サクソフォーンの芳醇な響き Trygve Seim 「Different Rivers」


Trygve Seim 「Different Rivers」


ノルウェー出身のサクソニスト、トリグヴェ・セイムは、同郷のヤン・ガルバレクとともにすでにサックス界の大御所といっても差し支えないのかもしれません。

個人的にはジャズというジャンルについては、自分よりも遥かに詳しい方が沢山おられますし、まだまだ不勉強の若輩者なんですが、よくいわれるように、トリグヴェ・セイムのサックスフォンの響きは他の奏者と比べると、ハートウォーミングなあたたかみある音が彼の特質なのかなと思います。あらためて管楽器というのは、人の感情を音として表すのに適しているのだなあとつくづく思ってしまいます。

トリグヴェ・セイムの演奏は常に感情のコントロールが効いていて、テナーサックスなんですがガルバレクのかっこよい高音の強調されるのとは対照的に、セイムの演奏というのは、それほどガルバレクほどは高音を強調せず、ゆったり落ち着いた奥行きある中音域の音色を聴かせてくれるのが特徴です。つまり、華々しい印象があるのがガルバレクであり、一方、渋い印象があるのがセイムといえるでしょう。それでいて、なにかしらかれの演奏には非常に深遠な思想性、もしくは哲学性が感じられ、妙な説得力が宿っているように思えるのは、彼の音楽に対する真摯なアティティード、いわばサクスフォンという器楽を介しての求道者的姿勢によるものが大きいのかもしれません。

そこには、憂いあり、悲しみあり、もしくは、爽やかさもありと、人生の酸いも甘いもすべて内包して、端的に表現できるのが管楽器の醍醐味なのかもしれません。おのれのうちにある感情、どうあっても引き出さずにはいられない感情を、多彩なニュアンスで表現しえるのが管楽器なんだというのが、セイム氏の演奏に教えられたことです。それはジャズを一度も演奏したこともない素人にもなんとなく理解でき、つまり、管楽器というのは、その人の人生の味がブレスとなって空間にじわじわと滲み出てくる楽器であり、技巧だけでごまかしのきかない楽器といえます。この辺りはピアノフォルテをはじめとする鍵盤楽器と異なる特徴かもしれません。その人の人生観、生き様みたいのが、如実ににじみ出てきてしまうのが管楽器の特徴なのでしょう。


 

現代気鋭のトランペット奏者、アルヴェ・ヘンリクセンと組んだ今作「Different Rivers」はECMのリリースの中でも、ジャズファンは聞き逃すことのできない屈指の名盤の一つとなっています。

このアルバムのもうひとりの主役、アルヴェ・ヘンリクセンのトランペット奏法というのもかなり前衛的であり、ミュートをつけたトランペットから掠れたブレスの音色のニュアンスの中に積極的に取り入れているのが独特であり、どちらかといえば、日本の伝統楽器、尺八のような音色が顕著に感じられるのが非常に面白い点です。マイルス・デイヴィスが名作「フラメンコ・スケッチ」で切り開いてみせたトランペットのブレスの枯れた渋みのある味というのを、いやあ、思い出しただけでため息が出てきそうなあのマイルスの伝説的な演奏というのを、ここでさらに現代的に一歩前進させてみせたのが、アルヴェ・ヘンリクセンというトランペッターの主たる功績といえそうです。


このアルバムで白眉の出来と言っても差し支えないのが「Breath」という楽曲。といいますかこれは音楽史に残るべき名曲であるとはっきり断言しておきたい。

なぜなら、聴いて鳥肌の立つほど美しい曲に出会うというのは人生でもそうそう味わえない稀有な体験で、それこそ人生にとっての大きな財産のひとつだからです。大見得切って言うと、この曲を聴くためだけにこのアルバムを買っても後悔はしないでしょう。

