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ブラック・ミュージックの系譜を説明するに際して、ダンスの要素を差し引いて語ることはとても難しい。そもそも、ダンスは音楽と連動するようにして文化の中核を担ってきた経緯があるからである。ロックにしても、ソウルにしても、ハウスにしても、音楽には常に踊りが付随して文化発展を辿った経緯がある。アクションのない黒人音楽、それは無味乾燥なもので、ひどくつまらないものになるだろう。例えば、50年代には、ロックンロールという踊りがあったし、ツイスト、ポップコーン、ブギー、チキン、バンプ、ゴーゴー、ハウス、とその後の数十年をかけて、ダンスカルチャーの系譜を作り上げてきた。これらはスタジオの中にある音楽を一般のストリート・カルチャーに開放する力を持っていた。だから音楽家や取り巻きに留まることなく、多数の人々に支持され、インディーベースでも支持層を拡大してきたのだった。

 

ブラックミュージックは、移民系の有色人種や、そこに部分的に関わる白人のダンスカルチャーの一端を担っている。厳密に言えば、その後のヒップホップですらも、文学的な試みや個人的な告白や暴露、人種的なステートメントとは別に、ダンスの要素が不可欠となっている。ブラックミュージックは、音楽からダンスが離れすぎてもいけないし、それとは反対にダンスから音楽が離れすぎてもいけない。そして、ストリートのダンスとスタジオの音楽の融合がブラックミュージックのヒストリーの核心を構成している点を踏まえると、動きが少なく踊れることができないブラックミュージックはお世辞にもヒップとはいいがたい。そして主流の系譜からは外れており、それはオルタネイティヴに属すると言えるのだ。

 

今年開催されるパリ・オリンピックでも注目の競技となる、ブレイキングのルーツは、基本的には1970年まで遡る。 一般的にはブレイクダンスと言われることもあるが、これは主流メディアのプロモーションの後、ネーミングの変更を余儀なくされた。


ブレイクダンスというワードは、カルチャーの奥深くを知るものにとってそれほど良い響きとはならず、そもそもこの用語は、卑下の意味をもたらすこともある。そのため、複数のオリジネーター、RUN DMCを中心とするアーティストは、ブレイキングという言葉を用いることを推奨している。ただし、こういう話を持ち上げると、文化そのものの持つ面白さが薄れる場合があるため、この話は飽くまでブレイキンの原理主義的な話として捉えておいてもらいたいのだ。



DJ Cool Harc


オールドスクールヒップホップの重要なファクターとなる、「b-boy」、「b−girl」というワードは、そもそも「Break-ブレイク」という語の省略から生じている。このジャンルを最初に発生させたのは、ブロンクス地区で活躍していた「DJ Kool Herc」というのが通説だ。彼は、ジャマイカからの移民で、地元の公園でDJをしていた。彼の音楽活動の出発点はレゲエだったのだ。


音楽を公園で流すというのがヒップホップの最初の出発だったが、これが後にもっと自分でも音楽を制作したいという創作的な欲求が沸き起こったのは当然のことであり、それがそのまま原初的な「サンプリング」の形になった。それは機材や楽器を購入する資金がないという切実な状況から、エコな方法を取るに至ったのである。クール・ハークは、ブレイキングという言葉に関して、「興奮させる」、「精力的に活動する」という意味が込められていると語る。ブレイキングが躍動的で、この音楽が生命力を掻き立てる理由というのは、こういった原点を見ると、よりわかりやすいと思う。


それでは、ブレイキングのダンススタイルはどう作られていったのか。「b-boy」の多くの要素は、1970年以前の他のカルチャーの影響下にある。このダンスの先駆者として名高い、Rock Steady Crue(ロック・ステディー・クルー)のクレイジー・レッグスは、「b-boy」の出発は、ジェイムス・ブラウンの影響下にあるとしている。


クール・ハークを始めとする、ブロンクス地区に拠点を置くDJは、ダンスレコードのリズムのセクションを引用し、それを連続してループさせ、延長させた。電子音楽をはじめとする他の音楽のジャンルでも取り入れられることがある、音が一瞬で次の空間に飛ぶようなトリッピーな感じを表した「ブレイクビーツ」という語は、そもそもサンプリングの一形式を意味する。これは他のサウンドの引用や再解釈を元にして、それらをどのように発展させていくのかという、DJの創意工夫から始まったのだった。もちろん、下手なサウンドを組み上げればブーイングとなり、センス良くサウンドを構築すれば称賛される。いわば、DJとしての腕の見せ所でもあったのである。

 

そもそも、ブレイクビーツというジャンルも単なるサンプリングの一形式を示すだけにとどまらず、ダンス形態の一を意味する。推測にすぎないが、ブロンクス地区の公園で、レゲエやその他のソウル、そして続いて、サンプリングを披露するうちに、誰かが踊り始め、それがクールとなれば、他の誰かがそれを模倣し、より洗練された形にしていったのだろう。そして一般的には、犯罪沙汰や暴力沙汰に生命エネルギーを注ぎがちな若い青年に、クール・ハークを中心とするリーダー的な存在の人物が、ダンスによってエネルギーを使用するように呼びかけたというのが妥当な見方である。


