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Danger Mouth & Karen O
Danger Mouth & Karen O


デンジャー・マウスとヤー・ヤー・ヤーズのカレン・Oが再びタッグを組み、新しいコラボレーション・シングル「Super Breath」を発表した。


2019年に記念すべきジョイント・アルバム『Lux Prima』を発表して以来のリリースとなる "Super Breath "は、両アーティストによって書かれ、プロデュースはデンジャー・マウスが担当した。叶わぬ愛について歌うカレン・Oの声がメロディーを運び、"カッコつけるのはやめて/私を押しのけて/私は毎回死ぬ/私はあなたの馬鹿じゃない "といったセリフを届けている。シングルのストリーミングは以下から。


「Super Breath」のリリースと同時に、カレン・Oとデンジャー・マウスは、9月20日にリリースされる『Lux Prima』のデラックス・リイシューも発表。オリジナル・アルバムに加え、「Super Breath」の7インチが同梱され、B面にはルー・リードの「Perfect Day」の既発カヴァーが収録される。また、デュオがロサンゼルスのマルシアーノ・アーツ・ファウンデーションで開催した4日間の没入型試聴イベントに焦点を当てた16ページのブックレットも付属する。


「Super Breath」

 


リバプールのピクシーが最新シングル「Give A Little Of Your Love」をリリースした。この曲は、8月2日にチェス・クラブ・レコードからリリースされる待望のデビューアルバム『Million Dollar Baby』の収録曲。


グラストンベリー・デビューを果たしたピクシーは、今年後半にはイギリスのネイバーフッド・フェスティバルへの出演も決定している。


「Give A Little Of Your Love」の制作について、ピクシーは次のように語っている。「私は普段、ロマンチックな愛について書くことはないんだ」


「Abletonで古いロイヤリティ・フリーのサンプルをピッキングして、ドラム・ループをかぶせ、ハイハット、ミディ・シンセ、プログラムされたストリングスを加えた。William Onyeaborの'Atomic Bomb'は、わたしが音楽を始めるきっかけとなった曲だ。この曲は、愛に対する心からの訴えであり、美しく単純なもの」



「Give A Little Of Your Love」
Kim  Deal

キム・ディールが、自身の名義で4ADからリリースする最初のシングルとして 「Coast」を発表した。ピクシーズやザ・ブリーダーズ、アンプスでの活動で知られる。


「Coast 」は2020年、彼女の友人マイク・モンゴメリーの結婚式で、ハウス・バンドのグレープ・ウィザーズがジミー・バフェットの1977年の "Margaritaville "を "自尊心の低さを露呈させるレベル "でジャムったことをきっかけに書かれた。ジャズ風のポピュラーソングとなっている。


この曲のルーツは、キムがマサチューセッツ州のナンタケット島に滞在していた2000年まで遡る。オハイオ出身の彼女(「太陽もビーチもウォータースポーツも大嫌い」)にはありえない隠れ家で、若い労働者たちがサーフィンのコンディションを「WAMでチェック」する荒れたオフシーズンを過ごした。


「コースト」は、スティーヴ・アルビニがシカゴにある彼のエレクトリカル・オーディオ・スタジオでレコーディングした。リズム・セクションはリンジー・グローヴァーとブリーダーズ出身のマンド・ロペス、ギターはキムの妹ケリー、ホーンはシカゴのマーチング・バンド、ムッカ・パッツァが担当している。



Clairo 『Charm』 

 

Label: Clairo Records LLC.

Release: 2024年7月12日


Review  


ポピュラーミュージックの良心


クレイロの最新作『Charm』は、チェンバーポップ/バロックポップ、そしてビンテージソウルを巧みに踏襲し、それらをローファイの録音により現代的なポップスの最高水準の作品へと昇華させている。従来の作品から受け継がれるソングライティングの良いメロディー、展開力、そして音感の良さは、最終的にクレイロのボーカルの温和な雰囲気で彩られると、ギルバート・オサリバンやカーペンターズのようなクラシカルなポピュラー・ミュージックに変化する。クレイロはベッドルームポップを卒業したとみて良いだろう。素晴らしいソングライティング。

 

もちろん、クレイロの音楽をポピュラーだけの側面から語ることはむつかしいだろう。その中に多彩な音楽性が含まれ、それがこのアーティストの最大の魅力となっている。アウトプットにはフラワームーブメントのサイケデリックやヴィンテージソウルも含まれる。そして自動車産業とともに機械工業として発展したデトロイトを中心とするノーザンソウルやモータウン・サウンドを通過し、親しみやすく内的な情感を活かした素晴らしいポピュラーアルバムが誕生した。


最新作『Charm』のマスターの過程では、録音した音源をテープ・サチュレーターのような機材に落とし込んだという。つまり、ヒップホップやミックステープ発祥のローファイの録音のプロセスが導入されていることが、アルバム全体にアナログの質感を付け加えている。デジタルサウンドで録音されていながら、ヴィンテージ・レコードのような懐かしさと深みが漂うのである。

 

 

現在のアメリカのポピュラーミュージックの主流は、背後に過ぎ去った国家の文化的な遺産をどのように現代に活かすのか、ということに尽きる。この動向は、一、二年前から始まっており、東海岸から西海岸に至るまで主要なアーティストがある種の命題やテーマ、モチーフとして掲げるようになっている。


回顧的な音楽は、太平洋の向こう側から見ると、アナクロニズムにも見えるかもしれないが、それは単にノスタルジアや懐古主義を象徴づけるものではない。アメリカの現代の音楽の中に内在するのは、商業的な発展とは相異なる米国社会の核心にある概念を捉えるということである。米国社会や現代の社会構造に組み込まれる市井の人々が産業や文化の変遷に絶えず翻弄される中、普遍的なものは何なのか、時代を越えて伝えたい思いはどのようなことなのか、アメリカの文化の根幹や中枢にある消えやらぬ真実を、アーティストらは真面目に探し求めている。


そして、60、70年代の古典的な音楽を踏襲し、オーケストラ楽器をポピュラー音楽の枠組みの中に配して、聞きやすく親しみやすいものとする。このアルバムに漂う絵画的な雰囲気はアルバムのアートワークとばっちり合致しており、それはヨハネス・フェルメールの絵画のようなミステリアスさと上品さに縁取られていると言える。音楽が単なる音の発生で終わらず、何らかの意味を持ち、そして何より素晴らしいのはイメージの換気力があることだろう。 

 

前半部では、三分のポピュラーの理想形が示唆されている。序盤では、テープサチュレーターの二段階の録音形式を活かし、バロックポップとビンテージソウルという2つの大きな枠組みの中で、ときおり、ローファイやサイケデリックのテイストをまぶしながら、センス抜群の音楽性を発揮している。

 

先行シングルとして公開された「Nomad」は、サチュレーターをかけたヴィンテージソウルで始まる。これらはデジタルレコーディングでありながら、古いレコードやそれよりもさらに古い蓄音機からクレイロの音楽が流れてくるような錯覚をおぼえさせる。


しかし、その後、ギルバート・オサリバンやカーペンターズの音楽性を踏まえた魅惑的なバロックポップワールドが繰り広げられる。


コーラスとフォークミュージックを象ったギターラインに引き立てられるように、オーケストラのティンパニのような音響効果を狙ったローリング・ストーンズや最初期のヴェルヴェット・アンダーグランド風のダイナミックなパーカションにより、このアルバムは一曲目ですでにポピュラーミュージックの至福の瞬間に到達する。気の早いTikTokerの気忙しい要求に端的に応えてみせる。


「Nomad」



続く「Sexy To Someone」は一般的なポピュラーアーティストとは異なり、ヴィンテージソウルへのクレイロの愛着が示されている。オーティス・レディングのスモーキーなR&Bを踏襲したこの曲は、アーティストの新しい音楽性が示された瞬間を捉えることができる。音作りはノーザンソウルやモータウンのサウンドを意識しているが、それらは結局、ベッドルームポップの系譜にある軽やかなボーカルによって、クラシックのテイストがモダンに変貌を遂げる。アルバムの一曲目と同じように、LPの回転数の差異で発生する音のディレイのような特殊な音響効果を活かしながら、このレコードは巧みにリスナーを現代と古典の間にある言い知れない陶酔感へといざなう。

 

「Second Nature」ではフレンチ・ポップやイエイエの様式を踏まえ、 序盤の音楽性の中に一つの起伏やポイントを設けている。しかし、それでも上記の2曲と同じように、クレイロの曲は懐古主義に堕することはない。ボーカルの背景にあるリズムトラックに関してはヒップホップのローファイを活かし、しなるようなグルーヴ、ミックステープのような、きわどい音質を復活させる。レコーディングとしても聞き所が満載となっているが、やはりクレイロのボーカルの音感の良さ、ソフトな質感を持つ歌のフレーズが現代的なリズムトラックに夢想的なアトモスフィアを及ぼす。クレイロのソングライティングの多くは、メインストリームとベースメントの線上を歩くかのように、絶妙なバランスを保っている。そのため耳にじんわりと馴染んでくる。

 

 

アルバムの中盤には60,70年代のポップスのリバイバルが見受けられ、個性的な印象を放つ。依然として、この作品がアナログレコードのような質感と懐かしさを重視したものであることがわかる。その中には遊び心のある音楽性が込められていて、心を絆すものがある。

 

ローズ・ピアノで可愛らしく始まる「Slow Dance」は冒頭と同じように、バロックポップの音楽性を踏まえ、モダンなポップスとして昇華させている。トラックの背景にはファンクやR&Bの跳ねるような感覚のビートを交え、グルーブ感のあるポップスを作り出す。これらはやはり、現代的なローファイやヒップホップのトラック制作と無関係ではないとおもわれる。それがメロディーの良さにリズミカルな効果を及ぼし、トラック全体に聞きやすさを与える。


続く2曲では、Lovin' Spoonfulのような音楽性を活かし、サイケのテイストを添える。「Thank You」はアーティストのロック好きの一面が伺え、それらがキラキラしたメロディーに縁取られている。もちろん、クレイロらしい夢想的な雰囲気が最大の長所になっている。レゲエでお馴染みのタムで始まる「Terrepin」は、ジャズ的なムードとクレイロの持つ夢想的な音楽が組み合わされて、遊び心溢れるポピュラーソングに昇華される。アーティストの才覚のきらめきは、フレーズのセンス抜群の転調(移調)や、シンセ・ピアノのアルペジオの配置に顕著に反映されているとおもわれる。音楽的にも楽園的な空気感をボサノヴァ風のベースラインを元に作り出している。

 

 

終盤では、再び、ヴィンテージソウルを中心とする音楽に回帰し、レコード産業の最盛期の華やかな時代の夢想的な空気感を深める。「Juna」はやはり、古典的なレゲエやソウル、ジャズを主な題材にし、ダンスミュージックのテイストを添え、『Charm』の核心ともいうべき箇所を作り出す。このアルバムのテーマは一貫して、古典的な音楽を題材にした夢想的な空気感に縁取られている。これぞまさしく、往年のモノクロ映画に内在する抽象的な雰囲気に対する憧れなのだ。


同じように、ノーザン・ソウルの代表曲ではお馴染みの疎なドラムを配した「Add Up My Love」では、ポピュラーシンガーではなく、ソウルシンガーとしての才覚を発揮している。これらの中盤の2曲は、クレイロが従来とは異なる音楽的な境地を切り開いた瞬間となるだろう。


クレイロは歌手としてだけではなく、シンセサイザー奏者としても知られているが、「Echo」ではビクトロンを彷彿とさせるレトロな質感を持つオルガンに、サイケデリックな要素を添える。しかし、ボーカルやコーラスのメロディーは柔和な空気感を漂わせ、聞き手の心を和ませるものがある。


同じように、シンセのモジュラーでドラムのビートを作り上げた「Glory Of The Snow」は、70年代の古典的なエレクトロ・ロックを踏襲し、それらをバロックポップやイエイエの音楽の系譜にある、チャームで夢見るようなオリジナルの世界を築き上げる。そして、従来のクレイロのイメージを覆し、ロックアーティストとしての姿を、その先にくっきりと浮かび上がらせる。


アウトロ「Pier 4」では従来の古典的なフォークが収録されている。アルバムの冒頭と同じように、ギルバート・オサリバンやカーペンターズといったバロックポップの形式を受け継ぎ、それらを現代的なポップソングで包み込む。それらの音楽にはビートルズのレノンのデモソングのような荒削りでインディーズ性を意識したソングライティングが含まれている。とっつきやすいだけではなく、かなりの密度があり、録音としても掘り下げる余地がありそうなアルバム。いうなれば現代のリスナーのニーズに端的に応えた良質なポップスと言えるだろうか? 

