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フランスのアヴァンフォークの巨人、エマニュエル・パレナンはどのような時代であれ音の収集家でありつづけてきた。家族の家のあちこちで音楽が響き渡る環境で育った彼女は、密かに、そして本能的に音楽を学んだ。家族の家の様々なリハーサル室から漏れてくるメロディーをピアノで再現することで。父親はパレナン弦楽四重奏団の指揮者、母親はハープの教授であった。
70年代、彼女は音楽と音へのこの自由奔放な関係を続け、フランスとカナダを旅して、ナグラを肩に担ぎ、伝統的な曲や歌を集めた。 彼女は忘れ去られた楽器——スピネット、ヴィエル、そして後に独学で習得したハープ——を再発見し、過去の音色を探求し続けた。こうしてフランスにおけるフォーク運動の勃興に貢献した。
1978年、初のソロアルバム『メゾン・ローズ』を発表。あらゆる境界と様式をクロスオーバーするこの作品は、彼女の音楽的・芸術的軌跡における転換点となった。10年にわたるフォークの歩みと伝統的音色の探求を統合すると同時に、正反対の新境地——実験音楽と現代的な響きの世界——を切り開いたのである。 古楽器において、彼女はもはや過去の響きの閉ざされた記憶を求めるのではなく、現代に提供しうる無限の可能性の響きを追求するようになる。この頃、バスケ兄弟、ジャック・レミュ、そしてクセナキスの弟子であるブルーノ・メニーらと協働した。
2000年代は実験音楽と歌謡へ回帰した。レコードレーベル「レ・ディスク・ビアン」の集団を中心に多くの音楽家と出会い、2011年には『メゾン・ローズ』から30年を経て『メゾン・キューブ』を録音。このとき電子音楽と出会い、エティエンヌ・ジョメ、ヴァンサン・セガル、ピエール・バスティアン、トモコ・ソヴァージュ、ディディエ・プティ、ゾンビ・ゾンビらと共演。ヴィレット・ソニーク、ソニック・プロテスト、モフォなど様々なフェスティバルに招待された。
今回、伝説的なフランスのアヴァンフォーク界の伝説的なミュージシャンと共同制作を行ったのは、F/LORの名義で活動するフランスのエレクトロニックプロデューサー、ファブリス・ロローだ。若い時代、彼は瞑想者や旅行者としての人生を送った後、驚くべき知的好奇心を発揮している。フランスのポストパンクバンド、Prohibitionの活動を終え、録音やミキシングを学び、ソロレコーディングを行うようになった。それ以降、Prohibited Recordsの創設に携わっている。
今回、当該レーベルから発売されるアルバム『F/lor & Emmanuelle Parrenin at Instants』は2025年6月25日にフランス・モントルイユ「インスタント・シャヴィレ」にてライブ録音された作品である。F/LOR(別名ファブリス・ロロー/NLF3、Prohibition…)によるトリッピーなエレクトロニカとエマニュエル・パレナンによる魔法のようなアコースティック楽器の出会い。エレクトロニックとアコースティック楽器の融合は簡素な構成でありながら、驚くべき化学反応が起こった。
『F/lor & Emmanuelle Parrenin at Instants』- Prohibited/kOOL BIRDS RECORDINGS(France)
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▪アルゴリズム/パターン化された前衛音楽
最近、ヨーロッパから優れた実験音楽や前衛音楽が出てくるケースが多い。よく考えてみれば、クラフトワークのような存在が出てきて、商業的な音楽が確立される以前から、フランスやイタリア、ドイツを始めとする国々では、こういった前衛主義の音楽を制作する作曲家が一定数存在した。それらがダンスミュージックやエレクトロニック、そしてフォークミュージックやポピュラーなど他の地域の音楽と連動するようにして、ヨーロッパの音楽は発展してきた経緯がある。
しかし、昨今、ヨーロッパでは、商業的な音楽とは一線を画す、独自の前衛主義の隆盛を発見することができる。今週、ご紹介するファブリス・ロロー(F/LOR)、そして、フランスのアヴァンフォークの伝説的なミュージシャン、エマニュエル・パレナンの共同制作は、時代が一巡りして、ヨーロッパの音楽藝術が一つの復刻運動の時期に差し掛かったことを痛感せざるを得ない。このアルバムは、古くは、NEU、Klaus Schulzeを始めとするジャーマンプログレッシヴやエレクトロニックの作風を彷彿とさせる。また、イタリアのルイジ・ノーノを挙げてもそれほど違和感がない。実験音楽として久しぶりの傑作の予感だ。
