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Enji

''彼女の夢のような歌声は、優しいピアノと重みのあるコントラバスにのって響き渡る''- ガーディアン紙


夕暮れ時のほんの一瞬、空が鮮やかな琥珀色に染まる。 ドラマチックな色彩の閃光、昼と夜の両方に属する瞬間。 モンゴル生まれでミュンヘンを拠点に活動するエンジのニューアルバム『Sonor』は、この鮮やかで儚い世界の中で書かれた。『Sonor』は、夕暮れがそうであるように、2つの世界の間に存在することの美しさを見出したアーティストによる、生命力と楽観主義に満ちたレコードである。 モンゴルとドイツ、伝統と革新、郷愁と未来への興奮。 『Sonor』は、個人的な成長、内省、そして変化というほろ苦い感情への認識を特徴とする音楽の旅である。


エンジの人生は、多様な文化の糸で織られたタペストリーである。 モンゴルのウランバートルに生まれた彼女は、若い頃からモンゴルの民族音楽の豊かな伝統に浸ってきた。 長い音節と自由なメロディが特徴のモンゴルの伝統的な歌唱スタイルである「urtiin duu(長い歌)」に早くから触れ、自分の文化的ルーツに対する深い感謝の念を持つようになった。

 

2014年、エンジはウランバートルのゲーテ・インスティトゥートのプログラムに参加し、彼女の音楽の旅は一変した。 ここでドイツ人ベーシスト、マーティン・ゼンカーの指導のもと、ジャズの世界に入門した。 彼女はジャズの即興性と感情の深みに共鳴し、ミュンヘン音楽演劇大学でジャズ歌唱の修士号を取得。 この転居が、母国モンゴルと新天地ドイツの両方の風景をナビゲートする、彼女の文化間生活の始まりとなった。


『Sonor』は、エンジの個人的な進化と、2つの文化的な世界の間で生きることに伴う複雑な感情の反映である。 このアルバムのテーマは、文化の狭間にある居場所のない感覚を中心に展開されるが、それは対立の原因としてではなく、成長と自己発見のための空間としてである。 エンジは、伝統的なモンゴルのルーツとの距離がいかに彼女のアイデンティティを形成してきたか、そして、故郷に戻ることがいかにこうした変化への意識を高めるかを探求している。


『Sonor』で、エンジはアーティストとしての進化を続け、彼女のサウンドをより流動的で親しみやすいものへと拡大した。 世界的に有名なジャズ・アーティストをバンドに迎え、定番の「Old Folks」を除いて全曲をモンゴル語で歌うなど、エンジの音楽的基盤は揺るぎないが、『Sonor』ではメロディーとストーリーテリングが明瞭になり音楽が多くの聴衆に開かれている。 単にスタイルの変化というだけでなく、芸術的な声の深化を反映したもので、深みを失うことなく親しみやすさを受け入れ、彼女の歌が普遍的なレベルで共鳴することを可能にした。


カラフルで楽観的であるにもかかわらず、このアルバムはほろ苦いノスタルジア、あるいはメランコリアに彩られている。 この二面性を最もよく表しているのが、モンゴル語で日没時の空の色を意味するトラック「Ulbal(ウルバル)」だろう。 鮮やかで美しい現象でありながら、昼間の終わりと夜への移行を意味する。 同様に、エンジの音楽は、新しい経験や成長の喜びをとらえる一方で、人生を歩むにつれ、以前の経験が身近なものではなくなっていくことを認めている。


『Sonor』では、モンゴルの伝統的な歌「Eejiinhee Hairaar」(「母の愛をこめて」)に新たな命を吹き込んだ。 彼女は、モンゴルの故郷で父親が自転車を修理しているときに、この曲をよく口ずさんでいたことを思い出す。 日常生活に溶け込んだ音楽、そして、何世代にもわたって受け継がれてきたメロディー、このイメージに''ソノールの精神''が凝縮されている。 エンジは単に伝統を再認識しているのではなく、故郷の感覚や、遠くから見て初めてその意義がわかる小さな喜びを抽出しているのだ。 親が口ずさむ親しみのある歌のように、彼女の音楽は、ひとつの場所に縛られることなく、私たちを形作る感情や記憶といった「帰属」の本質を捉えている。


「Much」のようなトラックは、はかない瞬間の哀愁を真にとらえ、希望に満ちたトーンで、エンジのヴォーカルは、リスナーにゆっくりと、過ぎゆく瞬間に感謝するよう促している。 「Ergelt」では、ノスタルジアと親しみの移り変わりについての瞑想である。''幸せいっぱいのまなざしが私を悲しませる/悲しみを口に出そうとしても言葉は出てこない/見慣れない、でもどこか知っている"


『Sonor』は、エンジの協力者たちの貢献によって、より豊かなものになっている。 エリアス・シュテメセダーはオーストリアのピアニスト、作曲家で、コンテンポラリー・ジャズや前衛音楽の分野で知られている。 シュテメセダーはこれまでに、前衛音楽の領域で活躍するジョン・ゾーンやクリスチャン・リリンガーなどのミュージシャンとコラボしている。 


ロベルト・ランドフェルマン(Robert Landfermann)は、ヨーロッパのジャズや即興音楽界で広く知られるドイツのコントラバス奏者だ。 彼の演奏の特徴は、技術的な妙技と深いリズム感。 


ジュリアン・サルトリウスはスイスのドラマーでパーカッショニスト。 彼の作品はジャズ、エレクトロニック、実験音楽など多岐にわたる。 一方、長年のコラボレーターであるポール・ブレンドルは、ドイツのジャズ・ギタリストで、クラシック・ジャズの影響と現代的な感覚を融合させた、温かみのある流麗なスタイルを持つ。


エンジのこれまでの作品は国際的な注目を集め、批評家からも高い評価を得ている。 2023年に発表したアルバム『Ulaan』は、英ガーディアン紙で「モンゴルの伝統音楽をエレガントかつパワフルにアレンジした」と絶賛され、文化的な枠組みの中で革新する彼女の能力を浮き彫りにした。


また、ジャズとモンゴル民謡のユニークな融合はワシントン・ポスト紙にも評価され、同紙は彼女の曲について "とても独創的で、とても自由で、それでいて地に足がついている "と書いている。 このバランス感覚はエンジの音楽の特徴であり、コンテンポラリー・ジャズ界で最も魅力的な声のひとつとなっている。


『Sonor』で、エンジはリスナーを彼女の体験の風景を旅する旅へと誘い、文化の架け橋となり、変化を受け入れ、私たちの人生を決定づける移り変わりの中に美を見出す。 彼女の音楽は、夕日のように、変化の瞬間は美しくもあり、痛烈でもあるということを思い出させてくれる。


モンゴルとドイツ、伝統と革新の間を行き来し続ける彼女の『Enji's Sonor』は、世界の狭間で生きることの豊かな体験と、多面的なアイデンティティを受け入れることから生まれる芸術の証である。 



Enji 『Soner』 - Squama



 
エンジは、モンゴルの首都、ウランバートルで育った。現在はミュンヘンをベースに活動している。労働者階級の娘として、彼女はモンゴルの草原に点在する、遊牧民の円形型の移動テントで暮らし、定住する地を持たぬ、ジプシー的な文化観の元で育った。このことは、彼女にイミグラントの性質を付与するとともに、多様な文化感を自らのものにする柔軟性を培った。なぜ遊牧するのかといえば、それは、外敵から身を守るためだ。日本のような島国とは異なり、これらの大陸の性質が季節風のモンスーンのような暮らしをモンゴル民族の宿命としたのだった。


しかし、こういった遊牧民のたくましい暮らしの中で、エンジは両親から音楽的な教育を受けてきた。それがモンゴルの民謡、そして舞踏の伝統であった。チンギスハーンの御代から、モンゴルはコーカサス地方との交流があり、いわば北アジアとコーカサスの折衝地として、ヨーロッパとアジアの境目として、エキゾチックな文化感を折り込む地方として栄えてきたのだった。その中で、エンジは、「オルティンドー」と呼ばれる遊牧民族の象徴的な歌唱法を学び、習得した。それは体系的なものではなく、体感的なものとして学習したと言えるかもしれない。
 
