Far Caspian 『Autofiction』
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Release: 2025年7月25日
Review
アイルランド出身のミュージシャン、Far Caspian(ファー・カスピアン)は、前作『The Last Remaining Light』を通じて、素晴らしいインディーロックソングを聴かせてくれた。2021年頃からクローン病に悩まされ、また、その中で神経症などに悩まされていたジョエル・ジョンストンだったが、前作アルバムの発表後、 ロサンゼルスなどをツアーし、好評を博した。イギリスでは最近、スロウコアやサッドコアのバンドが登場する。リーズのファー・カスピアンの場合は、ローファイなサウンドが特色で、Tascamなどを用いたアナログ風のサウンドが主体となっている。ジョエル・ジョンストンのソングライティングは派手さはないが、その音楽は叙情的で切ない雰囲気がある。軽妙なインディーロックソングの中に、淡いエモーションが漂っているのだ。
前作のアルバムのレコーディング中に、ジョエル・ジョンストンは、ブライアン・イーノのアルバムをよく聴いていたというが、それがプロデュースとしてかなり洗練されたサウンドを生み出す要因となった。 新作アルバム『Autofiction』でも大きな音楽性の変更はないように思える。
アルバムの冒頭を飾る「Ditch」は、オープニングを飾るに相応しいダイナミックなトラックとして聞き入らせてくれる。アナログの逆再生をかけて、そのサウンドの向こうから、軽妙なアコースティックギターのバッキングが鳴り響く。ミニマルな構成を持つ演奏をベースにし、奥行きのあるアトモスフェリックなアンビエンスを作り、ジョエル・ジョンストンらしい心温まるエモーションが、音の向こうからぼんやり立ち上ってくる。どうやら、ライブツアーの時に指摘されたらしく、ボーカルの音量を上げて録音したのだとか。実際的に、きっとそれは幻想的なインディーロックソングの中で、クリアな質感を持つボーカルという形を捉えられるはずだ。
ジョエル・ジョンストンのボーカルは、少しだけ物憂げでダウナーな雰囲気を持っている。欠点のように思えるが、これは間違いなく、繊細さという面でストロングポイントなのである。それがむしろ曲の背景となるギターロックと絶妙なコントラストを描き、迫力をもたらしている。
オープナー「Ditch」のサウンドは、エリオット・スミスのように、インディーフォークやサッドコアの雰囲気に縁取られているが、ロックのアプローチを選ぶことにより、絶妙な均衡を保っている。そして、静と動をギターの重ね録りによって音量のダイナミズムを表現しながら、フォークロックとシューゲイズの間を行き来している。
この曲のサウンドは、従来よりもノイジーに聞こえる。だが、その中で独特な美的センスが現れることがある。メロディアスなきらめきともいうべき瞬間が、ミニマルな構成からぼんやりと立ち上ることがある。例えば、3分前後の轟音のフィードバックギターから、癒やされるような音楽性が滲み出てくる。それは、バンジョーの演奏から繰り出されるアメリカーナの要素が、スーパーチャンクのような、ほっこりするようなハートウォーミングな音楽性を作り出すのである。
二曲目「First Day」は、カスピアンらしい持ち味が現れ、ジョギングをするような軽快な疾走感を持つロックソングである。今回のアルバムでは、ギターを多重録音し、異なるコードを演奏しながら、その中でムードのあるボーカルが心地よい雰囲気を作る。前作では、ドラムの録音やミキシングに結構苦労したような印象があった。しかし、今回のアルバムでは慣れたというべきか、その経験を踏まえて、ミックスの側面で、ギターやボーカルと上手くマッチしている。
この曲では、良質なシンガーソングライターとしての表情だけではなく、名プロデューサーとしての性質を捉えることが出来るかもしれない。そして、前作アルバムでも登場した女性ボーカルとのデュオも同じように物憂げな雰囲気を醸し出す。そのサウンドには前作と同様、Rideの90年代のメロディアスで哀愁に満ちたロックソングの影響が捉えられる。二本以上の重厚なギターサウンドの迫力はもちろん、アウトロではドラムのテイクが強い印象を及ぼす。今作はソロアルバムの性質が強いが、依然としてバンドアンサンブルを重視していることが痛感出来る。
ジョンストンは、『Autofiction』に関して、''今この瞬間を楽しむことをモットーにしている''という。序盤から中盤にかけての以降の三、四曲は、フラットなアルトロックソングを聴くことが出来るが、それぞれ異なる音楽性に縁取られ、録音を通して現在を楽しんでいる様子が伺える。
