Eluvium 『(Whirring Marvels In)Consensus Reality』

  Eluvium 『(Whirring Marvels In)Consensus Reality』

 

 

Label: Temporary Residence Ltd.

Release: 2023/5/12


 

Review


米国オレゴン州ポートランドの電子音楽家/現代音楽家、Eluvium(マシュー・ロバート・クーパー)は、2020年と翌年のロックダウン中に、アメリカ・コンテンポラリー・ミュージック・アンサンブル、ゴールデン・レトリバー、ブダペスト・スコアリング・オーケストラのメンバーを集め、リモート会議を通じて、このアルバムのために各楽団のオーケストラを録音した。

 

『Consensus Reality』の制作中、マシュー・ロバート・クーパーは肩と腕の痛みに悩まされ、左腕の運動に支障をきたしていたという。そのため、何年もかけて書き留めておいた思考、詩、考察、陰謀、科学的な観念、自己存在の哲学的な思考といった事柄が記されたノートから、アルゴリズムにより、それらの内容を抽出し、電子的なオートメーションや旧来のソングライティングを駆使し、電子音楽とオーケストラレーションを合致させた作風にチャレンジしたというのである。

 

この数年、マシュー・クーパーは、アンビエントの連作『Virgla』の立て続けに二作発表しており、三作目が来るものと考えていたが、予想に反して本作は新規のオリジナル音源であり、連作のアンビエントとは明らかに作風が異なる。これまでシンセサイザーを基調としたエレクトロニカ、オーケストラ音楽に根ざしたピアノ音楽、果てはドローンまで多角的にエレクトロを追求してきた音楽家は、むしろ都市の閉鎖という現実性に抵抗を示すかのように、人や演奏家とのコミュニティに重点を置き、時代の要請する奇妙な虚偽に争ってみせる。オーケストラストリングスの芳醇な響きを持つ「Escapement」を筆頭にして、音楽家が当時、どのような状況に置かれていたのか、そしてその暗澹たる状況に対する反駁のような考えが示されている。神秘的な鐘の音を交えたイントロから続くストリングスのハーモニーは聞き手を現実性から遠ざけ、それと正反対に創造性豊かな領域へと導き入れる。終盤にかけてベルを取り入れているのを見ると、現実性を追求した作品というよりも、理想主義的な側面を取り入れたアルバムと推察することが出来る。実際に、そのベルの音色は、高らかな天上の啓示とも解釈できるわけである。


それからアルバムは、二曲目の「Swift Automations」を通じてオーケストラの音源を駆使した反復的な弦楽の格調高いパッセージを交え、爽やかな雰囲気へと導かれていく。マシュー・クーパーは弦楽器のサンプルをオートメーション化し、それを電子音楽の反復的な要素として導入している。そしてこのストリングスのパッセージに加え、ピアノのフレーズを組み込み、それらを構造的な音楽として解釈しようとしている。曲は、ヴァイオリンの繊細なトレモロにより、高揚感のある雰囲気へと引き継がれていくが、しかし、それは一貫して清涼感に富んでいる。


続く3曲目のタイトル曲では、いわゆるフルオケのような形で、電子音楽とオーケストラレーションを融合させている。マシュー・クーパーは、指揮台の上でタクトを振るうコンダクターのさながらに、それらのノートを一つずつ吟味し、慎重に配置している。曲の中盤では、グロッケンシュピールの音色を交えつつ、ダイナミックな起伏を作り、低音部を強調するチェロを始めとする弦楽器の厚みがその神秘性を支え、アルヴォ・ペルトの「Fratress」に代表される弦楽器の短いパッセージの反復の技法を駆使することで、中盤から終盤部にかけて、タイトル曲は宇宙的な壮大さ、及び、それにまつわるロマンチズムを表した曲調へと変化をたどるのである。

 

