Boeckner  ”Boeckner!” 遅咲きのロックアーティストによる痛快なデビューアルバム 

Boeckner

ダニエル・ベックナーは、心に溜まった夾雑物を理解し、その散らかったものを突き破って向こう側に潜り込むには''揺るぎない勇気''が必要であることを理解している。そしてボックナーの手にかかれば、その探求はポスト黙示録的なシンセとギターのヒロイズムによってもたらされる。


ウルフ・パレード、ハンサム・ファーズ、ディヴァイン・フィッツ、オペレーターズ、アトラス・ストラテジックとの活動を通して、カナダを代表するインディー・ロッカーは、''希望ほど喜ばしく、印象的で、生成的で、豊かな感情はない''と認識している。しかし、それには自分のやり方から抜け出す必要がある。その深い音楽的参考文献の集大成として、べックナーは自身の名前''ボックナー''で初のアルバムをリリースする。


「自分の中では、いろんな意味でまだバンクーバーでパンク・バンドをやっているつもりなんだ」とべックナーは笑う。「ティーンエイジャーの頃から始まって、僕の音楽人生は自分自身の音楽言語を発展させようとしてきた」


そう。ジャンルの探求がどこへ向かおうとも、パンクやDIYの空間で育ったべックナーには、コラボレーションの濃い血が流れている。『Boeckner!』は、親しみやすい要素の集まりで構成され、若い情熱と発見の同じスリルを引き出す。それは、夢と助手席の特別な誰かに後押しされ、テックノワールの街並みをジェット機で追いかけるようなものだ。


Boecknerは、この融合した言語をド迫力のオープニング・トラックとリード・シングル "Lose "で即座に紹介する。


オペレーターズとの2枚のレコードで培った焦げたスペースエイジのシンセと、ウルフ・パレードの拳を突き上げるようなギターに後押しされ、この曲は新世界へとまっしぐらに突き進む。"今、私は歩く幻影/レーダー基地での夜警 "とボックナーは歌い、まるで希望を失わないために時間との戦いに挑んでいるかのようだ。


その切迫感と情熱は、常にべックナーのトレードマークであり、彼自身のために書くことで、その感情をさらにスコープの中心に押し上げている。しかし、べックナーがこのアルバムの明確な原動力であるとはいえ、ソロ・デビューに協力者がいないわけではない。ニコラス・ケイジ主演のサイケデリック・ホラー映画『マンディ』のサウンドトラックに参加していた時にプロデューサーのランドール・ダンと出会い、べックナーはソロデビューに最適な相手を見つけたと確信した。


「私はずっと彼のファンで、特に彼がプロデュースした”Sunn0)))”のレコードはお気に入りだった。ランダルと仕事をすることで、抑えられていた音楽的衝動が解き放たれたんだ。プライベートでは楽しんでいるけれど、普段は自分がリリースする作品には織り込まないような、オカルト的なシンセや疑似メタル、クラウトロック、ヘヴィ・サイケの影響などだよね」


アルバムのハイライトである "Euphoria "は、オフキルターなダークネスを漂わせ、ヴィブラフォンのダッシュがシンセのうねるような波に翻弄されている。


「もう手遅れだ/時間は加速する/ゆりかごから墓場まで」とボックナーはまるでジギー・スターダストの核廃棄物のように叫び、グリッチしたエレクトロニクスがミックスから滴り落ちる。この曲のパーカッシブなドラムは、パール・ジャムのドラマーとしてだけでなく、ボウイやフィオナ・アップルとの仕事でも知られるマット・チェンバレンによるもので、アルバム全体を通してボックナーの力強いギターを後押ししている。


この強固な基盤のおかげで、ボックナーは感情的なイマジズムと、より地に足のついたストーリーテリングの間を思慮深く織り交ぜることができるようになった。このアルバムを通して、彼のイメージはSFにまで踏み込んでいるが、それは何よりもまず経験によって支えられている。  「初期のウルフ・パレードを除いて、私は常にフィクションの世界に身を置こうとしてきた。その典型例として、"Euphoria "の絶望的な到達点は、すべての行に感じられる」


べックナー、ダン、チェンバレンのトリオは、このアルバムのための一種のダーク・エンジンを形成し、チェンバレンは、各ドラム・トラックと同時にヴィンテージのアープ・シンセサイザーを起動させるという独創的なアプローチで、ボックナーがレコードの雰囲気を形作るのを助けた。その重層的な影が、アコースティック調の靄がかかったような「Dead Tourists」を彩っている。


この曲には、鋼鉄の目をした家畜、教会の教壇に並べられた死体、横転した高級車など、なんとも不気味で悪い予兆が散りばめられている。

 

