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 Eydis Evensen


 

エイディス・イーヴンセンはアイスランド北部の小さな町、Blönduós(ブリョンドゥオゥス)出身の作曲家兼ピアニストです。

 

音楽好きの両親の元に生まれ、六歳の頃にピアノを習いはじめ、七歳の時に最初の曲を書いている。

 

イーヴンセンは最初の故郷、そして、音楽性のルーツでもあるBlönduóという小さな町についてこのように回想する。

 

「日照時間が長い夏は、本当に素敵なんです。冬はそれとは正反対で、途方も無い孤独感に襲われます。1、2日の間、町中が雪に閉ざされることもありました。そんな時は、キャンドルに火を灯し、ボードゲームをするくらいしかやることがありませんでした。

 

風が強くなって来た、そんなふうに感じると、喜びも少しくらいは湧きますが、それが嵐になってしまうと、重苦しい気持ち、暗鬱、メランコリアが呼び起こされるんです」

 

13歳になる頃、すでにイヴンセンは早熟の才能を発揮し、7、8のピアノ曲を作曲、自作のCDを制作している。

 

また、イヴンセンは若い時代、オーストリア、ウィーンでクラシック音楽を勉強する計画を立てていたが、そのプランを取りやめ、19歳の時に故郷アイスランドを離れ、イギリスのロンドンに移住し、モデルとしてのキャリアを積みながら、ニューヨークをはじめとする世界を旅した。その後、2020年、音楽家としての活動に専心するため、故郷のアイスランドに戻っている。

 

ソロアーティスト、Eydis Evensenとしてのキャリアは、いくつかのシングル作に始まり、これまでに8作のシングル盤をリリースしている。デビュー・アルバム「Bylur」(アイスランド語でブリザードを意味)は、2021年4月に、ソニーミュージックのXXIMレコードから発表された。また、同年10月には、ロイヤル・アルバート・ホールのエルガールームでコンサートを行っている。

 

エイディス・イヴンセンの音楽は、ポスト・クラシカル、ネオ・クラシカルに該当し、アイスランドのアーティストということで、シグルソン、オーラブル・アーノルズに続く三番目の期待のネオクラシカルミュージシャンの台頭といえそうだ。

 

ウィディス・イーヴンセン自身は、音楽のルーツとして、ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、トム・ヨーク、といったロックバンドに加え、フィリップ・グラス、ニルス・フラームといったアーティストを挙げている。



Quote:Eydis Evensen Twitter


 

 

 

 

 

「Bylur」XXIM Records  2021

 

 

Eydis Evensen 「Bylur」
「Bylur」

 

 

 

Tracklisting 

 

 

1.Deep Under

2.Dagdaraumer

3.The Northern Sky

4.Wandering Ⅰ

5.Ventur Genginn i Gard

6.Fyrir MIkael

7.Wandering Ⅱ

8.Circlulation

9.Innsti Kjarni og Tilbrigdi

10.Naeturdogg

11.Midnaight Moon(feat.GDRN)

12.Brotin

13.Bylur

 

 

2021年4月23日、ソニー・ミュージックからリリースされたエイディス・イーヴンセンのデビュー・アルバム「Bylur」は、アイスランドのレイキャビクで2020年の7月に録音された作品。

 

全ての楽曲は、ピアノ、そして、弦楽器四重奏の合奏のスタイルを採用しています。その他、コントラバス、金管楽器が、これらのイーヴンソン自身の流麗で叙情的なピアノ演奏をより優雅たらしめています。

 

このアルバム作品は、これまでリリースされたシングル作を数多く収録。故郷アイスランド、その他、イーヴンソンがモデルとして旅してきた、ニューヨーク、南アフリカ、ケープタウンの土地に捧げられた楽曲も収録されています。


驚くのは、これらの楽曲全てに、なにか音自体が息をしているかのような生彩が感じられることです。それは、イーヴンソンの演奏力が洗練されており、艷やかな質感をもっているのだけではなく、なおかつ、その周囲に広がりをましていく弦楽器のハーモニーが豊潤な空間性を演出しているからなのでしょう。そして、音楽性についても、いくつか取り上げることがあるとするなら、イーヴンソンのピアノ演奏の特徴は、フィリップ・グラスを彷彿とさせるミニマル学派への傾倒を見せつつ、またそこに、同郷の故ヨハン・ヨハンソンに近い映画音楽のような視覚的な音響性がもたらされる。楽曲の最初には、ごくシンプルなピアノ曲の印象であったものが最終盤になると、美しい弦楽器のハーモニクスにより、奥深い幽玄な世界が丹念に描き出されていく。

