シューゲイザーの金字塔 my bloody valentine「Loveless」

my bloody valentine 「loveless」

 




ベタだの何だのと言われようが、これは有無をいわさず、シューゲイザーなるジャンルの最高峰の名盤です。

まず、”シューゲイザー”というジャンルの語源について説明しておくと、その語源というのは「Shoe Gaze」から来ています。

ライブパフォーマンスにおいて、”自分の靴を見つめるように、ずっとうつむきながら演奏するスタイル”という説が一般的です。

このMy Bloody Valentine、通称マイブラのほかにも、1990年代のリアルタイムムーブメントでの有名なアーティストを挙げると、Ride、Sloe Dive、Jesus Merry chains、といったバンドがこの分類に当たります。

時を経て、リバイバルムーブメントが起こり、Wild Nothingをはじめとするバンドが2000年代から活躍するようになりました。つまり、このジャンルは、細々とではあるにしても長くロックファンから親しまれているジャンルの一つに挙げられます。

しかしながら、世界中には、彼らに影響を色濃く受けたバンドが数多く活躍していますが、リアルタイムのバンド、また後発のバンドに関わらず、このマイブラというモンスターバンド、そして、ギタリストとして、Kevin Shieldを超えるような秀抜した存在は、三十年以上が経ってもいまだ出てきていないと断言してもいいでしょう。

このロックという言葉の意味合いをすっかり塗り替えてしまった「Loveless」というモンスターアルバムは、とにかくそれほどまでにそれまでのロックミュージックに革新をもたらした存在です。そして、このバンドがイングランドではなく、アイルランドから出てきたという点も見逃すことのできないでしょう。

しかし、このマイブラというバンドが、デビュー当時からこのような逸脱した音を完成させていたかというわけではありません。シングル「This Is Your Valentine」においては、ケヴィン・シールズの歌唱法というのは、今ではにわかに信じがたいんですけれども、どちらかというと、モリッシーやイアン・カーティスに近い男性的なロートーンヴォイスで、個人的な解釈としては、ロカビリーやサイコビリーのニュアンスすら感じられます。ここでは、その後の「Loveless」に伺われるような、ものうげで中性的な歌い方はどこを探しても見当たりません。

ギターの音の出し方も、たしかに普通のバンドよりはリバーヴが強めに効いていて、以降のシューゲイザーの方向性を示唆している雰囲気もなくはないですが、このシングルではいまだマイブラの世界観は確立されてはおらず、どことなくジム・モリソンからの影響を彷彿とさせ、同じように楽曲もシンセサイザーの音色の使い方がザ・ドアーズに近い印象を受けます。

 ところが、何らかの心変わりがあったのか、デビューアルバム「Isn't Anything」あたりから徐々に路線が変わり、独自のフィードバックを生かしたアンビエント的な味のある楽曲へシフトチェンジしていき、かのマイブラ特有の甘く妖しげな光をたたえる美しさの雰囲気を、楽曲の中に内包していくようになります。 

 

シューゲイザーという音の特徴は、とにかく、複数のディストーションエフェクターを通して極限まで歪んだギターの音色と、アナログディレイのフィードバックを最大限に生かして、ギターのフレーズを切れ目なく演奏されるところにあります。一度、何らかの特集でケヴィン・シールズの音作りの風景の記事がありましたが、正直なところ、ギター経験者にも彼のエフェクターの配置というのは非常に難解であるといえます。アナログシンセのように複雑な配線が繋がれていて、単にギターの音色を装飾させるためのエフェクターでなく、一からコンピュータープログラムを組んで、音波を増幅させるアナログシンセのような使い方がなされていたのを覚えています。

つまり、ケビン・シールズ風の音はいくらでも出せても、彼の音を出すのは本人にしかできないのかもしれません。

そして、この独特のアナログシンセのようなギターエフェクト。これがクラブミュージック的なドラッギーな恍惚感や陶酔感を生み出しています。

そして、Kevin Shieldsのフェンダー社のジャズマスターにしか生み出しえない、この唯一無二の恍惚感と陶酔感に、聞き手は完全にノックアウトされ、それまでの感覚が麻痺していくのを感ずるような危うさ。

楽曲のBPM自体は総じて速くはなく、ゆったりしていますが、不思議にも、その鈍重なリズムの対極にある速度感が込められている気もし、その混沌とした雰囲気の中に、聞き手はひきずりこまれ、そこからいっかな抜けでることがかなわなくなるはず。

つまり、彼らの曲をオーディオを介して流し、その音の作り出している世界観の中に私たちが踏み込んだとたん、そこにはまったくの別世界が広がり、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの音楽が鳴り止まない限りは、そこから逃れ出ることがかなわなくなってしまう。

このように書くと、少しばかり怖いようにも思えるかもしれませんが、少なくとも、何かこのアルバムを聴くと、それまでにはなかった、ロックの通過儀礼をここで体験することができるでしょう。

 

この音楽性が、それまでのロックファンを驚愕させたのは事実。ギターのフィードバックを最大限にいかした演奏法、アナログエフェクターを複雑な配線で通しての独特の音の出し方、また、トレモロアームを生かし、ギターの反響に独特のうねりを加えることにより、ダンスミュージック的なグルーブ感を生み出す手法が合わさることによって、甘く美しい音響を生み出しています。


この音楽性が、それまでのロックファンの驚愕させたのは事実であったでしょう。ギターのフィードバックを最大限にいかした演奏法、アナログエフェクターを複雑な配線で通しての独特の音の出し方、また、トレモロアームを生かし、ギターの反響に独特のうねりを加えることにより、ダンスミュージック的なグルーブ感を生み出すといった手法が上手く合わさることによって、たとえようのないほどの甘美な音響世界を生み出しています。
 
彼らの全体の曲の印象は、ぼんやりとしていて、楽器のフレーズのみならず、ケビンとビリンダ・ブッチャーの歌声もアンニュイであるため、音が鳴っているというよりか、音が響いているという表現のほうがふさわしいでしょう。

しかし、そのアンビエントのような雰囲気の核心を作っているのは、ケビンの良質な楽曲センスであり、決してごまかしのために音を抽象的にさせているわけではありません。

よく聴くと、マイブラの楽曲というのは、良質なポップソングばかりであり、アンプラグドで奏でようとも、その曲の良さが十分に感じられるものが、あえてこのように難解な手法で表現されていることが理解できるのです。

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