 
エンジは元々、ミュージシャンの道を歩んでいたわけではなかった。小学校教師を務めていたが、その後、2014年にドイツ人ベーシスト、マーティン・ツェンカーと出会ったことから音楽家としてのキャリアが始まった。それも彼がモンゴルに持ち込んだゲーテ・インスティトゥートのプログラムを通じてである。ゲーテ・インスティトゥートは、ドイツ政府が設立した教育プログラムで、ドイツ語教育の推進や、文化交流を行う目的で、ミュンヘンに本部を持ち、東京にも支部がある。音楽にかぎらず、様々な分野から講師を招き、質の高い教育を行っている。
 
 
エンジの音楽的な出発は共同制作で、モンゴルの伝統音楽の民謡の録音であった。2017年にアメリカのビリー・ハート、ドイツのサックス奏者ヨハネス・エンダー、イギリスのピアニスト、ポール・カービー、モンゴルを代表する作曲家、センビーン・ゴンチングソラーとの共演を録音した『Mongolian Songs』への参加を契機とし、ドイツ/ミュンヘンに移住し、2020年からミュンヘン音楽/舞台芸術大学のジャズ・ボーカルの修士課程を卒業した。その後、エンジはソロボーカリストに転身し、2020年代の初頭のパンデミックをきっかけに、深い内省をもとにした二作目のアルバム『Ursugal』を発表し、ソロキャリアとしての地位を不動のものにした。
 

エンジの音楽的なキャリアの中核にある舞台芸術及びボーカルアートの体系的な習得は、この三作目のアルバム『Sonor』を聴く上で、非常に重要な役割を果たしている。アルバムの最後に収録される1938年に初めて発表されたジャズ・スタンダード「Old Folks」をのぞけば、モンゴルの現地語を中心に歌われ、そしてモダンジャズのボーカリストの急峰としての存在感が随所に感じられる。そしてこのアルバムには、インタリュードの代わりを担う2つのスポークンワードの曲が収録されている。それらは、ウランバートルの時代の思い出を回想するという内容で、これは演劇的な意味を持ち、アルバムのストーリーテリングの要素を拡張させるものである。そして、それらがアーティストが持つジャズという文脈によって押し広げられていく。

 

例えば、「3-Unadag Dugui」、「9-Neke」でそれらのストーリーテリングの音楽を聴くことが出来るはず。これらはドイツのヴィム・ヴェンダース監督の傑作『ベルリン・天使の詩』にも出演したブルーノ・ガンツが自身のボーカルを収録したポエトリーリーディングのアルバムのように、あるいはニュージャージーのビートニクスの作家アレン・ギンスバーグの詩の朗読のように、声をモチーフとする芸術作品のような機能を果たす。そして、2つのインタリュードを起点とし、ジャズとモンゴルの伝統音楽の融合が敷衍していく。ある一つの記憶のシーンをきっかけに、見えなかった過去が少しずつ明らかになる。これは、映像作品のクローズとワイドを行き来するような意味を持つ。エンジの音楽は、制作者の過去の姿を遠近法で表現する。 そして、その機能を果たすために、ムーブメントの延長線上にある曲という単位が存在する。

 

 

このアルバムは、音楽の持つ物語る力が遺憾なく発揮された素晴らしい作品である。もちろん、それはエンジの得意とするジャズ・ボーカルという領域で繰り広げられ、サックス、ピアノ、ローズ・ピアノ、華麗なサックスフォンの演奏により、ジャズの持つ深遠な魅力が深められる。音楽を通して、どのようなことが語られるのかというと、ミュンヘンに在するシンガー、エンジが遠く離れたモンゴルのウランバートルを、そして、その遊牧民族として暮らしを懐かしむ、という内容である。映画のシナリオ的でもあり、文学的でもあり、演劇的でもある。


また、遠く離れた土地に対する望郷の念を歌い、それらを滑らかな音楽として組み上げるという面では、大河のような意味を持つジャズアルバムと言えるかもしれない。そして、そのポイントは、ヘルマン・ヘッセの「郷愁」のような、単なる若い時代への追憶や、その若さに対する慈しみに終始するわけではない、ということである。つまり、必ずしも、それらが美化されず、そのままボーカルでシンプルに表現されるに過ぎない。これは彼女が故郷に対する尽くせぬ思いをシンプルに歌い上げているだけなのだ。脚色や過度な演出的な表現というのはほとんどない。

 

『Sonor』には、自分の過去や現在の姿を過度に美化したり、脚色しようという意図は感じられない。まるで音楽が目の前をゆっくりと流れていき、それがそのままそこにあるだけである。それが素朴で親しみやすい音楽性を形作る。


その中には故郷にいる親族や共同体に対する慈しみが込められ、それがノスタルジアとメランコリアの合間にあるジャジーでアンニュイなボーカルの表現として発現するとき、本来の音楽の物語る力が発揮され、クヌルプとしての感情音楽の核心が出現する。 そして、現代のミュンヘンの暮らしと過去のウランバートルの暮らしを対比させ、それらを温かいハートウォーミングなジャズボーカルで包み込もうとする。その瞬間、聞き手のノスタルジアの換気力を呼び覚ます。

 

 

そして、このアルバムは基本的には、ポピュラーに属するジャズアルバムとして楽しむことが出来る。一度聴いて終わりのアルバムではなく、聴く度に異なる魅力を発見することが出来るだろう。しかし、ボーカルトラックに聴き応えをもたらす素晴らしいジャズのプレイヤーの共演も見逃すことができない。そして、舞踊的な要素がジャズに加わることにより、新鮮な風味が生み出されている。これらは、モンゴルの伝統音楽に組み込まれた異文化からの影響、つまり、コーカサス地方の音楽の要素が入り込んでいる。本作の冒頭を飾る「1−Hungun」は、これらの舞踊的な音楽性が、ウッドベースにより対旋律として配され、音楽に躍動感をもたらす。主旋律の役割を担うエンジのメランコリックでノスタルジックなボーカルも静かに聞きいらせるものがある。しかし、ジャズのスケールをせわしなく動くウッドベースがピアノと組み合わされ、サックスの巧みなパッセージ、異言語としてのモンゴル語のエキゾチズムが加わることで、エスニック・ジャズの次世代を担う素晴らしいジャズソングが誕生することになった。

 

先行シングル「2-Ulbar」は、ゆったりとしたテンポのジャズバラード。近年のジャズソングの中では傑出している。 ノラ・ジョーンズのポピュラーを意識したジャズであるが、やはりモンゴルの伝統音楽の要素がこの曲に心地よいエキゾチズムをもたらす。この曲では、モンゴルへの懐かしさが歌われるが、同じようなイメージを聞き手にも授けるのはなぜなのだろう。聞き手はエンジと同じように、遠く離れた故郷に温かな思いをはせるという気分にさせるのである。

 

イントロが大胆な印象を持つ「3-Ergelt」はエンジのボーカルが主体的な位置にある。ボーカルの持つメロディーも美しいが、その感覚を引き立てるギター、コントラバスの演奏にも注目だ。 この曲でのエンジの歌の良さというのは筆舌に尽くしがたい。まるで彼女の若い頃の遊牧的な生活がユーラシア大陸の勇壮なイメージを持ち、それらがヨーロッパの音楽の一つの集大成であるジャズと結びつく。その瞬間、言語や文化性を超えた本当のグローバルな音楽が出来上がる。エンジの華麗なビブラートを持つ歌は、自然の持つ荘厳なイメージすら織り込んでいる。


 

「Ergelt」

 

 

 

「4-Unadag Dugui」は、ドイツ語のストーリーテリングが披露され、シンガーの持つ過去が明らかとなる。そして、それは映像的なイメージを上手く拡張させる役割を果たす。また、ドイツということで、ECMのモダンジャズ風の曲も収録されている。「5−Ger Hol」は、2000年代以降にさりげなく流行ったエスニックジャズの系譜を踏まえた一曲である。イスラエル人のピアニスト、Anat Fortを思わせる上品なジャズピアノ、そしてエンジの物悲しくも力強さがあるボーカルは心に染みるような感動に溢れている。この曲では特にピアノがフィーチャーされ、JSバッハ風の品格に満ちたポリフォーニーのピアノが演奏され、静かに聞き入らせてくれる。

