Lana Del Rey 『Did You Know That There's a Tunnel Under Ocean Blvd』/ Weekly Recommendation

 Weekly Recommendation


Lana Del Rey 『Did You Know That There's a Tunnel Under Ocean Blvd』

 






 

Label: Polydor/Interscope

Relasee Date: 2023/3/24

 

 

Review

 

現在のミュージックシーンを見るかぎり、米国のシンガーソングライターには、古き良き時代のアプローチを取るグループがいる。今回、ラナ・デル・レイが「Let The Light In」で起用したFather John Misty、また昨年傑作を世に送り出したエンジェル・オルセンも同様といえるだろうか。


これまでの作風と比べ、ラナ・デル・レイも今作においてまたこれらの米国文化の古き良き時代にスポットライトを当てている。それはジュディー・ガーランドへの憧憬を込めたアルバムのアートワークにもよく表れている。ただ、今回のラナ・デル・レイの音楽性の変更は、懐古的な音楽に加えて、ヒップホップを始めとする新しい音楽性を取り入れた内容となっている。そして何より、歌手自身が自認するようにサッドコアの悲しみが音楽全体に感じられる。それはある意味では同じような悲哀を内面に抱える人々の心に一筋の光を投げかけるような内容になっている。

 

オープニングトラック「The Grant」では、ゴスペルを思わせるイントロからダイナミックなバラードソングへと移行する。ある意味で、こういった大掛かりなバラードを書き、それを臆することなくさらりと歌い上げるようになったのは、このシンガーソングライターの大きな進化を表しているともいえる。さらにこのアーティスト特有の天使的なコーラスがこれらの悲しみと哀愁を兼ね備えたトラックの中に救いをもたらす。シンガーとしての迫力は十分で、言葉を温かくつつみこむようにして歌い上げる表現力の豊かさも以前よりも素晴らしいものとなっている。

 

前曲と同様に先行曲として公開された『Did You Know That There's a Tunnel Under Ocean Blvd』は前作アルバムのケムトレイルの次にある隠された真実(!?)への言及がなされた一曲である。そして、楽曲自体は一曲目の雰囲気を受け継いだダイナミックなバラードソングとなっている。それに加え、ほんのりとではあるが、ラナ・デル・レイらしいインディーロック性もいくらか加味されている。何か悩ましく歌い上げるシンガーの姿に共感を見出すリスナーも少なくないはずだ。曲のクライマックスにかけては、ラナ・デル・レイらしいアンセミックなコーラスにゴスペルの雰囲気が加味されることによって、再び祝祭的な雰囲気が広がっていくのである。

 

同じく先行シングルとして公開された「A&W」も聴き逃がせないナンバーである。ここではアーティストの重要なルーツであるサッド・コアをオルタナティヴ・ロックと融合させたナンバーを聴くことが出来る。捉え方によっては、ニューヨークのMitskiがそうであるように、スターシンガーと称されることを疎んじ、あえてインディー・ロックの女王の座にとどまろうという声明にも思える。ここでもオープニングの二曲と同じように、何かなやましげな雰囲気を混じえつつ、呟くように歌うラナ・デル・レイの世界観が流麗に展開されていく。このアルバムの内側に満ちた現実的とも空想的ともつかない曖昧な世界観はより、聞き手を困惑させると同時に、ミステリアスな印象をもたらすことだろう。よくわからないという感じがこの歌手の最大の魅力なのであり、その点はむしろ既存のアルバムより強化されている部分もあるかもしれない。


世界のスターシンガー、ジョン・バティステを招いた「CandyNeckless」は、ラナ・デル・レイの幼少期の悲哀や憂鬱を物語のように織り交ぜた一曲である。たしかに、この曲は、子供のころのおとぎ話のように空想的であるが、その一方で、なにかゾッとするような暗示も込められている。それはまた少女時代の少し背伸びをしたような考えがその後の時代にかけてどのように変化していくのかを、あらためて現在のアーティストの視点から捉え直したような曲である。たしかに商業性を意識しているが、シンプルなバラードからジョン・バティステのコーラスが加わることにより、曲の後半では雰囲気ががらりと変化し、一挙に渋さのあるソウルミュージックへと変身を遂げる。


前半部では、シンプルさとミステリアスな感じが多くのリスナーに好印象を与えると思われるが、アバンギャルドな仕掛けがアルバムにはいくつか用意されている。「Interlude」では、ラナ・デル・レイの笑い声と対比するように、少女(ラナ・デル・レイ)を恐れさせるような神父の声がひとつの音の物語を綴る。単なる憶測にすぎないが、これは少女時代のアーティストのキリスト教の文化に対する恐怖、その目から見てあまりにも大きすぎる父性的な権力に対するラナ・デル・レイのささやかな女性的な告発となっているように思える。そこには、何らかの恐れがあり、なにか大きな存在に対する怯えが込められている。よく聴き込むと、アルバムの全体の中にあって重要なポイントを形成し、さらに大きな機能を果たしていることがわかる。

 

続く、「Kintsugi」は、前曲とは打って変わって、現代のアーティストの姿、いや、もしかするとそれよりも老獪な人物の姿でささやかなバラードソングが歌われる。一見、いくらか派手さにかけるように思えるこのナンバーで、再び、前曲の心の傷のようなものを包み込むかのように、デル・レイは温かく歌をうたう。以前に比べて、ソウルの影響を加味したボーカルは以前のアーティストの作風にはあまりなかった要素といえ、これは好き嫌いが分かれるかもしれないが、ある側面ではアーティストの内面的変遷を涼やかなバラードソングとして書き留めておいたとも取れる。それは作家における日記のような役割を果たし、これまでアーティストの作品をたどってきたリスナーに、それらの記憶と現在の出来事を呼び覚ますような機能を果たすのである。

 

一番このアルバムで心惹かれる曲が「Paris,Texas」である。ここでは、アイスランドのポスト・クラシカル/モダン・クラシカルのアーティストが書くようなピアノの伴奏に併せて、ラナ・デル・レイはお馴染みの少し囁くようなボーカルを歌う。このアルバムの中では、最もつかみやすい一曲で、ファンタジックな要素は、実際にこの曲全体をミュージカルの一幕のように見立て、深遠な森の中に迷い込むかのような静寂と孤独を表現している。しかし、他の曲に比べると、それほどシリアスにはならず、 神秘的なポピュラー・ソングとして楽しむことができる。

 

もし、アルバムがこの曲か次の曲で終われば、この作品は良作以上のものとなった可能性もあるが、正直なところ、終盤のトラックが少しだけ冗長な印象を与えかねない。「Grandfather~」はビートルズとディズニー音楽の融合のような雰囲気があり、夢があって素晴らしいが、その後のコラボレーションの経験がある盟友ジョン・ミスティとデュエットは残念ながら前半部の前衛的な雰囲気を損ねる結果となった。懐古的なフォーク・ミュージックの影響は、ジョン・ミスティの前作の主題を持ち込んだと言えるが、それが作品全体の印象を曇らせているように思える。「Margret」の後に続く展開は、同じような曲が続く印象があり、新たな局面が提示されたとは言いがたい。部分的に、ボーナストラックのような印象を与えかねないのが少しだけ惜しまれる点である。



86/100

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