この「Breath」では、サックス、トランペット、そして、フレンチホルンが和音を順々に重ねていき、そこにもうひとつのノートが加わって、最終的には不協和音が形づくられるわけですけれど、この縦の和音が横に長いパッセージとして引き伸ばされることにより、これまでにないような心休まる甘美なアンビエンスが表現されています。この協和音と不協和音の揺らぎのようなものが非常に心地よいです。

同じ反復的な縦の和音が延々と繰り返され、また、そこに、シゼル・アンデレセンの静かで落ち着いた語りが挿入され、独特な音響世界が奥行きをましながら、どんどんと音の響きが押しひろげられていく。

そして、シゼルの語りこそ、その都度異なれど、楽曲の構成自体はおよそ九分以上もこのモチーフが延々と繰り返されるだけなのに、まったく飽きがこないどころか、このうるわしい音響世界に永遠浸っていたくなってしまう。曲自体の和音、そして、構成自体はとてもシンプルなのに、管楽器のブレスのこまかなニュアンスだけで、これほど壮大かつ甘美な音響世界がかたちづくられるというのはおよそ信じがたいという気もします。曲の最後で一度だけ和音が崩されるところも何とも甘く美しい。これは、ジャズ側からのアンビエントに対する真摯な回答のような趣きがありますね。

 

「For Edward」も、ゼイムとヘンリクセンの絶妙な掛け合いが印象的な名曲といえ、トランペットの表現力というのもここまで来たかと驚愕せずにはいられません。ここでは、ヘンリクセンが主役として舞台の前にいざり出て、彼独自の枯れた渋い音色を聞かせ、その上にセイムの枯れたサックスのフレーズが合わさることにより、なんともいえない落ち着いたアダルティな雰囲気を醸し出しています。この独特な大人の色気というのはなんなんでしょうか、私のような若輩者にはまだわからない世界というものがあるのやもしれませんよ。トランペットとサクスフォンの絶妙な掛け合いだけで、ここまでうっとり聞かせてくれる曲が生み出されるというのも非常に稀なように思えます。

他にも、表題曲の「Different Rivers」のホーヴァル・ルンドのクラリネットの音色も、非常に優雅な趣きを演出していて、いかにも多様な響きのある、それでいて、大人の渋みのあるノルウェージャズらしいアルバムだといえるかもしれません。アメリカのニューヨーク、もしくはニューオリンズのジャズとは異なる味わいがこのアルバムで心ゆくまで堪能できるだろうと思います。また、「Search Silence」では、フリージャズのような現代音楽への接近も見られて、参加構成は吹奏楽器中心ながら非常にヴァリエーショーンに富んだトラックが多く見られますのも面白い。

この「Different Rivers」は、エグゼクティブプロデューサーにマンフレッド・アイヒャーの名も見えることから、サウンドプロダクションの面でもちょっとした細かな音も聴き逃すことは出来ません。

まさに細部に神が宿るというのはこのアルバムにふさわしい表現でしょう。空間処理の面で音のアンビエンスの奥行きが重視されており、サックス、トランペット、もしくはフレンチホルン、クラリネット、そして、ボーカルの細かな息遣いに耳を済ましていると、いつしかセイムとヘンリクセンの生み出すめくるめく音響世界の中に入り込んでおり、まるで、すぐ目の前で管楽器が演奏されているようなリアル感があります。また、そこに鳥肌が立つほどの美を感じます。まさに、真善美がよく現れているのが、「Breath」をはじめとするこのジャズ史に燦然と輝く名盤です。

このECM屈指の名盤「Different Rivers」は、イヤホンで聴くより、ヘッドフォンでじっくり聴いたほうがはるかにその良さが理解してもらえる作品だろうと思います。なんとも芳醇なノルウェージャズ、その最高峰の渋みというのがこのアルバムでたっぷりじっくり味わいつくせるはずです。

 

[References]

discogs.com  trygve seim different rivers https://www.discogs.com/ja/Trygve-Seim-Different-Rivers/release/1557892


 


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