Weekly Recommendation/ Satomimagae 『awa』 (Expanded Version)

Satomimagae  『awa』 Expanded

 


 

Label: RVNG Intl.

Release: 2023年2月3日



Featured Review 

 
Satomimagae


 オリジナル・バージョンの『awa』は今から11年前に自主制作盤として発売された。2010年前後というと、日本国内でエレクトロニカのブームがさりげなく到来していた。よくいわれるように、海外で言うエレクトロニカと日本で言うエレクトロニカはその意味するニュアンスが全然異なるのだそうだ。
 
 
海外では、電子音楽の全般的な意味合いとして使用される場合が多いが、他方、日本では、電子音楽のFolktoronica/Toytoronica(フォークトロニカ/トイトロニカ)の意味合いで使用されることが多い。この時代、日本のエレクトロニカシーンからユニークなアーティストが多数登場した。最初期のトクマル・シューゴを筆頭に、高木正勝、現在、シングルを断続的にリリースする蓮沼執太、そして、最近10年ぶりの新作シングルをリリースしたausも、日本のエレクトロニカシーンの代表格。もちろん、一時期、小瀬村晶が主宰するインディペンデント・レーベル”schole”も、ハルカ・ナカムラを中心に魅力的なエレクトロニカのリリースを率先して行っていた。大袈裟に言えば、海外でも北欧を中心にして、このジャンルは一時代を築き上げ、アイスランドのmúm、ノルウェーのHanne Hukelberg、Kim Horthoy,イギリスのPsappと、黄金時代が到来していた。
 
 
このエレクトロニカは、さらに細かな分岐がなされ、その下にフォークトロニカ/トイトロニカというジャンルに分かれる。そしてこの二番目のToytronicaというジャンルを知る上では、トクマル・シューゴや、今回ご紹介するSatomimagaeが最適といえるだろう。このジャンルはその名の通り、ToyとElectoronicaを融合させたもので、フォーク・ミュージックを電子音楽的な観点から組み直している。本来楽器ではない玩具を活用し、それらを楽曲にリズムやメロディーとして導入する。アンビエント等で使用される技法”フィールド・レコーディング”が導入される場合もある。それは日本の童謡のようであり、おそらく真面目になりすぎたそれ以前の音楽にちょっとした遊び心を付け加えようというのが、このジャンルの目的だったのである。



 2012年に発売されたSatomimagaeのデビュー作『awa』は、Folktoronica/Toytoronicaのブームの最盛期にあって、そのジャンルを総括したような作風となっている。ただ、あらためて、この音楽を聴くと、単なるお遊びのための音楽と決めつけるのはかなり惜しいアルバムなのだ。つまり、このレコードには、音楽にあける感情表現の究極的なかたちが示されており、サトミマガエというアーティストしか生み出し得ない独特な情感が全編に漂っている。サトミマガエは、そもそも幼少期をアメリカで過ごしたミュージシャンで、その後、日本の大学で生物分子学を専攻していた頃に音楽活動を始めたのだという。その音楽活動を始める契機となった出来事も面白く、環境音楽における気付きのような一瞬をきっかけに始まったのだった。
 
 
2021年にリリースされた『hanazono』を聴いて分かる通り、 このアーティストの音楽性は10年を通じて、それほど大きな変化がなかったように思える。ところが、このデビュー・アルバムを聴くと、必ずしも変化がなかったわけではないことが分かる。サトミマガエは、アメリカに居た時の父親の影響で、アメリカの南部の音楽、デルタ・ブルースに強い触発を受けたとプロフィールでも説明されているが、特に、このブルースの個性が最も色濃く反映されたのがこのデビュー作『awa』と言える。米国の作家、ウィリアム・フォークナー(若い時代、米国南部のブルースの最初期のシーンを目撃し、かなり触発を受けている。)のヨクナパトーファ・サーガのモデルであるデルタ地域、そして、その地方の伝統性がこのブルースの核心にあるとすれば、不思議にもこの日本人アーティストがそのデルタの最も泥臭い部分を引き継いでいる。それは例えば、往年のブルース・マンのような抑揚のあるギターの演奏、そして、日本的な哀愁を交えたフォークトロニカのサーガを生み出すような試みに近いものがある。サトミマガエは、それらを日本語、あるいは、英語のような日本語の歌い方により、ひとつひとつ手探りでその感触を確かめていき、FolktoronicaともToytoronicaともつかない、奇妙な地点に落ち着こうとする。それは日本とアメリカという両国の中での奇妙な立ち位置にいる自分の姿を、楽曲を通じて来訪しようというのかもしれない。アイデンティティというと短絡的な表現になるが、自分とは何者かを作曲や歌を通じて探していく必要にかられたのではなかっただろうか。
 