 

エンジは見事なほどに、ミュンヘンとウランバートルの追憶を行来しながら、現代と過去の文化観を兼ね備えた音楽を、このアルバムで提示している。そして、「6-Eejiinhee Hairaar」では、彼女のモンゴルへのたゆまぬ美しい愛情の奔流を感じ取ることが出来る。この曲ではモンゴルの民族音楽の二拍子の範疇にあるリズムを駆使し、コミカルでおどけたような可愛らしい音楽性を作り上げている。アジア圏にも似たような音楽があり、例えば、日本では、拍手で二拍のリズムを取る”囃子”という、祭りなどで演奏される民族音楽が、これに該当するだろう。この曲では、ローズピアノとコントラバスの演奏が活躍し、リズム的な効果を支え、それに負けないくらいの力強い歌声をエンジは披露している。そして、全く馴染みのないはずのモンゴル語、それがエンジの歌にかかると、この言語の持つ親しみやすさや美しさがあらわになる。この曲ではジャズと民謡の融合という、これまでにあまりなかった要素が追求され、それらが心あたたまるようなハートウォーミングなジャズソングに昇華されている。中盤のハイライト。

 

 

北欧のジャズからの影響を感じさせる曲もある。「7-Zuirmegleh」は、ノルウェージャズの巨匠、Jan Garbarek(ヤン・ガルバレク)のエレクトロニックジャズの最高傑作『In Praise of Dreams』 の電子音楽とジャズの融合の影響下に位置づけられる一曲である。また、同時に、ブリストルのトリップホップの雨がちな風景や憂愁を想起させる音楽性を織り交ぜ、新鮮な風味を持つジャズを提供している。これらは”Trip-Jazz”というべき、新しいタイプの音楽である。

 

ドラムはヒップホップ的なリズミカルなビートを刻み、ウッドベースは渋みのある低音を担い、マリンバやエレクトリック・ギター、そしてローズ・ピアノの演奏が錯綜しながら美麗なハーモニクスを描く。そして、電子音が和音の縁取りをし、単発的に鳴り響く中、エンジは、ベス・ギボンズを彷彿とさせるメランコリックな歌を歌い、古くはミシシッピ近郊のニューオリンズの文化であるジャズの夜の甘美的な雰囲気を体現させる。ただし、それは懐古的とはいえまい。アーバンでモダンな香りを放ち、ダンサンブルな音楽の印象を漂わせる。これらの空気感とも呼ぶべき音楽性は、現代的なミュンヘンの文化や生活がもたらした産物なのだろう。

 

アルバムは少しダークでアンニュイな雰囲気に縁取られた後、「8-Much」では、再び温和なハーモニーが明瞭になる。この曲では、ブルーノートのライブハウスで演奏されるような落ち着いたジャズの持つ、ゆったりとして、ゴージャスな雰囲気が掻き立てられる。それはしかし、とりも直さず、アンサンブルとしての卓越した音楽理論に対する理解、そして多彩な文化的な背景を持つエンジの神妙なボーカルがあってこそ実現したのである。エンジは、この曲において、明確なフレーズを歌いながらも、スキャットに触発された音程を暈す歌唱法により、ムードたっぷりに彼女自身の情感を舞台芸術さながらに表現し、ジャズの魅力を伝えている。これらはモンゴルの文化観にとどまらず、ジャズの伝統性を伝えるという彼女の天命を伺わせる。 とくに「Much」では共同制作者の演奏が素晴らしい。サックス奏者ヨハネス・エンダーによるソロは、伝統的なジャズの演奏に根ざしているが、イマジネーションをこの上なく掻き立てる。

 

こういった中、スポークンワードを主体とするジャズソング「9-Neke」では、どうあろうと伝えるべきイミグラントの性質が色濃くなる。ストリートで演奏されるジャズバンドのような演奏を背景に伝えられる言葉は、言語の持つ本物の力を思い出させるし、そして、彼女が生きてきた人生を走馬灯のように蘇らせる。言葉とは単なる意図を伝えるためだけに存在するものではなく、より深遠な意味を持つことがある。背景となるジャズの流れの中で、ミュンヘンという都市の渦中にある様々な人々の流れ、雑踏、そして交差する人生がストーリーテリング調の音楽によって繰り広げられていく。リズムという切り口を元に、音楽の持つ世界が奥行きを増して、未知なる世界を映し出す。ジェフ・パーカーのようなムードたっぷりのギターにも注目だ。

 

 

一番素晴らしいのがジャズ・スタンダード「10-Old Folks」のカバーソング。南北戦争の時代を懐かしむ古い老人を歌ったジャズ・バラードである。オリジナルは、ミルドレッド・ベイリー、ビング・クロスビーによって1938年に録音された。オールドタイプの渋いブルージャズだが、エンジの歌唱とバックバンドの貢献により、モダンでアーバンなジャズに生まれ変わっている。8分後半の壮大なジャズだが、音の運びが見事であり、アウトロは圧巻の迫力である。

 

『Sonor』の持つ音楽の世界はこれで終わりではない。クローズを飾る「11-Bayar Tai」ではインスト色の強い一曲でアウトロのような意味を持つ。ジャズ・ギターの心地よい響きは、本作の最後を飾るにふさわしい一曲。比類なきジャズボーカリストが国際都市ミュンヘンから登場した。

 

 

Best Track-「Old Folks」

 

 

 

94/100

 

 

 

Enjiのアルバム『Sonor』はSquama(日本盤はインパートメントから発売)から本日(5月2日)リリース。

 

『Sonor』収録曲:

 
1. Hungun

2. Ulbar

3. Ergelt

4. Unadag Dugui

5. Gerhol

6. Eejiinhee Hairaar

7. Zuirmegleh

8. Much

9. Neke

10. Old Folks

11. Bayar Tai


アーティスト:Enji(エンジ)

タイトル:ソノール(Sonor)

品番:AMIP-0376

価格:2,900円(税抜)/3,190円(税込)

発売日:2024年5月2日(金)

バーコード:4532813343761

フォーマット:国内流通盤CD

ジャンル:ワールド/ジャズ

レーベル:Squama

販売元:株式会社 インパートメント

発売元:Squama



▪更なる国内盤のリリース情報の詳細につきましてはインパートメントのサイトをご覧ください。

【Best New Tracks】 Candice Hoyes 「Far Away Star」

Photo: Marissa Taylor

ハーレムを拠点に活動する受賞歴のあるビジョナリー、Candice Hoyes(キャンディス・ホイズ)のニューシングル「Far Away Star」がリリースされた。 アメリカの4月のジャズ感謝月間に合わせてリリース。本格派のジャズの新星によるオペラティックな素晴らしい歌唱を傾聴してみよう。


「Far Away Star」は古典的なジャズ・ボーカル、オペラ、地中海/南米の音楽を融合させた素晴らしいトラックである。ビックバンドの系譜にあるゴージャスな演奏にも注目したい。


ジャズの巨匠であるデューク・エリントンに敬意を表し、象徴的なジャズとコンテンポラリーなスタイルを融合させたこの魅力的なシングルは、唯一無二のリスニング体験を生み出している。 


ホイズはグラミー賞受賞者のテッド・ナッシュと組み、ソウルフルなニューオーリンズのホーンに浮かぶ彼女のクリスタルのようなソプラノを披露する、魅惑的なジャズ・アレンジを施した。 


サマラ・ジョイやヴェロニカ・スウィフトのような、現代のヴォーカル・ジャズ・スターと並べてもまったく遜色のない仕上がり。ニーナ・シモンの時代を超越したエレガンスにも通じている。 最初から最後まで、このシンガーはブルースを超えて宇宙的な高みに舞い上がろうとする。