本来、ブレイクビーツもダンサーが休憩のとき、即興を披露出来るスペースを提供するために生み出されたものだった。この動きは、創造性、スキル、音楽との同期という形を通じ、ダンスクルーの間に繰り広げられるコンペティションに繋がった。これらの最初のブレーカーは、バトルのような様相を呈することもあり、ここに対人でのバトルという競技のルーツを見ることが出来る。


そして、この最初の文化をもたらしたのは、移民を中心とするグループだった。最初の創成期のグループ、Sal Soul、Rockwell Associationといったグループのダンスクルーはほとんどがヒスパニック系で構成されていた。驚くべきは、最初のb-boyの九割がプエルトリコ系で占められていたという。



もうひとつ、ジェイムス・ブラウンの影響とは別に「uprock-アップロック」と呼ばれるダンススタイルの吸収も度外視することは出来ない。音楽のリズムを通じて、互いのダンサーの動きを模倣するという面白い形式である。


これらの動きには、相手を挑発するような意図もあるため、一般的に攻撃的なダンスであると見なされている。このトップロックの系譜にあるスタイルを導入するブレーカーによって採用されたことをのぞいては、このスタイルが後のブレイキングのような注目を浴びることはほとんどなかった。 


また、それ以降のブレイキング・ダンスは、ストリートカルチャーの気風が強まり、アーバンなストリートダンスとしてストリートで一般的に普及していく。音楽的には、ヒップホップの進化と並行して、ソウル、ロック、ファンクのビートに合わせて、パフォーマンスされることが多かった。音楽的な参考例としては、ジミー・キャスターによる「It's Just Begun」などがある。

 

ブレイキングの踊りの特徴としては、躍動的なアクションが強い印象を放つ。頭を床につけて、クルクル回転する動きをしたり、足と頭のポジションを一瞬で変化させるアクロバティックな動きは、このダンススタイルの視覚的な魅力でもある。こういったスタイルは70年代ごろに一般的になった。


もちろん、今ほど複雑な動きではないにせよ、ターン、フットシャッフル、スピン、フリースタイルといった90年代以降、ヒップホップが最もヒップとされる時代のダンススタイルと直結している。これらがb−boyのダンスに導入される場合は、対戦相手は、同じようなアップロックの動きで反応し、より短く、細かな動きで応えてみせた。

 

女性もまたこのストリートダンスに参加したが、通常は二人の男性が向かい合って踊ることが多かった。ブレイキングの原理主義的な形態の1つである「アップロック」の根底にある哲学は、「バーン」と呼ばれる手の細かな動きとジェスチャーに求められる。この模倣的な手の動きには意味があり、ディスることによって、相手を弱体化させるという意味が込められているという。


当初のブロンクスのダンサーは、こういった挑発的、あるいは扇動的な動きを取り入れながら、ラップバトルのような形で、ストリートダンスを普及させた。ダンスバトルにおける勝者がどのように決められたのかと言えば、音楽とダンスの動きを、巧みに連動させ、同期させることが上手いダンサーが選ばれた。そこには、模倣的な表現に対する攻撃や挑発の意味が込められており、ここにヒップホップの先駆者たちの皮肉と自負が込められている。つまり、彼らは、このヒップホップカルチャーが模倣的であることを自覚した上で、独創性をなによりも重視し、オリジナリティがないものはダサいという認識を持っていたのだ。これが、現代のヒップな音楽を見極める上での重要な鍵になっているのは明らかである。

 

以後、ロッキングとアップロッキングが発展していくにつれ、「ジャーク」と呼ばれる動きと「バーン」と呼ばれる動きが融合され、ダンサーの戦いをエミュレートしていくことになった。ブロンクスの市中のダンサーは、その後、ストリートダンスを洗練させるため新しいジェスチャーを加えた。


1980年代に入り、ギャングスタは新しい形式のダンスを披露するようになる。彼らが街の片隅で友達とぶらぶら歩きながらストリートで踊ることは一般的になった。ブレイキングダンスはこのようにしてストリートの文化として市民権を得るに至ったのである。



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ヒップホップアート GRAFITTIのはじまり 芸術と戯れ 

 


GhettsがSkrapzをフィーチャーした新曲 「Twin Sisters」をリリースした。


このトラックは、Ghettsと頻繁にコラボレーションしているTenBillion Dreamsがプロデュースし、オランダ人監督、Geerten Harmens(A$AP Rocky、Lil Wayne、Gunna)がビジュアルを制作した。


「Twin Sisters」は、ムーンチャイルド・サネリーをフィーチャーした前シングル 「Laps」に続く。ゲッツにしては珍しく、「Laps」はビデオなしでリリースされた。