 
このアルバムは、ニューヨークのレーベル”RVNG Intl.からのリイシュー作品ではあるが、今週発売された中で最も新味を感じる音楽である。Satomimagae(サトミマガエ)は、自分の日常的な生活の中に満ちている環境音楽を一つの重要なバックグランドと解釈し、それらを癒やし溢れるフォーク・ミュージックとゆったりとした歌に乗せて軽やかに展開する。それは周りに存在する環境と自分の存在をなじませる作業であるとも言える。すでに一曲目の「#1」、二曲目の「Green」から見られることではあるが、現代的なオルタナティヴ・フォークにまったく遜色ないハイレベルの音楽が繰り広げられる。言語の達人ともいえるサトミマガエは、ある意味、その言語につまずきながら、英語とも日本語ともつかない独特な言葉の音響性を探る。それは内省的なフォークミュージックという形で序盤の世界観を牽引するのである。そして、独特な電子音や緩やかなフォークと合わさって紡がれる詩の世界は抽象性が高く、言葉のニュアンスと相まってサイケデリックな領域に突入していく。これはギターのフレーズに常にオルタナティヴの要素が加味されているのである。そして、サトミマガエは嘘偽りのない言葉で詩を紡ぎ出していく。
 
 
ひとつ奇妙なのは、これらのフォーク・ミュージックには、例えば、Jim O' Rouke(ジム・オルーク)のGastr del Solのようなアヴァンギャルド・ミュージックの影響が色濃く感じられることだろう。しかし、サトミマガエの音楽は、若松孝二監督の映画『連合赤軍 あさま山荘への道程』のサウンド・トラックの提供で知られる日本愛好家のジム・オルーク(近年、日本に住んでいたという噂もある)とは、そのアプローチの方向性が全然異なっている。 表向きには米国のフォークやブルースを主体に置くが、それは日本の古い民謡/童謡や、町に満ちていた子供たちの遊び歌等、そういった日本と米国の間にある自分自身の過去の郷愁的な記憶を音楽を通じて徐々に接近していくかのようでもある。そして、そのことが最もよく理解できるのが、リイシュー盤の先行シングルとして最初に公開された「Inu」となる。これは日本的な意味合いでいう”イヌ”と米国的な意味合いの”Dog”の間で、その内的な、きわめて内的な感覚が微細な波形のように繊細に揺れ動く様子を克明に表現しようとしているように思える。「Inu」は、そういった自分の心にある抽象的な言葉という得難いものへの歩み寄りを試みているという印象も受ける。 

 

 その後の「Q」を見ると分かる通り、この内的な旅は、かなり深淵な地点にまで到達する。それはまた時に、表面的な感覚にとどまらず、かなり奥深い感覚にまで迫り、それは時に、やるせなさや哀しみや寂しさを表現した特異な音楽へと昇華されている。簡素なフォーク音楽の間に導入される実験的なノイズはつまり、内的な軋轢を表現したものであるようにも思える。また、続く「koki」は水の泡がブクブクと溢れる音を表現しているが、それを和風の旋律をもとに、ガラスのぶつかりあうサンプリングを融合し、モダンなオルタナティヴ・フォークとして組み直している。基本的には憂鬱な感覚の瞬間が捉えられているが、その中にはふんわりとした受容もある。
 