 

エイディス・イーヴンソンのピアノ演奏は、繊細で、艷やかであり、スタイリッシュな響きに富んでいます。

 

そして、何かしらアイスランドの雪深い情景を思い起こさせるような力感が込められていることを、これらの楽曲を聴くにつけ感じていただけるでしょう。

 

また、ピアノ演奏を起点として、様々に繰り広げられる弦楽の色彩的なハーモニーは目のくらむようなあざやかみを増していき、そして、金管楽器の持つたおやかな響きは、楽曲の最後になると、イントロでは全く想起できなかったような奥行きのある劇的な展開が生ずる。

 

これは、ピアノの演奏を中心点として、その周囲に、同心円を描きながら繰りひろげられる弦楽器、金管楽器をはじめとする音の壮大なストーリー、そして、音楽における旅、と形容しても過言ではないかもしれません。

 

この作品リリースのコメントにおいて、並々ならぬ故郷アイスランドへの深い慕情を語ったイーヴンソン。

 

それは表題曲「Bylur」に代表されるように、彼女の原初の記憶であるアイスランド北部のちいさな町、Blönduósが雪一面に覆われる「風景ーサウンドスケープ」を聞き手に想起させ、もちろん言うまでもなく、それは、この世で考えられる中で最も美麗な形で聞き手の脳裏に再現されるでしょう。

 

また、そして、GDRNをゲストヴォーカルとして招いた「Midnight Moon」では、故郷に対するイーヴンソンの情熱的な慕情がボーカルトラックとして大きな実を結んだといえるでしょう。

 

 

 

 

 

「Bylur Reworks」 XXIM Records 2021 

 

 

Eydis Evensen 「Bylur Reworks」
「Bylur Reworks」



Tracklisting 


 

1.Dagdraumer Janus Rasmusen Remix

2.Wandering Ⅱ Ed Carlsen Remix

3.Circulation Uele Lamore Remix

4.Midnight Moon(feat.GDRN) Remix

5.Wandering Ⅱ Paddy Mulcahy Remix

6.   Fyrir Mikael Slow Meadow Remix

7.   Wandering Ⅱ Thylacine Remix

 

 

「Bylur Reworks」は11月12日に発表された先行アルバム「Bylur」のリミックス作品となります。

 

この作品では、オリジナル作品のクラシック性とは異なるポップス性が味わえるでしょう。初期のヴァルゲイル・シグルソンのようなエレクトリック音楽のアプローチを図った作品です。


Kiasmosの活動でもよく知られているアイスランドの電子音楽アーティスト、Jenus Rasmusenをはじめ、イタリア出身、現在はデンマーク、コペンハーゲンを拠点に活動するEd Carlsenといった豪華なアーティストがイーヴンソンの「Bylur」のリミックスを手掛けています。


いかにもアイスランドらしいクールなエレクトリック、そしてアンビエント、テクノといった幅広いリミックスが施された快作です。アルバム「Bylur」のハイライトの1つといえる「Moon Light」の別ヴァージョンのヴォーカルトラックも収録されている他、原曲の魅力をそのままに、テクノ寄りのアレンジが施された「Wandering Ⅱ」も、非常に魅力的な楽曲と言えるでしょう。



ポスト・クラシカルシーンの動向

 

 

ポスト・クラシカル、ネオ・クラシカル、クラシカル・クロスオーバーとこのジャンルには様々な呼称が与えられているが、とにかく、このピアノ音楽をよりポピュラー音楽寄りに解釈した音楽は、ドイツのマックス・リヒテル、アイスランドのヨハン・ヨハンソンと、体系的に音楽を大学で学んだ音楽家、そして、全くそういった専門機関で学習を受けていない音楽家に大別される。

 

 

