならないのだし、マーダー・キャピタルのメンバーが彼らにリスペクトを払っているのは事実のようではあるが、しかし、それはそっくりそのまま彼らが、単なるダブリナーズだとか、Fontaines D.C.のフォロワーとして見なされることを良しとしているわけではないようだ。ザ・マーダー・キャピタルは、ポストーXXというようなありきたりな呼称を与えられるのに眉を潜ませ、そういった一般的なラベリングやジャーナリズムを疎んじてさえいる。もちろん、そうだ、人間やグループというのは、一括の表現で語りつくせるものではない。もし、月並みな言葉で語り尽くせるならば、それは大したものとはいえないのだろう。

 

2ndアルバム『Gigi’s Recovery』は、ファースト・アルバムとは何かが異なっているように感じられる。いわば、彼らはここで、オートメーション化されることを嫌い、ポスト・フォンテインズ、ポスト・アイドルズと彼らを類型づける怠惰なジャーナルを忌避し、まったくその手が届かない地点に自分たちが歩みを進めたことを、実際のサウンドを通じて証明づけようとしている。それは、彼らの論理力による冷静な説得、もしくは、体外的な表明とも言いかえられる。ある意味では、彼らにジャスト・マスタードのような一般的なポスト・パンクサウンドを期待するリスナーに肩透かしをくらわせることは必須なのである。この2ndアルバムは、つまり、その核心には、ロンドンとダブリンの双方のパンク・サウンドを融合させた、この四人組にしか生み出すことの出来ない、ザ・マーダー・キャピタル特有のサウンドが存在する。ロンドンのミュージックシーンにしか存在しえない華やかであり骨太なパンクサウンド・・・、そして、ダブリンのミュージックシーンにしか存在しえない繊細な簡潔さ・・・、一見すると相容れないこれらの2つの固有の要素を自然なかたちで取り入れることにより、これまでに存在しえなかった唯一無二のサウンドを、彼らは二作目で探究していくことになった。それは、デビュー作『When I Have Fears』では、荒削りなポスト・パンクサウンドで鮮烈かつ強固な印象を与えてみせたが、The Murder Capitalは二作目でそのセーフティー・ゾーンから離れ、唯一無二のオリジナル・サウンドを開拓しようと試みたとも言える。これは危険なことだ。すでに手中に収めかけた成功をみすみす手放すことになる可能性もある。

 

しかし、彼らはその場から離れ、次なる地点へと勇ましく歩みを進めた。そもそも、冒険のないところに革新が存在するだろうか。ザ・マーダー・キャピタルは、その次の手応えを探すことをためらわなかった。最初のシングル「Only Good Thing」の発表時、この2ndアルバムについて「多くの人が予測していたものと違うものになる」という趣旨の言葉を残している。もちろん、それはレコード会社にプロモーションとしていわせられたことでも、ありがちな宣伝文句をうたおうとしたわけでもない。「Only Good Thing」にはデビュー時とは異なる、エモーショナルなポップ性、オルタナティヴ・ロック直系のコード進行のひねりが顕著に表れている。さらに、シングル発表からしばらくして公開されたミュージック・ビデオは、映画のような物語性が映像に反映され、また、ミステリアスな雰囲気が漂い、それは取りも直さず、ザ・マーダー・キャピタルの最初のゴツゴツとしたポストパンクバンドとしてのイメージを完全に払拭するものとなった。2019年から、このバンドを知るファンにとっては、このファースト・シングルは、意外性と戸惑いをもたらしたと思われるものが、それはすぐさま納得ともいうべきなのか、このバンドの先入観を覆す説得力に変わったに違いない。そして、その言葉どおり、この2ndアルバムは、デビュー作で確かな手応えを感じた四人組の大きな成長を証し立てる作品となったのだ。 

 

「Only Good Thing」

 

  

 

