1.マンチェスターの狂乱の時代

 

1980年代から1990年代初頭にかけて、英国の音楽シーンは、マンチェスターを中心に形成された。古くは、産業革命の時代から工業生産を旗印に経済的な発展を遂げたマンチェスターに主要なミュージックシーン、若者たちの文化が新しく育まれた。

 

このマンチェスターのミュージックシーンは、別名「Madchester」ともいわれ、1980年代の花開き、若者たちの地下パーティー、ドラックなどを介して、ダンスロックムーブメントが英国内に浸透していった。 時代は決して明るくなかった。当時のマンチェスターの若者たちはブラックマンデーという経済的に暗い時代を生きていた。

 

「鉄の女」の異名をとる新資本主義を掲げて政権運営を行ったマーガレット・サッチャー政権下での不況、あるいは、英国内の失業率の上昇という社会背景において、「音楽」という得難い何かに当時の英国内の若者たちは慰みを見出そうとしていた。それは日本の平成時代の先行きの不安という概念に囚われた日本の若者と重なるものがある。1980年代、大きな旋風を起こした「Madchester」は、イギリス国内の大学でも研究対象となっている文化のひとつであるけれども、決して健康的な文化というようには言いがたい。これは何かしら、熱に浮かされたような狂乱的なムーブメントであり、NYの1970年代のVUやThe Fugsといったバンドに象徴されるような退廃的な雰囲気を持つ文化のひとつでもあった。

 

これらのマッドチェスター・シーンの中から、ハッピー・マンデーズ、インスパイラル・カーペッツ、ナチスの喜び組の名にちなむジョイ・デイヴィジョン、さらには、ストーン・ローゼズといったUKのロックシーンでも際立ったロックバンドが輩出された。上記のバンドは、ザ・スミスも同じように、真夜中の闇の中を漂うかのようなアンニュイさを音楽性の特徴としていた。これらのサウンドは、どういった他の芸術形式よりも、深く現実性に根ざしており、若者たちの生活の真実を色濃く反映していた。

 

もちろん、この流れを引き継いで、オアシス、ヴァーヴ、ブラー、レディオ・ヘッドが登場する。後の時代には、アークティック・モンキーズ、カサビアンらが、登場の機会を伺っていた。これらのメインストリームの合間を縫い、アンダーグラウンドシーンでは、トリッキー、ポーティスヘッドをはじめとする暗鬱なトリップ・ホップ、「ブリストルサウンド」が生み出されたのだ。

 

これらのロックバンドは、 特に前の時代のビートルズ、Led Zeppelinといった偉大なロックバンド、その後のクラッシュやオリジナル世代のポスト・パンクが出てきた後、ロックという音楽が完全に行き詰まりを見せていた時代に、クラブミュージックのサウンドを新たにロックに取り入れることにより、1980年代から1990年代初頭にかけて新時代を象徴する音楽を生み出してみせた。それはもちろん、のちのオアシスを始めとするブリット・ポップに引き継がれていった。

 

最初のマンチェスターサウンドは、スペインのイビサ島における真夜中のクラブパーティーの文化をマンチェスターに持ち帰った地元のDJたちが、フロアでクールな音楽をかけ、それが若者たちにもクラブ文化として浸透していき、さらに、マンチェスターの若者たちは、それを既存のロックミュージックと融合させたというのが通説となっている。


いってみれば、ロック音楽が行き詰まりを見せていた時代、ダンス・ミュージックとロックの融合をはかることにより、英国のロック音楽は新たな息吹を吹き込まれたのだ。現在の、英国内の主要なロック音楽、ポピュラー音楽にとって欠かさざる点であり、それは一種のイギリスらしい音楽文化として引き継がれているようにも思える。


これらの文化は若者たちの生活に退廃性をもたらすと同時に、カルチャーを生み出す基盤となった。当時の社会背景を知るのに最適なのが「24 Hours Party Peole」という2002年の映画である。このドキュメンタリーの要素が込められた映画には、ハッピー・マンデーズやジョイ・デイヴィジョンがストーリー中に登場する。


これらのマンチェスターのミュージックシーンは、少なくとも、その最初期においては、地元のクラブから始まった。そして、そのクラブ文化の浸透、さらには後発のダンスロックと呼ばれるムーブメントを後押ししたのがマンチェスターのインディペンデントレーベルの「Factory Record」であった。

 

 

2.トニー・ウィルソン、パンクロックを引き継いだ新時代の音楽

 

 

1980年代のマンチェスターサウンドを最初に形づくり、それを英国全土に浸透させた先駆者はほぼ間違いなくファクトリーレコードの主宰者のトニー・ウィルソンだ。 サルフォードで生まれで、ケンブリッジ大学で教育を受けた後、インディペンデントレコード「Factory Records」をマンチェスターに設立する。 

 

トニー・ウィルソン (中央)

 

一説によると、ウィルソンは、大学で学んだ後、他の卒業生のようにエリートコースを歩まず、自分の惚れ込んだ音楽を紹介したり、それをある種の文化として広めていくことに喜びを見出していたという。 

 

1970年代から、トニー・ウィルソンは、最初期からパンク・ロックムーブメントを擁護した数少ない支持者であり、英国内のカルチャーを紹介するテレビ番組「So It Goes」の司会役を務めていた。このテレビ番組内で、BBCのラジオパーソナリティー、ジョン・ピールのような役割を果たし、ザ・クラッシュ、スージー&バンシーズ、バズコックスといったロンドンパンク、ニューウェイヴシーンの代表的なバンドを世に紹介し、彼らをメインストリームに送り出していった。

 

トニー・ウィルソンは誰よりもパンクロックの魅力について知悉していた人物だ。1979年6月4日、彼は伝説的なパンクロックショーに参加していた。ハワード・デイヴォート、そして後にバズコックスを結成するピート・シェリーが主催したロンドンのレッサーフリートレードホールの伝説的なコンサートに居合わせ、最初のパンクロックムーブメントの熱狂を間近で見届けていた。 

  

この日のショーには、地元の駆け出しのパンクロックバンド、The Sex Pistolsが出演していた。この日のロンドンのショーは、わずか40人程度の動員であったにもかかわらず、のちの1970年代にかけての、ロンドンパンクムーヴメントの先駆けとなった重要な分岐点となったライブとして、ポピュラー音楽の歴史に今も印象深く刻みこまれている。つまり、この日のショーの価値は、そこに居合わせた人数でなくて、誰がそこで何をやっていたのかに象徴されていたのだ。

