ジャズ界巨匠二人による大自然への賛美 Pat Metheny & Lyle Mays 「As Falls Wichita,So Falls Wichita Falls」

Pat Metheny「As Falls Wichita,So Falls Wichita Falls」 

歴史的な名盤とアルバム・ジャケットの関連性というのは、切っても切り離せないものであると思っています。

 
キング・クリムゾンの「In The Court Of The Crimson King」の狂気的な表情の人間のイラスト、
ザ・クラッシュの「London Calling」のステージでベースを振り上げているポール・シムノン、
ポップアートの巨匠、ウォーホールの手掛けたThe Velvet Undergroundのバナナジャケット。
 
というように、アーティストの名盤には、必ずといっていいほど印象的な忘れがたいアートワークがついてまわる宿命なのでしょう。
 
無論、このPat Methenyの「As Falls Wichita,So Falls Wichita Falls」も同じで、このアルバムのアートワークには何度見ても飽きのこない、永遠の美しさが宿っているように思えますね。
ECMのアートワークというのは、どれもこれも印象的であって、アルバムに収められている音楽性をより魅力的にみせてくれます。
 
リリースカタログを眺めていてハッと気がつかされるのは、ECMのアルバムジャケットの写真のイメージ自体がなんらかのイメージを喚起し、写真の中ににじみ出てくるような深いメッセージを有していることです。
 
 
そして、若き日のパット・メセニーが、ライル・メイズと組んだこの伝説的ジャズフュージョンアルバムに関しても、全く同じような趣旨がいえるのかもしれません。
 
 
このアルバムジャケットに映されているモノクロ写真。
 
アメリカ南部にありそうな、見渡すいちめんの荒れ野のような場所、一台の車が電信柱を背にし、神秘的なフロントライトをぴかっと光らせながら走ってくる、その詳細というのは、陰影に包まれているため、目をこらそうとも判然としない。
 
しかし、その不分明さが何か見る人の目を、よりそこに惹きつけずにはいられなくしています。
 
手前に、なぜか受話器を持った手が脈絡なく映し出されています。
 
はじめ、これは、ヒッチハイクでもしているのだろうかという印象をおぼえたんですけれど、実際、何度見ても、車と受話器の腕の関連性はよくわかりません。けれども、奇妙なアートワークであることは確かでしょう。

そして、このアルバムで表現されている音楽性という点についても、このアートワークをより深く印象づけるかのように、ライル・メイズの前衛的で神秘的なキーボードの手法により難解なものとなっています。
 
 
 
・「As Falls Wichita,So Falls Wichita Falls」
 
 
大自然を感じさせるようなイントロ、それがぴたりと止むと、メセニーが悲哀のあるフレーズを奏でる。
ジャズ的でもあり、民族音楽的でもあり、もしくはトラッドフォーク的でもあり、もしくはプログレ的なアプローチの要素を感じさせるところもあり、さまざまな類の音楽性が複雑に絡み合いながら曲は進行していきます。そして、メセニーとメイズという、二人がもちうる独特な感性をぶつけあうようにし、それが融合して、ひとつの大きな立体的音楽構造を作り上げていきます。曲自体は高度な技術で支えられていて、何度も変拍子を繰り返しながら曲の印象を転変させていく。
 
どことなく難解な印象のある曲です。しかし、最後のほうにかけて、それまでたえず曲全体を覆い尽くしていた不可解な雰囲気が途絶えていき、それまで空を覆い尽くしていた暗雲がはれわたるかのように、ぱっと明るさが覗き込んできます。
 
すると、雲の隙間から太陽がさんさんと差し込んでくる。そして、メイズのシンセサイザーにのって最後に聞こえてくるのが、自然を寿ぐかのように、子供が無邪気に騒いでいる声のサンプリングです。曲の最初の方にわだかまっていた怪しげな雰囲気は消え、爽やかな明るさに包まれていく。
 
