Gwenno 『Utopia』
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Label: Heavenly Recordings
Release: 2025年7月11日
Review
Gwenno(グウェンノ)はウェールズ圏ではミュージシャンとしての地位を確立している。前作アルバム『Tresor』ではマーキュリー賞にノミネートされ、より広い音楽ファンを獲得することになった。
前作はコーニッシュ語というウェールズ地方の古英語が詩に取り入れられていたが、今作では現代英語で歌われている。 音楽的には前作の延長線上にあるメロウで催眠的なバロックポップで、その音楽性の中には独特な陶酔感があり、魔術的な魅力により音楽リスナーを惹きつける。今回のアルバムは一度ラスベガスに向かったあと、ロンドンに帰るというサンダースの人生行路がムードたっぷりのドリーム・ポップソングの中に反映されている。まるでラスベガスでの日々を回想するような音楽的な視点ーーそれはどことなく幻想的な追憶を聞き手の脳裏にもよぎらせる。そして、それらは全般的に、サンダースの20代の頃までの記憶が含まれている。
ーー彼女がラスベガスからヨーロッパを経由してイギリスに戻った後、サウンダースはロンドンに移住した。「知り合いも何もいなかったから、ただ人々に頼み込んだり、『ザ・ステージ』誌の広告に応募したり、本当に馬鹿げたオーディションに行ったりしていた」と彼女は語ります。「一緒に過ごす人や音楽を作る人を探していた」 彼女は今、その時代——ボリウッド映画でのアイリッシュダンスや、テクノとケルト音楽を融合させたクラブヒットを作ろうとした試み——を、2000年代初頭の美学の重要な一部として振り返る。それは音楽のミックスとデジタル時代の未熟さが交錯する時代だった。バタフライトップスにキラキラしたローライズジーンズを合わせる奇妙なファッションスタイルだった。「本当にバラバラなものを、最も安っぽい方法で無理やり組み合わせた時代だった」と彼女は言う。一時期は魅力的だったが、2010年代末にはシーンが変化し始めた。「より洗練され、突然契約を結んだバンドが現れ、お金が溢れるようになった」とサンダースは回想する。「よりプロフェッショナルになり、その後は電子音楽になり、さらにブランド化され、その時『これはどこへ向かっているのか?』と感じた」ーー
これらの思い出は、つい十数年前にとどまらず、20代の頃だけではなく若い時代のカーディフにまで遡ることもある。それ記憶はバラ色に縁取られているとは言い難いかもしれない。その中にはほろ苦く、そして首尾よく行かなかった悲しみも刻印されている。おのずとそれらはサンダースが作り出す音楽、そして全般的な音楽のムードに乗り移り、哀感やペーソスを誘う。しかし、それは同時にまた、完全な悲しみで埋め尽くされているとも言いがたい。アルバムの冒頭を飾る「London 1757」は、60〜70年代のバロックポップの形式を踏襲し、その中で子供の声のサンプリングや落ち着いた歌謡的なボーカルの節回しの中で、癒しの瞬間を探ろうとしている。同時に、ファッション業界に関する僅かな憧憬は、フレンチ・ポップやイエイエのような音楽と結びつき、Melody's Echo Chamberのようなノスタルジックな音楽性やファッショナブルな感覚を呼び起こす。それらの感覚的な音楽性を拡張させ、そして押し広げるような役割を果たすのが、オーケストラ・ストリングである。これらのビートルズやゲンスブール的なアーティスティックな感性には瞠目すべき点があり、ミュージシャンの才能が必ずしも年齢に左右されないことを伺わせる。そして、結局のところ、それは、内的な自己を癒やす目的があるのと同時に、聴取する側の心を癒やす力がある。そして、アーティストの音楽が流行という概念を逆手に取り、それがいかに儚いものなのかを端的に表現する。流行など作られたもので、一過性のものに過ぎない。
音楽的にはきわめて幅広い。「Dancing On Volcanoes」では80年代後半のブリット・ポップの誕生前夜まで遡る。このトラックはジョニー・マーが参加しているのではと思わせるほどスミス的な音楽性を思い起こさせる。それらのブリット・ポップの最初期の音楽性に加えて、ディスコ風のサウンドを付け加えて、内的な熱狂性を湧き起こす。懐かしさと新しさが混在するディスコポップソングで、淡々としたアルトの音域にあるスポークワードの歌唱からソプラノの音域へと移り変わるサビの部分では目の覚めるような感覚を呼び覚ますことがある。続く「Utopia」はビリー・ジョエルやビートルズ風のピアノバラードで、転調や移調を交えた色彩的な和声の構成が普遍的な魅力を擁する。しかし、古典的なソングライティングもストリングスのシンセサイザーが入ると、独特なアトモスフェリックな効果が出現し、幻想的な雰囲気、そしてときにサイケデリアが打ち広がる。曲の後半でのシンセストリングとギターやベースのセッションは聞かせどころとなるだろう。