 

セックス・ピストルズ、バズコックスの後の世界的な活躍は言わずもがなで、さらに、この日のライブのPAを務めていたマーティン・ハネットは、後に、ハッピー・マンデーズを結成し、さらにストーン・ローゼズの独特なサウンドを生み出した人物だ。

 

マーティン・ハネット (右)


さらに、このライブには、イアン・カーティス、バーナード、ピーターの三人が参加している。すでに多くの方がご存知の通り、彼らは、Joy Divisionを結成し、イアンの死後、ニュー・オーダーを結成し、UKエレクトロ・サウンドを完成へと導いた。

 

きわめつけは、将来のマンチェスター、英国内の最も有名なミュージシャンとなるスミス・スティーヴン・モリッシー、The Fallを結成するマーク・E・スミスも、この日のライブに居合わせていた。つまり、この日のロンドンのレッサーフリートレードホールライブショーには、後の10年における英国のミュージックシーンを担う人物が一同に会していたのである。

 

 

3.Factory Recordsの発足 イベントからの発展

 

その後、これがマンチェスター郊外のモスサイドにあるラッセルクラブで開催されたイベント、ファクトリーナイトの始まりにつながった。

 

トニー・ウィルソン、地元の俳優であるアラン・エラズマス、プロモーターのアラン・ワイズが上演し、夜には、ドゥルッティ・コラム、ジョイ・デイヴィジョン、キャバレー・ヴォルテール、ティラー・ボーイズなどのバンドにように、ライブパフォーマンスが行われるようになった。

 

最初のイベントのポスターは、ファクトリーが作製した全カタログ番号を提供する、というレーベルポリシーに従い、その後、「FAC」としてカタログ化される。彼は、ポスターを届けピーター・サヴィルによってデザインされた。

 

Fac Dance 2: Factory Records 12inch Mixes & Rarities 1980-1987

 

イベントの開催に伴い、ファクトリー・レコードは、レーベルとしての役割を担うようになる。 トニー・ウィルソン、アラン・エラズマス、ジョイ・デイヴィジョンのマネージャー、ロブ・グレットン、プロデューサーのマーティン・ハネットにより設立されたファクトリーレコードの最初のリリースは、主催するイベントに出演したアーティストの曲のコレクションであった。

 

しかし、その後、ファクトリーがレコード会社としての運営に問題を抱えたのは、アーティストとの正式な契約を交わさなかったことによる。 レーベルが作製した唯一の法的な文書は、彼らが一緒に仕事をしたアーティストが、彼らの音楽、芸術的な方向性に対する所有権を持っていることを示す声明だけであった。

 

 

4.ジョイ・ディビジョン その後のマンチェスターシーンに与えた強い影響 


これらの最初のファクトリーイベントから出発し、1980年代以降のマンチェスターサウンドを最初に定義づけたのは、イアン・カーティスを擁するジョイ・デイヴィジョンにほかならない。

 

当時から、イアン・カーティスは市役所に勤務しながら、ロックアーティストとしての歩みを始めた。だが、ライブやレコーディングにおける過労の連続が、彼の生涯に、また、その後のマンチェスターの音楽に仄暗い影を引いたことは事実である。


このバンドは、最初のファクトリーレコードの代名詞のような存在、そして、のちのマンチェスターサウンドの最初の立役者となった。彼らは、1979年4月にストックポートのストロベリースタジオで、デビュー・アルバム「Unknown Pleatures」のレコーディングを開始する。  

 

Joy Division 「Unknown Pleasures」1979

 

ジョイ・デイヴィジョンの無機質なサウンドを生み出したのが、最初のファクトリーのイベントにPAを担当していたマーティン・ハネットであった。彼は、このお世辞にも演奏が上手くなかったバンドの演奏力を鍛えた人物でもあり、彼の狂気はファクトリー伝説の一貫の語り草になっている。レコーディング中、ドラムキットは解体され、スタジオの屋上で組み立てなおされた。さらに、イアン・カーティスは、ヴォーカルトラックを、マイクではなく、電話回線で録音をおこなった。

 

そして、「Unknown Pleasure」は、ドイツのクラウト・ロックの影響があってのことか、金属的なSEの音が組み込まれている。これらの独特な金属音は、建物地下にあるトイレで捉えられたボトルの音をSEとして、ハーネットが録音したものだ。


このデビューアルバムのインダストリアルな音楽性は、アート・リンゼイ、ブライアン・イーノの「NO New York」に触発された可能性もある。「Unknown Pleasures」のレコーディングが行われたのは、このアルバムのリリースされた一年後のこと。


もちろん、上記のことは憶測に過ぎないと言い添えてておきたいが、少なくとも、後にストーン・ローゼズのサウンドの生みの親であるハーネットが志向したのは、既存のロンドン・パンクの流れに決別を告げる新時代のマンチェスターサウンド、テクノやハウス、そういった電子音楽と以前のパンクを融合したものであったことはたしかである。

 

「Unknown Pleasures」は、少なくとも、前進のワルシャワ時代から、地元のローファイなパンクバンドでしかなかったジョイ・デイヴィジョンのUKの音楽シーンにおける地位を決定づけた。のみならず、その後の10年間のマンチェスターサウンドを予見した歴史的傑作といえるだろう。パンクロックに強い影響をうけたハーネットのエンジニアとしてのすぐれた技術は、70年代後半のマンチェスターの若者たちの生活を反映した無機質で暗鬱な音楽を生み出した。

 

「Unknown Pleasures」はリリース後の2週間で、元のプレス量の半数の10,000枚を売げた。ところが、さらに、10,000枚を追加生産するのに6ヶ月要したため、ファンへの供給が間に合わず、UKチャートで大成功をおさめられなかった。翌年、二枚目のアルバム「Closer」が、多くの英国内のレコードショップに並ぶ頃、既にフロントマンのイアン・カーティスは公務員とミュージシャンという二重生活によるプレッシャー、彼自身の癲癇の持病による苦悩の末に、この世を去っていた。もちろん、その後、残りのメンバーはかのニュー・オーダーを結成する。

 

