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 AOR/Soft Rock Essencial Disc Guide     ‐ AOR/ソフト・ロックの名盤をピックアップ

Tears For Fears

 

AOR/ソフト・ロックとは、タワーレコードによると、”大人向けのロック”と説明されている。2000年初頭に同レコード・ショップが配布していたフリーペーパーでも同様の趣旨の説明がなされていた。ヴィジュアル系の一歩手前のナルシスティックなロック/ポップとも言えるかもしれない。シンセサイザーの演奏を押し出したきらきらしたサウンドは、T~Rexのグリッターロックや、その前の70年代後半のニューウェイブ/テクノとも共通項がある。音楽的に言及すれば、現在のシンセポップに当たり、軽めの音やビートが特徴である。これはハードロックやメタルが徐々に先鋭化していく時代、それに対するカウンターの動きであったと定義付けられる。

 

この音楽運動は80年代前後に隆盛をきわめ、白人を中心とするロックカルチャーのメインストリームを形成し、MTVの全盛期の華やかりし商業音楽のイメージを決定づけた。もっとも象徴的なところでは、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、TOTO、JAPAN等がその代表例。しかし、AORやソフトロックが白人音楽というのは極論である。少なくとも、1978年頃にはブラック・ミュージックの一貫として、クインシー・ジョーンズの1976年の傑作『Mello Madness』など、以降のソフト・ロックによく似たジャンルが登場していたからである。

 

同様に、スティーヴィーやマーヴィンの音楽が併行して、これらの白人音楽になんらかの影響を及ぼした可能性があることを指摘したとしても、完全な的外れとはならないはずである。より詳細な指摘をしておけば、AOR/ソフト・ロックに該当するアーティストやバンドが英国のニューウェイブに傾倒していた可能性があるとしても、このジャンルのグループの音楽にはソウルフルな香りが漂っていた。それらは分けてもスティング擁するPOLICEの初期から中期の作品や、ポール・ウェラー擁するThe Style Councilのデビュー・アルバムを聴けば瞭然だろう。 現在でも、白人のアーティストが黒人のスポークンワードやフロウのスタイルをポップの歌唱法の中に取り入れる(Torres、Maggie Rogersの楽曲を参照)場合もあるように、どんな時代においても、人種的な垣根を越えて、互いに音楽的な影響を分かち合ったと見るべきなのである。

 

これらの音楽は後に、シンセ・ポップやアヴァン・ポップという形で2010年代や以降の20年代に受け継がれていくが、その本質的な意義は変わっていない。 AORの音楽はよく「アーバン」とか「メロウ」という作風が代表例として挙げられるが、これはブラックミュージックの1970年代後半の象徴的なアーティストが、時代に先んじて試作していた音楽でもあった。そのように考えると、このAOR/ソフト・ロックというジャンルの正体は、ローリング・ストーンズやエリック・クラブトンがブラック・ミュージックをロックの文脈にセンスよく取り入れたように、80年代のロックの流れに、以前のR&Bやソウルのニュアンスを取り入れ、それらを、以前のグリッターロックやニューウェイブと関連付けたと見るのが妥当かもしれない。

 

少なくとも、2024年の音楽を聞く上で、AORをしっかりと抑えておけば、現代の音楽に対する理解も深まるに違いない。2020年代以降の音楽では、多かれ少なかれ、この音楽ジャンルの要素を取り入れることはそれほど珍しくない。それは実験的なロックやポップとは対蹠地にある”親しみやすいポピュラー音楽”という形で、今も多くのリスナーに親しまれているのである。以下に掲載する名盤ガイドは、いつもと同じようにこのジャンルの最初の9つの入口を示唆したに過ぎない。もちろん、その背後に無数の名作が隠れていると言っておかなければならない。





Tears For Fears  『Songs From The Big Chair』 1985



Songs From The Big Chair』は、英国のバンド、Tears For Fears(ティアーズ・フォー・フィアーズ)のセカンドアルバムで、1985年2月25日にマーキュリー・レコードからリリース。

 

前作のダークで内省的なシンセポップから脱却し、メインストリームな軽妙なギターを基調としたポップロックサウンド、洗練されたプロダクション・バリュー、多様なスタイルの影響を特徴としている。ローランド・オルザバルとイアン・スタンリーの歌詞は、社会的、政治的なテーマを表現している。このアルバムはユニットは全英で2位、全米で1位を獲得し、一躍スターダムに躍り出た。アルバムの収録曲「Everyone Wants To Rule The World」は普遍的な魅力がある。後にデラックスバージョン、及びスーパーでラックスバージョンが再発されている。



「Everyone Wants To Rule The World」

 

 

 

 

The Cars 『Heartbeat City』1984


リック・オケイセック擁するカーズの1984年の代表作『Heartbeat City』はAOR/ソフト・ロックを知るのに最適な一枚。米国の同バンドのリリースしたアルバムの中で最も商業的成功を収めている。ポップなアルバムとして知られているが、シニカルな陰影のある歌詞も織り交ぜられている。

 


ロックな印象を押し出した前々作『Panorama』、前作『Shake It Up』に比べると、全体的にポップでキャッチーな仕上がりになっている。『ラジオ&レコーズ』の年間アルバムチャートでは1位を獲得している。「Drive」「Hello Again」「Magic」「You Might Think」がトップ20に入るなど、シングル・カットでヒットを量産している。 アメリカのチャートで最高3位、イギリスでは25位を獲得。後のこのアルバムで、カーズはロックの殿堂入りを果たした。


「Drive」




The Police 『Synchronicity』 1983

 


スティング擁するポリスは当初、レゲエやダブサウンドを絡めた気鋭のロックバンドとしてニューウェイブの真っ只中に登場したが、年代と併行してよりポップなバンドに変化していった。5作目のアルバムは彼らの実験的な音楽とポピュラー性が劇的に融合した。その後の活動休止を見ると、バンドとしてかなり危ういところで均衡を図っている緊張感のある作品である。

 

『シンクロニシティ』は、1983年6月にA&Mレコードから発売。バンドで最も成功を収めた本作には、ヒットシングル「Every Breath You Take」、「King of Pain」、「Wrapped Around Your Finger」、「Synchronicity II」が収録。アルバムのタイトルと曲のネタの多くは、アーサー・ケストラーの著書『偶然の根源』(1972年)にインスパイアされている。1984年のグラミー賞では、アルバム・オブ・ザ・イヤーを含む計5部門にノミネート、3部門を受賞した。リリース当時、そして、シンクロニシティ・ツアーの後、ポリスの人気は最高潮に達し、BBCとガーディアン紙によれば、彼らは間違いなく「世界最大のバンド」だったという。




「Every Breath You Take」

 

 

 

 

TOTO 『Ⅳ』 1982

 

 

 

『Toto IV』は、1982年3月にコロムビア・レコードから発売されたアメリカのロックバンドTotoの4枚目のスタジオアルバム。「Rosanna」を始め、シンセの演奏を押し出したポピュラーアルバムだが、異文化へのロマンが表明され、それはアルバムのクローズ「Africa」で明らかになる。

 

リードシングルの「Rosanna」はビルボードホット100チャートで5週間2位を記録し、アルバムの3枚目のシングル「Africa」はホット100チャートで首位を獲得し、グループにとって最初で唯一のナンバー1ヒットとなった。アルバム・オブ・ザ・イヤー、プロデューサー・オブ・ザ・イヤー、レコード・オブ・ザ・イヤーを含む3つのグラミー賞を受賞した。

 

発売直後、アメリカのビルボード200アルバムチャートで4位を記録。また、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、オランダ、イタリア、ノルウェー、イギリス、日本を含む他の国々でもトップ10入りを果たす。また、このアルバムは、オリジナル・ベーシストのデヴィッド・ハンゲイトが2014年に復帰するまで(2015年のアルバム『TOTO XIV』のリリースで)、オリジナル・ベーシストをフィーチャーした最後のTOTOアルバム。オリジナル・リード・ヴォーカリストのボビー・キンボールが1998年にカムバックするまで(『TOTO XIV』のリリースで)、オリジナル・リード・ヴォーカルをフィーチャーした最後のアルバムでもあった。

 


「Africa」

 

 

 

 

Daryl Hall &  John Oates 『Private Eyes』 1981


 

AOR/ソフト・ロックの中でも、よりR&Bに根ざしたアルバムがある。それが意外なことにダリル・ホール & ジョン・オーツの1981年の『Private Eyes』である。この年のデュオのアルバムには1980年代前後のアーバン・コンテンポラリーからの影響が大きく、ファンクやソウルに触発を受けながら、それらを親しみやすく軽快なシンセ・ポップとしてアウトプットしている。

 

『プライベート・アイズ』(Private Eyes)は、1981年9月1日にRCAからリリースされたホール&オーツの10枚目のスタジオアルバム。このアルバムには、2枚のナンバーワン・シングル、タイトル曲と "I Can't Go for That (No Can Do)"、トップ10シングル "Did It in a Minute "が収録されている。「I Can't Go for That (No Can Do)」はR&Bチャートでも1週間首位を獲得した。この曲は現在でも古びていない。2020年代の商業音楽にも共鳴する何かがある。

 

 「I Can't Go for That (No Can Do)」

 

 

 

Christpher Cross 『Christpher Cross』 1979

 


クリストファー・クロスは、テキサス/アントニオ出身のシンガーソングライター/ギタリストで、フラミンゴをトレードマークにしている。知る人ぞ知るロックギタリストで、この音楽家を畏れるファンは多いはずだ。

 

本作はクリストファー・クロスのデビュー・アルバムで、1979年半ばにレコーディングされ12月にリリースされた。このアルバムは、3M デジタル・レコーディング・システム (3M Digital Recording System) を活用した初期のデジタル・レコーディング・アルバムのひとつである。

 

1981年のグラミー賞では、ピンク・フロイドの『The Wall』を抑えて最優秀アルバム賞を受賞し、1970年代末から1980年代初めにかけての最も影響力のあったソフトロックのアルバムのひとつであると評されている。『Christpher Cross』はアルバム・オブ・ザ・イヤー、レコード・オブ・ザ・イヤー、ソング・オブ・ザ・イヤー、最優秀新人賞を含む5部門でグラミー賞を受賞した。この驚異的な記録は2020年のビリー・アイリッシュの時まで破られることがなかった。


 

「Ride Like The Wind」

 

 

The Aran Persons Project 『Eye In The Sky』 1982

 


『Eye In The Sky』は、1982年5月にアリスタ・レコードからリリースされたイギリスのロックバンド、The Aran Persons Project(アラン・パーソンズ・プロジェクト)の6枚目のスタジオアルバム。アルバムジャケットはファラオの目。

 

1983年の第25回グラミー賞で、『Eye In The Sky』はグラミー賞の最優秀エンジニア・アルバム賞にノミネートされた。2019年、このアルバムは第61回グラミー賞で最優秀イマーシヴ・オーディオ・アルバム賞を受賞した。

 