このアルバムが、どのように評価されるか、もしくはどのような完成品になるのかというのを考えず、直情的でストレートなサウンドを重視している。そのサウンドは飾り気がなくどこまでも実直だ。またジョンストンは自分を楽しませることが良い作品を作るための近道であることをよく知っている。「The Sound Changind Place」ではスロウテンポのギターロック、続く「Window」ではミドルテンポのギターロックを提供し、心地よく、時に切ない叙情性を曲の節々に込めている。
「Lough」では、パワーポップやジャングルポップ風のサウンドを選び、これもまた独特な甘酸っぱさがある。上記の三曲はアナログのコンソールを取り入れたことにより、本格的なローファイサウンドを獲得した。 ザラザラとした質感を持つギターサウンドは、現代のアルトロックの主流のサウンドディレクションだ。カスピアンの場合は幻想的な雰囲気を兼ね備えている。
アルバムの中では、フォーク・ロックやジャングルポップなどの音楽性が強いように思える。しかし、その中でシューゲイズ色が強いのが続く「Here Is Now」である。 このアルバムの重要な録音方法であるギターの多重録音で得た重厚なギターサウンドをベースにして、ドリームポップのような夢想的なジョンストンのボーカルが揺らめく。
ジョンストンのボーカルや歌詞には、伝統的な英国詩人のような性質がある。そして、それらが、轟音性を強調したサウンドと、それとは対象的なミニマルなエレクトロニックの静かなサウンドを対比させ、起伏のあるロックソングを構築する。それほど構成は奇をてらわず、ヴァースからコーラスにそのまま跳躍するというのも、聴きやすさがある要因なのかもしれない。
ともあれ、前作アルバムから引き継がれるエレクトロニックの音楽から触発を受けたサウンドがミニマルな構成を持つロックソングと結びつく。また、最新アルバムでは、ドラムの録音に結構こだわっており、硬質な響きを持つスネアが力強い印象を帯びている。最終的には、生のドラムの録音をエレクトロニックの打ち込みやサンプラーのような音として収録している。こういったアコースティックなサウンドを活かしたロックソングがこのアルバムの持ち味である。
アルバムの前半部から中盤部は、前作アルバムの復習ともいうべきサウンドが顕著だ。しかし、完全な自己模倣には陥っていない。新しい音楽性がアルバムの終盤になって登場する。アーティストの持ち前のローファイ性をサイケのテイストで縁取った「A Drawing Of The Sun」は、American Footballの『LP1』のポスト世代に位置づけられる。エモ好きは要チェックだ。
また、「An Outstreched Hand/ Rain From Here to Kerry」はオーストラリアのRoyel Otisのようなポストパンク勢からのフィードバックを感じさせる。ただ、ファー・カスピアンの場合は、美麗なギターのアルペジオを徹底して強調させたキラキラとした星の瞬きのようなサウンドが特色である。音楽の系統としてはエモ。しかし、このアルバムでは、柔らかさと強さが共存している。これはたぶん、前作にはなかった要素であり、シンガーソングライターとしての進歩を意味する。
終盤にも注目曲が収録されている。「Autofiction」は、エモとアルトロックの中間域にあるミドルテンポの女性ボーカルとのデュエット形式で展開される。この曲は、二曲目「First Day」と同じように、ファー・カスピアンのアイルランドのルーツを伺わせ、スコットランド民謡のダブル・トニック(楽曲の構成の中で2つの主音を作る。二つの調性を対比させる形式)の影響がバラード風のロックソング、スロウコアやサッドコアのようなインディーサウンドに縁取られている。
前回のアルバムではニッチなロックソングもあったが、今回のアルバムにおいてファー・カスピアンの音楽は一般性を獲得したように感じられる。一見すると矛盾しているようだが、徹底して自己を楽しませることにより、広汎なポピュラー性を獲得する場合がある。それは、自分が楽しんでいるから他者を楽しませられるという、ごくシンプルな理論だ。このロジックに即して、ジョエル・ジョンストンは、相変わらず良質なインディーロックアルバムを制作している。
「Whim」のようなサウンドはグランジ的な響きが漂う。90年代のアメリカのカレッジ・ロックの系譜にあるファー・カスピアンらしいサウンド。これらのスタイリッシュでマディーな匂いのするアルトロックソングは、他のバンドやアーティストの作品ではなかなか聴くことが出来ない。
クローズ曲「End」はエレクトロニカとロックの実直な融合である。そこにあるのは、やはり''瞬間に集中する''ということである。何ができるかわからないが、やってみる。これがロックの楽しみだ。本作を通じて、何かしら新しい音楽の芽をアーティストは見つけたに違いない。楽しみは苦しみを凌駕する。音楽を心から楽しむこと。それは結局、受け手にも伝わってくる。前作は会心の一作だったが、今作でもカスピアンは人知れず、良質なアルバムを制作している。
82/100
「A Drawing of The Sun」
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