Joy Division 「Closer」 1980

 

ジョイ・デイヴィジョンのその後のマンチェスターの音楽シーンに与えた影響は計り知れないものがある。彼らは、79年から80年代初頭にかけて、ニューウェイヴの道を切り開いた。彼らの二番目の最後のアルバムとなった「Closer」は、UKチャートの6位を獲得し、大きな知名度を得ることになった。

 

その後、数十年にもわたり、ジョイ・デイヴィジョンの曲は、数え切れない再発盤がリリースされ、マンチェスター、UKのポピュラー音楽の記念碑的な分岐点を形作ったとみなされている。これほどまで革新的であり、ま後に強い影響を及ぼしたロックバンドは類を見ないといっても過言ではあるまい。

 

 

4.イアン・カーティスの「Ceremony」の遺産   ニューオーダーの結成 


当初のところ、イアン・カーティスという重要な天才的なヴォーカリスト、フロントマンを失ったJoy Divisionの他のメンバーは、バンドを続ける意向はなかったという。それはやはりイアン・カーティスの代役をつとめられる人物は世界にひとりもいないからである。それでも、ファンからの再結成へのラブコールもあったはずで、そういった次の音楽への期待をバーナード・サムナーをはじめとする残りのメンバーは裏切ることは出来なかった。

 

New Order 「Movement」 1981

 

 

ほどなく、ヴォーカリストを探していたジョイ・デイヴィジョンは、ギタリストだったバーナード・サムナーが歌うことによって新生した。彼らは、New Orderとして新たな船出をすることを告げ、UKのミュージックシーンでひときわ強い存在感を見せる。 イアン・カーティスとともに最後に録音された遺産「Ceremony」を1stシングルとしてリリース、ミュージックシーンに鮮烈な印象を残した。さらに1980年7月、キーボード、ギターとして、ジリアン・ギルバートがニュー・オーダーに参加、その後、デビュー・アルバム「Movement」をリリース。 これはまさにファンが待望していた、ジョイ・デイヴィジョンのまだ見ぬ夢の続きのような意味を持っていた。

 

New Orderがジョイ・デイヴィジョンの影から完全に脱却を試みたのは「Blue Monday」からあった。彼らは、ポスト・パンクの代名詞的なサウンドから抜け出て、マンチェスターサウンドの下地を作った。この12インチシングルは、バンドがよく聴いていたイタリアのディスコ音楽のクラブミュージックに触発されたものだ。

 

「Blue Monday」のジャケットアートワークを手掛けたPeter Savilleのデザインは複雑であったので製作コストがかさみ、この12インチレコードの販売元のFactory Recordsはレコードをコピーするために赤字を計上した。「Blue Monday」は、ファクトリーレコード発足史上、最も売れたアルバムとなった。続いて、1983年の「Power Corrupution and Lies」は、UKチャートで四位を記録し、ついに、後のUKミュージックシーンでの確固たる地位を築き上げた。  

 

 

New Order 「Blue Monday」

 

 

5.ハシエンダとマッドチェスター  アシッド・ハウスの席巻


彼らの成功が何につながったのか言及せずに、ニュー・オーダーについて語り尽くすことは許されまい。FAC51(別名ハシエンダ)と呼ばれるクラブの扉は、1982年5月に開かれた。ロブ・グレットンの発案のマンチェスターのクラブは、ファクトリー・レコード、ニュー・オーダーによって共同で資金提供され開店した。当初、このクラブの経営に携わっていたマーティン・ハネットは、運営の費用が450,000という額に上ると知った時、(ファクトリーレコードのレコーディング予算から差し引かれた)まもなく、ファクトリーレーベルと決別した。 
 
 
ハシエンダ(The Haçienda)では、The Smith,The Stone Roses,Madonnaなどのビックアーティストのライブアクトを主催したにもかかわらず、フロアが満員になることは少なく、当時としては平均的なクラブに過ぎなかったという。ところが、この状況は、1986年に新しい音楽、アシッド・ハウスのムーヴメントがマンチェスターを席巻したときガラリと一変した。
 
 
アシッド・ハウスは、旧来のクラブミュージックとは異なるサウンドである。Roland808,303ドラムマシンにより、反復的なリズムとベースラインを生み出したのが画期的だ。ダンスフロアを見下ろすブースから、クラブ全体を制御できる。


こういったハシエンダ特有のシステムにより、デイブ・ハスラム、ボビー・ラングレー、マイク・ピカリングといった、多くの並み居るDJが、この新しい音楽シーンを盛り上げていった。そして、これらのハシエンダの最初期のDJたちは、スペインのイビサ島のパーティー文化をマンチェスターに取り入れた人物たちであり、この最初のアシッド・ハウスシーンが、それに続くレイヴミュージックへと受け継がれていった。
 
 
ハシエンダの当時の場内の様子 Machester Historian

 
 

その後、マンチェスターには、レイヴカルチャーが到来する。80年代後半から90年代初頭にかけて「Madchester」シーンが隆盛をきわめる。しかし、これらの音楽シーンの立役者であったハシエンダは、その後、シーンを崩壊させた張本人でもある。その後のレイヴ・カルチャーは、常にドラッグと深いかかわりを持っていた。


このクラブで開催されていた狂乱的なパーティー(イビサに触発されたパーティー)には、ドラッグ問題が根深くかかわリ治安が悪化、誰もがドリンクを注文しなかったため、長期的なクラブの経営としては大損益へつながった。
 
 
1990年代に入って、マッドチェスター時代が終わりを告げる。オアシス、ブラーが先陣を切ってUKロックシーンの色を塗り替えてみせたからである。マッドチェスターからブリット・ポップの時代に移り変わるにつれ、麻薬犯罪が蔓延し、街からクラブへ、それらが持ち込まれたため、ハシエンダは店舗内の治安の維持が困難になった。


経営面においても、ハシエンダはむつかしい局面に立たされていた。その結果、1997年6月に、マンチェスターサウンドの立役者、クラブ・ハシエンダは閉店となった。建物は後に、2002年にマンションに変わっているという。
 

 

6.ハッピー・マンデーズ もうひとつのマンチェスターサウンドの立役者

 

