Kassa Overall 『Animals』-Review

 

 

 

Label: Warp Records

Release: 2023/5/26


Review 


私たちは自分たちを人間と呼んでいますよね。でも、私たちは、お互いに動物的なことをする。人間らしさを奪うことで、不道徳を正当化する。彼らは動物だから、そのように扱うことができるんだ。この曲の中に出てくるさまざまな種類の小さな疑問は、すべて人間性に関する疑問を指しています。それとも、私はサーカスの動物なのだろうか? これらの問いは、私が人種について考える方法と交差しています。

 

ーーKassa Overall

 


カッサ・オーバーオールは、スコットランドのヤング・ファーザーズと同様、上記のようなレイシズム(人種差別)に対する問題を提起する。日本ではそれほど知名度が高くないアーティストの正体は依然として不明な点も多いが、ワープ・レコードの紹介を見る限り、基本的には、カッサ・オーバーオールはラップのリリシストとしての表情に合わせてジャズ・ドラム奏者としての性質を併せ持っているようだ。

 

それは例えば、同レーベルに所属するYves Tumorと同様、ブレイクビーツの要素を備えるソウル/ラップの音楽性に加えて、古典的なジャズの影響がこのアルバムに色濃く反映されていることがわかると思う。そして、それはモダンジャズに留まらず、タイトル曲「It's Animals」ではニューオリンズのオールドなラグタイムブルースという形で断片的に現れている。全般的には、ジャズの側面から解釈したヒップホップというのが今作の本質を語る上で欠かせない点となるかもしれない。そして、表向きには、前のめりなリリシストとしての姿が垣間見えるけれど、その背後にピアノのフレージングを交え、繊細な感覚を表そうとしているのもよく理解できる。ときおり導入される豚の鳴き声は、「動物」として見做される当事者としての悲しみが含まれており、それはとりもなおさず制作者のレイシズムに対する密かな反駁であるとも解釈できる。しかし、それは必ずしも攻撃的な内容ではなく、内省的なアンチテーゼの範疇に留められている。つまりオーバーオールは問題を提起した上で、それを疑問という形に留めているのだと思う。つまり、そのことに関して口悪く意見したり、強い反駁を唱えるわけではないのだ。

 

その他にも、暗喩的にそれらのレイシストに対するアンチテーゼが取り入れられている。アルバムのオープニングを飾る「Anxious Anthony」は、ゲーム音楽の「悪魔ドラキュラ城」のテーマ曲を彷彿とさせ、ユニークでチープさがあって親しみやすいが、これもまたアートワークと平行して、人間ではない存在としてみなされることへほのかな悲しみが込められているようにおもえる。

 

「Ready To Ball」以降のトラックは、カッサ・オーバーオールのジャズへの深い理解とパーカッションへの親近感を表すラップソングが続いてゆく。リリックは迫力味があるが、比較的落ち着いており、その中に導入される民族音楽のパーカッションも甘美的なムードに包まれており、これが聞き手の心を捉えるはずだ。しかし、オーバーオールはオートチューンを掛けたボーカルをコーラスとして配置することにより、生真面目なサウンドを極力避け、自身の作風を親しみやすいポピュラーミュージックの範疇に留めている。オーバーオールは、音楽を単なる政治的なプロバガンダとして捉えることなく、ジャズのように、ゆったりと多くの人々に楽しんでもらいたい、またあるいは、その上で様々な問題について、聞き手が自分の領域に持ち帰った後にじっくりと考えてもらいたいと考えているのかもしれない。その中に時々感じ取ることが出来る悲哀や哀愁のような感覚は、不思議な余韻となり、心の奥深くに刻みこまれる場合もある。

 

リリックの中には、世間に対する冷やかしや、ふてぶてしさもしたたかに込められており、「Clock Ticking」では、トラップの要素とブレイクの要素を交え、サブベースの強いラップソングを披露している。この曲は、旧来のワープレコードの系譜を受け継ぐトラックとして楽しむことが出来る。その後、カッサ・オーバーオールの真骨頂は、幽玄なサックスの演奏を取り入れ、-とダブとエレクトロニックを画期的に混合させた「Still Ain't Find Me」で到来する。トラックの終盤にかけて、アヴァン・ジャズに近い展開を織り交ぜつつ、ブレイクビーツの意義を一新し、その最後にはノスタルジックなラグタイム・ジャズのピアノを混淆させた前衛的な領域を開拓してみせている。まさに、Yves Tumorがデビュー・アルバムで試みたようなブレイクビーツの新しい形式をジャズの側面から捉えた画期的なトラックとして注目しておきたい。

 

このアルバムの魅力は前衛的な形式のみにとどまらない。その後、比較的親しみやすいポピュラー寄りのラップをNick Hakimがゲスト参加した「Make My Way Back Home」で披露している。Bad Bunnyのプエルトリコ・ラップにも近いリラックスした雰囲気があるが、オーバーオールのリリックは情感たっぷりで、ほのかな哀しみすら感じさせるが、聴いていて穏やかな気分に浸れる。


「The Lava Is Calm」も、カリブや地中海地域の音楽性を配し、古い時代のフィルム・ノワールのような通らしさを示している。ドラムンベースの要素を織り交ぜたベースラインの迫力が際立つトラックではあるが、カッサ・オーバーオールはラテン語のリリックを織り交ぜ、中南米のポピュラー音楽の雰囲気を表現しようとしている。これらの雑多な音楽に、オーバーオールは突然、古いモノクロ映画の音楽を恣意的に取り入れながら、時代性を撹乱させようと試みているように思える。そしてそれはたしかに、奇異な時間の中に聞き手を没入させるような魅惑にあふれている。もしかすると、20世紀のキューバの雰囲気を聡く感じ取るリスナーもいるかもしれない。

 

「No It Ain't」に続く三曲も基本的にはジャズの影響を織り交ぜたトラックとなっているが、やはり、旧来のニューオリンズのラグタイム・ジャズに近いノスタルジアが散りばめられている。そのうえで、クロスオーバーやハイブリッドとしての雑多性は強まり、「So Happy」ではアルゼンチン・タンゴのリズムと曲調を取り入れ、原初的な「踊りのための音楽」を提示している。このトラックに至ると、ややもすると単なる趣味趣向なのではなく、アーティストのルーツが南米にあるのではないかとも推察出来るようになる。それは音楽上の一つの形式に留まらず、人間としての原点がこれらの曲に反映されているように思えるからだ。 


最初にも説明したように、タイトル曲、及び「Maybe We Can Stay」は連曲となっており、ラグタイム・ジャズの影響を反映させて、それを現代的なラップソングとしてどのように構築していくのか模索しているような気配もある。アルバムの最後に収録される「Going Up」では、ダブステップやベースラインの影響を交え、チルアウトに近い作風として昇華している。ただ、このアルバムは全体的に見ると、アーティストとしての才覚には期待できるものがあるにもかかわらず、着想自体が散漫で、構想が破綻しているため、理想的な音楽とは言いがたいものがある。同情的に見ると、スケジュールが忙しいため、こういった乱雑な作風となってしまったのではないだろうか。アーティストには、今後、落ち着いた制作環境が必要となるかも知れない。



74/100

 

Featured Track 「Going Up」 
 

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