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©Jody Domingue

 

テキサスのソウル・デュオ、Black Pumas(ブラック・プーマズ)はセカンド・アルバム『Chronicles Of A Diamond』を発表した。2019年のセルフタイトル・アルバムに続く本作は、ATOから10月27日にリリースされる。  


アルバムはバンドのエイドリアン・ケサダがプロデュースし、ショーン・エヴェレットが主にミックスした。リード・シングル「More Than a Love Song」は、ジュリアナとニコラ・キリンが監督したミュージック・ビデオとともに本日公開される。また、アルバムのジャケットとトラックリストは以下を参照のこと。


「"More Than a Love Song "は、スティーヴおじさんから借りたメッセージなんだ。ソングライターであり、介護者でもある彼は、遠くから私が曲を書くのを聴いてくれて、運が良ければ、私のために1つか2つの指針を持っていた。つまり、『人生はラブソング以上のものだ』ってね」

 


「More Than A Love Song」

 

 

 

Black Pumas 『Chronicles Of A Diamond』


Label: ATO

Release: 2023/10/27

 

Tracklist: 

 
1. More Than A Love Song


2. Ice Cream (Pay Phone)


3. Mrs. Postman


4. Chronicles Of A Diamond


5. Angel


6. Hello


7. Sauvignon


8. Tomorrow


9. Gemini Sun


10. Rock And Roll

 


  

  今では、不動の地位を獲得している伝説のシンガーにも、困難な時代があった。ローリング・ストーン誌の選ぶ、歴史上最も偉大な100人のシンガーで2位を獲得し、ケネディー・センター名誉賞、国民芸術勲章、ポーラー音楽賞の授与など、音楽という分野にとどまらず、米国のカルチャー、ポピュラー・ミュージックの側面に多大な貢献を果たしたレイ・チャールズにも、不当な評価に甘んじていた時期があったのだ。それでも、チャールズはちょっとした悲しい目に見舞われようとも、持ち前の明るさで、生き生きと自らの人生の荒波を華麗に乗りこなし、いわば、その後の栄光の時代へと繋げていったのだった。今回、この伝説的な名歌手の生い立ちからのアトランティック・レコードの在籍時代までのエピソードを簡単に追っていこう。



 

レイ・チャールズの歌には、他の歌手にはない深みがある。深みというのは、一度咀嚼しただけでは得難く、何度も何度も噛みしめるように聞くうち、偽りのない情感が胸にじんわり染み込んでくるような感覚のことを指す。もっといえば、それは何度聴いても、その全容が把握出来ない。チャールズは、バプテスト教会や黒人霊歌を介し、神なる存在に接しているものと思われるが、他方、聴いての通り、彼の歌は全然説教っぽくない。スッと耳に入ってきて、そのままずっと残り続ける。

 

彼の歌は、サザン・ソウル、ゴスペル、ジャズ、ポップ、いかなる表現形式を選ぼうとも、感情表現の一貫である。そして、それは説明的になることはない。彼はいかなる表現でさえもみずからの詩歌で表する術を熟知していた。彼の歌は、彼と同じ立場にあるような人々の心を鷲掴みにした。

 

歌手がビック・スターになる過程で、チャールズは、天才の称号をほしいままにするが、アトランティック・レコーズの創始者、アーメット・ガーディガンはチャールズのことについて次のように説明していた。彼いわく、天才と銘打ったのは、マーケティングのためではなかった。「そうではなくて、単純に我々が彼のことを天才だと考えていたんだ。 音楽に対するアプローチ全般に天才性が含まれていた。あいつの音楽のコンセプトは誰にも似てはいなかったんだ」



 

そのせいで、彼は当初、異端者としてみなされるケースもあった。「攻撃されるのは慣れっこだったよ」とチャールズは後にアトランティック・レコードの時代を回想している。「ゴスペルとブルーズのリズム・パターンは、以前からクロスオーバーしていた。スレイヴの時代からの名残なんだろうと思うけど、これはコミュニケーションの手段だと思っていたから・・・。なのに、俺が古いゴスペルの曲をやりはじめたら、教会どころか、ミュージシャンからも大きなバッシングを受けた。”不心得者だ”とかなんとか言われてさ、俺がやっていることは正気ではないとも言われたな」

