J.S. Bach - 『Goldberg-Variationen BMV 988』 チェンバロの高らかな音響の再発見 

 


 

J.S.バッハによる「Goldberg-Variationen(ゴールドベルク練習曲集) BMV988」は19世紀以降、「ゴールドベルク変奏曲」という名で親しまれている。

 

ピアノの演奏では、古くはグレン・グールド、現在はアンドラーシュ・シフ、オラフソン等の録音が有名だが、2000年以降、複数の音楽家が、チェンバロ(ハープシコード)の演奏により、スコアの従来とは異なる魅力を引き出そうと試みている。

 

これはベートーベンの時代のフォルテ・ピアノの楽器も用い、その時代の音楽を再現させようという試みである。ハンマー・クラヴィーアとは異なり、18世紀の宮廷で響いた音楽とはかくなるものではなかっただろうか、というような歴史的な考察を交えながら、音楽を楽しむという趣が込められているのではないだろうか。時代検証や古い時代に対するロマンを音楽的な感性によって駆り立てようという試みは、もっと高く評価されてしかるべきではないだろうか。

 

では、このJ.S.バッハによるゴールドベルク練習曲集は、どのような経緯で作曲されたものだったのか。ウイーン原典版にはこうある。


ーーその愛好家の心の慰みのため、ポーランド国王兼ザクセン選帝侯の宮廷作曲家、楽長、ならびにライプツィヒ 音楽隊監督、ヨハン・セバスティアン・バッハが作曲した。ニュルンベルクのバルタザール・シュミートにより刊行ーー


この音楽は癒やしのために宮廷の王侯に捧げられた楽曲集らしいということがわかる。

 

 ゴールドベルクの楽譜彫版は、発行責任者であるシュミートが自ら行った。バッハはこれに先駆け、自費出版をしている。このことから、第四部を出版者に委任した際に、番号付けを断念したことが伺える。

 

初版の発行には、出版年が明記されず、この時代の楽譜出版では一般的であった出版番号(彫版番号とも)も記されていない。

 

つまり、ゴールドベルクの成立した年代は不明であるが、1つだけ手がかりがあり、表題のページの上にある「16番」という数字が明記されているため、1741年よりも前に作曲されたという可能性は少ないというのが一般的な説となっている。通説では、1740年にこの「ゴールドベルク練習曲集」が書かれたことが確実視されている。

 

バッハ研究の第一人者として有名で、伝記も出版しているヨハン・ニコラウス・フォルケルは、このスコアはバッハの年上の息子の申し立てに基づき、変奏曲がドレスデン宮廷のロシア大使であった帝国伯ヘルマン・カール・フォン・カイザーリンクの委嘱により、そのお屋敷のお抱えのチェンバロ奏者ヨハン・ゴートリープ・ゴールドベルクのために書かれたと記している。

 

ーーあるとき、伯爵はバッハに穏やかでいくらか快活な性格を持ち、眠れぬ夜に気分が晴れるようなクラヴィーア曲をお抱えのゴールドベルクのために書いてほしいと申し出た。変奏曲というものは、基本的に和声的な変化を付け加えることが少ないので、バッハ自身はやりがいのない仕事であると考えていたが、伯爵の希望を満たすためには変奏曲が最も望ましいと考えた。そしてバッハは完成品の報酬として、ルイ金貨が100枚詰められた金杯を受け取った。ーー

 

しかしながらこの一般的な通説に関しては疑問視されている箇所もある。まず、貴族からの委嘱作品には正式の献呈の辞をつけることが習慣付けられていたが、これが記されていないという点。そしてバッハがチェンバロ奏者ゴールドベルクのために書いた可能性が限りなく低いのではないかという指摘もある。つまり、1737年頃からバッハの弟子だったゴールドベルクは、この作品が作曲された年に12-13歳だったからである。さらに、ゴールドベルク変奏曲に先立って出版された『クラヴィーア練習曲集』の最初の三部のシリーズとなっており、それらの作品群には委嘱者が記されていない。