ニュー・オーダーと共にファクトリーレコードの栄光を築き上げた立役者として、忘れてはならないのが、ハッピー・マンデーズだ。
 
 
ハッピー・マンデーズは、1987年、デビュー・アルバム「Squirrel And G-Man 24 Hour Party People Plastic Face Carnt Smile(White Out)」を引っさげて、英国のミュージックシーンに華々しく登場した。
 
 
Happy Mondays「Squirrel And G-Man 24 Hour Party People Plastic Face Carnt Smile(White Out)」
 
 
その一年後、マーティン・ハネットがプロデューサーをつとめた「Bummed」をリリース、マッドチェスターシーンの主要な役割を担った。彼らのデビュー作は、2002年になって、ドキュメンタリー風映画「24 Hours People」の題材になっている。
 
 
ハッピー・マンデーズは、2ndアルバム以後、ファクトリーのメンバーでなくなり、レーベルのアーティストとして、数多くのアルバムを制作した。マンデーズの初期の録音セッションは、ドラッグを燃料としていたことは事実であり、これはドラッグの幻覚作用による産物ともいえる。さらに、プロデューサーのハネットにさえ、ドラッグが配布されていたというのだから驚きである。 彼は、この時代、ビートルズでいうジョン・スペクターのような役割を担っていたとも言える。
 

 
1989年の「Madchester Rave On EP」、さらに、三作目「Pill’n Thrills And Bellyaches」のリリースで、ハッピー・マンデーズは、ファクトリーレコードと共に世界の頂点に立った後、マンデーズはバルバドスに詰め込まれ、四枚目のアルバム 「・・・Yes Please」を制作した。  


 この島に滞在したのは、主に、ショーン・ライダーをヘロインから遠ざける意図があった。ここで、マンデーズの破天荒なエピソードがある。バンドは、ヘロインが利用できないため、 バンドは、クラック・コカインに夢中になり、ベズは、車をクラッシュさせたあとに腕を骨折した。当時は、これらのドラッグが高値で取引されており、マンデーズのメンバーは、家具、それどころか、スタジオ設備まで売り払ったというのだから、呆れてものがいえないわけである・・・。
 
 
Happy Mondays 「・・・yes Please」
 
 
彼らがUKに帰ると、ショーン・ライダーはマスターテープを人質にとり、ウィルソンに支払いを要求した。アルバムを聴いてみたトニー・ウィルソンは、ショーンがアルバムの歌を録音しておらず、どころか、歌詞を書いてさえいなかったことに気がついた。彼らのバルバトス島での努力は、こうして完全なる徒労に終わった。次のアルバムが完成してリリースされた1992年、マッドチェスター・シーンは既に終わりを迎えようとしていた。まさに、ハッピー・マンデーズは、マッドチェスターと共に始まり、マッドチェスターと運命をともにした儚さのあるバンドであった。
 
 
 

7.ファクトリー・レコードの終焉 


 
この期間、トニー・ウィルソンは、ファクトリーが驚くべき速さで資金を失っていることに気が付き、(ラフ・トレードとは異なり、彼らは、ニューオーダーを含むこのレーベルのほとんどのバンドのライセンス契約を正式に交わしていなかった)その後、ファクトリー・レコードは1992年11月22日に破産宣告をおこなった。マッドチェスターシーンが終了し、ブリット・ポップが始まった。それに伴い、ファクトリーレコードもミュージックシーン形成の役目を終えた。
 
 
レーベルとしての幕引きを迎えた後、ファクトリーレコードは文化施設として知られるようになった。
 
 
およそ14年のレーベル運営の後、何世代にもわたり、ファクトリーは数え切れないほどの伝説的な物語を残した。市民の純粋な誇りと音楽の信頼に基づいて運営され、音楽業界に革新をもたらし、その後のマンチェスターの音楽、ひいては、英国のポピュラー音楽に強い影響をおよぼした。
 
 
ファクトリー・レコードのレーベルオーナー、グラナダテレビ、また、BBCのジャーナリストとして活躍したトニー・ウィルソンは、2007年にマンチェスターで亡くなり、同地のサザン墓地に眠っている。彼は、生前、以下のように、神話的な暗喩を交えた言葉を遺していることを最後に付け加えておきたい。
 
 
「私は、一言だけ、後世に伝えておきたい。

 

ーイカロスー

 

もし、あなたが、それを人生で手にいれれば、もちろん、一番、素晴らしいことです。でも、たとえ、そうでなくても、また、それはそれで素晴らしいことなのです」
 
 


Peach Fit


ピーチ・フィットは、カナダ・バンクーバー出身、四人組のインディーポップバンド。ニール・スミス、クリストファー・ヴァンダークーイ、ピーター・ウィルトン、マイキー・パスクッチィを中心に、高校時代の友人を中心として結成された。

 

2016年6月、ピーチフィットは、セルフタイトル「Peach Fit」をメジャーレーベルからリリース。この作品はSpotifyで25億再生を記録する。

 

翌年、デビューEP「Sweet FA」をリリース。この作品には「Seventeen」というヒットシングルが含まれている。

 

2018年、コロムビア・レコードと契約を結び、デビューアルバム「Being So Normal」をリリースした。このアルバムにはアンセム「Tommy's Party」が収録され、この楽曲はデジタル配信として13億の再生数を記録した。2020年、セイント・ヴィンセントやベスト・コーストの作品を手掛けるエンジニア、John Congletonを迎え、二枚組のアルバム「You and Your Friends」を制作している。


ピーチ・フィットは、定期的に作品リリースを行いながら、ライブツアーを精力的にこなし、インディーポップバンドとしての実績を着実に積み上げた。2022年までに、Bonnaroo Music &Art Festival,Shaky Knees Music Festival,CBC Music Festivalといった音楽フェスティバルに出演を果たしている。

 

ピーチ・フィットの音楽を、バンド自身は「噛んだようなバブルガム・ポップ」と説明する。また、音楽批評家は彼らのサウンドを「サッドポップ、サーフロック」と評している。

 

サーフミュージックのジャック・ジャクソンを彷彿とさせる柔らかなヴォーカルスタイル、そして、さらに、アコースティックとエレクトリックを絶妙に組み合わせた、躍動感のあるギターロックを主な特徴とする。

 

 

「From 2 to 3」 Columbia


 

 

 


Tracklisting

 

1.Up Granville

2.Vickie

3.Lip Like Yours

4.Pepsi on the House

5.Look Out!