 
続く、アコーディオンと雑踏のサンプリング/コラージュをかけ合わせた「Mouf」は、このアルバムの中で最もエレクトロニカの性質が強い一曲である。前の2曲と比べると、上空を覆っていた雲が晴れ渡るかのように爽やかなフォーク・ミュージックへと転ずる。繊細なアコースティック・ギターの指弾きとささやくような声色を通じ、開放的な音楽が展開されるが、それは夕暮れの憂鬱とロマンチシズムを思わせ、瞬間的なせつなさが込められている。続く「Hematoxylin」では、生物学を題材に置き、科学実験の面白さをギタースケッチという形で表現したような一曲である。さらに、「Bukuso」は「Mouf」と同じく憂鬱とせつなさを織り交ぜたオルタナティヴ・フォークで、これらの流れは編糸のように繊細かつ複雑な展開力を見せる。
 
 
「Tou」は、序盤の「Inu」とともに、このデビュー・アルバムの中で強いアクセントとなっている。序盤の内省的なフォーク・ミュージックは、この曲で強調され、オルタナティヴロックに近い音楽性へと転ずる。ここにはこのアーティストの憂鬱性が込められており、序盤の楽曲に比べると、ベースの存在感が際立っている。それは、どちらかと言えば、スロウコア/サッドコアに近い雰囲気を擁する。サトミマガエの歌は、序盤では内向きのエネルギーに満ちているが、この曲では内的なエネルギーと外的なエネルギーが絶妙な均衡を保っている。内省的な歌のビブラートを長く伸ばした時、内的なものは反転し外向きのエネルギーに変換される。とりわけ、アウトロにかけてのアントニン・ドヴォルザークの『新世界』の第2楽章の「家路」のオマージュはノスタルジアに満ちている。ある意味で、効果的なオマージュのお手本がここに示されている。
 
 
その後、嘯くように歌う「Kusune」は、日本の民謡と米国のブルースをかけ合わせた個性的な一曲である。ここには日本的な憂いが表現され、自分の声を多重録音し、ユニゾンで強調している。サトミマガエは、「変わらない、どうせいなくてもひとり」、「かんじょうはもういない」といった個性的な表現性を交えつつ、民謡的なブルースの世界を展開させる。この曲は、海外のポップスやフォークに根ざしているが、実際にサトミマガエにより歌われている歌詞は、日本の現代詩のような鋭い文学性に彩られていることが分かる。さらに、一転して、「Riki」は、ダブ風のホーン・アレンジを交え、ユニークな雰囲気を生み出している。この曲もまた前曲と同様に歌詞が傑出している。「沼の底に 流れと温度を与えます」「上手く生きられるのさ 恬然と」と、倒置法を駆使し日本語の特異な表現を追究する。これらの曲は、一度その言葉を含んだだけでは理解しがたいものがあるけれども、これは内的な感情の断片を見事に捉えている。ここでも、サトミマガエらしさともいうべき特異な表現性が見いだされ、歌詞は日本的なのだが、スパニッシュ音楽やフラメンコのようなエキゾチムが妖しい光を放っている。
 
 
続く「Kaba」は、ジム・オルークのアバンギャルド・フォークに対する親和性を持っている。それは淀んだ沼の中の得難い生物を捉えるかのように、異質な視点と感覚が込められている。サトミマガエは、アンビエント風のノイズを交え、フォーク・ミュージックを展開させるが、同じ言葉(同音)のフレーズの反復性を効果的に活用している。「触れないはずの 触れないはずの 触れないはずの 触れないはずの隙まで」、「すり抜け」、「吹き抜け」ー「埋まらないはずの 埋まらないはずの 埋まらないはずの 埋まらないはずの底まで」、「擦りむけ」、「吹き抜け」ーというように、対句的な言葉遊びの手法を用い、感傷的な言葉を選び、その日本語の連続性が持つ意味合いを巧みに増幅させる。このレコードの中で最も前衛的な感覚の鋭さを擁する一曲で、その情感は、言葉の持つ力とともに見事な形で引き上げられているのである。