 

 

86/100

 

 

Best Track- 「Juna」

バロックポップとチェンバーポップの原点

 

The Beatles-Strawberry Fields

他のジャンルと同様に、ポピュラーミュージックの中には、数えきれないほど無数のジャンルがある。例えば、この中にチェンバーポップ、バロックポップというジャンルが存在するのを皆さんはご存知だろうか。


大まかに言えば、これらの2つの専門用語ともに古典音楽の影響を含めるポピュラー音楽を意味する。チェンバーポップ、バロックポップの原点は間違いなくビートルズにある。そう、勘が鋭い読者はお気づきのことだろう、「Strawberry Fields Forever」である。


「Strawberry Fields Forever(ストロベリー・フィールズ・フォーエバー)」は、ビートルズの楽曲である。1967年2月に「Penny Rain(ペニー・レイン)」との両A面シングルとして発売され、ビートルズのサイケデリック期における傑作。


レノン=マッカートニー名義となっているが、実質的にはジョン・レノンの作った楽曲といわれ、レノンが幼少期に救世軍の孤児院「Strawberry Fieldsr」の庭園で遊んでいた思い出をモチーフにしている。

 

1966年11月にレコーディングを開始し、スタジオで5週間に渡って異なる3つのバージョンを制作し、最終的にテンポやキー、使用される楽器の異なる2つのバージョンを繋ぎ合わせて完成した。


現代の「編集的なサウンド」、及び現代のWilcoがレコーディングで使用するような音楽のレコーディングはすべてここから始まったといえる。

 

この曲にはメロトロンやストリング、ホーンセクション、逆再生、そしてポピュラー音楽の範疇を越えたクラシック音楽の構成など、現在でもレコーディングやソングライティングの教科書とも言えるマスターピースであり、チェンバーポップやバロックポップの出発点とみても大きな違和感がない。


しかも、この音楽にはバロック音楽の要素が取り入れられている。しかし、教会のポップ、そして、バロックのポップとはいったい何を意味するのか。それを始まりから現在に至る系譜を大まかに追っていきたい。



バロック音楽



そもそも「チェンバー」は教会の意味である。これは教会で演奏されるクラシック音楽を模したポピュラー音楽を意味すると推測できる。その一方、「バロック」というジャンルも音楽の専門用語で使用され、クラシック音楽の一ジャンルをポピュラーの中に組み入れることを意味していると思われる。バロックはポルトガル語で「不整形の真珠」を意味している。バロックというジャンルは、中世の古典音楽のジャンルで、イタリアからフランス、ドイツまでヨーロッパの音楽様式として栄華をきわめた。

 

バロックは、音楽という観点で言えば、イタリアのヴィヴァルディに始まり、フランスのクープラン、ドイツのJSバッハまでの中世ヨーロッパの音楽形式を示すのが一般的と言える。音楽としては、ハープシコードを用いたり、トランペット(ピッコロ)やフレンチホルン、さらには木管楽器を弦楽曲と共に組曲の中で使用した。テンポとしては、ゆったりとしたアンダンテから、性急に駆け抜けていくプレストまで様々である。これらのバロックやチェンバーという様式の原点は、そのほとんどが宗教的なモチーフや宮廷などの委嘱作品として制作される場合が多かった。詳述するには音楽家が宮廷お抱えの演奏家や作曲家であった時代にまで遡る必要がある。


中世の音楽家は、そもそも教会組織に使える人物であり、王族や教会のためのミサ、及び、宗教的な儀式のための音楽を制作し、教会の組織から特別な「サラリー(給与)」を得ていたのである。(サラリーは、塩から派生した言葉で、仕事の定期的な報酬は「塩」という貨幣の代替品により始まった。塩が最も貴重であった時代の話である)それらのバックアップを得て、ヨーロッパの近隣諸国の演奏旅行に出かけることもあった。現在で言う''ライブツアー''の原点である。つまり、現在のプロモーターやレーベルのスポンサーの役割は、中世音楽という観点からいうと、教会の組織やコミュニティ、もしくはその背後にある国家が司っていたと見るべきだろうか。


これらの作曲家、演奏家の多くは教会専門の音楽家として生計を立てていたが、もしその契約を打ち切られると、かなり大変だった。たちどころにスポンサーを失い、みずからの音楽が演奏される機会が少なくなり、最終的にはモーツァルトのように借金をしてまで生計を立てねばならなくなる。晩年、ザルツブルグの教会内部との軋轢があってのことなのか、モーツァルトは晩年には無宗教者として墓に入ることを決意した。しかし、彼の遺作が宗教音楽のレクイエムであることはかなり皮肉にまみれている。

 

時代が変わり、楽譜(スコア)が出版されるようになると、現在でいうCD/LPの販売のような商業的な形態の初歩的な構造が出来上がっていった。当初は銅板の印字のような出版形式で、後に現在のスコアのような紙の出版へと移行していく。すると、ドイツや旧ワイマール帝国、あるいはオーストリアの作曲家は楽譜を書店などで売ることで、ようやく生計を立てられるようになった。

 

しかし、現在のようなライブツアーや物販という営業形態までは至らず、依然として教会や国家に仕える比較的経済に余裕がある場合を除いては、音楽家のほとんどはどのような時代も貧困にあえいでいたと見るべきだろう。現在のようなスターシステムは当然ながら、グッズ販売などの付加要素がないため、楽譜の売上だけではなく、ピアノ教師をやりながら生計を立てていかなければならなかった。現在でいう専門のインスティテュート、ピエール・ブーレーズが設立したIRCAMのような研究の専門機関もまだ存在しないので、それはほとんど個人的な音楽教師の範疇にとどまっていた。

 

ロベルト・シューマンと並んで世界最初の音楽評論家であるロマン・ロランによるベートーヴェンの伝記にも出てくるが、音楽室の壁に飾ってある大作曲家の半数は、中世においては社会的な地位に恵まれることは少なかった。フランスでは、だいたいのところ国立音楽院で学んだ後、教授職に就いたり、ガブリエル・フォーレのように学長に歴任するというケースはきわめて稀だった。これは彼が出世コースを歩み、アカデミズムの世界の人物であったからである。

 

音楽家が独立した職業として認められ、一般的に生計を立てられるようになったのは、少なくとも19世紀の終わりか、もしくは20世紀のはじめと推測される。後にはマーラー、ブーレーズ、ストラヴィンスキーなど、指揮者と作曲家を兼任し活動を行う人々も出てくる。この時代からようやく音楽家の地位も一般的な水準より高まり、つまり文化人として認識されるようになる。

 


 

ジャズとポピュラーの融合 大衆のための音楽

 

Mourice Ravel & George Gershwin USTour

こういった流れを受け継いで、近代文明の中にクラシックとともに''ジャズ''という音楽が台頭した。ニューオリンズの黒人の音楽家を中心とするブラック・ミュージックの一貫にあるコミュニティとは別に、クラシックの系譜に属するジャズが出てくる。ニューヨークでジャズが盛んになった経緯として、ジョージ・ガーシュウィンの大きな功績を度外視することは難しいだろう。

 

ジョージ・ガーシュウィンはオーケストラとジャズを結びつけ、フランク・シナトラと合わせて米国のポピュラー音楽の最初の流れを形作った人物といえるかもしれない。


そして、バロックポップやチェンバーポップの中には、クラシック音楽と合わせて、古典的なジャズの要素が入る場合があることを忘れてはいけない。これは、以降のMargo Guryanというソングライターに受け継がれ、現代的な米国のポピュラー・ミュージックの一部を形成していると見るのが妥当である。

 

もう一つ、ポピュラー・ミュージックの文脈の中に組み込まれるバロックやチェンバーという様式の中に、別のルーツがヨーロッパのクラシックに存在する。それがフランスの著名な近代の作曲家であり、クロード・ドビュッシー、モーリス・ラヴェル。特にラヴェルに関しては、『ボレロ』などミニマル・ミュージックの元祖を制作しているし、アメリカへのツアー旅行の過程でガーシュウィンと交流を持った。彼は音楽にスタイリッシュさをもたらした作曲家である。


また、フランスのサロン文化やジャポニズム、また絵画芸術が発祥の印象派の作曲家、クロード・ドビュッシーは同じように古典音楽という形式の中に洗練されたスタイリッシュさをもたらした人物だ。彼はロシアからアメリカに亡命したイゴール・ストラヴィンスキーと交友関係にあった。これらのエピソードはアメリカのポピュラー音楽がフランスの近代音楽やロシアの古典音楽からの影響を元に原初的なポピュラーという形態を作り上げていったことを証立てている。


そして、上記二人の作曲家に強い触発を与えたパリ音楽院を十数年かけて卒業した作曲家、エリック・サティの存在も重要となるだろう。


元々は、サロン文化華やかし時代の花の都パリで、フレドリック・ショパンをサロンのような場所でカバーを演奏していたが、ドビュッシーが彼の音楽を取り上げはじめたおかげで彼の名は歴史に埋もれずに済んだ。サティはのちのハロルド・バッドのような現代的なミュージシャンに影響を及ぼし、オーケストラ音楽やピアノ曲をポピュラーとして編曲した。


和音法の革新性という側面でもエリック・サティは度外視することができず、フォーレのアカデミズム一派と並んで、フランスの近代和声の一部を形成していることは事実である。''その場のムードを重んじる''という意味で、環境音楽やアンビエントのルーツでもある。そしてそれは以降のコクトー・ツインズのように、絵画や建築、服飾などの他分野を発祥とする美学やイデアを元に構成される音楽の一派に直結する。いわばサティは、クラシックという領域でポピュラー(大衆のための音楽)というテーマを最初に意識づけた作曲家である。それ以前から、クラシックとポピュラーのクロスオーバーは、歌曲や大衆向けのオペラでも頻繁に行われていたのは事実だが、この時、古典音楽の意義が変わり、一部の共同体のためのものから大衆の音楽へと移行した。

 

 

ロックやポップスのレコーディングの中で組み込まれるオーケストラ楽器

 


音楽が「大衆のための娯楽」として確立されたのち、ミュージック・スターが誕生するのは当然の成り行きだったのかもしれない。1950年代に入ると、レコード会社が米国各地に乱立するようになり、音楽産業が確立されると、ヒーローが数多く登場するようになった。チャック・ベリーやリトル・リチャード、エルヴィスを中心とするロックンロール、これは明らかにブルースやゴスペルをはじめとするブラックミュージックを出発点として発展していった。


その一方、ポピュラー・ミュージック全般は、明らかに以前の時代のクラシックやジャズ、それからミュージカルやオペラのような形態を元に発展していった。イギリスでは、アイルランドやスコットランドのデーン人のフォーク音楽、そして米国ではゴスペルやアパラチア発祥のニューイングランドを意味するフォークミュージックを吸収し、教会音楽の格式高さを受け継いだものから、それとは別の完全なショービジネスとして君臨するものまでかなり広汎に及んだ。

 

しかし、少なくとも、現在のような商業的な音楽の流れを決定づけたのはやはりビートルズである。そしてチェンバーポップやバロックポップというジャンルもまたリバプールのバンドから出発したと考えるのが妥当だろう。今回、クラシック音楽をポピュラー・ソングに取り入れた最初の成功例として注目したいのが、ザ・ビートルズの名曲「Strawberry Fields Forever」である。


この曲は『Rubber Soul』時代のサイケデリック文化からの影響をうかがわせつつも、チェンバーポップとバロックボップの最初の出発点だ。ビートルズの中期の曲ではお馴染みのメロトロンの使用という要素は、現在のリスナーから見ると、ノスタルジックな印象をおぼえるはずである。

 


 

これは同時期に、サイケデリック・ムーブメントやフラワー・ムーブメントの一貫として登場したザ・ローリンズ・ストーンズの『Their Satanic Majesties Request』の収録曲「In Another Land」にもチェンバロ(ハープシコード)というオーケストラ楽器が登場する。これらの2曲が一般的な意味でのバロックポップ/チェンバーポップの出発点と見るのが妥当であるといえるかもしれない。


またこの要素はジョージ・ハリソンやレノンがインドでシタールなどの民族楽器を学んだこともあり、チェンバー・ポップの文脈にくみこまれたり、さらに独立した音楽ジャンルとしてエスニックのロック/ポップという、以後のニューエイジ系の先駆けとなったことは想像に難くない。

 

 

そして、バンドのレコーディングという側面では、ビートルズがオーケストラ音楽の要素をポピュラーの中に組み込み、それらをリスナーの期待に応えるような形式に仕上げたことは明らかである。他方、ローリング・ストーンズは、これらをサイケデリックやミュージカル、もしくは映像的な音楽効果と結びつけ、ビートルズとは異なる音楽の新しい様式を作り上げることになった。