そして、ときに、後者の方は、元々は、電子音楽の延長線上にこの古典音楽の雰囲気を生かしたポピュラー音楽に活路を見出すアーティストの事例が多く見受けられる。しかも、オーラヴル・アルノルズの例を取ると理解できるように、パンク・ロック、ヘヴィ・メタルといったクラシック音楽とは畑違いの分野からの鞍替えをし、このポスト・クラシカルアーティストとして大成する場合もあるのが興味深い特徴。

 

これは、実際の体験談として、ノイジーな音楽を演奏していると、ある時、ふっとそういった音楽がお腹いっぱいとなり、それとはまったく正反対のクラシック音楽のような雰囲気を持つ方面に惹かれる場合があるのである。

 

その中の興味には、勿論、アンビエントのような電子音楽、環境音楽のような機能的音楽もその一つに挙げられるだろうか。これは、音楽を深く愛するものだからこそ、アーティストもまた一つのジャンルにこだわらないで、様々な音楽というフィールドで小旅行を企てようとするような気配が感じられる。

 

 

特に、このポスト・クラシカル、ネオ・クラシカルという古典音楽をよりキャッチーにし、ときにヒーリング音楽のようなアプローチ法で生み出す21世紀の音楽は、ロック音楽や電子音楽のノイジー性に嫌気が差したアーティストがより温和で穏やかな音楽を始めようと試みたジャンルなのである。

 

それはひとつ、1990年代までに、大きな音量の追求だとか、ノイズ性の飽くなき探求というのはすでに限界に来ており、ロック音楽にせよ電子音楽にせよ、エクストリームまで極まったからこそ、その対極にある数多くのミュージシャンたちの「サイレンスへの探求」が21世紀になってから実験的にではあるが率先的に行われていくようになったのである。

 

 

もちろん、このポスト・クラシカルの最も盛んな地域はヨーロッパで、ドイツ、イギリス、アイスランド、また東欧圏で盛んな印象を受ける。

 

これはアイスランドをのぞいては、かつて中世において古典音楽作曲家を多く輩出してきた地域であると気づく。確かに、ロシア、ハンガリーといった地域ではそれほどまだポスト・クラシカルシーンというのは寡聞にして知らないものの、このジャンルは、ヨーロッパ人のDNAに刻まれた音楽的なルーツを無意識下において探求しようという欲求のようなものも見えなくはない。

 

 

もちろん、アメリカにも日本にも、Goldmund、petete Broderickをはじめ、このジャンル、シーンを牽引する存在はいるものの、古典音楽とポピュラー音楽、そして映画音楽というこれまで分離していたようなジャンルを、一つにつなげようというのがこのポスト・クラシカル、ネオクラシカルの試みであるように個人的には思えてならない。


ポストクラシカルの今後の展望

 

 

現在のヨーロッパのポスト・クラシカルシーンにおいては、アイスランドのアーティスト、オーラヴル・アルノルズが一歩先んじているように思える。ロックダウン下において、リリースされた「Sunrise Session」は、このポスト・クラシカルというジャンルの2020年代、ひいては現代ヨーロッパの音楽を象徴するような偉大な楽曲である。これからオーラヴル・アーノルズはレイキャビク交響楽団をはじめ、古典音楽をメインとして活躍する音楽家と共演するかもしれない。

 

 

一方、このポスト・クラシカルシーンを2000年代始めから率いてきたドイツのニルス・フラームについては、最新作「2×1=4」でF.S.Blummとの共作で、これまでとは異なるダブ作品に花冠にチャレンジしているため、これからポスト・クラシカルの方向性からは少し遠ざかっていく可能性がある。

 

 

また、面白いのが、ワープレコードの代名詞的存在、Clarkはこれまでのコア(ゴア)なクラブミュージック路線を手放し、ドイツ・グラムフォンと契約を交わし、最新スタジオ・アルバム「Playground In A Lake」で明らかにポスト・クラシカルを意識した作品に取り汲んでいる。電子音楽界の大御所として、このシーンに堂々たる足取りで踏み入れたというように言えるかもしれない。

 

 

もちろん、現在、2020年代の初頭、数多くのポスト・クラシカルに属するアーティストがヨーロッパを中心として新しく出てきている。

 

 

その中にはアキラ・コセムラをはじめ日本勢も数多く秀逸なアーティストが活躍しており、イギリスで注目が高まっている気配もある。新たに、日本から面白いポスト・クラシカル系の音楽家が台頭してこないとも言えない。