 
 
作品のクライマックスに至っても、これらの言葉の実験性/前衛性に重点を置いた楽曲の凄さは鳴りを潜めることはない。奇妙な清涼感に彩られた「Hono」は、海外の昨今のトレンドのフォーク・ミュージックと比べてもまったく遜色のない、いわばワールドクラスの一曲である。ギターの六弦をベースラインに置いた安定感のあるフォーク・ミュージックは、中盤までの曲に比べてだいぶ理解しやすさがある。そして、曲の途中では、(指弾きの)アルペジオのギターの演奏は力強さを増し、アルバム序盤の収録曲とは相異なる未曾有の領域へと差し掛かる。その演奏に釣り込まれるような形で繰り広げられるアーティストの歌声もまた同じように迫力を増していく。特に終盤における情熱的な展開力は目を瞠るものがある。それに続く、「beni.n」は「Riki」のようにトランペットのアレンジを交えたリラックス出来る一曲となっている。そして、十年前のデビュー・アルバムには収録されなかった「Hoshi」はタイトルの通り、夜空に浮かぶ星辰を、フォーク・ミュージックを介してエモーションを的確に表現した曲となっている。
 
 
このアルバムは、Satomimagae(サトミマガエ)なるアーティストのキャリアをおさらいするような作品となっているが、他方、新譜のような感覚で聴くことも出来る。そして、日本語という言語の面白さや潜在的な表現の可能性も再確認出来る。また、実際の楽曲は、オリジナル盤と比べ音質が格段に良くなったのみならず、冗長な部分が意図的にカットされたり、各トラック・パートの音像の遠近が微妙に入れ替えられたりと、パーフェクトな再編集が施されている。この度、長らく入手困難となっていたデビュー作がボーナス・トラックを追加収録して再発売となったことで、サトミマガエの再評価の機運は近年になく高まりつつあるように思える。

 

86/100




Satomimagaeさんのインタビュー記事を後日ご紹介しております。ぜひこちらからお読み下さい。

 

 


satomimagae


東京を拠点に、ギター、声、ノイズのための繊細な歌を紡ぎ、有機と機械、個人と環境、暖と冷の間で揺らめく変幻自在のフォーク系統を伝播するサトミマガエ。最新作は、RVNG Intl.から初のリリースとなる「HANAZONO」。石や川や風から受ける純粋で私的な驚きという日常の神秘主義へのオマージュとして、彼女は自由な遊びやアンサンブル音楽への関心と孤独な音作りの私的世界を融合させ、シンプルさと複雑さを兼ね備えた、まさに無垢な芸術の生物圏というべき作品を作り上げました。



Satomiの芸術的な旅は、中学生の時にギターに出会ったことから始まります。父親がアメリカから持ち帰ったテープやCDのカプセルに入った古いデルタブルースの影響もあり、すぐにこの楽器に夢中になり、10代で曲作りの実験に取り掛かりました。コンピュータを導入したことで、より多くの要素を取り入れることができるようになり、まもなくソロ活動もアンサンブルを愛するようになる。大学では分子生物学を学びながらバンドでベースを弾き、様々な音の中に身を置くことに憧れ、自然やそこに生息する生き物への情熱と交差する。



この頃、アンビエント・ミュージック、エレクトロニック・ミュージック、テクノなど、より実験的でヴォーカルを排除した音楽に傾倒し、リスナーの幅を広げていく。サンプラーを手に入れ、クラブやカフェでソロライブを行うようになり、自分の声やギターの演奏に、追加楽器として考えたノイズを重ね合わせるライブを行うようになる。Satomimagaeは、彼女の特異なフォークトロニックの反芻を通じた公式キャラクターとなった。

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