これは続く、80年代から90年代のブリット・ポップに直結している。ブリット・ポップの正体とは、「バロック・ポップ/チェンバー・ポップの継承」である。それらを前の年代のニューウェイブやポストパンク、ロンドンやマンチェスターのダンスミュージック、及び、エレクトロニックと結びつけるという意義があった。ブリット・ポップのレコーディングにオーケストラのストリングが必須であるのは、こういった理由によるのかもしれない。そして、商業的なロックソングという観点でも、オーケストラのストリングやエレクトロニックの要素が複合的に取り入れられると、それがブリット・ポップとなり、その影響下にあるポスト世代の音楽となる。

 

 

 

 

もう一つの系譜 女性シンガーソングライターを中心とするチェンバーポップの発展


Murgo Garyan

 

ビートルズやストーンズのバンドという形態で築き上げられるバロックポップとチェンバーポップは以降のブリットポップに直結した。そして、もう一つの系譜として女性シンガーソングライターを中心とするチェンバーポップが台頭する。それらの音楽は独特のふんわりした音楽性が特徴となっている。

 

例えば、その原点として、元々はクラシックやピアノの演奏に親しんだMargo Guryanがいる。女性シンガーとしては傑出していたが、寡作のシンガーソングライターであったこと、所属レーベルとの関係の悪化、さらに家庭の人生を重んじたため、生涯の作品こそ少ないが、ポピュラー音楽の中にクラシック音楽やジャズを本格的に組み入れようとした最初のシンガー/作曲家である。

 

米国では著名な女性のシンガーソングライターがレコード会社やプロデューサーと協力し、チェンバロやメロトロン、そしてオーケストラ楽器を曲の中に導入し、シンガーソングライターとしてのチェンバーポップ、バロックポップの様式を作り上げていった。

 

このジャンルが盛んだったのは何もアメリカのニューヨークだけにとどまらない。もう一つの文化の重要な発信地であるフランスでは、イエイエが盛んになり、パリの音楽シーンは映画やファッションと連動するようにして、ジェーン・バーキンやシルヴィ・バルタンを筆頭とするフランス版のチェンバーポップの象徴的なシンガーを輩出する。イエイエの系譜にありながらボーカルアートの領域まで表現形態の裾野を広げて、アートポップやスポークンワードの先駆的な存在として活躍したシンガーソングライター、Brigitte Fontaineも忘れてはいけないだろう。

 


現代のチェンバーポップ/バロックポップの音楽がおしゃれでスタイリッシュな印象があるのは、60年代頃のフレンチ・ポップ、つまりイエイエからの影響が大きい。シルヴィ・バルタンやジェーン・バーキン、これらのシンガーはそのほとんどがモードファッションに身を包み、ファッションリーダーとしても活躍した。現在のアートポップやバロックポップの歌手がファッションに関して無頓着ではなく、新しい文化性を感じさせるのはパリ文化からの影響がある。

 

 

 

 

現在のバロックポップ、チェンバーポップ 無数に細分化する先に見えるもの

 

Melody's Echoes Chamber

もう一つ、現代的なサブジャンルとしてドリーム・ポップというジャンルがある。Cocteau Twins(コクトー・ツインズ)、Pale Saints(ペール・セインツ)などを中心とする4ADが得意とする音楽である。これらはよく知られているように、上記のバロックポップやチェンバーポップをニューウェイブやソフィスティポップというレンズを通して再度見つめ直したものである。

 

音楽的な特徴としては、甘いメロディーや、柔らかい感覚のボーカル、ソフィスティポップの系譜にあるうっとりとさせるような雰囲気がある。これらもMargo Guryanやイエイエの系譜にあるものを英国らしい音楽として昇華させたということができるかもしれない。さらに言えば、これらのジャンルの原点である建築様式のゴシックという要素でやや暗鬱な音楽で包み込んだ。

 

これらは現在のアートポップの原点となったにとどまらず、80年代のグラスゴーのギターポップ/ネオ・アコースティック、そして80年代のロンドンやマンチェスターのダンスミュージック/クラブミュージックと組み合わされて、90年代のシューゲイズやエレクトロポップ、それ以後の2000年代のオルタナティヴロックの流れを形づくることになった。(これは後に日本の渋谷系[shibuya-kei]というジャンルに直結している。詳しくはコーネリアスやカヒミカリィの音楽を参照)


現在のバロックポップやチェンバーポップというのは、以前よりもさらに細分化されつつあり、他のジャンルの音楽と同じく、他文化からの干渉をまぬがれない。音楽自体も懐古的なものから、現代の需要に応えるようなスタイリッシュなポップソングに変遷しつつある。最近の事例ではアークティック・モンキーズの『The Car』、あるいはピーター・ガブリエルの最新作『i/o』という例外はあるにせよ、このジャンルは、男性中心のロックバンド、及び、ソロシンガーから女性シンガーソングライターの手に移りつつあるようだ。


ウェールズのCate Le  Bon、フランスのMelody"s Echoes Chamber、アメリカのKate Bollingerが現代版のバロックポップ、チェンバーポップの筆頭格だ。


これらはオルタナティヴの系譜にあるドリームポップやシューゲイズ、クラブミュージックにも部分的に取り入れられる場合がある。また、これらの音楽は全般的にエクスペリメンタルメンタルポップ、つまり、実験的なポピュラー・ミュージックと称されることもある。


以降、チェンバーポップには、把握しきれないほど多種多様なスタイルが登場している。例えばサンフランシスコや西海岸のサイケデリックを吸収したり、ヒップホップのローファイサンプリング、ブレイクビーツからの影響を交え、より洗練された未来志向の音楽に変化しつつある。ラップトップの一般的な普及により台頭したベッドルームポップという新世代の録音の象徴的な音楽と融合し、Clairo(クレイロ)のような現代的な音楽に変わることもある。それとは対象的に、全般的なオルタナティヴロックという文脈に部分的に取り入れられる場合もある。


最近のレコーディングでは、ポピュラー音楽にオーケストラを導入することは日常的となりつつあり、さまざまな形が混在し、そしてまだ完成されていないジャンルでもある。


もしかすると、現在最も注目すべきジャンルの一つが、バロックポップ、チェンバーポップなのかもしれない。



Weekly Music Feature-Kassandra Jenkins  ~Life and the music behind it~


冗談で言うのではなく、『My Light, My Destroyer』の世界は夜空そのもののように広がっている。聞けば聞くほど深さを増していく正真正銘のポピュラーアルバムがDead Oceansから登場する。


カサンドラ・ジェンキンスの3作目となるフルアルバムは、ギター主体のインディー・ロック、ニューエイジ、ソフィスティポップ(AOR)、ジャズなど、これまで以上に幅広いサウンドパレットを駆使し、新たな境地に到達することを約束する。その中心にあるのは、彼女の宇宙を構成するクオークやクェーサーに対するジェンキンスの好奇心であり、彼女はフィールド・レコーディングと、とらえどころのない、ユーモラスで、破滅的で、告白的な詩的リリシズムを融合させている。


ジェンキンスは『My Light, My Destroyer』を、ここまでの道のりに困難がなかったわけではないという単純な真実を裏切る、安易な自信で満たしている。2021年にブレイクした『An Overview on Phenomenal Nature』を "意図した白鳥の歌 "と呼ぶ彼女は、ツアーや自身の音楽をリリースすることになれば、それをやめる覚悟はできていたと説明する。


「その時私は、自分が知っていること、つまり迷いを感じていることにチャンネルを合わせていた」とジェンキンスは振り返る。


「そのレコードが発売され、私が書いたものに人々が反応し始めたとき、辞めようと思っていた私の計画は、予想外の、心温まる、寛大な方法で頓挫した。準備ができていようといまいと、私は元気を取り戻した」


『An Overview』の2年間のツアーを終えてすぐに、ジェンキンスは次の作品のレコーディングに取りかかった。


「私は燃え尽きて枯渇しているところから来ていて、セッションの後の数ヶ月は、作ったばかりのレコードが好きではないことを受け入れるのに苦労した。だからやり直すことにした」と彼女は告白している。

 

彼女の最も親しい音楽仲間たちが再び集まり、プロデューサー、エンジニア、ミキサーのアンドリュー・ラッピン(L'Rain、Slauson Malone 1)がボードの後ろにいたため、ジェンキンズは以前のセッションを脇に置き、その灰から『My Light, My Destroyer』を作り始めた」


「初日にコントロール・ルームで聴き返したとき、レコード棚のスペースが開き始めたのがわかった。その火花がアルバムの残りの部分の青写真になり、その完成は新たな勢いに後押しされた」



『My Light, My Destroyer』が1年かけて制作されたとしても、この13曲の中にはジェンキンスのノートブックの中で何年も潜伏していたものもある。例えば、「Delphinium Blue」の洞窟のようなニューエイジ・ポップの種は、2018年までさかのぼる。


トム・ペティの欺瞞的なまでに爽やかなフォーク・ロックの古典主義、アニー・レノックスやニール・ヤングのようなソングライターの作品、彼女の "高校時代のCD財布"(レディオヘッドのザ・ベンズ、ブリーダーズ、PJハーヴェイ、ペイヴメント)、デヴィッド・ボウイの最後のジェスチャー『ブラック・スター』、そしてアン・カーソン、マギー・ネルソン、レベッカ・ソルニットのような作家、そして故デヴィッド・バーマンの常に存在する作品から影響を受けた歌詞など。


しかし、何よりも、そしてこれまでと同様に、ジェンキンスは彼女の周りの世界のおしゃべりの刺激からインスピレーションを得ている。


「世の中に出て、いろいろなことが混ざり合っているときが、一番エネルギーが湧いてくるの」と彼女は言う。


「ニューヨークに帰ってきて、親しい友人やコミュニティと一緒に地下鉄に乗ったり、ライブに行ったりしていると、人がたくさんいる部屋に流れる電気を感じたくなる。ニューヨークは果てしなく刺激的で、私はとても感受性が豊かなんだ」


フィールド・レコーディング、ファウンド・サウンド、そして電車の音や客室乗務員の声などの付帯音を巧みに織り交ぜ、彼女は聴く者を引き込む。フィクションよりも奇妙な瞬間に注目させる。


この没入感に彼女と一緒に貢献したのは、モダン・インディー・ロックの枠を超えた友人達である。『My Light, My Destroyer』は、前作のような孤独な作品というよりは、グループとしての作品である。


PalehoundのEl Kempner、HandHabitsのMeg Duffy、Isaac Eiger(元Strange Ranger)、Katie Von Schleicher、Zoë Brecher(Hushpuppy)、Daniel McDowell(Amen Dunes)、プロデューサー兼楽器奏者のJoshKaufman(JenkinsのAn Overview)、また、ジェンキンスの友人である映画監督/俳優/ジャーナリストのヘイリー・ベントン・ゲイツは、ジェンキンスが『An Overview』の「Hailey」に続くタイトルを思いつかなかったとき、半ば冗談でアルバムの瞑想的なコーダ「Hailey」のタイトルを提案した。



タイトルである「光」と「破壊」という概念は、一見、観念的に相反するもののように思えるかもしれないが、『マイ・ライト、マイ・デストロイヤー』は、まさに循環する二元性のテーマに取り憑かれている。

 

時間的には、このレコードは夜明けに始まり夜明けに終わる。「Petco」では、ジェンキンスの "大家ピンク "の壁が陥没しそうになる中、彼女は窓越しに "不潔で真実の愛に包まれた2羽の鳩 "を見つめる。


「Aurora, IL」は、鏡のような視点という点で、より遠くにズームアウトしている。この曲は、ジェンキンスが空を見上げるところから始まり、"快楽旅行中の宇宙最年長の男 "と入れ替わる。ウィリアム・シャトナー(カーク船長)自身を指している。

 

ホテルの部屋に置き去りにされたジェンキンスは、「私は空回りしていて、あのキャラクターを利用することで、地上に戻ってくるために、彼が持っているもの、つまり『オーバービュー効果』を少し摂取することができた」と説明する。


しかし、このようなワイドスクリーンの驚異の中にあっても、苦難という地上の懸念は残っている。伝説のポップ・グループ、ブルー・ナイルのシティ・ストリートのテクスチャーを彷彿とさせるみずみずしい「Only One」では、ジェンキンスがシジフォス自身、あるいは少なくとも、永遠に重荷を背負わされる神話の人物の棒人間の絵と対面している。


「グラウンドホッグ・デイ(聖濁節)のようなもので、何度も同じ状況に置かれ、そのループから抜け出す方法がわからない」


 「マッサージ店の窓ガラスの向こうで」(ジェンキンスがヒーリングの方法を調べることに興味を持っていることへのウィンク)シジフォスと路上で出会った彼女は、神話上の人物にこう尋ねる。


この歌詞についてジェンキンスは、これは「失恋と、失恋の世界観-自分以外のものを見ることができないこと、永続性の幻想に浸る必要性-をからかう」方法だと説明している。

 