 

このジャンルの主要なスタイルは現在でも、ハンマーの音を生かした静謐な印象を与えるピアノ曲が現時点でのトレンド。しかし、アプローチが画一的になりすぎると、そのジャンル自体が衰微していく可能性もあるため、このあたりで劇的なアプローチ、これまでに存在しなかった斬新なスタイルを生み出すアーティストが出てくるかどうか今後注目だ。

 

このピアノ曲、弦楽重奏曲、交響曲を新たにポップスとして解釈した雰囲気のあるジャンルのシーンは、2020年代を軸にどのように推移していくのかに注目したい。

 

 


Fredrik Lundberg

 

 

フレドリク・ルンドベルグは、スウェーデン、ストックホルムの作曲家、ピアニスト。早い時代からクラシック、ジャズピアノの双方において教育を受けているアーティスト。ルンドベルグはこれまでのキャリアで、古典音楽、ポップ、エレクトロニカをクロスオーバーする作品を生み出しています。

 


Quote:Spotify.com



2012年から、自主スタジオとレコード会社”Drema Probe Music"を立ち上げ、ミュージシャンとして活動をはじめる。

 

2017年には、Aphex Twinの代表的な楽曲をピアノ曲のアレンジカバーを収録したスタジオ・アルバム「Lundberg Plays Aphex Twin」でデビューを飾る。これまで六作のシングル、一作のアルバムをリリースしています。

 

現在、フレドリク・ルンドベルグは、このピアニストとしての活動の他にも二つの音楽プロジェクトを同時に展開。一つは、Blue Frames and Kalle Klingstromというバンドに在籍、2020年には1stシングルをリリースしています。

 

フレドリク・ルンドベルグの主な音楽性は、ポスト・クラシカルの王道を行くもので、ピアノの小曲を得意とし、ロマン派に代表されるような穏やかで叙情性溢れる楽曲をこれまでに残しています。




Fredrik Lundbergの主要作品

 


1.Albums

 

 

「Fredrik Lundberg Plays Apex Twin」2017 

 

 




Tracklist


1.Icct Hedral(Piano Version)

2.larichheard(Piano Version)

3.Petiatil Cx Htdui(Piano Version)

4.Yellow Calx(Piano Version)

5.Schottkey 7th Path(Piano Version)

6.Xtal(Piano Version)

7.Parallel Stripes(Piano Version)

8.Icct Hedral(Piano Version)[Psychedelia Dream Remix]


 

近年、カナダのクラシックギター奏者のサイモン・ファートリッシュのカバーにも見受けられるように、電子音楽家Aphex Twinの生み出す旋律の秀逸さに光を当て、その音楽性の良さを引き出そうと試みるアーティストが多いように思えます。

 

そして、スウェーデン、ストックホルムのピアニスト、フレドリク・ルンドベルグも同じく、今作のデビュー作において、ピアノ音楽として、エイフェックス・ツインの音楽性の再解釈を試みている作品です。

 

リチャード・D ・ジェイムスは、ドリルンベースとしてのコアなテクノアーティストとして知られているだけではなく、ジョン・ケージを始めとする実験音楽から影響を受けているミュージシャン。近年では、リチャード・D ・ジェイムスの音楽性、叙情性を再評価するような動向がクラシック界隈において見られるようです。

 

もちろん、ルンドベルグが本作で挑んだピアノ音楽としてのアレンジは、その曲を忠実に再現することではなく、その曲に隠れていた魅力を引き出し、新たにピアノ音楽としてリメイクするというチャレンジにほかなりません。

 

それはクラシック、ジャズに深い理解を持つルンドベルグだからこそ原曲の旋律のどこを押さえればよいのか、十二分に把握しているからこそ、このような秀逸なアレンジメントが生み出される。

 

ここで聴く事のできる静謐なピアノ曲は、平安を聞き手に与え、穏やかな気持ちにさせ、さらに、風景を思いうかばせるかのようなサウンドスケープの概念によって彩られてます。特に、Aphexの代表的な楽曲「Xtal」のピアノアレンジは白眉の出来、カナダのサイモン・ファートリッシュと同じように、旋律という側面からエイフェックス・ツインの楽曲の再解釈を試みています。