何か意義のあることをして地元コミュニティに恩返しをしたいという願望に突き動かされたゲッツは、このユニークなパートナーシップにより、150人の若者の年会費を負担することになった。


ゲッツは、2021年に発表した『Conflict Of Interest』がUKオフィシャル・アルバム・チャートで1位を獲得し、MOBO賞、マーキュリー・ミュージック・プライズ、ブリット・アワードにノミネートされたのに続き、アルバム『On Purpose, With Purpose』をワーナーから2月2日にリリースする。


 

 

愛知県出身のラッパー、Campanella(カンパネルラ)が最新EP『Mi Yama』を本日12/8(金)にデジタル配信でリリースした。アートワークと配信リンクは下記より。

 

作品のコアに向け、緊張感が高まる「Mi Yama」、ベース〜テクノを横断する先鋭的なビートと共にラップが駆け抜ける「DUDE」、客演に迎えたDaichi Yamamoto、ACE COOLと共闘する「YAMAMOTO」、ドープなリリックを瑞々しく響かせる「Shoo」の4曲を盟友Ramzaがプロデュース。


さらに、DJ MAYAKUがビートを提供し、MFSが客演参加した「I DONT KNOW」、CampanellaのライブDJを長年に渡って務めるshobbieconzが手掛た「Halo」を収録している。


ミックスはTAKANOME、マスタリングはMatt Colton(UK Metropolis Studios)、アートワークは伊藤潤が手掛けている。


ライブや客演など、各方面から引く手あまたの充実した活動を行うなかで、ラッパーとしてのセンスを研ぎ澄ませているCampanellaが親交を深めてきたアーティストと共に創り上げた、多面的にして彩りに満ちた作品となっている。



Campanella(カンパネルラ)『Mi Yama』EP


リリース日 : 2023年12月8日(金)

レーベル : MADE DAY MAIDER / AWDR/LR2
フォーマット : DIGITAL


配信リンク : 

https://campanella.lnk.to/MiYama


Tracklist:


1. Mi Yama
2. DUDE
3. I DONT KNOW feat. MFS
4. YAMAMOTO feat. Daichi Yamamoto, ACE COOL
5. Halo
6. Shoo

Ty Dolla Sign& Kanye West
 

「Vultures」は、タイ・ダラー・サインとカニエ・ウェストのコラボ・アルバムからの初の公式シングルという噂がある。少なくとも、ヒップホップ・ファンなら誰もが待ち望んでいたカムバック作だ。


先日、DJ PharrisがシカゴのWPWX Powerの伝統的なラジオ番組でオンエア中に、Bump Jをフィーチャーしたカニエ・ウェストとタイ・ダラー・サインによるこの新曲「Vultures」を初披露した。


また、タイ・ダラー・サインはアルバムが間もなくリリースされるとの情報をリークしているという噂だ。予定通りであれば、アルバムは全11曲、約40分に及び、トラヴィス・スコット、クァーヴォ、プレイボイ・カルティ、フィヴィオ・フォーリン、前述のバンプ・Jとのコラボが収録されるため、インスタントな名作となることが約束されている。以上はゴシップ情報となる。


Yeことカニエ・ウェストは1、2年前、(デザイン関連の)仕事のために渋谷にお忍びで来日しており、歩道橋の上でくつろいでいる姿が確認された。また、その際、東京都内の料理店で食事をとり、付き人と店から出てくる姿も目撃されている。その後、コラボレーターとトラック制作をしているのが確認されたが、以降、ミュージシャンとしての公式の動向は明らかとなっていない。

 




デトロイト出身のダニー・ブラウンが世界のファンに愛されるのには理由がある。ダニーほど獰猛なリリックを、これほど魅力的な人物像にまとわせたMCはいない。初期の頃は、その韻やビートと同様に、パーマのかかった髪、歯を見せて笑う姿、奇妙なファッション・センスでも知られていた。


しかし、ストリートレベルのデトロイトと、その中でのシュールな日常を小節で表現する彼の能力は、彼の長寿を生み出し、彼の遺産を刻み込んだ。ヒップホップが無数の方向に分断されていた時代、ブラウンはそのすべてを科学しているようだった。ブレイクアルバム『XXX』をリリースする頃には、彼はアヴァンギャルドなインターネット・ヒップホップのムーブメントの先頭に立っていた。


以来、ブラウンはヨーロッパのフェスティバル・サーキットでレイバーを熱狂の渦に巻き込み、ヒップホップ専門誌、XXL誌の憧れのフレッシュマン・カバーを飾った。アール・スウェットシャツからQティップまで、ラップの王道とニュースクールの架け橋となり、アンダーグラウンドのエレクトロニック・レコード・レーベルと手を組んだ。