この緊迫したフューチャリズムは、ダンのCircular Ruinスタジオに滞在していたベックナーの影響によるもので、薄暗いエレクトロニックなオーラが全トラックに歌い込まれている...。彼はよく、寝袋にポップ潜り込んで、シンセ・ラックの下で眠りにつき、小さな天窓からブルックリンの灯りを見上げ、隣でOneohtrix Point Neverの最新作をレコーディングしているダニエル・ロパティンのかすかな音が壁を通して聞こえてくる。


自身のロック・ルーツを掘り下げることに加え、べックナーは個人的なギター・ヒーローの1人を連れてきた。


「ティーンエイジャーの頃、メディシンの完璧なシューゲイザー・ノイズのレコードをカセットテープで輸入していて、ブラッド・ラナーのサンドブラストでチェルノブイリのようなギターが絶対に好きだった」と彼は言う。


べックナーは最初、ブラッド・ラナーが1曲だけ参加してくれることを願って連絡を取ったが、メディシンのギタリストはアルバム全体にギター・レイヤーを加え、ヴォーカル・ハーモニーのアレンジも手伝うことになった。特に「Don't Worry Baby」の呪われた言葉のない合唱は、ラナーのトレードマークであるメディスン・ギターの荒々しさを通してボックナーの作曲を表現している。


「このレコードは自伝のようなもので、アトラス・ストラテジック・ミュージックの具体的なシンセの爆発、オペレーターズの瑞々しいシンセ、ハンサム・ファーズのノイズ・ギター、シュトックハウゼンからトム・ウェイツまで、あらゆるものから同時に影響を受けている」とボックナーは言う。


そして、低音域の「Holy is the Night」でレコードがフェードアウトすると、変異したスカイラインは消え去り、"疫病の後 "の青空に変わる。もはやSF大作ではなく、『Boeckner!』はジョン・カセベテス映画の焼け焦げたVHSコピーのような、ケムトレイルと核の放射性降下物が遠くに消えていくようなものへと変化していく。「朝日が昇るまでに、どれだけの痛みを与えられるだろう、ベイビー/聖なる夜は、平和を手に入れられるだろう」と彼はため息をつく。



この世界は、君と僕が一緒にいることで、どれだけの血を流せるだろう? すべての優れたSFがそうであるように、感情や痛みは作者にとってもリスナーにとっても同様に心に響くものであり、ジャンルは人間的な経験を補強するためにそこで花開く。そして、これまで以上に多くのことを明らかにすることで、ボックナーは音楽的な激しさを予想外のレベルまで高めると同時に、旅の終わりに安らぎを見出したいと願っている。-SUB POP

 

 


Boeckner 『Boeckner!』



カナダのダニエル・ベックナーはウルフ・パレードの活動で知られているが、サブ・ポップからソロデビューを果たす。

 

このアルバムで、ベックナーの名前は一躍コアなロックファンの間で知られることになるかもしれない。ベックナーの音楽はシンセロックの内的な熱狂性、ソフトロック、AOR,ときにはニューロマンティックの70年代のロンドンの音楽を反映させ、それらをシューゲイザー・ノイズによって包み込む。彼の音楽の中には異様な熱狂があるが、ソロ・アルバムでありながらランドール・ダンのプロデュースによりバンドアンサンブルの趣を持つ作品に仕上がった。

 

アルバムには勿体つけたような序章やエンディングは存在しない。一貫してニューウェイブ・パンク、DIYのアプローチが敷かれる。ベックナーにとって脚色や演出は無用で、彼は着の身着のままで、シンセロックの街道を走り始め、驚くべき早さで、アルバムの9曲を走り抜けていく。彼は、いちばん後ろを走りはじめたかと思うと、並のバンドやアーティストを追い抜き、ゴールまで辿り着く。その驚くべき姿勢には世間的に言われるものとは異なる本当のかっこよさがある。

 

ときに、人々は何かをするのには遅すぎると考えたり、周囲にそのことを漏らしたりする。しかしながら、何かの始まりが遅きに失することはないのだ。ダン・ベックナーは私達に教えてくれる。「出発」とは最善の時間に行われ、そしてそれは、何かが熟成したり円熟した時点に訪れる。それまでに多くの人々はなんらかの仕事に磨きをかけたり、みずからの仕事を洗練させる。多くの人は、どこかの時点で諦めてしまう。それは商業的に報われなかったからかもしれない。何らかの外的な環境で、仕事を続けることが難しくなったのかもしれない。それでも、ダニエル・ベックナーは少なくとも、ウルフ・パレードのメンバーとして、音楽的な感性を洗練させながら、ソロデビューの瞬間を今か今かと待ち望みつづけてきた。デビューアルバムというのは、アーティストが何者であるかを示すことが必須となるが、ダン・ベックナーのセルフタイトルの場合、ほとんどそこに躊躇や迷いは存在しない。驚くべきことに、彼は、自分が何をすべきなのかをすべて熟知しているかのように、ポピュラー・ソングを軽やかに歌う。