 

これらのピアノカバーアレンジは、ジャズとしても聴くことが出来るでしょうし、あるいはまたクラシックとして聴くことも出来る。聞き手に、多くの選択肢を与え、これまでになかった音楽の視点を与えてくれるような演奏であり、奥深い芸術性を漂わせつつ、穏やかなくつろぐような情感に満ちあふれる。

 

フォーレ、サティ、ラヴェル、メシアンといった近代フランス和声への歩み寄りも感じられる涼し気な印象を受けるピアノ作品。聴いていると、サラリとした質感の感じられ、異質な和音性によって新たに組み直されたポスト・クラシカルの傑作。




2.Singles


Memories of Red  2020

 

 




Tracklist

 

1.Memories In Red


そして、フレドリク・ルンドベルグのオリジナル曲の傑作の一つがシングル作品「Memories of Red 」です。ここでは、穏やかな情感に満ち溢れ、非常に繊細なタッチにより紡がれるピアノの小曲を聴くことが出来ます。

 

例を挙げるのなら、リストやショパン、ヨハネス・ブラームスの往年のワルツ曲のように、シンプルでありながら情感に訴えかける素敵な楽曲。クラシック音楽をポップとしてどのように解釈しなおすかに焦点が絞られた作品。

ピアノハンマーの木の音をアンビエンスとして活かすという側面では、本日のポスト・クラシカル派の王道を行くといえるでしょうが、確かなピアノの演奏に裏打ちされた安心感のあるピアノ曲であり、短い曲なんですけれどもなにか旋律のツボを抑えた曲。中世ヨーロッパのロマン派が隆盛した時代に小さな旅を試みたかのような素敵なロマンスを感じせてくれるでしょう。オルゴールのようにノスタルジーさを思い起こさせてくれる、あたたかなロマンスに彩られた秀逸な作品です。




Christmas Indie 2021

 




Tracklist

1.O Come,O Come Emmanuel

2.To Us Is Given

3.Who Child Is This  


 

そして、2021年の10月1日に発表されたばかりの「Chrismas Indie」は三曲収録のシングル作でありながら、フレドリク・ルンドベルグの現時点での最高傑作といっても差し支えないでしょう。

 

「O Come,O Come Emmanuel」はのゴルドムントのサウンド面でのアプローチとしては近いものがある楽曲です。また、二曲目の「To Us Is Given」は、現代の抽象派としての音楽の再構築と言い得るかも知れない傑作です。

 

バッハのフーガ的手法を用いているのが最大の聞き所といえるでしょう。上下の和音の組み立ての中には、ジャズ的な雰囲気も滲んでおり、どことなくドビュッシーのピアノ曲を思わせる作風。

 

色彩的な和音を積極的に用いると言う面でドビュッシーの名曲に匹敵する完成度。さらに、三曲目の「Who Child Is This」は、名曲「グリーンスリーブス」のアレンジメントか、独特なジャズのアンビエンスに彩られたクールな質感が漂う。




Valgeir Sigurdsson



 

アイスランド、レイキャビクという土地に、映画音楽畑を中心に活躍している極めて重要な現代作曲家が存在する。それが今回御紹介するヴァルゲイル・シグルソンという音楽家である。

 

このヴァルゲイル・シグルソンという作曲家は、元々、ビョーク主演の映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のサウンドプログラミング担当として、ビョークから直に抜擢を受け、この名画の音楽面での重要な演出に多大な貢献をはたした人物として知られている。すでに、音楽家としてのキャリアは長く、特に、映画音楽方面での活躍が目覚ましい作曲家として挙げられる。 

 

 

 

Valgeir Sigurðsson performing at PopTech in Reykjavík, Iceland in 2012
By Emily Qualey - <a rel="nofollow" class="external free" href="https://www.flickr.com/photos/poptech/7455184140/">https://www.flickr.com/photos/poptech/7455184140/</a>, CC BY-SA 2.0, Link

 

 

シグルソンは、元々、クラシックギターを学んだ作曲者ではあるものの、音楽大学で専門的に管弦楽を学んだ音楽家に引けを取らない重厚なオーケストラレーションを生み出す。その技法の巧みさは、往年のリムスキー・コルサコフやラヴェルにも比するオーケストラの魔術師ともいえるかもしれない。