キャンディス・ホイズは、NPR、Vogue、Jazz Times、LADYGUNN、BET、BBCなどから、賞賛を受けている。 BBC 6のジル・ピーターソンは、彼女の次のアルバムをプレビューし、"素晴らしい "と評した。 彼女はまた、多作な女性ジャズ・トリオ”Nite Bjuti”のメンバーでもある。


ホイズはこれまでに、Jazz at Lincoln Center、The Kennedy Center、NYC Winter Jazzfest、NUBLU JazzFest、WBGOのAfternoon Jazzなど大規模の会場で演奏している。 Nite Bjutiは、ウェイン・ショーターのトリビュート・プロジェクト『Palladium』に選ばれている。



何世代にもわたって、20世紀のアメリカの黒人アーティストたちは、故郷を離れ、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマークの北欧のクリエイティブ・コミュニティに新たな自己表現を見出してきた。 ここで彼らは、音楽を通じてすべての人々をひとつにするため、''ヒッピーな''知的空間を見出すことに成功した。 


この精神に基づき、ヴォーカリストのキャンディス・ホイズは、デューク・エリントンとそのオーケストラがヴォーカリストのアリス・バブスと録音したことで知られるスウェーデンの伝統的な歌を、ユニークなアレンジで1978年にリリースする。


ホイズのバージョンは、グラミー賞受賞者のテッド・ナッシュがソプラノとジャズ・オクテットのために編曲したもので、2025年における黒人の祖先の歴史の極めて重要性を反映してホイズが書いた歌詞がフィーチャーされている。


「 "Far Away Star "はエリントンへのトリビュートであり、北極星のように永遠である自由な表現と正義へのトリビュートなのです」とホイズは語っている。


2025年、ボイズは、デュボワ・フェローシップを授与され、ジョセフィン・ベイカー、アビー・リンカーン、レナ・ホーン、エラ・フィッツジェラルドなどの音楽を研究してきた。 


ホイズの最近の公演には、ジャズ・アット・リンカーン・センター、カーネギー・ホール(ニューヨーク)、ケネディ・センター(ワシントンDC)、ラ・プティット・ハレ(パリ)、ボイスデール・オブ・カナリー・ワーフ(ロンドン)、デトロイト・シンフォニー、ミレニアム・パーク(シカゴ)などがある。

 


「Far Away Star」



For generations, 20th century Black American artists have ventured from home to find new self-expression among Nordic creative communities in Sweden, Norway, Finland and Denmark. Here they found "hipper" intellectual spaces for bringing all people together through music. In this spirit, vocalist Candice Hoyes releases a unique arrangement of the Swedish traditional song that was notably recorded by Duke Ellington and his Orchestra with vocalist Alice Babs, released in 1978.


Hoyes’s version is arranged for soprano and jazz octet by GRAMMY-winner Ted Nash and features lyrics Hoyes wrote reflecting on the pivotal importance of Black ancestral history in 2025. Hoyes remarks, ‘My single "Far Away Star’ is a tribute to Ellington, and it is a tribute to free expression and justice that is as eternal as the North Star."


Hoyes was awarded a 2025 Du Bois Fellowship, and has researched music forged by Josephine Baker, Abbey Lincoln, Lena Horne, Ella Fitzgerald and more. Hoyes's recent performances include Jazz at Lincoln Center, Carnegie Hall (NYC), the Kennedy Center (DC), La Petite Halle (Paris), Boisdale of Canary Wharf (London), Detroit Symphony, and Millenium Park (Chicago).

 

 


 

テキサス生まれでオクラホマシティ在住のフィンガースタイル・ギタリスト、Hayden Pedigo(ヘイデン・ペディゴ)が、ジャンルを超えた注目のニューアルバム『I'll Be Waving As You Drive Away』をメキシカン・サマーから6月6日にリリースすると発表した。 

 

ヘイデン・ペディゴは重要なカントリー/フォークの継承者であるが、彼の音楽にはモダンな雰囲気が漂う。渋いといえば渋いし、古典的といえば古典的だが、このSSWの魅力はそれだけにとどまらない。彼の音楽は、南部の壮大な風景、幻想的な雰囲気を思い起こさせることがある。 ヘイデンのカントリーに触れれば、不思議とその魅力に取りつかれたようになってしまう。


アルバムのオープニングを飾る「Long Pond Lily」が最初のシングルとして公開された。 ヘイデン・ペディゴの前作を彷彿とさせると同時に派手な逸脱を感じさせる。

 

彼の華麗なギターのプレイはパット・メセニーの最初期のスタイル、カントリー・ジャズを彷彿とさせる。この曲の場合は、エレクトリック/ギターの両方が演奏に使われるが、ギターだけでこれほど大きなスケールを持つ曲を書ける人は見当たらない。

 

この曲についてヘイデンは次のように述べている。「とても重く、巨大な曲だなん。ローエンドがガラガラと音を立てている。 この曲は最大主義的で、今まで書いたどの曲よりもずっとエネルギッシュなんだ」

 

マット・ミュアによる映画的なミュージック・ビデオが付属し、小さな町のスケート場をオープンすることがアメリカンドリームのように感じられる。

 

「Long Pond Lily」

 

 

Hayden Pedigo 『I'll Be Waving As You Drive Away』


Label: Mexican Summer

Release: 2025/6/6

 

Tracklist

1.Long Pony Lily

2 All The Way Across 

3 Smoked 

4 Houndstooth 

5 Hermes 

6 Small Torch

7 I'll Be Waving As You Drive Away

 

Pre-save:https://haydenpedigo.ffm.to/longpondlily.OYD

〜ジャズとモンゴル伝統音楽のエレガントな融合〜 ミュンヘンから登場するアートポップの期待の星


 

夕暮れ時のほんの一瞬、空が鮮やかな琥珀色に染まる。ドラマチックな色彩の輝き、昼と夜の両方に属する瞬間……。モンゴル生まれでミュンヘンを拠点に活動するシンガーソングライター、Enji(エンジ)のニューアルバム『Sonor』は、この鮮やかで儚い世界の中で作られました。

 

賞賛の嵐を浴びた前2作『Ursgal』(2021年)と『Ulaan』(2023年)に続く4thアルバム。本作は、エンジの個人的な進化と、モンゴルとドイツ、2つの世界の間で生きることに伴う複雑な感情の反映です。このアルバムのテーマ、文化の狭間にある居場所のない感覚を中心に展開されますが、それは対立の原因としてではなく、成長と自己発見のための空間です。彼女は伝統的なモンゴルのルーツとの距離が、いかに自身のアイデンティティを形成してきたか、そして故郷に戻ること、いかにこれらの変化への意識が高まったかを探求しています。

 

本作において、エンジンはアーティストとして進化を続け、サウンドはより流動的で親しみやすいものへと拡張しています。でもお馴染みの、共同作曲者でもあるポール・ブレンデル(ギター)、世界的に名高いジャズ・アーティストをバンドに迎え、ジャズ・スタンダード「オールドフォークス」を除いて全曲モンゴル語で歌われるなど、エンジの音楽的基盤は揺るぎないですが、メロディーとストーリーテリングに新たな明晰さを加えることで、より親しみやすい内容となっています。

 

それは単にスタイルの変化というだけでなく、彼女の歌声の深化を反映したもので、深みを失うことなくアクセシビリティを受け入れ、彼女の歌がより普遍的なレベルで共鳴することを可能にしています。


「Sonor』では、モンゴルの伝統的な歌「Eejiinhee Hairaar」(「母の愛をこめて」)に新たな命を吹き込みました。

 

日常生活に溶け込んだ音楽、何世代にもわたって受け継がれてきたメロディー、このイメージに本作の精神が凝縮されています。

 

エンジは単に伝統を再認識しているのではなく、故郷の感覚や遠くから見て初めてその意味がわかる小さな喜びを抽出しています。親が口ずさむ親しみのある歌のように、彼女の音楽は、ひとつの場所に縛られるのではなく、私たちを形作るや感情や記憶といった「帰属」の本質をとらえています。

 