最も驚くべきことに、彼は不可解なまでに自分自身であり続けながら、これらすべてを成し遂げてきた。決して一方通行になりすぎず、バランスを保つ方法をわざわざ説明することもない。『Quaranta』は、10年以上にわたってファンを謎に包んできたアーティストの内なる独白を解き明かし、ついにその幕を開けようとしている。ブラウンの6枚目のスタジオ・アルバムは、2021年のパンデミックによる封鎖の間に書かれたもので、自伝的かつ個人的な内容となっている。「あまりやることがなかったから、自分が経験したことすべてを音楽に込めるのが一番だった 」と彼は言う。


イントロにあるように、"クアランタ "はイタリア語で "40 "を意味する。ブラウンによれば、『Quaranta』は2011年にリリースされたアルバム『XXX』の精神的続編であり、30歳のギリギリの人生を綴った悪名高い作品である。10年後、COVID-19が世界を停止させたとき、ブラウンはデトロイトのダウンタウンで初めて一人暮らしをしていた。何年も逃避行をしていた彼は、静けさと静寂に適応することを余儀なくされ、『Quaranta』の小節はダニー・ブラウン独特の日記的なものになっている。


「YBP」ではブラウンの幼少期や家族の一人称のシーンが鮮やかに登場し、"Jenn's Terrific Vacation "ではデトロイトのダウンタウンに立ち並ぶ2ベッドルームや新しいグルメ・ショップの家賃の高騰に涙したり、15年近いラップ・キャリアに対する後悔に満ちた考察がプロジェクト全体に深みを与えている。


クエル・クリス、ポール・ホワイト、SKYWLKRら、ブラウンの古くからのコラボレーターたちによる、角の取れた魅惑的なプロダクションに乗せたブラウンらしい電撃的なヴァースには事欠かないが、アルケミストがプロデュースした "Tantor "は、まさに彼のキャリアを通して賞賛されてきた、冷徹な鋼鉄のような矛盾に満ちた作品だ。


最近、モーター・シティ出身の彼はテキサス州オースティンで日々を過ごしているという。「オースティンは大好きだよ。もっと早く引っ越せばよかった」とブラウンは言う。人気ポッドキャスト『ダニー・ブラウン・ショー』の収録はオースティンで行っているが、この引っ越しのきっかけとなったのは、大きな転機となった別れだった。


彼はそのことを「Down Wit It」で語っている。この曲は男性の自省の告白であり、アルバムに収録されている多くの率直な場面のひとつ。クアランタの核となるミッション・ステートメントである成長、痛み、進歩、そして丘の上からの眺めは、MIKEとのコラボ曲 "Celibate "に収録されている "I used to sell a bit, but I don't fuck around no more, I'm celibate "の一節で理解できるだろう。


「ヒップホップでは、人はあまり年を取らないんだ」と彼は振り返る。「そういう意味で、ヒップホップは若いスポーツなんだ。他のほとんどのジャンルでは、50歳でも60歳でもまだやっていることができる」。しかし、ダニーはその成長をしっかりと身につけているようだ。ブラウンは今年、リハビリ施設に入所後、禁酒していることを発表し、JPEGMAFIAとのコラボ・アルバム『Scaring the Hoes』を引っ提げたツアーは、衰えを見せない生産性の高さを示している。


彼の機転の利いたウィットや社会の裏側からの話は相変わらずここにあるが、いつ言うべきかをようやく学んだ、賢明な男からの言葉であり、それによってより良質なサウンドになっている。「多くの人がコンセプト・アルバムを作るけど、コンセプトこそ僕の人生なんだ」とブラウン。



Danny Brown 『Quaranta』/ WARP


 

イタリア語で”40”を意味するダニー・ブラウンの最新作『Quaranta』は、2021年のパンデミックと同時期に制作が開始された。

 

悪夢的な時期と重なるようにして、ブラウンの人生にも困難が降り掛かった。The Guardianに掲載されたインタビューで、ブラウンはいくつかの出来事により、「自殺への淵に迫った」と胸中を解き明かしている。『XXX』でアウトサイダー的なラッパーとして名を馳せて以来、およそ10年が経ち、彼は40歳を過ぎた。2010年代には、ドラッグのディーラーをしたりと、猥雑な生活に身をやつしていたブラウンは、今年に入り、更生施設に入り、断酒治療に取り組んでいた。その経緯の中で、インタビューでも語られているように、親戚の葬式の資金をせびられたり、鎮静剤であるフェンタニルの作用により、悪夢的な時間を過ごすことになった。それはときに、過剰摂取の恐れがあったが、彼はそれをコントロールすることができなかった。

 

過ちがあったのか。才能の過剰さが人生に暗い影を落としたのか。それとも、そうなると最初から決まっていたのか。いずれにしても、WARPから発売された『Quarantic』は、今年最後のヒップホップの話題作であることは間違いない。今年、JPEGとのコラボ・アルバム「Scaring The Hoes」はラップファンの間で大きな話題を呼んだが、このサイトではレビューとして取り上げられなかった。このリリースに関して、一説によると、Warpは良い印象を抱いていなかったという。ソロアルバム「40」のリリースがその後に予定されていたこともあったのかもしれない。