 

これまでヴァルゲイル・シグルソンとしての名義のリリースは、それほど数は多くないものの、「Little Moscow」2018、「The Country」2020という映画作品のサウンドトラックをコンスタントに手掛けて来ている。彼の同郷レイキャビクには、もうひとり、”ヨハン・ヨハンソン”という既に今は亡き世界的な映画音楽の盟友ともいえる作曲者と同じように、世界的に見て重要な映画音楽、もしくは、ポスト・クラシカルの音楽家の一人として認知されるべきアーティストである。

 

ヨハン・ヨハンソンが生涯にわたり、クラシック音楽をどのようにして映画音楽として取り入れるのか、また、それを単体としての音楽として説得力あふれるものとするために苦心惨憺していたように、このシグルソンという作曲家も、ヨハンソンの遺志を引き継いで、前衛的アプローチをこれまで選んでいる。そして、このシグルソンという映画音楽家が、他の国の映画音楽作曲家と異なる特長があるなら、レイキャビクの名物的な音楽、エレクトロニカ、とりわけ、電子音楽、実験音楽の要素を、自身の音楽性の中に果敢に取り入れていることだろうか?

 

つまり、それこそがヨハン・ヨハンソンと同じように、このシグルソンという作曲家の音楽を、映画音楽から離れた個体の音楽、もしくは、独立した音楽として聴いた際、非常に崇高な味わいをもたらし、古典、近代、現代音楽と同じく、カジュアルではなく、フォーマルな音楽の聴き方ができる要因といえるだろう。もっといえば、このシグルソンの音楽は、音楽の教科書に列挙される古典音楽家と同じく、芸術的な背骨を持つ音楽者というふうに言えるのかもしれない。

 

これまで、ヴァルゲイル・シグルソンは、映画音楽のオリジナル・サウンドトラックの他に、それほど目立たない形で自身の音楽のリリースを行ってきた。

 

それは、2007年のアルバム「Ekvilibrium」に始まり、この作品では、映画音楽からは少し離れた電子音楽家し、エレクトロニカサウンドの最新鋭をいくアーティストとしての意外な表情を見せている。このあたりの映画音楽家らしからぬクラブ・ミュージックテイストも少なからず持ち合わせ、近年まで電子音楽の要素を上手く駆使して、独特な音楽を作り上げてきているのが、このシグルソンという作曲家という人物像に親しみやすくさせているような気もする。

 

そして、近年になって、シグルソンは自身の作品リリースで、電子音楽と映画音楽の要素をかけ合わせた現代音楽寄りのアプローチを図っている。レイキャビク交響楽団との共同作業を収録した「Dissonance」2017という作品を契機として顕著になって来ている。

 

この年代から、重厚な管弦楽法を駆使し、そして、映像を目に浮かばせるようなピクチャレスクな現代音楽、映画音楽に取り組む様になってきている。これはとくに、彼は五十という年齢でありながら、血気盛んにこの作風に真摯に取り組んできている気配が伺える。作品自体のクオリティー自体は年を経るごとに、管弦楽の技法の高い洗練度により近年凄みを増してきているように思える。

 

特に、シグルソンという単体の作曲家として見るなら、ここ二、三年で、この音楽家の本領が発揮された感もある。同郷レイキャビクのヨハンソンという偉大な作曲家の死去の影響があってのことかまでは定かでないものの、自身を彼の正当な継承者と自負するかのような麗しい管弦楽法を作品に取り入れている。それはよく使われるような「壮大なオーケストラレーション」という陳腐な表現は、シグルソンの崇高な音楽には相応しいとはいえない。そのような簡易な言葉で彼の音楽を形容するのは無粋であると断言できる。それほど深い味わいのある現代音楽、ポスト・クラシカルの重要なアーティストで、これからより素晴らしい作品が生まれ出てくるような気配がある。

 

今回は、彼のオススメのアルバム作品について取り上げて、シグルソンの素晴らしい魅力を伝えられたら喜ばしいと思っています。

 

 

 

 

「Drumaladid」2010

 

 

 

