Legendary Blues ブルースの名盤 「テキサスブルース編」

多民族文化がもたらしたテキサス・ブルース

 

 

Lightning Hopkins - Texas Blues Man (Arhoolie 1034)"Lightning Hopkins - Texas Blues Man (Arhoolie 1034)" by kevin dooley is licensed under CC BY 2.0

 

1.テキサス・ブルースの発祥 



さて、ブルースについては、シカゴ編ミシシッピのデルタ編に続いて、この三大ブルースの最後の土地、テキサス・ブルース編にて、一応のこと一区切りつけておきたいと思います。

 

ミシシッピのデルタ地域で発生した最初のブルース音楽の次に、一つのムーブメントが形作られたのがアメリカ南部のテキサス州です。今日では、このテキサスのブルースは、「ロードハウスブルース」として知られています。 現代のテキサスのロードハウスブルースは、「ジュークジョイント」なるブルース専門のバーを中心として伝統音楽として現代に引き継がれている。このロードハウスブルースは、ジョン・リー・フッカーに代表されるブギースタイルを受け継いだ音楽が主流となっているのだそう。

 

このテキサスブルースもまた、デルタブルースと同じように、かなり古い年代、二十世紀初頭にその起源が求められる。そして、ミシシッピのデルタとは一風変わった音楽性を持つブルースがこの地で生みおとされました。とりわけ、このテキサスには、元来、多くの人種が入り混じって入植していたからか、他の地域とはことなる独自のブルースを生み出しています。前回、黒人の奴隷解放宣言についてご説明しましたが、このアメリカの南部、テキサス州ではヨーロッパからの移民が比較的多かったためか、ミシシッピのデルタほどには黒人差別が酷くはなく、山岳地帯のアパラチアと同じように、アフリカ系の移民も柔軟性を持って、白人の音楽に深く慣れ親しんでいたようです。

 

何でも、当時、テキサス東部において、テレピン油田や伐採キャンプで働くアフリカ系移民の労働者が多かったようで、その黒人労働者を中心として、テキサスのブルース音楽は発生しています。彼らが生み出したブルーススタイルの影響下にあるのは、アイルランド、イギリスの民謡、バラード、シーシャンティ、黒人教会で歌われるゴスペル音楽。デルタブルースがほとんど白人バラードを除いて、黒人の労働歌、プランテーションソングを源流とするのに対し、白人音楽の影響を受けたブルースがこの地では主流として奏でられていた。それに加え、カナダのケイジャン音楽、それからカリブに発祥を持つカリプソ音楽までも柔軟に取り入れたいわば民族音楽、エスニック色あふれるブルースが、このテキサス東部の油田、伐採キャンプで発生しているのです。

 

特に、このテキサの”ガルフコースト”という土地で、最初にブルースを生み出した音楽家は、ミシシッピと同じように、ごくふつうの一般の民衆であることには違いないようです。その最初には、ミシシッピ、デルタの音楽家と同じように、伐採キャンプやテレピン油田において、労働歌や子守唄を黒人たちは好んで歌っていた。おそらく、ミシシッピと同じく、男性ではなく、女性から、この音楽がはじまったのではないかというのがひとつの仮説です。このテキサスのガルフコーストで好んでうたわれていた労働歌、あるいは、子守歌は、ミシシッピのデルタ地帯のプランテーション音楽とは全然異なり、ラテン系のリズムが込められているのが他の土地の音楽とは違うポイント。

 

初期のこれらの黒人の移民たちが紡ぎ出す、労働歌、子守唄には、さらに上記のジャンルに加えて、スカンジナビア半島の移民がもたらした「シリングの歌」、そのほかにも、この地に入植したポーランド人がもたらしたポルカ音楽も、最初の労働歌の中にまじり込んでいるという点においては、アパラチアの山岳地帯の白人寄りのブルースに近い起源を持っています。さらに、カナダのケイジャン音楽からの影響もあり、アコーディオン、フィドルといった西洋発祥の民族楽器までこの音楽には取り入れられていたというのだから驚くよりほかありません。また、メキシコの国境と近い場所にあるため、メキシコの民謡もまた、どうやらこのテキサスブルースの源流を形作っているといえるかもしれません。このように、実に多種多様な音楽、民族性、文化性が実に見事に融合されることにより、テキサスのブルースは発生しているのです。

