Nailah Hunter(ネイラ・ハンター) ”Lovegaze”  スピリチュアルな雰囲気の漂う上品なネオソウル  イギリスでレコーディング

Weekly Music Feature

Nailah Hunter
 

LAを拠点に活動するマルチ・インストゥルメンタリスト、ハープ奏者、そしてコンポーザーでもあるネイラ・ハンター(Nailah Hunter)は、2019年から神秘的なフォークとアンビエントにインスパイアされた音楽を録音し、複数のシングルと2枚のEPを発表している。『Spells』と、最近では『Quietude』が挙げられる。ファット・ポッサムと契約した今作『Lovegaze』はハンターのデビュー・フルレングス、リスナーを彼女の魅惑的な宇宙観に引き込む魅惑的なアルバムだ。


ベリーズ人牧師の娘として生まれたハンターは、教会でドラムやギターを演奏し、聖歌隊で歌うことから音楽の道を歩み始めた。


以後、カルフォルニア芸術大学で音楽を学び、ヴォーカル・パフォーマンスを学んだ後、初めてハープのレッスンを受けた。ハープという楽器をファンタジー、サイケデリア、夢の世界と結びつけて考えたハンターは、すぐにその虜となり、1日6時間部屋に閉じこもって練習した。


『Lovegaze』を制作するため、ハンターはイギリス海峡沿いの小さな海岸都市に移り住み、そこで借りたケルティック・ハープでデモ・レコーディングを始めた。ロンドンを拠点とするプロデューサー、シセリー・ゴルダーを紹介されたハンターは、1年後にイギリスに戻り、さらに曲を練り上げた。こうして完成した作品集『Lovegaze』は、自然界の回復力に対する妖艶な証しである。 



『Lovegaze』 Fat Possum



 2021年のアルバム『Sleeping Sea』では、アンビエント/ヒーリング・ミュージックを中心とする音楽制作に取り組んだロサンゼルスのネイラ・ハンター。ミシシッピのファット・ポッサムと契約を新たに交わしてリリースする『Lovegaze』で大々的な転換点を迎えようとしている。

 

よくあることだが、制作の拠点を移動したことにより、音楽性もガラリと変化するケースがある。あるミュージシャンはイギリスからロサンゼルスへ行き、あるアーティストはニューヨークへ向かい、その作風を変化させようとする。実際、人間は、周囲の環境に影響を受けやすく、日頃接する体験や見る風景により、考えどころか音楽性も変化する。音楽とは感覚の発露であるとともに、感情の結晶体でもある。それを澄明な性質に自在に変化させるのが傑出したアーティストの特徴なのだ。無論、様々な音楽的な語法を持つ表現者の特権とも言えるだろう。

 

ネイラ・ハンターは、上記とは真逆のケースに属する。ハープ奏者はロサンゼルスからイギリスに一時的に拠点を移し、音楽的な結末に何らかの力を加えようとした。結果、アンビエント、ヒーリング・ミュージックを基調とする1stアルバムからは想像しがたい音楽が生み出された。ハープの演奏、ナイラ・ハンター自身のミステリアスなボーカル、そしてアルバム全体には、ポーティスヘッド、トリッキーに象徴づけられるブリストル・サウンドのアトモスフィアが漂う。

 

表面的には、アーティストは、主体となる音楽性をひけらかすことを遠慮しているように思えるが、ロンドンのジェイムス・ブレイク、キング・クルーを彷彿とさせる現代的なネオ・ソウルの影響を力強く反映させ、新たなポピュラー音楽の未来形、理想形を示そうとしている。それらを外側から包み込むのは、ミステリアスなムード、アンビエントを下地にしたアトモスフィアである。これらの収録曲は、ハープをもとに書かれたというが、表向きにはこの楽器が主体のアルバムとは断定しかねる部分もある。ハープのグリッサンドをはじめとする装飾音の効果をベースにして、ポップス、ヒップホップ、ネオソウル、ジャズ、これらの複合的な音楽の澄明なレンズを通して、その向こう側にほの見えるかすかなトリップ・ホップを照射しようとしている。

 

幸いなことに、ネイラ・ハンターには、ストーリーの起伏を設けるという作曲術が備わっている。それは音楽を文学的に語るというのではなく、音楽そのもので一連の物語を紡いでいく。

 

『Lovegaze』のオープニングを飾る「Strange Delights」は、アルバム全体の序章代わりとなっている。まるで山頂に降り積もる雪が、夜明けの太陽の光に当てられ、徐々に溶け始め、清冽な水と変わるように、ミステリアスなムードに包まれながら、リバーブを配したピアノの伴奏に導かれるようにして、ネイラ・ハンターの歌がゆっくりと始まる。ネイラ・ハンターのボーカルは、ヒーリングミュージックやメディエーションの範疇にあり、それとともにかすかなソウルの質感を漂わせている。シネマの導入部を映画館で見るかのようなダイナミックな音響性は、徐々に反復的なピアノのフレーズ、その背後に滲むアンビエントのシークエンスにより強化されていき、制作者が示そうとする音楽的な世界観とも称すべき表現性を丹念に敷衍させていく。

