PinkPantheress 『Heaven Knows』/ Review

 Pinkpantheress 『Heaven Knows』

 

 

Label: Warner

Release: 2023/11/10

 

 

Review

 

2021年頃にTikTokから彗星のごとく登場し、オルタナティヴのサウンドの旋風を巻き起こしたPinkpantheress。 そのサウンドは英国圏にとどまらず、日本のリスナーも惹きつけるようになった。

 

Pinkpanthressはポップシンガーと呼ぶには惜しいほど多彩な才能を擁している。DJセットでのライブパフォーマンスにも定評がある。ポップというくくりではありながら、ダンスミュージックを反映させたドライブ感のあるサウンドを特徴としている。ドラムンベースやガラージを主体としたリズムに、グリッチやブレイクビーツが搭載される。これがトラック全般に独特なハネを与え、グルーヴィーなリズムを生み出す。ビートに散りばめられるキャッチーで乗りやすいフレーズは、Nilfur Yanyaのアルバム『PAINLESS』に近い印象がある。

 

もちろん、熱心なファンを除けば、すべての人が音楽をゆったりと聞ける余裕があるわけではない。Tiktok発の圧縮されたモダンなポピュラー音楽は、それほど熱心ではない音楽ファンの入り口ともなりえるだろうし、また、その後、じっくりと音楽に浸るための布石を作る。現代的なライト層の要請に応えるべく、UKの新星シンガーソングライター、Pinkpanthressは数秒間で音楽の良さを把握することが出来るライトなポップスを制作する。ポピュラーのニュートレンドが今後、どのように推移していくかは誰にも分からない。けれども、Pinkpanthressのデビュー・アルバムでは、未来の可能性や潜在的な音楽の布石が十分に示されていると言える。

 

荘厳なパイプ・オルガンの音色で始まる「Another Life」は、その後、ドラムンべースの複雑なリズムを配したダンス・ポップへと移行するが、ボーカルラインには甘い感じが漂い、これがそのままPinkpanthressの音楽の最たる魅力ともなっている。日本国内でのGacya Popにも近い雰囲気のあるTikTokでの拡散を多分に意識した音楽性は、2023年の音楽シーンの最前線にあるといえるかもしれない。そして、ピンクパンサレスは、バックトラックのダンサンブルなビートを背後に、キュートさと落ち着きを兼ね備えたボーカルで曲にドライブ感とグルーヴ感を与えている。途中に加わるコラボレーター、RemaのラップもトラックにBad Bunnyのようなエキゾチシズムとチルアウトな感覚を付け加えている。両者の息の取れたボーカルワークの妙が光る。

 

観客の歓声のSEで始まる「True romance」は、Nilfur Yanyaのソングライティングのスタイルに近く、ダンス、ポップ、そして、ラップ的なリズムのテイストを組み合わせたバンガーである。ヨーロッパにおいて、DJセットで鳴らしてきたアーティストがあらためて多数のオーディエンスの目の前で、どういうふうにポップバンガーが鳴り響くのか、そういった空間的な音響性を最重要視した一曲である。 このトラックもTikTokサウンドを過剰なほど意識しているが、魅力はそれだけにとどまらない。ボーカルワークの運びの中には、胸を締め付けるような切ないフレーズが見られ、 アーティストの人生におけるロマンスを音楽を通じて表現している。

 

ストリーミングで驚愕的な再生数を記録している「Mosquito」では、グリッチサウンドを元にして、同じようにドライブ感のあるダンス・ポップが展開される。しかし、21年頃からTiktokがアーティストの名声を上昇させたのは事実であるとしても、Pinkpanthressはそこにべったりより掛かるのではなく、そのプラットフォームに関するアンチテーゼのようなものをさりげなく投げかける。それは反抗とまではいかないかもしれないが、このプラットフォームに親しみながらも、冷やかしを感じる人々に対して共感を呼び覚ます。オートチューンを掛けたボーカルは、2020年代のポップスの王道のスタイルが図られているが、このアーティストの持ち味であるキュートさを呼び覚まし、同時に、軽やかでインスタントな印象をもたらす。

 