エンジはリスナーの彼女の経験の風景を旅に誘い、文化の架け橋となり、変化を受け入れ、私たちの人生を定義する移り変わりの中に美を見出します。モンゴルとドイツ、伝統と革新の間を行き来し続ける彼女の音楽は、世界の、狭間で生きることの豊かな体験と、多面的なアイデンティティを受け入れることから生まれる芸術の証です。

 

 

「Ulber」



Enji 『ソノール(Sonor)』



トラックリスト

1. Hungun

2. Ulbar

3. Ergelt

4. Unadag Dugui

5. Gerhol

6. Eejiinhee Hairaar

7. Zuirmegleh

8. Much

9. Neke

10. Old Folks

11. Bayar Tai


アーティスト:Enji(エンジ)

タイトル:ソノール(Sonor)

品番:AMIP-0376

価格:2,900円(税抜)/3,190円(税込)

発売日:2024年5月2日(金)

バーコード:4532813343761

フォーマット:国内流通盤CD

ジャンル:ワールド/ジャズ

レーベル:Squama

販売元:株式会社インパートメント

発売元:Squama



更なるリリース情報の詳細につきましてはインパートメントのサイトをご覧ください。



<プロフィール>

 

モンゴルの首都ウランバートルで生まれ育ったミュンヘンのシンガー・ソングライター、エンジのことエンクヤルガル・エルケムバヤル(Enkhjargal Erkhembayar)。労働者階級の末端娘としてユルト(遊牧民族の円形型移動テント)で育つ。両親からモンゴルの民謡や舞踊の伝統を学び、オルティンドーという、ホーミーと並び遊牧民族モンゴル人を代表する歌唱法を教わった。


もともと小学校の音楽教師という職業に満足していた彼女だったが、2014年にドイツ人ベーシストのマーティン・ツェンカーがゲーテ・インスティトゥートのファンドでモンゴルにジャズ教育プログラムを持ち込んだことをきっかけに、ミュージシャンとしての道を歩むことになりました。


2017年、伝説的なアメリカのドラマー、ビリー・ハート、ドイツのサックス奏者ヨハネス・エンダース、イギリスのピアニスト、ポール・カービー、そして彼女の指導者マーティン・ツェンカーとともに、モンゴルを代表する作曲家センビーン・ゴンチングソラー(センビインゴンチグスムラー(Gonchigsumlaa)の作品集『Mongolian Song』を録音。


その後、ドイツのミュンヘンへと移住し、2020年にミュンヘン音楽・舞台芸術大学のジャズヴォーカル修士課程を卒業した。新型コロナウイルスのパンデミックをきっかけにした深い自己内省をもとにした2ndアルバム『Ursugal』を2021年ミュンヘンのSquamaからリリースしました。

 

Vijay Iyer



このレコーディング・セッションは、昨年(2023年)に起きた残酷な事件に対する私たちの悲しみと憤り、そして人間の可能性に対する信頼によって行われた。 - Vijay Iyer(ヴィジャイ・アイヤー)

 

2016年の『A Cosmic Rhythm With Each Stroke』に続く、ヴィジャイ・アイヤーとワダダ・レオ・スミスのECMへの2作目のデュオ形式のレコードとなる『Defiant Life』は、人間の条件についての深い瞑想であり、それが伴う苦難と回復の行為の両方を反映している。しかし同時に、このデュオのユニークな芸術的関係と、それが生み出す音楽表現の無限の形を証明するものでもある。ヴィジャイとワダダが音楽で出会うとき、彼らは同時に複数のレベルでつながるからだ。

 

「出会った瞬間から演奏する瞬間まで、私たちが一緒に過ごす時間は、世界の状況について話したり、解放の歴史を学んだり、読書や歴史的文献を共有したりすることに費やされることが多かった」


アイヤーは、ライナーノートの中で、彼とスミスとのそのような会話を長々と書き起こし、このアルバムにインスピレーションを与えた個々のテーマと、特に「反抗的」という言葉について、より詳しく明らかにしている。

 

ワダダの「Floating River Requiem」は1961年に暗殺されたコンゴの首相パトリス・ルムンバに、ヴィジャイの「Kite」は2023年にガザで殺害されたパレスチナの作家・詩人レファート・アラレアに捧げられたものだ。このような思考と考察の枠組みの中で、この作品は生まれた。


Wadada Leo Smith


ヴィジャイとワダダはともにECMと幅広い歴史を共有しており、ワダダは1979年のリーダー作『Divine Love』で早くからこのレーベルに参加している。


さらにワダダは、ビル・フリゼルと共演したアンドリュー・シリルの『Lebroba』(2016年)や、1993年のソロ・アルバム『Kulture Jazz』にも参加している。スミスは過去のヒーローへのオマージュを捧げながらも、レトロな模倣に翻弄されることはない。(『ザ・ワイヤー』1993年)

 

ヴィジャイのECMでの活動は急速に拡大しており、リンダ・メイ・ハン・オー、タイショーン・ソーリーとの現在のトリオ(2021年『Uneasy』、2024年『Compassion』)、ステファン・クランプ、マーカス・ギルモアとの以前のトリオ(2015年『Break Stuff』)、そして好評を博したセクステット・プロジェクト『Far From Over』(2017年)などがある。

 

ピアニストは、2014年に弦楽四重奏、ピアノ、エレクトロニクスのための音楽で高い評価を得た録音『Mutations』をリリースし、ロスコー・ミッチェルの2010年のアルバム『Far Side』、すなわちクレイグ・タブーンとのデュオで『Transitory Poems』(2019年)に参加している。そのほかにも2014年にDVDとブルーレイでリリースされた、ヴィジャイと映像作家プラシャント・バルガヴァの鮮やかなマルチメディア・コラボレーション『Rites of Holi』も忘れてはならない。 


「私たちは、それぞれの言語と素材を使って仕事をしている」とヴィジェイは広範なライナーノートに記しています。共同制作の必然性というのは、楽曲ごとに異なる形で体現される。「Sumud」では不吉なことを言い、「Floating River Requiem」では祝祭的なオーラを放ち、「Elegy」では疑念を抱きながらも明るい兆しが見える。そして終結の「行列」では破滅的に美しい。


ワダダ・レオ・スミスは、ヴィジャイとの親密さと、音楽を単純に 「出現 」させるという2人の共通の能力について尋ねられ、「ユニークなことのひとつは、自分たちが何かを修正すること(つまり、音楽を完全に事前に決定すること)を許さないこと。私はそういうふうに思う」と述べる。


ワシントン・ポスト紙は、このデュオの前作について、「スミスとアイヤーの演奏が見事に交錯している。 二人はテンポ、サステイン、音符やフレーズの思慮深い選択の感覚を共有している。 アイヤーとワダダが共有するディテールへの愛情と、慎重なセンテンスとやりとりを構築する忍耐は、展開される各構成を独自の音圏に変え、ヴィジャイの "Kite"では、フェンダー・ローズとトランペットの深い叙情性となだめるような相互作用に現れている」と評しています。


『Difiant Life(ディファイアント・ライフ)』の包括的な人生についての瞑想であるとするならば、実際に表現されているのはそのセンス・オブ・ワンダーである。スイス・ ルガーノで録音されたこのアルバムは、レーベルのオーナー、マンフレート・アイヒャーがプロデュースした。



Vijay Iyer / Wadada Leo Smith 『Difiant Life』- ECM


 

これが最後かもしれない。私たち(パレスチナ市民)は、それ(爆撃にさらされて無差別に殺されるようなこと)に値しません。

 

私は、アカデミックです。恐らく、私が家の中で持っている中で、一番強いものは、このマーカーです。

 

でも、もしイスラエル兵が家々をめぐって私たちを襲撃し虐殺することがあれば、私はイスラエル兵の顔をめがけて、このマーカーを投げつけるでしょう。

 

たとえそれが(人生の)最後に私ができることであろうとも。これが(ガザで無差別爆撃にさらされている)多くの人々の感じていることです。私たちに、失うものなんてありません。

 

パレスチナの作家・詩人リファアト・アルアリイールによる最後の声明



ニューヨークの鍵盤奏者、ヴィジャイ・アイヤー、ミシシッピのトランペット奏者のワダダ・レオ・スミスの共同制作によるアルバム『Difiant Life』は二人の音楽家が持ち寄った主題を重ね合わせ、アヴァンギャルドジャズの傑作を作り上げた。