アルバムの中盤では、西ヨーロッパの音楽が優位になる。それはまた言い換えれば、ムービースターという概念を生んだパリの20世紀の映画シーンを音楽的な視点から回想している。これはジョイス的な文学の効果を与え、聞き手をフランスのモノクロ映画のような世界、あるいはヌーヴェル・ヴァーグの世界に誘う。映画の俳優のモノローグやナレーションのような形で入る語り、そしてモノクロ映画からそのまま出てきたようなピアノの断片的な演奏のコラージュなどがいたるところに配される。それらは結局、これらの20世紀のヨーロッパ社会の音楽的な反映を意味するにとどまらず、パトリック・モディアノが語った「父なき世界」の断片的な言及でもある。同時に、これらの脚色的でシネマティックなポピュラー音楽は、ヨーロッパ社会の光と闇を映写機のごとく映し出す。その光と闇とは華やかさ、その裏側にある退廃を。
音楽的には少し散漫に陥った印象もあるものの、ポスト・イエイエともいうべき音楽が顕著だ。そうした混沌たる音楽的な世界は、時々、現代性の戦争というテーマと関わりあいながら、その出口を探すかのようである。その出口の光が見えるのが、「73」である。ここではGwennoらしい音楽が繰り広げられる。それはやはりバロックポップとドリームポップの中間にあるどことなく夢想的で幻想的な音楽である。驚くべきことに、ヨーロッパという地理的に大きな隔たりがあるが、この曲の音楽性は、日本の歌謡曲やシティポップとも相通じるものがある。そして、変拍子を交えた巧みな楽曲の構造、さらには豪奢なオーケストラストリングスという、音階的な美しさやハーモニーの黄金的な輝きが混在し、聞き手を美麗な感覚へと引き連れていく。
アルバムからは、玉手箱のように次から次へと斬新な音楽が飛び出す。「The Devil」では70年代のジャクソン5のような音楽をベースに、このアーティストとしては意外にもファンクの影響を含めたポップソングに着手している。しかし、基底となる音楽が変わろうとも、その核心となる個性が揺らぐことはない。曲の中盤以降は、ファンシーかつドリーミーなポップスの雰囲気が優勢となり、これらのアトモスフェリックでアブストラクトな音楽が最高潮に達する。しかし、これらの音楽とて、一年や二年で獲得したものではなく、人生の経験やその考察により、自己のアンデンティティを確立していったことが伺える。シンガーソングライターというのは、不動の自己を獲得するための道しるべを、自らの力でその都度打ち立てる行為なのである。はたして人間の存在とは流行に左右されるものだろうか。また、それはどこかの時点で古びたり薄くなるものなのだろうか。そのことを考えあわせると、これらの音楽、そしてその制作を通して、Gwennoは誰にも模倣されぬ自立性を獲得し、自分という存在が何であるのかを知ったということになるだろう。
このアルバムは一般的なヒットアルバムと比べると、地味な印象があるため、真価を掴むためには、それ相応の時間を必要とするかもしれない。前作アルバム『Tresor』からより音楽的な見地を広め、そして人生を俯瞰で見るという視点が実際の音楽と結びつき、音楽の本質的な魅力として表出している。「Ghost of You」のような楽曲は、グウェンノがケイト・ル・ボンのようなミュージシャンと肩を並べた瞬間で、メロディーメイカーとしての才能、そして作曲における水準の高さが表面にはっきりと現れ出ることになった。この曲に現れるテンポの流動的な変化、巧みな変拍子、ピアノやシンセのアレンジを通じて出現する異質なLA風のサイケデリアに最大の真価が宿る。
アルバムの収録曲は、サンダースの人生とどこかで連動するかのように呼応する。そして、ウェールズ、ラスベガス、イギリスという3つの地理的な空間性を音楽から縁取り、まるでその3つの文化拠点の上に自己を横断させるような試みが取り入れられている。さらに、音楽全般としては、逆行する人生やその追憶が収録曲の流れと関連したり連動している。本作の最後は、最もイギリス的になり、シンガーソングライターのカーディフの原点に回帰していく。それらの不確かな追憶は、「St. Ives New School」、「Hireth」といった終盤の2曲に捉えることが出来るかもしれない。 クローズ曲ではチェンバロが登場する。この曲は、バロックポップの一つの完成形といえる。
82/100
「73」
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