Review: Vince Staples - 『Dark Times』

 Vince Staples  『Dark Times』 


 

 

 

Label : Def Jam/ UMG

Release; 2024/05/24

 


Review    ダーク・タイムズ

 

ニューヨークとならんでヒップホップのもうひとつのメッカであるコンプトンのイメージは、(私のラップの定義が00年頃で止まっているせいもあってか)、NWAやアイスキューブという巨大な存在もあってか、ラディカルでアグレッシヴ、そしてときにはデンジャラスであるとばかり考えていた。それはこの西海岸の地域がニューヨークとならんで、もうひとつのヒップホップの発祥地であるがゆえ、同地のラッパーは東海岸のラップをライバル視してきたという点と、80年代ごろの音楽産業の発展や拡大、それに関連するドラッグやレーベルの問題、サンプリングのライセンス問題など様々な出来事が折り重なり、ギャングスタラップというスタイルが生み出された同地域の由縁にある。『Americas Most Wanted』というアイス・キューブの傑作があるが、それはまだヒップホップがストリートの中にあり、バッド・ボーイという観念に絡め取られていたことを意味していた。

 

それから、およそ四十年近くが経過し、 同じくコンプトンから登場したヴィンス・ステープルズの前作アルバム『Ramona Park Broken Heart』は、(個人的には)そういったコンプトン=バッド・ボーイというイメージを払拭するものがあった。前作においてラッパーが込めたテーマであるホームという考えはなんとなく慈愛的で、そして傷つきやすさや脆さを隠していたNWAやアイス・キューブの時代と比べると、ミュージシャン/リリシストとしての表現性も大分変化したものだと思わずにはいられなかった。ヴィンス・ステープルズのラップは、むしろみずからの脆弱性を隠そうともせず、それらをシンプルに吐露するような印象を個人的には抱いたのである。

 

近年のラップは、オーバーグラウンドの大きな存在もあってか、それほど地域差というのが少なくなってきているように感じられる。そこで、以前のような南部のまったりとした巻き舌のニュアンスは訛りに聞こえるからか、わざと都会的なリリック捌きやフロウ、あるいはニュアンスを展開する音楽家も少なくないのかもしれない。ただ、それは同時に現代のロサンゼルスのラップが西海岸らしさを失ったことの証明にはならない。ヴィンス・ステープルズのラップは、少し巻き舌のまったりとしたニュアンスがあり、これはおそらく同地でメロウなソウルやチルウェイブ、あるいはローファイといった音楽が盛んであるからなのかもしれない。つまりそのニュアンスの中には、ラディカルなイメージとは対象的な落ち着きがある。確かなことは言えないが、ステープルズは、昨年、キラー・マイクがラップの悪漢的なイメージを払拭するために奮闘したように、この音楽の知的な側面や内省的な側面といった旧来のオールドスクールや、その後のギャングスタ・ラップとは対極にある表現性を探求するのである。

 

前作はぼんやりとした音楽のイメージがあったが、最新アルバム「Dark Times」はタイトルも意味深だし、音楽的に言っても、レゲエやチルウェイブ、ソウル、ディープハウスを中心とする多角的なディレクションが織り交ぜられた聴き応え十分のアルバムである。もっといえば、今年最初のアメリカのヒップホップの良作の一つに挙げられるかもしれない。いわば、前作で音楽の暗礁に乗り上げかけていた印象もあるステープルズは、この最新作において、癒やしや安らぎを重視した音楽にシフトチェンジを図ることで、次なるステップへと歩みを進めた。ステップという表現よりも、新しい境地を切り開いたというべきなのだろうか。現代の音楽のトレンドは、刺激性や即効性ではなく、癒やしや空白といったものに変化しつつある。聞き手にとどまらず、たぶん多くの音楽家はラディカルでエクストリームな表現に疲れてしまったのだろうか。

 

そして、ニューヨークやボストン周辺のアブストラクト・ヒップホップとは異なる前衛的な試みも取り入れられている。それは、アルバムの冒頭に収録されている「Close Your Eyes and Swing」での鳥の声のフィールド・レコーディングやモダンクラシックの音楽性を反映させたアーティスティックな表現、つまり旧来のラップのイメージを一新するということにある。しかし、先鋭的な音楽を選んだからといえ、オールドスクールを捨てたというのは極論となるかもしれない。ターンテーブルのスクラッチのチョップやブレイクビーツの技法を巧みに取り入れつつ、旧来のギャングスタやバッドボーイの表現をレゲエのリズムから解釈することによって、音楽そのものにマイルドさをもたらしている。言葉やリリックで表現によって差別的な表現やカルチャーの内奥に踏み入れるのではなくて、音楽やビート、アシッド・ハウスのような濃厚なグルーヴの流れやビートの渦のなかで、彼はシンプルにラップし、ストレートな表現を和らげながら、オーバーグラウンドのラップミュージックとは少し異なるオルタネイトな感覚をもたらしている。これは、言葉やリリックというものが先鋭的になりすぎた現代社会において、音楽性によって過激な印象を和らげるという手法が用いられているのかもしれない。そして「Black & Blue」、「Children's Song」に見いだせるような音楽性は、むしろヴィンス・ステープルズの音楽がサザンソウルのような旧来のR&Bの系譜にあるものなのではないかと思わせるものがある。これらのトラックはカニエ・ウエストほどにはサイケではなく、絶妙な均衡が保たれている。