 



 

  


1980年のこと、クリーブランドのホテルの一室でパーマーという人物が直接に「君は天才ではないのか?」と尋ねると、チャールズは例のクックという薄笑いを浮かべた。

 

「俺はさ、つねに決断を迫られているマネージャーみたいなもんでね・・・」チャールズは、そういうと、オレンジ色のバスローブ姿で立ち上がり、それまで吸っていた煙草の火をテーブルの上にある灰皿で器用にもみ消した。

 

「上手く行きゃ、天才呼ばわり・・・。行かなきゃ、ただのバカかアホ・・・。俺たちがやったことは、結局はうまく行ったわけだ。だから俺は天才ということになった。ただ、それだけのことだろ?」

 

 

  



1930年、9月22日にレイ・チャールズはジョージア州、オルバニーに生まれ、フロリダ州で少年時代を過ごす。彼は、生まれた時点で、不幸の兆候に見舞われていた。五歳の時、弟が風呂場で溺死するのを目撃した。七歳になる頃には、緑内障で失明した。独立精神を重んじた母親の教育方針の賜物があってか、彼は当時住んでいたフロリダのグリーンヴィルのカフェのブギ・ウギ・ピアノの演奏家から、ピアノ演奏の手ほどきを受けるようになった。「ヘイ、チャールズ、昨日弾いたみたいに弾いてごらん」と、つまり、それが親父の口癖だった。

 

チャールズの演奏の才覚は目を瞠るべきものがあった、バッハ、スウィング・ポップ、グランド・オール・オプリー、お望みとあらば、何でも弾くことが出来た。それから、彼はセント・オーガスティンという人種隔離制の視覚障がい者学校で裕福な白人婦人のためのピアノを弾いた。

 

チャールズは、その後、作曲と音楽論を学び、点字で編曲を行うようになった。クラスメートが休暇に帰省すると、彼は白人専用の校舎にあるピアノ室に寝泊まりした。そんな生活がチャールズの人生だったが、15歳のときに母親が他界した。いよいよ学業を断念せざるをえなくなった。「ママが亡くなった時・・・」チャールズは自伝で回想している。「夏の数ヶ月間が俺にとってのターニングポイントだったよ」「つまりさ、自分なりのタイミングで、自分なりの道を、自分のちからで決断せねばならなかった。でも、沈黙と苦難の時代が俺を強くしたことは確かだろう。その強靭さは一生のところ俺の人生についてまわることになったんだ」



 

 

 チャールズは青年期を通じて、故郷であるフロリダを中心に演奏するようになった。もちろんレパートリーの多さには定評があった。その後、彼は、バスに乗り込んで、西海岸を目指した。1947年頃には、Swing Timeという黒人のレコード購買層をターゲットにしたロサンゼルスの弱小レーベルとレコード会社と最初のサインを交わした。レイ・チャールズは、ナット・キング・コールとチャールズ・ブラウンをお手本にし、彼らの自然な歌の延長線上にあるピアノの演奏をモットーにしていた。

 

 

「レイは俺の大ファンでいてくれたんだ」とブラウンは打ち明け話をするような感じで回想している。「実は、彼と一緒に演奏していた頃、それでかなりの稼ぎがあったんでね・・・」

 

 

Charles Brown
   1951年に、「Baby Let Me Hold Your Hand」が最初のヒット作となった。このシングルは翌年にメジャーレーベルのアトランティック・レコードが2500ドルで彼の契約を買収したことで、アーティストにとっては自信をつけるためのまたとない機会となった。ニューヨーク、ニューオーリンズで行われたアトランティックが企画した最初のセッションでは、「It Should Have Been Me」、「Don’t You Know」、「Black Jack」等、感情的なナンバーを披露した。 これらの曲にはアーティストの最初期の文学性の特徴である、皮肉と自己嫌悪が内在していた。



 