このアルバムの画期的な点は、従来は、レコードの録音として構築されてきた実験音楽の常識を覆し、 ライブレコーディングの妙味を活かした作品であるということである。例えば、カールハインツ・シュトックハウゼンやクセナキスといった電子音楽の先駆者たちは、セリエルの技法を通じて、音楽の革新性に挑戦し、旧来の常識を塗り替えてきた。彼らの音楽は、アンチミュージックとも呼ぶべきものかもしれないが、その飽くなき挑戦心や探究心が次世代に与えた影響は、およそ図りしれないものがある。これらのドイツやフランスの先鋭的な現代音楽家たちは、ニューヨークの前衛主義である偶然性を、ある程度計画された偶然性へと組み替え、「管理された偶然性」という形で体現してきた。それは音楽そのものが、図形譜や楽譜という明確な形で表される中で、「ある種の偶然性を発見する」という意図が込められていたのである。
この慣例に倣い、フランスの二人の年齢の離れたミュージシャンは、まったく奇想天外で予測不能なアヴァンギャルドミュージックの記念碑をこのアルバムにおいて打ち立てることに成功したのである。このレコードは、エレクトロニックとして画期的であるにとどまらず、ミニマル・ミュージックや現代音楽の常識を塗り替えるものになるかもしれない。しかし、そこには過去の音楽的な技法が使用されることもある。それは、シュトックハウゼンが考案した「群の音楽」や「モメント形式」、ないしはクセナキスのアルゴリズムの音楽を継承する内容である。
ライブでは、F/LORがエレクトロニクス(Rolandのサンプラー)とインディアンベルを担当し、そして、エマニュエル・パレナンがボーカルやダルシマー、その他、珍かな民族音楽の演奏を担当する。明確な設計図が用意されているのかは定かではない。しかし、サンプラーからはボウドギターをサンプリングした音や、インダストリアルノイズの一貫にある工業的で金属的なパーカッション、他にも、ベース的な意味合いを持つパルス状のビートなど、サンプリングを複数用意し、特異な音響効果を与えながら、点描画のように音を敷き詰め、それに呼応するような形で、フランスの伝説的なミュージシャン、パレナンの民族楽器の演奏やボーカルが入る。これは、音楽による対話のようでもあり、マイルス・デイヴィスのモード奏法のような感じで、曲の構成が続いていく。あらかじめ計画されているのは、大まかなリズムやそのパターンだけで、実際に鳴り響く音は、その都度変化していく。全般的には、ミニマルミュージックの構成を中心に六つの組曲が展開される。しかし、これをミニマル・ミュージックと呼ぶのはあまりにも早計かもしれない。 『F/lor & Emmanuelle Parrenin at Instants』は、従来の反復形式の音楽の意義を塗り替え、まったく違った見方を提示してくれる作品なのである。
しかし、前衛主義が敷き詰められた録音とはいえ、聞き苦しい作品ではない。むしろ群の音楽や空間音楽の範疇にある音楽は、心地よさや瞑想的な感覚を感じることもある。このアルバムの序章となる「Part Ⅰ」は、インディアンベルのような霊妙な鈴の音が象徴的に、あるいは儀式的に鳴り響き、シンキングボウルがそれに呼応するような形で始まる。そして同じく、エマニュエル・パレナンのボーカルが、メレディス・モンクのような霊妙なボーカライゼーションを発揮し、空間的な音楽の枠組みを作る。しかし、その後始まるのは、モード奏法のようなパターン化されたリズムの形式の中で、異なる旋法や音階が連鎖するという内容である。エレクトロニックのパルス状のリズムが規則的なビートを刻む中で、パーカッション、それからインダストリアルノイズのようなサンプラーの音がその合間に敷き詰められる。
一般的に見れば、これらの六つの組曲はエレクトロニックの範疇に属すると言えかもしれないが、そこにはジャズや現代音楽のようなイディオムを見出すことも不可能ではない。そして、サンプラーから放たれる音の連鎖は、必ずしも同じ音形や音価だとも限らない。UKのベースラインやダブステップ、フューチャーステップで使用されることがある現代的な電子音のサンプルをパターン化し組み合わせ、アルゴリズムによる独創的な空間音楽を構成していく。F/LORが織りなすモード奏法のような音の導きの合間には、パレナンの霊妙なボーカル、クラフトワーク、NEUのような断続的なパルスビート、ボウドギターのような音色がめくるめく様に展開される。聴いていてまったく先が読めない音楽の連鎖にあっけにとられるほど。この全般的な電子音楽の流れに、色彩的な効果やバリエーションを添えているのが、民族楽器の使用である。