この歌は彼女自身の問いかけに答えることはないが、ジェンキンズはこう続ける。「窓に掲げられたあの看板を見たずっと後、シジフォスは、たとえ燃えているときでも、私たちにはいつも周りの世界に美しさを見る選択肢があることを思い出させてくれました」




『My Light, My Destroyer』- Dead Oceans  

 

このサイトを始める前に、個人的に注目していたのが、オーストラリアのHiatus Kaiyoteと、ニューヨークのKassandra Jenkinsだった。こういった音楽メディアを開始するときによくあることとして、どういうふうに紹介すれば良いのか考えあぐねていた。適当な紹介をするくらいなら何もしないほうがましなのではないかというように。

 

結局、ほとんど連続して上記のリリースが続いたのは何かしら驚異と感慨深さすら感じられる。先行シングルは、それほど派手な印象ではなかったものの、Dead Oceansに移籍して第一作となるカサンドラ・ジェンキンスのアルバムは正真正銘の録音作品で、単なる曲の寄せ集めではない。これらの13曲はアーカイブでもなければ、ディスコグラフィーでもなく、はたまたアンソロジーでもない。


ジェンキンスは、制作期間は一年であるとしても、アルバムをおよそ6年の月日を掛けて完成させたのだったが、結局のところ、手間暇掛けて制作された作品というのは、何らかの形で心に響いてくるし、即時性という一般的な言葉では言い表すことの出来ない音楽の醍醐味が内在する。これは何によるものなのか? それは制作の背景に流れる時間の濃密さにあるのかも知れない。

 

例えば、リョサ、マルケスと並んで、南米で最重要視される文学者、短編小説の名手でもあるフリオ・コルタサルは、ある著作の中で、架空のジャズプレイヤーを題材に選び、「音楽の中に異なる時間が流れているのではないか」と暗に指摘したことがあった。これは、シュールレアリズムの観点からリアリズムを鋭く抉った文学であり、つまり、コルタサルは「音楽の演奏家や制作の背後に表現者の人生が反映されているのでは」というジャーナリスティックな指摘を文学で行った。これをプルーストやジョイス的な効果を交えて、コルタサルは描いたのだった。

 

カサンドラ・ジェンキンスの新作アルバムも同じく、濃密なポピュラーミュージックの世界が広がり、プルースト的な効果が付与されている。


ジェンキンスは、このアルバムにおいてニューヨークを起点に「音楽」という得難い概念を探訪しているが、Farter John Misty(ジョシュア・ティルマン)の最新作と同じように、米国の歴史の根幹を形成する一世紀の音楽が通底している。ブロードウェイのミュージカル、ジャズ、カーペンターズのような古典的なバロックポップ、ヤングのフォーク、ノーザンソウルを中心とするR&B、さらには、ニューヨークのベースメントのプロトパンクを形成するThe Velvet Underground、ルー・リードの音楽、80年代のソフィスティ・ポップ、現代のスポークンワード、アンビエントをベースとするニューエイジ、ローファイまでを隈なくポップネスに取り込む。

 

ジェンキンスは、音楽のフィールドを気楽な感じでぶらりと歩きはじめたかと思うと、それらの流れを横目で見やるように、ハートウォーミングな歌をやさしげに、さらりとうたいあげる。それらの背景となるおよそ一世紀に及ぶ音楽を出発点とし、現代のモダンポップへと近づいたり、あるいは、遠ざかったりする。音楽的な遠慮はほとんどない。そこにはポップシンガーではありながら、90年代や00年代のオルタナティヴ・ロックに対する親和性も示唆される。

 

 

「Devotion」- Best Track

 

 

 

『My Light, My Destroyer』が何より素晴らしいのは、ミュージシャンの人生の流れが色濃く反映されていること。次いで、平均的な録音の水準を難なくクリアしているのみならず、良質なポップ、ロックを惜しみなくリスナーに提供していることである。もちろん、ジャンルを防御壁にすることなく、普遍的なメロディーを探求し、琴線に触れる音楽を把握し、プロフェッショナルなレコーディングとして完成させていることである。さらに、長所を挙げると、アルバムの13曲を聞き終えた時、また、もう一度聞き直したいという欲求を抱くかもしれない。音楽に対する欲求……、それはアルバムの持つ独自の世界に再び触れてみたいという思いでもある。

 

ジェンキンスは、ブロードウェイの通りを歩き出すように、フォークギターを背景に、カレン・カーペンターズの歌唱法を彷彿とさせる「1- Devotion」を歌い始める。ニューヨークらしい音楽的な手法が織り交ぜられ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの最初のアルバムのオープナー「Sunday Morning」で使用されたグロッケンシュピールのようなアレンジを取り入れ、良質なポップソングをハワイアン風のギターが取り巻く。さらに楽園的な雰囲気は、芳醇なホーンセクションにより高められて、完璧な瞬間を迎える。ジェンキンスは日の出の美しさをさらりと歌いながら音楽による小さく大きな「夢」を作り上げていく。

 

歌手は、たとえ、その背後に人生のほろ苦さがあるとしても、そのことを受け入れる懐深さを持っている。どのような人生もそうであるように、良い側面だけではなく、悪い側面を受け入れる勇気をシンガーは持っている。だから、ジェンキンスの歌声は円熟した精神性を感じさせる。ようするに、表現すべきものであったり、聞き手の感情へ訴えかける何かを持ち合わせているのだ。

 

 

「2- Clams Casino」は、ルー・リードの”Walk On The Wild Side"、あるいは「Pretty Woman」の主題歌を彷彿とさせるナンバーで、ジェンキンスは、ポピュラーシンガーの背後にあるロックシンガーとしての表情を伺わせる。


オープニングと同様にボーカルの叙情的で淡麗なメロディーを披露し、インディーロック風の親しみやすいギターが絡み、クランチな印象を持つギターソロも取り入れられ、聴き応えのあるオルタナティヴロックに昇華される。90年代の米国のオルトロックの音楽性を踏まえた上で、それらを聞きやすく艶気のあるポピュラーソングに落とし込むという点では、シャロン・ヴァン・エッテン/エンジェル・オルセンの系譜にあるトラックと言える。背後のギターロックに合わせて歌われるジェンキンスのボーカルは、感情的なゆらめきとウェイブの変化をもたらしている。

 

「3- Delphinium Blue」はソフィスティ・ポップ(AOR)の系譜にあるナンバーで、TOTO、Don Henleyの影響を元にし、それを現代的なエクスペリメンタル・ポップの形に組み替えている。ただ、実験的なポップとは言えども、構成は至ってシンプル、無駄な脚色が削ぎ落とされている。背景にはニューエイジ風のコーラスやシタールを彷彿とさせるシンセを取り入れ、部分的にスポークンワードを取り入れ、現行のポピュラーシーンに新たな表現性をもたらそうとしている。


ボーカル/スポークンワードの融合というスタイルは、ニューヨークのMaggie Rogers、ないしはTorresが先んじていることとはいえ、''新しいポピュラーミュージックの到来''を予感させる。そして、これらの多角的な要素は、情報過多にもならず、一つの枠組みの中に収まっている。つまり、良質なポピュラーソングの要素をしっかり兼ね備えているのである。


アルバムには幾つかのインタリュードが設けられ、それが言葉の持つ表現をマイルドにしている。言葉があまりにも過剰になると、音楽が過激になりすぎたり、飽和状態に至る場合がある。そういう時に必要となるのが、インストゥルメンタルやインタリュード、もしくは主張性を排した控えめな言葉、沈黙の瞬間で、音楽の印象を抽象化したり、弱めたり和らげる効果がある。これはアルバムの音楽の世界に奥行きを与えたり、広げたい時にも役立つかもしれない。

 

「4- Shatners Theme」では、エンリオ・モリコーネ風の口笛(Molly Lewisを思わせる)と虫の声のサンプリングを取り入れ、映像的な効果を及ぼし、言葉のシリアスさから開放する力を込める。それが次のボーカルトラックに繋がり、ジェンキンスのボーカルが耳に飛び込んでくる瞬間、対象的に強固なイメージを及ぼす。その印象的な効果が最大限に強められたところで、「5-Aurora IL」が続いている。イリノイの空にかかるオーロラを題材に選び、空想的な物語を描くこの曲では、神秘的な感覚と夢想的な感覚が綯い交ぜとなり、美しく陶然としたメロディーを描き出す。さらに曲の後半でギターソロが入ると、インディーロック風の言い知れない熱狂性を帯びてくる。これはおそらくキム・ディールのブリーダーズからの影響が色濃いのかもしれない。

 

続く「6- Betelgeuse」は、ブライアン・イーノとの共同制作で知られるハロルド・バッドのモダンクラシカルの影響を踏襲し、シネマティックな音楽効果で縁取っている。4曲目と同じように、ピアノのアルペジオ(分散和音)を中心に、スポークンワード、金管楽器のサンプリングを交え、ジャズ風の音楽に昇華させる。これらはアーティストのニューヨークの暮らしからもたらされる感覚だったり、日常的な会話からもたらされる空気感のようなものが反映されている。

 

日本語をタイトルに選んだ「7- Omakase(おまかせ)」では、モダンなインディーポップを楽しむことができる。しかし、マギー・ロジャースやトーレスのような現代的なニューヨークのポップスシンガーと同様に、ジャズ/クラシック風のアレンジを取り入れた涼やかなポピュラーソングの中で、ボーカルとスポークンワードを織り交ぜつつ、多彩なボーカル表現を探っている。現代のポピュラーシンガーは、歌だけではなく、スポークンワード(語り)を披露するのが主流となりつつある。いずれにせよ、この曲では前衛的な手法も取り入れられていて、聞きやすくて、良質なメロディーに焦点が絞られている。これはアルバムの全体に通底するテーマでもある。

 

 

わずか18秒のインタリュード「8- Music?」を挟んだ後、再び「9-Petco」でインディーロック/オルトロックのアプローチに回帰する。この曲は、Waxahatchee、Soccer Mommyのソングライティングを思わせるが、ジェンキンスは、それらを自らの独自のカラーで上手く染め上げている。取り立てて、上記のシンガーと大きく変わらないような曲のように思えるが、ときにオルタナティヴの巧みな旋律を描くギターや、夢想的なジェンキンスのボーカルが最初期のSnail Mailのようなローファイな感覚のある絶妙なインディーロックソングのハイライトを作り出す。つまり、論理的には言い表しづらいが、良い感じのウェイブを作り上げている。日常のありふれた感情を捉え、バンガー風のロックソングに仕上げたのは、バックバンドの貢献や彼女が親交を持つミュージシャンとの交流やアドヴァイス、そして会話からもたらされたものなのかもしれない。少なくとも、今年の米国のオルトロックソングの中では傑出した印象を受ける。

 

 

「Petco」- Best Track

 

 

 

アルバムのいくつかの収録曲では、ニューヨークだけではなく、西海岸や中西部の文化を反映させた音楽をアルバムの中で体現させているが、ジェンキンスはアメリカの人物であるにとどまらず、コスモポリタニズムを反映させ、音楽による旅程の範囲をヨーロッパまで広げることがある。

 

「10- Attente Telephonique」ではフレンチ・ポップの影響を織り交ぜ、モダンなエクスペリメンタルポップへと昇華させている。音楽の映像的な効果という側面は、セルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンが最初にもたらしたもの。映画文化が最も華やりし20世紀のパリの街角の気風を反映させた音響効果は、最も現代的でスタイリッシュなポップスという形に繋がっている。


従来、ケイト・ル・ボンの系譜に位置づけられる実験的なポップスを制作し、その内奥を探求してきたジェンキンスであるが、一度複雑化したものを徹底的に簡素化する過程を、おそらくアルバムの制作で経ているに違いない。「Attente Telephonique」では、一度大掛かりになりすぎたものを小さくしたり縮小するというプロセスが反映されている。


しかし、興味深いことに、簡素化というのは、複雑化した後でなければ、到達しえない地点である。 すくなくとも、この曲では、フランス語のスポークンワードのサンプリングを織り交ぜ、ヨーロッパのテイストを漂わせる。なぜかはわからないが、これらの実験的な試みは、意外に他のボーカル曲と上手い具合に合致しており、アルバムの流れを阻害しないのである。驚くべきことに、ジェンキンスは、ニューヨークにいたかと思えば、次の瞬間にはパリにいる。ありえないことであるが、そういったプルーストやジョイス的な移動を音楽により体現させている。

 

 

アーティストが”VOGUE”に憧れているかどうかはわからない。ジェンキンスはファッション誌の表紙を飾ることを期待しているのだろうか。しかしアルバムの最後を聴くと、さもありなんといった感じだ。アルバムの最後は、ファッショナブルな印象を与えるポピュラーソングが続いている。

 