6.Everything About You

7.Give Up Baby Go

8.Last Days Of Lonesome

9.Drips on a Wine

10.2015

11.From 2 to 3

 


今週の一枚としてご紹介させていただくのは、3月4日にリリースされたカナダ・バンクーバーのインディーポップバンドのBeach Pitの新譜「From 2 to 3」となります。

 

今回のアルバム制作で、ピーチ・フィットは、60年代から70年代からのポップ、ロック、フォークに強いインスピレーションを受けてソングライティングを行ったと話し、その中には、ポール・マッカートニー、ニール・ヤング、グレン・キャンベル、イーグルス、ジョージ・ハリソンの名が挙げられています。またそのほか、サイモン&ガーファンクルの影響も感じられます。


上記のバンドからの影響を公言してることからも分かる通り、このスタジオアルバム「 From 2 to 3」に通奏低音のように響きわたっているのは、懐かしいバブルガム・ポップ、フォーク・ロックのノスタルジアです。それが、ニール・スミスの柔らかく、爽やかな雰囲気をもったヴォーカル、クリストファー・ヴァンダークーイのツボを抑えたギターのフレーズ、比較的タイトな印象のあるマイキー・パスクッチィのドラミングによって、叙情的でありながら、ダイナミックさも失わない麗しい60−70年代のサウンドが展開。どこかで聴いたことがある時代に埋もれていった懐かしい雰囲気。この作品では、それらのマージー・ビート、フォーク、そして、サーフミュージックの音楽性が絶妙な融合を果たし、独特なサウンドがゆるやかに繰り広げられていきます。

 

このアルバムが、デジタル、アナログだけで発売されていることからも分かる通り、ピーチ・フィットの今作「From 2 to 3」で掲げるサウンドのコンセプトは、明らかに60−70年代のポピュラー音楽の再解釈で、マッカートニーのメロディーの影響を色濃く受け継いだサウンドが特徴です。これは、近年、オルタネイティヴ・ミュージックが主流になっていくにつれ、王道のポップスが脇においやられてしまったような印象のある今日のミュージックシーンおいて、新鮮で清々しい感慨をリスナーにもたらすことでしょう。アナログではなく、デジタルで聴いたとしても、古いレコードプレイヤーから聞こえるような懐古的な雰囲気が全体的に漂っています。

 

今回のアルバムで聴き所といえそうなのが、一曲目の「Up Granville」、「Look Out!」。さらに、タイトルトラックの「From 2 to 3」は、このスタジオアルバムの最高のハイライトといえるかもしれません。

 

今作では、ジャック・ジャクソンのような爽やかなサーフ音楽の風味、1960年代のバブルガム・ポップ、そして、ビートルズの初期のサウンドを組み合わせた軽やかなサウンドが停滞もなく彩り豊かに展開していきます。このサウンドがリスナーにとってなんとなく心地よいのは、彼らのサウンドが自然味あふれるものであり、余計な力が入っておらず、現代の緊迫した世界の雰囲気から一定の距離を置き、この四人組が、純粋に心地よいポピュラー・ミュージックを追求しているからに尽きるかもしれません。

 

さらに、ピーチ・ピットのカルテットとしてのアンサンブルは、今回のレコーディングにおいて見事に息がとれていて、バンドサウンド(ひとつの小さな社会)としての調和、平かさ、緩やかさが生み出されています。

 

現代の戦争の時代に、今作に見受けられるような、平らかさ、穏やか、緩やかな音の需要は少ないはず。ピーチ・フィットのサウンドが心地よく、美しくさえかんじられるのは、この時代において、彼らが何を信じるべきなのかを熟知しているからなのでしょう。彼らは、決して時代のトレンドに流されず、バンドとして求めるべきものが何かを知りつくしているという気がします。


つまり、それは、彼らが高校時代から、気心の知れた仲間として音楽を気楽に奏でているからこそ必然的に生まれ出るものなのです。「From 2 to 3」は、四人組の友情関係によって紡がれるあたたかな情感の表出、また、彼らが今作において提示するのは、闘争、競争といった価値観とは全く逆の、平和、調和、穏やかさ、大らかさ、現代の人類が最も忘れてはならない重要な概念です。このさわやかな風味に満ちた作品が、平和の運動が出現したカナダから出てきたのは偶然とは言えないでしょう。

 

 

 

 

 

 ・Apple Music Link

 

 



京都発のパンクロックバンド、オトボケ・ビーバーが、新作アルバム「Super Champon」のリリースを発表しました。この新作は、フィジカル盤として5月6日にリリースされる予定。

 

 

今回の新たなスタジオアルバムについて、オトボケ・ビーバーは、「愛から、食べ物、人生、JASRACの管理曲すべてがミックスされています。私達の音楽には、ジャンルによらず、様々な要素が込められています。今作がカオスミュージックの傑作になるように願っています。チャンピオンに引っ掛けて、このアルバムタイトルを名付けています」

 



 

 

 

「Super Champon」 Damnably

 

 



Tracklist:

 

1.I am not material

2.YAKITORI

3.I won't dish out salads

4.PARDON?

5.Nabe party with pocket brothers

6.Leave me alone! No,stay with me!

7.I checked your cellphone

8.I put my love to you in a song

9.Where did you buy such a nice watch

10.George&Janice

11.George&Junice

12.First-class side-guy

13.You're no hero shut up f*ck you man-whore

14.i don't wait to die alone

15.Dirty old fart is waithing fot my reaction

16.Do you want me to send a DM

17.Do you want me to send a DM part 2

18.Let's shopping after show

 


オトボケ・ビーバーは、今年の春から北米に始まり、ヨーロッパツアーに乗り出す予定でしたが、今回予定されていたUSツアーは延期となり、日程は、秋頃に再調整されています。ツアースケジュールは以下の通りです。

 

 


・Otoboke Beaver 「SUPER CHAMPON Tour 2022」

 

 

5月5日 ナイメーヘン NL  [Doornroosje]

5月6日 ロッテルダム NL [Rotown 5]

5月6日 ブリュッセル BE [AB Club]

5月8日 ハーグ  NL  [PAARD]

5月11日 フローニンゲン NL [Vera]

5月16日 ロンドン UK Electric [Ballroom]

5月19日 グラスゴー UK [St.Luke's]