 

「Quarantic」は、ラッパーが40代になった心境の変化を、あまりにも赤裸々に語ったアルバムであり、彼の重要なルーツであるダウンタウンやゲトゥーの生々しい日常生活が、クールな最新鋭のアブストラクト・ヒップホップとして昇華されている。アルバム全体には、やや重苦しい雰囲気が漂うことは事実としても、この制作を通じて、ブラウンが治癒のプロセスを辿ったように、聞き手もこのアルバムの視聴を通じて治癒に近いカタルシスを得ることになるだろう。

 

アルバムは、何か現在の彼と、過去にいた彼を、言語実験ーーラップによりーー結びつける試みのようでもある。辛い過去、厳しい過去、その他、優しい日々、労りに溢れていた日々、そういった無数の出来事、そして、彼の周囲にいた人々をひとりずつラップによって呼び覚ますかのようである。同時に、麻薬やうつ病、アルコールによる幻覚等を体験したブラウンは、現実と幻想を改めて解釈し、それを現在の地点から捉え、その不可解さを絡まった糸を解くようにひとつずつ解き明かしていく。アルバムを作るまで、おそらくブラウンは、現実にせよ非現実にせよ、その不可解さや理不尽さに対して決まりの悪さを感じていたに違いないのである。

 

アルバムは、シネマティックな効果を持つコンセプト・アルバムのような感じで始まる。タイトル曲「Quarantic」はサンプリングを施し、男女のボイスと英語とイタリア語の「40」という言葉が飛び交い、始まる。しかし、ブラウンがその40という言葉を耳にしたとき、彼の生命的な真実であるその言葉は、だんだん遠く離れていき、真実性を失うようになる。その後、よく指摘されている通り、スパゲッティ・ウェスタン調の哀愁のあるギターラインが始まると、ダニー・ブラウンは飄々とした感じでライムを始める。彼のリリックは寛いだたわごとのような感じで始まるが、背後のギターラインを背後に言葉を紡ぎ出すブラウンの姿を思い浮かべると、それは崖っぷちに瀕して、極限のところでラップをするような錯覚を覚えさせる。

 

 「Quaranta」

 

 

 

「Tantor」は、昔の電話や、インターネットのダイヤルアップ接続のサンプリングで始まり、ブラウンは00年代前後のネット・スラングの全盛期に立ち返る。メタルやパンクのギターラインをベースに、ブラウンはアブストラクト・ヒップホップの最前線が何たるかを示す。


ロック/メタルのギターラインとしてはベタなフレーズだが、これらがループサウンドやミニマリズムとして処理され、ブラウンの紳士的な人格の裏にある悪魔的な人格を元にするリリックが展開されると、革新的な響きを生み出す。これらの懐かしさと新しさが混在した感覚はやがてギャングスタ・ラップのようなグルーブを生み出し、彼はその中で、自らの人生にまつわる悪夢的な日々を呼び起こす。ローリング・ストーン誌が、レビューの中で、Husker Duについて言及しているのはかなり意外だったが、これはイントロが「New Day Rising」を彷彿とさせるからなのではないかと思われる。

 

このアルバムのサウンドに内包される悪夢的なイメージは、次の曲でさらに膨らんでいくような気がする。 「Ain't My Concern」は、親戚の葬式の費用をせがまれたアーティストの反論であるのかもしれないし、おそらく彼がすべてを背負い込んでしまう自責的なタイプの人物であることを暗示している。 

 

ダニー・ブラウンはオープナーと同様に、飄々とした感じでライムを披露するが、その背景には、クリスマスソング「Winter Wonderland」に対する皮肉に充ちた解釈が示されている。もしかすると、誰よりも冷静な眼差しで現実を捉えるブラウンにとっては、夢想的なクリスマスソングも実際的な真実性から乖離しすぎているがゆえ、滑稽で、醜く、暗いものに映るのかもしれない。本来、夢想的な響きを擁する「Winter Wonderland」は、ブラウンのアブストラクト・ヒップホップとして昇華されるいなや、悪夢や地獄そのものに変わる。そしてブラウンは理想と現実の間を匍匐前進で掻いくぐるかのように、精細感のあるリリックを披露している。この曲は同時に、悪夢的な現実と理想的な現実の中でもがこうとするブラウンの悪戦苦闘でもある。

 