「11- Tape and Tissue」は、ウッドベースの演奏を取り入れて、ジャズポップを現代的な形に置き換えている。古典的な音楽の手法を踏まえようとも、音楽そのものがなぜか古臭くならない。それはアーティストがニューヨークの現代的な暮らしに順応しているからなのかもしれない。

 

また、音楽的にも、エクスペリメンタルポップの要素が取り入れられているが、その後すぐに古典的なポピュラーミュージックに回帰する。柔軟性があり、枠組みやジャンルを決めず、曲の中で臨機応変にふさわしい歌い方や音楽を選んでいる。このことが開放的な印象を及ぼす。聞いていて、緊張した感じとか、差し迫ったものはほとんどなく、安らぎすら覚えるのはふしぎである。


たぶん、これも先に言ったように、良いことも悪いことも引っくるめて受け入れるような、物事や出来事に対して少し距離を置いているような感じを覚える。これが歌にも説得力を付与する。ジェンキンスは自分自身の最良の側面だけではなく、それとは対象的に、着崩したようなルーズな弱点を示す。それが聞き手に親近感を与え、音楽そのものにもリアリティを及ぼすのだろう。

 

アルバムの三曲目に登場したソフィスティ・ポップ(AOR)は、続く「12- Only One」にも再登場する。この曲は、アルバムの中では唯一、R&Bの影響がわずかに感じられ、清涼感があり聞きやすい2020年代らしいポピュラーソングに昇華されている。ダンサンブルな側面はもちろんのこと、ソフィスティ・ポップの次世代の象徴であるThe 1975、Japanese Houseの系譜にあるポップソングは、あまり音楽に詳しくないリスナーにもカタルシスをもたらす可能性が高い。


この曲において、カサンドラ・ジェンキンスは、ロンドンのレーベル、Dirty Hitの代名詞ともいえる清涼感のあるポップスの文脈を、アメリカに最初に持ち込んだと言える。しかし、この曲はやはり「複雑化を経た後の簡素化」というジェンキンスの独自の音楽的な解釈が付け加えられている。そして、それは最初からシンプルであったものよりも深みを持ち合わせているのである。

 

最後の曲「13- Hayley」では、オーケストラストリングのアコースティックの演奏を交え、気品に満ちあふれた感覚をもって終了する。チェロの奥行きのあるレガートを中心とする演奏は、 高い旋律を描きながら、クライマックスで精妙でクリアな感覚を作り上げる。チェロにバイオリン/ヴィオラの演奏が組み合わされて、美麗なハーモニクスを描き、アルバムはあっけなく終わる。


"後腐れなく、シンプルに"というジェンキンスの生き方が『My Light, My Destroyer』には力強く反映されている気がする。そして、それは、アーティスト自身の他者には持ち得ない独自の流儀--スタイル--を意味する。こういった恬淡なアルバムの終わり方は、すごく爽やかな印象を残す。

 

 

 

95/100

 

 

「Tape and Tissue」 -  Best Track

 

 

 

*Kassandra Jenkins(カサンドラ・ジェンキンス)による新作アルバム『My Light, My Destroyer Destroyer』はDead Oceansから本日(7月12日)発売。


各種ストリーミングの視聴や商品のご購入はこちら(国内ではTower Records、HMV、Disc Union、Ultra Shibuyaなど) 又は全国のレコードショップの実店舗にてよろしくお願い申し上げます。


Michael Kinuwaka(マイケル・キワヌーカ)が新曲「Floating Parade」を発表した。このイギリス人ソングライターは、デンジャー・マウスと頻繁にコラボレートしているインフロと共にこの曲を制作した。以下よりご視聴ください。


「Floating Parade」は、2021年にNetflixのドキュメンタリー映画『Convergence』のために「Beautiful Life」をリリースして以来、キワヌカにとって初めての新曲となる。「Courage in a Crisis」である。マーキュリー賞を受賞した3枚目のアルバム『KIWANUKA』は2019年に到着した。



バーティーズ・ストレンジがニューシングル「Lie 95」をリリースした。ストレンジとノッチャールズの共同プロデュースで、コラボレーターとしてお馴染みのグラハム・リッチマンがプロデュースを担当、ケイシー・ヒルとシャーリーン・ギブスがヴォーカルをとっている。VAM STUDIOのヴィンセント・マーテルとジョーダン・フェルプスが監督したビデオは以下から。


「この曲は、北東部の回廊(I-95)、つまり私の宇宙で愛を探すことについて歌っている」とストレンジはプレスリリースで語っている。

 

「パートナー、友人、コミュニティなど、広い意味での "愛 "を考えている。この曲はハイウェイに捧げる......そしてハイウェイで出会うすべての人たちに捧げるんだ」


ストレンジは2022年6月に2ndアルバム『Farm to Table』をリリースした。最近では、アップルTVの『The New Look』とA24の『I Saw the TV Glow』の豪華なサウンドトラックに参加している。

 


「Lie 95」

©Abiella Aband


ロンドンのシンガーソングライター、ロージー・ロウ(Rosie Lowe)はニューアルバム『Lover, Other』を発表した。この発表に伴い、シンガー・ソングライターのロージー・ロウは新曲「In My Head」を公開した。アルバムのジャケットとトラックリストは以下の通り。


『In My Head』は、人生の変化を感じ、考えすぎず、ただそれに身を委ねることを学ぼうとしている曲です」とロウはプレスリリースで説明している。「この曲は、心の奥底にある場所を深く掘り下げることについて歌っている」


ルイス・ヘミング=ロウは、ビジュアルについてこう付け加えた。「このことを念頭に置いて、ノスタルジアの感覚が伝わってきました。手描きのアニメーションと夢のシークエンスが象徴的につながるような、抽象的でファンタジーな感じを目指しました。懐かしさ、振り返り、前向き、時間と繰り返し、エピソードや記憶の追体験、始まりと終わり、生と死。夢から覚め、その意味を読み解こうとするように、見る人にそれらを理解してもらいたかったのです」

 

Rosie Loweによる『Lover, Other』は8月16日にブルー・フラワーズ/PIASからリリースされる。

 

 「In My Head」

 

 

 

Rosie Lowe  『Lover, Other』


Label: Blue Flowers/PIAS

Release: 2024年8月16日


Tracklist:


1. Sundown

2. Mood To Make Love

3. In My Head

4. Bezerk

5. There Goes The Light

6. Walk In The Park

7. Something

8. Don’t Go

9. In The Morning

10. Out Of You

11. Gratitudes

12. This Before

13. Lay Me

14. Lover, Other

15. Sundown (Reprise)

 

Quevo & Lana Del Rey

 

米国の実力派シンガーとイタリア人ラッパーという異色のコラボが実現した。ラナ・デル・レイ(Lana Dey Rey)とクァーヴォ(Quavo)はカントリーの新時代の到来を告げる。カントリーやフォークそのものが古いという考えこそすでに色褪せはじめていることをこの曲は明らかにする。

 

シングル「Tough」のリリースにより、両者はポスト・マローンやビヨンセのようなヒップなアーティストと並び、2024年にカントリーへ転向する。このコレボレーションシングルは以下よりご視聴ください。


両者は、6月20日にボストンで開かれたデル・レイのコンサートのステージでこの曲を初披露。

 

ーー使い古された革のブーツの靴擦れのようにタフ/ブルーカラーで赤土のような態度/真鍮でできた38口径のようにタフ/おじいちゃんのグラスのようにタフーーと、2人はコーラスで歌っている。曲の歌詞には古典的な文学性もあるが、童謡のような可愛らしさも含まれている。


というわけで、タイトルは「Tough」と銘打たれている。強靭さと艶やかさという2つの要素は、カントリーの新しい指針となり、商業音楽の新しい流れを形作るかもしれない。おそらく、デル・レイが9月にリリースを予定しているカントリー・アルバム『Lasso』の最初のプレビューとなる。

 

2024年初め、グラミー賞の授賞式でニュースを発表した際、ラナ・デル・レイはジャンルを超え、アーティストがカントリー人気に便乗する最近の傾向を認めた。授賞式の際、スウィフトが真っ先に声を掛けにいったのはデル・レイだった。それはシンガーとしての実力を称えている証拠でもある。

 

「音楽ビジネスは、カントリー化している。そうなってきている。だからジャック・アントノフはこの4年間、マッスル・ショールズ、ナッシュビル、ミシシッピに私を追いかけてきたのよ」

 

後進のアーティストへの影響力はもちろん音楽シーンの流れに敏感なラナ・デル・レイの今後の動向に注目だ。



「Tough」

 


故ポップ・アイコンのセルフタイトルのセカンド・アルバム『SOPHIE』が、9月27日にTransgressiveとFuture Classicからリリースされる。

 

 「私たちソフィーの家族が、このプロジェクトの実現に向けて最初の一歩を踏み出したとき、私たちはソフィーの親しい友人たちに連絡を取りました。私たちは、ソフィが私たちに残してくれた音楽に安らぎを見出してきました」


リード・シングル「Reason Why」がリリースに先駆けて公開された。(ストリーミングはこちら)BCキングダムとキム・ペトラスをフィーチャー。UKダンス・ミュージックからヒントを得たバウンシーなシンセ・ポップ・バンガーで、ループするヴォーカルが勢いを生み出している。

 

未発表だったセカンドアルバムはSOPHIEとベニー・ロングがプロデュースし、彼女の親しいコラボレーターと共に制作された。2021年にシンガーが悲劇的に他界したとき、このアルバムはほぼ完成しており、彼女に最も近しい人々によって完成された。新しいコレクションについて、声明にはこうある。「ソフィーは自分のすべてを音楽に捧げました。彼女はいつもここにいる」

 

「Reason Why」


 

米国のシンガーソングライター、Meernaaがニューシングル「Make It Rain」をリリースした。シンセによるホーンセクションとピアノを含めるクラシカルなポップソング。ビリー・ジョエルの古典的なバラードソングをアメリカーナと融合させ、ロマンティックな雰囲気を作り出す。シークエンスの途中に取り入れられるエレクトリックピアノがR&Bのメロウなテイストを醸し出す。

 

この曲では、ローレル・キャニオンのタッチ、シンセのウォッシュ、ピアノを軸にしたシャッフルするようなソウルフルな曲が展開され、カーリー・ボンドの蜜のようなヴォーカルが曲を時代を超えた琥珀色に染める。


ソングライターのカーリー・ボンドは次のように説明している。『Make it Rainは、自分が完全な自分でないこと、あるいは憂鬱な時期に解離することを認め、猶予を与え、それが過ぎ去ることを自分に思い出させることについて歌っていると思う」


ミールナーは、ネオ・ソウル、クラシックR&B、インディー・ポップの情熱的な側面を参照し、セード、ケイト・ル・ボン、ミニー・リパートン、トーク・トークなど様々な影響を受けたソングライター、カーリー・ボンドの薄暗く器用なボーカルと、官能的で技術的に洗練された楽曲を特徴にしている。


ミールナーの作品を通して、カーリー・ボンドは、中毒や喪失といった重いテーマを愛というシンプルなレンズで捉えている。2023年にはフルアルバム『So Far So Good』をリリースした。今年に入り、疎遠になった人との思い出を込めた単独のシングル「A Promiseを発表している。

 

 

 「Make It Rain」

 

©︎El Hardwick


ロンドンのシンガーソングライター、Naima  Bock(ナイマ・ボック)は『Below a Massive Dark Land』を発表した。Sub Pop/Memorials of Distinctionから9月27日にリリースされる。


この発表と同時に、リード・シングル「Kaley」(監督:キャシディ・ハンセン)のビデオと、シングル「Further Away」(監督:ガイア・アラリ)に付随するアニメーション・ビジュアライザーが公開された。


この曲について、ナイマ・ボックはこう語っている。 「''Kaley''はツーソンの友達の家に滞在している間に書いた曲で、少なくともそこで完成した。裏切りと、それに続く方向性の欠如について歌っている。その当時は、他の誰のためでもなく、私自身のための "計画 "も "道 "もなかった」


「"Further Away "は、ギリシャでミニ・ブズーキを学ぼうとしていたときに、誰かに会いたくて書いた曲だ」


Below a Massive Dark Land』は、主にジャック・オズボーン(ビンゴ・フューリー)とジョー・ジョーンズがプロデュースした。


レコーディングはノース・ロンドンのクリプトで行われ、オリバー・ハミルトン(caroline, Shovel Dance Collective)とボック自身がプロデュースとアレンジを担当。コラボレーターであるジョエル・バートンと編曲した『Giant Palm』とは異なり、新作の作曲はほとんど一人で行った。


「私とジョエルが一緒に仕事をしなくなってから、自分でアレンジをするのは不可能に思えたんだけど、ヴァイオリンを習い始めた。演奏するのは簡単じゃないけど、メロディーを書くのは簡単なんだ。何かに誇りを持てるようになるために必要だったと思う。それがわたしなんだ!いい気分」