5月20日 マンチェスター UK [Club Academy]

5月22日 ブリストル UK  [The Fleece]

5月24日 ダブリン IE [Button factory]

6月2日 バルセロナ ES [Primavera Sound]

6月30日 ベルフォート FR [Les Eurockeenes]

7月8日 トレンチーン SK [Phoda Festival]

9月20日 トロント ON,CA  [Lee's Place]

10月2日 フィラデルフィア US [Johnny Brenda's]

10月3日 ボストン US [The Sinclair]

10月5日 ブルックリン US [Music Hall of Williamsburug]

10月6日 ワシントンDC US  [Union Stage]

10月8日 シカゴ US [Empty Bottle]

10月11日 デンバー US [Globe Hall]

10月14日 シアトル WA US  [The Crocodile]

10月16日 ポートランド US [Doug Fir ]

10月18日 サンフランシスコ US [Echoplex]

10月19日 ロサンゼルス US [Echoplex]

10月21日 サンディエゴ US  [The Casbah]

 

Loscil

 

ロスシルは、カナダ・バンクーバーを拠点に活動するスコット・モルガンのエレクトロリック/アンビエントのソロプロジェクト。

 

モーガンは1998年にバンクーバーでこのプロジェクトを立ち上げ、ブランディングライトと呼ばれるアンダーグランドシネマで視聴覚イベントを開催している。ロスシルと言う名は、「ループオシレーター」を指す関数(loscil)に由来する。

 

既にアンビエントアーティストとしては確固たる地位を獲得している。これまでオリジナル制作の他にも、坂本龍一、ムスコフ/ヴァネッサ・ワグナー、サラ・ノイフェルド、bvdub、レイチェル・グリムス、ケリー・ワイスといった幅広いジャンルのアーティストの作品に参加している。

 

 

 

「The Sails,Pt.1 」 Scott Morgan


 

 

Tracklisting

 

1.Upstream

2.Fiction

3.Twenty-One

4.Wells

5.Still

6.Trap

7.Cobalt

8.Container

9.Wolf Wind

 


・「The Sails, Pt.1」

 

 

スコット・モルガンは、自身の音楽性について、「ループの要素は、私の楽曲制作の重要な部分です。電子的に作曲を行う際、ループの要素を元に素材を追加したり、フィルタリング、編集を行なって余計な音を削り、耳に心地よい音へと到達できるように努めています」と語っています。

 

つまり、モルガンは、ミニマル派の技法を電子音楽という側面から解釈し音楽を提示してきているわけです。彼はこれまで、上記のような短いフレーズをループさせ、シンセサイザーのオシレーター処理を行うことにより、アンビエントとも電子音楽ともつかない穏やかで心地よいサウンドを生み出してきています。


しかし、今回リリースされた「The Sails,Pt.1」については、以前までの作風を受け継ぎながら、そこに独特なエレクロの要素が含まれており、ロスシルの既存の作風を知るリスナーに意外な印象もたらす作品です。

 

これまでの抽象的、いわゆるアブストラクトな音作りは、今作において反対に具象性を増しており、旋律の流れ、あるいは、リズム性という面で、旧来のアルバムに比べると、いくらかつかみやすい印象を受ける作品です。これまで、ロスシルの音楽が抽象的で理解しづらかった方にとっては、「The Sails,Pt.1」は最適なアルバムといえるかもしれません。しかし、だからといって、このアーティストらしい思索性が失われたというのではありません。この作品で繰り広げられるのは、絵画的な音の世界、奥行きのある音響空間であり、叙情的なアンビエンスが取り入れられていることに変わりはありません。

 

もちろん、表向きには、これまでと同じようにアンビエントの王道を行く音作りも行われていますが、今作におけるモルガンの音楽性には、今回、新たに、シュトックハウゼンのクラスターの要素を取り入れているのが革新的です。スコット・モルガンは「The Sails, pt.1」において、アンビエントとハウス、テクノのクロスオーバーに挑み、これまでのリズム性の希薄な作風と異なり、リズム、フレーズの旋律、ループ、これらの要素を立体的に組みわせて、エレクトロ、ハウス、テクノ、こういったダンスミュージックの核心に迫ろうとしています。

 

実際的な音楽というより、強固な概念にも似た何かがこの音楽には込められており、それは何か力強い光を放っている。これはスコット・モルガンの以前までの作品にあまり見受けられなかったなかった要素です。もちろん、そこまた、ロスシルらしい清涼感、叙情性、壮大な自然を思わせるような麗しさも多分に込められています。今作「The Sails」シリーズは「Pt.2」が今後制作される予定です。これからの続編の到着も、アンビエント、エレクトロファンとしては、心待ちにしていきたいところでしょう。

 


マルチハイフネーションのFlying Lotus、彼の所属するBrainfeeder Filmは、フランス・パリに本拠を置くLogical Pictures,及び、XYZ Filmとの協力関係を結び、彼が制作監督を手掛ける新作映画「Ash」のマーケティングをカバーするマルチピクチャー開発の契約を結んだと発表しました。


この契約に伴い、ロジカル・ピクチャーズが支援する共同制作基金であるロジカルコンテンツベンチャーズは、ホラー、スリラー、SFのジャンルに焦点を当てた映画「Ash」の開発に資金を提供することを決定。ロジカル・ピクチャーズはまた資金調達と生産のためのファーストルック契約を確保しました。今回の契約は複数の制作プロジェクトにおよび、XYZフィルムが販売を生産ないし処理するように処理されます。また、今回の契約については、フランスのロジカル・ピクチャーズのFrederic FioreとGrace Adams、XYZFilmsの提携者でたるNate Bolotinによって交渉が行われました。


スティーヴン・エリクソン、(フライング・ロータス)は、大叔父に偉大なジャズマンであるジョン・コルトレーン、遠戚にアリス・コルトレーンを持つ。彼は、ジャンルを超え、グラミー賞を受賞したプロデューサーでもあり、作曲家、映画製作者、そして、ラッパーとしても活動してきた。彼は2008年には自主レーベルのブレインフェーダーをロサンゼルスに設立しています。

 