こういった最初の下積み時代を経て、チャールズはより自らの音楽性に磨きをかけていった。続く、1954年、アトランティックのビーコン・クラブのセッションでは、アーメット・アーティガンとパートナーに向けて、新曲を披露する機会に恵まれた。「驚くべきことに、彼は音符の一個に至るまで」とアーティガンは回想している。「すべて頭の中に入っていた」「彼の演奏を少しずつ方向づけすることは出来ても、後は彼にすべてを任せるしかなかったんだ」

 

 

レイ・チャールズの音楽性に革新性がもたらされ、彼の音楽が一般的に認められたのは、1954年のことだ。アトランタのWGSTというラジオ局のスタジオで「I Get A Woman」というマディー・ウォーターズのような曲名のトラックのレコーディングを、ある午後の時間に行った。これが、その後のソウルの世界を一変させた。「たまげたよ」レコーディングに居合わせたウィクスラーは、感嘆を隠そうともしなかった。「正直なところさ、あいつが卵から孵ったような気がしたな。なんかめちゃくちゃすごいことが起ころうとしているのがわかったんだよ」



 

ウィクスラーの予感は間違っていなかった。「I Get A Woman」は、一夜にしてトップに上り詰めた。古い常識を打ち破り、新しい常識を確立し、世俗のスタイルと教会の神格化されたスタイルを混同させて、土曜の歓楽の夜と日曜の礼拝の朝の境界線を曖昧にさせる魔力を持ち合わせていた。チャールズのソウルの代名詞のゴスペルは言わずもがな、ジャズとブルースに根ざした歌詞は、メインストリームの購買層の興味を惹きつけた。もちろん、R&Bチャートのトップを記録し、エルヴィス・プレスリーもカバーし、1950年代のポピュラー・ミュージックの代表曲と目されるようになった。この時期、アメリカ全体がチャールズの音楽に注目を寄せるようになった。

 

 

 

 

  


やがて、多くのミュージシャンと同様に、ロード地獄の時代が到来した。チャールズはその後の4年間の何百日をライブに明け暮れた。中には、ヤバそうなバー、危険なロードハウスでの演奏もあった。ところが、チャールズの音楽は、どのような場所でも歓迎され、受けに受けまくった。その後も、ライブの合間を縫ってレコーディングを継続し、「This Little Girl Of Mine」、「Hallelujah I Love Her So」の両シングルをヒットチャートの首位に送り込んでいった。その中では、レイ・チャールズのキャリアの代表曲の一つである「What'd I Say (PartⅠ)」も生み出されることに。この曲は文字通り、米国全体にソウル旋風を巻き起こすことになった。



 

この曲は、ゴスペル風の渋い曲調から、エレクトリック・ピアノの軽快なラテン・ブルースを基調にしたソウル、そしてその最後にはアフリカの儀式音楽「グリオ」のコール・アンド・レスポンスの影響を交えた、享楽的なダンスミュージックへと変化していく。 1959年、ピッツバーグのダンスホールで即興で作られた「What'd I Say (PartⅠ)」は、ブラック・ミュージックの最盛期の代表曲としてその後のポピュラー音楽史にその名を刻むことになる。しかし、当時、白人系のラジオ曲では、この曲のオンエアが禁止されていた。それでも、ポップチャート入りを果たし、自身初となるミリオン・セラーを記録した。その六ヶ月後に、チャールズは、アトランティックからABCレコードに移籍した。その後、カタログの所有権に関する契約を結ぶ。当時、29歳。飛ぶ鳥を落とす勢いで、スター・ミュージシャンへの階段を上っていった。

 



 



Jessy Ware(ジェシー・ウェア)がニューシングル「Freak Me Now」をリリースしました。Rosin Murphy(ロイシン・マーフィー)とのコラボレーションで、マーキュリー賞にノミネートされたジェシーのアルバム「That!Feels Good!』の収録曲となっている。UKソウルとディスコの象徴的なアーティストの共演です。