このアルバムは、映画音楽の作曲者としての下地を受け継いだ上で、シグルソンが親しみやすいポップス/ロック、あるいはフォークも作曲できることを見事に証明してみせた作品といえる。

 

アルバム全体としては彼の主要な音楽性、弦楽器のハーモニクスの美しさを踏襲した上で、さまざまなバリエーションに富んだ楽曲が多く収録されている。ヴァルゲイル・シグルソンの作品としてはエレクトロニカ、ポスト・クラシカル寄りの手法が選ばれた作品。アイスランドの自然あふれる美しい情景、町並みを、ありありと思い浮かばせるような清涼感のある穏やかな雰囲気の楽曲が多く、彼の作品の中では、最も親しみやすいアルバムといえるかもしれない。

 

全体的には、ピアノ、もしくは弦楽器をフューチャーした美しいハーモニーが随所に展開されている。このシグルソンにしか紡ぎ得ない独特で穏やかなポスト・クラシカルの雰囲気が心ゆくまで味わうことができる。そして、音楽家としてのキャリアがサウンドプログラミングから始まったように、ここでは、アルバム全体のトラックにディレイエフェクトを施したり、といった音のデザイナーとしてのシグルソンのセンスの素晴らしさが存分に味わえることだろう。このエフェクトにより、この作品は全体的に涼やかな印象に彩られている。この独特な涼味というべき雰囲気は、アルバムの最初から最後まで一貫して通じているように感じられる。 

        

 

驚くべきことに、一曲目「Grylukvaedi」では、デビュー作で見せたようなソングトラックを展開している。

 

ここで聴くことのできるアイスランド語の美しい質感というのは、他言語では味わえないニュアンスと言えるだろう。不思議なくらい清涼感のあるアイスランド語の雰囲気、エレクトロニカとフォークを融合したフォークトロニカに挑戦している。グリッチノイズ、そして、弦楽器のエフェクティヴなサウンド処理というのがこの楽曲の肝といえる。もちろん、ボーカル曲として聴いても十分に楽しめるはず。この言語の特有の美しさというのは、シガー・ロスというアーティストが世界に向けて証明してみせているが、この楽曲もシガー・ロスの音楽性に近い。北欧言語の語感から醸し出されるニュアンスの中に、奇妙なほどの清廉さが感じられるはず。

 

四曲目「I Offer Prosperity and Eternal Life」七曲目の表題曲「Draumaland」においてはピアノを全面に押し出した美しい印象のある楽曲である。時に、それはグロッケンシュピールやアコーディオンの付属的なフレージングによって、より神秘的な雰囲気も醸し出されているあたり、映画音楽家としての自負を表現しているような印象を受ける。そして、このあたりの繊細さのある楽曲は聞く人を選ばないポスト・クラシカルの名曲として挙げても差し支えないかもしれない。


六曲目「Hot Ground,Cold」、そしてまた、この楽曲のCoda.のような役割を持つ九曲目「Cold Ground,Hot」では、電子音楽、弦楽器としてのアンビエントに対する傾倒が感じられる楽曲である。 

 

前者は、抒情性により、全体的なアンビエンスが形作られている。それとは対象的に、後者では、電子音楽のクールさという側面が強調されているが、両者の釣り合いを図るように金管楽器、フレンチホルンが楽曲の中間部に導入されている。分けても、「Cold Ground,Hot」では、北欧のニュージャズへの傾倒を見せているのも聴き逃がせない。

 

また、ヴァルゲイル・シグルソンという人物の映画音楽作曲者としての深い矜持が伺えるのが、十一曲目の「Nowhere Land」である。ここでは、弦楽器のトレモロ奏法の醍醐味が心ゆくまで味わえる。ヴァイオリン、ビオラのパッセージの背後で金管楽器が曲の骨格を支えており、これが重厚感をもたらす。もちろん、その上にハープの麗しい付属旋律の飾りがなされているあたりも素敵である。楽曲の途中から不意にあらわれる弦楽器の主旋律というのも意外性に富んでいる。

 

コントロールが効いていながらも、徐々に、感情が盛り上げられていくダイナミック性。つまり、この点に、このヴェルゲイル・シグルソンという作曲家の卓越した管弦楽法の技術が、顕著に表れ出ているように思える。前曲「Nowhere Land」の雰囲気を受け継いだ続曲の意味を持つ「Helter Smelter」も面白い。楽曲名も、ビートルズのナンバー「Helter Skelter」に因んだものだろうか、重厚な弦楽器の妙味がじっくり味わいつくせるはず。正しく、終曲を彩るにふさわしいダイナミック性といえる。