 

ニューウェイブ風のパルス状のシンセで始めるオープニング「Lose」のベックナーのすべてが示されている。イントロが始まる間もなく、ダン・ベックナーの熱狂的なボーカルが乗せられる。彼の音楽的な熱狂性は、平凡なミュージシャンであれば恥ずかしく思うようなものである。しかし、それは10代の頃、音楽ファンになった頃にすべてのミュージシャンが持っていたものであるはずなのに年を重ねていくごとに、最初の熱狂性を失っていく。本当に熱狂している人など、本当はほとんど存在しないのであり、多くの人は熱狂している”ふり”をしているだけなのだ。

 

外側からの目を気にしはじめ、さまざまな思想と価値観の[正当性]が積み上がっていくごとに、徐々に最初の熱狂は失われていく。しかし、本来、「音を子供のように楽しみ、そしてそれを純粋に表現する」という感覚は誰もが持っていたのに、ある年を境目として、誰一人として、そのことが出来なくなる。それは多くの人が勝利や栄光を得ようと躍起になり、最終的に全てを失うことを示す。デス・オア・グローリー・・・。敗北への恐怖が表現の腐敗へと続いている。

 

ベックナーの音楽が素晴らしいのは、恐怖を吹き飛ばす偉大な力が込められていることなのだ。

 

アルバムのオープナーを飾る「Lose」は、敗北への讃歌であり、負けることを恐れないこと、そして敗北により、勝利への最初の道筋が開かれることを示唆している。ときにベックナーのボーカルやシンセは、外れたり狂うことを恐れない。それは常道やスタンダードから外れるということ。しかし、「正しさ」と呼ばれるものは本当に存在するのか。もしくは、スターダムなるものは存在するのか。誰かが植え付けた、思い違いや誤謬を、それがさもありなんというように誰かが大々的に宣伝したものではないのか。それらの誤謬に誰かがぶら下がり、その旗に付き従うとき、「本来、存在しなかったものがある」ということになる。それがコモンセンス、一般常識のように広まっていく。しかし、考えてみると、そこに真実は存在するのだろうか? 

 

「Lose」

 

 

ダニエル・ベックナーの音楽は、少なくともそれらの常識から開放させてくれる力がある。そして推進力もある。もちろん、独立心もある。「Ghost In The Mirror」は、ドン・ヘンリー、アダムス、スプリングスティーンのようなアメリカンロックとソフト・ロックの中間にある音楽性を爽やかな雰囲気で包み込んだナンバー。80年代のUSロックの色合いを残しつつ、スペーシーなシンセサイザー、パーカッション効果により、スタンダードなロックソングへと昇華している。サビでのアンセミックなフレーズは、ベックナーのソングライティングがスタンダードなものであることを示している。そして鏡の中にいる幽霊を軽やかに笑い飛ばし、それを跡形なく消し去るのだ。「Wrong」はThe Policeの系譜にあるニューウェイブをベースにし、そこにグリッターロックやニューロマンティックの艶気を加えている。ダン・ベックナーのボーカルはやはりスペーシーなシンセに引き立てられるようにして、軽やかに宙を舞い始める。

 

「Don't Worry Baby」は、Animal Collective、LCD Soundsystemを彷彿とさせるシンセロックのアプローチを図っているが、サビでは80’sのNWOHMのメタルバンドに象徴されるスタジアムのアンセムナンバーに様変わりする。曲の中に満ちる奇妙なセンチメンタルな感覚は、Europeの「Final Countdown」のようであり、この時代のヘヴィ・メタルのグリッターロックの華やかさと清涼感のあるイメージと合致する。ベックナーは、T-Rexのマーク・ボランやDavid Bowieの艶気のあるシンガーのソングライティングを受け継ぎ、それらをノイズで包み込む。しかし、ノイズの要素は、アウトロにかけて驚くほど爽快なイメージに変化する。Def Leppardが80年代から90年代にかけて書いたハードロックソングを、なんのためらいもなくベックナーは書き、シンプルに歌い上げている。これらは並のミュージシャンではなしえないことで、ベックナーの音楽的な蓄積と経験により高水準のプロダクトに引き上げられる。