2006年以来、スティーヴン・エリソンは6つのスタジオアルバムをリリースし、さらにカートゥーンネットワークのアダルトスイムで聴いた音楽の多くを作曲している。ロサンゼルス映画学校を卒業後に制作された作品「Kuso」は、2017年のサンダンス映画祭で初公開され、賛否両論を巻き起こした。最近では、Lesean Thomasが監督をつとめたNetflixアニメシリーズ「Yasuke」を制作し、また、サウンドトラックを手掛ける。この映画は安土桃山時代の日本の実在する武士を題材にとって制作された作品です。


これまでスティーヴン・エリソンは、「ツイン・ピークス」で知られるデヴィッド・リンチ、アルマ・ハレール、LAで活動する日系アメリカ人監督ヒロ・ムライ、マリル・ジョセフ、渡辺信一郎、伝説的な映画製作者のテレンス・マリックから、制作の手ほどきを受けてきました。 


今回新たに結ばれた契約に関して、フランスの配給会社のロジカル・ピクチャーズのフレデリック・フィオーレ社長は、以下のように述べています。

 

「今回、長年の私達のパートナーである「XYZ Films」と再び協力関係を結ぶことが出来て非常に嬉しく思います。FlyLoは非常に才能があり、尊敬される音楽家でもあり、また、ユニークな創造的な世界観を持ち合わせています。彼の今後の映画やクロスメディアプロジェクトに取り組むのが今から待ちきれません。


この声明に対して、スティーヴン・エリソンは以下のように説明を加えています。


「今後のプロジェクトにおいて、ロジカル・ピクチャーズと提携を結ぶことが出来て非常に嬉しい」

 

また、XYZ Filmは、今回の三者間で取り結ばれた契約に関して、次のように述べています。


「過去、数年間、いくつかのすぐれたジャンルのフィルムを、ロジカル・ピクチャーズと協力して提供してきました。今回、フライング・ロータス、そして彼が主宰するBrain Feederとのこのパートナーシップ提携を通して、良い関係を拡大できるであろうことを楽しみにしています」

 

 フランスのロジカル・ピクチャーズは、ロシアの映画制作会社”キリルセレブレニコフ”(ペトロフのインフルエンザ、レトなどの作品がある)と、次の長編映画で協力する。昨今のロシアのウクライナ戦争、また、それに続く、ロシアに対する世界的なボイコットという難しい障壁がありますが、ロジカル・ピクチャーズとセレブレンニコフの協力関係が終わったとは考えられていません。

 

ロジカル・ピクチャーズはまたマキシミリアン・エレンヴァインの次作品である「ザ・ダイヴ」にて、オーゲンシャインと提携を図っています。ロジカルピクチャーズの最近の公開された映画作品には、「ザ・イノセンス」(IFC ミッドナイト/カンヌ2021)、「プレジャー」(ネオン/サンダンス、カンヌ 2020)そして、「ザ・ディープ」(ブラムハウス/エピックス)などがあります。

 

一方、XYZ Filmsの最近の映画作品には、Netflix配信により展開されたアナ・ケンドリック、トニ・コレット主演のジョーペナーのSFスリラー、トム・ハーディーやフォエスト・ウィテカー主演のアクションスリラー、「ハヴォック」等が含まれています。


今回、ロジカル・ピクチャーズとXYZ Filmと映像制作における提携を結んだフライング・ロータスの新作映画は、既にキャスティングは年明けから始まっていますが、作品制作は今年の終わり頃におこなわれる予定です。

 

 

 



USビルボード・チャートでは、これまで少なくともマーケティングの面で優位にあるメジャーレーベル一強の時代が続いていたが、最近、その流れが徐々に変わってきているように思える。

 

昨年までは、イギリスのシンガーソングライター、アデルのアルバム「30」が売れに売れていた。これは予測できたことであるが、依然として、メジャーアーティストの音楽市場における強い影響力を示していた。しかし、新たに年が変わり、2022年のアメリカのビルボードチャートに異変が生じている。

 

今年に入り、USビルボードチャートの上位にランクインしつづけている現在最もホットなアルバムは大まかにいうと以下の3作品である。

 

 

・モダンR&Bシーンを牽引するアメリカ国内で人気のアーティスト、The Weekndの「Dawn FM」  

 

 

・日系アメリカ人のシンガーソングライター、Mitskiの「Laurel Hell」  

 

 

・アメリカ国内のインディー・ロックバンド、Beach Houseの二枚組「Once Twice Melody」



 

上記の3つのアルバムは、USビルボード・チャートの主要部門、トップアルバムチャートで上位を独占している作品で、今、アメリカ国内で最も話題性のあるアルバムである。ザ・ウィークエンドの「Dawn FM」については、ユニバーサル・ミュージックがリリース元であるため、メジャーアーティストに属する。しかし、一方、他の2つのアーティストについては、インディペンデントレーベルに所属するアーティストであるのが驚きである。Mitskiは、ポップス、アンビエント、エレクトロまで、幅広いジャンルのリリースカタログを誇るデッド・オーシャンズに所属。Beach Houseにいたっては、1990年代からアメリカのインディーシーンを牽引してきた、いわばインディペンデントレーベルの体質が色濃いシアトルのサブ・ポップからのリリースである。  



Beach House at House of Blues San Diego on July 1 2012.jpg 新作アルバムが好調なセールスを記録しているボルティモアのインディーロックバンド、Beach House CC 表示-継承 2.0, リンク

 

つい最近、シンガーソングライターのMitskiがトップアルバムチャートの初登場五位(類型的な測定によると初登場一位)を獲得し、アメリカ国内で大きな話題を呼んだことは、既に以前の記事で述べた。

 

そして、このシンガーソングライターに続き、ビーチ・ハウスのトップチャート入りも近年の音楽市場の変化の予兆を表している。 

 

これまで、ビーチ・ハウスは、2006年からインディーアーティストとして、幾つかの良質なアルバムを発表してきた。NYのブルックリン周辺のWild Nothing、Black Marbleを始めとするリバイバルサウンドシーンの流れを受けたビンテージ感のあるロック・ミュージックを彼らは提示している。

 

上記のバンドと同じように、ビーチ・ハウスの音楽は、ディスコ、テクノサウンドにとどまらず、音楽性の中に、ドリーム・ポップやシューゲイズのような陶酔感のある旋律を擁している。もちろん、これまでのビーチ・ハウスの既存リリース作品は、オルタナティヴ・ロックの2010年代の流れを象徴づける作風であるため、国内外のコアな音楽ファンの目に止まることはあったにせよ、メインスターダムに躍り出るとまでは想像できなかった。事実、これまでの旧作リリースで、ビーチ・ハウスは、ビルボード200チャートに一度もランクインしたことはなかった。