 

本作の冒頭では、全体的な構造の途中にあるダンスミュージックやエレクトロニックの影響がそれとなく示されたに過ぎないが、二曲目「Through The Din」では、アーティストのバックグランドを成す副次的な音楽のレンズを介して、本作の核心を形づくるトリップ・ホップを照射しはじめる。1990年代にポーティスヘッドのギボンズやジェフがそうしたように、ヒップホップ、ジャズ、R&Bをカットアップし、ブレイクビーツの中に収めるのだ。「Dummy」が登場した時代に象徴されるミステリアスで暗鬱なサウンドをハンターはしたたかに踏襲し、アンニュイで陰影のあるボーカルをしなるようなビートという形で昇華している。ハンターは、単一のジャンルに音楽を止めることを避け、複数のジャンルにある曖昧さを強調しようとしている。これは、ロンドンの複雑な音楽の文化の反映がこういった働きかけをしたものと考えられる。

 

3曲目の「Finding Mirrors」では、そのことがさらに明瞭となるかもしれない。ハンターはダンスミュージック/エレクトロニックを主体として、リズムやグルーブ感を重視し、イギリスの都市部のクラブミュージックの文化を反映させようとしている。そしてその中に、UKポップスのアンセミックなフレーズを交え、デビュー作とは相異なる音楽性の側面を示している。しかし、ハンターのボーカルは、モダンな表現の範疇にありながら、粗雑な模造品や複製物に堕すことはなく、生々しく、「生きている」という印象をもたらす。それは感情的な性質を失わず、その中に、ほろ苦さや切なさ、脆弱性といった内面的な側面を内包させているからである。これがダンサンブルなビートを織り交ぜながらも、奇妙な静けさをあわせ持つ理由なのかもしれない。 

 


「Finding Mirrors」

 

 

 

 ダンス・ミュージック/エレクトロニックを主体とした曲調は、その後のアルバムの中間部の重要な核心を担っている。

 

続く、4曲目の「000」において、ネイラ・ハンターはエレクトロニックのトラックに対して、メディエーションというアーティスト独自の語法を用い、新鮮な作風を提示している。もちろん、その中には、トリップ・ホップのアンニュイな感覚、あるいはロンドンのネオソウルに象徴づけられるポップス、ヒップホップ、R&Bのクロスオーバー性を感じ取ることもできる。これらの現代的な音楽のアプローチのなかで、ハンターは90年代のブリストルサウンドにそのルーツが求められる暗鬱さとともに、内側に秘めたセクシャリティを表現し、曲そのものから派手さや華美さとは正反対の奥行きのある精彩味をもつ生命感がかすかに立ち上がる。それらの性質を強化するのが、反復的なビートやシネマティックな音響性を持つパーカッションだ。

 

続く、タイトル曲では、ボーカルパフォーマンスを学習していたことがあるというハンターの経験が生かされている。声そのものをオーケストラの器楽的な表現として解釈し、それを人間の特性という形を通じて「生命の奔流」として表現しようとする、つまり、ヒューマニティーの発露こそがボーカル・アートの本質であると言えるのだが、例えば、アメリカのメレディス・モンクを始めとするボーカルアートの音楽家たちが、ひとしなみにそうであるように、ネイラ・ハンターもみずからの声により自由性に充ちた表現を希求してやまない。メディエーション/ヒーリングミュージックという切り口を介し、ハンターはみずからの創作における可能性を押し広げ、演劇や舞台芸術に近い表現に近づく。しかしそれらは、次なる表現に至ろうとする寸前で踵を返し、音楽という表現の領域に留められ、ジャズ、モダンオーケストラ、ダンスミュージック/エレクトロニックという、それ以前にある不確実な領域で揺れ動きつづける。不確実性というのは、これらの表現は、アーティストにとってまだ完全には耕されておらず、いわば「無知の知」の領域内に存在し、クリエイティビティーの源泉ともなっているからである。

 

さらに「000」では、アーティスト自身のハープの演奏が力強くフィーチャーされていることが分かる。それは、装飾音的な効果という形をとって現れたかと思えば、水の奔流さながらに曲の構造性を形成する場合もあり、ハンター自身のループ/ディレイを施した現代的なサウンドの働きを強める場合もある。終盤部に訪れるハープの演奏は、静謐な印象を携えながら、アンビエントの奥底に途絶えてゆく。まるでみずからの流麗なアルペジオ、グリッサンドによるハープの演奏をサイレントという「無の領域」に帰すかのような巧みな展開を見出すことができる。


中盤で出現したハープのアルペジオは次曲に引き継がれ、続く「Bleed」のモチーフともなっている。聞きやすさのあるヒーリングミュージックやイージーリスニングの音楽のように軽やかなイントロダクションのアルペジオとアンビエントのシークエンスが融合を果たし、神々しさすら感じさせるネイラ・ハンターの美麗な歌声が重なりあう。しかし、それらが決して安っぽい印象にならないのは、フィルターをかけたスネアの導入にあり、リズム・トラックがトリップ・ホップやローファイ・ホップのような別の側面から楽曲に働きかけをしていることにある。