「ディスコの女王、ロイシン・マーフィーを『Freak Me Now』に起用できて、とても光栄だわ」ジェシー・ウェアは説明しています。「私とのコラボを考えてくれるかもしれないと思って彼女にメッセージを送ったら、いつの間にか彼女はスタジオに直行して、この曲のためにすべてのヴォーカルを録音し、私たちに送ってくれました。私は彼女の仕事を長年尊敬してきた。そんな彼女が『That!Feels Good!」が参加してくれるのは本当に素晴らしい。将来、ライブで一緒にやるのが待ちきれない! 私と同じように、ファンもこのことに熱狂するでしょう。彼女はとても優美で、寛大で、先駆的で、ロワジン・マーフィーであり、『Freak Me Now』に出演しています」


一方のロイシン・マーフィーはこう付け加えています。「ジェシーは本当に素晴らしく、超才能的なソングライターであり、素晴らしいシンガーです。彼女は本当に美しいけど、とても面白くて、決して深刻に考えすぎない。しばらく前から一緒に仕事をしようと話していたんです。彼女が'Freak Me Now'を送ってくれたとき、私はその曲に惚れ込んで、この曲に私が参加するのが完璧にふさわしいと感じた。ビデオ撮影当日は、ファッション・カオスのようで、とても楽しかった!舞台裏では、高級なジャンブルセールのようでした。自分たちのバカバカしさに笑い、一日中とてもバカだった!彼女が大好きで、彼女と仕事をすることすべてが大好きです」


「Freak Me Now」



 
©Sandra Vigliandi

バーミンガムのユニークなソウルバンド、Dexy's Midnight Runners、通称デキシーズが11年ぶりにオリジナル・アルバムを発表しました。

 

『The Feminine Divine』は7月28日に100% Recordsから発売される予定です。バンドはこの発表と同時に最初の先行シングル「I'm Going to Get Free」を公開しました。

 

この曲についてKevin Rowlandは、「このキャラクターは、内面化したトラウマ、うつ病、罪悪感から楽観的に脱却している」と述べています。Guy Myhillが監督したビデオは以下からご覧下さい。


Kevin Rowlandはプレスリリースで、「僕にとっては、いつも自然なことなんだ。"インスピレーションが先に来て、自分に何ができるか、どんな曲があるかを考え、それからバンドにアプローチするんだ」と説明しています。

 

 「I'm Going to Get Free」

 

 

 

Dexy's 『The Feminine Divine』


 

 

Label: 100% Records

Release: 2023年7月28日


Tracklist:


1. The One That Loves You

2. It’s Alright Kevin (Manhood 2023)

3. I’m Going To Get Free

4. Coming Home

5. The Feminine Divine

6. My Goddess Is

7. Goddess Rules

8. My Submission

9. Dance With Me

Young Fathers 『Heavy Heavy」


 

Label: Ninja Tune

Release : 2023/2/4



 

Review 

 

リベリア移民、ナイジェリア移民、そして、エジンバラ出身のメンバーから構成されるスコットランドのトリオ、ヤング・ファーザーズは、一般的にはヒップホップ・トリオという紹介がなされるが、彼らの持つ個性はそれだけにとどまらない。MOJO Magazineが指摘している通り、多分、このトリオの音楽性の核心にあるのは「ビンテージのソウル/レゲエ」なのだろう。またそれは”近作でトリオが徹底的に追究してきたことでもある”という。そして最新作『Heavy Heavy』では、多角的な観点からそれらのコアなソウル/レゲエ、ファンクの興味を掘り下げている。

 

しかし、ヒップホップの要素がないといえばそれも嘘になる。実際、ヒップホップはビンテージ・レコードをターンテーブルで回すことから始まり、その後、ソウルミュージックをかけるようになった。ヤング・ファーザーズの最新作は一見、ロンドンのドリルを中心とする最近のラップ・ミュージックの文脈からは乖離しているように思えるが、必ずしもそうではない。トラップの要素やギャングスタ・ラップの跳ねるようなリズムをさりげなく取り入れているのがクールなのだ。