実際的に、どの楽器が使用されているのは定かではない。しかし、ダルシマーの弦をひっかくようなドローンの特殊な演奏、モンゴルのような地域のヴォイスハープのような民族的な楽器の仕様は、この音楽に特異な音のイメージをもたらしている。むろん、音階だけではなくリズムも一定とは限らない。微細な音響効果を施し、巻き戻るディレイの音、連鎖するオスティナートの音、それぞれライブ演奏の中で、驚くほど多彩な音響効果を散りばめている。しかも、この「Ⅰ」は、エキゾチズムという点でも、群を抜いている。曲の後半では、ハーディ・ガーディという、バイオリンやバクパイプに似た楽器が使用され、アラビア風の音楽へと至る。その奇想天外さは一線級で、およそ他の作曲家と比べるのもおこがましいような気がする。
アルバム(ライブ)は、パターン化されたリズムやアルゴリズムによる音の組み合わせを中心に繰り広げられる。「Ⅱ」は「アルゴリズムの音楽」の真骨頂ともいえる。ゆったりとしたテンポで点描画のように打ち込まれるリズムを基幹として、音楽が横向きに流れていく。そしてその合間にインダストリアルノイズを踏襲した工業的なパーカッションが連動して続いている。その無機質とも言える音の連鎖の中で、徐々に音階が追加されていき、建築的な構成が組み上げられていく。最初の音から丹念に礎石を積み上げるような音の積み重ねかたは、DTM的とも言えるが、その中でリズムを組み換え、変拍子を織り交ぜ、プログレッシヴな展開を導き出す。パルス状のリズムの中で、鋭く減退するダルシマーの演奏が組み込まれる。これもまた、モード奏法のようなジャズの範疇にある音楽形式を、エレクトロニックや民族音楽から再解釈したような趣旨である。そしてライブ録音による”管理された偶然”の要素も見いだせる。音価の長さや微細な倍音の発生など、生でしか得られない空間的な音楽の性質を強調する。しかし、依然として、この音楽の中枢を担うのは反復的なリズムで、これらが独特なグルーヴを呼び起こす。その音の発生や作曲の全般的な解釈の中には、ディープ・ハウスやアシッド・ハウスのような、少しマニアックなダンスミュージックのサブジャンルの方式が潜んでいるらしい。
「Ⅱ」と連曲のような形で続く「Ⅲ」は二人のミュージシャンが意図したであろう内容が明確な形をとって現れた一曲である。ボウドギターのように鋭い減退を繰り返す反復音が、全体的な空間を縦横無尽に駆け巡り、その中でマウスハープのようなエキゾチックな笛の音を把捉できる。構成的にはミニマル音楽を急進的にした内容だが、パレナンの笛が依然としてエスニックのエキゾチズムと落ち着きをこの曲全体に及ぼしている。首座を取るかに思える、楽器やサンプラーの音が平行する音階やリズムとして連鎖していき、二つの境界線を曖昧にしていく。一つのリズムが優勢になったかと思えば、それとは異なるリズムが別の方向から生じ、立体的な音の構成を組み上げていく。ここには、フーガ(追走)の形式がエレクトロニックや民族音楽の楽器の使用を交えて、現代的に洗練された音楽の形式をとって表に現れた瞬間を捉えられる。この曲はライブセッションという面で白熱した瞬間が現れ、特にマウスハープと思われるパレナンの演奏は圧巻で、生でしか捉えられない精細感のあるリアルな音を記録している。曲の最後ではサンプルの音のBPMを変化させ、驚くべき音の化学反応をもたらすことに成功している。曲の最後に聞こえる観客の拍手や賛美の声は、それを明確に証明付ける瞬間と呼べるだろう。