 

 

2.最初のブルースマンの誕生

 


テキサスのブルースの発生の源流は、デルタの綿花農場と同じように、伐採キャンプやテレピンの油田で歌われていたヨーデルのような民謡のごとき音楽がその始まりとなります。それがミシシッピのデルタとおなじように、ロードハウスで奏でられるエンターテインメント音楽に変化していくようになっていく。

 

テキサスに最初のブルースマンが登場したのは、ミシシッピのデルタブルースと同じく、第一次世界大戦前のこと。

 

特に、この地には、二人の重要なオリジネーターが存在します。ブルースマンとして、テキサスに最初に登場したのが、ブラインド・レモン・ジェファーソンという盲目のギタリストでした。

 

レモン・ジェファーソンが生み出したテキサスブルースについて、西洋音階のスケールからずらした「ブルーノート」と呼ばれる特殊な旋法を特徴としているのは、デルタブルースと同様でありますが、特に、テキサスブルースというのは、上記したような種種雑多な民族音楽の要素とラグタイムからの影響を併合した音楽性を主要な特徴としていました。

 

テキサスのブルースマンとして最も早い年代に登場したブラインド・レモン・ジェファーソンは、1926年に最初のレコーディングを行っており、その翌年、もうひとりの盲目のブルースマン、ブラインド・ウィリー・ジョンソンがゴスペルに主題を置いたブルースの最初の録音を行っています。

 

 

 

ブラインド・レモン・ジェファーソン

 

 

特に、このブラインド・ウィリー・ジョンソンは、もともと若い頃は、宣教師として活動していた人物であり、「ゴスペル音楽」を「ポピュラー音楽」として最初にアメリカで広めたオリジネーター。音楽史から見ると、見過ごしてはならないきわめて偉大な黒人ミュージシャンのひとりです。

 

 

ゴスペル音楽の父 ブラインド・ウィリー・ジョンソン

 

 

 

このブラインド・ウィリー・ジョンソンには、ネイティヴ・アメリカンの血がながれている。また、ミシシッピ、デルタで最も著名なブルースマンの一人、チャーリー・パットンにも、ネイティヴ・アメリカンの血が流れているらしく、共に、二地域のブルース音楽の素地を形作ったミュージシャンたちがアメリカ大陸の先住民のDNAを受け継いでいるのは偶然ではないでしょう。

 

特に、ブラインド・ウィリー・ジョンソンという盲目のブルースマンは、ハウリング・ウルフのブルースと同じく、音節をわざと濁らせて歌う、”ヴォイスマスキング”と呼ばれる歌唱法を特徴としていました。この独特な歌唱法は、西欧の古典音楽、もしくは民族音楽には見受けられない手法で、このルーツは、西アフリカの儀式音楽を生み出す音楽集団「グリオ」においての独自の歌唱法が継承されているのだといいます。 

 

追記:この”ヴォイス・マスキング”で有名なのは、ルイ・アームストロングやエラ・フィッツジェラルドの歌い方。これらのブルースマンのヴォーカルスタイルは後代のニューオリンズのジャズマンに引き継がれていきます

 

特に、テキサスブルースには、ギターの演奏において、スライド・ギター(スクイーズギター)の奏法、ガット弦をしならせるようなフィンガーピッキングを演奏上の特徴としています。さらに、そのギタープレイの特徴に加え、ウィリー・ジョンソンのようなゴスペルの影響、祖先の西アフリカのグリオという儀式のための音楽にルーツを持つヴォイスマスキング等の歌唱法を特徴としているようです。さらに、フォークソング、スピリチュアル、ラグタイムといった様々な要素が加わり、デルタでもない、シカゴでもない、いかにもテキサスらしい哀愁=ブルースが生み出されるに至るのです。

 

こういった上記の二人の盲目のブルースマンが最初に生み出したブルース音楽を、ブラインド・レモンのリードボーイとして下働きをしていたライトニング・ホプキンスといった著名なギタリストが後に、より完成度の高い音楽として洗練させていくようになりました。

 