「Kaley」




ナイマ・ボックは2018年にGoat Girlを脱退した後、ソロシンガーとしてのキャリアを開始した。2021年には「30 Degrees」の発表と共にSub Popと契約。翌年にはデビューアルバム『Giant Palm』をリリースした。このアルバムはNew York Times、Stereogum、CLASHを始めとする国内外の有力メディアから高評価を獲得した。



「Further Away」



Naima Bock 『Below a Massive Dark Land』



Label: Sub Pop/Memorials of Distinction
Release: 2024年9月27日


Tracklist:

1. Gentle
2. Kaley
3. Feed My Release
4. My Sweet Body
5. Lines
6. Further Away
7. Takes One
8. Age
9. Moving
10. Star


今日、ナイマ・ボックは2024年の夏と秋に「Below a Massive Dark Land」を宣伝する海外ツアーの日程も発表した。デビュー作『Giant Palm』の成功により、大規模ツアーが始まった。シンガーは、ロンドンのEartHを含むヘッドライン・ツアーや、A. Savage、J Mascis、Squid、Rodrigo Amarante、Arab Strap、Katy J Pearson、This is the Kitなどのアーティストのサポート・ショーを行ってきた。



Tour:

Wed. Aug. 14 - St. Malo, FR - La Route Du Rock +
Thu. Aug. 22 - Los Angeles, CA - Barnsdall Gallery Theatre ^
Sat. Aug. 24 -  Ojai, CA - TBA
Sun. Sep. 08 - Portland, OR - Music Millennium (instore)
Fri. Sep. 13 - Walla Walla, WA - Billsville West
Sun. Sep. 15 - Seattle, WA - The Rabbit Box
Mon. Oct. 21 - Boston, MA - Warehouse XI
Wed. Oct. 23 - Philadelphia, PA - The Parish Room (First Unitarian Church 
Fri. Oct. 25 - Brooklyn, NY - Union Pool
Wed. Nov. 06 - London, UK - St. Pancras Old Church +
Thu. Nov. 07 - Bristol, UK - Jam Jar *
Fri. Nov. 08 - Liverpool, UK - Leaf *
Sat. Nov. 09 - Newcastle, UK - Cumberland Arms *
Sun. Nov. 10 - Glasgow, UK - McChuills *
Tue. Nov. 12 - Leeds, UK - Hyde Park Book Club *
Wed. Nov. 13 - Manchester, UK - Deaf Institute *
Thu. Nov. 14 - Cambridge, UK - Storey’s Field Centre *
Sat. Nov. 16 - Falmouth, UK - The Cornish Bank *
Sun. Nov. 17 - Frome, UK  - The Tree House *
Mon. Nov. 18 - Exeter, UK - Cavern Club *
Wed. Nov. 20 - Ipswich, UK - St Stephens Church *
Thu. Nov. 21 - London, UK - The Ivy House *
Tue. Dec. 03 - Lille, FR - L ‘Aéronef *
Wed. Dec. 04 - Brugge, BE - Cactus Café *
Fri. Dec. 06 - Haldern, DE - Pop Bar *
Sat. Dec. 07 - Hamburg, DE - Nachstasyl *
Sun. Dec. 08 - Berlin, DE - Neu Zunkunft *
Tue. Dec. 10 - Cologne, DE - Subway *
Wed. Dec. 11 - Amsterdam, NL - Paradiso *
Thu. Dec. 12 - Brussels, BE -  Botanique *
Fri. Dec. 13 - Paris, FR - La Boule Noire *
 
^ w/ Angelo de Augustine
* Full band show
+ Duo with Oliver Hamilton


デビュー当時、”アデル再来の予感”と噂され、TikTokのカバー動画が瞬く間に話題となり、弱冠18歳にして今や世界中に110万人以上のフォロワーを誇る日系アメリカ人シンガーソングライター、ハナ・エフロン。4作目のシングル「Every Time You Call Me」は、パーソナルな恋愛をかたどったシンプルで切ないラブソング。そこにはもどかしさという普遍的な感覚が反映されている。


「本当は別れた方がいいって知ってるけど、やっぱり別れたくないっていう葛藤をこの曲で表現しました。」


「みずみずしく躍動感のあるサウンドとは裏腹に、大好きな人ときっぱり別れられるほど私は大人じゃないっていう切実で痛々しい思いを歌詞にしました」


「すごくパーソナルな曲だけど、たくさんの人に共感してもらえたら嬉しいです」


ハナ自身が語るように、本作の歌詞はハナの赤裸々な思いが綴られ、多くのリスナーが共感できる内容になっている。


本作もプロデューサーにBTS, Jung Kook, Jonas Brothersらのプロデュースで知られる超一流プロデューサー、デヴィッド・スチュワート(David Stewart)を迎え入れ、これまで以上に洗練されたメロディラインとサウンドで構築されている。


ルーツにある日本と、生まれ育った南カリフォルニアのカルチャーが融合され、唯一無二の感性を持ったシンガーソングライター ハナ・エフロン。日を追うごとに注目のシンガーとして世界中から注目を集めるハナの飛躍をお見逃しなく!




Hana Effron(ハナ・エフロン) 「Every Time You Call Me」-NEW SINGLE




アーティスト名:Hana Effron(ハナ・エフロン)

曲名:Every Time You Call Me(エヴリィ・タイム・ユー・コール・ミー)

レーベル(日本):ASTERI ENTERTAINMENT (アステリ・エンタテインメント) 

形態:ストリーミング&ダウンロード 


 Pre-save/Pre-add (配信リンク) :https://asteri.lnk.to/HE_ETYCM




Hana Effron(ハナ・エフロン):

 

日本にもルーツを持ち、南カルフォルニアで生まれ育った弱冠18歳のシンガーソングライター、ハナ・エフロン。

5歳のころにピアノを習い始めステージで演奏するようになったことがきっかけで、音楽活動に興味を持つ。

最初は趣味で投稿していたTikTokのカバー動画だったが、2020年にアップした動画が瞬く間に注目を集め、現在では約100万人のフォロワーと2000万以上の “いいね” を獲得。

高校卒業後はアーティストとしての自身の音楽とアイデンティティを追求する道に進むことを決める。

自身が好きなアーティストとして名を挙げるアデルやビリー・ジョエルといったアーティストから音楽的なインスピレーションを得て、それに《耳から入る音を元に作曲する能力》を組み合わせることで、ハナは唯一無二のスタイルを確立した。

フルートやギター、ピアノなどを演奏するマルチ・インストゥルメンタリストとしての一面も。

現在、BTS, Jung Kook, Jonas Brothersらのプロデュースで知られる超一流プロデューサー、デヴィッド・スチュワートとデビュー・アルバムの制作に取り組んでいる。

 John Cale-  『POPtical Illusion』 

 


 

Label: Domino Recordings

Release: 2024/06/15

 

 

Review  理想的なポップとはなにか?

 

驚くべきことに、ジョン・ケールは何歳であろうとも清新な感覚を持つミュージシャンでありつづけることが可能であると示している。

 

古賀春江のシュールレアリズムやアンディー・ウォーホールのポップアート、そしてカットアップ・コラージュを組み合わせたアートワークもおしゃれで惚れ惚れするものがあるが、実際の音楽も、それに劣らず魅力的である。アーティスティックな才覚が全篇にほとばしっている。

 

思えば、「Shark Shark」のミュージックビデオはケール自身が出演し、アグレッシヴなダンスを披露し、エキセントリックなイメージを表現していた。このアルバムからのメッセージは明確で、岡本太郎の言葉を借りると、生きることが芸術、アートでもある。色褪せない感覚、古びない感性、最前線の商業音楽。これらは、1960年代にアンディー・ウォーホールのファクトリーに出入りしていた年代から続くケール氏の生き方を反映している。アートをどのように見せるのか? そしてそれは商業的な価値を生み出せるのか? その挑戦の連続なのだ。

 

『Mercy』でケールはヒップホップやエレクトロニック等の影響を織り交ぜて、重厚感のある作風に焦点を絞っていた。ボーカルとしての印象も多少、重苦しくならざるを得なかったが、『POPtical Illusion』は、前作の系譜にある収録曲もありながら、全体的な印象は驚くほど軽やかで明るい。ソロアーティストとしてのクリエイティブな苦悩を超えた吹っ切れたような感覚に満ち溢れ、 アートワークに象徴付けられるように色彩的な旋律のイメージに縁取られている。


前作では、ピーター・ガブリエルやイーノの最新の作風に近いものがあったが、今回、ケールは、デヴィッド・ボウイの全盛期を彷彿とさせる''エポックメイキングなアーティスト''に生まれ変わった。旧来からプロデューサーとしても活躍するケールは、培われてきた録音の経験や音楽的な蓄積を活かし、現代的な質感を持つエクスペリメンタルポップ/ハイパーポップを制作している。


しかし、『POPtical Illusion』は、Domino Recordingsの他の録音と同様に、前衛性や斬新さだけが売りのアルバムではない。モダンとクラシックを13曲でひとっ飛びするようなエポックメイキングなポピュラーアルバム。デヴィッド・ボウイのベルリン三部作、それと並行して、80年代のAOR/ソフト・ロック、さらには2010年代以降のエレクトロ・ポップと、70年代からのポピュラー音楽の流れを捉えながら、それらを最終的にシンプルで親しみやすい形式に落とし込む。

 

「#1 God Made Me Do It(don't ask me again」は、シンセ、ギター、ドラムを組み合わせたモダンなポピュラー音楽として楽しめる。旧来になくケールのメロディアスな才覚がほとばしり、彼自身のコーラスワークを配置し、夢想的なテイストを散りばめる。エレクトロニックとポピュラーを組み合わせ、摩訶不思議な安らぎーーポプティカル・イリュージョンーーを生み出す。


続く「#2 Davies and Wales」は、70年代のニューウェイブや80年代のAORに依拠したポピュラーソングで、エレクトリックピアノが小気味よいビートを刻み、組み合わされるシンセベースがグルーブ感を生み出す。負けじと、ケールはハリのある歌声を披露する。彼のボーカルは軽やかで、高い精妙な感覚を維持している。そしてタイトルのフレーズの部分では、コーラスを織り交ぜながらアンセミックなフェーズを作り出す。ソングライターとしての蓄積が曲に色濃く反映され、どのようにしてサビを形成するポピュラリティを作り出すか、大まかなプロセスが示される。この曲にも、ケール氏のポピュラー音楽に対する考えがしっかりと反映されている。自分の好きなものを追求した上で、それらにどのようにして広告性と商業性を付与するのか。


続く「#3 Calling You Out」は、ジャンルというステレオタイプの言葉ではなかなか言い表しづらいものがある。男性シンガーとしての内省的センチメンタルな感覚をエレクトロニックで表現し、それをジャズのテイストで包み込む。


そしてそれらの現代性を与えるのが、モダンなエレクトロやヒップホップを通過したリズムトラックだ。しかし、前衛的な要素を織り交ぜながらも、曲自体は、ボウイやそれ以後の十年間にあるポピュラー性に重きが置かれている。いわば古典派としての音楽家の表情、現代派としての芸術家の表情、それらのアンビバレントな領域を絶えず揺れ動くかのようなナンバーである。


そしてケール氏は、古典的なものに敬意を示しながらも、現代性に対しても理解を示している。曲の終盤にかけて、コラボレーターのボーカルにオートチューンをかけていることも、彼が新しいウェイヴに期待を掛けている証なのである。


かつて、60年代後半に無名だったVUの音楽に理解を示してくれたファンがいたことと同様に、ジョン・ケール自身のこれらの新たな表現性に対する理解や肯定、あるいは次にやってくる潮流に対する期待感は、本作の中盤の流れを決定付ける「#4  Edge Of Reason」において、シカゴ・ドリル/ニューヨーク・ドリルの系譜にあるリズムトラックというカタチで明瞭に反映される。


2000年代のドイツ等で盛んだったグリッチを散りばめたトラックは、やがてエレクトロニックを反映させた2010年代以降のシカゴやニューヨークのドリルに受け継がれた。ケールはそれらの影響を踏まえ、ドレイクのような現代性を意識し、無理のない範囲で独自のポピュラリティに置き換えようとしている。これらは、キム・ゴードンの最新アルバムとも連動する性質でもある。かつてラップの中にポピュラー性を取り入れたように、現代的なポピュラー性の中にラップの要素を取り入れることが、今ではそれほど珍しくなくなっていることを暗示している。


「#5  I'm Angry」のイントロは、アンビエントがいまだアンダーグラウンドのチルウェイブの一貫として勃興した時代の作風を彷彿とさせる。オルガンの演奏に合わせてコール・アンド・レスポンスの形で歌い上げられるケールのボーカルはタイトルとは正反対である。フレーズを繰り返すうち生み出される怒りを冷静さや慈しみで包みこむ感じは、直情的な感覚とは対極に位置している。それに続く「#6 How We See The Light」は、連曲のようなニュアンスが含まれる。ダンサンブルなリズムとシンセ・ポップを組み合わせ、ボウイの系譜にあるナンバーを作り出す。