「Ⅳ」はエレクトロニック的な性質が強く、長らくAphex Twinで止まりかけていた先鋭的な電子音楽の形式を次の段階へと進めるものである。フューチャーステップの音色を用い、それらをパターン化された音形として出力するという内容である。 そしてここには、クセナキスやシュトックハウゼン、ノーノなど現代音楽からの影響も感じられ、音形をアルゴリズムの観点から解釈し、カンディンスキーのようなパターン化された芸術として解釈し、それらを組み合わせて、音形(フレーズ)を作り上げる。そしてその一定の音形を続ける中で、時折、別の楽節をサンプラーを使用し、突如出現させる。従来は図形譜や楽譜の筆記などの形でしか実現しなかった音形の組み合わせや音の発生学としてのパターンが、新しい技術で組み替えられている。これは、音楽そのものが建築の設計図やデザインのようなものとなり、あらかじめ設計された音の組み合わせの中で予期せぬ音楽の要素が登場するのを試行錯誤しながら待つのである。また、チベットボウルやシードチャイム(ウィンドチャイムの一種)のような一般的にはあまり使用されない異教的な楽器が登場するのは他の曲と同様である。これらが、全般的にパターン化された音楽やアルゴリズムの音楽に明確な形で組み込まれている。そして、これほどドラスティックな形でこういった意図的にパターン化された音楽を作ろうと試みたのは、おそらくエイフェックス・ツイン(リチャード・ジェイムス)以来なのではないかと思う。 この曲はまた、BPMの変化などを通して意図的に変拍子を使用し、リズムの側面でも画期的な気風を呼び込むことに成功している。音楽の驚くべき変貌ぶりをぜひ実際の音源で確かめてもらいたい。
パターン化された音楽やアルゴリズムの音楽という側面では、その後の2曲も大きな変わりがない。また、そこには、モード奏法のような音による対話の形式も見いだせる。しかし、全般的な音楽的なアプローチに若干の変化があることは、見識のあるリスナーであればお気づきになられるはず。 依然として、休符を挟みながら不意に出現するサンプラーのパルス状のリズムは暗闇の中に光る明滅のように輝き、その闇を縫うようにし、バンブーフルートのようなマウスハープの特異な吹奏楽器の響きがスタッカートで跳ねながら呼応する。しかし、その演奏法は、やはり一般的な内容とは異なり、ロボットの声のようになったり、ボカロの機械音声のように鳴り響く。人工でアナログな手法を用いたかと思えば、機械的で先進的な音の気風を反映させたりと、全般的な音楽の解釈は驚くほど多彩である。そしてその中で、民族的な舞踊のリズムが登場し、音楽そのものがアグレッシヴになったり、あるいは雅楽のような倍音の性質やその音楽におけるアンビエントの性質を利用した抽象化の音楽が登場したりと、驚くほど広汎な音楽の魅力が散りばめられている。たぶん一度聴いただけでは、その全容を捉えることは困難である。曲の後半では、リズムが完全に停止し、笛のプレスがソロのように象徴的に鳴りわたる。
最近、私自身は、音楽全般を良い悪いという、2つの側面だけで考えることは妥当ではないと思うようになった。また、良いメロディーや悪いメロディーというのも、まだ音楽の内奥が把握しきれないとき感じる一つの障壁のようなものでもある。また、その上が存在し、そこには「崇高な音楽」という得難い領域が存在するのである。このアルバムは、一般的な二元論を超越し、現代の機械化された社会の中で生きる人間の生々しい息吹を捉えているのが素晴らしい。また、ライブレコーディングならではのスリリングな雰囲気もあり、偶然の要素も確かに内在している。管理された音楽の中で、意外な音の響きを見出す喜びは、他の何にも例えがたい。 「Ⅵ」はその象徴的な楽曲だ。ホワイトノイズを基調にし驚くべき多彩な音楽表現を探る。近年聴いた実験音楽の中では画期的で、最高の部類に入るといっても誇張ではないと思う。
95/100
Credit:
Performed by F/Lor & Emmanuelle Parrenin
On an invitation by Prohibited Records
Recorded live June, 25th, 2025 at Instants Chavirés, Montreuil, France.
Shot live by Benjamin Pagier on 4 tracks
Mixed and Mastered by F/Lor, October 2025.
Music by F/Lor. Arranged by Emmanuelle Parrenin.
F/Lor : Indian bells & Roland Sp404 Sampler
Emmanuelle Parrenin : Vocals, Singing Bowls, Hurdy Gurdy, Dulcimer, Mouth Harp, Seed Chimes
Artwork : Nicolas Laureau



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