ご存知の通り、現在のパレスチナとイスラエルの紛争は黙字録の象徴となっている。歴史はそれを「イスラエルとパレスチナによる衝突」と詳述するかもしれないが、これはイスラエル側による国際法の違反であるとともにパレスチナに対する民族浄化であるということを明言しておきたい。そして、もうひとつの東欧の火種、ウクライナとロシアの戦争についても同様であり、この二つの代理戦争は、離れた地域の国家、もしくはある種の権力を操る勢力が企図する''身代わりの戦争''である。これはある地域を欲得のため力づくで平定しようとする勢力の企みなのです。

 

パレスチナの作家リファアト・アルアリイールさんは、2023年のガザで空爆が続く中で死去した。彼の痛切な死から人類が学ぶべきことは何なのか? その答えは今のところ簡単には出せませんが、少なくとも、アルアリイールさんは物語を作りつづけることの重要性を訴えかけていた。


それはなぜかというと、彼等は真実を伝えようとするが、いつも歴史は虚偽や嘘によって塗り固められていくからである。多くの歴史書、それは聖書のような書物であろうとも、体制側の都合の良いように書き換えられ改ざんされていく。これを未然に防ぐために、真実の物語を伝え続けることが大切なのだということを、リファアト・アルアリイールさんは仰っていたのです。

 

多くの人々は、フィクションや虚構を好む。ややもすると、それは現実から離れていればいるほど、一般的に支持されるし、なおかつ好まれやすいものです。それは現実を忘れられるし、そして現実をどこかに葬り去れるからである。しかし、扇動的な音楽、主題が欠落した音楽、真実から目を逸らさせるもの、これらは虚しさという退廃的な経路に繋がっていることに注意を払わなければいけません。そしてもし、音楽というメディアが、アイヤーさんのように、現実の物語を伝えることの後ろ盾になるのであれば、あるいはまた、もうひとりの演奏家レオ・スミスさんのように、コンゴのような一般的に知られていない国家の動向や現状を伝えるためのナラティヴな働きを成すとあらば、それほどまでに有益なことはこの世に存在しえないのです。

 

この両者のジャズによる真実の物語は、ピアノ、ローズ・ピアノ、そしてトランペット、アナログのシンセサイザー、そしてパーカッションによって繰り広げられる。つまり、音楽や演奏に拠る両者の対話によって繰り広げられる。作風としては、ファラオ・サンダースとフローティング・ポイントの変奏曲により作り上げられた『Promises』に近いが、ジャズとしての完成度はこちらの方がはるかに高い。複数の主題が的確な音楽的な表現によって描写され、息をつかせぬような緻密な構図に集約されているからである。

 

そして、モーツアルトの「幻想曲」、リストの「巡礼の年」、ドビュッシーの「イメージズ」、レスピーギの「ローマの松」、チャイコフスキーの「1812年」、リゲティの「アトモスフェール」など、古くから音楽という形態の重要な一部分を担う”描写音楽”というのが存在してきたが、『Difiant Life』は前衛的なジャズの形式による描写音楽とも言えるのではないでしょうか。


しかし、最大の問題や課題は、概念や感覚という目に映らない何かを形あるものとして顕現させることが困難を極めるということである。それは言い換えれば、伝えがたいものを伝えるという意味でもある。そういった本来は言語圏には属さない作品を制作するためには、音楽的な知識の豊富さ、実際的な高い演奏技術、それらを音符にまとめ上げるための高度な知性、さらには文化的な背景に培われた独自のセンス、これらのいかなる要素も欠かすことができません。


しかし、幸いにも、ヴィジャイ・アイヤー、ワダダ・レオ・スミスという、二人の稀有な音楽家(両者は実際的な演奏家だけではなく、作曲家としての性質を兼ね備えている)はその資質を持っている。つまり、音楽的に豊富な作品を作り上げるための素養を両者とも備えています。アルバムを聞くと、「ローマは一日にしてならず」という有名な言葉をありありと思い出させる。良質で素晴らしい音楽の背後には、気の遠くなるような長い時間が流れているのです。

 

2つのジャズ・プレイヤーの性質はどうか。ヴィジャイ・アイヤーは、古典的なものから現代的なものに至るまで、幅広いジャズのパッセージを華麗に演奏する音楽家であるが、同時に、オリヴィエ・メシアン、武満徹、細川俊夫といった現代音楽の演奏にも近いニュアンスを纏う。彼の演奏は気品があり、神経を落ち着かせるような力、パット・メセニーのグループで活動したライル・メイズのような瞑想性を併せ持つ。そして、このアルバムにおいて、アイヤーはアコースティックピアノとエレクトリック・ピアノを代わる代わる演奏し、曲のニュアンスをそのつど変化させる。そして、このアルバムに関して、アイヤーは指揮振りのような役割を担い、音楽の総合的なディレクションを司っているように感じられる。一方、ワダダ・レオ・スミスも素晴らしいトランペット奏者です。マイルス・デイヴィス、ジョン・ハッセル、エンリコ・ラヴァなど、”ポスト・マイルス”の系譜に属している。レオ・スミスのトランペットの演奏はまるで言葉を語るかのような趣があり、同時に実際的な言葉よりも深遠な力を持つ。特に注目したいのは、マイルス・デイヴィスが用いた象徴的な特殊奏法、「ハーマン・ミュート」も登場する。そして前衛的なブレスの演奏を用い、アトモスフェリックな性質を付与するのです。

 

 

 

『Survival(サヴァイヴァル)』と銘打たれたプレリュード(序章)で始まる。すでにガザの戦争の描写的なモチーフがイントロから明確に登場する。ジョン・ハッセルの系譜にあるトランペットの演奏が低音部を担うアイヤーのピアノの演奏と同時に登場する。モーツアルトの『幻想曲』のように不吉なモチーフが敷き詰められ、バリトンの音域にあるピアノの通奏低音、それと対比的なガザの人々の悲鳴のモチーフとなるレオ・スミスの前衛的なトランペットの奏法が登場します。まるでこの中東の戦争の発端となった当初の”病院の爆撃”を象徴付けるかのように、ピアノが爆撃の音の代わりのドローンの通奏低音、その向こうに取り巻く空爆の煙霧や人々の悲鳴の役割をトランペットが担う。その後のレオ・スミスの演奏は圧巻であり、さながら旧約の黙字録のラッパのように、複雑な音階やトリル、微細なニュアンスの変化、さらにはサステインを駆使して、それらの音楽の物語の端緒を徐々に繋げていこうとする。この曲では、シンプルに戦争の悲惨さが伝えられ、これは断じてフィクションではないということが分かる。

 

このアルバムの根幹を担うガザの主題のあとには、神秘的な印象を持つ現代音楽「Sumud」が続いています。この曲のイントロでは、レオ・スミスのトランペットの演奏がフィーチャーされている。シュトックハウゼンのトーン・クラスターの手法を用いたシンセサイザーの電子音楽が不吉に鳴り渡り、そしてそれに続いてスミスのトランペットの演奏が入る。アイヤーのシンセサイザーの演奏は、ドローン音楽の系譜にあり、この曲のアンビエント的なディレクションを象徴づけている。一方、レオ・スミスのトランペットの演奏はマイルス・デイヴィスの系譜にあり、カップ・ミュート、もしくはハーマン・ミュートを用いた前衛的な奏法が登場する。


これらは落ち着いた瞑想的な音色、そして、つんざくような高い音域を行来しながら、瞑想的な音色を紡ぎ出す。トランペットの演奏でありながら、テナー・サックスのような高い音域とテンションを持った素晴らしい演奏が楽しめるでしょう。そして、それらの演奏の合間に、ローズ・ピアノ、そして早いアルペジオのパッセージのピアノが登場し、音楽の世界がもう一つの未知なる領域へと繋がっている。


