Maia Friedman 『Goodbye Long Winter Shadow』
Label: Last Gang
Release: 2025年5月9日
Review
先週のアルバムのもう一つの実力作。マイア・フリードマンはカルフォルニア出身で、現在はニューヨークを中心に活動している。 現在、ニューヨークではインディーポップやフォークが比較的盛んな印象がある。このグループは懐古的なサウンドと現代的なサウンドを結びつけ、新しい流れを呼び込もうとしている。
マイア・フリードマンは、ダーティー・プロジェクター、そして、ココのメンバーとして活動してきた。二作目のアルバム『Goodbye Long Winter Shadow』はフローリストやエイドリアン・レンカーのプロデューサー、フィリップ・ワインローブ、そして、マグダレナ・ベイやヘラド・ネグロのプロデューサー、オリヴァー・ヒルとともに制作された。
このセカンド・アルバムでは、木管楽器、弦楽器、アコースティックギターが組み合わされたチェンバーポップ/バロックポップの音楽が通底している。このジャンルは、ビートルズに代表される規則的な4ビート(8ビート)の心地よいビートでよく知られている。マイア・フリードマンはこれらの60~70年代のポップソングにフォーク・ソングの要素を付け加えている。また、聴き方によっては、ジャズやミュージカルからのフィードバックも読み解くことが出来るかもしれない。
アメリカの世界都市の周辺で活動するミュージシャンには、意外なことに、普遍的な音楽性を追求する人々が多い。普遍性とは何なのかといえば、時代に左右されず、流行に流されないということである。マイア・フリードマンもまた、このグループに属している。フリードマンは、夢想的なメロディーを書く達人であり、それが純度の高いソングライティングに結びついている。 脚色的な表現を避け、人間の本質的な姿、あるいは、内的な感覚の多様さを親しみやすいポピュラー・ソングに結びつける。彼女の音楽は、扇動的なもの、あるいは即効的なものとは距離を置いているが、それがゆえにじんわりと心に響き、心を絆されるものがあるはずだ。タイプ的にはイギリスのAnna B Savageに近いものがある。アートポップとしても楽しめるはず。
ソングライターの作り出すオーガニックな雰囲気は、このセカンド・アルバムの最大の魅力となるだろう。アコースティックギターの涼し気なカッティングから始まる「1-Happy」は、フリードマンの優しげな歌声と呼応するように、木管楽器や弦楽器のトレモロの一連の演奏を通じて、映画のワンシーンのようなシネマティックなサウンドスケープを呼びさます。全般的には、エレクトロニクスのビートも断片的に入っているため、アートポップの領域に属するが、必ずしもそれはマニアックな音楽にとどまることはない。ボーカル/コーラスを自然に歌い上げ、それと弦楽器の描く旋律の美しさと調和することにかけては秀でている。時々、転調を交えた弦楽器がのレガートが色彩的なパレットのように音楽の世界を上手く押し広げていくのだ。
こうした比較的現代的なアートポップソングがアルバムの導入部を飾った後、「New Flowers」では、60-70年代のバロックポップ/チェンバーポップのアプローチを選んでいる。しかし、これは単なるアナクロニズムではなく、音楽的な世界を深化させるための役割を果たしている。マイア・フリードマンのボーカルは淡々としていて、曲ごとに別の歌唱法を選ぶことはほとんどない。それは考えようによっては音楽により自然体のセルフパーソナリティを表現しようと試みているように思える。二曲目では、ざっくりとしたドラムテイクを導入し、曲にノリを与えたり、フレーズの合間に木管楽器と弦楽器のユニゾンを導入したりと相当な工夫が凝らされている。しかし、曲が分散的になることはほとんどない。これは歌そのものの力を信じている証拠で、実際的にフリードマンの歌は、遠い場所まで聞き手を連れていく不思議な力がある。
また、音楽的に言及すれば、複数の楽器のユニゾンを組み合わせて、新鮮な響きをもたらしている。3曲目「In A Dream It Could Happen」はアコースティックギターとピアノのユニゾンで始まり、おしゃれな印象を及ぼす。そしてフリードマンの歌は伸びやかで、音楽的なナラティヴの要素を引き伸ばすような効果を発揮している。その後、弦楽器のレガートと呼応するような形で、ボーカルが美しいハーモニーを描く。ボーカルは、ささやくようなウィスパーとミドルトーンのボイスが組み合わされて、心あたたまるような情感たっぷりの音楽を組み上げていく。これはボーカルだけではなく、オーケストラ楽器の演奏が優れているからに他ならない。曲を聴いていると、驚くような美麗なハーモニクスを節々に捉えることが出来る。 そしてそれは調和的なハーモニーを形成する。曲の後半ではジャズふうになり、コーラスが芳醇な響きを形成する。これは単発的な歌の旋律だけではなく、全体的な調和に気が配られている証拠なのだ。
こういった中で、インスト曲の持つ醍醐味が楽しめる曲が続く。「Iapetus Crater」は弦楽器と木管楽器の演奏がフィーチャーされ、スタッカートのチェロに対してオーボエが主旋律の役割を担う。モダンクラシカルな一曲であるが、気楽な雰囲気に満ち溢れていて、聴きやすいインタリュードである。続く「Russian Blue」はフォークをベースにしたアートポップソングで、オーガニックな雰囲気が強く、アコースティックギターとドラムが活躍する。この曲はゆったりとしたテンポで進んでいくが、メロの後にすんなりとサビに入っていく。その後の間奏の箇所では、オーボエの演奏が入り、いわばボーカルの全般的なフレーズの余韻を形作る。良いボーカルソングを書くためには、どこかで余韻をもたせる箇所を作るのが最適であるという事例がこの曲では示唆されている。そしてその後、サビに戻るというかなりシンプルな構成から成り立っている。続く「Suppersup」は、しっとりとしたフォークソングで、とりわけ、アコギの録音にこだわりが感じられる。ゆったりとしていて、リラックス出来るようなインスト曲となっている。さらに、「A Long Straight Path」では赤ん坊の声の録音を用い、短いシークエンスを作る。