それが、内側からやってくるにせよ、外側からやってくるにせよ、アーティストが内的な悪魔、外的な悪魔と悪戦苦闘する姿は、「Dark Sword Angel」にも見出せる。これらは西洋芸術の中で重要なテーマともなってきた経緯があり、少なくとも、キリスト教的な善悪論によってもたらされる概念であることには違いない。けれども、ダニー・ブラウンは、その善悪の二元論の中でもがくようにしながら、従来の倫理観、価値観、そして、道徳観を相手取り、ラップにより、その悪魔的な存在を召喚し、ときに戦い、剣でそれらを打ち砕こうとする。彼が2010年頃、あるいはまた、それ以前から積み上げてきた価値観との激烈な鍔迫り合いを繰り広げるかのようである。音楽的には、ゲトゥーのギャングスタ・ラップの範疇にあるサウンドの中でブラウンは歌う。そして、リズムやビートを刻む。 

 

 

 「Dark Sword Angel」

 

 

 

『Quaranta』は、40という年を経たがゆえ、今まで見えなかった様々な現実が見えるようになったという苦悩に重点が置かれ、シリアスやダークさというテーマが主題となっているように思われるが、他方、親しみやすく、アクセスしやすい音楽性も含まれていることは注目に値する。


「Y.B.P」はおそらくその先鋒となりえるだろう。ネオ・ファンクを下地にしたビートをベースにして、R&Bの要素をトラップ的に処理し、ダニー・ブラウンはリラックスしたライムを披露している。ブラウンはこの曲を通じて、自らの若さ、黒人、貧しい人々について熟考する。しかし、テーマそのものがダウナーな概念に縁取られようとも、ゲトゥーに根ざした文化への理解が、ユニークさと明るさを加えている。そして、JPEGのようなドープな節回しこそないものの、比較的落ち着いたテンションの中で、心地よいウェイブや、深みのあるグルーヴをもたらすことに成功している。

 

アブストラクト・ヒップホップは、ラップの中に内包される音楽性の多彩さや無限性を特徴としている。また、シカゴのラップミュージックを見ても、ジャズをラップの中に取り入れる場合は珍しくはない。同レーベルの期待の新人で、日本の音楽フェス、朝霧JAMにも出演したKassa Overall(カッサ・オーバーオール)が参加した「Jenn's Terrific」はアルバムのハイライトの一角をなし、最もアブストラクトな領域に挑戦している。

 

カッサ・オーバーオールのセンス抜群のモダン・ジャズの微細なドラム・フィルを断片的に導入し、それをケンドリック・ラマーの独自の語法とも称せるグリッチを交えたドライブ感のあるドリルの中で、ブラウンは滑らかなリリック/フロウを披露している。そして、米国のドリルはマーダーなどの歴史的な負の側面があるため、それほどシリアスにならず、ユニークさやウィットを加えようというのが慣習になっているのかもしれない。ダニー・ブラウンは、コメディアンのように扮し、おどけた声色を駆使しながら、この曲に親しみやすさ、面白み、そして近づきやすさをもたらしている。

 

イギリスのダンスミュージックの名門、WARPのリリースということもあってか、EDM/IDMの要素のあるエレクトロニックが収録されていることも、このアルバムの楽しみに一つに挙げられる。「Down Wit it」はスロウなEDM/IDMであり、90年代の英国のテクノを想起させるビートを背後に、ブラウンは同じように、言葉の余白を設けるような感じで、ライムを披露している。

 

しかし、曲の雰囲気は明朗なものでありながら、そこにはラッパーとしての覚悟のようなものが表されており、これは本作のオープナーの「Quarantic」と同様である。アーティストは、完全に決断したわけではないが、「このアルバムが最後になる可能性もある」と語っている。もちろん、以後の状況によって、それは変化する可能性もある。ただ少なくとも、旧来のキャリアを総括するトラックなのは確かで、イギリスのヒップホップで盛んなエレクトロニックとラップのクロスオーバーに重点が置かれているのにも着目しておきたい。


アルバムの前半部は、過激でアグレッシヴで、エクストリームな印象もある。しかし、本作は終盤に差し掛かるにつれて、より鎮静的な雰囲気のある曲が多くなっていく。それは彼の最近の2、3年の人生における困難や苦境を何よりも如実に物語っているのかもしれない。曲がダウンテンポやチルアウトの雰囲気を醸し出すのも、それを意図したというのではなく、鎮静剤のフェンタニルによる作用の後遺症なのかも知れず、自然にそうならざるをえなかったという印象もなくはない。

 

ニューヨークのラッパーMIKEが参加した「Celibate」は、ブラウンの過去にあるセクシャルな人生の側面をかなりリアルに描き出している。一方、ブラウンやコラボレーターのリリックやライムにより、彼の人生や存在に対する治癒の意味が込められている。人生の過去のトラウマを鋭く捉え、それを温かな言葉で包み込むことで、彼のカルマは消え、心の内側の最深部の闇は消え果てる。「Shake Down」もラッパーの従来のヒップホップのなかで穏やかな音楽性が表現されている。