さらに、レオ・スミスはヨシ・ワダのようなバグパイプのドローンのような音色、そしてトランペットの原初的な演奏を披露している。それらの演奏が途絶えると、エレクトリック・ピアノが入れ替わりに登場する。曲の背景となるドローンの通奏低音の中で、瞑想的な音楽を拡張させていく。しかし、不吉な音楽は昂ずることなく、深妙な面持ちを持ちつつ進んでいく。アイヤーのシンセの演奏がライル・メイズのような瞑想的な音の連なりを作り上げていくのである。そして12分にも及ぶ大作であるが、ほとんど飽きさせるところがないのが本当に素晴らしい。

 

 

こうした音楽の中で都会的なジャズの趣を持つ曲が「Floating River Requiem」である。この曲は、変拍子を駆使した前衛的な音楽。アルバムの中では、ピアノとトランペットによる二重奏の形式が顕著で、聴きやすさがあります。この曲では、アコースティック・ピアノが用いられ、Jon Balkeの系譜にある実験音楽とモダンジャズの中間にある演奏法が取り入れられています。アイヤーはこの曲でオクターブやスタッカートを多用し、洗練された響きをもたらしている。対するレオ・スミスも、前衛的な演奏という側面においてアイヤーに引けを取らない。長いサステインを用いた息の長いトランペット、それを伴奏として支えるピアノという形式が用いられる。

 

この曲は表面的に見ると、前衛的に聞こえるかもしれませんが、コールアンドレスポンスの形式、そして、マイルス・デイヴィスとビル・エヴァンスによる名曲「Flamenco Sketches」のように、モーダルの形式を受け継ぐ、古典的なジャズの作曲法が取り入れられています。結局のところ、マイルス・デイヴィスは、ストラヴィンスキーのリズム的な革新性というのに触発され、そしてビーバップ、ハード・バップの先にある「モード奏法」という形式を思いついた。それはまた、ジャズのすべてがクラシックから始まったことへの原点回帰のようでもあり、バロック音楽以降のロマン派の時代に忘れ去られていた教会旋法やパレストリーナ旋法のような、横の音階(スケール/旋法という)の連なりを強調することを意味していた。これらを、JSバッハによる対旋律の音楽形式を用い、復刻したのがマイルス・デイヴィスであったわけです。「Floating River Requiem」はそういったジャズとクラシックの同根のルーツに回帰しています。

 

この曲の場合は、同音反復を徹底して強調するミニマリズムの要素とモーダルな動きをもたらすトランペットという音楽的な技法を交えた「ポスト・モード」の萌芽を捉えられる。それらは、結果的に、グスタフ・マーラーのように音楽を複雑化して増やすのでなく、簡素化して減らしていくというストラヴィンスキー、モーツァルトが目指していた音楽的なディレクションと重なる。 音楽の要素をどれほど増やしても、聴衆はそれを支持するとは限らない。それはいついかなる時代も、聴衆は美しく心を酔わせる音楽を聞くことを切望しているからである。そして、その期待に添うように、同音反復を続けた後、麗しいピアノのパッセージが最後に登場します。このアルバムの中の最もうっとりするような瞬間がこの曲のラストには含まれています。

 

 

「Elegy」とは哀歌を意味しますが、この曲は追悼曲のような意味合いが色濃い。しかし、哀切な響きがありながらも、必ずしもそれは悲嘆ばかりを意味していません。レオ・スミスによる神妙なトランペットのソロ演奏は、ドローン奏法を駆使したシンフォニックなシンセサイザーの弦楽器のテクスチャーと溶け合い、国家的な壮大さを持つアンセミックな曲に昇華されている。そして、その合間に現れる瓦礫や吹き抜けていく風のような描写的な音の向こうからアラビア風の趣を持つアイヤーのピアノの演奏が蜃気楼のごとくぼんやりと立ち上る。そして「哀歌」というモチーフを的確に表しながら、神妙なジャズの領域を押し広げていく。その中には同音反復を用いた繊細なフレーズも登場し、悪夢的な中東の戦火の中で生き抜こうとする人々の生命の神秘的なきらめきが立ち現れる。そして、その呼吸と同調するように、微細なスタッカートの特殊奏法を用いたトランペットの前衛的な演奏が呼応するかのごとく続いている。最終的に、それを引き継ぐような形で、主旋律とアルペジオを織り交ぜたアイヤーの淡麗なジャズ・ピアノが無限に続いてゆく。これらの哀歌の先にあるもの……、それは永遠の生命や魂の不滅である。これらの音楽は傑出したドキュメンタリーや映画と同じようなリアルな感覚を持って耳に迫ってくる。一度聴いただけでは探求しがたい音楽の最深部へのミステリアスな旅。

 

戦争、死、動乱という重厚なテーマを扱った作品は一般的に重苦しくなりがちですが、「Kite」はそういった気風の中に優しさという癒やしにも似た効果を付与する。 アイヤーによるエレクトリック・ピアノを用いた演奏は子守唄やオルゴールのように響く。他方、スミスのトランペットは、マイルス・デイヴィスやエンリコ・ラヴァの系譜にある旋律的に華麗な響きをもたらす。


この曲では、レオ・スミスのソリストとしての演奏の素晴らしさが際立っている。そして、今は亡きリファアト・アルアリイールが伝えようとした物語の重要性というのを、トランペットにより代弁しているように思える。それらはジャズの最も魅惑的な部分を表し、フュージョン・ジャズ、スピリチュアル・ジャズのような瞑想的な感覚を蘇らせる。この曲ではジャズの慈愛的な音楽性がチック・コリアの系譜にあるローズ・ピアノ、そして慎ましさと厳粛さ、美しさを兼ね備えた蠱惑的な響きを持つトランペットにより、モダン・ジャズの最高峰が形作られる。ムード、甘美さ、音に酔わせる力など、どれをとっても一級品です。ここで両者が伝えようとしたことは明言出来ません。しかし、ガザの作家の死を子守唄のような慈しみで包もうという美しい心意気が感じられる。それが音楽に優しげな響きがあるように思える要因でもある。

 

 

『Difiant Life』の終曲を飾る「Procession」では再びアルバムの冒頭曲「Prelude」のように緊張感を持つ前衛的なトランペットで始まります。そしてパーカッションのアンビエント的な音響性を活かして、ニュージャズの未来が示されています。それはまたマイルス・デイヴィス、ジョン・ハッセルのアンビエント・ジャズの系譜を受け継ぐものです。そして、この音楽には、素晴らしいことに、遠くに離れた人生を伝えるというメディアとしての伝達力が備わっている。また、まったく関連がないように思えるかもしれませんが、遠くに離れた人の考えを糧にすることや、それらの生活文化の一端を垣間見ること、そこらか何かを学びとること、それはすなわち、現在の私たちの卑近な世界を検分することと同意義なのではないかということに気がつく。

 

『Difiant Life』は、全体的に見ると、はじめと終わりが繋がった円環構造のように考えることも出来ますが、むしろ生命の神秘的な側面である''生々流転''のような意味が含まれているのではないかというように推測出来ます。生々流転というのは、様々な生命や意識がいつの時代も流動的に動きながら、無限の空間をうごめき、社会という共同体を形成していることを意味している。


アルバムの音楽の片々に見出だせるのは、レフ・トルストイが『人生論』で明らかにしたように、人間の肉体ではなく、魂にこそ生命の本質があるという考えです。無論、本稿では神秘主義やスピリチュアリズムを推奨するものではないと付言しておきたいですが、人間の本質が魂(スピリット)にあるとする考えは、ギリシア思想の時代から受け継がれる普遍的な概念でもある。現代文明に生きる人々は、デジタルの分野やAIなど技術的な側面においては、中世の人々よりも遥かに先に進んでいる。もちろん、工業や宇宙事業などについてもまったく同様でしょう。

 