 

そして、ハープの演奏の巧みさは当然のことながら、オーガニックでナチュラルな質感を持つハンターのボーカルは、ミステリアスな領域を越え、ニューエイジ・ミュージックのようなスピリチュアリズムに傾くこともある。これらのオルタネイトな要素は、グライムやダブステップのように変則的なリズムと掛け合わされ、エクスペリメンタルポップという実験音楽の領域に差し掛かる瞬間もある。曲には、ある種の緊張感がもたらされるときもあり、それが現代的なボーカルアート/オペラといった、表現性に特化した格式高い音楽へと昇華される瞬間もある。ただ、この曲でも、それほど堅苦しくならず、聞き手の数だけ開けた解釈が用意されているのは、ネイラ・ハンターが複数の表現を飽くまでポップスとして昇華しようとしているからなのだ。

 

もうひとつ、ボーカル・パフォーマンスという表現形態に加え、ハンターは、教会音楽の聖歌にルーツを持つことも忘れてはならない。「Adorned」では、クラシック的な宗教音楽とゴスペルの中間にある雰囲気が、たえずせめぎ合うようにしている。白人の音楽なのか、それとも黒人の音楽なのか? もしかすると、そのどちらでもあるのか? 規定することの出来ない曖昧で抽象的な領域を彷徨いながら、それらの真実を、自らに対し、時には他者に向けて問いかけるようにハンターは声を紡ぐ。続いて、ジャズの雰囲気を漂わせるオルガンをひとつのポイントとして駆け上り、最終的に20世紀の古典的なクラシック・ジャズの音楽性へと飛躍していく。 

 

 

「Adorned」

 

 

 ネイラ・ハンターの声は、「ニューヨークのため息」とも呼ばれるヘレン・メリルのようなスモーキーな味わいのあるブルースの奥深いおもむきを持つ。彼女は、神聖で清浄な雰囲気を持つハモンド・オルガンの音色に導かれるようにし、哀愁と物憂げの源泉へと迫ろうとする。これはまたアーティストがみずからの生命の本質に迫ろうとする試みにほかならない。そして、曲の途中に導入されるアルト・サックスの遊び心のある音色、アンビエント風の抽象的なシークエンス、そして静かに囁きかけるような思索性に富んだハンターの声により、ポピュラー音楽として荘厳な瞬間を呼び覚ます。昂じるような曲の展開がまったくないにもかかわらず、アーティストの音楽の奥深いバックグラウンドや、その人物的な源泉へと迫ることもできるのだ。

 

一見、デビュー・アルバムから少しだけ遠ざかったように思える音楽性は、その後、限定的な原点回帰を果たす。「Cloudbreath」は、自然の持つ神秘そのものに迫ろうとしているように感じられる。それらはやはりテクノを基調とするエレクトロニックとハープの美麗なグリッサンドによりアブストラクトな表現という形で昇華される。曲の途中からは、ニューエイジ/アンビエントのような音楽の奥行きを増す。それをスイスのヴァイオリン奏者、Paul Giger(パウル・ギーガー)のようなエキゾチズムやアヴァンギャルド性と結びつけることは、さほど難しいことではない。同時に、ミニマリズムの継承者という意外な一面を見出すことも無理体ではない。

 

今作はおそらく、ネイラ・ハンターにとって、本格的なボーカル・デビューとなるものと思われるが、収録曲の中には、ボーカリストとしての深みや円熟味を感じさせるトラックもある。「Garden」では、メディエーション/ヒーリング・ミュージックを、ネオ・ソウルとポピュラーという観点から見つめ直した曲だが、それらはアンビエントに属する抽象的なサウンドスケープと巧みにマッチし、清涼味のある空気感を生み出す。トラック全体を通して、テープ・ディレイを始めとする技巧的な効果を交えつつも、天空の庭を歩くかのような爽やかで開けた感覚があり、前衛的なプロダクションの中にあろうとも、いっかな途切れることがないのが驚きだ。

 

本作の10曲において、ネイラ・ハンターはそれほど内なる感覚をあらわにすることは少ないが、クローズ曲だけは例外である。

 

「Into The Sun」では、アーティストが得意とする、ニューエイジ/スピリチュアリズムのレンズを通して、オーケストラや古典的なジャズの源泉に迫る。それらは、一方の側面から見ると、「美」という得がたい概念の正体でもあるのだが、それらをハートウォーミングな感情表現で包み込もうとしている。この最後の曲に、ビョークのデビュー作『Debut』のような大きなオーラが感じられさえするのは、あながち偶然とは言えまい。ネイラ・ハンターが、世界的なシンガー、アーティストになるための準備は着々と整いはじめているのではないだろうか。偽物ではない、本物の音楽とはいかなるものなのか。その答えは、すべてこのアルバムに示されている。

 


 

85/100


 

Weekend Featured Track 「Into The Sun」

 

 

 

Nailah Hunter(ネイラ・ハンター)の新作アルバム『Lovegaze』はファット・ポッサムから本日発売。アルバムのストリーミングはこちらから。