 

ところが、彼らが2月下旬に発表した新作アルバム「Once Twice Melody」はリリース後、好調なセールスを記録し、USビルボード200チャートで見事、初登場12位にランクインを果たしてみせた。

 

これは、現代アメリカの音楽市場の潮流の変化を示しており、また、なおかつ、サブ・ポップ所属のアーティストとして、歴史的快挙を成し遂げたと言える。これまで、ニルヴァーナという前例があるが、大ヒット作「Nevermind」はサブ・ポップでなく、ゲフィンからのリリースであった。

 

もちろん、Mitskiに関して言えば、以前から、アメリカ国内の音楽メディアで大々的に取り上げられていた。前作のアルバムも、センセーショナルな話題を振りまいていた。また、彼女の引退宣言についても大きな話題性をもたらしたので、年が明けて、Dead Oceansからリリースされた「Laurel Hell」がアメリカ国内のビルボード・チャートでも健闘を見せることはある程度予測出来た。けれども、ビーチ・ハウスの新作がこれほどセールス面で大きな健闘を見せるとは、(インディーロックファンとしては嬉しいかぎりではあるものの)ほとんど誰も予測できなかったのではないか。

 

しかも、ビーチ・ハウスは、インディー・ロックバンドとしてメインストリームを席巻している。彼らの新作アルバムは 、トップ・アルバム・チャートで初登場一位を記録、累計20,300枚が販売されたとビルボードは報告している。フィジカル盤として、18,200、レコード盤として、14,500の売り上げを記録している。(他の形式では、CDは、2,900枚、カセットでは、800枚を売り上げている)


「Once Twice Melody」は、USビルボードのサブ部門のチャートでも好調な位置を占める。トップ・オルタナティヴ・アルバム、トップ・ロック・アルバムの部門でも一位を獲得し、テイストメイカー・アルバム、トップ・カレント・アルバムの部門でも一位に輝き、USビルボード・チャートの話題を攫っている。

 

また、昨今、ビーチ・ハウスと並んで、好調なセールスを記録しているのが、KhuangbinとLeon Bridgesのコラボレーションアルバム「Texas Moon」。発売元は、Mitskiと同じく、インディペンデントレーベルのデッド・オーシャンズである。「Texas Moon」は、ビンテージソウルの雰囲気をほのかに漂わせるノスタルジア満載のアルバムと言えようが、これまで、レコード盤の12,900枚を含む16,400枚を売り上げ、トップアルバムチャートで初登場2位にランクインしている。

 

今年に入り、インディアナポリスのデッド・オーシャンズ、さらに、シアトルのサブ・ポップがアメリカ国内の音楽市場において強い影響力を持ち始めている。これは、これまでマーケティングの面でいくらか不利であったインディペンデントレーベルが、デジタル、サブスクリプション主流の時代の後押しを受け、その流れを巧みに活用出来ていることを示している。加えて、youtubeなどを介してのストリーミング配信もアルバムセールスに良い影響を与えている。

 

また、アメリカ国内有数の老舗インディペンデントレーベル、ニューヨークのMatadorについては、近年、デッド・オーシャンズからリリースされたMitskiの「Laurel Hell」に比するビッグセールス作品を持たないものの、スネイル・メイル、ルーシー・ダカス、エムドゥー・モクター、ベル・アンド・セバスチャン、と、昨年から今年にかけて、魅力あふれるカタログを数多くリリースしており、ビルボード・チャート上位にランクインする機会を虎視眈々と伺っている。

 

さらに、近年、ビルボード・チャートを始めとする、メインストリームを席巻しているインディーアーティストの多くは、1970年代−1980年代の、ディスコ、ポップス、テクノ、ヴィンテージソウルを踏襲し、その音楽性にモダンな雰囲気を付け加えているという共通項が見いだせる。

 

これらの最新のアメリカの音楽市場の動向、ビルボード・チャートのセールス面での実態から伺える点は、昨今のメジャーレーベルとインディペンデントレーベルの力関係の顕著な変化である。

 

今後、この両者の音楽市場における力関係がどう推移していくのかまでは明言できかねるものの、少なくとも、上記のインディーアーティストの作品の好調なセールス、ビルボード・チャートの席巻から伺えるのは、今日の市場の売れ行きを左右する音楽ファンは、新奇ものを求めるのと同時に、古いレコードに対する偏愛のような、淡いノスタルジアを求めているのかもしれない。

 


今月から北米ツアー、エイプリルフールに開催されるカーディフでの「BBC 6 Music Festival」への出演を控えているPixiesが、3月2日に新シングル「Human Crime」をリリースした。

 

これは2020年の「Hear Me Out」以来の新曲となる。今回、ソングライティングを手掛けたのはチャールズ・トンプソン、ザ・ピクシーズの中心人物であるブラック・フランシス。2022年のピクシーズの新曲は、「Nimrod’s Son」の時代を彷彿とさせる王道のオルタナティヴ・ロックだ。もちろん、多くのファンの期待に添って、ミュージックビデオも同時に到着している。

 

前作シングルの「Hear Me Out」と同じように、「Human Crime」のビデオのディレクションは、キム・ディールの後任のベーシスト、パズ・レンチャンティンが担当している。今回のMVを2020年、サンペドロがバンカーとサンタモニカのゴールドディガーズバーを放棄した(ロックダウンの暗喩)時に撮影が行われた。

 

今回のミュージックビデオでは妖精、グラフィティアートの2つがメインテーマに掲げられている。表向きにはユニークさもあって親しみやすいが、「人間の罪」というタイトルに見いだされる通り、現今の現実社会にたいする痛烈なオルタナティヴロックバンドとしての暗喩が込められている。

 

今回のシングル「Humans Crime」の映像のディレクションを務めたザ・ピクシーズのベーシスト、パズ・レンチャンティンは、「現実の状態からピクシーになり、ピクシーになる変化した状態への扉を、どのように通過するのか」と、このMVについて述べている。昨年からライブ盤を継続的にリリースしているピクシーズ、今後のアルバム制作にも期待していきたいところである。