その後は、Tボーンウォーカーにテキサスブルースは継承されていき、さらに、彼は、かのディランと同じように、アコースティックを捨て、エレクトリックギターを手に取り、革新的奏法を生み出し、ブルースシーンに色濃い影響を与えました。第二次世界大戦後は、このテキサスではブギースタイルが主流となり、現在もロードハウスと呼ばれる、ジュークジョイント、つまり、ブルースが演奏されるバーでは、ブギースタイルのブルースが古くから伝わる音楽文化として、今なお変わらずに親しまれているようです。もちろん、その後、この土地から、秀逸なロックンロールミュージシャン、ジョニー・ウィンター、ZZ TOPが輩出されたというのは必然であったと思われます。

 

 

3.テキサスブルースの名盤

 


テキサス・ブルースで著名なブルースマン、ライトニン・ホプキンス、Tボーン・ウォーカーについては既に以前に何度か音源を聴いたことがあるものの、それ以前のブラインドのブルースマンについては全然知らなかった。この記事を書くに際して、初めて知るに至ったブルースマンです。

 

正直なところ、これまで、彼らの名を知らなかっただけでなく、一度も、彼らの音に接したことはありませんでした。ミシシッピのデルタ・ブルースの先駆者のひとり、チャーリー・パットンのブルースと同様、「ライブラリー・ミュージック」の一貫として聞くことも一つの楽しみ方といえるかもしれません。これらのブルースマン、盲目のミュージシャンがテキサスの地に台頭したのは、アメリカ南部地域の重要な特色であり、民族史、文化史の側面から捉えなおしてみるのもかなり面白いはずですよ。

 

 

 

Blind Lemon Jefferson

 


 

 

テキサス・ブルースのオリジネーター、ブラインド・レモン・ジェファーソンは、アメリカのカントリー・ブルースの先駆者の一人でもある。

 

生まれながらの盲目であり、二十代で結婚した後、 ミシシッピを旅しながら演奏旅行をして、カントリー・ブルースを広めていった。音楽性としては、黒人労働歌、フィールド・ハラーの影響が濃いブルースであり、ミシシッピ・デルタのチャーリー・パットンとの共通性も見出す事ができる。アクの強いスクイーズギターを演奏上の特徴としているが、デルタ・ブルースに比べて、極めて民族音楽色が強く、古い西欧のトラディショナル音楽、スペイン国王でまた音楽家として中世に活躍した”アルフォンソ10世”のような西欧発祥の伝統音楽の影響性も含まれているように思える。

 

多種雑多な文化、そして、音楽性を交えた独特なアクの強さは、他の地域のブルースとは異なる瑞々しさがある。デルタのブルースに比べ、後の20年代に録音された音源であるため、レコーディングの音自体もデルタのチャーリー・パットンに比べ、それほどノイズも走っておらず、精細で聞きやすく、とっつきやすいように思われる。デルタほどには泥臭くはないものの、シカゴほどには都会的とはいえない。カントリー色がきわめて強い、唯一無二のブラックミュージックを生み出した偉大なブルースマン。



 

Blind Willie Johnson

 



 

ブラインド・ウィリー・ジョンソンもまた、レモン・ジェファーソンと同じく、盲目のギタリストである。

 

若い頃は宣教師を生業としていて、その後、ミュージシャンに転向したというのは、デルタのサン・ハウスと一緒。彼のスクイーズの技法には、ロバート・ジョンソンに近いニュアンスが見いだされるはず。しかし、私見としては、なんとなくブラインド・ウィリー・ジョンソンの方が、ロバート・ジョンソンよりブルースマンとして格上であるようにも思われる。

 

リズム性を重視した、いわば、その後のブラックミュージックのダンス音楽の源流を形作ったロバート・ジョンソンに比べ、ウィリー・ジョンソンのほうがはるかにカントリー色が強く、その音楽は現代の感覚からすると民謡に近い性格が見いだされる。それは、まるで伐採場を目の前にし、ギターを抱え、厳岩に勇ましく座りこみ、自然を寿ぐためブルースを演奏するかのような、きわめてワイルドな雰囲気が実際の録音から伝わってくる。

 

そして、黒人宣教師としてのバックグラウンドを持つ点では、デルタ・ブルースの牧師を務めていたサン・ハウスと同様である。しかし、ブラインド・ウィリー・ジョンソンは、黒人教会のゴスペルをルーツとしながら、ワイルドなクールさが漂うブルースを生み出している。これは西アフリカの"ヴォイス・マスキング"を歌唱法として取り入れているからこのような印象を受けるのかもしれない。

