New Album Review: Joep Beving 『Liminal』

Joep Beving 『Liminal』

Label: Deutshe Grammophon

Release: 2026年3月20日

 

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Review

 

オランダのピアニスト、ユップ・べヴィン(Joep Beving)。2010年代後半からピアノ曲集を発表しつづけており、ポスト・クラシカルやモダン・クラシカルのシーンを牽引してきた。ニルス・フラームなど同世代の象徴的なミュージシャンがエレクトロニック作品を並行してリリースする中、彼だけは徹底してピアノという形に拘ってきた。これまで古典派やロマン派のクラシック、サティ的な家具の音楽を追求してきたべヴィンの方向性に大きな変更は感じられない。それどころか、旧来の音楽性に更なる磨きをかけられた円熟したピアノ曲集がここに誕生した。フレドリック・ショパンの再来か。それとも、オランダに因んで言えば、ベートーヴェンの再来か。

 

べヴィンは「大局の中にある小さな意味ある場所を探求したい」と考えていると、アルバムを紹介している。ややもすると、わたしたちは、日々の暮らしの中で、視野狭窄に陥りやすいが、人間中心の考えから離れ、自然との共存やそれと一体となって創造をするようにしたい、と考えたという。


おのずと、ミニマルミュージックによるピアノ曲が中心となる。しかし、そこには音楽的な物語が内在し、コントロールと直感の間で繰り広げられる対話、そして、本来は対極に位置する概念を超越する、つまりは、人間界の二元論からの脱却という意味が込められている。そのための橋渡しの役割を果たすのが、アルバムのタイトルーーリミナルーー境界という概念である。

 

ユップ・べヴィンのピアノ曲は、ロココ/ギャラント様式をもとにした、分散和音に主旋律が加わるという古典派からロマン派にかけての基本的な形式を踏襲している。『Liminal』は、その多くが短調によって構成され、フレドリック・ショパンのような叙情的な詩性、及び、ベートーヴェンのような頑強なオスティナートやミニマリズムが併存している。しかし、曲の流れが存在し、悲哀に満ちた音楽は折々変化し、優雅になり、時には慰めや癒しのような意味を持つ。 同じ音形が中心となり楽曲が組み立てられるが、そこには変化や変容が存在し、時間の流れとともに、音楽に映る風景がおもむろに移り変わっていく。ここには、演奏家の人生観が反映されているらしく、「変化し、衰え、そして、静寂に戻る」という生命の転変が込められている。

 

バロック派やロマン派への親しみという、ユップ・べヴィンの基本的な音楽が示されつつも、その中には、現代的なテーマが織り交ぜられているのに注目したい。ミニマル・ミュージックへの強い傾倒が示唆されることがあり、特に、「When Human Do Go Algorythms」に見出すことが出来る。ライヒ/アダムスを彷彿とさせる急進的なピアノ曲であるが、そのロボット的な演奏と音の連鎖は、''人間とコンピューターの共生''という、AIテクノロジー時代を生きる私達のテーマが端的に反映されていると言える。この曲では、2つ以上のピアノの録音を繋ぎあわせ、ミニマル・ミュージックの進化系を示そうとしている。今なお反復性やオスティナートの局面の特異な印象に目が奪われがちであるが、この曲には、テクノロジー時代の音楽という従来になかった視点が加わった。同じ音形に転調を折り重ねる音楽が、ひときわ新鮮な印象をもたらす。

 

アルバムの前半には、フレドリック・ショパンやベートーヴェンを彷彿とさせるロマン派のリバイバル曲が多い。 ポストクラシカルの代表的なサウンドを捉えられる「Through The Looking Glass」、「Ida」で始まり、「We Are Here But To Make Music-~」では、べヴィンらしいロマンティックな雰囲気のピアノプレイを聞くことが出来る。音楽的には、Leiter(ドイツ)から発売された『Vision of Contentment』の延長線上にあり、感傷的な雰囲気を受け継ぎつつ、思索的な曲が続いている。「Voda」は一転して爽やかな長調の曲。癒やされるような瞬間が刻まれていく。