アルバムの中盤部では、木管楽器(オーボエ)のレガートのたおやかな演奏ではじまり、まさにその後の展開の呼び水のような役割を果たしている。その後、和音を重んじて挿入される弦楽器の複数の調和は聞き手を陶然とした境地に誘い、低/中音域を強調した重厚な和音が物語性を引き出し、音楽家の哲学的な思考を鮮明にする。微細なパッセージの強弱の変化、及び、繊細な抑揚の変化は、およそリモートを通じて録音されたとは思えず、実際のコンサートホールで聴くようなリアリティとエモーションを兼ね備えており、深い情感を聞き手に授けてくれるはずだ。


さらに続く、「Phantasia Telephonics」では電子音楽のミニマル・ミュージックに方向性を転じる。サウンドトラックとしても聴くことが可能であるこのトラックは、アルバム全体の連結部のような効果を及ぼしている。


中盤からは、ドローンやノイズの要素を強烈に押し出すが、対象的にクライマックスではアルバムの冒頭部のように、クラシカルへと転じていき、モーリス・ラヴェルの色彩的な管弦楽法のように精妙な弦楽器のフレーズを短くつなげている。曲の終盤部の木管楽器と弦楽器のダイナミックなオーケストラレーションは、イタリアの作曲家、オットリーノ・レスピーギの『ローマの松」に比するファンタジックな領域に踏み入れる。電子音楽とオーケストラによる交響詩のような緻密な構造性が、この音楽家の豊かな創造性を通じて繰り広げられていくのである。


それに続く「The Violet Light」は、ミニマルの構造性を持つ一曲であるが、ピアノと木管楽器の音響性をうまく踏まえて、それを作曲家の得意とする抽象的な音楽形式に落とし込んでいる。ピアノと木管楽器の合奏のような形式を取るが、少なくとも、持続音の後に訪れる減退音をディレイやリバーブの加工をほどこして、楽器の持つ音響の可能性を拡張するようなトラックである。特に音が響いている瞬間ではなく、音が消えた後の瞬間に重点が置かれるという点にも着目したい。


続く「Void Manifest」は、アルバムで唯一ボーカルのサンプリングを交え、オーケストラレーションと融合させている。しかし、そのボーカルのサンプリングは飽くまで器楽的な音響性を重視しているので、聞き入らせる力を持つ。中盤からは電子音楽のオペラの形に転ずるが、その後、アンビエントやドローン、ノイズというマシュー・クーパーの旧来のキャリアの中で蓄積してきた技量を遺憾なく発揮することによって、前衛的な音楽が終盤部において完成するのである。

 

ここまでのストリングスとエレクトロの融合性を重視した楽曲群が第二部であると解釈すると、以後の第三部の収録曲は、旧来よりマシュー・クーパーが得意としてきた静謐なピアノ曲の印象が際立っている。「Clockwork Fables」は、モダンクラシカル/ポスト・クラシカルの主流の曲であり、Goldmund(キース・ケニフ)が書いたとしても、それほど不思議ではない。ピアノのフレーズは一貫してシンプルであり、とても落ち着いているが、シューベルトをはじめとするオーストリアのロマン派の作曲家の書いたささやかな小品に近い淡い叙情性を漂わせている。


それ以前の収録曲と同様、オーケストラと電子音楽の融合を図った「Mass Lossless Interbeing」を挟み、「A Floating World of Dreams」では、ピアノとシンセを基調とするポスト・クラシカルに舞い戻り、このアルバムな安らかな境地へと導かれる。クローズトラック「Endless Flower」でも、シンプルなピアノの楽節の構成を通じ、平らかではあるが劇的な音楽性を完成させている。


今回のアルバムを通じて、アーティストは様々な概念や領域を経巡るが、最後にはストリングスのトレモロの効果により、晴れやかな地点へと落着し、クライマックスは、クラシックの交響詩に匹敵する晴れやかなワンシーンが用意されている。最後の曲を聞くかぎりでは、オーケストラ作品としてはかなり仰々しさがあるにしても、マシュー・クーパーが作り出そうと試みる音楽性には好感が持てるし、この音楽が以後どのように完成するのか大いに期待させるものがある。

 

 

78/100

 


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