アルバムの最後には、ジャポニズムに対する親しみが表されている。過激なものや鋭いものの対極にある安心や平和、柔らかさ、もっといえば、日本古来の大和文化の固有の考えである”調和”という概念が示される。「Hanami」には、三味線を模した音色も出てくるし、尺八を模した笛の音を聴き取れる。この曲は、チルウェイブ風のアプローチにより、ヒップホップの新機軸を示した瞬間である。それと同時に、実際に桜の下で花見をするかのような温和な感覚に満ちている。

 

2023年に発売されたアルバムの複数の作品には、当初、デモーニッシュなイメージで始まり、その最後にエンジェリックな印象に変遷していくものがいくつもあった。それがどのような形になるかまではわからないけれど、すこしずつ変化していくこと。それが一人の人間としての歩みなのであり、人格の到達の過程でもある。人間というのは、常にどこかしらの方角に向けて歩いてゆくことを余儀なくされ、最初の存在から、それとは全く別の何かへと変化していかざるを得ない。


ニューアルバム『Quarantic』のクローズ曲「Bass Jam」で、ブラウンのイメージは、悪魔的な存在から、それとは対極にある清々しい存在に変わる。それは人生の汚泥を無数に掻き分けた後に訪れる、明るい祝福なのであり、涅槃的な到達でもある。「Bass Jam」は、ラッパーがこの数年間の人生を生きてきたことに対する安堵を意味し、そこにはまた深い自負心も感じられる。

 


 

95/100 

 


「Hanami」



Danny Brownのニューアルバム『Quaranta』はワープ・レコードから11月17日より発売中です。


 

©David Richardson

イギリスの多国籍ヒップホップ・ロック・グループ、The Go! Teamは、今週金曜日(2月3日)にMemphis Industriesよりニューアルバム『Get Up Sequences Part Two』をリリースします。

 

彼らは、発売前の5枚目となる最終プレビュー「The Me Frequency」をミュージック・ビデオで公開しました。新作アルバムの発売日を前にあらためてチェックしてみて下さい。この曲は、Star Feminine Bandをフィーチャーしており、スター・フェミニン・バンドが参加しています。

 

The Go! Teamは、「Dive Bomb」「Look Away,Look Away」「Wammy O」「Gemini」、四作の先行シングルを公開している。


 

De La Soul 

 

伝説のヒップホップ・グループ、De La Soulが、1989年のヒット曲「The Magic Number」をデジタル配信でリリースしました。「The Magic Number」は、2021年の『スパイダーマン:No Way Home』に登場した曲です。

 

De La Soulは、今月初め、1989年のデビュー・アルバム『3 Feet High and Rising』の発売34周年を記念して、彼らの最初の6枚のアルバムをストリーミング・プラットフォームに初めて提供すると発表しています。


デ・ラ・ソウルは、長いカタログ論争を経てカタログをデジタル・リリースすると同時に、限定グッズ、ヴァイナル、CD、カセットテープを発行する予定です。


メンバーのDJ Maseoは、"20年以上の遅れがあったけど、ついにここまで来たね"と感慨深く語った。

 

De La Soul
 

サンプルのクリアランスや契約上の問題など、数十年に及ぶ交渉の頓挫を経て、ラップ界のレジェンド、De La Soul(デ・ラ・ソウル)の音楽が2023年3月3日にようやくストリーミング・サービスで解禁となる。

 

1989年のデビュー作『Three Feet High and Rising』を含む3人組の最初の6枚のアルバムが、De La Soulの長年のレーベル”Tommy Boy Records”との契約の一部として”Reservoir Media”に買収されたため、この動きが可能になった。


フル・カタログの解禁に先駆け、シングル「The Magic Number」が1月13日にストリーミングサイトで配信される。

 

『Three Feet High and Rising』の他にストリーミング・サービスで到着するのは、1991年の『De La Soul Is Dead』、1993年の『Buhloone Mindstate』、1996年の『Stakes Is High』、2000年の『Art Official Intelligence: Mosaic Thump』、さらに、翌年の『AOI: Bionix』です。また、2023年にはバック・カタログの複数の再発が計画されており、『Three Feet High and Rising』の新しいビニール盤、CD、カセット盤が3月3日に発売される。


2004年の『The Grind Date』や2016年の『And the Anonymous Nobody...』といった後のデ・ラ・ソウルのリリースは、もともとグループのTommy Boyとの契約の一環としてリリースされたものではないため、何年も前からストリーミングで視聴することができるようになる。


「30年以上ヒップホップに人生を捧げてきた者として、デ・ラ・ソウルのメンバーとの関係は、私がこの業界に入ったばかりの頃に遡り、今回のプランによって彼らのカタログがこのジャンルにどれだけ影響力があるか、証明することができるでしょう」と、EVP of A&R and catalog development Faith Newmanは語っています。


「ReservoirがTommy Boyを買収したとき、私たちが最初に電話をかけたのは、実は、De La Soulだったんです。私たちは彼らの音楽をストリーミングで提供すると誓った。その約束を果たし、ヒップホップ史上最も重要なカタログの1つを全く新しい世代のリスナーに公開することは、私たちのチームにとって大きな意義がある」と述べています。