バンコール、ヘイスティングス、マッサコイの三者は、自分たちが面白そうと思うものがあるならば、それが何であれ、ヤング・ファーザーズの音楽の中に取り入れてしまう。その雑多性については、他の追随を許さない。もちろん、彼らのボーカルやコーラス・ワークについては、ソウル・ミュージックの性質が強いのだが、レコードをじっくり聴いてみると、古典的なアフリカの民族音楽の影響がリズムに取り入れられていることがわかる。また、UKのドラムン・ベースやクラブ・ミュージックに根ざしたロックの影響を組み入れている。これが時にヤング・ファーザーズが商業音楽を志向しつつも、楽曲の中に奥行きがもたらされる理由なのだろう。

 

『Heavy Heavy』は、トランス、ユーロ・ビート、レイヴ・ミュージックに近い多幸感を前面に押し出しながらも、その喧騒の中にそれと正反対の静けさを内包しており、ラウドに踊れる曲とIDMの要素がバランス良く配置されている。さらにアフリカのアフロ・ソウルを始めとするビート、ゴスペル音楽に近いハーモニーが加わることで新鮮な感覚に満ちている。ヤング・ファーザーズが志す高み、それは、ザ・スペシャルズのスカ・パンク世代の黒人音楽と白人音楽の融合がそうであったように、国土や時代を越えた文化性に求められるのかもしれない。実際、歌詞やレコードのコンセプトの中には、人種的な主張性を交えた楽曲も含まれている。

 

この最新作で注目しておきたいのは、ジェイムス・ブラウンに対する最大限のリスペクトをイントロで高らかに表明している#3「Drum」となるか。アンセミックな響きを持つこの曲は、ラップに根ざしたフレーズ、ダブ的な音響効果、ソウル・ミュージックを中心に、パンチ力やノリを重視し、アフリカの音楽の爽やかな旋律の影響が取り入れられている。ループの要素を巧みに取り入れることにより、曲の後半ではレイヴ・ミュージックのような多幸感が生み出される。


続く#4「Tell Somebody」は、この最新作の中にあって癒やされる一曲で、最後に収録されているしっとりしたソウル・バラード、#10「Be Your Lady」と合わせて、クラブ的な熱狂の後のクールダウン効果を発揮する。他にも、ドリル、ギャングスタ・ラップをDJのスクラッチの観点から再構築し、エレクトロと劇的に融合させた#6「Shoot Me Down」も個性的な一曲である。その他、ドラムン・ベースの影響を打ち出した#9「Holy Moly」も強烈なインパクトを放つ。

 

この新作において、ヤング・ファーザーズは、ブラック・カルチャーの特異な思想であるアフロ・フューチャリズムのひとつの進化系を提示しようとしており、また、同時に既存の枠組みに収まるのを拒絶していて、ここに彼らの大きな可能性がある。ヤング・ファーザーズの一貫した姿勢、ご機嫌な何かを伝えようとするクールな心意気を今作から読み取っていただけるはずだ。

 

 

82/100

 

 

Joesef

スコットランドのR&Bシンガー、Joesef(ジョーセフ)は、今週金曜日(1月13日)にAWALからリリースされる待望のデビュー・アルバム『Permanent Damage』に先駆け、最新シングル「Borderline」を公開しました。

 

Joesefは、”ソウル・ポップの新星”とも称される若い期待のシンガーソングライターで、サム・スミスが引き合いに出される場合もある。


「”Borderline"はニュー・アルバムのために書いた最後の曲なんだ」とJoesefは説明している。

 

「この曲はとても文学的な会話形式の曲で、プロダクションは全てとても近い。その場に一緒にいるような感覚にしたかった。このようなペースで書かれた曲は、ある種の優しさがあるため、スピードアップしたり、大きくしたりしたくなる傾向がある。いくつか試してみましたが、アルバムで聴けるバージョンほど、ストーリーに忠実なものはありませんでした。今でも聴くのは難しいかもしれない。この曲は、完璧であったはずの人にふさわしい自分の姿には決してなれない、ということを歌っているんだ。"正しい人、間違った時 "というような曲なんだ」 


 

 

Joesefのデビュー・アルバム『Permanent Damage』はAWALから1月13日に発売されます。