 

最近のオルタナティヴ・ヒップホップは、そのほとんどが単一のジャンルで成立することは少ないように思える。そのだいたいがジャズ、レゲエ、ハウスといったブラックミュージックの異なる系譜の音楽をラップに取り入れ、ターンテーブルのような手法でボーカルの背景となるトラックやリズムを制作する。言ってみれば、それぞれの歌手の個性を引き出したようなラップを披露するのが一般的なのである。その中には感情性をむき出しにしたものや、一貫して感情の抑制を重視したものまで、その表現方法はラッパーの数だけ異なる。いわば、一つの模範的なアーティストが出てきたからといえ、模倣に終始することはほとんどなく、若干のニュアンスの変化により各々の個性を表現しようと試みる。その例に違わず、ヴィンス・ステープルズのラップは背景となるトラックがラディカルなものになろうとも、それとは対象的に落ち着いたリリックさばきを披露する。これはどちらかと言えば、アトランタのJIDにも近いように思えるが、ステープルズの場合、JIDほどにはまったりしておらず、そのリリックには強い核心のようなものが込められている。ただ、それは刺々しい表現や苛烈な風刺という形で昇華されるわけではなく、深読みを促すような暗示的なフレーズやリリックが暗に仄めかされる。これは解釈しだいでは、ラップが直接的な表現であった時代から、いよいよ現代詩のような暗喩やメタファーに近い、より手の込んだ文学表現に近づいてきたことの証立てともなりえる。

 

ヴィンス・ステープルズの音楽にはチルウェイブに加え、ローファイやサイケからの反映もあり、「Shame on The Devil」や、「Justin」、「Radio」にそれらのフィードバックを捉えることが出来る。「Liars」では、語りのスポークンワードのサンプリングを織り交ぜる現行のヒップホップのトレンドを踏襲している。こういったややマニア向けの音楽性も含まれる中、ステープルズのラップはオーバーグラウンドに近づく場合もある。「Etoufee」は、ドリルをポピュラーなボーカルトラックとして解釈し、ドレイクを思わせるクールなフロウを披露している。特に個人的に最もクールだと思ったのが、「Nothing Matters」である。UKのベースラインのビートを取り入れ、それをエレクトロニックの側面に解釈し、アメリカのヒップホップにインターナショナルな要素をもたらしている。近年の売れ線のラップは、グリッチでハイエンドのリズムを刻むことが多いが、アコースティック風のドラムの演奏を取り入れ、ハイハット、バス、タム、スネアが作り出すドラムンベースやベースラインを吸収したダンスチューンとして昇華される複合的なトラックメイクが、最近の米国のラップのトレンドとは一線を画しているように感じられる。これはどちらかと言えば、英国のSquarepusher、Loraine Jamesがダンスミュージック/エレクトロニックという領域で志向する電子音楽と生楽器の融合を、ラップというフィールドでやってのけている。少なくとも、ラップミュージックに新しい風を呼び込むような素晴らしいトラックだ。

 

さらにアルバムの後半には、よりダンサンブルな印象を持ったラップが収録されているのに注目したい。「Little Homies」はシンプルに言えばディープハウスとラップを融合させ、ビヨンセの次の時代のブラックミュージックのトレンドを探求している。これらはステープルズがクラブミュージックに軸足を置いていることを伺わせる。こういった新しい試みも見受けられる中、「Freeman」では、古典的なブラックミュージックを現代的なラップと結びつける。バスドラムのキックの鳴りが重厚でかっこよく、さらにステープルズは、UKのネオソウルの影響を反映させ、ボーカルディレイを積極的に導入し、Trickyのようなトリップホップの系譜にある音楽を暗示している。彼は、上手くトレンドを踏まえて、現在のロンドンのラッパーと同様、スポークンワードを織り交ぜ、シンセで擬似的なオーケストレーションを導入して、モダンクラシックの要素を付け加えようとしている。



もし、このアルバムが、ロンドンのヒップホップと連動していると仮定するならば、いよいよラップは多数のクロスオーバーを経て、その表現性の裾野をコンテンポラリークラシック/モダンクラシックにまで広げはじめたということになる。もちろん、クロスオーバーのヒントとしては、その他にも、ニュージャズ、オペラ、讃美歌、民族音楽というように、まだまだ一般的に知られていない要素はたくさんあるのだが...。

 



85/100




Best Track- 「Nothing Matters」

 

 

 

*Vince Staples(ヴィンス・ステープルズ)によるアルバム『Dark Times』はDef Jam/ UMGから発売中です。 ストリーミングはこちらから。