 
・「Ozark」
 
 
メイズのシンセサイザーの鮮やかさといったら、なんとも表現のしようがありません。ライル・メイズは、ここで、ピアノで曲のリズム自体をぐんぐん引っ張っていきます。
 
そして、なおかつ、ここではどちらかといえば、脇役であるメセニーのギターをより明るく際立たせています。
 
キーボードの演奏自体はかなりテクニカルなんですけれど、非常に親しみやすい印象を与え、青々とした明るさが満ちわたっています。
 
 
この曲を聴くと、なんだかすがすがしい気持ちがしてくるように思えます。

 
・「September Fifteenth」
 
 
前曲「Ozark」の陽気さがふっと途絶え、いきなり哀感のあるメセニーらしい美しく甘く切ないフレーズが涙を誘います。そして、穏やかな彼の伴奏の上に、メイズの独特の民族楽器の笛のようなシンセの音色が彩りをなす添えることによって、おぼろげだった曲の輪郭を次第にはっきりしていきます。
 
曲全体の印象は、終始、静かであり、おだやかです。そして、ピアノのきらびやかな音が、メセニーのギターと小気味よくかけ合うようにして曲が続いていきます。
なんともいえず、贅沢な音楽が二人の掛け合いによって繰りひろげられていって。最初のしんみりした雰囲気が波打つようにしながら、明るい印象をたずさえながら進んでいきます。
 
 
短調と長調がたえず入れ替わりながら、曲はクライマックスにかけて、ゆるやかな旋律を描きながら向かっていきます。
 
そして、終盤になり、穏やかな波が、浜にやさしく返すように、再びまた、イントロのしんみりとした形に戻り、この曲はゆっくり閉じられていきます。

 
・「It’s for you」
 
前の曲と一転して、清々しい印象のフレーズがメセニーによって奏でられはじめます。この曲は、メセニーの流麗なアップストロークによって導かれていきます。ギター・プレイ自体に、メセニーの温和な人柄がはっきりと現れ出ていて、他の誰にも出せないあたたかい雰囲気を形作っています。
 
おそらく、こういった穏やかで朗らかな雰囲気を出すことにかけては、メセニーという人物は、他に類を見ないギタリストであると言えるでしょう。
ここでも、ギターのフレーズが反復的に鳴らされる中において、メイズの民族音楽の笛のような不可思議な音色が再登場してきて、大きな自然の崇高さを前にしたときのようないいしれない感動を与えてくれます。

 
・「Estupenda Graca」 
 
このアルバムの中、ジャズ史、音楽史的にも最大の名曲のひとつにかぞえられるといっても大袈裟ではないでしょう。ここでは、はっきりと大自然の美しさというものが表されている気がします。
 
鳥のかわいらしい声だとか、獣のなまなましい息遣いのような音の暗示によって、これまでにない新しい場所に聞き手をいざなってくれるかのよう。
 
そして、ヴァスコンセロスの叫びには、大いなる自然に対する賛美が感じられて、それが「アメイジング・グレイス」のような荘厳な雰囲気をなし、元気と癒やしを与えてくれます。
ある種の言語におさまりきらない、野生味のある迫力のある叫びが音楽というものがいかに素晴らしいものなのかを体現してくれています。

 
何十年過ぎてもなお、録音された瞬間の燦然たる輝きをいまだ失うことのない不朽の音楽アルバムというのが、この世にはごく稀に存在します。
 
それこそが人間の残した文化的な遺産、まさしくこの「As Falls Wichita,So Falls Wichita Falls」に捧げられるべき言辞でしょう。
 
 
このジャズの金字塔的アルバムに、今更、講釈をつけ加えるのもおこがましいように思えます。
 
しかし、このアルバムに、どうあっても見逃すことの出来ないメッセージを見出すとなら、それは、パット・メセニー、ライル・メイズという、二人のジャズの伝説的名手によって音楽という形で紡がれる、あたたかな大いなる自然への敬意、そして、賛美であったのかもしれません。

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