続く「#7  Company Commander」は、アルバムのアートワークに象徴づけられるコラージュのサウンド、ミュージック・コンクレートを導入している。2010年代のアイスランドのエレクトロニカ、ニュアンスとスポークンワードの中間にあるケイルのボーカルは、「Abstract Pop」という、ニューヨークの最前線のヒップホップシーンへのオマージュの考えも垣間見ることが出来る。

 

 

前半部では一貫してミュージシャンによる「理想的なポップとは何か?」という考えが多角的に示される。それは、多少、録音のイリュージョンというジョークのような意味も込められているのかもしれない。一方、後半部では、アーティストとしての瞑想的な感覚と感性が組み合わされ、アストラルとメンタルの間の領域にあるポピュラリティへと近づく場合がある。肉体の感覚と魂の感覚ーー一般的に、これらは、年を経るごとにバランスが変わると言われているが、人間が単に肉体の存在ではなくて、霊に本質があるというレフ・トルストイが『人生論』で書いていたこと、つまり、人々は、ある年代で生きることの本質に気づき始めるというのだ。


それは、録音作品を語る上で、商業音楽としての霊妙な感覚に近づく瞬間もある。つまり音楽というのが必ずしも、旋律やリズム、和音や対旋律、ないしは作曲技法の範疇にある旋法やメチエといった技法に縛られるものではないことを示唆している。これは意外と、10代や20代の始めの頃には、肌身でなんとなく知っていることなのに、以降の年代、肉体的な感覚が優勢になるにつれ、忘れさられていく。ケールは、長い音楽活動の経験を踏まえ、感覚的な音楽を制作し始めており、それは音楽の本質が表されていると言ってもさしつかえないかもしれない。

 

サウンドについて言えば、「#8 Setting Fires」はベテランアーティストによるチルウェイブへの親和性が込められている。これは、例えば、Toro y Moiのような安らぐ音楽は、何歳になっても気軽に楽しめることを示唆する。 また、「#9 Shark Shark」には、気鋭のロックアーティストとしての性質が立ち現れる瞬間が捉えられる。ここには、ダンスという人間的な表現下における生命力の発露が音楽として表れる。そして、霊妙な感覚、人間の本質を表す魂の在り処をポピュラリティとして刻印した「#10 Funkball the Brewster」は、この世の中のどの音楽にも似ていない。それも当然のことで、彼はすでに存在する鋳型に何かを注ぐのではなく、自らの内側にある魂の揺らめきを、音階や脈動が織りなす流れとして捉え、それらを音楽にしているだけなのだ。

 

ジョン・ケールは、『POPtical Illusion』において外側に表出せざるを得ないもの、表さずにはいられないものをスタジオ録音を通じて記録というシンプルな形で残している。これらのアーカイブが果たしてポピュラーやレコーディングの歴史における「記憶」となるかどうかは定かではない。


ただ、「All To The Good」、「Laughing In My Soup」とユニークな印象がある軽快なダンスポップが続いた後、シンセピアノを活かした美しいバラードがクライマックスを飾る。クローズ曲「#13 There Will Be No River」は、ビートルズのような古典的なテイストを放つ。シンセサイザーのストリングスを込めたミニマル音楽を基にしたバラードは、シンプルであるがゆえ心に残る。

 

 

 

86/100




「God Made Me Do It(don't ask me again)」

 



Mustafa(ムスタファ)はニューシングル「Gaza is Calling (ガザは呼ぶ)」をjagujaguwarから発表し、その収益をパレスチナ児童救済基金に充てると発表した。

 

この曲は 2020年に書かれ、ムスタファの幼少期の友人関係が、世界中の労働者階級のコミュニティに対する暴力や、パレスチナ人特有の苦境に影響を受けたというストーリー。自分の幸福を追求するのはもちろんであるが、他者の幸福についてもシンガーは念頭に置かざるを得ない。友人の苦難はムスタファにとっての苦難を意味している。


「『Gaza is Calling』は、私が初めて経験した友情における失恋について歌っています。11歳のとき、ガザから来た少年と出会いました。私たちは切っても切れない関係だった。彼はトロントの住宅街で私と一緒に育った。そして、この愛さえも、我々が直面した暴力には勝てなかった。新しい家での暴力、ガザから冷たい風のように彼を追いかけてきた暴力......」とムスタファ。


「結局、涙を流さずに会うことができなかったのは、我々の間に起こった流血沙汰のせいでした。ストリングスのサンプルは、私達が共有しているアラブの郷愁を、私が歌うオートチューニングのアラビア語は、小さなフードの中で文化帝国の少年である私たちが到達しようとしたバランスについて、そしてウードは私たちの祖国のスーダンとパレスチナの楽器を意味しています」


Gaza is Callingのビデオは、パレスチナ人モデルのベラ・ハディッドと10代のガザン・ラッパーのMCアブドゥルを起用し、2021年ムスタファとハディッドによって構想された。ビデオの大半は2023年4月に撮影されたが、ジェニンの現地で撮影された直近の映像も使用されているという。


ムスタファはビデオについて付け加えた。「私は、どんな土地に逃げようとも、出会うことを免れない悲しみの物語を書いています。ビデオでは、ガザのベラ・ハディッドとマク・アブドゥルが、各々の苦悩を乗り越えて旅をする姿を克明に追っている。イスラー・アフメッドと弟の物語も並行して描かれる。イスラーと弟は、パレスチナの難民キャンプで危険に身を投じ、更にベラとアブドゥルは、西側世界の記憶の数々と罪悪感に身を投じた。ヒアム・アッバス監督作品。イスラアと彼女の弟は現在もパレスチナのジェニンにあるこのキャンプにいる」

 


「Gaza is Calling」

 Clarissa Connelly 『World Of Work』

 

Label: Warp

Release: 2024/04/12




Review



クラリッサ・コネリーはスコットランド出身で、現在デンマーク/コペンハーゲンを拠点に活動するシンガーソングライター。近年、Aurora(オーロラ)を始め、北欧ポップスが脚光を浴びているが、コネリーもその一環にある北欧の涼やかなテイストを漂わせる注目のシンガーである。


それほど音楽そのものに真新しさがあるわけではないが、親しみやすい音楽性に加え、ABBAやエンヤのような北ヨーロッパのポピュラーの継承者でもある。おそらく、コネリーは、デンマークを中心とするポピュラーソングに日常的に触れているものと思われるが、シンガーが添えるのはスコットランドのフォーク・ミュージック、要するにケルト民謡のテイストなのである。

 

このリリースに関しては過度な期待をしていなかったが、素晴らしいアルバムなので、少し発売日から遅れたものの、レビューとしてご紹介したいと思います。Warpはこのリリースに際して特集を組み、クラリッサ・コネリーは、アメリカの音楽学者でアメリカン・パラミュージック学博物館の館長でもあるマット・マーブルさんとの対談を行い、以下のように述べています。

 

「私は新しいメロディーやコードを書きながら、こうした無意識の状態に陥るようにしている。長いメロディーを書き続けて、調性が変わるところに出てきて、また戻ってくることがよくある。そして、その輪が終わったとき、輪が短すぎたり、曲の中で新しいパートを導入したいと思ったりすると、夢うつつの状態に陥ることがよくある。そして、それが私に与えられる」


音楽学者のマット・マーブルはこの対談のなかで、コネリーの音楽について次のように話している。

 

ーークラリッサが初めて私に自分の「思考の下の聴取」について語ったとき、私はロシアの詩人、オシップ・マンデルスタムを思い出さずにはいられなかった。マンデルスタムは自分の実践を 『秘密の聴覚』と呼びならわし、それを彼は 『聞く行為と言葉を伝える行為の間にある中間的な活動』と表現したことがあるーー

 

ーー聴くことをある哲学的な雰囲気を通してフィルターにかける一般的なクレアウディエントの伝統と同様に、クラリッサは、『自分の作曲のプロセスを、特に願望的な静寂に導かれている』と述べた。これは、祈りと静寂に満ちた傾聴が効果的でインスピレーションを与えてくれることを証明し、セルフケアのための内なる必要性から発展したものである。いずれにせよ、クラリッサの音楽の多くは、この静謐な雰囲気の中で、まるで夢の中にいるかのように生まれるーー

 

この対談はさすがとも言え、音楽そのものが表面的に鳴り響くものにとどまらず、聞き手側の思考下になんらかの主張性をもたらし、そしてまた心の情感を始め、科学的には証明しがたい効果があることの証となる。つまり、ヒーリングミュージックに象徴されるように、人間の傷んだ魂を癒やすような力が音楽には存在することになる。もうひとつ気をつけたいのは、音楽はそれとは正反対に、把捉者の聴覚を通して、その魂を傷つける場合があるということである。これは、アンビエントが治癒の効果を持つように、クラリッサ・コネリーのデビュー・アルバムもまた、ポピュラー・ミュージックを介しての治癒の旅であることを示唆している。クラリッサ・コネリーのソングライティングは、ギター、ピアノを中心におこなわれるが、それに独特なテイストを添えているのが、北欧の言語にイントネーションを置いたシラブルである。

 

多分、英語で歌われるのにも関わらず、デンマーク語の独特なイントネーションを反映させた言葉は、アメリカン・パラミュージック博物館の館長のマット氏がロシアの詩人の警句を巧みに引用したように、『聞く行為と言葉を伝える行為の間にある中間的な活動』を意味している。ひとつ補足しておくと、それはもしかすると「伝達と受動を超越した別の表現形態」であるかもしれない。これはまた「伝達」と「受動」という2つの伝達行為の他にも別の手段があることを象徴づけている。例えば、米国のボーカル・アーティスト、メレディス・モンクは古くから、このことをパフォーミングアーツという形態で伝えようとしていた。また、オーストラリアの口笛奏者のモリー・ルイスは、「口笛がみずからにとって伝達の手段である」と語っていることを見ると更に分かりやすい。つまり人間は、近代から現代への機械文明に絡め取られたせいで、そういった高度な伝達手段を失ってきたとも言えるのだ。SNSやメディアの発展は人間の高い能力を退化させている。これは時代が進んでいくと、より退化は顕著になっていくことだろう。そしてクラリッサ・コネリーのボーカルは、単なる言葉の伝達手段なのではなくて、神秘的な意味を持つ「音や声のメッセンジャーである」ということが言えるかもしれない。

 

 

コネリーが説明しているように、デビューアルバムの冒頭の収録曲の音楽は、絶えず移調や転調を繰り返し、調性はあってないようなもので、ミュージック・セリエルの範疇にあるメチエが重視されている。しかし、完全な無調音楽とも言い難く、少なからず、その中にはドビュッシーやラヴェルのような転化による和声法が重視されている。色彩的なタペストリーのように織りなされる旋律の連続やアコースティックギターやピアノ、ストリング、ドラム、シンセサイザーのテクスチャーという複合的な要素は、最終的にデンマーク語のシラブルを踏まえたボーカルと掛け合わされ、美しいハーモニーを作り出す。クラリッサ・コネリーの作曲の手腕にかかると、床に散らばった破片が組み合わされていき、最終的に面白いようにピタリとはまっていく。

 

ここには、ビョークが最新アルバムで見落としたポピュラーの理想的なモダニズムが構築されている。アルバムの冒頭部「Into This, Called Lonelines」にはこのことが色濃く反映されている。音楽的には、北ヨーロッパのフォークミュージックを踏まえ、それらを柔らかい質感を持つポップスとして昇華させる。


いわば、アルバムのオープナーは、未知の扉を開くような雰囲気に縁取られている。アルバムの中には、サンプリングの導入によってストーリーが描かれるが、それらは多くの場合、他の曲と繋がることが非常に少なく、分離した状態のままにとどまってしまっている。しかし、このアルバムはその限りではなく、「The Bell Tower」は、木目を踏みしめる足音と教会の鐘の音のサンプリングを組み合わせ、次の曲の導入部の役割を担う。まるで、音楽の次のページをめくったり、次の物語の扉を開けるかのように、はっきりと次の音楽の雰囲気の予兆となっている。

 

また、良いことなのかはわからないにせよ、クラリッサ・コネリーのソングライティングは、時代性とは距離を置いていて、流行り物に飛びつくことはほとんどない。「An Emboridery」はタイトルの通りに、刺繍を組み合わせるようにギターの演奏がタペストリーのように縫い込まれ、長調と短調の間を絶えず行き来する。これらの感覚的なトラックに対し、コネリーのボーカルは、より情感的な効果を付け加える。たとえ現代的なノイズを交えたエクスペリメンタル・ポップの音響効果が組み込まれても、それらの感覚的な旋律や情感が失われることがない。そして、曲のアウトロでは、前の曲の鐘の音が予兆的なものであったことが明らかになる。

