Jan Jenelik  『SEASCAPE -polyptych』/ Review

 Jan Jenelik  『SEASCAPE -polyptych』

 


Label: Fatiche

Release: 2023/4/28




Review


ドイツ/ベルリンを拠点に活動するJan Jenelik(ヤン・イェネリック)は、20年以上にもわたり、グリッチ/ノイズの製作者として活動して来た。オリジナルアルバムとして有名な作品は、『Loop-Finding-Jazz-Records』(2001年)がある。2000年代から一貫して、イェネリックはドイツのレーベル”Fatiche”からリリースを行っており、今回のアルバムも同レーベルからのリリースとなる。

 

さて、グリッチ/ノイズシーンでは、ベテラン・プロデューサーの域に達しつつあるヤン・イェネリックの最新作は、映画のためのサウンドトラックで、より正確に言えば、映画をもとに制作された実験音楽でもある。この度、ヤン・イェネリックは、1956年のジョン・ヒューストン監督の映画『白鯨』(原作はハーマン・メルヴィルの同名小説)のエイハブ船長の独白をモチーフにして、それを電子音楽として組み直そうという試みを行った。つまり、純粋な音楽作品というよりかは、二つの媒体を融合させたメディア・アートに属する作品と称せる。映像や作中人物の声のデータをグリッチ/ノイズ、アンビエントとして再現させるという内容である。

 

ヤン・イェネリクは『SEASCAPE -polyptych』を制作するに際して、ノイズという観点を通じて彼自身の持ちうる知識を最大限に活用している。ヒスノイズ、シンセのシークエンス、逆再生のループ、サンプリング等、微細な音のデータを活用し、それらをミニマル・ミュージックとして構築している。注目しておきたいのは、アルバムのタイトルからも見える通り、このアルバムは海の音をグリッチという観点から再現し、それをポリフォニーの音楽として組み立てているということ。つまり、ミクロな音の構成そのものはカウンターポイントのような形で成立している。

 

ただ、普通のポリフォニーは例えば、バロック以前のパレストリーナ様式の教会音楽やセバスチャン・バッハの平均律、及びインベンションを見ても分かる通り、器楽の複数の旋律の併置という形で現れるが、イェネリックの場合、それは必ずしも器楽の旋律という形で出現するとはかぎらない。それはシンセサイザーの抽象的なシークエンスかもしれないし、映画に登場するエイハブ船長の独白のサンプリングかもしれないし、ヒスノイズ/ホワイトノイズかもしれない。どちらかと言えば、声や手拍子を器楽の一部として解釈するスティーヴ・ライヒの作品や、イギリスのコントラバス奏者のギャヴィン・ブライヤーズのタイタニック・シリーズのような性格を持ち合わせていることが、このメディア・アートを通じて理解してもらえるはずなのだ。

 

ヤン・イェネリックは、2000年代のリリース作品を通じて、コンピューターのエラー信号を音楽として再構成するグリッチの基本形を確立し、それを高水準の電子音楽に引き上げた人物であるが、今回のメディア・アートに関しては、どちらかと言えば、ノイズだけに拘泥した作品ではないように思われる。ノイズやグリッチも入力される音形を極限まで連続させていくと、水が蒸発して沸点を迎え、気体に変化するのとおなじように、ドローンやアンビエントという形に変化する。イェネリックはそのことを踏まえ、グリッチのノイズを連続させ、それを背後のレイアウトにあるシークエンスと融合させ、既存の作品とは一風異なるIDMを生み出そうとしている。

 

もちろん、深堀りすると、この作品はコンセプト・アルバムとも、ストーリー性を擁する作品とも解釈出来るが、どうやら、ヤン・イェネリックの今作の制作における主眼は、そういった映画のサウンドトラックの付属的な音響効果にあるわけではないように思える。彼はこの作品を通じ、電子音楽の未知の可能性を探り、音楽を、音楽という枠組みからどれだけ自由に解放させることが出来るのかを、彼の得意とするグリッチ/ノイズという観点から究めようとしているわけである。


このメディア・アートの作品の魅力的な点をもうひとつ挙げるなら、それは、映画のサウンドトラックと同じように映像から連想される音楽をどれだけ映像の印象と合致させるのかということに尽きる。

 

これはこのテクノ・プロデューサーの高い技術により、音そのものから何かを連想させるという創造性の一面として現れている。具体的に言えば、緊張した雰囲気、水の中にいるような不思議な雰囲気、木の階段を登っていく雰囲気、水の中に何かが沈んでいくような雰囲気、と多様な形で映画のワンシーンが、テクノ・ミュージックとして立ち現れる。これらの音は、まるで何もない空間に突如、映画的なワンシーンを出現させるかのようでもあり、SFに比する魅力を持っている。

 

私たちが崇めたてている物理的な重量を持つデバイスは、すでに古びようとしている。そのうち、物理的な箱型のデバイスは消え、何もない空中にデジタルのディスプレイを出現させるような革新的なテクノロジーが生み出されていくと思われるが、ベルリンのプロデューサー、ヤン・イエネリックが志向するメディア・アートとは、まさにそういった感じなのかもしれない。


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