しかし、進化の中で退化した側面もある。本作の音楽を聴いていますと、多くの人々は文明という概念と引き換えに何かを見失ってきたのではないだろうかと考えさせられます。現代主義ーー合理性や利便性ーーという目に見える価値観と引き換えにし、人類は別の利点を血眼になって追いかけるようになった。それは断じて進化などというべきではなく、退廃以外の何物でもなかった。その結果として表側に現れたのが現代の代理戦争や民族浄化であるとすれば、納得のいくことであるように思えます。また、ガザの作家リファアト・アルアリイールさんは「人の死は数ではない」とおっしゃっていました。人間や生物の命を軽視し、別の何かに挿げ替えようとする。それは考えられるかぎりおいて最も恥ずべき行為であると言わざるをえません。本作はまさしく、そういった現代社会の風潮に対する''反抗''を意味する。それはまた、パレスチナの作家の遺志や彼が伝えようとしたことを後世に受け継ぐ内容でもある。「Difiant Life」は、10年後、20年後も、ECMの象徴的な作品となりえるかもしれない。いや、ぜひそうなってほしい。アルバムのライヒを思わせるアートワークのモチーフを見れば瞭然と言えるでしょう。

 

 

 

100/100

 

 





Vijyar Iver/ Wadada Leo Smith『Difiant Life』ECMより本日発売。

 

ニューキャッスルのジャズ・クインテット、ナッツ(Knats)はセンス抜群のジャズを提供する注目すべきグループの一つだ。デビューまもなくして、ストリートファッション業界から注目を受け、〈Beams Plus〉とロンドン発のスケートブランド〈PALACE SKATEBOARDS〉との初コラボレーション・ラインの広告に彼等の楽曲「Tortuga (For Me Mam) 」が使用された。

 

この度、ナッツの待望のセルフタイトルのデビューアルバム『Knats』がフィジカルリリースを迎えた。続いて、デジタルアルバムが3月28日(金)にリリースされる。こちらも合わせてチェックしてもらいたい。


2024年は、ロンドンの音楽に新風を吹き込むジョーディー・グリープ(元ブラック・ミディのボーカリスト/ギタリスト、ラフ・トレードからソロアルバムを発表)のサポートや、R&Bのレジェンド、エディ・チャコン(Eddie Chacon)のUKツアーのバックバンドを務め、ナッツにとって充実した1年となった。また、“ジャズ・リフレッシュド”のヘッドライナー、Str4ta(ストラータ)のサポートをソールド・アウトさせた他、”ロンドン・ジャズ・フェスティバル”にも出演した。

 

ニューカッスル出身の2人の親友、スタン・ウッドワード(ベース)とキング・デイヴィッド=アイク・エレキ(ドラム)を中心に結成されたナッツは、洗練されたアレンジ力で、力強いメロディ、ダンサブルなグルーヴを持つジョーディー・ジャズ(ニューカッスル生まれ)を制作している。彼等の熱狂的なエネルギーを持つジャズは、Spotifyのプレイリストに取り上げられ、The Guardian、Jazzwiseなどのメディアから賞賛されるなど、垂涎の的となっている。



本日、アルバムの発表を記念し、ナッツはアメリカのテナー・サックス奏者ジョー・ヘンダーソンのカバー「Black Narcissus」をデジタル・リリースした。アドレナリン全開のアップテンポなドラミングに、グルーヴィーで輝かしいベースラインと情熱的なサックスが組み合わさった同楽曲は、彼ら特有である感染力の強いエネルギーを完璧に表現している。


 
Knats - 「Black Narcissus (Audio Video)


 

 

▪ニューシングル「Black Narcissus」(ダウンロード/ストリーミング

 

アルバム全体を通して共通するのは、メンバーが愛する者たちに捧げた内容となっているということである。前述の「Tortuga (For Me Mam)」は、スタンが自身の母親を含む全てのシングルマザーに敬意を表して書いた楽曲。シングルマザーの強さと犠牲に対する賞賛と感謝の念が込められている。

 

その一方、ダークな曲調の「Se7en」は、かつて "DJ Se7en"として活動していたスタンの父親との感情的な関係を表現している。

 

また、「Adaeze」はキングの亡き姉へのトリビュート。西アフリカのパーカッシヴなブレイクと楽器を取り入れたゴスペル・フォーク・チューンから作られた。メンタル・ヘルスに悩む人を知るすべての人々に対し、周りの人間を気にかけ、彼らが必要としているかもしれない助けの手となるように、といったメッセージが込められている。



ナッツのアルバムは多くのことを象徴しているが、最も重要なのは決してニューカッスルを見過ごしてはいけないという点に尽きる。

 


【アルバム情報】


 


アーティスト名:Knats(ナッツ)
タイトル名:Knats(ナッツ)
品番:GB4003CD (CD) / GB4003 (LP)
発売日:フィジカル・アルバム発売中
デジタル配信:2025年3月28日(金)
レーベル:Gearbox Records

<トラックリスト>

(CD)
1. One For Josh
2. Miz (featuring Anatole Muster)
3. 500 Fils (featuring Parthenope)
4. Black Narcissus
5. Rumba(r)
6. Makina Thema
7. Tortuga (For Me Mam)
8. Se7en (featuring Tom Ford)
9. In The Pitt
10. Adaeze

(LP)
Side-A

1. One For Josh
2. Miz (featuring Anatole Muster)
3. 500 Fils (featuring Parthenope)
4. Black Narcissus
5. Rumba(r)
Side-B
6. Makina Thema
1. Tortuga (For Me Mam)
2. Se7en (featuring Tom Ford)
3. In The Pitt
4. Adaeze


・アルバム『Knats』予約受付中! 

https://bfan.link/knats


Credits:
Stan Woodward: bass guitar
King David Ike Elechi: drums
Ferg Kilsby: trumpet
Cam Rossi: tenor saxophone
Sandro Shar: keyboards
Parthenope: alto saxophone on “500 Fils”
Richie Sweet: congas on “Rumba(r)” and “Adaeze”
Tom Ford: electric guitar on “Se7en”
Anatole Muster: accordion on “Miz"
Miro Treharne: vocals on “In The Pitt”
Otto Kampa: alto saxophone on “In The Pitt”
Matt Seddon: trombone on “In The Pitt”
Enya Barber: violin on “Tortuga (For Me Mam)”
Sam Booth: cello on “Tortuga (For Me Mam)”

All tracks written and arranged by Stan Woodward and King David Ike Elechi
apart from “Black Narcissus”, written by Joe Henderson.

Produced by Darrel Sheinman

Recorded at Studio 13, London by Giacomo Vianello, assisted by Ishaan Nimkar

All tracks mixed at The Friary Studios, Aspley Guise by Hugh Padgham apart from “Tortuga (For Me Mam)”, mixed by Chris Webb

Mastered by Caspar Sutton-Jones

 

<バイオグラフィー>

 
Knatsは、ニューカッスル・アポン・タイン出身の2人の生涯の親友、スタン・ウッドワード(ベース)とキング・デイヴィッド・アイク・エレキ(ドラムス)が率いるクインテット。


その他のメンバーは、ファーグ・キルズビー(トランペット)、キャム・ロッシ(テナー・サックス)、そしてサンドロ・シャー(キーボード)。それぞれのルーツであるジャズ、ドラムンベース、ハウス、ゴスペルから派生したダンス・ミュージックを特徴とする。


シーンに登場して間もない彼らは、すでにSoho Radio、BBC Newcastle、WDR3によって認知され、Spotifyの ‘All New Jazz’プレイリストに選曲された他、‘Jazz Fresh Finds’のカヴァーも飾っている。さらに、BBC Introducing North Eastからも絶大な支持をされている。

 

 全くの新人ながら、 2024年10月に発表された〈Beams Plus〉とロンドン発のスケートブランド〈PALACE SKATEBOARDS〉との初コラボレーション・ラインの広告に楽曲「Tortuga (For Me Ma)」が使用された。

 

同年にはジョーディー・グリープ(ブラック・ミディ)のUKツアーでのサポートや、ソールドアウトした“ジャズ・リフレッシュド”のヘッドライナー、ジャズ・カフェでのStr4ta(ストラータ)のサポート、”ロンドン・ジャズ・フェスティバル”への出演、さらにはR&B界のレジェンド、エディ・チャコンのバック・バンドとして英国ツアーにも参加した。2025年2月、待望のセルフ・タイトル・デビュー・アルバムをリリース。