  アイルランド/ダブリンのオルタナティヴ・ロック・バンド、ザ・マーダー・キャピタルが2019年のデビュー作『When I Have Fears』をヒットさせたとき、彼らは、同郷アイルランドのフォンテーヌ・D.C.や、同じく最近のポストパンクの最たる成功例であるIDLES(アイドルズ)と比較されたは稀なことではなかった。フロントマンのJames McGovern(ジェイムス・マクガバン)は、「バンドとして集ったのは大学時代のことで、それは、友人として集まったわけではなく、音楽を専心して作るためだった」と回想している。しかし、それは当初、自身の中にある嫌悪感やフラストレーションのような負の感情を昇華するために機能していたという。そして、自分の感情の中にある安全な領域を守るため、「いや、あそこはクソだとか、なんであんなところに住んだんだろう!"って自分に言い聞かせたりする。最初のレコードでも同じようなことをしていたんだと思う。あのアルバムはとても誇りに思っていたのに、レコーディングをした後には、「あんなことはもう二度とできない.....」って感じだったんだ」。その頃には、彼らはフォンテーヌやアイドルズと比較されることさえ嫌になっていたのだった。


フロントマンのジェイムス・マクガバンにとって、デビュー作『When I Have Fears』は、それまでの音楽的な蓄積を余さず表面化させたものであったが、しかし、あろうことかデビュー作の製作後には、あるていど、このパンクサウンドに限界を感じていたのも事実だったようである。そして、その時、周りの欠点について考えを巡らせたりすることで、自己保身をすることは健全ではない、という思いが立ち上ったという。そこで、ザ・マーダー・キャピタルは内面の変遷を経て音楽性の転換期を迎える。それはファースト・アルバムの延長線上にありながら、変わることを余儀なくされたとも言える。そして、1stアルバムがいわば自由奔放なポスト・パンクサウンドを基調としており、「悲しみと喪失を直接的に表現していたため、辛辣で荒涼としたサウンドを伴っていた」のに対し、今回の二作目はより自己観察を重視し、その中での自己を受け入れる経過に重点が置かれている。しかし、その内面の詳察については、それ相応の時間を必要とし、また、そのこと自体は大きな困難を極めるものであったことは事実だった。それはまた、幸か不幸か、他のバンドと同じように、パンデミック時の孤立の期間と重なっていた。ジェイムス・マクガバンは、ダブリン、ドニゴール、ウェックスフォードで何ヶ月も孤立して過ごし、さらにロンドンで6ヶ月、何があるのか自分自身を見つめ直したのである。

 

先入観を持って見ると、この世界に悪弊しかもたらさなかったように思えるCovid-19のパンデミックの孤独や孤立が、自己省察の機会や音源製作における強い集中性を生み出したという指摘もなされている。それらは、むしろ、2020年以降の世界情勢に影響を与えたにとどまらず、それ以後の音楽の世界を変えてしまったのである。そして、事実、ザ・マーダー・キャピタルのメンバーも、この時流の動向に逆らわず、それに沿うことにより、洗練され磨き上げられたサウンドを生み出すために時間を割いた。このことは、二作目の『Gigi's Recovery』を聴くと分かるように、緻密で細部にわたり十分計算され、そして、試行されつくした完成度の高いサウンドとして顕著な形で表れ出ている。とりわけ、ファースト・アルバムでは使用されなかった機材やエフェクターも複数ある。ギタリストのDamien Tuit(ダミエン・トゥット)とCathal Roper(キャーサル・ローパー)は、デビュー・アルバム以前のディストーション・ギターを多用した音楽観から脱却するため、FXペダルとシンセを大量に購入し、バンドサウンドの試行錯誤を重ねていった。彼らは、「”音楽のエネルギーと感情を損なわない煩瑣"のモデルとしてRadioheadの『In Rainbows』のエレクトロ・サウンドを参考にした。さらに、James McGovernは、どのような点にレディオ・ヘッドの影響を受けたかについては、「雰囲気、質感、色彩がほとんど全てだった」と語っている。 これははある意味で正直な言葉であることが理解出来る。二作目の先行シングルとして公開された「A Thousand Lives」では音楽性に実験性と繊細さが加わり、そして何より、素晴らしいのは、明らかに以前にはなかった艶気のような雰囲気が音楽の節々に漂っている。これがバンドとしての深化と言わずしてなんに喩えられよう。

 

 「A Thousand Lives」



  さらに、2ndアルバム『Gigi’s Recovery』の魅力は、表面的なサウンドの変更だけにとどまらない。彼らは、今回、文学性を歌詞の中に込めようと試みており、そしてそれは20世紀の偉大な文学者の作品にある遺伝子を引き継ぎ、それらを現代的なリテラチャーとして親しみやすい形で組み直そうと試みているのだ。