京都で活躍するトラックメイカーACM、DJ天愚、ダラス出身のラッパー、Tonikakujayからなるヒップホップクルー、”Keida Smokes”が先月29日にファーストEP「Keida Style」をドロップし、デビューを果たしている。このEP作品は各種サブスクリプション形式でリリースされています。

 

全六曲収録のデビューEP『Keida Style』は、オルタナティヴでドラマティックなトラックに、変幻自在でエモーションなラップが特徴となっている。切れ味があり、爽快な質感を持ったフロウを擁する、国内のラップシーンの次世代を担うであろうヒップホップクルーのデビューEPに注目です。



 

新作EP『Keida Style』のテースターとして、「Mayonaka」のミュージックビデオがフルバージョンで公開されているほか、「What Ninjas Can't I Can」のショートバージョンが公開されています。下記のトラックリスト、アートワークとともに、こちらも合わせてチェックしてみて下さい。

 

 

「Mayonaka」 Music Video

 

 

 

 

Keida Smokes 「Keida Style」EP 

 


 


Tracklist

 

1.What Ninjas Can't I Can

2.Mayonaka

3.Beauty

4.On The Map

5.Didital Dash

6.Reincarnation


楽曲のご視聴/ダウンロード: https://distrokid.com/hyperfollow/keidasmokes1/keida-style



 

Kendric Lamar

 

あのような大掛かりな作品を世に送り出したとしてもケンドリック・ラマーは、慢心するわけでも、その場に安住するわけでも、はたまた、現状に満足しているわけでもない。今年5月に『DAMN.』に続く二枚組アルバム『Mr.Morale & The Big Steppers』で劇的な復活を果たし、その後、イギリスのグラストンベリーを始め、様々なビッグフェスティバルのヘッドライナーを務めたケンドリック・ラマー。

 

今回、コラボレーターとして知られるカルフォルニアのヒップホップ・プロデューサー、Sounwave(サウンウェイブ)は、ケンドリック・ラマーが『Mr.Moral & The Big Steppers』の後続作品に取り掛かっていることを、コンプレックスのインタビューを通じて明かしている。


ケンドリック・ラマーの最新アルバム制作のスケジュールについて、コンプレックスから尋ねられたサウンウェイブはそのことを当たり前のように話している。「ああ、いつも始めるよ、リリースの直後から。今、彼は次のアルバムに取り掛かっているところさ。『Kendrick Lamar EP』からずっと、そのスタイルは変わらない。次の日、ケンドリックはSection.80に取り掛かったんだ」。


さらに、サウンウェイブはインタビューで次のように話している。「彼の中にあるアイデアは止まることはない。彼と一緒にツアーに出る理由のひとつは、次のアルバムを作るためなんだ。一拍も無駄にできない。ただ、ひたすら続けるしかない。休みはないよ。好きなことをやっているとき、休みなんてないんだ。やることすべてが自分の好きなことだから、ワクワクするんだ」

 

「もちろん、このことは人によって感じ方は異なるかもしれませんが、私たちは常に次は何だろうと考えている。私たちは、キャンディーショップにいる子供みたいなものです。個人的には、一度このようなアルバムをリリースすると、しばらく前の作品に立ち戻ったりはしないんです。一度リリースされて自分の手元から離れたものが自分のためのものではない、という感じかな。そういうときは、頭を整理する時期だから、次のプロジェクトについて考えるのが一番なんだ」


一方、先月、ケンドリック・ラマーは、テキサス州ヒューストンの公演で警備員が泣いているバイラル動画に対し、"そうやって、みんなに自分の音楽を真摯に受け取ってもらうことは光栄だよ "と発言していた。

 「93」は、2021年のコラボレーションアルバム「Rocket」に続く、2022年のデュオの最初のリリースとなります。 これは、90年代の素晴らしいヒップホップレコードに敬意を表して書かれたシングルです。

 

Mr. Jukes& Barney Artist

ボンペイ・バイシクル・クラブのジャック・ステッドマンとして知られるMr.Jukesは、今回のリリースについて以下のように述べています。

 

略奪者・・・サイプレス・ヒルのブラックサンデー・・・。この魔法のようなヒップホップイヤーに改めて敬意を表しておきたいと思いました。

 

さらにコレボレーションを務めたバーニー・アーティストは次のように説明を加えています。

 

ツアー中に、ゴールデンエイジ・ヒップホップを片っ端から聴いた後、私とジャックは、「)3」の制作に取り組みました。1993年に多くの素晴らしいヒップホップレコードが生み出されたことに気がつい気ました。私たちは本当にこのことに敬意を表しておきたいと考えたいた。前を行く偉人達、先駆者へのリスペクトを独自の方法によって示したいと考えていたんです。