同じようなタイプの楽曲を収録するときに、フルアルバムとしては飽きさせるという問題が生じることがある。しかし、マイア・フリードマンは、音楽的な背景の広さを活かし、それらをクリアしている。ただ、その全般的な音楽の基礎となるのは、飽くまで、フォーク・ミュージックで、その中心点を取り巻くような感じで、アートポップ、ジャズ、クラシック、さらには映画音楽を始めとする音楽の表現が打ち広がっていく。言い換えれば、フォーク・ミュージックから遠心力をつけて遠ざかるというソングライティングのスタイルがアルバム全般において通底している。また、どの部分の要素が強くなるかは、制作者やプロデュースの裁量や配分で決まり、どこで何が来るかわからないというのが、セカンドアルバムの面白さとなりそうである。
例えば、「On Passing」は、何の変哲もないアコースティックギターをメインとするフォークソングにきこえるかもしれない。しかし、ソングライティングの配分が傑出していて、ケイト・ルボンのようなアートポップのエッセンスを添えることで、新鮮な響きをもたらしている。
器楽的な音響効果というのも重視されている。「Foggy」は、グロッケンシュピールを使用して、アトモスフェリックな音楽を作り上げている。アルバムの収録曲は、すべてシングルのような形で収めることは、最適とは言えない。フルアルバムは、いわば掴みのためのシングル曲のような強進行の曲(力強い印象を放つ主役の楽曲)と、B面曲のような効果を発揮する弱進行の曲(脇役のような意味を持つ曲)の共存により成立しているのである。もしも、シングルだけを集めたら、それはオリジナルアルバムではなく、アンソロジーになってしまう。こういった中、雰囲気に浸らせるような弱進行の曲が他の曲の存在感を際立たせ、一連の流れを作り上げる。
マイア・フリードマンのアルバムは、フルアルバムが物語のような流れを作る模範例のようなものを示している。一貫して牧歌的な音楽性が歌われ、それは混乱の多い世界情勢の癒やしとも言えるだろう。「Vessel」は繊細な趣を持つインディーフォーク・ソングであり、いわばこれはメインストリームの音楽とは別の形で発展してきた音楽の系譜を次世代に受け継ぐものである。 そして、ここでも、エイドリアン・レンカー(Big Thief)やエミリー・スプラグ(Florist)といったニューヨークのソングライターの曲と音楽性に違いをもたらすのが、アートポップの要素だ。イントロはフォークソングだが、サビの部分でアートポップに飛躍する。つまり、マイア・フリードマンの曲は、イントロを一つの芽として、それがどのように花咲くのかという、果物や植物を育てていくような楽しさに満ちあふれているのである。 こういった女性的な感性は、成果主義や結果を追求する男性的なミュージシャンには、あまり感じられない要素かもしれない。
「A Heavenly Body」のようなピアノの伴奏をベースにした楽曲は、哀感やペーソスのような感情の領域を直截的にアウトプットするために存在する。ようするに、制作者は器楽的に感情表現や言いたいことを選り分けるため、楽器を使い分ける。その点では、オーケストレーションの初歩的な技法が用いられていると言える。もちろん、制作者は音楽的な変化を通じて、それらを使い分ける。マイア・フリードマンは感情の波を見定め、曲と曲を繋ぐ橋のような役割に見立てている。「Open Book」はモダンクラシカルの曲で、気品のある弦楽器がボーカルと合致している。そういった中で、あまり格式高くなりすぎないのは、オーボエの演奏に理由がある。曲そのものにルーズな感覚を与え、音楽の間口の広さのようなものを設けているのである。
アルバムは、連作を除いて、アルバムという一つの世界で終わりを迎えるべきである。それは一つの世界の追求を意味する。オーケストラ、ジャズ、フォーク、アートポップが重層的に折り重なる中、マイア・フリードマンの音楽的な世界は、絵本のような童話的な領域を押し広げていき、見方によっては、平穏で美しい世界を形成している。権力、動乱、混乱、闘争といった世界とは対極にある和平の世界を作り上げる人もいてはいいのではないか? そのことを象徴付けるかのように、北欧神話、ケルト神話のようなファンタジー性を持つ楽曲性が、オーケストラ楽器により構築され、北欧やアイスランドの音楽に近くなる。それは「Soft Pall Soft Hue」のような楽曲にはっきりあらわれている。室内楽として本格的な楽曲も収録されている。これらは、Rachel'sやレイチェル・グリム、あるいはアイスランドのAmiinaのような室内楽をポピュラーソングやジャズの方向から再解釈しようとしたモダンクラシカルの一派に位置づけられる。
そういった中で、軽快なアルバムのエンディングを迎える。「Witness」はいくつかの変遷を経て、制作者が明確な答えのようなものを見出した瞬間である。マイア・フリードマンは、長い冬を背後に、次なる新しい季節へと意気揚々とあるき出す。余韻を残すことはなく、また後味を残さない、さっぱりしたアルバム。15曲というボリューミーな構成であるが、それほど長さを感じさせない。と同時に長く楽しめるようなアルバムとなっている。個人的にはイチオシ。
85/100
「New Flowers」