上記の点から、これらが委嘱作品と見なすには疑問点がいくつも発見出来る。しかしながら、それと同時に、ヨハン・フォルケルの報告が史実の核心に基づいて行われていることも事実である。1741年の11月、バッハは、ドレスデンのカイザーリンク邸に滞在し、そのときにかれは伯爵に手書きの献呈の辞を添え、その伯爵邸にて、このスコアを直接贈ったか、もしくは献呈をする約束をしたという可能性が浮かび上がってくるわけである。


ヴァイマール時代のオルガンのためのコーラス変奏曲以来、バッハは変奏曲を書くことに興味を示したことはほとんどなかったという。1740年代に対位法的な晩年の作風の時期に至ると、バッハはようやく、この変奏曲という作曲形式に興味をいだきはじめた。そしてこのゴールドベルク練習曲の多楽章を連ねた形式を、彼の卓越したコンポジションの手腕により、首尾一貫したツィクルスに高めようとしたというのが、この楽曲集のウイーン原典版の説明である。

 

このスコアの再演に関しては、ピアノによる演奏が有名だが、その他にもチェンバロ(ハープシコード)による再演を試みる演奏家もいる。

 

特に、傑出した再演をリリースしているのが、アメリカのチェンバロ演奏家であるロバート・スティーブン・ヒル(Robert Hill)、そして、ベルギーの演奏家であるフレデリック・ハース(Fredrick Haas)が挙げられる。前者は、チェンバロのライブ録音により、ダイナミックな音響性を重視したアルバム『Bach: Goldberg Variations』を2011年にリリースしている。

 

後者のフレデリック・ハースは、「Clavin Henri Hemsch 1751」というフランスの18世紀に制作されたアンティークのハープシコードで落ち着いた演奏をレコーディングで披露している。

 

双方ともに、ハープシコードの制作の年代に違いがあるため、演奏される楽器の調音が異なる。少なくとも、ピアノとは一味違うゴールドベルク変奏曲のパフォーマンスを楽しめる。前述したように、フォルテ・ピアノよりも格調高い響きには洗練性と気品が漂い、崇高な音響性が生み出されている。

 

 

 

Robert Hill  『Bach: Goldberg Variations』 /   Music and Arts Program of America 2011



 

1993年5月18日にフライブルク、カウフハザールでロバート・ヒルのライブ録音。・アルバムにはライブ録音が持つ緊張感、それに負けぬ卓越したヒルの演奏、それに加え、その場に居合わせた観客の拍手も収録されている。アートワークのはフェルメールの絵画「音楽のレッスン」。

 

ハープシコードのきらびやかな音の響きを堪能出来、演奏の間にはチューニングピンや響板が軋む音が、演奏者の息遣いとともに精妙な音が録音されている。ゴールドベルクはそもそも、大作であるため、聞くのに根気を必要とするのは事実であるが、ロバート・ヒルの卓越した演奏力はそれらの間を超越し、緩急に富んだゴールドベルクの物語性を喚起させ、最後の「アリア」に至る時、またそれらのすべての音が鳴り止んだ時、観客の歓声とともに感動的な瞬間を呼び起こす。ハープシコードの演奏のゴールドベルク変奏曲のライブの決定版に位置づけられる。

 

 

 


 



 

Fredrick Haas 『Bach:  Goldberg Variations BMV 988」/ La Dolce Volta 2010




ベルギーの演奏家、フレデリック・ハースは、チェンバロやフォルテピアノのソリストとして、オーソニア・アンサンブルのリーダーとして活躍している。1997年よりブリュッセル王立音楽院チェンバロ科教授。ドイツ、イギリス、ベルギー、フランスで定期的にマスタークラスを開催している。

 

1751年製のアンリ・ヘムシュ製チェンバロを所有し、この楽器をゴールベルク変奏曲の演奏で使用している。一般的なハープシコードと調音が異なり、比較的落ち着いたゴールドベルクの贅沢な響きを追求している。