Tinariwen 『Amatssou』/ Review

 

 

Label: Wedge

Release: 2023/5./19


 

Review

 


アジアや他のヨーロッパやアメリカといった文化国に住んでいる人には分かりづらいかもしれないが、音楽を演奏することや音楽を聴くということは、ある地域に住む人々にとっては当たり前でもなければ、自然なことでもない。そして、体制側の意向により、ロックを演奏することすらままならない地域もあるという事実を、西アフリカのトゥアレグ族の6人組のロックバンド、Tinariwenは示唆している。そもそもこの地域は、他にもMatadorと契約するMdou Moctorがいて、世界的なロック・バンドを同じ部族から輩出している。西アフリカのサハラ砂漠の地域で生活し、固有言語のタマシェク語を話すトゥアレグ族にとって、おそらくロックミュージックというのは、他の地域に住む人達とは別の意味を持ち、そして生活に欠かさざるものなのである。


かれらの故郷であるサハラ砂漠には、現在も過激派グループのアンサール・ダインが活動している。そこには、音楽そのものを違法化しようと画策する人達もいる。もし過激派により、その地域全体が掌握されれば、音楽は完全に違法になる。違反者には間違いなく死が訪れる。彼らにとって音楽を演奏することは当たり前ではない。そのことにより、サハラ砂漠でのレコーディングが難しくなり、バンドはアルジェリアのテントでアルバムの録音を行うことになった。


以上のことを念頭に置いた時、Tinawarinの通算9作目のアルバム『Amatssou』の持つ意味は全然異なるものに変わるのではないだろうか。それは単なる商品化されたプロダクト以上のカルチャーの伝承という意味を帯びるようになる。U2の作品でお馴染みのダニエル・ラノワがプロデューサーを務めたアルバムは、複数の異なる場所でリモートを通じて完成へと導かれている。アルジェリアのテントにいるTinariwen、ナッシュビルにいるファッツ・カプリン、パリにいるパーカッション奏者のアマル・シャウイ、そして、LAにいるプロデューサーのダニエル・ラノワ。彼らの協力によって、Tinariwenはアルジェリアと世界を結びつける音楽を生み出すことになった。

 

本作では、Tinariwenの主な音楽の一般的な呼称である”サハラ・ブルース”をもとにして、フォークミュージックや民族音楽を基調にしたアクの強いロックミュージックが展開される。 西洋音楽の価値観をもとにして聴くと、かなり異質なものであり、まったく別空間にある音楽のように聞こえる。

 

オープニング曲「Kek Alghalm」を始めとする音楽は、西アフリカの伝統的な儀式音楽のグリオの形式が取り入れられている。これはメインボーカルを取り巻くようにして、他の複数のボーカリストが合いの手を入れるようにコーラスに加わる音楽形式だ。ジャマイカのカリプソ/レゲエ、米国のゴスペル/ブルースの元祖である西アフリカの古典音楽をTinariwenは継承している。その音楽はイスラム圏や小アジアとの音楽の関連性も少なからず見出せる。例えば、チュニジアの作曲家Anouar Braham(アヌアル・ブラヒム)のウードの演奏にも近い特殊な旋律やリズムが取り入れられている。


3曲目の「Arajghiyine」に見られるように、スティーヴ・チベッツの最初期の熱狂性を彷彿とさせるギターの内省的なエネルギーに充ちた迫力ある演奏は、一つの地点にまとわりつくかのように連続し、ギターの演奏に合わせて取り入れられる儀式的な手拍子のリズムによって、強いエネルギーをまとい、エネルギーをぐんぐん上昇させていく。基本的にはエレクトリックの演奏だが、瞑想的で、深い思慮に富んでいる。2000年ごろから、マリの都市部ではデジタルデバイスが普及しているというが、しかし、Tinariwenの音楽はデジタルカルチャーに根ざしたものとは言いがたい。まるで音によって何かのメッセージを伝えるような霊的な雰囲気すらはらんでいるのである。


アルバムの殆どの収録曲には民族音楽の影響もかなりわかりやすい形で反映されている。「Tidjit」では、ウードのような弦楽器を用い、イスラム圏の音楽を彷彿とさせる特異な旋律やリズムが取り入れられている。およそ西洋音楽に慣らされた感性には特異なものとしか解釈するしかなくなるが、それでも、砂漠地帯の砂煙や蜃気楼といった幻想的な情景が実際の演奏から立ち上ってくるような気もする。そして彼らの手にかかると、すこぶる陽気で聞き手が入り込みやすい音楽に昇華される。その他「Jayche Atarak」を始め、独特なリズムを取り入れた楽曲を通じて、彼らは西アフリカの文化や幻想性を披露しようとする。それらはダニエル・ラノワのプロデュースの意向により、レコードというよりもライブ録音に近いリアルな感覚を擁しているのである。


「Imidiwan Mahitinam」は、彼らの住む西アフリカと他の世界を結びつけるような良曲である。ここでは民族楽器のパーカッションを通じて、アンセミックなコーラス、その合間に演奏される絡みつくようなギターが取り入れられている。ここでは、70年代のサイケデリックロック/ハードロックの要素を取り入れた上で、それらを彼らの音楽の主な特徴である、手拍子のようなリズムを織り交ぜることにより、アンセミックな響きがもたらされている。これは、バンドの音楽に少し近づきにくさを感じるリスナーに彼らの音楽の魅力をわかりやすい形で伝えようとしている。続く「Ezlan」は、サハラ・ブルースを体現しており、最初期の米国南部のブルースの演奏に近い哀愁に充ちた音楽観が示されている。更に、ニューヨークのギター/フィドルの演奏家、Fats Kaplinの参加によって、そのセッションは白熱した雰囲気を帯びるようになる。

 

同じく、Fats Kaplinが参加した「Anemouhagh」は、祭儀的な気配に充ちた一曲となっている。ここでは陽気な瞬間と心浮き立つような雰囲気がレコーディングからありありと伝わってくる。その終盤では、バンジョー、マンドリンのような古典的な弦楽器と民族音楽のパーカッションが加わることによって、Tinawriwenのセッションは次第に鋭さと熱狂性を帯びていく。セッションに合間に取り入れられるリード・ギターは、曲の持つエネルギーを徐々に上昇させていく。その後、アルバムの終盤には、フォーク・ミュージックを基調にした瞑想的な楽曲が複数収録されている。

 

もうひとつ、『Amatssou』を締めくくる「Tinde」では、女性ボーカルが参加していることに注目したい。グリオの影響下にあると思われる(二拍子に近い)儀式的なリズムも魅力的ではあるが、アフリカの地域性や固有性を示すにとどまらず、本当の意味で世界を一つに結びつけるメッセージが、この曲に込められているように思える。また、アルバムのタイトル「恐怖の向こう側」には、それと対極にある平穏で調和的な境地が見いだせるような気がする。世界の異なる場所を通じ、人類が一つに団結することでしか和平は訪れることはない、つまり、分離が何処に存在するかぎり平和など机上の空論に過ぎないということを、彼らは真摯に伝えようとしているのである。



78/100

 

 

 

 


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