Future Islands : People Who Aren't There Anymore - Review グラミー賞プロデューサー、ジョン・コングルトンとLAで録音

 Future Islands    『People Who Aren't There Anymore』

 


 

Label: 4AD

Release: 2024/1/26

 

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Review 

 



 ボルチモアのフューチャー、アイランズは、2008年のデビュー当時は、実験的なシンセポップ・サウンドが持ち味だった。

 

 以後、フューチャー・アイランズは、2015年の一年間に1000回に及ぶ過酷なツアーをこなし、弛まぬ成長を続けてきた。2011年頃から、バンドはポピュラー性を前面に出すようになり、ソングライティングのメロディーを洗練させ、アンサンブルに磨きをかけてきた。グラミー賞プロデューサー、ジョン・コングルトンとLAで録音された『People Who Aren't There Anymore』は、サミュエル・T・ヘリングの年を重ねたがゆえのボーカルの円熟味、ウィリアム・カシオンの骨太なベース、そして全体に華やかさをもたらすゲリット・ウェルマーズのシンセサイザー、ソングライティングに携わった三者三様の個性が良質な科学反応を起こしている。

 

 近年、ラフ・トレードが年間ベストに選出したNation Of Language(ネイション・オブ・ランゲージ)を筆頭に、ヒューマン・リーグやジャパンといったニューロマンティックやニューウェイブに属するバンドが、ニューヨークを中心に盛り上がっている。この動向はロンドンを中心に隆盛を極めるポストパンクとは別のウェイブを巻き起こしそうな予感もある。


 70年代のニューウェイブに対するノーウェイブの復刻とまではいかないが、ポストパンクバンドが飽和状態にあるシーンを鑑みると、シンセ・ポップはポスト・パンクに対する一石を投じる存在で、穏当に言えば、新鮮な気風をもたらす意味があるのではないだろうか。少なくとも、ニューロマンティック/ソフト・ロックに属するバンドの楽曲は、世の中に無数に氾濫する情報過多の音楽の中にあり、清涼味をもたらす。ノイジーな音楽に食傷気味のリスナーにとって地上の楽園ともなりえる。

 

 アルバムのタイトルに関しては、アガサ・クリスティーの推理小説の題名のようであり、実際、様々な推理や憶測を交えることができる。


 すでに自分の元を去っていった人々への惜別か、それとも、会うことが叶わぬ人々に対する哀愁の思いか、定かではないが、生きていれば、人間関係は驚くほど早く移り変わり、いつも当たり前と思っていることは全く当たり前ではなく、いつも普通に接している人々は、もしかすると、その後、普通に会えなくなることもある。そんなことをやんわりと教え愉してくれる。


 タイトルにこめられた「最早そこにいなくなった人々」という伏線的なテーマは、「King Of Sweden」におけるベースとシンセを中心とするアプローチに乗り移り、サミュエル・ヘリングの渋いボーカルが加わり、フューチャー・アイランズの代名詞となる緻密なサウンドにより構築されていく。デペッシュ・モードに比するロック的な響きも求められなくもないが、ボーカルの合間に導入される癖になるレトロなシンセが、曲の持つエネルギーを増幅させる。これらの見事なアンサンブルに関して、なんの注文をつけることができよう。明らかに三分半頃からのヘリングのボーカルには、ロックに引けを取らないエナジーを感じ取ることができる。2010年頃に飽和したかに思えたシンセ・ポップが今も健在であることを、彼は身をもって示している。

 

 もうひとつのハイライトは「The Tower」に訪れる。内省的なシンセのフレーズを遠心力として、ヘリングの円熟味を感じさせるボーカルが同じように和らいだ感覚をもたらす。バンドは以前よりもアンセミックで親しみやすいサウンドを追求しているが、「High」というフレーズの繰り返しのところで、この曲は最高の瞬間を迎える。ヘリングはオープナーと同様、ロック的なエナジーをもたらそうとしているが、反面、対旋律的な動きを重視したベースライン、ムーグシンセのような音色を駆使することもあるシンセラインは驚くほど落ち着いている。これがサウンドの絶妙な均衡を保ち、静謐さと激しさを兼ね備えた音楽を生み出す要因になっている。

 

 

 アルバムの中盤では、ライブサウンドを意識した楽曲が収録され、オーディエンスをどのように熱狂の中に取り込むかという狙いも読み解くことができる。「Say Goodbye」、「Give Me The Ghost Back」はフューチャー・アイランズのアグレッシヴな側面が立ち現れ、前者はソフト・ロックを基調としたベースラインの力強さに、そして後者は、ニューロマンティックの懐古的なボーカル/シンセの中に宿る。これらのサウンドは、アルバムの冒頭の収録曲と同じように、2つの側面ーーサイレンスとラウドーーという対極にあるはずの音楽が合致することで生み出される。


 その後、微細な感情の揺れ動きを巧みに表現するかのように、2つの対比的なトラックが続く。「Corner Of My Eye」は暗喩的に含まれる悲哀をどのようにダイナミックな音楽表現として昇華するのかという思いが読み取れる。昨年のGolden Dregsほど明確なアプローチではないものの、人生の中における目の端の涙を拭うかのように、その後の希望に向けて歩き出す過程を親しみやすいシンセ・ポップとして刻印している。実際、サビの部分では、彼らのレコーディングの経験の側面が立ち現れる瞬間があり、ロサンゼルスの海岸のようなロマンティックで開けた雰囲気、あるいはそのイメージが脳裏に呼び覚まされる。背後に過ぎ去った悲しみに別離を告げ、未知の新しい人生に向かい、少しずつ歩み出すかのような清々しさを味わえる。続く「The Thief」は対象的に、YMOのようなサウンドを基調とするスタイリッシュでレトロなポップスが展開される。シンセのフレーズにアジア音楽のスケールが取り入れられることもあり、ボーカルのヘリングの声には、ちょっとユニークでおどけたような感覚がうっすら滲み出ている。


 

 アルバムの終盤には、「Iris」を筆頭にし、80年代のドン・ヘンリーやフィル・コリンズの系譜にあるノスタルジア満載のサウンドが繰り広げられる。ただフューチャー・アイランズのアプローチは、コリンズのようにR&Bの影響はなく、純粋なソフト・ロックをダンサンブルに解釈していて、なかにはニューウェイブに近い音楽性も含まれている。「Peach」に関してはスティングが志向したような清涼感のある80年代のポピュラー音楽に対する親和性も感じられる。

 

 後半では、コンポジションに大掛かりな仕掛けが施され、ライブを意識した大きなスケールを持つ曲が収録されていることに注目したい。


 特に「The Sickness」に関しては、ライブの終盤のセットリストに組まれてもおかしくない曲で、聴き逃す事はできない。ドラマティックな感覚をバンドサウンドとしてどのように呼び覚ますのかに焦点が絞られる。実際、ここには完璧な形でこそないにせよ、エモーショナルという側面で、フューチャー・アイランズの真骨頂が垣間見える。トロピカルなイメージを持つシンセ、対旋律的なベース、渋いボーカルが化学反応のスパークを起こす時、彼らの従来とは異なる魅力が現れ、一大スペクトルを作り上げる。そこには、かすかでおぼろげでありながら、バンドの最も理想とするサウンド、グループの青写真が断片的に示唆されていると言えるだろう。

 

 

 

82/100 

 


「The Tower」