  


「Kvika」 2021



そして、2021年リリースのスタジオ・アルバム「Kvika」は、ヴァルゲイル・シグルソンの集大成ともいえる作品である。

 

ここで、シグルソンは、これまでの作曲家、サウンドエンジニア、あるいはプログラマーとしてのキャリアからくる経験の蓄積を惜しみなく込めている。全体のトラックは39分とそれほど長くはなく、かなり簡潔な印象を受ける。アルバム全体が交響曲、あるいは、組曲のような性格を持ち、個々のトラック自体が重なることにより、一つのサウンドスケープとしてのストーリを形作っている。

 

「Kvika」において、シグルソンは映画音楽としてこれまで挑戦してきた作風をついに一つの高みにまで引き上げたという表現がふさわしいかもしれない。ここで見うけられる重厚なハーモニクスは、およそ体系的に管弦楽を学んだ作曲家としてでなく、現場のサウンドエンジニア、プログラマーとして肌でじかに学び取った生きた技法がここで大きく花開いたというように思える。

 

 

もちろん、映画音楽、サウンドトラックとして傾聴しても上質な味わいがあるが、この作品が素晴らしい由縁は、管弦楽の重厚な音の立体構造を、シグルソンがこれまで初期の作風から受けついできた電子音楽と絶妙に融合してみせたことだろう。全体的なオーケストラレーションとして聴くと映画音楽にも聴こえるはずだが、トラックの中には、そのハーモニーの美しさを損なわない程度に、シンセサイザーのシークエンス、また、時には苛烈なドローン・アンビエントのようなノイズを慎重に取り入れている。

 

しかし、今作を聴くかぎりでは、アイスランドで今流行のものに迎合するために、電子音楽のニュアンスが取り入れられたわけではないように思える。

 

それは、この重厚なオーケストラレーションをまるで脅かすように苛烈な電子音楽のシークエンス、あるいは、グリッチノイズが挿入されることにより、本来相容れないとも思われるオーケストラレーション、そして電子音楽の完全な融合を図って見せている。これが、この作品をきわめて上質あふれるものとし、スタンダードな映画音楽とは異なる響きをもたらしている。それは、シグルソンの最初の仕事として始まった「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の2000年からおよそ17年という長い歳月を経てようやく結実した、一つのライフワーク的な意味合いを持つ傑作ということもできるだろう。 

  


このスタジオ・アルバムは、全体が非常に繊細に、そして、綿密に組み合わされた一つの交響曲のように静かに落ち着いて耳を傾けるべきなのだろうと思う。幾つかの曲について論じさせていただく赦しを乞うなら、このアルバムの中「Trantiosn」「Eva's Lamant」という楽曲を、このアルバムの中の最も秀でた楽曲として挙げておきたい。

 

この弦楽器と金管楽器が中心の楽曲が湿られる中で、まるで草原の彼方に見える蜃気楼のような趣で、このピアノの美しい旋律によって組み立てられる楽曲はすっとごく自然に浮かび上がってくる。

 

他にも、十五曲目の「Back In The Woods」では、弦楽器のパッセージ、そして複雑なサウンドエフェクトにより、現代音楽に対するしたたかな歩み寄りも感じられる。アルバムの中で、クワイアとして異彩を放っている楽曲「Elegy」も美しく、おそらく初めてシグルソンは、清涼感に富んだ大自然を思い浮かべさせるような興趣のある歌曲に取り組んでいる。

 

ここからアルバムは、オーケストラレーションとしてのドローンアンビエントの領域に入り、それが最終曲のピアノの彩りにより最初のトラック「Foot Soldier」の重厚なモチーフに一つの循環を形って戻っていく。最後の楽曲「A Point,Ahead」を聴いた後に、最初のトラックを聴きかえすとその事が十全に理解できる。

 

今作「Kvika」は、全体を組曲として聴いても全く文句の付け所のない名作。今年度の映画音楽の最高傑作の一つに挙げられると思う。