『Eye In The Sky』には、最大のヒット曲であるタイトル曲が収録。リード・ヴォーカルはエリック・ウルフソン。アルバム自体も大成功を収め、多くの国でトップ10入りを果たした。


このアルバムにはインストゥルメンタル曲「Sirius」が収録されており、北米中の多くの大学やプロのスポーツ・アリーナの定番曲となっている。この曲は、1990年代にシカゴ・ブルズが優勝した際に、スターティング・ラインナップを紹介するために使用された。



もう1つのインスト曲「Mammagamma」は、1980年代半ばにニュージーランドのTVNZとBBCウェールズでスヌーカー中継のために個別に使用され、1989年から1990年にかけてアイルランドのトニー・フェントンの深夜2FM番組で「My Favourite Five」特集として使用された。また、このインストゥルメンタルはイタリアのIvecoのインダストリアル・ビデオでも使用された。


「Eye In The Sky」

 

 

 

 

Don Henley 『Actual Miles: Henley’s Greatest Hits』 1995

 


 

最後にご紹介するのは『Actual Miles:Henley’s Greatest Hits』1995年にリリースされたアメリカのシンガー・ソングライター、ドン・ヘンリーによる初のコンピレーション・アルバム。

 

このコンピレーションアルバムは1980年代を通した3枚のソロ・アルバムからのヘンリーのヒット曲を網羅している。アルバムには3曲の新曲、「The Garden of Allah」、「You Don't Know Me at All」、ヘンリーによる「Everybody Knows」のカヴァーが収録されている。この作品集はチャート最高48位を記録し、プラチナに達した。「The Garden of Allah」はメインストリーム・ロック・トラックス・チャートで16位を記録。

 

ジャケットの写真には、葉巻を吸う中古車セールスマンのヘンリーが冗談半分に描かれているが、これは1995年の『Late Show』出演後、デヴィッド・レターマンに質問されたドン自身が語った。ヘンリーは、この写真とアルバム・タイトルはレコード業界に対する微妙な風刺と説明している。 



ジャケットの写真には、葉巻を吸う中古車セールスマンのヘンリーが冗談半分に描かれているが、これは1995年の『レイト・ショー』出演後、デヴィッド・レターマンに質問されたドン自身が語ったものだ。ヘンリーは、この写真とアルバム・タイトルはレコード業界に対する微妙な風刺だと説明している。 

 

 

 「The Boys Of Summer」

 

 

UKパンクの最初のムーブメント 75年から78年までに何が起こっていたのか

 

パンクのイメージでいえば、その始まりはロンドンにあるような印象を抱くかもしれない。しかし、結局のところはボストンやニューヨークで始まったプロトパンクが海を越えてイギリスのロンドンに渡り、マルコム・マクラーレンやピストルズのメンバーとともに一大的なムーブメントを作りあげていったと見るのが妥当である。結局、当初はインディーズレーベルから始まったロンドンのムーブメントだったが、多くのパンクバンドが70年の後半にかけてメジャーと契約したことにより、最初のムーブメントは終息し、ニューウェイブやポスト・パンクに引き継がれていく。しかし、アンダーグラウンドでは、スパイキーヘアやレザージャケットに象徴されるようなハードコアパンクバンドがその後も、このムーブメントのうねりを支えていった。

 

ロンドンを中心とする1970年代中盤のムーブメントは、三大パンクバンド、つまり、セックス・ピストルズとダムド、クラッシュを差し引いて語ることは難しい。それに加えて、ジェネレーションXとジャムを加えて五大バンドと呼ばれることもあるという。しかし、この熱狂は都市圏における近代文明から現代文明へと移り変わる瞬間における若者たちの内的な軋みや激しい感情性が織り込まれていたことは着目すべきだろう。それはノイジーなサウンド、そしてシャウトや政治的な皮肉や揶揄という形で反映されていたのだった。ここに多くの人がパンクそのものに対して反体制のイメージを抱く場合があるが、それは実際のところロンドンの若者の直感的なものを孕んでいた。

 

つまり、70年代のハードロックが産業的に強大化していくのに対して、若者たちはスミスが登場するサッチャリズムの以前の時代において、アートスクールの奨学金をもらったり、失業保険をもらって生活していたという実情があった。(当時の失業率は10%前後だったという。)これがハードロック・バンドのドラッグの産業性への貢献に対する反感という形に直結していった。つまり、ピストルズのライドンがデビューアルバムで歌った「未来はない」という歌詞には、その当時の若者の代弁的な声が反映され、決して反体制でもなければ反国家主義でもなかった。これはライドンが後に彼が英国王室を嫌悪していたわけではなく、むしろ英国という国家を愛していると率直に述べ、しばらくの誤解を解こうとしていたことを見れば瞭然だった。つまり、彼は若者の声を代弁していたに過ぎなかった。


今でもそうだが、ロンドンの若者たちの音楽にはニューヨークのCBGBに出演していたパンクの先駆者、テレヴィジョンやラモーンズ、パティ・スミスといった伝説的なアーティストたちと同じようにファッションによってみずからのポリシーを解き明かすというものがあった。レザージャケットやクロムハーツのようなネックレス、そして破れたカットソー等、それらの象徴的なアイテムはいわば、当時の20代前後の若者たちのステートメント代わりとなっていたのである。

 

英国の最初のパンクムーブメントは厳密に言えば、75年に始まった。つまりロンドンのセント・マーティンズ・スクール・オブ・アートでコンサートを開いたときである。この最初のギグは15分ほどで電源を切られたため終了となった。しかし、後のバンドの音楽性やスティーヴ・ジョーンズのソロ・アルバムを見ると分かる通り、ピストルズの本質はパンクではなく、ロックンロールにある。それは彼らがスモール・フェイセズやモダン・ラヴァーズのジョナサン・ リッチマンのカバーを行っていたことに主な理由があるようだ。76年、ピストルズはオリジナル曲を増やしていき、取り巻きも増え始めた。このローディーのような存在が、「ブロムリー軍団」とストーンズのヘルズ・エンジェルズのような親衛隊を作っていったのは自然な成り行きだった。この親衛隊の中にはスージー・スーもいたし、そしてビリー・アイドルもいた。

 

同年代に登場したクラッシュに関しては、すでに76年頃に活動を始めていた。クラッシュを名乗る以前に、ワン・オー・ワナーズ(101'ers)というバンド名で活動を始めており、主にパブをメインにギグを行っていた。結局、ストラマーはピストルズのライブに強い衝撃を受けて、「White Riot」に象徴づけられるデビュー・アルバムの性急なパンク・ロックソングを書こうと決意したのだった。またベーシストのポール・シモノンも最初に見たギグはセックス・ピストルズだったと語っており、やはりその影響は計り知れなかったことを後の時代になって明かしている。

 

一般的にはこのバンドにダムドが加わるべきなのかもしれないが、当時のミュージックシーンの革新性やパンクというジャンルの影響度を観る限り、ピート・シェリー擁するBUZZCOCKSの方が重要視される。当時、マンチェスターに住んでいたピート・シェリーとハワード・ディヴォートは音楽誌、「ニューミュージカルエクスプレス」(NME)に掲載されたライブレポートを読み、その後すぐにBUZZCOCKSを結成した。これは1976年2月のことだった。バズコックスは現代的な産業文明に疑問を呈し、「Fast Cars」では車に対する嫌悪感を顕にしている。そして音楽的にも後のメロディックパンクの与えた影響度は度外視出来ない。特に、パンクにポピュラーなメロディー性をもたらしたのはこのバンドが最初だったのである。これはのちのLeatherfaceやSnuffといったメロディックパンク/ハードコアバンドに受け継がれていくことになる。

 

UKパンクのムーブメントはアンダーグラウンドではその後も、『PUNKS NOT DEAD』と息巻く連中もいたし、そしてその後も続いていくのだが、 結局のところ、オリジナルパンクは、75年に始まり、77年から78年に終焉を迎えたと見るべきだろうか。その間には、ダムド、クラッシュ、スージーアンドバンシーズがデビューし、パンクバンドが多数音楽誌で紹介されるようになった。76年にはダムドが「New Rose」をリリース、同年に、セックス・ピストルズは「Anarchy In The UK」でEMIからデビューした。彼らは最初のテレビ出演で、放送禁止用語を連発し、これが話題となり、パンクそのものがセンセーショナル性を持つに至った。

 

最初のパンクのウェイブが終了した理由は、よく言われるようにパンクバンドがメジャーレーベルと契約を結び最初の意義を失ったからである。76年の8月には「メロディーメイカー」がすでにニューウェイブの動きを察知し、XTC、エルヴィス・コステロといった他のパンクバンドとは異なる魅力を擁するロックバンドを紹介していった。これがイギー・ポップのような世界的なロックスターが現在もなおエルヴィス・コステロに一目を置く理由となっている。

 

以後、ニューウェイブはマンチェスター等のシーンと関連性を持ちながら、ポスト・パンクというジャンルが優勢になっていく。厳密に言えば、最初のパンクの動きは1978年頃にニューウェイブ/ポスト・パンクのムーブメントに切り替わったと見るのが一般的である。その後は、76年のセックス・ピストルズとバズコックスのマンチェスターの伝説的なギグ(観客は30人ほどだったと言われている)を目撃した中に、80年代の象徴的なミュージシャンがいた。

 

それがつまり、80年代の音楽シーンを牽引するJoy Divisionのイアン・カーティス、New Orderを立ち上げるピーター・フック、そして80年代の英国のミュージック・シーンを牽引するザ・スミスのモリッシーだったのである。これは信じがたい話であるが、本当のことなのだ。

 

 

UKパンクの名盤ガイド 

 

ここでは、UKパンクの最初のムーブメントを支えたバンドの名盤を中心に取り上げていきます。基本的には、70年代から90年代のオールドスクールのスタンダードな必聴アルバムに加えて、多少オルタナネイトなアルバムもいくつか取り上げていきます。ぜひ、これからUKのパンクロックを聴いてみたいという方の参考になれば幸いです。

 

 

SEX PISTOLS 『Never Mind The Bullocks』  

 


 

結局、「ベタ」とも言うべきアルバムではあるものの、パンクというジャンルを普及させたのは、このアルバムとそれに付随するシングルカットだ。マルコム・マクラーレン主導のもと、同名のブティックに集まるヴィシャスやライドンを始めとする若者たちを中心に結成。センセーショナルな宣伝方法が大きな話題を呼び、一躍英国内にパンクロックの名を知らしめることになる。

 

パンクの象徴的なアルバムではありながら、ギタリストのスティーヴ・ジョーンズのロックンロール性に重点が置かれている。(後のソロ・アルバムではよりロック性が強い)それに加え、ドイツのNEU!に触発されたジョン・ライドンのハイトーンのボーカルは、のちのP.I.Lにも受け継がれていくことになる。しかし、このアルバムの最大の魅力は、パンクではなくポピュラリティーにある。ノイジーな音楽を、どのアルバムよりも親しみやすい音楽性に置き換えたクリス・トーマスのプロデュースの手腕は圧巻である。「Anarchy In The UK」、「God Save The Queen」といったパンクのアンセムは当然のことながら、「Holiday In The Sun」、「EMI」のシニカルな歌詞やメッセージ性は、今なお普遍的な英国のパンクの魅力の一端を担っている。