 

「Life of Forbidden」は、北欧ポップスの王道にあるナンバーで、この音楽の象徴的な特徴である清涼感を味える。構成にはコールアンドレスポンスの技法が取り入れられ、北欧の言語やフォーク・ミュージックにだけ見出される特性ーー喉を細かく震わせるようなファルセットとビブラートの中間にある特異な発声法ーーがわかりやすく披露されている。この曲は、単なるフォーク・ミュージックやポピュラー・ソングという意味で屹立するのではなく、上記の対談で語られた伝達や受動とは異なり、その中間域にある別の伝達手段としてボーカルが機能している。

 

これは例えば、メレディス・モンクが『ATLAS』で追い求めたボーカルアーツと同じような前衛的な形式が示されている。アートというと、ややこしくなるが、クラリッサ・コネリーの曲は、耳障りの良く、リーダビリティの高い音楽として表側に出てくる。山の高地の風を受けるかのような、軽やかで爽やかなフォーク・ミュージックとして楽しめる。それに続く「Wee Rosebud」も同様に、メレディス・モンクがコヨーテのような動物の声と人間のボーカルを同化させたように、声の表現として従来とは異なる表現形式を探求している。それはデビュー作であるがゆえ、完全なカタチになったとまでは言いがたいが、ボーカルだけで作り上げられるテクスチャーは、アコースティック・ギターの芳醇な響きと合わさり、特異な音響性を作り上げる。

 

アルバムの前半部では、北欧のポップスの醍醐味が堪能出来るが、それ以降、クラリッサ・コネリーの重要なルーツであるスコットランドのケルト民謡をもとにしたフォーク・ミュージックがうるわしく繰り広げられる。ソングライターは、ギターを何本も重ねて録音することで、アコースティックの重厚なテクスチャーを作り出して、曲の中に教会の鐘の音をパーカッシヴに取り入れながら、ケルト民謡の神秘的な音楽のルーツに迫ろうとする。この曲は、他の曲と同じように、聞き手にイメージを呼び覚ます力があり、想像力を働かせれば、奥深い森の風景やそれらの向こうの石造りの教会を思い浮かべることもそれほど難しくはないかもしれない。これはベス・ギボンズの最新作「Live Outgrown」と同じような面白い音響効果が含まれている。


優しげな響きを持つ「Turn To Stone」もソングライター/ボーカリストとしての力量が表れている。ピアノのシンプルな弾き語り、そしてやはり北欧の言語のイントネーションを活かした精妙なハーモニーをメインのボーカルと交互に出現させ、柔らかく開けたような感覚を体現させる。その後、「Tenderfoot」では、スティール弦の硬質なアコースティックギターのアルペジオを活かして、やはり緩やかで落ち着いたフォーク・ミュージックを堪能出来る。それほど難しい演奏ではないと思うが、ギターと対比的に歌われるコネリーのボーカルがエンヤのような癒やしを生み出す。この曲でも、ボーカルをテクスチャーのように解釈し、それらをカウンターポイント(対位法)のように組み合わせることで、制作者が上記のWarpの対談で述べたように、「願望的な静寂」に導かれる。これはまた深層の領域にある自己との出会いを意味し、聞き手にもそのような自らの原初的な自己を気づかせるようなきっかけをもたらすかもしれない。

 

制作者は複合的な音の層を作り上げることに秀でており、シンセの通奏低音や、ギターの断片的なサンプリング、 コラージュのような手法で音を色彩的に散りばめ、それらをフォークミュージックやポピュラーミュージックの形に落とし込んでいく。上記の過程において「Crucifer」が生み出されている。この曲は、アルバムでは珍しく、セッションのような意味合いが含まれていて、旋律の進行やどのようなプロセスを描くのかを楽しむという聞き方もあるかも知れない。


アルバムは意外にも大掛かりな脚色を避けて、シンプルな着地をしている。クローズ「S,O,S Song of The Sword」は、編集的なサウンドはイントロだけにとどめられていて、演出的なサウンドの向こうからシンプルな歌声が現れるのが素敵だと思う。これらの10曲は、表面的な華美なサウンドを避けていて、音楽の奥深くに踏み入れていくような楽しさに満ちあふれている。
 



82/100




 「Life of The Forbidden」


 

ビリー・アイリッシュが新しいビデオを公開した。これは『HIT ME HARD AND SOFT』からのカットである「CHIHIRO」の自主制作映像。このアルバムは、フィニアスと共作・プロデュースされ、先月、Darkroom/Interscope/Polydor Recordsから発売されたばかりである。

 

MVについては、プレスリリースを介して次のように説明されている。「ビデオは、ビリー・アイリッシュが監督している。長く暗い廊下と閉ざされたドアが心の様々なコーナーを象徴する、夢のような物語を思い描きました。共演のナット・ウルフとともに、彼女は逃れられないつながりの中に転がり込んでいく。恐怖、愛、欲望といった私たちの心の奥底にある感情が、どんなに逃げようとしても追いつかざるを得ないという、内面的な押し引きの外面的表現である」

 



©︎BLACKSOCKS


・アルフィー・テンプルマンのニューシングル「Just a Dance feat. Nile Rodgers」が本日リリース ナイル・ロジャースをフィーチャー


楽曲の総再生回数は3億回を超える、シンガーソングライター、マルチインストゥルメンタリストであり音楽の才人でもあるアルフィー・テンプルマンが、「Just a Dance feat. Nile Rodgers」をリリースしました。「Eyes Wide  Shut」、タイトル曲「Radiosoul」「Hello Lonely」に続くシングルです。

 

マドンナ、デヴィッド・ボウイ、ダイアナ・ロス、デュラン・デュラン、ミック・ジャガー等、数々の大物アーティストを手がけ、1980年代の音楽シーンを席巻する名プロデューサーと言われるレジェンドギタリスト、ナイル・ロジャースをフィーチャリングした注目曲です。


ダンサブルなビートにギターのカッティングが響き渡り、ポップなインタールードでサウンドのユニークさが際立つ今作は、レジェンド ナイル・ロジャースの参加により、今まで以上にエッジの効いたアルフィーの得意とするインディーポップの最高潮を極めた作品となりました。


Nile Rogers


アルフィー・テンプルマンのコメント。


「インディーポップのギタースタイルというひとつのジャンルを発明したと言っても過言ではない、ナイル・ロジャースと一緒に仕事ができて幸運でした!」

 


・新作アルバム『Radiosoul』が6月7日(金)に発売


全体のコンセプトやアートワークは最初から決めていたわけではなく、アルバムが出来上がる過程で徐々にまとまったという。引っ越しや成長、ティーンエイジャーから大人になる過程などをテーマに、”実験的なサウンドを試したい”という理由で、1st アルバム『Mellow Moon』のインディーポップから少し離れたグルーヴィーでダンサブルなアルバムになった。


サウンド面では、ビーチ・ボーイズからも深く影響を受けている」とアルフィーは述べています。音楽的には非常に幸せそうな音を持ちつつ、歌詞を聞くと誰かが苦悩したり、自分の感情を整理しようとしている様子が描かれているところが自分自身の心情に重なり、『Radiosoul』にも反映されているという。大きなポップシンフォニーのようなサウンドの反面、深い苦悩を描く「Hello Lonely」、不安な心境から自分を救い落ち着かせるためのガイドとして書かれたアルバム最後の曲「Switch」など、人々を楽しませつつ、深く考えさせる音楽の数々が詰まっている。


今作はまた、自分1人で部屋にこもって制作するスタイルだった前アルバムとは真逆のスタイルに挑戦している。自分の欠点を受け入れることや自分ひとりでは解決できないこともあると考え直し、音楽仲間や一緒に働きたいと思っていた人たちとコラボレーションすることを目指したという。自分ひとりで完結するのではなく誰かと共作することで、むしろ一歩引いて他の人とのコラボレーションを楽しむことができたと話す。


さらにアルバムタイトル『Radiosould』についてアルフィーは次のように話している。


「これは言葉の混ざり合いのようなものです。アルバム全体を通して、どの世代でも起こるジェネレーションギャップはあるけれど、今の世代と昔の世代とでは明らかに異なることなどを観察に基づいて書いています」


「祖父母がラジオをよく聞いていたのを見ていて、その当時はそれが普通だったんだけど、今では誰もそれを本当に大切にしていないし、みんな物事をなんでも当たり前のように思ってしまうことが多いです。そんなことを歌詞にしました」


「それに対して、ソーシャルメディアが非常に多くのパラソーシャルな関係や表面的な人々がインターネットに常に存在するという、混沌とした場所になっていることについても書きました。だから、もっと本来の人間になり、自分自身に忠実であることにトライする。そこから魂(soul)の部分が生まれました。そして、この二つの言葉が何故か一緒になり、響きも良かったので、このタイトルになりました」


弱冠21歳にして、ベック、ピーター・ガブリエル、プリンス、トーキング・ヘッズ、スティーブ・レイシー、テーム・インパラなどレジェンドから現行のオルタナアーティストまで、多様な音楽的影響を受け、あらゆるジャンルや音楽的要素を貪欲に融合させ、独自のユニークなスタイル「ビッグ・ウィアード・ポップ (巨大で摩訶不思議なポップ)」を生み出し、「音楽を作る上で、何でも試してみることが目標」としている若き天才音楽家アルフィー・テンプルマン。既に次のアルバムは「''もっと反対の方向”に向かうだろう」と話すアルフィーの音楽ジャーニーはまだまだ続く。



 ・Alfie Templeman-『Just a Dance feat. Nile Rodgers(ジャスト・ア・ダンス・フィーチャリング・ナイル・ロジャース)』 -  New Single



レーベル:ASTERI ENTERTAINMENT

形態:ストリーミング&ダウンロード


Pre-save/Pre-add(配信リンク) :https://asteri.lnk.to/AT_JustaDance 



 Alfie Templeman-『Radiosoul』 -  New Album



レーベル:ASTERI ENTERTAINMENT

形態:ストリーミング&ダウンロード


 Pre-save/Pre-add(配信リンク):https://asteri.lnk.to/AT_radiosoul_al 


*収録曲は現時点では未公開。

Katy Kirby

 

ニューヨークを拠点に活動するソングライター、Katy Kirby(ケイティ・カービー)が、セカンドアルバム『Blue Raspberry』の拡大版を発表した。デラックスエディションはANTIから7月12日にリリースされる。

 

セカンドアルバム『Blue Raspberry』の新拡張版には、「ヘッドライト」と「ネーパービル」を含む2曲の未発表曲が収録されている。ブルー・ラズベリー』は、2021年2月に発売されたカービーのデビュー・アルバム『クール・ドライ・プレイス』に続く作品である。

 

「実は、『Headlights』はアルバムの収録されたどの曲よりも開放的な曲ではない」とケイティ・カービーは説明する。

 

「この曲は、すべての人間の人生に付随する、蓄積された低レベルの苦しみへの賛歌と呼ぶこともできる。)あるいは疲れたことを歌った、少し生意気なバラードと言うこともできるかもしれない」

 

 

「Headlight」

 

 

 

 

 Katy Kirby 『Blue Raspberry』 - Deluxe Version

https://res.cloudinary.com/epitaph/image/upload/v1/anti/releases/KatyKirby_BlueRaspberry_2 

 

Label: ANTI-  

Release: 2024/ 07/12

 

Tracklist:

1.Redemption Arc

2.Fences 

3.Cubic Zirconia
 
4.Hand to Hand
   
5.Wait Listen
   
6.Drop Dead

7.Party of the Century
    
8.Alexandria
   
9.Salt Crystal  
    
10.Blue Raspberry   
    
11.Table
    
12.Headlights
    
13.Naperville  


 
ーーニューヨークを拠点に活動するソングライター、ケイティ・カービーは、セカンドアルバム『ブルー・ラズベリー』で、親密さの作為に真っ向から挑んだ。

 

『ブルー・ラズベリー』は、カービーが初めて経験したクィアな関係の釈義であり、新しい愛の絶頂と崩壊を、ロック・キャンディや割れたガラスの破片の輝きを味わいながら辿っていく。

 

『Blue Raspberry』は、カービーの高評価を得たデビューアルバム『Cool Dry Place』に続く作品で、同じくナッシュビルでレコーディングされ、2021年2月にリリースされた。

 

そのアルバムに収録された曲は、カービーが自分の声を見つける中で展開されたが、『ブルー・ラズベリー』は洗練された自信に満ちた2作目で、『クール・ドライ・プレイス』を通して湧き上がった、人と人とのつながりが陥没するあらゆる危険地帯があるにもかかわらず、人はいかにして互いに連絡を取り合うことができるのかという問いを深めている。