 

ショパンの『ノクターン』を彷彿とさせるロマン派の楽曲「From Where One Hearts the Willow Speak」、及び、現代音楽とロマン派の融合「Wild Renessance」は本作のハイライトとなりえる。『Hermetism』から一貫してミュージシャンが追求してきた古典主義の集大成ともいうべき楽曲である。聴いているだけでうっとりとする、また、時を忘れさせるような不思議な効力に溢れている。ユップ・ヘヴィンの演奏は依然としてペシミスティックだ。分散和音を基礎に、叙情的な主旋律が優雅に流れ、演奏家の思いの丈を込めるかのように感傷的な旋律が紡がれる。


『Liminal』では様々な新しい試みがなされ、一つの楽節に続いて別の構成が唐突に登場することがある。例えば、ショパンのような音階下降(音階の掛け下がり)がアンティークな響きと共に再現される。19世紀前半の音楽的な手法が21世紀のデジタルレコーディングを介して、どう再生されるのかという探求がなされている。これはニルス・フラームのレーベルから発売された前作と同様である。


ただ、従来よりも低音部の音響に迫力が加わり、音楽的にはダイナミックになっている。中音域から高音域の主旋律と対比をなすかのように、低音部の旋律が重層的に連なっていく。従来よりも対位法を活かした演奏法を選んだという点で、バロックの要素が強化された。それはやはり、複数の概念の対比が一つに交わる瞬間が探求されているのである。また、べヴィンのピアノは、ショパンが使用した白ピアノ「エラール」のような音色を復刻している。これは''新しい時代のサロン音楽''を象徴するサウンドが構築されたと言えるだろう。もっと言えば、私たちの時代のサロンとは、他ならぬ''インターネット空間''なのかもしれない。「Wild Renessance」では摩訶不思議な音楽が登場することがあり、調性内にある無調の音階配列を取り入れている。ここにはフィリップ・グラスのような現代音楽の大家の影響を捉えることも出来るかもしれない。

 

さらに、アルバムの後半では、ショパン/サティの系譜にあるサロン音楽の影響を捉えられる。18、19世紀への親しみを現代音楽家としてどのように解釈し、新しい質感を持つ音楽として蘇らせるのか、そういった考古学的な興味も満載となっている。「Heterotopia」はその好例となる。しかし、最新アルバムは全体的に、前作アルバムと同じように、夕方から夜にかけての物憂げな空気感に満ちている。これは、エリック・サティが「黒猫」のような場所で演奏していたのはかくなるものではなかったかという思いすら呼び起こす。もちろん、サティやショパンを知らないリスナーにとっても、魅惑的なモダンクラシカルの音楽世界を味わえるに違いない。

 

全般的には、現代音楽のミニマリズムという''理性''と、ショパン/リストの音階下降やカデンツァという''感性''が共存する作品となっている。今作の音楽はベートーヴェンの『月光』のように思索的で深遠な響きがあり、叙情的なピアニストの称号に違わぬ、素晴らしい演奏を聞くことが出来る。

 

個人的に面白いサウンドと思ったのは、最後の曲「Ghostly Chicken」。これはアンビエントとピアノの融合で、クローズに相応しい余韻のある残響を作り上げている。個々の曲として聴いても十分楽しめるアルバムとなっているが、むしろ、陶酔感に満ちたサウンドは、タイトルの意味を記号論のように希薄にし、アルバム全体を時間のない”シュールレアリズムの領域”へと近づけていく。悠久の時を示すかのような境界のない音楽性が本作の解題のための鍵となっている。

 

 

84/100

 

 

「Ida」 



*初掲載時にアーティスト名に誤りがございました。訂正とお詫び申し上げます。

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