 

ウィリー・ジョンソンは、盲目のブルースマンであるのにも関わらず、演奏にしても、歌にしても、スムーズに淀みなく音楽を暗唱するかのように、すらすらと紡いでいく。このブルースマンは、その後のスティーヴィー・ワンダーのように、音楽を演るために、この世に生まれてきたかのような神がかりなブルースマンである。そして、ウィリー・ジョンソンの音楽の中には、黒人としての誇りや、混じりけのない、清浄な精神が貫流している。それが、歴代のアメリカのカントリーブルースでも、圧倒的な渋みを生み出している。ブラインド・ウィリー・ジョンソンの音楽には、のちのサム・クックのような主流のブラックミュージックの源流が見いだされる。もちろん、ブルース界のキング牧師と称したとしても何ら誇張にはならないはずである。

 

 

 

Lightning' Hopkins

 



 

ライトニング・ホプキンスは、アコースティックにとどまらず、エレクトリック・ギタリストとしても革新的な奏法をもたらしたブルースマンである。

 

若い頃には、レモン・ジェファーソンの付き人をつとめた。上記の二人の先駆的なブルースマンの音楽性を次の1940年代を中心に継承し、独自のライトニン・スタイルを生み出していった。

 

どちらかといえば、マディー・ミシシッピ・ウォーターと同じように、最初の黒人の「ミュージックスター」と呼べる偉大なギタリスト。山高帽に一張羅のスーツ、葉巻をくわえたふてぶてしい演奏スタイルを特徴とする点において、ファッション感度も極めて高い風貌もクールなアーティストといえる。

 

もちろん、音楽性についても同じであって、 リズム性の強いブラックミュージックの素地を形作った人物である。特に、ライトニング・ホプキンスの曲では「Mojo Hand」というスラングのような歌詞が見いだされて、これはブルースの代名詞ともなっている。

 

ちなみに、Mojo Handというフレーズはに魔術のようなニュアンスが込められており、ここにも、西アフリカの儀式音楽の継承性が見いだされる。ライトニン・ホプキンスの音楽性は最初期のロックンロールの基礎を形成した。ライトニンのブルースは非常に現代的に洗練されていて、商業音楽としても聞いても極上の味わいのあるブルースである。

 

 

 

T-Bone Walker 

 




Tーボーン・ウォーカーもテキサスブルースでは代表的なブルースマンの一人。モダン・ブルースの父とも称される。

 

アコースティックのブルースからエレクトリック・ブルースへの移行を促したミュージシャンでもあり、最もテキサスでいちはやくエレクトリックギターを導入したとされている。しかし、上記、三者のブルースマンに比すると、ラグタイムをはじめ、ジャズに近いニュアンスを持っているのがTボーン・ウォーカーである。

 

Tボーン・ウォーカーの楽曲の中には金管楽器も導入されたり、と、ニューオリンズジャズとの融合性も見いだされる。ギタリストとしては、それまでにはなかった速弾きのような画期的な奏法をもたらしている。

 

ウォーカーの生み出す楽曲は、シカゴとは異なる都会的な雰囲気が感じられ、のちのカウント・ベイシーのようなビッグバンドの原型のような音楽性も見いだされるかと思われる。

 

きわめてアクの強い、泥臭い最初期のカントリーブルースを、より大衆に聞きやすく洗練させ、ラグタイムに近いブルース、「ジョイントハウス」のようなブルースバーで気楽に聞けるようなダンスミュージックに変容させた功績はあまりに大きいものがある。 

 

ウォーカーの作品では、リズム性の強いダンス・ミュージック色の強いクールなブルースを、体感してもらえるだろう。民族音楽、教会音楽、労働歌として生まれたブルース音楽を、大衆に理解しやすいように昇華させた偉大なモダン・ブルースのオリジネーターとして最後に列挙しておきたい。

 


References 


texascooppewer.com


https://www.texascooppower.com/texas-stories/life-arts/texas-a-blues-state


all about blues music.com


https://www.allaboutbluesmusic.com/texas-blues/



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