 The Clash 『London Calling」

 


パブリック・スクール出身のジョー・ストラマー、彼の父親は外交官であり、若い時代から政治的な活動にも余念がなかった。パンクのノイジーさや性急さという点を重視すると、やはりビューアルバムが最適であるが、このアルバムが名盤扱いされるのには重要な理由がある。つまり、パンクロックというジャンルは、スタンプで押したような音楽なのではなく、そのバリエーションに最大の魅力があるからである。後には、ジョニー・キャッシュのようなフォーク音楽にも傾倒することになるジョー・ストラマーであるが、このアルバムではクラッシュとしてスカ、ダブ、ジャズ、フォーク、ロックと多角的な音楽性を織り交ぜている。


『Sandanista』は少しパンク性が薄れてしまうが、このアルバムはそういった音楽的なバリエーションとパンク性が絶妙な均衡を保つ。「Spanish Bombs」では政治的な意見を交えて、時代性を反映させ、痛快極まりないポピュラー・ソングを書いている。またロンドンのリアルな空気感を表したタイトル曲から、最後のボブ・ディラン風のナンバー「Train In Vain」に至るまで、パンクを越えてロックの伝説的な名曲が収録。

 

 

 

The Damned 『The Damned』

 



ニューヨークからもたらされたパンクというジャンルに英国独自のオリジナリティーを加えようとしたのがDamned。Mott The Hoople、New York Dollsにあこがれていたブライアン・ジェイムズを中心に結成された。

 

少数規模のライブハウスの熱狂を余すところなく凝縮されたセルフタイトルがやはり入門盤に挙げられる。ピストルズと同様にロック性が強く、それにビートルズのようなメロディーをどのように乗せるのかというチャレンジを挑んだ本作は今なおUKパンクの原初的な魅力を形作る。アルバムは10時間で制作されたという噂も。少なくとも本作にはパンクの性急な勢いがある。それは「Neat Neat Neat」や「New Rose」といった代表的なナンバーを見ると瞭然である。

 

 

 


Buzzcocks 『Singles Going Steady』



ピート・シェリー擁するBuzzcocksの名盤はオリジナル・バージョンとしては『Another Music In Different Kitchen』が有名であるが、このアルバムだけを聴くだけでこのバンドやシェリーのボーカルの本当の凄さは分からない。つまり、最初期のメロディック・パンクというジャンルの基礎を作り上げただけではなく、のちの70年代後半からのニューウェイブやポスト・パンク、そしてシンセ・ポップまですべてを網羅していたのが、このマンチェスターのバンド、バズコックスの本質だった。ベスト盤とも称すべき『Singles Going Steady』には、このバンドがどのような音楽的な変遷を辿っていったのか、そして、パンクの10年の歴史が魅力的にパッケージされている。


現代的な産業への嫌悪を歌った性急なパンクアンセム「Fast Cars」、同じくニューウェイブの幕開けを告げる「Orgasm Addict」、メロディック・パンクの最初のヒットソング「I Don't Mind」といった彼らの代表的なナンバーの数々は、今なお燦然とした光を放っている。それに加えて、人懐っこいようなピート・シェリーの名ボーカルは後のポスト・パンクやニューウェイブと混ざり合い、「Promises」といった象徴的なパンクロックソングとして昇華される。他にも、このバンドのポピュラリティーが力強く反映された「Why Can't Touch It」も聞き逃す事はできない。ここでは、オリジナル盤のバージョンを取り上げる。 

 


 

 

 Generation X 『Generation X』

 

ご存知、ビリー・アイドル擁するGeneration Xは、パンクの息吹をどこかにとどめながらも痛快な8ビートのロックンロール性で良く知られる。それ以前にアイドルはピストルズの親衛隊のメンバーをしており、伝説的なバンド、ロンドンS.Sに在籍していたトニー・ジェイムズらによって結成。ダンサンブルなビートを織り込んだロック性がこのデビューアルバムの最大の魅力だが、もう一つの意外な魅力としてパンキッシュなバラードソングが挙げられる。

 

特に「Kiss Me Deadly」はパンクバンドとしては珍しく恋愛ソングで、切ないエモーションを何処かに留めている。同じようにパンキッシュなバラードとしては、このアルバムには収録されていないが、「English Dream」もおすすめ。どことなく切なくエモーショナルな響きを擁している。

 

 

 

GBH 『City Baby Attacked By Rats』

 

GBHは、ちょっと前に、東京の新宿アンチノック(GAUZEなどが企画”消毒GIG”を行う)で来日公演を行っている。紛れもなく、UKに最初にハードコアというジャンルを持ち込んだバンドである。しかし、WIREのようなニューウェイブのサウンドをやりたかったというわけではなく、メタルを演奏しようとしたら、あまりに下手すぎて、こういったハードコアが出来上がったという。つまり、メタルバンドのようにテクニカルなギターやブラストビートは演奏できないが、それらの性急さをロックサウンドに織り交ぜようとしたら、ハードコアが出来上がったというのである。


しかし、彼らにとって演奏の下手さは、欠点とはならない。このアルバムでは、のちのUKハードコアを牽引する性急なビート、苛烈なシャウトなど、このジャンルの代名詞的なサウンドが凝縮されている。「Time Bomb」を聴くためだけに買っても損はない伝説的なアルバムである。要チェック。

 

 

 

 

Stiff Little Fingers 『Inflammable Material』

 

スティッフ・リトル・フィンガーズは、アイルランド/ベルファスト出身のパンクバンド。彼らは77年にクラッシュのギグに触発され、バンドを結成した。当初は自主レーベルからリリースしていたが、最初期のシングルがBBCのDJのジョン・ピールの目に止まり、ラフ・トレードと契約した。

 

レコードストア、ラフ・トレードは最初、レゲエやガレージロックを専門とするレーベルとして始まった経緯があるが、スティッフ・リトル・フィンガーズは間違いなくこのレーベルの原初の音楽を体現し、そして知名度を普及させた貢献者である。UKチャート上位にシングルを送り込んだ功績もある。


ガレージ・ロック風の荒削りなパンク性にシャウトに近いボーカル、しかし、まとまりのないサウンドではあるものの、その中にキラリと光るものがある。UKパンクの原初的な魅力を探るのには最適なアルバムの一つである。ジョン・ピールに見初められた「Suspect Device」はUKパンクの原点に位置する。





The Undertones 『The Undertones』




上記のバンドと同様に、工業都市の北アイルランドからもう一つ魅力的なバンドが登場した。BBCのジョン・ピールが最も気に入ったバンド、ザ・アンダートーンズだ。ジョンピールの石碑にはアンダートーンズの名曲のタイトルが刻まれている。バンドはパンクの最盛期からニューウェイブの時期、1975から83年まで活動した。


苛烈なパンクやファッションが目立つ中、ザ・アンダートーンズの魅力というのは、素朴な感覚と、そして親しみやすいメロディー性にある。それほどパンクという感じでもないけれども、その中には、やはり若い感性とパンク性が宿っている。このアルバムに収録されている「Teenage Kicks」はパンクの感性と、エバーグリーンな感覚を見事に合致させた伝説的な名曲の一つである。 

 

 

 

 Discharge 『Hear Nothing See Nothing Say Nothing』

 


 

1977年にストークで結成されたUKハードコアの大御所。現在も奇妙なカルト的な性質を帯びたバンドがイギリスが登場するのは、Joy Divisionの影響もあるかもしれないが、やはりDischargeの影響が大きいのかもしれない。80年頃からシングルをリリースし、このデビュー作で一躍英国のハードコアシーンのトップに上り詰めた。

 

このアルバムのハードコアには、ワシントンDCのバンドのような性急なビート、そして、がなりたてるようなボーカルがあり、これは日本のジャパコアのバンドとの共通点も多い。ただ、Crassのような前衛性を孕んでいるのは事実であり、それがギターやパーカッションのノイズ、そして、音楽的なストーリー性の中で展開される。政治的な主張もセックス・ピストルズよりもはるかに過激であり、UKハードコアの重要なターニングポイントを形成した。このバンドの音楽は後にグラインドコアの素地を形成する。ノイズミュージックやメタルとも切り離すことが出来ない最重要アルバム。

 

 

 

 

Leatherface 『Mush』

 


 

UKパンクの中で最もクールなのは、間違いなくこのレザーフェイスである。サンダーランドでフランキー・スタッブスを中心に結成されたレザーフェイスは、UKのメロディック・パンクの素地をSnuffとともに形成した超最重要バンドであり、聞き逃すことは厳禁である。


特にBBCのジョン・ピールが入れ込み、バンドは何度も「Peel Session」に招かれている。このライブは後にフィジカル盤としても発売されている。バンド名は、おそらくホラー映画「悪魔のいけにえ」にちなみ、そしてアルバムのジャケットもホラー的なテイストが漂うものが多い。

 

ウイスキーやタバコで潰したようなしわがれた声を腹の底から振り絞るようにして紡ぐスタッブス、そしてメロディック・パンクの原点にある叙情的なギターライン等がこのバンドの主要なサウンドである。最初期の名作は『Minx』が挙げられるが、バンドの象徴的なパンクサウンドは『Mush』で完成されたといえるか。2000年代のメロディックパンクの疾走感にあるビート、そしてシンガロング性はすべてこのアルバムが発売された92年に最初の原点が求められるといっても過言ではない。

 

「I Want The Moon」、そして苛烈なパンクのアティチュードを込めた「I Don't Wanna Be The One You Say」等メッセージ性のあるパンクロックソングが多い。他にもニューウェイブサウンドとの融合を、造船や鉱山で知られるサンダーランドの都市性と融合させた「Dead Industrial Atmosphere」、POLICEのパンクカバー「Message In The Bottle」等名曲に事欠かない。


Leatherfaceには無数のフォロワーがいる。日本のメロディックパンクにも影響を及ぼしたほか、アメリカでもフォロワーを生み出し、Jawbreaker,Hot Water Music、Samiamなど秀逸なメロディーメイカーを持つバンドへ、そのDNAが受け継がれていく。

 



70年代のニューウェイヴ/ポストパンク関連のディスクガイドはこちらをご覧ください。

 

Donny Hathaway

 

現代のラップ/ヒップホップやネオソウルが政治的な主張、よりミクロな視点で見るなら、内的な問題の主張という内在的なテーマがあるように、R&Bミュージックが政治的な主張を持たぬ時代を見つけるほうが困難かもしれない。そもそもR&Bに関しては、公民権運動やブラックパンサー党の活動等の前の時代からブラックミュージックという音楽に乗せてミュージシャンが何らかの主張を交えるということは、それほどめずらしくはなかった。それは基本的に社会的な主張が許されなかった時代であるからこそ、有意義なメッセージを発信することが出来たのである。

 