最新作のテーマとなる内容について、ジェイムス・マクガバンは以下のように話している。「私の寝室に歌詞の犯罪現場のようなものがあって、それらは、すべてノートブックから引き抜いた紙片でした。歌詞を並べ替えてみては、それをじっと凝視していた。完全に取り憑かれていたんだ」。彼は詩を書き上げる過程で、上記のような試行錯誤を何度も繰り返し、そして、実際に文学の素養を得ることを怠らなかった。英国の詩人、T.S.エリオットの名作『荒地』、フランスのダダイズムの作家、ポール・エリュアールの『愛の詩』を読み耽った。それにとどまらず、伝説的なロック詩人、ドアーズのジム・モリソンからも強いインスピレーションを受けた。

 

「もっとメロディックで、もっと歌える曲を多く書いて、デビュー・アルバムの攻撃的なポストパンクから一定の距離を置きたかった」と話すジェイムス・マクガバンは、さらに、それらの音楽により円熟味を加味しようと、古き良き時代の音楽、特に、フランク・シナトラの作品にも触れることにもなった。その結果、2ndアルバムに収録された12曲は、より新鮮味がありながらも奥行きのあるサウンドに変化した。グラミー賞を受けた敏腕プロデューサー、ジョン・コングルトンと共に2022年初頭にフランス/パリでレコーディングが進められるうち、The Murder Capitalの音楽は、変革期の月日の目まぐるしい変遷とある種の興奮のさなかにあって、それぞれが音の連続とダイナミックスに支えられた全く予測出来ない内容に深化を遂げていく。これらのサウンドは、数々の試作を経た後の高い地点に居定め、それが一種の緊張感を持って絶えず持続している。それはアルバムの実際の音楽に、コンセントレーションを与えているのだ。



これらの新旧の音楽や文学の影響を複雑に織り交ぜたオルタナティヴ・サウンドは、曲がりくねった坂道のように一筋縄ではいかない音楽となっている。これは、一見すると不可解なように思えるかもしれない。それはこの2ndアルバムの音楽は前例があるようでいてないからで、ひとつの内容ではなく、多種多様な内面の変化を反映しているからである。しかし、それと同時に、この2ndアルバムは、地域を選ばず、幅広い世代に親しみやすさや共感性、そして奇妙なカタルシスをもたらすことと思われる。それほど取っつきやすいサウンドとはいえないのだが、その中にはいいしれない親近感をおぼえる瞬間もあるはずだ。その最たる理由は、『Gigi's Recovery』に込められた物語の多くは、ある意味ではフィクションを基に構成された作品でありながら、バンドメンバーの人生における真実を反映した作品でもあるからなのだ。2ndアルバムの核心にあるもの、それは、ザ・マーダー・キャピタルが共に歩んできた青春時代の記憶と密接に関係しているという。これらの青春時代のメランコリアを体験したことは誰にだって一度くらいはあるはずなのだ。

 

「Ethel」

 

 

  そのことについて、「あらためて、これまでとは自分の身体と自分自身への接し方を変えてみる必要があった」とジェイムス・マクガヴァンは話している。「あの時代、不安症であろうと、うつ病であろうと、メンバーは、皆それぞれ異なる切実な問題を抱えていた。しかし、今回の内面的な探求という苦難の経験を経ることによって、The Murder Capitalは、よりいっそう絆を深められたし、無二の友人となった。このバンドにとって、制作はこれまでで一番素晴らしい出来事だった」

 

その手応えははっきりとしたかたちでセカンド・アルバム『Gigi’s Recovery』に表れ出ている。外側と内側の双方からブラッシュ・アップを重ねたことで、より説得力のある作品となったのだ。ついで、彼らは前作からの大きなステップアップに挑んだだけではなく、内的な観察を交えて、よりエモーショナルで、手強いバンドサウンドをここに確立したわけである。この2ndアルバムは、ザ・マーダー・キャピタルが以前のポスト・パンクサウンド、そして、ダブリンのバンドのフォローとしての立ち位置をすでに脱却したことの証となるはずだ。同時に、この作品は、これまで突破口が見いだせなかったオルタナティヴの新たな可能性が示された瞬間でもある。

 

The Murder Capitalの2ndアルバム『Gigi’s Recovery』はHuman Session Recordsから1月20日に発売されます。。

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