 

アルバム発売と同時にリリースされた「Dead Tourists」は、アーティストのマニアックな音楽の趣向性を反映させている。Silver Scooter、20/20といったバロックポップバンドの古典的な音楽性をイントロで踏襲し、レコード・フリークの時代の彼の若き姿を音楽という形で体現させる。アーティストはウェイツのような古典的なUSポピュラーのソングライティングに影響を受けているというが、ベックナーの場合はそれらはどちらかと言えば、ジャック・アントノフのバンド、Bleachersが志すような、シンセ・ポップ、ソフト・ロック、そして、AORの形で展開される。曲の進行には、80年代のUSポピュラー音楽のアンセミックなフレーズが取り入れられ、それが耳に残る。古いはずのものは言いしれない懐かしさになり、それらのバブリーな時代を彼はツアーする。MTVのネオンは街のネオンに変わり、それらはホラー映画のニッチさと結びつく。これらの特異な感性は、彼の文化的な感性の積み重ねにより発生し、それがシンプルな形でアウトプットされる。シューゲイズ・ギターは彼のヴォーカルの印象性を高める。そして、さらにそれを補佐するような形で、スペーシーなシンセ、グリッター・ロック風のコーラスが入る。 しかしこの80年代へのツアーの熱狂性はアウトロで唐突に破られる。 

 

 

 「Dead Tourists」

 

 

「Return To Life」はアナログなシンセ・ポップで、Talking Headsのデイヴィッド・バーンに象徴されるようなニューウェイブの気風が漂う。クラフトワーク風のデュッセルドルフのテクノ、それらをシンプルなロックソング、2000年代以前のマニアックなホラー映画のBGMと結びつける。これらはMisfits、WhitezombieといったB級のホラー映画に触発されたパンクやミクスチャーバンドの音楽をポップスの切り口で再解釈している。そしてダン・ベックナーのボーカル、チープなシンセの組み合わせは、アーティストによる米国のサブカルチャーへの最大の讃歌であり、また、ここにも、ナード、ルーザー、日陰者に対する密かな讃歌の意味が見いだせる。そして、それは90年代のレディオ・ヘッドのデビュー・アルバムの「Creep」の時代、あるいは2ndアルバムの「Black Star」の時代の奇妙な癒やしの情感に富んでいる。栄光を目指したり、スタンダードを目指すのではなく、それとは異なる道が存在すること、これらは数えきれないバンドやアーティストが実例を示してきた。ベックナーもその系譜にあり、ヒロイズム、マッチョイズム、もしくは善悪の二元論という誤謬から人々を守るのである。

 

どうしようもなくチープであるようでいて、次いで、どうしようもなくルーザーのようでいて、ダン・ベックナーの音楽は深い示唆に富み、また、世間的な一般常識とは異なる価値観を示し続け、大きな気づきを与えてくれる。一つの旗やキャッチコピーのもとに大多数の人々が追従するという、20世紀から続いてきたこの世界の構造は、いよいよ破綻をきたしはじめている。この音楽を聴くと、それらの構造はもう長くは持たないという気がする。そのレールから一歩ずつ距離を置き始めている人々は、日に日に、少しずつ増え始めているという気がする。

 

その目でよく見てみるが良い、ヨーロッパの農民の蜂起、アフリカの大陸、世界のいたるところで、主流派から多くの人が踵を返し始めている。「Euphoria」は、株式の用語で過剰なバブルのことを意味するが、ベックナーは古いのか新しいかよくわからないようなアブストラクトなポップで煙幕を張り、目をくらます。ベックナーは、親しみやすい曲を書くことに関して何の躊躇も迷いもない。「ダサい」という言葉、もしくは「敗北」という言葉を彼は恐れないがゆえ、真っ向から剣を取り、真っ向からポピュラーソングを書く。誰よりも親しみやすいものを。クローズの「Holy Is The Night」は驚くほど華麗なポップソング。誰もが書きたがらないものをベックナーは人知れず書き、それを人知れずレコーディングしていた。そう、Oneohtrix Pointnever(ダニエル・ロパティン)が録音を行っているすぐとなりのスタジオで。

 

 

 

86/100 
 
 

Weekend Track- 「Holy Is The Night」

 
 
Boecknerによるセルフタイトルアルバム『Boeckner!』は本日、SUBPOPからリリースされました。ストリーミングはこちら。 ご購入は全国のレコードショップ等


先週のWEFは下記よりお読み下さい:



HOMESHAKE ローファイ&スロウコアの傑作 CD WALLET