R&Bは80年代に入ると、政治的な主張性における首座を、アイス・キューブを筆頭とするギャングスタ・ラップ勢に象徴される西海岸のグループに譲り、白人のロックやAORとの融合を試みた通称”ブラコン”(ブラック・コンテンポラリー)というジャンルが主流派となっていった。現地名ではUrban Contemporary(アーバン・コンテンポラリー)とも呼ばれている。


R&Bで「アーバンなサウンド」とよく評されるのは、このジャンルの余波を受けた評論用語と思われる。モータウン・サウンド等に象徴されるノーザン・ソウル、そして公民権運動に象徴されるニューソウルと呼ばれる、60年代と70年代にかけての動きの後に、黒人としての主張性が薄められ、ポピュラーなサウンドが主流となっていったのが80年代のR&Bであったらしい。

 

その時代、R&Bは死語になりつつあったが、このジャンルを節目に復活する。80年代のR&Bは日本では「ブラコン(ブラック・コンテンポラリーの略)」という名称で親しまれたのは有名で、スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、クインシー・ジョーンズ、マーヴィン・ゲイ、ダイアナ・ロスを始めとするミュージシャンがその代表的なアーティストに挙げられる。

 

上記のミュージシャンに共通するのは、それ以前の時代にジャクソン5としてニューソウルの運動の中心的な存在であったジャクソンを除いては、ポピュラー音楽との融合というテーマを持っていたことである。それは後にAORやソフト・ロックと合わさり、より軽やかなR&Bという形でメインストリームを席巻する。これらをプロモーションとして後押ししたのはMTVで、この放送局は24時間流行りの音楽をオンエアし続けていた。

 

やがて、R&Bはワンダーをはじめグラミー賞に多数のシンガーを送り出し、文字通り、スターシステムの中に組み込まれていったのは周知の通り。以後、R&Bはチャカ・カーンに代表されるようにプロデュース的なサウンドに発展し、また、90年代に入ると、ヒップホップとクロスオーバーが隆盛となる。その合間の世代にはDR. Dreなどの象徴的なミュージシャンも登場した。

 

2020年代のソウル・ミュージックを見ると、AORやジャズの影響を交えたR&Bが登場している。黒人のミュージシャンのみならず白人のアーティストにも好意的に受け入れられ、その影響を絡めたネオソウルというジャンルが2020年代のメインストリームを形成している。70、80年代のR&Bと現代のネオソウルは上辺だけ解釈してみると全然違うように聞こえるかも知れないが、実はそうではない。ブラックコンテンポラリーと現在のネオソウルの相違点を挙げるなら、現代的なポップス、テクノ、ハウスといったクラブミュージックの影響が含まれているか否かの違いしかない。そして、現代的なポップスとは、すでにハサウェイやチャカ・カーンが代表曲「Feel For You」で明示していたプロデュース的な視点を持つサウンドなのである。

 

リバイバルが発生するのは、何もロックやパンクだけにはとどまらない。スタイリッシュでアーバン、比較的、ライトな印象のあるブラック・ミュージックのジャンルが、2020年代中盤のR&Bに重要なエフェクトを及ぼす可能性は少なくない。ジェシー・ウェアをはじめとするアーティストにディスコサウンドの影響がハウスやテクノとともに含まれているのと同様である。

 

今回、ご紹介するブラック・コンテンポラリーの入門編とアーティストは、その最初期のウェイブを形成した先駆者で、80年代のR&Bシーンの音楽市場の土壌を形成した。以下のガイドは、アーバンなソウルとはどんな感じなのか、その答えを掴むための最良のヒントになるはずである。よりコアなブラコンのディスクガイドに関しては専門的な書籍を当たってみていただきたい。

 

 

Stevie Wonder  『Song In The Key Life』 1976




ブラックコンテンポラリーの先駆者として名高いのがご存知、スティービー・ワンダーである。モータウン時代はもとより、70年代のニューソウル運動を率い、現在でも大きな影響力を持つ。70年代のブラック・ミュージックの思想的な側面を削ぎ落とし、それらをライトで親しみやすい音楽にしたことが、ブラック・コンテンポラリーの最大の功績と言われている。

 

スティーヴィー・ワンダーといえば、ソウルバラードの達人であり、ピアノの弾き語りのイメージが強いが、このアルバムではファンクやホーンをフィーチャーしたご機嫌なファンクソウルサウンドが主体である。それはハサウェイと同じようにフュージョンジャズの音楽を取り入れている。代表曲「Sir Duke」はご機嫌なホーンのフィーチャーがマイルドなワンダーと声と見事な合致を果たしている。「I Wish」ではのちにジャクスンが80年代に試みたブラコンの商業的なイメージの萌芽を見出せる。80年代のメインストリームのR&Bの素地を作ったアルバムと見ても良さそうだ。

 

 

 


Donny Hathaway 『Extension Of a Man』 1973

 

 

ブラック・コンテンポラリーという趣旨に沿った推薦盤としては、『Robert Flick Feat. Donny Hathaway」が真っ先に挙げられることが多いのだが、ダニー・ハサウェイはやはりこのアルバムで、クロスオーバーの先駆的なアルバム。映画のような壮大なストリングスを交えたオープニング、ジャズやニューソウルの影響を交えた「Someday We'll All Be Free」はソウルミュージックの歴史的な名曲とも言えるだろう。


ファンク、フュージョン・ジャズの影響はもとより、このアルバムには、ブラジル音楽等の影響も取り入れられている。その合間に導入される現在のサンプリングやミュージックコンクレートのような手法を見る限り、現代の多くのアルバムは、今作の足元にも及ばない。発想力の豊かさ、卓越した演奏力、圧倒的な歌唱力、どれをとっても一級品であり、現在のデジタルの音質にも引けを取らない作品。ハサウェイの最高傑作と目されるのも頷けるR&Bの大作である。

 

 

 

 

Quincy Jones 『The Dude』 1981


アメリカのミュージシャン、プロデューサーのクインシー・ジョーンズによる1981年のスタジオ・アルバム。ジョーンズは多くのスタジオ・ミュージシャンを起用した。元々、トランペット奏者であったクインシーはジャズ、ソウル、ポップス、ロックと多角的な音楽性をもたらした。70年代には盛んだったクロスオーバーを洗練された音楽性へと昇華させたのがクインシーだ。元々プロデューサーとして活躍していたクインシーこそ、ブラコンの仕掛け人であるという。


『The Dude』はディスコサウンドの影響を残しながら、ポピュラー音楽寄りのアプローチをみせている。「Ai No Corrida」はどれくらいラジオやテレビでオンエアされたか計測不可能である。クインシーはこのアルバムを通じて、ロックやファンクを視点にして、グルーブ感のあるダンサンブルなソウルを追求している。AOR/ソフト・ロックに近いバラード「Velas」も必聴だ。

 

リード・シングル「Ai No Corrida」のダンス・エアプレイが多く、トップ40で28位、UKシングル・チャートで14位を記録。イギリスで11位を記録した「Razzamatazz」(パティ・オースティンがヴォーカル)も収録。同国におけるジョーンズのソロ最大のヒット曲となった。ルバム・オブ・ザ・イヤーを含むグラミー賞12部門にノミネートされ、第24回グラミー賞では3部門を受賞した。


 

 


 

Marvin Gaye 『Midnights』 1982


それまでモータウンの看板アーティストであった、マーヴィン・ゲイは、レーベルとの関係が悪化し、制作費を捻出できなったことから、いわゆるバンド主体のアプローチとは別のシンセ主体の音楽性へと突き進んだ。マーヴィンは、その後、CBSからの提案を受け入れ、コロムビアから三作のアルバムのリリースの契約を交わした。モータウンとの距離を置いたことが良い影響を及ぼし、ノーザン・ソウルから距離を置いたアーバンなソウルを生み出す契機となった。

 

享楽的ともいえるアーバンソウルの音楽には以前のマーヴィンのソウルから見ると、軽薄なニュアンスすら感じられるかもしれないが、レーベルとの契約の間で揺れ動いていたのを見ると、致し方無い部分もある。それ以前に対人のアルバムを制作したために、ファン離れを起こしていたマーヴィンはファンを取り戻すために、メインストリームの音楽を録音しようとした。前作『In Our Lifetime』のように内面に目を向けるのではなく、商業的なサウンドを追求することにした理由について、「今を逃すわけにはいかない。ヒットが必要なんだ」と語っていた。


 

 


Michael Jackson  『Off The Wall』 1971


 

 1979年の最大のベストセラーであり、ブラックコンテンポラリーの象徴的なアルバムと言われている。ソウルミュージックの評論家の中には、『Thriller』よりも高い評価を与える方もいるが、まったくの同意である。というか、マイケル・ジャクソンの最高傑作はこのアルバム。

 
『オフ・ザ・ウォール』(Off The Wall)は、1979年に発売されたマイケル・ジャクソンの5作目のオリジナル・アルバム。『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』(2020年版)に於いて、36位にランクイン。


1979年、初めてクインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えて制作された。エピック・レコードからは初、モータウン・レコード時代を含めた通算では5作目のソロ・アルバム。



それまでのマイケルのソロ・アルバムは、制作サイドが主導して作られたもので、マイケルは用意された曲を歌うだけだったが、本作ではクインシーが主導権を持っていたものの、マイケルの自作曲やアイデアも随所に入れられている。ロッド・テンパートン、ポール・マッカートニー、スティーヴィー・ワンダーからの楽曲提供、バックの演奏もクインシーの息のかかった一流ミュージシャンを起用するなど、アルバムのクオリティがそれまでと比べて格段に洗練された。このアルバムから真の意味でのマイケルのソロ活動が始まったと言って良く、「『オフ・ザ・ウォール』こそ、マイケルの本当の意味でのファースト・アルバム」と言う人もいる。 




 


Whitney Houston 『Whitney Houston』 1985

 


なぜ、このアルバムを入れるのかというと、R&Bやポピュラー音楽としての影響力はもとより、現在のシンセ・ポップというジャンルにかなり深い影響を及ぼしている可能性があるということ。ホイットニー・ヒューストンは80年代の最高の歌手の一人であるが、このアルバムは基本的にはポピュラーアルバムで、ディープなソウルファンには物足りなさもあるかも知れない。


ただ、ポップスにソウルの要素をさりげなくまぶすというセンスの良さについては、現代のミュージシャンにとってヒントになりえる。アーバンソウルの都会的な雰囲気や、同年代に、ジョージ・ベンソンが試みた近未来志向のポップスという要素も散りばめられている。80年代の懐メロという印象があるかもしれないが、ケイト・ブッシュの再ヒットなどを見る限り、むしろ、現在こそ、ホイットニー・ヒューストンの再評価の機運が高まる可能性も予想される。

 

AOR/ソフト・ロック志向のR&Bポップスの名盤という意味では、ホイットニーは現代のリスナーの耳に馴染むようなアーティストと言えるのではないか。なぜなら現代のミュージックシーンはAORが重要視されているからである。ファルセットの美しさに関しては不世出のシンガーである。人を酔わせるメロディーとはいかなるものなのか、その模範的な事例がここにある。