「Aisle」は、序盤のアルバムのハイライト曲として注目したい。イントロにヒップホップ的なサウンド処理を施し、それに現代的なハウスのビートやグリッチを加えている。この曲にわだかまるアシッド的な空気感は、アーティストのボーカルと掛け合わされた途端、独特なオリジナリティーを生み出す。音楽的な手法や解釈ではなく、ある意味ではアンニュイな空気感がダンスビートの回りにまとわりつく。これが実際、アシッド・ハウスで感じられるような快感を呼び起こす。そしてそれは一貫して口当たりの良いしなやかなポップスという範疇で繰り広げられる。最終的にはロサンゼルスのローファイの質感を持つコアなポップスへと変遷を辿っていく。

 

Central Ceeが参加した「Nice To Meet You」はピンクパンサレスからの初見のリスナーに送られた挨拶状、グリーティングカード代りである。実際にキュートなポップスとは何かを知るのには最適なトラックであり、タブラの打楽器を加えることで、その中にインド的なエキゾチズムをもたらす。エスニック・ポップとも称すべき新味なポップサウンドを探求している最中であることがわかる。トラックの後半で登場するCentral Ceeのラップは爽やかな感覚に満ちている。ドリルのリズム対し繰り広げられるCeeのスポークンワードのテクニックにも注目。曲のリズムは最後にドリルからドラムンベースに変わり、ボーカルのサンプリングを遊びのような感じで付け加えている。

 

Kelelaが参加した「Bury Me」は、アルバムの中盤の注目曲としてチェックしておくべし。アンビエント的な癒やしのテクスチャーから始まり、以後、グリッチやドリルを絡めたナンバーで、チップチューンからの影響も伺い知れる。これが例えば、インドネシアのYeuleが志向するハイパーポップのような現代的なボーカルのアプローチと取り入れ、清涼感を生み出す。ボーカルにオートチューンを掛け、キュートさが重視されているのは他の曲と同様であるが、ロンドンのネオソウルのボーカルワークの影響を反映させたフレーズは、琴線に触れる瞬間がある。トレンドのサウンドを重視しながらも、そこに何らかの独自性を併せ持つのが強みである。

 

以後、22歳になったアーティストは、ユースカルチャーを振り返るように、「Internet Baby」において、8ビット風のゲームサウンドの影響を反映させた、バーチャルな空間に繰り広げられるポピュラーという概念を音として昇華している。しなるようなドリルのリズムが特徴となっているが、コアなラップを避け、ポップスの範疇にサウンドを収束させている。ここではよりK-POPの主要なグループやそれに近いサウンドを押し出し、Tiktokファンにアピールを欠かさない。その後に続く、「Ophelia」もハイパーポップサウンドに主眼を置いているが、中盤から後半にかけて意外な展開力を見せ、実験的なエレクトロニックの領域に踏み入れている。こういった才気煥発なソングライティングの創造性や意外性のある曲展開はアルバムを楽しむ上で、重要なポイントとなり、予想以上に長くアルバムを聴き続けるための足がかりとなりえる。

 

アルバムの中盤から終盤にかけて、ポップスを軸点として、遠心力で離れていくかのように、序盤以上に多彩な音楽性が展開される。「Feel complete」は、UKガラージやベースラインを基調とし、遊び心のあるシンセリードがそれに加わる。リズムに関しては、アシッド・ハウスに近いスタイルに移行する場合もある。しかし、トラックメイクがダンス・ミュージック寄りになりすぎると、一般的にボーカルの印象性が霞んでしまうケースが多いのにも関わらず、このトラックだけはその限りではない。同じように、ハイパーポップやインドネシアのYeuleの志向する次世代ポップスに準ずる「機械的なものに対する人間的なエモーション」を鋭く対比させることで、アーティストしか生み出し得ない唯一無二のポピュラー音楽を作りだそうとしている。 


アルバムの終盤にも良曲が並んでいて聴き逃がせない。それは考えようによっては、これまでに定着したTikTok発のアーティストというイメージを十分に払拭し、彼女が次のメガスターの階段をひとつずつ上り詰めていくためのプロセスを示しているとも考えられる。「Blue」におけるダンス・ミュージック、ポップ・ミュージックの痛快なクロスオーバーも素晴らしく、ドラムンベースのリズムを発展させた「Feelings」も、UKのフロアシーンのリアルな空間をレコーディングとして絶妙に反映させている。「Capable of love」では、ブレイクビーツを元にして、コアなポップスを生み出している。Ice Spiceが参加したアルバムのクローズ「Boy's a Liar Pt.2」でもチップ・チューンを元にして、キラキラと輝くようなエレクトロポップを制作している。

 


88/100

 

 

「The Aisle」