 



Diana Ross 『Diana』 1980

 

 


 

シュープリームスを離脱後、ダイアナ・ロスはソロアーティストとして「Ain't Know Mountain High Enough」等、複数のヒット作に恵まれた。70年代には低迷期があったというダイアナ・ロスであるが、ナイル・ロジャースがプロデュースした『Diana』で第二の全盛期を迎える。反ディスコの気風の中、制作されたというが、その実、ファンクやディスコの影響も取り入れられている。それがロスの持つスタイリッシュかつアーバンな雰囲気と一致した一作だ。

 

 TV Oneの『Unsung』のエピソードでナイル・ロジャースは、曲の大半はロスとの直接の会話の後に作られたと語った。彼女はロジャースとバーナード・エドワーズに、自分のキャリアを "ひっくり返したい"、"もう一度楽しみたい "と言ったと伝えられている。結果、ロジャースとエドワーズは 「Upside Down」と 「Have Fun (Again)」を書いた。

 

クラブでダイアナ・ロスの格好をした何人かのドラッグ・クイーンに出くわしたロジャースは、「I'm Coming Out」を書いた。My Old Piano」だけが、彼らの通常の曲作りのプロセスから生まれた。「Upside Down」は全米チャート首位を獲得し、「I’m Coming Out」も5位以内にチャートインした。ロスの80年代のキャリアを決定づける傑作と言っても良いかもしれない。


 

 

Chaka Khan 『I Feel For You』 1984


 

 

今聴いても新鮮な感覚を持って耳に迫るチャカ・カーンの『I Feel For You』。カーンはルーファスのフィーチャリング・シンガーとして、70年代にヒットを飛ばしていた。ダニー・ハサウェイと同じようにゴスペルにルーツを持ちながらも、それをあまり表に出さず、叫ぶようなボーカルを特徴とするカーンのボーカルスタイルは70年代の女性シンガーに多大な影響を与えた。『I Feel For You』はプリンスのカバーで、スティーヴィー・ワンダーのハーモニカをフィーチャーしている。チャカ・カーンにとっての最大のヒット・ソングとなった。現在のプロデュース的な視点を交えたポップスに傾倒したR&Bのアルバムとして楽しむことが出来る。


現在、チャカ・カーンはローリングストーンのインタビューに答え、ツアーの引退を表明し、ガーデニングをしながら悠々自適の生活を送っている。単発のライブに関しては行う可能性があるという。





George Benson 『While The City Sleeps』 1986

 


ジョージ・ベンソンはソウル・ジャズのオルガン奏者、ジャック・マクダフとのバンドを経たギタリストで、76年にはフュージョンの先駆けのような曲「Breezin」を制作した。だが、この年代にはスティービー・ワンダーとダニー・ハサウェイの影響を受け始め、ブラックコンテンポラリーの道に入っていくことになる。

 

1986年のアルバム『While The City Sleeps』は驚くほどライトなポップで、アーティストのイメージを覆す。AOR/ソフト・ロックに、ベンソンが傾倒したことを裏付ける作品である。その中にはこのジャンルの中にある近未来的なシンセ・ポップの影響も伺い知ることが出来る。ジョージ・ベンソンというと、渋いソウルというイメージがあるが、それらのイメージを払拭するような作品である。この年代、前のニューソウルの時代から活躍していたシンガーの中で、最も時代に敏感な感覚を持つミュージシャンはこぞって、ロックやポップスとのクロスオーバーを図っていたことがわかる。今聴いても洗練されたポピュラー・アルバムと言えるのだ。 


 

 



Lionel Ritchie 『Dancing On The Ceiling』 1986



 

コモドアーズのメンバーでもあり、後にソロアーティストとして、そしてパラディ・ソウルの象徴的なシンガーに挙げられるライオネル・リッチー。彼の全盛期を知らない私のようなリスナーにとっては、ジャクソンやスティーヴィーと共演した「We Are The World」のイメージの人という感じだ。どうやら、リッチーが歌手としての実力に恵まれながらも、いまいちコアなソウルファンからの評価が芳しくないのは、白人の音楽市場に特化したことが理由であるらしい。


ダニー・ハサウェイのような黒人としてのアイデンティティ云々という要素は乏しいが、現在、メロウなポップスやAORというジャンルが取りざたされるのを見ると、今、まさに聴くべきアーティストなのではないかというのが印象である。確かにヒット曲でさえもその曲調はいくらか古びてしまったが、今なお彼の卓越した歌唱力、メロウな音の運びは現代的なリスナーにも親しまれる可能性を秘めている。『Can’t Slow Down』とともにリッチーの代表作に挙げられる。

 





Prince  『1999』  1982

 


 

プリンスといえば真っ先に『Purple Rain』のヒットにより、スターミュージシャンの仲間入りを果たした。ノーザンとサザン、サウスで別れていたR&Bの勢力図をスライ・ザ・ファミリーとともに塗り替えた。彼は10代の頃からすでにバンドにおいて、ダンスソウルの音楽性、そしてマルチインストゥルメンタリストとしての演奏力に磨きを掛けてきたが、その後のレコード契約、ひいてはスターミュージシャンとしての道のりはある意味では、付加物のようなものだったと思われる。


革新的とされたファンク・ソウルやシンセサイザーをフィーチャーしたスタイルは、それ以前の80年代にすでに行われていたものだったというが、彼のサウンドはエキセントリックかつエポックメイキングであるにとどまらず、現在のハイパーポップやエクスペリメンタルポップというジャンルの先駆者である。つまり、R&Bというのはプリンスにとって1つの装置のようなもので、その影響をもとに、様々な要素を取り入れ、それらの実験的でカラフルなイメージを持つポップスとして組み上げていった。

 

『1999』は今聴いても新鮮なアルバム。解釈によってはロジャー・プリンスの全盛期をかたどったアルバムと言えるだろうが、ボーカルから立ち上るスター性や独特な艶気はシアトリカルな要素を込めた「総合芸術としてのライブエンターテイメント」の始まりではなかったかと思われる。



Weekly Music Feature


Hinako Omori


大森日向子 ©︎Luca Beiley


大森日向子にとって、シンセサイザーは潜在意識への入り口である。ロンドンを拠点に活動するアーティスト、プロデューサー、作曲家である彼女は、「シンセは、無菌的で厳かなものではありません」と話す。

 

「ストレスを感じると、シンセのチューニングが狂ってしまうことがあった。一度、シンセの調子が悪いのかと思って修理に出したことがあるんだけど、問題なかった。だから、私が座って何かを書くとき、出てくるものは何でも、その瞬間の私の気持ちに関係している。音楽は本当に私の感情の地図になる」


大絶賛されたデビュー作『a journey...』(2022年、Houndstooth)が、その癒しのサウンドで他者を癒すことをテーマにしていたとすれば、大森の次のアルバムは思いがけず、自分自身を癒すものとなった。stillness,softness...』の歌詞を振り返ると、「自分自身の中にある行き詰まりを発見し、それと平穏な感覚を得るための内なる旅でした」と彼女は言う。


大森はとりわけ、シャドウ・セルフ、つまり私たちが隠している自分自身の暗い部分、そして自由になるためにはそれらと和解する必要があるという考えに心を奪われた。「自分自身との関係は一貫しており、それが癒されれば、そこから素晴らしいものが生まれるのです」と彼女は付け加えた。


2022年のデビューアルバム「a journey...」で絶賛されて以来、大森日菜子はクラシック、エレクトロニック、アンビエントの境界線を曖昧にし、イギリスで最も魅力的なブレイクスルー・ミュージシャンの一人となった。

 

日本古来の森林浴の儀式にインスパイアされたコンセプト・アルバム「a journey...」は、自然に根ざしたみずみずしいテクスチャーで、Pitchforkに「驚くべき」と評され、BBC 6Musicでもヘビーローテーションされた。以後、ベス・オートン、アンナ・メレディス、青葉市子のサポートや、BBCラジオ3の『Unclassified』で60人編成のオーケストラと共演、今年末にはロサンゼルスのハリウッド・ボウルで、はフローティング・ポインツのアンサンブルに加わり、故ファロア・サンダースとのコラボ・アルバム『Promises』を演奏する。


「stillness、softness...」は、大森のアナログ・シンセの世界ーー、すなわち、彼女のProphet '08、Moog Voyager、そしてバイノーラルで3Dシミュレートされたサウンドを生み出すアナログ・ハイブリッド・シンセサイザー、UDO Super 6ーーの新たな音域を探求している。このアルバムは、彼女の前作よりもダークで広がりがあり、ノワールのようにシアトリカル。デビュー作がインストゥルメンタル中心だったのに対して、本作ではヴォーカルが前面に出ており、「より傷つきやすくなっている」と彼女は説明している。夢と現実、孤独、自分自身との再会、そして最終的には自分自身の中に強さを見出すというテーマについて、彼女は口を開いている。


大森は「静けさ、柔らかさ...」を「実験のコラージュ」と呼び、それを「パズルのように」つなぎ合わせ、それぞれの曲が思い出の部屋を表している。最終的にはシームレスで、13のヴィネットが互いに出たり入ったりする連続的なサイクルとなっている。「とてもDIYだったわ」と彼女は笑う。「誰も起こしたくなかったから、マイクに向かってささやいたの」


大森は日本で生まれたが、ロンドン南部で育ち、サリー大学でサウンド・エンジニアリングを学習した。彼女がマシン・ミュージックに興味を持ち始めたのは、それ以前の大学時代、アナログ・シンセサイザーを授業で紹介した教師のおかげだった。「好奇心に火がつきました」と大森は説明する。


「クラシック・ピアノを習って育った私が、初めてシンセサイザーに出会った瞬間、完全に引き込まれました。シンセサイザーでは、サウンドを真に造形することができる。それまで考えたこともなかったような、無限の表現の可能性が広がった」


大学卒業後、大森はEOB、ジェイムス・ベイ、KTタンストール、ジョージア、カエ・テンペストといったインディーズ・ミュージシャンやアリーナ・アクトのツアー・バンドに参加した。「これらの経験から多くのことを学びました」と大森は言う。「素晴らしいアーティストたちとの仕事がなかったら、今のようなことをする自信はなかったと思います」 


彼女の自信はまだ発展途上だというが、それは本作が物語っている部分でもある。タイトルは "静寂、柔らかさ... " だけど、このアルバムは成長するために自分自身を不快にさせることをテーマにしている。「それは隠していたいこと、恥ずかしいと思うことを受け入れるということなのです」と彼女は言う。


アルバム全体を通して、大森はこれまでで最も親しみやすく、作曲家、アーティスト、アレンジャー、ヴォーカリスト、そしてシンセサイザーの名手としての彼女の真価が発揮された1枚となっている。このアルバムは、タイトル・トラックで締めくくられ、ひとつのサイクルを完成させている。


「自分の中にある平和な状態を呼び起こすような曲にしたかった」と大森。「毛布のようなもので、とても穏やかで、心を落ち着かせるものだと思っています」。その柔らかさこそが究極の強さなのであり、自分自身と他者への愛と思いやりをもって人生を導いてくれるものなのだ」と彼女は言う。




「stillness、softness...」/Houndstooth

 

大森日向子は既に知られているように、日本/横浜出身のミュージシャンであり、サウスロンドンに移住しています。


厳密に言えば、海外の人物といえますが、実は、聞くところによれば、休暇の際にはよく日本に遊びにくるらしく、そんなときは本屋巡りをしたりするという。ロンドン在住であるものの、少なからず日本に対して愛着を持っていることは疑いのないことでしょう。知る限りでは、大森日向子は元々はシンセ奏者としてロンドンのシーンに登場し、2019年にデビューEP『Auraelia』を発表、続いて、2022年には『A Journey...』をリリースした。早くからPitchforkはこのアーティストを高く評価し、ピッチフォーク・フェスティバル・ロンドンでのライブアクトを行っています。

 

エクスペリメンタルポップというジャンルがイギリスや海外の音楽産業の主要な地域で盛んなのは事実で、このジャンルは基本的に、最終的にはポピュラー・ミュージックとしてアウトプットされるのが常ではあるものの、その中にはほとんど無数と言って良いくらい数多くの音楽性が内包されています。エレクトロニックはもちろん、ラップやソウル、考えられるすべての音楽が含まれている。リズムも複雑な場合が多く、予想出来ないようなダイナミックな展開やフレーズの運行となる場合が多い。このジャンルで、メタルやノイズの要素が入ってくると、ハイパーポップというジャンルになる。ロンドンのSawayamaや日本の春ねむりなどが該当します。

 

先行シングルを聴いた感じではそれほど鮮烈なイメージもなかったものの、実際にアルバムを紐解いてみると、凄まじさを通りこして呆然となったのが昨夜深夜すぎでした。私の場合は並行してデ・ラ・ソウルやビースティー・ボーイズのプロデューサーと作品をリリースを手掛けているラップアーティストとのやりとりをしながらの試聴となりましたが、私の頭の中は完全にカオスとなっていて、現在の状況的なものがこのアルバムを前にして、そのすべてが本来の意味を失い、そして、すぐさま色褪せていく。そんな気がしたものでした。少なくとも、そういった衝撃的な感覚を授けてくれるアルバムにはめったに出会うことが出来ません。このアルバム「stillness,softness…」の重要な特徴は、今週始めに紹介したロンドンのロックバンド、Me Rexのアルバムで使用されていた曲間にあるコンマ数秒のタイムラグを消し、一連の長大なエレクトロニックの叙事詩のような感じで、13のヴィネットが展開されていくということなのです。

 

アルバムには、独特な空気感が漂っています。それは近年のポピュラー音楽としては類稀なドゥームとゴシックの要素がエレクトロニックとポップスの中に織り交ぜられているとも解釈出来る。前者は本来、メタルの要素であり、後者は、ポスト・パンクの要素。それらを大森日向子は、ポップネスという観点から見直しています。このアルバムに触れたリスナーはおしなべてその異様な感覚の打たれることは必須となりますが、その世界観の序章となるのが、オープニングを飾る「both directions?」です。ここでは従来からアーティストみずからの得意とするアナログ・シンセのインストゥルメンタルで始まる。シンプルな音色が選択されていますが、音色をまるで感情の波のように操り、アルバムの持つ世界を強固にリードしていく。アンビエント風のトラックですが、そこには暗鬱さの中に奇妙な癒やしが反映されています。聞き手は現実的な世界を離れて、本作の持つミステリアスな音像空間に魅了されずにはいられないのです。

 

続いて、劇的なボーカル・トラックがそのインタリュードに続く。#2「ember」は、アンビエント/ダウンテンポ風のイントロを起点として、 テリー・ライリーのようなシンセサイザーのミニマルの要素を緻密に組み合わせながら、強大なウェイブを徐々に作りあげ、最終的には、ダイナミックなエクスペリメンタル・ポップへと移行していく。 シンセサイザーのアルペジエーターを元にして、Floating Pointsが去年発表していた壮大な宇宙的な感覚を擁するエレクトロニックを親しみやすいメロディーと融合させて、それらの感情の波を掻い潜るように大森は艶やかさのあるボーカルを披露しています。描出される世界観は壮大さを感じさせますが、一方で、それを繊細な感覚と融合させ、ポピュラー・ミュージックの最前線を示している。それらの表現性を強調するのが、大森の透き通るような歌声であり、ビブラートでありハミングなのです。これらの音楽性は、よく聴き込んで見るとわかるが、奇妙な癒やしの感覚に充ちています。

 

このアルバムには創造性のきらめきが随所に散りばめられていることがわかる。そしてその1つ目のポイントは、シンセサイザーのアルペジエーターの導入にある。シンセに関しては、私自身は専門性に乏しいものの、#3「stalactities」では繊細な音の粒子のようなものが明瞭となり、曲の後半では、音そのものがダイヤモンドのように光り出すような錯覚を覚えるに違いありません。不用意にスピリチュアルな性質について言及するのは避けるべきかとも思いますが、少なくとも、シンセの音色の細やかな音の組み合わせは、精妙な感覚を有しています。これらの感覚は当初、微小なものであるのにも関わらず、曲の後半では、その光が拡大していき、最初に覆っていた暗闇をそのまばゆいばかりの光が覆い尽くしていくかのような神秘性に充ちている。

 

 「cyanotype memories」

  

 

 

続く「cyanotype memories」は、アルバムの序盤に訪れるハイライトとなるでしょう。実際に前曲の内在的なテーマがその真価を見せる。イントロの前衛的なシンセの音の配置の後、ロンドンの最前線のポピュラー・ミュージックの影響を反映させたダイナミックなフレーズへと移行していく。そして、アルバム序盤のゴシックともドゥームとも付かないアンニュイな感覚から離れ、温かみのあるポップスへとその音楽性は変化する。エレクトロニックとポップスを融合させた上で、大森はそれらをライリーを彷彿とさせるミニマリズムとして処理し、微細なマテリアルは次第に断続的なウェイブを作り、そしてそのウェイブを徐々に上昇させていき、曲の後半では、ほのかな温かみを帯びる切ないフレーズやボーカルラインが出現します。トラック制作の道のりをアーティストとともに歩み、ともに体感するような感覚は、聞き手の心に深く共鳴を与え、曲の最後のアンセミックな瞬間へと引き上げていくかのような感覚に充ちている。この曲にはシンガーソングライターとしての蓄積された経験が深く反映されていると言えます。 

 

 

 

#5「in limbo」では、テリー・ライリー(現在、日本/山梨に移住 お寺で少人数のワークショップを開催することもある)のシンセのミニマルな技法を癒やしに満ちたエレクトロニックに昇華しています。そこにはアーティストの最初期のクラシックへの親和性も見られ、バッハの『平均律クラヴィーア』の前奏曲に見受けられるミニマルな要素を現代の音楽家としてどのように解釈するかというテーマも見出される。平均律は元は音楽的な教育のために書かれた曲であるのですが、以前聞いたところによると、音楽大学を目指す学習者の癒やしのような意味を持つという。本来は、教材として制作されたものでありながら、音楽としての最高の楽しみが用意されている平均律と同じように、シンセの分散和音の連なりは正調の響きを有しています。素晴らしいと思うのは、自身のボーカルを加えることにより、その衒学性を衒うのではなく、音楽を一般的に開けたものにしていることです。前衛的なエレクトロニックと古典的なポップネスの融合は、前曲と同じように、聞き手に癒やしに充ちた感覚を与える。それはミニマルな構成が連なることで、アンビエントというジャンルに直結しているから。そして、それはループ的なサウンドではありながら、バリエーションの技法を駆使することにより、曲の後半でイントロとはまったく異なる広々とした空へ舞い上がるような開けた展開へとつながっています。

 

 

#6「epigraph…」では、アンビエントのトラックへと移行し、アルバムの序盤のゴシック/ドゥーム調のサウンドへと回帰する。考えようによっては、オープナーのヴァリエーションの意味を持っています。しかし、抽象的なアンビエントの中に導入されるボーカルのコラージュは、James Blakeの初期の作品に登場するボーカルのデモーニッシュな響きのイメージと重なる瞬間がある。そして最終的に、ミニマルな構成はアンビエントから、Sara Davachiの描くようなゴシック的なドローンを込めたシンセサイザー・ミュージックへと変遷を辿っていく。しかし、他曲と同じように制作者はスタイリッシュかつ聴きやすい曲に仕上げており、またアルバム全体として見たときに、オープニングと同様に効果的なエフェクトを及ぼしていることがわかるはずです。 

 

 

「foundation」



しかし、一瞬、目の前に現れたデモーニッシュなイメージは消えさり、#7「foundation」では、それと立ち代わりにギリシャ神話で描かれるような神話的な美しい世界が立ち現れる。安らいだボーカルを生かしたアンビエントですが、ボーカルラインの美麗さとシンセサイザーの演奏の巧みさは化学反応を起こし、エンジェリックな瞬間、あるいはそのイメージを呼び起こす。音楽的にはダウンテンポに近い抽象的なビートを好む印象のある制作者ではありながら、この曲では珍しくダブステップの複雑なリズム構成を取り入れ、それを最終的にエクスペリメンタルポップとして昇華しています。しかし、ここには、マンチェスターのAndy Stottと彼のピアノ教師であるAlison Skidmoreとのコラボレーション「Faith In Strangers」に見られるようなワイアードな和らぎと安らぎにあふれている。そして、それらの清涼感とアンニュイさを併せ持つ大森の歌声は、イントロからまったく想像も出来ない神々しさのある領域へとたどりつく。そして、それはダンスミュージックという制作者の得意とする形で昇華されている。背後のビートを強調しながら、ドライブ感のある展開へと導くソングライティングの素晴らしさはもちろん、ポップスとしてのメロディーの運びは、聞き手に至福の瞬間をもたらすに違いありません。

 

アルバムのイメージは曲ごとに変わり、レビュアーが、これと決めつけることを避けるかのようです。そしてゴシックやドゥームの要素とともに、ある種の面妖な雰囲気はこの後にも受け継がれる。続く、#8「in full bloom」では、アーティストのルーツであるクラシックの要素を元に、シンセサイザーとピアノの音色を組み合わせ、親しみやすいポピュラー音楽へと移行する。しかし、昨晩聴いて不思議だったのは、ミニマルな構成の中に、奇妙な哀感や切なさが漂っている。それはもしかすると、大森自身のボーカルがシンセと一体となり、ひとつの感情表現という形で完成されているがゆえなのかもしれません。途中、感情的な切なさは最高潮に達し、その後、意外にもその感覚はフラットなものに変化し、比較的落ち着いた感じでアウトロに続いていく。

 

 

前の曲もベストトラックのひとつですが、続く「a structure」はベストトラックを超えて壮絶としか言いようがありません。ここではファラオ・サンダースやフローティング・ポインツとの制作、そして青葉市子のライブサポートなどの経験が色濃く反映されている。ミニマル・ミュージックとしての集大成は、Final Fantasyのオープニングのテーマ曲を彷彿とさせるチップチューンの要素を絶妙に散りばめつつ、それをOneohtrix Point NeverやFloating Pointsの楽曲を思わせる壮大な電子音楽の交響曲という形に繋がっていく。本来、それは固定観念に過ぎないのだけれど、ジャンルという枠組みを制作者は取り払い、その中にポップス、クラシック、エレクトロニック・ダンス・ミュージック、それらすべてを混合し、本来、音楽には境目や境界が存在しないことを示し、多様性という概念の本質に迫っていく。特に、アウトロにかけての独創的な音の運びに、シンセサイザー奏者として、彼女がいかに傑出しているかが表されているのです。

 

アヴァンギャルドなエレクトロニックのアプローチを収めた「astral」については、シンセサイザーの音色としては説明しがたい部分もあります。これらのシンセサイザーの演奏が、それがソフトウェアによるのか、もしくはハードウェアによるのかまでは言及出来ません。しかし、Tone 2の「Gladiator 2」の音色を彷彿とさせる、近未来的なエレクトロニックの要素を散りばめ、従来のダンス・ミュージックやエレクトロニックというジャンルに革命を起こそうとしています。アンビエントのような抽象的な音像を主要な特徴としており、その中には奇妙なクールな雰囲気が漂っている。これはこのアーティストにしか出し得ない「味」とでも称すべきでしょう。

 

 

これらの深く濃密なテーマが織り交ぜられたアルバムは、いよいよほとんど序盤の収録曲からは想像もできない領域に差し掛かり、さらに深化していき、ある意味では真実性を反映した終盤部へと続いていきます。「an ode to your heart」では驚くべきことに、日本の環境音楽の先駆者、吉村弘が奏でたようなアンビエントの原初的な魅力に迫り、いよいよ「epilogue...」にたどり着く。ホメーロスの「イーリアス」、ダンテ・アリギエーリの「神曲」のような長大な叙事詩、そういった古典的かつ普遍性のある作品に触れた際にしか感じとることが難しい、圧倒されるような感覚は、エピローグで、クライマックスを迎える。海のゆらめきのようにやさしさのあるシンセサイザーのウェイブが、大森の歌声と重なり、それがワンネスになる時、心休まるような温かな瞬間が呼び覚まされる。その感覚は、クローズで、タイトル曲であり、コーダの役割を持つ「stillness,softness…」においても続きます。海の上で揺られるようなオーガニックな感覚は、アルバムのミステリアスな側面に対する重要なカウンターポイントを形成しています。

 

 

100/100

 

 

Hinako Omori(大森日向子)のニューアルバム「stillness,softness…」は、Houdstoothより発売中です。

・ドリームポップの先駆者

 

Dream Popのオリジネーターと称されるCocteau Twins

 

「ドリーム・ポップの先駆者は、Cocteau Twins(コクトー・ツインズ)である」と意気揚々と書こうとしたところで、ダメ出しが入った。というのも、一般的にはそう見なされているが、実際にはそれ以前に、A.R.Kane(アレックス・アユリ、ルディ・タンバラのユニット)がみずからの浮遊感のあるボーカル、そしてドリーミーな雰囲気のバンドサウンドが溶け合った音楽性を「Dream Pop」と称したのが始まりだというのだ。

 

これは実際、今まであまり一般的には知られていなかったことである。それから現在、ベラ・ユニオンを主宰するコクトー・ツインズのサイモン・レイモンド氏が、みずからのバンドの音楽を”Dream Pop”と称したことから、このジャンルの呼び名が一般的に普及していった。音楽ジャーナリストや雑誌のライターがこの名前を使うようになったのはそれ以降のこと。A.R.Kaneは、1994年から長らくリリースをおこなっていなかったが、2023年に入り、カムバックし、『i』というフルレングスを発表している。このアルバムでは、以前とは見違えるようなニュー・ロマンティックやダンス・ポップ風のスタイルに挑戦している。

 

ドリーム・ポップというジャンルの音楽性の定義は、従来、一般的な商業音楽誌で説明されてこなかったという。シューゲイズに関しては、ジン、フリーペーパー、そしてシンコー・ミュージックが発刊する名盤ガイド等では、これまで再三再四、詳細な説明がなされてきた。けれど、ドリーム・ポップに関する音楽性の定義づけは、これまであまりされてこなかったという意見も見受けられる。

 

そもそも、コクトー・ツインズの80年代のアーティスト写真を見ると分かるとおり、このドリーム・ポップというジャンルは推測するに、Joy Divisionなどのゴシック・パンクの系譜にある音楽なのではないか、ということである。そして、それはゴシックを取り巻く表層的な概念ーー暗鬱、アンニュイ、耽美的、退廃的、甘美的、夢想的、ルネッサンス主義ーーと、こういった複合的なイメージが実際の音楽性と合わさり、ドリーム・ポップという音楽の概念を形成していく。


バンドのメンバーのキャラクター性に関しては、以前の1970年代のT-Rexのマーク・ボラン、David Bowie(デヴィッド・ボウイ)のグリッター・ロック(グラム・ロック)のイメージを継承している。


音楽性に関して言うなら、それ以前のJAPANなどのニュー・ロマンティックの音楽のイメージが合体し、ポスト・パンク/ニューウェイブの立ち位置を取りつつも、ポップで親しみやすい音楽という形で、複数の英国のグループがドリームポップの礎を構築していき、 Slowdive、Rideを筆頭とする1990年代のシューゲイズのムーヴメントへと繋げていった。


そのなかでは、スコットランドのギター・ポップの甘いメロディーと掛け合わせようとする試みを行うグループも複数登場した。同時に、シューゲイズの源流を形成するUKのクリエイション・レコード周辺のJesus and Mary Chain、Chapterhouse、さらに4ADのLush、Pale Saintsをはじめとする最初のウェイヴを形成するバンドも登場する。また、後のクラブ・ミュージックを音楽性の内核に擁するイメージからは想像もできないが、Primal Screamのギター・ポップ/ネオ・アコースティックを下地したデビュー・アルバムも、ドリーム・ポップに属すると見てもそれほど違和感がない。指摘しておきたいのは、シューゲイズからドリーム・ポップが生まれたのではなく、ドリーム・ポップからシューゲイズというジャンルが生み出されたということなのである。

 

 

 

・Dream Popの名盤ガイド 

 


 

Primal Scream 『Sonic Flower Groove』 1987/ Warner Music UK

 

 

 

Primal Screamの代表作といえば、真っ先に『XTRMNTR』が思い浮かぶ。しかし、その後のクラブ・ミュージックの影響を商業ロックと融合させたスタイルからは想像も出来ない音楽を引っ提げ、彼らはミュージック・シーンに名乗りを上げた。スコットランドのネオ・アコースティック/ギター・ポップに触発を受けた甘美さと憂愁を兼ね備える抽象的なギターロック・サウンドに、グラスゴー出身のバンドの郷土的な原点が見出せる。その後、イングランドからワールドワイドなグループに変身を遂げ、大掛かりで扇動的なダンス・ロックのスターに上り詰めるが、ジム/ウィリアム・リード兄弟のジーザス&メリー・チェインズ時代のドリーム・ポップに近い音楽性は今もなお貴重である。知る限りにおいて、プライマル・スクリームが繊細さとメロディーの良さを追求したのは、後にも先にもこのデビュー作だけだったのではないだろうか。

 


 


 

 

Cocteau Twins 『The Moon and The Melodies』 1986  / 4AD




コクトー・ツインズは、スコットランドで1979年に結成され、97年に解散した。Pixiesとともに4ADの黎明期を代表するグループ。もちろん、同レーベルの知名度を引き上げた貢献者として知られる。ボーカルのエリザベス・フレイザーは現在、Sun's Signatureとして活動し、ベースのサイモン・レイモンドは、ベラ・ユニオンを主宰している。グループのサウンドは、スコットランドのギター・ポップを下地にし、それらをニュー・ロマンティックやゴシック的なサウンドと結びつけている。別の見方をすると、コクトー・ツインズは、シンセ・ポップやポスト・ロック的なサウンドにも挑戦し、活動期を通じて様々な音楽を展開した。フレイザーの夢想的なボーカルと、エレクトロニックやバンドアンサンブルを融合させ、時代に先んじた音楽性に取り組んだ。1986年の『The Moon and The Melodies』では、コクトー・ツインズの代名詞的であるサウンドを体験することが出来る。オープニング「Sea, Swallow Me」の甘美的なサウンドも素晴らしいが、「Eyes Are Mosaics」の夢想的な雰囲気も捨てがたい。レーベルの最初期のゴシック的なイメージと合致を果たして、ドリーム・ポップの美学を生み出すことになった。

 



 

 

Wannadies 『The Wannadies』 1990 /MNW

 



Wannadies(ワナディーズ)は、スウェーデンの最初期のオルタナティヴ・シーンの牽引者。1988年にSkellefteåで結成。1996年に一度解散するも、2020年に復活している。バンドの音楽性は、ロック、ギター・ポップ、ジャングル・ポップ、パンキッシュな曲と広範にわたる。バンドはスウェーデンのバンドとしては大きな期待を受け、マイク・ヘッジズや、カーズのリック・オケイセックをプロデューサーに招いて、アルバムの制作を行った。後に、MNWとの関係が悪化し、最終的にBMGとライセンス契約を締結した。Wannadiesのアンセム曲としては、「You And Me Song」、「Combat Honey」が真っ先に挙げられるが、ドリーム・ポップという括りで語るなら、『The Wannadies』が最適だ。このファースト・アルバムには、スコットランドのギター・ポップの影響も見受けられる。ノスタルジア溢れるドリーム・ポップソングが満載である。

 


 

 

Slowdive 『Souvlaki』 1994/Sony Music

 



SlowdiveはMy Bloody Valentineとともに、クリエイション・レコーズの象徴的な存在であり、ブリット・ポップと次の時代のイギリスのミュージックシーンを架橋するような役割を果たしたと言えるだろう。シューゲイズとして取り上げられることも多いバンドだが、特に、良質なメロディー、そして夢想的な雰囲気がこのバンドの象徴的な音楽性に挙げられる。『Souvlaki』はコクトー・ツインズの音楽性を受け継ぎ、甘美的なインディーロックサウンドを追求している。「Alison」、「Machine Gun」、「40Days」等、良質なオルタナティヴ・ロック・ソングを収録。ノイジーなサウンドづくりに加え、その合間のサイレンスもスロウダイヴの唯一無二の魅力と言える。バンドは、今年に入り、『Everything Is Alive』を発表し、新境地を開拓している。

 



 

 

Alison's Halo   『Eyedazzler』1998/ Manufactured Recordings

 



Alison's Halo(アリソンズ・ヘイロー)は、キャサリン/アダム夫妻を中心に、1992年にアリゾナで結成された。シューゲイズ・バンドとしてマニアの間でひっそりと知られている。ただ、ここでは、ドリーム・ポップのグループとして紹介する。Alisson's Haloは、92年から98年まで活動した。六年間で1998年に唯一リリースされたのがこのアルバムだった。発売当初は二枚組としてアーカイブ的な意味合いでリリースされた。『Eyesdazzler』は、シューゲイズ・ギターと、シンプルなベースライン、キャサリン・クーパーの甘ったるいボーカルを特徴とする幻の傑作である。シューゲイズサウンドの中に見られる奇妙なアンニュイさは、コクトー・ツインズのフォロワー的な存在と見て良いかもしれない。「Sunsy」、「Jetpacks For Julian」は必聴。

 


 

 

 Kitty Craft 『Beats and Brakes from The Flower Patch』 1998 / Takotsubo Records




Kitty Craftは、1994年にPamela Valfer(パメーラ・ヴァルファー)により立ち上げられたソロ・プロジェクト。最初期のEPやアルバムは、鍵盤やサンプラーにより制作された。そのうちのほとんどはホームレコーディングを中心に自主制作をおこなった。年代的に見て世界初のベッドルームポップ・プロジェクトで、本物の天才プロデューサーである。1998年に発売された『Beats and Brakes from The Flower Patch』は、ヒップホップ/ヴィンテージ・ソウル/クラシックのサンプリングや、ブレイクビーツを取り入れたローファイ・ホップである。しかし、Pamela Valfer(パメーラ・ヴァルファー)のボーカルには夢想的な雰囲気が漂い、ドリーム・ポップ風のフレーズが生み出されている。ソウルとはまったくかけ離れた音楽でありながら、ハートウォーミングな感覚に浸されている。なお、今作は、昨年、Takotubo Recordsよりボーナス・トラックを追加収録して発売された。現在も、Pamela ValferはLAを拠点に活動中とのこと。


 

 

 Asobi Seksu  『Citrus』 2007/ One Little Independent



 

米国の日本人ボーカルのバンドといえば、まず最初に、ニューヨークのジャズシーンで高い評価を受けたMakino Kazu擁するBlonde Redheadが思い浮かぶが、Yuki Chikudate (ボーカル、キーボード)とJames Hanna (ギター)からなるユニット、Asobi Seksu(アソビ・セクス)も忘れてはならないだろう。本拠地はニューヨークのブロンクス。2人はマンハッタン音楽院でクラシックを専攻していた際に出会った。バンドは、その後、William Pavone、Larry Gormanをラインナップに迎え、四人編成で活動し、2001年から2013年まで活動をつづけた。


セルフ・タイトルのデビュー・アルバムのフィジカル盤の内ジャケットには、「ドリーム・ポップ・ワールド」と銘打たれており、キラキラしてフワフワした浮遊感のあるシューゲイズに近いインディー・ポップを特徴としていた。デビュー作で、すでに良質なソングライターとしての片鱗を見せたYuki Chikudate。その才覚が花開いた2ndアルバム『Citrus』は、バンドの最高傑作と見ても良いかもしれない。マニア向けのドリーム・ポップバンドでありながら、Pitchfork,New York Times,SPIN、NMEでもレビューで取り上げられ、好意的に受け入れられた。 Yuki Chikudateのハイトーンのボーカル、トレモロ・ギター、独特なキラキラした世界観が劇的な融合を果たして、2010年代以降のドリームポップ・リバイバル時代への重要な橋渡し役となった。

 


 

 

Mass Of The Fermenting Dregs 『World Is Yours」 2009/ Universal Music

 

 

 

意外と、日本よりも海外で人気が高い印象もある、Mass Of The Fermenting Dregs。デビュー前は、Audio Leafで無料で曲が聞くことが出来た。バンド名からも分かるとおり、マス・ロックに近いテクニカルな構成力を持つオルタナティヴロックバンド。フジかサマー・ソニックの新人枠で出演する以前、グランジに近い音楽性を特徴としており、ワンピースでベースをかき鳴らす様子は、当時の東京のインディーズ・シーンで異彩を放っていた。徐々にJ-Popの影響を交えた曲も書くようになり、人気が定着する。


オリジナル・メンバーの脱退、メンバー加入等、紆余曲折あったが、近年復活を果たし、昨年、『Awakening: Sleeping』をリリース後、ヨーロッパ・ツアーを成功させた。へヴィーロックからドリーム・ポップ、日本語ロックまでを網羅的に収録。今回、ご紹介する実質的なデビュー作「World Is Yours EP 」は、Mass Of The Fermenting Dregsの名を海外にも知らしめることになった傑作。ナンバー・ガールを思わせるパンキッシュなギター・ロックに加え、ドリーム・ポップにも近い雰囲気も漂う。正直、このEPに関しては現在、流通状態がどうなっているのかは不明。タイトル曲「World Is Yours」は日本のインディーロックの歴史に残る名曲のひとつだ。


 

 

 

Beach Fossils 『Beach Fossils』 2010/ Bayonet Records(オリジナルの発売はCaptured Tracks)

 

 


今では、2010年代のニューヨークのベースメント・ロックの象徴的な存在として知られるようになったBeach Fossilsであるが、当時、私が海外盤を発売当初入手して、すごいバンドが出たと吹聴した時、周りの人たちは誰もこのバンドのことを気にも留めていなかった。少なくとも、ビーチ・フォッシルズは2010年代のニューヨークのインディーロック・シーンの最重要バンドであることに変わりはない。しかし、このサーフ・ロックとドリーム・ポップ、そしてストーンズの古典的なロックを融合させた「Daydream/ Desert Sand」を引っ提げ、ビーチ・フォッシルズが登場したときの衝撃は未だに忘れることが出来ない。


リバイバルという形はすでにニューヨークのローワーイーストサイドで、2000年代に沸き起こっていたが、ビーチ・フォッシルズは、ガレージ・ロックのリバイバルの構図を、シューゲイズやドリーム・ポップの音に一新させてしまった。その後、バンドは、『Clash The Truth』、『Somersault』を発表した。元ドラマーで、ジュリアード音楽院でジャズを学んだトミー・ガードナーとのバンドの楽曲をジャズにアレンジしたアルバム『The Other Side of LIfe: Piano Ballads』を発表した。現在、ダスティン・ペイザーは、Bayonet Recordsを立ち上げ、新進バンドの発掘にも貢献している。バンドは今年に入り、最新作『Bunny』をBayonetからリリースしている。

 

 


 

 

Sea Oleena 『Sea Oleena』2010  / Charlotte Loseth

 


 

Sea Oleenaは、カナダ・モントリオールの兄妹、シャルロット・オリーナとルーク・ロゼスのエレクトロニカ・ユニット。現行のベッドルーム・ポップの先駆的な存在でもある。レコーディングの多くは、兄妹の自宅で行われ、ギター、ピアノをはじめとする楽器が自前のラップトップで録音され、レコーディングからリリースまでのおおよそが兄妹二人の手でなされている。Youtubeの公式のPV以外は、音源リリースは、カセットテープ、Sound Cloudでのリリースを中心に活動している。昨今、リリース音源がCDというかたちで市場に残るようになった。 Sea Oleenaの鮮烈なセルフ・タイトルのデビュー作は、ミニマルなインディー・フォークとドリーム・ポップを融合させた「Swimming Story」等が収録。2013年にはオリジナル盤に「Sister」を始めとする七曲を追加収録したバージョンが発売されている。


 

 

 

Lightning Bug 『A Color Of The Sky』  2021 / Fat Possum


 

Audrey Kang(オードリー・カン)を中心に結成されたニューヨークのLightning Bug。2015年から三作のフルレングスを発表している。フロントパーソンの透明感のあるボーカルが特色で、フェイザー・ギターやフォーク音楽を吸収したリズムがその音楽の魅力を引き立てる。バンドサウンドの風味は、シューゲイザー、ドリーム・ポップの中間点に位置し、不可思議な幻想性がほのかに漂う。「A Color Of The Sky」は、ニューヨークのキャッツキルでレコーディングされ、「リスナーには、自分の内面の世界を探求してほしいと思います。この作品は、自分を信頼すること、自分に深く正直になること、そして、自己受容が無私の愛を生み出すことを主題にしている」とフロントパーソンのオードリー・カンは説明している。ドリーム・ポップにみならず、落ち着いたフォークミュージックとして楽しめる。長く活躍してほしいバンドのひとつ。



 


 

Living Hour 『Someday Is Today』2022/ Next Door


 


カナダ、マニトバ州のウィニペグのバンド、Living Hour(リヴィング・アワー)。シューゲイズ寄りの骨太なロックサウンドが最大の魅力ではあるが、その中にドリーム・ポップ、トロピカル、エレクトロ等のクロスオーバーが見られることもカナダのロック・バンドらしい特徴である。デビュー・アルバムも捨てがたいものの、最新作『Someday Is Today』はリヴィング・アワーの出世作。今作には、Jay Somがゲストとして参加。制作は当初の予定よりも遅れ、最も寒い期間に制作が行われている。バンドが、ドラキュラが出そうな中世ヨーロッパの雰囲気と説明するレコーディング・スタジオで制作されたのも、特異なインディーロックサウンドを生み出す契機となった。シューゲイズのアンセム「Feeling Meeting」もクールだが、ドリーム・ポップという観点からは「Hump」がおすすめ。また、スロウコア風の「Curve」なども収録されている。

 



 

Lande Hekt 『Romantic』 Single 2022/ Emotional Response

 


 

マンシー・ガールズのフロントマンとして知られるランデ・ヘクトのソロ・プロジェクト。しかし、マンシー・ガールズは解散を発表し、フェアウェル・ツアーが今年の11月と12月に開催される予定。ということは、今後、ソロプロジェクトの専念するということなのか。ランデ・ヘクトは、パンキッシュな印象のあるマンシー・ガールズとは異なり、このソロ・プロジェクトを通じて、スコットランドのネオ・アコースティック、ギター・ポップを継承して、それらをエモーショナルなロックソングに昇華している。アーティストのゴシックへの興味についても曲にユニーク性を付与している。ジャングル・ポップ/パワー・ポップの名曲「Romantic」は、ぜひチェックしてもらいたい。2022年発売された2ndアルバム『House Without A View』はギター・ポップとしてはもちろん、ドリーム・ポップとしても楽しめるアルバムとなっている。

 



 

 

 

Smut 『How The Light Felt』2022 / Bayonet

 



シカゴの四人組インディーロックバンド、シンプルなロックソングが特徴。その中にはドリーム・ポップに近い夢想的な雰囲気に溢れている。バンドは先日、Audio Treeのラジオ・セッションに登場し、このアルバムの収録曲を演奏している。オアシス、クランベリーズを彷彿とさせるクラシカルなロックの型に加え、メロディアスな楽曲が特色である。このアルバムはボーカリストの妹の死を原動力に書かれた。実際、その中には落胆した人々の肩を支えるような力強さもある。Bayonet Records所属というのもあり、今後の動向に注目しておきたいオルタナティヴロックバンド。このアルバムには「Supersolar」、「Believe You Me」といった良曲が収録されている。